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はてなキーワード: 私大とは

2022-07-09

anond:20220709174233

宗教団体のせいでリア充有名私大理工学部から大学中退にさせられて実家すかんぴんになって支援も一切期待できない状態で、人生生きていかない状態ってやりようが何があるのよ。

2022-07-05

0歳の時から子役してるのに短大学費も払えない

ある元子役とその弟と母親Twitterを見ている

子役は0歳の時から芸能活動をやっていて未就学児の頃には当時大人気だったハロプロアイドルと共演して大手食品会社CMに出るなど売れっ子だった

成長するにつれどんどん仕事は減り成人した今では小さな舞台に出るのみでキャパ200席が埋まらないレベル

弟の方は引退済みで現在私大

母親専業主婦父親レンタルDVDショップ店長

Twitter母親が綴る日々は趣味のものを買いまくりの湯水のようにお金が流れていく毎日

それだけ見るとお金持ちのように見える

一方で弟は大学学費無料しろというツイートをよくリツイートする

奨学金についての愚痴をよく流す

教職に就きたいと思っていたが給料が安いので奨学金返済を考えると無理だろうなと進路について悩んでいるようだ

子役は演技の短大に行っていたがそちらも学費奨学金頼りだと言う

何本もテレビCMに出ていたお金はどこに行ったのだろう

仕事に忙しいからと小学校に行かず頻繁に平日昼間からツイートしてたのに学校行けないほど働いたのに学費も払えないのか

金はどこに行った?

2022-06-30

anond:20220630125458

愛知は違うぞ。千種の某男子校と某私大付属女子は強いが、それでも某旧制一中や某東大公立合格者数一位の方が扱いは上。

首都圏でも埼玉は最大の権威が某公立男子校だしな。

2022-06-27

年収600万円のリアル

テンプレートがあったので書いたぜ

はじめに

俺は年収600万ぐらい稼ぐ能力がある。

30代後半で都内在住、妻帯者で子供が3人いる。

年俸制ボーナスほとんどない。

共働きだが妻の収入は知らない、妻は安定した職業なので年収400万ぐらいだろうか?

世帯年収でいうと1000万ぐらいだろう。

現代のThe・中流家庭代表のような世帯だろう。

少し他との違いがあるとすれば子供が3人と現代では多いほうなことぐらい。

生活リアル

年収ほど贅沢はしていない、というか贅沢出来るような年収でもない。

20年、家賃15万程度の3LDK賃貸生活している。

子供が大きくなったら部屋の数が足りないことが気がかりだが、今のところ何不自由ない住環境だ。

貯蓄は子供用の10年積立の学資保険300万をそれぞれに入っている。

児童手当は全額各人の貯蓄にまわしているので、一人あたり500万は確保出来る予定だ。

文系私大学費程度ならこの貯蓄でなんとかなるだろう。

学資保険10年積立なので子供10歳になるころには積立が終わって税金の控除が受けられなくなる場合がある(計算してない)ので、積立が終わってもまた別の学資保険積立をする予定でいる。

500万では理系芸術系学費には足りないので妥当計画ではないだろうか?

子供がいることによる臨時収入出産節句入学祝いなど)も貯蓄にまわしているのでこれらも含めると+50万ぐらいになるかもしれない(家計簿にはつけているけど、具体的な数字記憶していない)

小学校4,5年生あたりになったら学習塾に通わせるぐらいが子供にしてあげられる課金ブーストだと考えている。

中学高校公立を考えているが子供がどうしても私立に行きたいという要望を出してきたら副業でもするかーと雑に考えている。

子供用の貯蓄とは別で以下の貯蓄もしている。

・積立NISA 3万/月

iDeco 2.5万/月

投資 1万/月

財布は妻とは完全に別で運用していて、

俺は固定費家賃保険水道光熱費)やイベント事の出費を出すことが多い。

妻は食費・衣類・生活雑貨担当している。

残ったもの自由に使える。

俺も妻も金のかかるような趣味がなくほとんど金がかからない。

子供が金のかかりそうな遊び(キャンプとか)がしたいとき祖父母にそれとなく言うと喜んで支援してくれるのでそのあたりで助かっている面はある。

それなりに貯蓄しながら、生活特に不自由を感じることなく、ハーゲンダッツを買うと贅沢だなと思いながら躊躇することなく買うことは出来るというのが年収600万のリアルだ。

上には上がいる

俺は裕福層ではない、まぁ当然だが。

結論

年収1000~のリアルを読んでいると、年収によって持ち得る知識が異なってきているように見える、

年収1000万ならそれに見合った節税方法なんかを覚えたり、子供の進学に合わせて課金方法が変わったり。。。

年収の違いは多分自分の周囲に対してかける金額に変動があるのであって自身が感じる生活レベル自体は600~1000万だとそこまで変わらないんじゃないかと思うのだけどどうだろうか?

年収の違いで争うことはやめよう。

2022-06-18

私立文系中退プーの俺が再受験工学部に入り直して気づいたこ

理科2科目+数3必須は相当キツい。早慶理工がいかに難しいかよくわかった。

私立理系でこの科目負担必須にしているのは早慶くらいしかない。

英語、数3なし、理科1科目という入試科目デフォな有名私大理系学部すらめちゃくちゃあるとわかってビビった。


理科アレルギー自分ですら化学はサックサク終わらせられた。力学原子以外の物理はひたすら地獄だった。初歩レベルでとにかく苦しみ抜いた。


理系の人は暗記に対して異様にストレスを抱くタイプが多い。

たとえば化学勉強について

理解はほどほどに流し、暗記で対応できるものは全部丸暗記してしまおう」

という、科学に対する知的好奇心溢れる受験生蛇蝎の如く嫌う、学問的態度が極めて不誠実な受験特化戦略をとったとしても、

A4両面印刷15枚程度の情報量大学受験範囲網羅できてしまう(日本史世界史だとマジで100枚じゃきかない)。

そのくらいのちょびっとの暗記量にもかかわらず死にそうになってる人はかなりいた。


物理化学ともに全統記述偏差値65以上、共通テストで9割以上レベル学力を身につけたところでサイエンス系の時事ニュースへの理解度は

「何言ってんのか全然わかんねえ」

程度にとどまる。

下手すりゃちんぷんかんぷん度合いは私文時代となんら変わらない。雑誌Newtonとかまず理解できない。

多分新聞社科学記者のほうが100倍詳しく、深く理解してると思う。

・多分俺はストレート卒業できない

2022-06-17

anond:20220617153238

首都圏でみて,東京が他の3県(埼玉千葉神奈川)を圧倒しているのは,分子が「当該県の高校出身大学入学者」であるためと思われます。3県在住であっても,大学進学を志す生徒は都内私立に行くことが多いため,3県の大学進学率は低く出ると。この点に留意してください。

女子都内私大に通い、男子地元大に進学する傾向である可能性も

まあわからんけど

anond:20220617143929

それ、どれも私大じゃないじゃん…

anond:20220617141938

理工系のまともな私大がないのはガチだな。

そのお陰で九州脱出出来たので何とも言えないが。

2022-06-12

anond:20220612224807

本当の格差をなくするために、学校内の成績差にこだわるなんて馬鹿馬鹿しいよな。

それより日教組って、もう実質組合としての力を持ってないよね

教員出身大学昔は京大とかだったんだろうけど、今ほぼ私大出身だよね都内

2022-06-11

うちの高校官僚に向いた能力を育てているような気がする。

高校1年生の時の友人は東大法学部に行って官僚になると言っていた。実際東大法学部に行ったことは知っているがその先は知らない。

とにかく鬼のように忙しかった。大学でもこんなに書かせなかったわというくらいレポート課題)を書かされた。

1年生の頃は書くのに数週間を要するような重めの課題学習レポートが各季節に1回くらいあった。スケジュール構成が下手だと、締め切り前日に完徹しても終わらず、ここで15歳の高校生たちが徹夜を覚えた。それから内容はともかく既定の分量を満たす長文を書く小手先テクニックを覚えた。

1年生の3学期は学生4-5人で協力してパワポ資料作成し発表する授業が各教科で3回程度あった。モチベーションの異なる学生たちとどうにか形のあるものをつくるコミュニケーション力とスケジュール力と諦めを学んだ。

2年生になると上記のような重レポートは無くなるが、代わりに物理化学実験レポートが毎週のように課された。それぞれ年間で50本程度書いた気がする。これを1年時のレポートのように毎回徹夜で乗り切ろうとすると週の大半を徹夜しなければならなくなり、体調を壊す。これによりそこまで重くはないがとにかく大量で締め切りが複数ある課題をとりあえずこなす能力が鍛えられた。

さらに、高校2年時に1年かけて研究テーマ設定を行い、実際に研究する活動もあった。私はこういった自分ジャンルを設定する仕事はすごく苦手なのでものすごく手抜きで出した。今思うが社会人になって今やらされている新規事業創出はまさにこれだ。今死んでいる。私には適性がない。

3年生はさすがに受験なのでこういったレポートは落ち着くいた。

もちろん上記レポートのほかにも他教科の予復習、宿題部活学校行事などあった。目まぐるしい3年間だった。私は下から数えた方が早いくら素行の悪い問題児で、色々と周りの人間迷惑をかけながらもどうにか卒業し、大学受験浪人した挙句予備校ではほとんど勉強しなかったが、センター試験は向いていたのか私大に滑り込んだ。

色々あってようやく社会人になった。私は小さい会社のしがない会社である

この高校の人は、「うちの高校大学卒業後に入ってよかったと思える高校だ」といったことをしょっちゅう言っていた。

社会人になったが、本当かなぁ。

でも確かに社会人になって行う仕事って、高校生の時のような課題地獄と少し似ているなぁと感じる。結局はコミュニケーション力なところ。締め切りが複数あるところ。

私の職種はまだ、いわゆる机の上のテストのお勉強ができることを評価される職種だけれど、それよりももっと、幅広い知識アンテナとかが評価される気がする。全然ないけど。

結論はない。勉強サボってこんな昔語りをしてしまった。コーヒーのせいかな。

いい加減おべんきょうせねば。面倒くさいなぁ

2022-06-05

全てに行き詰まってる人の備忘録

あの日からすべて変わってしまった。

いや、ちゃん就活なりなんなりをロクにやらなかったせいなのもあるけども。

とにかく自身に、将来に向き合うことから逃げ続けてきた。

元々理系脳では全くなかった。小学校テスト算数はよく再テストになってたし。

高校受験の際市内でも割合レベルの高い学校合格できると塾の先生から言われた。

でも当時家庭の事情もあって確実に公立校合格たかたかレベルを下げて中の下くらいの高校受験し、無事入学した。

思えばこの頃から努力や挑戦から逃げる癖や他人の目を気にする癖が付いてしまっていたのかもしれない。

高校初の定期試験中学の時と同じように勉強して臨んだ。

そしたら学年2位の成績を取ることができた。もちろん苦手だった理系科目もだ。

ここで僕の勘違いが始まってしまった。

当時僕は自動車とか飛行機に興味を持っていた。まあエー○コンバットとかグラ○ツーリスモの影響もあるし、中学の時離れていたミ○四駆を再開したってのもあった。

ちょうどテストの成績も良く天狗になっていた僕は自動車の開発に携わる人間になると三者面談豪語した。

ただ決めたからには色々リサーチしておくべきだったのだが当時の僕は大学行けばまあなんとかなんやろみたいな感じでのらりくらり過ごしていた。

高校2年、数学系の成績が悪くなる。とは言っても充分上位にはいたので特に問題視はされず、教師からは是非この成績活かして推薦で大学に進んではと意見をもらっていた。

もちろん僕自身もハナからそのつもりだった。

ここでその道に進むとはどういうことなのか、というのをきちんと理解していなかったのがダメなところだった。

高校2年の冬辺りから音楽ゲームの影響で音楽(電子音楽)ハマりだす。

コレが後々いろんな出会いを生み出すことになるし結果的に今の状態を生み出すきっかけになる。

推薦入試県内の中堅私大合格した。もちろんオープンキャンパスにも足を運んだ上で決めた。ただ今思えばここで「県内で近いし大学生になれるならココでいーや」みたいな気持ちがあったのも事実かもしれない。

推薦が決まった後はまあそれなりに真面目に授業を受けつつ、友人が音楽製作始めていて僕も興味あるしやってみるかとiPhoneでいじくり始めた。

そしたらまあ思いの外楽しかった。ただ今思えばココでちゃん音楽勉強とか自分でしておけばよかったと後悔している。

なんやかんやで卒業大学生になる。

前期はまあそれなりに突破した。後期基礎科目なのにも関わらずいまいちついて行けず二つ単位を落とし、物理の授業はほぼお情けで合格と言ったところだった。

この時点で専門科目よりも教養とか英語とかの授業の方が楽しいと感じていた。今思えばこの気持ちに正直になっていればと思う。

そんな最中コロナ騒ぎが始まりオンライン授業になった。

世間大学生らしいことができないだのなんだので騒いでいたが、僕は電車に乗らんでいいし色々ラクできるしええやんみたいな気持ちになっていた。

というかこの時点でもう自動車開発とかの気持ちはなくなっていた。この頃に音楽製作によりハマりだして色々買い揃える。ただ基礎から努力を怠っていて色々不便を感じることもある。(この基礎から努力を怠る悪癖は後々牙を剥く)

オンライン授業のせいにするわけではないが、大して理解せずともまあ単位は取得できた。できてしまった。

大学3年、就職活動とか視野に入ってくる年になる。

しかし、メールとか掲示板とか見ないバカだった僕は就職ガイダンスにロクに参加しなかった。というか気づいてなかった。意識クソ低い系の学生だった僕はインターンとか意識高い系のすることやろとか思っていた。今考えるとアホ極まりない。

というか今考えると意識的にシャットアウトしてたかもしれない。

同時にもう大学の授業に面白みを感じてなかったが、真面目系クズな僕は超低空飛行ながらも単位を取り続ける。

ここいらで自分の考えていたモノ作りはある種芸術的な方向であったと気づくべきだったかもしれない。

というか大学生になるべき人間ではなかったことにさっさと気づくべきだった。

もうこの頃には自動車の開発とかには全く興味がなくなっていた。研究室の配属希望を出すが、自己PR解釈を間違えてクソみたいなことを書いたら第六希望くらいの大して興味もない研究室に配属される。

秋辺りからポツポツと1dayインターンとか行き始める。ちなみに自己分析だのspi対策だのES雛形作成だの全くしていない。

機械科だから機械仕事をすべきみたいな考えでその辺りの会社を見ていた。

特に企業研究とかしていなかった。バカだ。この時点で音楽のが楽しくなってそっち方面で何かできたらと考え始める。

そうこうしてる内にまあちょっと音楽関係でいいことがあったりとか実験がクソ忙しく(実際にはレポートとか課題とか先延ばししまくってたクズ)なって就活から遠ざかる。

というかオンラインガイダンスも後でまとめて受ければいいやで先延ばしにしてそのまま忘れるんだが。

年明け、1月になんとかレポートとか課題を出し終える。

レポートが終わった解放からだらけまくる。クズだ。

合同説明会かにも行き出す。今更かよ。合同説明会に行き、通路を通っただけでウチどうですかどうですかと声をかけられて、顔を覚えられたりして恐怖を感じ、トイレに逃げたりした。

3月エントリーが本格化してくる時期。ようやくエントリーシートなどに取り掛かり始める。が、ここで最悪のつまづきをする。エントリーシートが全く書けない。そもそも将来のビジョンって自分にあるのか。学生時代何を頑張ってきたのか。自分は何をしたいのか。何者なのか。急激にどうにもならなくなってくる。今思えばうつ病に両足突っ込んでいた。ロクに寝れなくなった。食欲もなくなり、ゼリーをかろうじて胃に流し込む日々。

コレもすべて大学生活、もっと言えば高校から自身の適性やキャリアプランを考えなかったツケなのだが。

こんな就活のしの字も分からない自分に誰かを頼る資格もないと考えひたすら内側で自問自答する日々。

就活の助けになるだろうと登録したエージェントからメール電話爆撃で電話に出るのも怖くなる。

このままじゃもうニートまっしぐらだ。周りに自身の、周りからいい子だと言われ続けた自分がこうなってしまうなんて。このままじゃ大学名前にも傷が付く。

そんな気持ちで一杯になった自分は急に自殺しようと自室の窓から飛び降りた。まあ直前で怖くなってしがみついたおかげで打撲と派手な擦り傷で済んだのだが。まあしばらくは上手く歩けなくなった。

この頃はロクに思考も出来てなかった。よく嘔吐もした。体重も落ちた。

からその場の楽ばかり選び、他人からいい子で見られる為に生きてきたことに気づく。真面目系クズだ。

そんな中、企業の方との面談が入る。そこでなぜこの大学に、この学科に入ったのですかと聞かれる。

そこでクソみたいな思考の僕は焦点の合わない目でこう答えた。

「い、家から近かったし理系なら就職が有利と聞いていたので」

クソみたいな考えだ。

そんな最中母親からこう提案される。音楽に興味があったなら卒業後に専門学校への進学も視野に入れてはどうかと。

昔(特に高校生)の僕はストレート大卒ではないといけないという考えに囚われていた。周り道した人と出会わなかったのもあるが。

作曲仕事にするのは難しいが、音響のこととかなら視野に入るのではないかというアドバイスも貰った。ちょっとその気になりつつ、それがある種就活からの逃げではないかと罪の意識に囚われ、いまいち吹っ切れない。

この頃は理由もなく突然泣き出したりとかもよくあった。

そんな状態で4年生卒業研究が始まる。もうこの時点で単位卒業研究以外すべて取り切っていた。

まるで興味のない分野、そもそも興味が薄れていた専攻、そしてこのような精神状態。決まったテーマ希望テーマから外れた。

研究室で昨年の論文に向き合う。が、何も知識がない、というか応用することが全くできなかった(数学公式を暗記して解くモノと思っていた)僕はもう何も理解することができなくなっていた。周りはどんどん前に進んでいるのに自分はどうして何もできないんだという気持ちになり、ますます自身を追い詰める。

研究室に行っても全く集中出来ず、じっとしていられなくなって席をよく立ったり、昔からの癖であった消しゴムペンの戦いごっこが辞められなかったり、高校数学知識が抜け落ちてたりしていた。というかどのように卒論を進めて行けばいいのか、という計画もできない。とはいえ研究室には行かなければという気持ちで毎朝嘔吐したりしていたがなんとか向かっていた。

5月、半ば辺りから徐々に食欲とかは回復していった。とはいえ集中力散漫なままだし頭の中にずっとラップがかけられている感覚は抜けないし、風呂に入る気力もなかったり、帰宅すれば即寝落ちみたいな日々が続くのだが。研究報告のパワポもロクに仕上げられず、自身を殴ったりした。

そんな中共研究者が失踪した。後で卒業研究2年目の先輩に聞いたのだが去年も1人失踪したらしいしなんなら所属学生全員卒論落とす可能性もあったとかなんだとか。

自身テーマ関係する部分の勉強会に参加した。しかし、教授の言ってることがまるで分からない。どうにもならない。卒論は書けるのか。

何も決定できずに時間けが過ぎていく。こんなの書いてる時間があったら少しでも先のことをやるべきだろうが。

結局全ては自分と将来に向き合おうとしなかったツケなのだが。

2022-05-26

お前らさぁ、身の程知らずって怖くね?

なんかフィクション?らしいよ

 世は情報化社会である。嘗て分割され知る事のなかった世間垣間見ルサンチマンの増殖する気色の悪い社会である解脱より他に道はない

 

 この気味の悪い隊列のひとパーツを成していた。いや、現在に至るまでもほとほと嫌気がさしたのみで飲み込まれたままとも言える。私は世間若者と同じく何者かになりたい、正確に言えば既に「何者」かであると思い込もうとしていた。確かに将来に対する希望を持っていた、自分の力で切り拓ける何かがあると信じ、曖昧なまま先へ進もうとした。

 

 小学生であった。H学園では中学入試過去問すら解けず足切りの点数を宣言されて立ち上がったままの知人を「そういった」カテゴライズを内々に行い、性欲よりも先に歪な承認欲求を覚えた。もとより学校人間推して知るべしと言ったところである

 

 中学生となった。勿論合格した。Twitterを覚えた。これだと思った。学問という何やらクールな物に興味を抱き大学という何やらクールな物の範囲を進める人間へ憧れを抱いた。お受験を終えてお受験へと走り出す医学部志望のサイボーグは命の重みを考えたことが無く、心から見下していた。

 

 高校生に上がった。全国大会へ進んだ。AクラスだのSAクラスだの音声を発しているサイボーグ達が霞んで見えた。学校としての成績は下位を取り続けていたがそもそも興味がなかった。取り柄のない人間ジャパニーズドリームだと思っていた。

 日本代表候補になり損ねた。親の代から同じ事をしている人間がいた。ivyに行くのという人間がいた。彼らは資本主義の顔をしていた。美しく寒気のする顔だった。家も学校港区?にあると言った。

 

 大学に落ちた。勿論日本大学だった。何もない人間がいた。激しく悔やんだ結果を自己主張としてレイプしぐちゃぐちゃになった精神を持って私大に拾われた私がいた。小学生の頃の知らない同級生出会った。指定校?で入って来たらしい。頑張って良い大学に入れて満足だと、高校の三年間を頑張って良かったと笑顔で語った。

 

 

 彼は彼のゲームプレイした。彼女彼女ゲームプレイした。知らぬ間にデバッグしかないものを行なっていた

 

 

 

 

 久々にInstagramを開いた。珍しく気分の良い日だった。窓から差し込む日の光が綺麗で反射する置いたままの黒いゴミ袋は凪いだ海の様で繁茂した海藻匂いは気にならなかった。私の散らかって行く人生と違い進んで行く彼らの物語がそこに並んでいた。

 

 結婚式を挙げていた。合コン愚痴を載せていた。シャンパンを空けていた。白木屋で呑んでいた。資金調達を行なっていた。彼らはゲームを続けていた。半端な脳味噌博士課程に進みアカハラで見通しが立ち消え、どこの会社にも拾われなかった人間にこのゲームは向いていなかった様だった。しかしながら、彼らなりのヒエラルキーの中で生きてるのに十五秒で忘れられて行く物語は少しばかり滑稽で可笑しかった。私も十五秒で忘れられる。

 

 式を挙げたのかは定かでない。陽は暮れていた

2022-05-24

anond:20220524094017

そういう田舎に住んでるのに子供2人東京私大奨学金借りずに行かせて、なおかつ月15万円くらい仕送りして

それでも金銭的に超絶余裕で年2回海外行って、3年に1回アルファード新車買い替えられる

みたいな家あるけどあれどんな仕事してるんだ?

どんだけ年収あるんだ?

2022-05-21

偏差値65の人生

座右の銘は「人畜無害」。褒められもせず、苦にもされない人生だと思う。

まれ地方の小さな町だけど、高校県内公立トップ校に進み、大学東大京大はいかなかったが東京の上位私大に潜り込んだ。

就職も志望していた大手企業に入って、マイナー職種のため大出世こそ望めないものの食うに困らない賃金を得ている。自分部署の中ではまあまあ重宝がられてるとも思う。

年齢=彼女いない歴童貞非モテだけど、男女問わず飲みに行ったり遊びに行ったりしてくれる友達はいる。

趣味といえるほどめちゃくちゃに凝ってるわけではないけど、旅行も好きだし展覧会観劇に出かけたりもする。運動はそんなに好きではないけど、太りすぎも痩せすぎもせず、まあまあ健康だ。

両親も健在で実家地元に残った兄が継いでいるし、家族仲も大してよくはないけど致命的に悪いわけでもない。いまはコロナ禍もあって景気は悪いらしいけど、少なくとも外の学校に行かせてもらえるくらいには経済的に恵まれていた。幸いなことに両親とも毒親ではなかったと思う。

東京まれ東京育ち、親が大企業勤めや官僚とかで自分東大海外有名校を出たというような偏差値70超えの人生ではないけれど、経済的に困窮したり家庭が破綻してたり、ものすごいハンディキャップを背負ったりしているというわけではない。

たから見ても悪くない人生だなと思う。

それでもときどき、生来のものさな性格からか「生きるのめんどくさいなあ」と思う。将来に対するただぼんやりした不安というのも多少はあると思うけど、そういうのも含めて「なんかめんどくさい」のだ。

よくも悪くも自分能力はわかっているし、自分性格もよく理解しているから今後も突飛なことはしないだろうなと思う。結局のところ、生まれて飯を食ってクソして死んでいくだけなのかと思ったりもする。

とはいえ自殺する気も今のところない。安楽死は悪くないなとたまに思ってしまうけど、死後というものが(観念的なものとして)どういうもの想像できないだけに積極的に選ぶような勇気はない。

特定宗教を厚く信仰していて死後の世界を信じられていたら(宗教における自殺の是非はともかくとして)もう少し楽だったのかもとも思う。しかし今さらになって急に何かを信奉するのは難しい。

自分のことはよくわかっているので、何かアドバイスが欲しいわけでもない。たいていのことは「自分でもわかってはいるんだよね。でもそうするのは難しい」って思ってしまうのだ。

何かわかりやす解決策が見つかるでもなく、これから淡々と生きていくんだと思う。

自分でも贅沢な自慢話だと思うけど、なんとなくよく眠れず、ぼんやりと考え事をしていたアラサーたわごとだと思って聞き流してほしい。

2022-05-10

全校生徒がチェス部(兼部無し)の高校があったら

トップ数名は推薦で東京の名門私大チェス部に入ってプロ選手になって何千万も稼ぐのか?

2022-05-09

anond:20220509214325

親が金出してくれるならビザ的な意味で行っといた方がええぞ

まぁビザ取得以外の面で意味を持たない高等教育って・・・・思うが

日本よりは真面目に専門家を創出してそうなアメリカさんも割とそう言うビジネスしてるらしいで

 

ただ高卒がいきりなり有名私大の院卒になれちゃったりするのはさすがに日本だけじゃないかなぁって気がするわ・・・

高卒がロー入るのに行政書士としてそれなり経験積んでるか司法書士取る必要あるのに

芸能人ってだけでなぁ・・・(´・ω・`)

2022-05-06

anond:20220506171908

今ならやる価値ありそうな気がする。昔に比べて大学教員の質がダンチだから

今の国立アカデミア3,40代正規教員の人たち、そのポストを獲得するまでに長い非常勤時代を耐え抜いて

ある意味歴戦の猛者みたいな人しかポストにつけてない感じだし、

教育歴も見られて採用されているし、学ぶ価値がある気がするわ。

Fラン私大とかは知らんけど。国立ならすごい振るいにかかってる。

2022-05-02

40代で有名私大に入れる国語数学っていうけど

高校までの英語なんてTOEIC450ぐらいやし

数学高校範囲までやぞ。

2022-04-24

anond:20220424003241

ガチ古風な実家書物片っ端から読んで全部記憶してれば柳田国男的な感じでバシバ論文書けるからあとはコネ私大ねじ込んでもらうのはそんなに無理のない設定だと思う

なんでショットガン使えるかというと,親父にハワイで習ったからだと思う

2022-04-21

anond:20220421223029

日本に不満ないですとかいってるのは

バイトもせずに私大に行けるような至れり尽くせりの金持ち若者がよく言ってるイメージ

その後結婚して奴隷階級になってから気づいて文句たらたらになるのでは。

2022-04-19

anond:20220419140308

そら、自称進学校って基本が私大狙いやろ。

東大京大目標全教勉強してる奴らとはたとえその中で落ちこぼれであっても鼻から勝負にならんのは当たり前だわ

私大入試なんか模試以下くらいにしか思ってないし

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