その後、だまされたような形で非正規で働いて、もう何年もたつ。。仕事自体はやりたいことをやれてるのが不幸中の幸いだけど、思いっきりやりがい搾取されてるよ。毎日、理不尽さ、失望、諦め、、、云々感じながら、やっぱり生きてくの辛いって感じてる。
でも、就活してたときの、自分は本当になんのとりえもない、って思ってたのはちょっと違うなと思う。
就活ではかられるタイプのコミュニケーション能力は確かに仕事で重要なスキルの一つだよ。でも、実際の仕事では、いろんな種類のコミュニケーションで成り立ってるし、総合的にコミュニケーションがとれてれば、就活的コミュニケーション能力が相対的に低くてもカバーできるよ。就活的コミュニケーション能力も働きながらちょっとずつ向上できるよ。
それに、当然ながらコミュニケーション能力以外の能力で大きくアウトプットが変わってくるよ。これが個々人によっていろんな能力があるわけだけど、どういう能力がどれくらいあるか、とても見える化しづらい、、就活でも説明しづらい。。
いろんなところで既に指摘されてるかもしれないけど、就活での基準は実際に必要な能力と比べて、ある種のコミュニケーション能力の評価の割合が大きくすぎるんじゃないか・・・、って思う。かといってどう評価するか、っていうと難しいんだろうけど、、。
就活システムで評価される能力が高くないのは不運だったよね。その種のコミュニケーション能力が高くないことは素直に認めるとして、その他の全てまでダメだって卑下することないよ。
就活戦線勝ち抜いて入社してくる新入社員についてよく思うのが、「よくそんないい加減なアウトプットで、堂々と説明できるね。」「よくそんなどうでもいいつまらんことを長々と説明できるね。」ということ。
しかし、先日、増田で、就活楽勝、根拠ないことを自信持って説明できればOKというようなことを書かれているのを見て氷解。
そりゃそうだ、就活で鍛えられてるもんな。超スーパー優秀でもない限り、平凡なつまらんことでも堂々と話したもん勝ちだよね。
( う〜ん、やっぱり私は無理だわね〜。)
東大卒で内定0ってのは選りすぐりをしているか、 もしくは人格的に破滅的な人間でしかない。 就活システムで評価される能力が高くないのは不運だったよね。その種のコミュニケー...
選りすぐりはしてましたし、人格もそんなできた人間じゃないですね。(破綻ということはないと思いますが。控えめな性格なので、面接でのアピール力弱) 最後の蛇足部分は、元増...