はてなキーワード: 見える化とは
ふと思ったが、「棒グラフ」「折れ線グラフ」とか、「グラフ」と言う観念を発明した人は天才だと思う。
グラフが発明されてなければ、技術や経済発展のスピードは1割程度遅くなっていたのでは?
X軸Y軸にバルーンの大きさが加わるため、三次元で変数を可視化出来るスグレモノ。
バルーンの色やグラデーションを変えれば、四次元の変数を表現できなくない。
(但し最初にバルーングラフの読み方を聴衆に説明する必要あり)
カルビーは、経営者が20種の経営指標グラフを毎日チェックしながら経営する「コックピット経営」しているそうだが、
多分こういう「多元グラフ」も活用してるんだろうなあ、と思う。
その前に「各種変数をいかに最適に可視化、グラフ化するスキル」の教育が必要じゃないか、と思う。
http://togetter.com/li/605410 コメント欄より
「不謹慎だ」と怒っていらっしゃる方々は、いったいどんな時に微笑むのでしょうか。何をしたら、笑ってもらえるのでしょうかねぇ。社主が大人しくなったら「ザマァ」とか言って笑うんですかね?それこそ不謹慎なんだけど、ブーメランの自覚ないんですかね。
namihei_twit 6 hours ago 4
(´-`).。oO(つまり、というか、むしろ、というべきか、言い訳、開き直り、をしているのは、組織票で真っ赤な人達の方、であろう、と。)
namihei_twit 2 hours ago
ツイッターのTLを見てみると、どういう性質の人が虚構新聞を支持しているのかよく分かる
https://twitter.com/namihei_twit
@namihei_twit
対処療法より体質改善。今、何をすべきか考えるのが好き。悪「者」
捜しは嫌い。■フォローはお気軽に。アンフォローもご自由に。こちら
も気分でフォローさせてもらってます。●固い呟きが多いですが、ユル
くお付き合いください。★突然のリプご容赦ください。
【@kyoko_np の件に思ったこと】「不謹慎だ」といつも何かに怒っていらっしゃる人達は、いったいどんな時に微笑むのでしょうか。何をしたら、笑ってもらえるのでしょうかねぇ。— なみへい (@namihei_twit) 2013, 12月 23
言葉の怖さを知ったこと、と、言葉を発することを怖がること、は、くっつけたらイカンよ。ヽ(´ー`)ノ10;皆が思い思いに好き勝手に発した言葉で、皆、日々、励まされたり、傷ついたりしてるんだからさ。10;10;RT @harukazechan いまは文章をつづることも、こわくなってしまった— なみへい (@namihei_twit) 2013, 12月 23
「レイシストを許さない」で、いいの?10;10;「レイシストにはならない」10;「レイシズムを許さない、認めない」じゃないの?10;10;すごく細かいことを言っているのは重々承知なんだけど、違いが分からん、とか言われたら物凄く恐ろしいことなので。— なみへい (@namihei_twit) 2013, 12月 21
レイシズムは嫌いだし、レイシズムに反対だけど、レイシスト差別はよくないと思うわけ。10;10;貼りつけられたレッテルが「レイシスト」なら、差別していいの?10;10;それ、自己矛盾で自己崩壊しない?— なみへい (@namihei_twit) 2013, 12月 21
@namihei_twitがRT
マスコミが猪瀬さんを執拗に叩くってのはマスコミにとって「邪魔者」かもしくは金を貰ってやってるってに決まっている。そこには正義などないよ。— ヒトラー総統 (@hitler_soto) 2013, 12月 18
@namihei_twitがRT
私は猪瀬知事の続投を支持します。10;10;なぜなら10;都議員の民主をはじめ無能議員が知事を責めあげ、10;マスコミが相乗りで猪瀬知事を攻撃しているから。10;10;これは10;「自分たちに都合の悪い人物を潰したい」という意図。10;10;この現象は10;マスコミと朝鮮の癒着という10;「暗黒の民主政権で学んだ」からです— sakuhana (@mina005) 2013, 12月 17
@namihei_twitがRT
結局のとこ、マスコミと我々民衆が都知事をやめさせるわけでしょ。で、たかだか5千万円の事で、都知事選で50億円使うと。— 金本茂 Shigeru KANEMOTO (@ssci) 2013, 12月 18
自己暗示をかけて殻に閉じ籠る、浮世離れしてるたぐいの方々が、ネットというツールのおかげで、あちらこちらで殻から漏れ出している、という。これも、可視化?見える化?みたいに呼んでいいのでしょうか?ヽ(´.. http://t.co/H0Snoq4suq— なみへい (@namihei_twit) 2013, 12月 16
誰にも負けない強さを持ち、あらゆる相手を打ち負かす人など何処にも居ないと思う。10;10;全てに万能な人間など非現実的だから。— なみへい (@namihei_twit) 2013, 12月 15
しかし、あらゆる人から味方をして貰える人に成れたなら、どうだろう。10;誰にも太刀打ち出来なくてもいいのだ。10;10;勝負にならなくたって「敵無し」なわけで。— なみへい (@namihei_twit) 2013, 12月 15
相手を打ち負かし屈服させる力とは、自分を蝕んでいく負の力だ。 反撃に怯え、近づく者を拒み、敵を作り続け、自らを孤立させる力だと思う。10;10;適材適所で適度に使う分には構わないだろうが、自らの強さを誇示するため、敵を作っては打ち負かす、というのは愚かと言う他ない。— なみへい (@namihei_twit) 2013, 12月 15
メモ(一人言)10;10;性善説、性悪説、「性弱説」10;10;「状況の奴隷」10;10;発想の冒険10;10;未知への挑戦10;10;好奇心10;10;可能性— なみへい (@namihei_twit) 2013, 12月 14
イイワケの域を出ていない。自分を奮い立たせるのは良いけれど、自分をよく見せるため自分が満足するためで、お客に満足してもらうためお客に喜んでもらうため、じゃないよねソレ。満足する部分もあればこそまぁ仕.. http://t.co/kbIAOQLbwZ— なみへい (@namihei_twit) 2013, 12月 14
「こんな思いをしてまで自分では望んでない者になってるのに、アイツ等あんなに好き勝手にやりやがって、ムキー」10;10;(´-`).。oO(望んでないモノかもしれないが、あなたが選んだモノだよ。選ばせてくれなかった?今はもう選んで選り好みしても良いものだと認識してるよね)— なみへい (@namihei_twit) 2013, 12月 14
https://twitter.com/namihei_twit/status/411692962871910400から
だから、人の目が怖くなるんだよ。 10;だから、面と向かって目を見て人と話せなくなるんだよ。 10;だから、相手の話に耳を貸さず、ひたすらまくしたてて逃げるんだよ。10;10;さらには、自分自身すら誤魔化すために「勝ち名乗り」とかあげちゃったりしてな。— なみへい (@namihei_twit) 2013, 12月 14
自分が「変な人ですね」って言われることが最高の褒め言葉だなんて思っているようなヤツだから、こんな変なヤツを好きだなんてどんな変なヤツだよ、と好感度が上がってしまうのだが。— なみへい (@namihei_twit) 2013, 12月 9
(コメ欄が本題からどんどん遠ざかっていってるけど、遠ざけようとしているのは誰か、遠ざかりたがっているのは誰なのか、目を背けているのは誰か、読んでる人達はちゃぁんと生暖かく観てますからね。シメシメとか.. http://t.co/nnug16JB0L— なみへい (@namihei_twit) 2013, 12月 9
@azukiglg 誰も真相を知らないことをいいことに、見てきたかのようにデタラメを垂れ流す人には、どのように不幸が訪れるのでしょうか。知らないフリをしてはいるけれど、ソイツの言葉に根も葉もないことを知っている人は、しらを切り続ける以外無いのでしょうか。— なみへい (@namihei_twit) 2013, 12月 8
検証ができずホラ吹きの暴走が止められないと、何も知らない人は成す術なく間違った情報を植え付けられてしまう(信じる信じないはともかく)。秘密になっている情報が、過小評価や過大評価をして勝手に右往左往してくれるのは大歓迎、という類であればそれも良しなんですが。 @azukiglg— なみへい (@namihei_twit) 2013, 12月 8
世界と繋がれない人、が居る。10;誰かの言葉にただひたすら従う人。自分で考えようとしない人、自分の考えで動くことに戸惑う人。10;一見、指示をする誰かの手足になることで繋がっているように誤解されるが、そこに自分という実体が存在していない、つまり、世界の中に自分は居ない、ということ。— なみへい (@namihei_twit) 2013, 12月 7
指示に忠実に動いても、自分の考えを挟むことをためらうことがあっても、自分の意志行動の決定を自分でしたうえでなら、そこに自分は存在している。10;自分の考えとして取り込み、自分の意志として行動する限り、私は私であり、私はここに存在している。— なみへい (@namihei_twit) 2013, 12月 8
「~してくれない」って騒ぐこと、騒ぐ人に付き合うことの、空虚さは、「~してくれない」と騒いでいる人の空虚さ、自分の無さや希薄さに通じていると思う。10;10;そこに自分が存在していれば「~してほしい」と言い替えれられる。10;10;そこに他人しか存在していないから「~してくれない」になる。— なみへい (@namihei_twit) 2013, 12月 8
誰かが相手をしてくれている間だけ、いや、誰かが自分の望む通りの相手をしてくれている間だけ、心が安らぐ。10;常に、自分に目を向け自分に対して時間を割き続けることを、誰かに求めているわけで、そこに際限は無い。— なみへい (@namihei_twit) 2013, 12月 8
保身に走って、自分が痛くならないうちに切り捨てよう、とか、この痛みを押し付けよう、ってするから、反発を受けるんだよねぇ。10;10;自分が相手にそんなことをされたら当然の如く反発し抵抗するのに、自分がそれをするときは反発するな抵抗するなと?10;10;どの口が言うか。— なみへい (@namihei_twit) 2013, 12月 6
みなさんが、2ちゃんねるを今でも見るのはなぜでしょうか。
みなさんが、ニコニコ動画から一歩引いたのは何時ごろでしょうか。
ソーシャルサービスの先駆けであり、最も世界で何度も終わったと言われたサイトですが終わりません。
以前より終わった感がありますがmixiより終わっていません。
2ちゃんねるを観測していたとき、ネットコミュニティとしての文化の終焉に何度も出会えました。
2ちゃんねるは、時代によって中心となる板が代わり、中心が動くことを繰り返すことで不死性を持った謎のサイトです。
一番最初は、開始1年目ぐらいでしょうか。その時代の中心は、ロビーといわれる場所でした。
ロビーとは、日常の違和感を一般的な問題化することで、無駄にしゃべりあうための場所です。
基本は今のニュース速報の様なものを考えて貰えば良いですが、取り扱う視点の広さは比べ物になりませんでした。
この時代を知っている人は、有名固定(笑)とか、その辺が懐かしい人もいるかもしれません。
さて、そんなロビーもだいたい一年ぐらいでダメになりました。原因は、マンネリ。
抱え込むネタの広さがマンネリとくだらなさを加速させました。今の嫌儲みたいな感じです。
嫌儲以上にひどい部分は、慣れ合いです。
元々は斬新な視点を提供できる人達でしたが、割に合わない思考を放棄するようになり
顔出しても知ってる固定同士でどうでも良い挨拶と雑談を繰り返すようになりました。
そんな感じでロビーは特筆するような最終回もなく、気が付いたら端にいる板になるようになりました。
その時代の結論は、慣れ合い禁止でした。
内輪ネタによる安易なコミュニケーションは、興味の無い他人にとっては「見てほしい」ネタでしかなく、「見たい」ネタではないわけです。
これを経験してる人やこの血を受け継ぐ人達は、内輪ネタや身内性に吐き気を催すように調教されています。
ちょうど良いので話は変わってmixiです。
「見てほしい」ネタと「見たい」ネタのバランスに対して、革命的な答えを提供したのがSNSです。
mixiのようなソーシャルネットワークサービスは、「見てほしい」ネタでしかない内輪ネタを
興味のある人に限定公開することで、「見たい」ネタに昇華させたのです。
好きな人のおならの臭いなら嗅ぎたい。それがSNSの本質であり、勝因でした。
でも、強引に近づけてしまった距離感が、結果的に息苦しくなり、若者のSNS離れを呼びました。。
mixiなので、四行ぐらいでどうでもいいです。
2ちゃんねるの歴史に戻ろうかと思ったのですが、飽きました。mixiのせいです。
ネタのマンネリ化を防ぐために、外部の時事性に依存したニュース速報。
VIP。作り出すことに徹した姿勢や、「見たい」を拡散したまとめサイト、慣れ合いの回帰。
ひろゆきが「まとめサイト」に対して好意的なのは「見たい」を拡散する効果なんですね。
2ちゃんねるの不死性は、少なからずひろゆきの空気の読み方も影響してたと思います。以前は。
で、最近話題のはてなブログのマーケティングは「見てほしい」を拡散してるんですね。
「見てほしい」を「見たい」に「見せかける」ツールとして利用されたのが、はてなブックマーク。
そこには「見たい」人達が集まる。なのに「見てほしい」人達を流れにのせる。
そんな風に利用されれば、反感を買うのはあたりまです。どちらの彼らのせいでもありません。
「見たい」の正体は、コンテンツです。Web2.0とかそんな時代でもそこが大事でした。
そして、コンテンツがマンネリ化した場合、その打開策として利用されるのが
「見てほししい」の無理やりなコンテンツ化です。
なぜかって?新しいコンテンツを作るより、人の欲望を見える化する方が簡単なんです。
ユーザー同士の関連テーブルを作れば終わりです。
それを体現したのが、ニコニコ動画です。ここまで読んだ人には書かなくても伝わる気がします。
で、なぜここまでモチベーションがあがらないかというと、このネタ10年前にみたとか地獄のミサワレベルだからです。
本来その先に時に生まれた異端児のストリーム論があるのです。Twitterですね。
そのネタもかなり古いですが。ストリームコミュニティの衰退を定義化されてるのはまだ見たことない気がします。
まだ、衰退してないからか?
なんでこんな古いをネタを書いたかというと、はてなブログから、すんごい古臭い匂いがするんですね。
「見てほしい」「見てほしい」文化。下手すると、テキストサイト時代のレベル。
なんつうか、うちらの世界によるtwitterの隔離閉鎖理論が、コミュニティ論そのものを衰退させて
古臭い「見てほしい」論に回帰したように感じるのは、僕の観測範囲の狭さでしょう。
時代遅れのブログでどうするか、無理やり考え出した古臭さこそ、nextネットコミュニティのはてなブログ。
なんかすんごい古い感じの、時代遅れな感じで、ループモノは飽きた。
昔なら衰退のトリガになる「見てほしい」のコンテンツ化が、この時代にどうなるか、というのはなんか少しだけ見守りたいけど。
どっちかという、こんなマンネリ論より、新しいコミュニティ論が見たいです。
下を読んでて思いました。
その後、だまされたような形で非正規で働いて、もう何年もたつ。。仕事自体はやりたいことをやれてるのが不幸中の幸いだけど、思いっきりやりがい搾取されてるよ。毎日、理不尽さ、失望、諦め、、、云々感じながら、やっぱり生きてくの辛いって感じてる。
でも、就活してたときの、自分は本当になんのとりえもない、って思ってたのはちょっと違うなと思う。
就活ではかられるタイプのコミュニケーション能力は確かに仕事で重要なスキルの一つだよ。でも、実際の仕事では、いろんな種類のコミュニケーションで成り立ってるし、総合的にコミュニケーションがとれてれば、就活的コミュニケーション能力が相対的に低くてもカバーできるよ。就活的コミュニケーション能力も働きながらちょっとずつ向上できるよ。
それに、当然ながらコミュニケーション能力以外の能力で大きくアウトプットが変わってくるよ。これが個々人によっていろんな能力があるわけだけど、どういう能力がどれくらいあるか、とても見える化しづらい、、就活でも説明しづらい。。
いろんなところで既に指摘されてるかもしれないけど、就活での基準は実際に必要な能力と比べて、ある種のコミュニケーション能力の評価の割合が大きくすぎるんじゃないか・・・、って思う。かといってどう評価するか、っていうと難しいんだろうけど、、。
就活システムで評価される能力が高くないのは不運だったよね。その種のコミュニケーション能力が高くないことは素直に認めるとして、その他の全てまでダメだって卑下することないよ。
就活戦線勝ち抜いて入社してくる新入社員についてよく思うのが、「よくそんないい加減なアウトプットで、堂々と説明できるね。」「よくそんなどうでもいいつまらんことを長々と説明できるね。」ということ。
しかし、先日、増田で、就活楽勝、根拠ないことを自信持って説明できればOKというようなことを書かれているのを見て氷解。
そりゃそうだ、就活で鍛えられてるもんな。超スーパー優秀でもない限り、平凡なつまらんことでも堂々と話したもん勝ちだよね。
( う〜ん、やっぱり私は無理だわね〜。)
否定/肯定もさることながら、持って生まれたものなのか/周囲の環境によって作られたものなのかどうか、という問題ですよ。
個々の条件を明らかにしないと物事が見えてこないし。
色々個々の条件を見える化して、それから価値判断する方がいいと思う。
例えばこの場合
・持って生まれた性質である
とすれば(あくまで「とすれば」。実際にこの個々の条件設定が正確なのかどうかは不明)
といえる。ここまでが個々の条件。
その上で「他のメリットを考えるとそれも仕方がない」という価値判断もありえるし「やはりよくないのではないか」という価値判断もありうる。
・「他のメリット」とは具体的に何と何と何で、それの重要度はどのくらいか、とか、一方デメリットの度数はこのくらいだから、差し引いても現代社会は合理的だ
とか、そういう風に展開できるんだと思う。
ばかじゃん?
差異なんかありまくりでしょ?とか思うんだけど、まぁ...数値化とかさ、「見える化」っていうの?できるもんじゃないからねぇ...
モヤっとするよね...
デジタル化が進み、商業作品とアマチュア作品のクオリティ的な差異はなくなりつつある、みたいなことをよく聞くけどどうも、うーん...ピンとこないんだよなぁ。
差異なんかありまくりでしょ?とか思うんだけど、まぁ...数値化とかさ、「見える化」っていうの?できるもんじゃないからねぇ...
モヤっとするよね...
たとえばボカロ?いや、別に悪いとは思わないけどね、うん、良いとも思わない。
ジャンクフードみたいな感じだよなぁ...いや、だから悪いってんじゃなくて、うん、ポテチ美味いじゃん、ねぇ...
ポテチは美味いし、個人的なこと言うと好きよ。でも毎日は食いたくないじゃん。
...まぁ、そういうこと言ってもさぁ...誤解というかねぇ、怒られそうというか...
空気読むならば、うーん、そっとしておいたほうがいいんだよね。きっと......
それでも何かこう子供たちにメーセージをさぁ、なんというか...
「ジャンクフードばかりじゃなくて、もっと野菜とか食べないとダメだよ」
みたいなさぁ...言いたくなるよ、大人(笑)としてはね.....
そういうこと言うとね「ポテチはじゃがいもだろwwwww野菜じゃねーかwwwwwwいい加減にしろwwwwwwww」
ってなるのはわかってるのよ。そうですよ、イモは主食っていう文化もね、世の中には存在しますよ、ええ....ポテチばっかり食ってて悪いことなんてないですよ。
それでもですね、「いや~それだけじゃなくて緑の野菜もね...」とかね、言いたいんですよ。食育っていうのかな。
「え??あんなまずいもの誰が食うの????」誰得?とかンゴwwwwとかですかね...いやよくわかりませんけど、わかりますよ。
葉物なんて今高いですしね。いや、そうそう、あんなものは昆虫の食いもんですよ。
ポテチこそヒトの食い物ですよ、ええ....
でもね...いやいや、なんっていうのかなぁ、えーいろんな食い物が世の中にはあってですね.....ノーノーノーあなたが子供舌だって言いたいわけじゃないんです...えー、うー、えー、
(」・ω・)」うー!(/・ω・)/にゃー!えー、(」・ω・)」うー!(/・ω・)/にゃー!(」・ω・)」うー!(/・ω・)/にゃー!(予測変換ででてきた?)
うーん....何言ってんのか自分でもわかんなくなってきたよ。食いもんの話じゃなくて音楽の話がしたいのにね。
でも、食いもんの話、続けるわ。まぁたとえ話っすよ。
イギリスって料理不味いって度々話題になるけどさぁ、まぁ実際不味いよ。うん。
で、なんであいつら不味いもんばっか食ってて大丈夫なのかってさ、微妙な調査の結果、まぁたぶん、
奴らの道徳心の中で、「欲求を満たすために手のこんだことをするのは罪悪」っていうがあるらしい。
そういうのに対して食い物大好き日本人としてはさぁ
「ええーなにそれ??不味いものばっか食い続けるより、ちょっと工夫して美味しいもの食べれた方が断然良いのに」
「別にうまいもん食ってなくても食ってりゃ死なねーよ!」って感じなんじゃないかな。と
まぁいろんな考え方、世の中にはあるって想像できるけどさぁ...
「金払ってまでうまいもん食いたくない」とかね、
まぁこういうのは極端としても、
「家庭でカンタン中華の素みたいなのがあるんだから、高い金払ってまで中華料理食いに行く必要あるの?」とか
「ちょっと工夫すればサイゼリアより旨いイタリアンなんて簡単に作れるよ。プロとアマに差異はない。だからイタリアンのシェフに存在意義はないよ」とか
うん、まぁね...まぁなんというかさ、こういう言葉を頭のなかで想定してみて、反論?なんとなく想像できないんだよなぁ、うーん・・・。
でも、ぼんやりと日本人としての「常識」ってやつ?から考えてみて、「中華の素」と「中華料理」、「サイゼリア」と「本格イタリアン」、「金払ってプロの料理を食べること」と「アマチュアが見様見マネで自炊すること」は区別が付いてる自分がいる。なんでなんだろうな、うまく書けない。クオリアなんつって(笑)
「別に耳が聴こえてりゃ音楽なんて聴かなくても死なねーよ」とかもね、そりゃあるでしょ。「生きるために必要じゃない」とか。わかる。わかるよ。生きるために必要なことって何かな。たとえば、まぁ食べることだよね。うん、わかるわかる。食ってりゃ死なないから、それが美味いものである必要なんてないよ。うん、わかるわかる。他に何が重要かな。衣食住は基本として、他には?清潔に暮らすってことかな。体を洗うためにお風呂は重要だね。うんうん。でも体を洗うのに必ずしもお湯って必要じゃないよね。水で十分だよ。いやほんとだよ。必要なものだけでいいんだよ。音楽は必要なものではないよね。
ほんとにそうだよ。でもさ、毎日じゃなくてもいいからうまいもん食いたいし、水風呂もなるべく勘弁して欲しい。音楽もなるべくサイコーなものが聴きたいのですよ。
あのね、確かに音楽は無料で聴けますよネットは。旧譜から新譜までそりゃもう大量に。。でもさ、ぶっちゃけて書くと、クオリティ的にぜんぜん満足出来ない。あんなので満足できるかよ。特に最近のものだよ。いろいろ理由があるんだけど、あのー「アマチュアでもプロ並」とかいうけどね、いや、なんかね、アマがプロの真似してるだけでツマンナイのが多いというかさぁ...プロはプロでこぢんまりと宅録だしな。せせこましいよホント。
悪いって言いたいんじゃないんですよ。満足できるかっちゅー話ですよ。
昔さぁ秋元康プロデュースでねずみっ子クラブっていたんだけどさぁ、要するに「大人っぽい小学生」とかを集めたグループだったんだけど、そこにいる子たちが「大人っぽい」というより「大人のコスプレが似合う子供」って感じでなんかいまいちだった。実際、失敗してるし。いやロリでいいんだよロリで!っていうのが通用しない時代だったしね。
アマはアマでいいじゃない。甘々でいいじゃない。その上でプロの仕事があるっていうさ。ロリもBBAもみんな好き。それでいいじゃない。みんな違ってみんないい。ロリもBBAも違いがわからないなんて人がいたってさぁ、まぁ、いいんじゃよ、はぁ~。。。(何が言いたいんだよクソが)
...いろいろあっていいんだけど、いろいろない気がする。いろいろある気はする。とにかく多いなっていう、そんな世の中ですよ。
「昔はよかった」なんつってね。そんなんで満足できるなんて、そりゃうらやましいっすなぁってなもんですよ。
水風呂の中でポテチ食べるなんてずいぶん文化的な生活じゃないですか。あと若さを感じるしね。
でもさ、それせめて水風呂じゃなくてプールにしてくんない?とかまぁいろいろ思っちゃうんです。露天風呂にしてくれとか。
まぁ、論点はズレまくっていくわけだけど。。。
イノベーションを追及するというチーム編成をする、ということであればギリギリ権限委譲はナンセンスだと言えるかもしれないけど、そういう最先端でクリエイティブな世界で飯を食って、それ相応の報酬や評価を得られる人なんて何万人も日本にいないんじゃなかろうか。
やまもとのおっさんも自分がイノベーションしたこともないくせに
なんでこんなことが語れるんだか
っていうか、自発的に己の能力や役割を認識し、主体的にプロジェクトに全員が関わってくれるようなモチベーションの高い集団であれば、組織である必要はないよ。でもね、地方自治体やらスーパーマーケットやら、大きい組織で給料を貰って動くような世界だと、「私、これができるからやります!」とか馬鹿言ってんじゃねえって話になると思うよ。っていうか、自ら能力を規定し仕事にコミットするなんて奴、見たことない。目の前の窓口に並んでる県民や区民にサービスを滞りなくやるためにお前は8時25分に来てタイムカードを押せってところから始まる。モチベーションもへったくれもないわなあ…。
追記も読んだけど、まったくピンとこない。人数がでかい組織ほど、あほみたいに大量のルールに縛られる。世界共通。っていうか、メンバーが自発的に仕事にコミットする組織なんて200社以上見てきたけど存在しないんじゃないかな。理想だし、いい話ではあるが。ロシアで炭鉱労働とかやってて小さいチーム大きな仕事とか言ってたら絶対に仕事量の多い少ないが理由で労働者同士殴り合いが始まる。知的労働でも「それは俺の仕事じゃない」が始まるか、「ここはうちの仕事だから口を出すな」が起きる。
最近GMSの手伝いなどを始めているけど、そこでもやっぱり創意工夫を引き出すためのモチベーションやコミットも大事である一方、仕事を覚えて一人前になるまでは勤務時間中とりあえず息してたら客にケツ向けず働けってなる。んで、実際にちゃんと働かせるチームが成績を上げるし長続きする。小さな組織っていってるけど、店舗ごとに見ればどこも小さな組織だし。
そもそも、みんなその仕事をしたくて入ってきた連中ばかりじゃないんだよねえ。仕方なくその職場で働いてるって人ばっかり。そこにいる理由も「辞めたら、次が見つかるか分からないから」とか。でも働くって多くの人にとってそういうもんだと思うんだ。それでも生きるためや、家族を食わすために頑張って働いてる。
そして、うっかりやって失敗したらクビになることも知ってる。だから、なるだけ能力にあまるリスクはとらないようにするし、他の部署に仕事を取られて「来月から君要らないから」って言われないようにしたい。30年以上組織で働いて、生き残って管理職になっている人たちってそういう生き物であることのほうが遥かに多いよ。
それでもそういう人たちを使っていくのが経営者だからねえ。成績を上げて利益を出していかなければならない。「カンバンで課題を見える化して、毎日5分のスタンドアップミーティングを開いてチームが正しくゴールに向かっているかを確認するとか」それこそスーパーマーケットでもやってるから。そんなのノウハウですらないと思うよ。私の家内ですら、医局でそういう活動やってる。
話を戻すと、権限委譲ってのはそういう「毎日5分スタンドアップミーティングをバイトさんパートさんたちとやっておいてね。任せたよ」とエリア長が店長に言うことですよ。あるいは、毎週火曜、朝に30分全体会議やっておいてって幹部に言うことですわ。GithubとかIT業界やスタートアップではもちろん知名度も影響力もあるけど、月給20万の奴を使って売上を上げていくことを義務付けられた職場なんぞ見てるとやっぱりあっち界隈は何か浮かれすぎてるんじゃないか? って思うよ。
まじで経営者として足したことないのによくこんな発言ができるな
正直、「馴れ馴れしくする事」と「コミュニケーション能力が高い事」についての分別があるのなら、無理に嫌な人・苦手な人と関わる必要はないと思う。
建前上の付き合いは当然するとしても、無理に仲良くしようなんて思う必要はない。
頻繁に「色々な人とできるだけ関わりましょう、自分が嫌いであってもです、そうすることがコミュニケーション能力の向上につながります」なんて言われるが
そんな事しなくても演技力でなんとかなるよ、なってきたしね実際問題。
・上京して慢心してるカッペ
・常に俺を侮ってくる人
・馴れ馴れしすぎる人
・たててやると図に乗る人
・口調が早すぎる人
・高飛車な女
・猫なで声の女
・デブ女
・容姿が醜い女
・絡みがだるい人
・異性が絡むと特別テンションが変わる人
・やる気のなさアピールしてくる人
・オタク趣味を得意げに話す人、容姿端麗な奴ならまだいいけどオールドオタクよ頼むから自重してくれ。恥ずかしい。
・字が汚い人
・協調性がない人しかもそれを個性とか換言する奴。ちげーよ気づけ馬鹿。
・褒めることが出来ない人
最近むかついたので詳しく書く。twitterやニコ動にやたらとログインしているのを見かけるコミュ障っぽい女。案の定、話す時は相手の目も見やしない。
そいつを交えてのグループワーク。お互いにレポートを交換して良い点と改善点の「2点」を相手のレポート裏に記述せよという指示にも関わらず
改善点しか書きゃしないし、よせてあるコメントもなんだか煽り口調。自分の作ったレポートにも悪いところはたくさんあったが、素直に受け止められる
コメントではなかった。こういう時は普通、お世辞でも良いところは書くだろう。少なくとも俺は見たレポートの良い所悪い所を一つづつ書いたんだけど。
・だからSNSやってるコミュ障。頼むから死ね。お芝居も出来ないのに口だけやたら偉そうなのは何よりもむかつく。
・自分は何かを成してきたんだと声高々に自慢する人、言わなければかっこいいのに。いや言わないといけないのか今の世の中。
・清潔感のない奴
・負の努力をする奴
・相手をたてようとしない奴、思いやりがないと換言してもいいかも。
これまでのそしてこれからの駄文は全て自己分析の為に書いているつもり。
人生における不満の「見える化」を行なって、出来るだけイライラしない人生を送っていきたい。
追記:ネットの中でくらい好きなこと言わせろよ・・・(笑)なんで俺が死ななきゃいけないんだよ。まだなんかしらしたいよ。
でも本当、親の俺への関心も薄れてるみたいだし、どんくさいし、あんまり面白い生き方出来てないし
女性に対してもう特別夢もないし、期待もしてないし、まぁこっちも期待されないと思うし
さあ、どうしましょうかね。
「機会平等」と「結果平等」という言葉があるが、日本人(特に教師)は「子供のうちなら結果平等が実現するはず」という幻想を持っている。
しかし子供こそ「むきだしにされた素養の塊」であり、大人同様に平等とはほど遠い。
子供の結果平等に夢を見ている教師や社会は、出来過ぎてクラスで浮いてしまう「浮きこぼれ」の存在を憎む。
浮きこぼれそうな子供たちは、その憎しみを受けないために、"普通の子"のふりをして埋没しながら義務教育期間を過ごす。
今の世の中で力を握っているのは元浮きこぼれや、普通の子に擬態していた子供が成長した大人たちだ。
能力主義、成果主義、見える化、リストラといった流れは、子供時代に不遇だった元浮きこぼれたちの「無能な多数派への復讐」なのではないか。
彼らはおのれの能力によって勝ち取ったものを絶対に他人にシェアしない。「天賦の才」を、自分のためにしか使わないのだ。
なぜ自分が選ばれ、才を与えられたのか、彼らは考えず、感謝も求めず、ただただ人生というゲームで無双プレイを楽しみ、憂さ晴らしをし続ける。
彼らが大衆を憎むのは、子供の頃に教師や社会によってされたことへの復讐だ。
ってExcelでA3で作ったら画面からはみ出て見えへんやないの!!!!
誰かが編集してる間はどうしたらええの?
情報をデータベースに入れて色んな観点で検索したり抽出したりソートしたりリアルタイムに更新したり履歴を保存しておいて比較したりするのって情報処理の基本中の基本じゃないですか。なんでみんなそんなExcel好きなんやろ。
<Excelのいいところ>
・シートごとにページを作れば目次代わりで見やすい。
・表がすぐ作れる。
・テキストボックスでありとあらゆるところに文字が書けて見栄えの良いレポートができる。
・セルの幅を全部小さくして方眼紙みたいにするとインデントの整った文章が書ける。
・シートごとに縦向き、横向き印刷が選べる。
・オプションで読み取り専用にできるので間違って更新されることもない。
・みんな知ってる。
・メールで送れる。
・印刷して配れる。
・共有フォルダにおける。共有ストレージにおいておけばバックアップもばっちり。
・その上ファイル名も変更できるのでリビジョン番号をつけて管理できる。
・ファイルが増えても_oldとつければいける。
・もっと増えたらoldフォルダを作ってそこに入れれば何とかなる。
・ファイル名に_最新ってつけておけば誰もが最新版だとすぐわかる。
・解決した行はグレーアウトで。
・ついでに計算もできる。
自分はホメオパシーは信じないし、「水疱瘡パーティー」には否定的だし、
恐らく科学リテラシーの高い「はてなー」から猛反発を受けるだろうが、それは承知の上の投稿。
水疱瘡に罹患した場合、学校保健法により出席停止の措置が取られる。
勿論、これは「強力な感染力を有する水痘の感染防止」のための措置であるが、
「感染による損害リスク」と「出席停止措置による損害リスク」を両天秤にかけてみた場合、
「出席停止による損害リスク」の方が高いのではないか?
勿論、水疱瘡患者が登校した結果、感染を拡げてしまい、その結果
重篤化、あるいは死亡する児童が発生する確率があることは否定しない。
理想論で「水疱瘡感染拡大リスクは極小化すべき」ということになるのだろう。
しかし、他方で、「出席停止措置」によって、
「一人に置いておけない児童の『チャイルドシッター』役として、親が付きっ切りになる」必要がある。
水疱瘡の場合、「発疹が出ている以外は、熱も無く登校する元気がある」という児童も少なくない。
ありていに言えば、
「学校保健法がなければ、こういう児童は登校できるので、保護者が付きっ切りになる必要はない」のである。
我が家は妻が専業主婦だから、まあ付きっ切りになることはそんなに負担ではない。
しかし共働きの家庭の場合、「かさぶたが取れて登校許可が出るまでの一週間、付きっ切りになる」
ことは即ち「仕事を休む」ことと同義である。
(病児保育が普及していればいいのだが・・・)
つまり、学校保健法により、共働き世帯には過重負担、コストが掛かっているのである。
「出席停止措置によって保護者が抱え込む付き添いコスト」を冷静に比較すれば、
「付き添いコスト」の方が大きいのではないか?
生命にかかわることを、経済評価で切り捨てるべきじゃない、という反論もあるだろう。
しかし、例えば「餅」が高齢者の窒息を招くことは確率論的に確かめられているのに、
「餅」の販売はそのまま継続されている。
生命にかかわるコスト評価より、経済的コスト、あるいは「餅という食文化の維持」を
優先させているのである。
思ってしまう。
まあ、感染させたくない保護者にとっては、感染児が登校してくることは
なかなか容認しがたいことかもしれないが、
以前
http://anond.hatelabo.jp/20100715105846
の投稿で、
「はてなーの科学リテラシーをスタンダードとする天動説的考えは、
ママ友ワールドには通用しないよ、水疱瘡とか治った子のところに
まああまり小生も科学リテラシーが「はてなー平均ほどは高くない」
(世間一般よりは高いを思うが)ので、そのときはあまり反論しませんでした。
http://6506.teacup.com/0120320354/bbs
にしたところ、
常連で科学リテラシーが自分よりはるかに高い人(東大工学部卒⇒現在私大准教授)から
『治った子供から免疫をおすそ分け』してもらうという行為自体、
それなりに理に適っている(科学リテラシーなしとは言えない)のではないか?」
との意見をいただきました。
>昭和40年代まではごく普通にありました。パーティではなく、はしかになった
>子どもを聞きつけ、「うちの子にもうつしてあげて、小さいうちになった方が
>軽く済むから・・・」、みたいな感じでうつしてもらってたんだそうです。
>はしかパーティのママともグループは、おそらくその母親世代からその慣習を受け継いで
>自分たちで納得して行っているのでしょう。
>これは私は、科学リテラシーがないからだとは思えません。
>はしかワクチンの危険性(副作用、因果関係不明の脳症発症例etc)
>はしかワクチンの有効性(免疫が継続しないので大人になってからかかるリスク)
>vs
>を天秤にかけてるんでしょう。
>もちろん前者のリスクの方が小さいとされるから、予防接種が行われているわけで、
>私も予防接種をする方を選択していますが、予防接種の危険性もよくわからぬ状態なので、
>後者を選ぶのも見識の一つと言っていいと思います。
>はしかのリスク、合併症の確率は統計的に算出されていて、命定めと過去に言われた
>ように丈夫な子は大丈夫なことが多いが、予防接種のリスクははっきりしていません。
>なんかあっても因果関係が不明とされてしまい、泣き寝入りすることが多い。
>私の印象ですが、予防接種の副作用で統計にのっているのは因果関係がはっきりしている
>ものだけのような気がします。
>たとえば、うちの子は、Hibワクチン接種後、翌日に原因不明の高熱を発して、
>2日ほどで下がりましたが、医者を受診すると因果関係不明と言っていました。
>実際、育児ブログなどを検索するとヒブワクチン接種後、原因不明の高熱を
>発したと書いてあるのが結構あるのですが、公式に発表されている高熱発生率とは
>全く違うような印象をもっています。そこらへんは何か不信感をもつ。
>接種後、腕が2倍くらいにはれ上がってましたが、腫れ上がる率もかなり低めの
>データが公表されているようですし。
・・・ということで、「予防接種副作用リスクがキチンと見える化されている」のが
議論の前提だったと思っていたのですが、「統計に出ていない水面下のリスク」も
考慮すると、議論の枠組みががらっと変わってしまう。
本人が納得したところにさらに書くのもあれなんだが
んなこたーない。
上の検索クエリを一応説明すると、「"」で囲むことで「モテる男を」のような品詞に分解しての検索結果を除外。「-"非モテを"」によって、「モテを」の検索結果から「非モテを」の検索結果を除外。
要するに「モテを」の検索結果。モテ単体でも使われることがよく分かると思う。
あと
俺なら
と書く。いや、だから「見える化」が嫌いって話なんだけど。っていうかこれまたただのいちゃもんDISなんだけど。
何が「安心」なのか理解出来ないけど、まぁいいや。
id:HiromitsuTakagiが遂にWinnyネットワーク観測・閲覧ツールNyzillaをリリースする。
Nyzillaの特徴
Winny開発者である金子勇の著書では以下の様に書かれている(この文章はHiromitsuTakagiも引用している)。
しかしWinnyの場合、通信相手は不特定であり、Winnyプロトコルを使う誰もが通信相手になれます。たとえば、Winnyプロトコルを真似てWinnyノードに接続するようなプログラムの作成ができれば、接続相手のキャッシュファイルを観察することも可能です。このため、たとえどんなに強い暗号方式で通信内容を暗号化したとしても、通信相手は解読可能であり、通信内容は隠しようがありません。
要するに、Winnyネットワークに入れるソフトウェアさえ持ってれば、そこでやり取りされてる情報は筒抜けだよ、と言うことだ。
Winny自体にはない機能だが、特定のIPアドレスでどんな情報をやり取りしてるかと言う事も、全部駄々漏れなのだ。
元々駄々漏れしている情報を見える化するだけなのだから、何の問題もなかろう。
そもそも、見られて困る様な事をしている方が悪いのだ。
本当にそうか?
駄々漏れている情報なら晒して良いと言うスタンスであるならば、RFIDタグやBluetoothによる追跡のプライバシー問題を取り上げていたのは何だったのか。
だとしても、Winnyの仕様を叩けば良いのであって、特定のIPアドレスで何をやり取りしているかを晒すツールを公開する理由にはならない。
RFIDタグやBluetoothの問題を語る時に、追跡ツールを公開していないのと同じだ。
システムの問題を語る為に、個人を攻撃する凶器を放流する必要は無い。
HiromitsuTakagiの意図がどうであれ、Nyzillaが公開されれば、個人を攻撃する為に利用する輩が出てくるだろう。
必ず、出るだろう。
IPアドレスさえ判れば良いのだから簡単だ。
mixiアプリが始まって、今やmixiのアクセスだって足跡と組み合わせてIPアドレスが取得できる。
気に入らないコメントをつけた奴とか、ID知られちゃって仕方なくマイミクにした上司とか。
偉そうな事言ってるけど、Winnyでこんなファイル流してるじゃねーか、と。
攻撃の為に使う人間にとってはIPアドレスが可変だとか、IPアドレス=ユーザじゃないとか、そんな事はどうでも良い。
むしろ、全く無関係のWinnyユーザとIPアドレスがバッティングしてくれた方が都合が良い位だ。
「貴方の家の息子さんが著作権侵害を行っている証拠です」とか言われて往生する人も出て来るだろう。
或いは、悪意を持った攻撃者でなくても、単純な好奇心で知人のIPアドレスの利用状況を見てみる人だって居るだろう。
そこで運悪くIPアドレスのバッティングが起きたらどうするのか。
知識のある専門家がその技術を使うのと、知識のない素人が技術だけ使えてしまうのとでは、引き起こされる結果は全く違うものになるだろう。
ソフトウェアは一度公開されてしまえば、もう止められない。
HiromitsuTakagiの意図がどうかなど知らない。
だが、Nyzillaの公開は今までのセキュリティ・プライバシー問題に対する言動とは明らかに次元が異なる。
その行動は「Winnyで違法行為やってる様な奴は叩いて良い」と言う倫理観に基づいている様に見える。
個人的には「Winnyで違法行為やってる様な奴なんかどうなろうが知らん」が、そんな攻撃に巻き込まれるのはお断りだ。
真っ平ごめんだ。
Nyzillaの公開は12/23だと言う。
これだけは言っておく。
最初に「魔女が居るぞ」と叫んで火を放ったのはid:HiromitsuTakagi、君だ。
今後何が起ころうと、Nyzilla公開によって起きる全ての責任はid:HiromitsuTakagi、君にある。
さて、増田諸氏よ。貴方達はどうする?
火を手に掲げて、魔女を探しに行くのか
降りかかる火の粉を恐れ、謂れのない糾弾に慄くのか
どちらでも好きにすれば良い。