はてなキーワード: 標識とは
-> 正直車使ってるとよくここは通っていいのかいけないのか瞬時に判断つかない標識がちらほらあるように思う。
そんなこともわかんねー奴は頼むから免許返上して車乗るのやめてくれ。頼むから。そして、おまえの無能さを警察のせいにすんじゃねーよ。腹立つなぁ。
これ直線道路ならおそらく対向車線の右折も禁止だろ?
最後の方に出てくるロータリー型式のものは、元々そういう意図で作られてるんだから当然だし。
そもそもそのサイトで、ただ直進のみ、って標識が右折禁止だか左折禁止だか分からなくて難しい
とかおかしなことを言ってるが、右折や左折禁止、の以前に単に直進以外禁止、なだけだ。
何のサイトだか知らんが無駄に情報まとめてあるが頭悪すぎるだろ。
少なくともそのサイトに出てくる標識でわかりづらいと思うものは1つもないわ。
そりゃロータリーみたいな特殊なところではちょっと迷うけど、そういう時こそ
あなたも信号機の横にあれば、とか言ってるが、どこにあろうと"左折は禁止"なことは一発で分る。
私が捕まったのはもっとわかりにくいところですが下記のような道路ですよ.
http://anond.hatelabo.jp/20120704205323
だから、城下町の武家屋敷地域を除けば、農村地帯は全域が部落地帯。単に士農工商の農民しか住んでなかった集落のことに過ぎないから、いわゆる被差別部落の部落とは全く違って補助金なんて当然出ない。部落という言葉はありふれて誰もが馴染んでいる日常用語だし、それ無しではどんな社会生活も成り立たない。小中学校時代も全員が部落の子供達だから、部落差別問題は教育として取り上げようがなかった(子供が変な勘違いしたら大変なので)。
なのに近年、関東以西の部落差別問題のせいで、東北の部落まで名称変更をさせられて非常に面倒。
「ここから〇〇部落」の道路標識は一枚も余さずことごとく「ここらから〇〇町内会」に建て替えられた。老朽化していた訳でもないのに何故わざわざそんなことするのか。県庁と教育委員会の人達の話を聞いたら、他の地方の人達が持つ部落意識への対策ということだった。東北の部落に部落問題の差別は無いとアピールして全国に浸透させる労力よりも、自分で自分の名称変更する労力の方がまだ少ないと判断したらしい。東北の部落は被差別部落では無いというアピールは、それこそが被差別部落に対する差別になるからできないし。
お陰で、あらゆる行政や教育や市民活動で、部落消滅のための名称変更が大進行中だ。「〇〇部落」と書かれた古くから伝わる記念碑や神輿も「部落」のところだけ修正された。「〇〇部落PTA」と書かれた交通安全旗とかも回収。今まで全部「部落」で習慣的に統一されて便利だった呼称が、何の決まりも無くバラバラに、一部は町内会と変更されたり、また一部は地域や地区と変更されたりしている。全くもってゴチャゴチャと名称乱立でみんな大混乱。「消防団の場合は〇〇部落が〇〇区域になったんだっけ?〇〇町内会?何だっけ?」と書類書くのもいちいち新名称を確認しなくてはならないので面倒臭い。そもそも、部落差別なんて過去の遺物になってるであろう今の時代にガンガン推し進める必然性なんてあるのか。それに何より、これらの名称変更には、税金だったり部落の共同出費だったりして相当に無駄金がかかってる。
そんな訳で、どこかの意識の高い人達が部落差別問題と騒げば騒ぐほど、差別を無くす教育よりも、部落は差別対象だったという知識の方が広まって、今まで差別なんて無かった関係ない東北の部落までもが差別対策をすることになってしまっている。余計な金払って伝統的名称を排除した挙句に大混乱で、こんな面倒な羽目になってとんだとばっちりだ。
眠れないのです。
夜。ベッドの中。カーテンを引いて、蛍光灯を消して、まぶたを閉じて。ゆっくり深呼吸をしてみるのです。鼻から息を吸い込んで、肺を満たして、お腹も膨らまして。手の先が、足の先が、脳髄が、すうっと青く、清流のように涼やかになるのを感じてみても、だめなのです。やはり。だめだったのです。
疲れていないからだとか、カフェインの摂り過ぎだとか、日頃の生活が自堕落だとか。当て嵌めることのできる理由原因は多々あるように思えます。日々の生活が自堕落で、ひび割れた白磁のごとく大量の珈琲を啜る中毒者は、ろくに働きもしない穀潰しでしかなく、同時に何者でもない、没個性的な、凡凡人未満でしかないのです。故に、極ごく平均的な成人が晒されている、日常的な疲労からは程遠い生活を送っている。
しかしながら。それにしてみても、眠れない。ひどく。断固として。眠られないのです。
暗闇の中で深呼吸をしまぶたを閉じると、ぽつぽつと、無秩序な幾何学模様が浮かび上がってくるのです。あるいは、とても醜悪な醜怪極まりない密集が浮かんでくる。てらてらと膨れ上がった小さな小さな黄白色の突起が、わっと眼前に広がってふるふると震えているような画面が、姿を変えて形を変えて、次から次へと展開していくのです。
あるいは、蛍光緑に染まった何かしらの表面に穿たれた無数の窪み。延々とサークルが近づいていたと思えば、突如としてデルタが積み上がっていく。標識は零に置き換わり、麦わら帽子を被った縦列の二つ目に、無味乾燥な眼差しを向け続けられる。
ゆめのような、まっことゆめのようなイメージが、次から次へと、流れては消え、移ろい、変遷していくために、ちっとも落ち着くことなんてできないのです。
ですから、例えば、羊を、柵を飛び越えていく長毛を纏った獣の姿を、諄々に思い浮かべようにも、転々と変化する脈絡のないイメージからは逃れるすべなどなく、横切る羊の眼に顕微鏡が向けられるやいなや、拡大に拡大を重ねたイメージはすぐさま瞳孔へと呑み込まれて、落ち込んだ暗闇の中で新たな表象と対峙するはめになる。
別段、精神的に参っているわけでも、心理的に煩っているわけでもないのです。ただただ眠られない。ひたすらに。純粋に。それだけのことなのです。ちょっとした、些細な物事なのです。
私は明け方の鳥が嫌いです。朝一番の鳴き声が、しんしんと耳朶に染み入ってくる気配が、空を切り夜を引き裂く一声が響き渡る振幅が、受け付けられないのです。
動き出す町並も。目覚めゆく群衆も。苦手で。疎ましくて。心がどんどん灰色になっていく。
眠られない。
ただそれだけのことのために。嫌いな物ごとが増えてしまうのです。
そしたらなんか車がめちゃくちゃいっぱいで走れないんです。
で、よく見たらなんか標識垂れ下がってて、時速60キロ制限、とか書いてあるんです。
もうね、アホかと。馬鹿かと。
お前らな、時速60キロ制限で普段来てない津軽道に来てんじゃねーよ、ボケが。
なんか親子連れとかもいるし。一家4人で津軽道か。おめでてーな。
よーしパパ追越車線走っちゃうぞー、とか言ってるの。もう見てらんない。
片側2車線で追い越した奴といつ喧嘩が始まってもおかしくない、
抜くか抜かれるか、そんな雰囲気がいいんじゃねーか。女子供は、すっこんでろ。
で、やっと抜いたかと思ったら、隣の奴が、追い越し車線消えるから入れてくれ、とか目で訴えてくるんです。
そこでまたぶち切れですよ。
得意げな顔して何が、追い越しだ。
お前は本当に追い越しをしたいのかと問いたい。問い詰めたい。小1時間問い詰めたい。
お前、ストレスたまってるだけちゃうんかと。
津軽道通の俺から言わせてもらえば今、津軽道通の間での最新流行はやっぱり、
車間距離、これだね。
車間距離多めライト点けっぱなし。これが通の走り方。
車間距離ってのは遠すぎても近すぎてもダメ。そんでスピードも控えめ。これ。
で、それにライトもフォグも、おまけにハザードも点けっぱなし。これ最強。
しかしこれを毎回やってると次から警察にマークされるという危険も伴う、諸刃の剣。
まあお前は、大釈迦でも走ってなさいってこった。
(訳注:長文注意。誤訳あったらごめんなさい。教えてもらえたらあとで直します)
村上春樹の作品世界にほぼ浸りきってやろうというつもりだった。
ところがその目論見は外れることになる。
期待していたのは、バルセロナやパリやベルリンのような街だった。
そこでは、市民はみな英語が達者で、さらにはジャズ、劇場、文学、シットコム、フィルム・ノワール、オペラ、ロックといった、
西洋文化のあらゆる枝葉に通じている……そんなコスモポリタンな世界都市を私は期待していた。
誰かに聞いておけば分かっていたはずなのだが、実際の日本はまったくそんな場所ではなかった。
実際に足を踏み入れることができる日本は、どこまでも頑固に、日本的だった。
そう思い知らされたのが地下だったというのは、我ながらよくできていたと思う。
アイロン掛けたてのシャツに包まれ、なんの躊躇もなく地下鉄の駅へと降りて行くや否や、
私は迷子になり、助けを求めようにも英語話者を見つけることができなかった。
最終的には(電車を乗り間違え、馬鹿げた値段の切符を買ってしまい、必死のジェスチャーで通勤客を怖がらせたあと)、
どうにか地上に出てはみたものの、もはやインタビューの時刻はとうに過ぎている。
私は絶望して、目的もなくあちらこちらへとさまよい歩いた(東京にはほとんど標識がないのである)。
そして蜂の巣状のガラス製ピラミッドのような建物の前で途方に暮れていたとき、
ついにユキという村上のアシスタントに見つけてもらうことができた。
あまりにもうかつな、アメリカ人的な私は、村上のことを現代日本文化を忠実に代表する人物として考えていた。
実際には彼は私が思っていたような作家ではなく、日本は私が思っていたような場所ではなかった。
そして両者の関係の複雑さは、翻訳を介して遠くから眺めていたときには想像しえないものであることが明らかになっていった。
村上の新作『1Q84』の主人公の一人は、自らの人生最初の記憶に苛まれており、誰に会ったときにも、あなたの最初の記憶はなにかと尋ねる。
それは3歳のとき、初めて家の門の外に歩き出したときのことだという。
彼は道をてくてくと渡り、溝に落ちた。
流されていく先にあるのは、暗く恐ろしいトンネル。
そこに差し掛かろうかというとき、母が手を差し伸べ、彼は助かった。
「明確に覚えている」と彼は言う。
「水の冷たさ、トンネルの闇、その闇のかたち。怖かった。僕が闇に魅かれているのはそのせいだと思う」
村上がこの記憶を語るとき、私は既視感とともに心の中でくしゃみをするような気持ちを覚えた。
その記憶には聞いた覚えがある、いや、不思議なことにその記憶は自分の中にある、と感じた。
ずっとあとになって分かったことだが、私は確かにその記憶を持っていた。
村上は『ねじまき鳥クロニクル』の冒頭の脇役に自分の記憶を写し込んでいたのだ。
村上を初めて訪問したのは、日本にしてもありえない夏の厳しさの最中、
週の真ん中、蒸し蒸しする午前中のことだった。
その結果、電力、公衆衛生、メディア、政治にも危機が到来した(当時の首相の辞職によって、5年間に5人目の首相が生まれることになった)。
大作『1Q84』の英語訳(そしてフランス語訳、スペイン語訳、ヘブライ語訳、ラトビア語訳、トルコ語訳、ドイツ語訳、ポルトガル語訳、スウェーデン語訳、チェコ語訳、ロシア語訳、カタルーニャ語訳)について話すためだった。
この本はアジアで数百万部を売り上げ、
まだ翻訳が出ていない言語圏ですらノーベル文学賞の噂が囁かれていた。
62歳にして30年のキャリアを持つ村上は、日本文学の最高峰としての地位を確かなものにしている。
疑いなく、彼は母国の表層とかたちを世界に伝える、想像世界の大使となった。
そのことは、関係者には非常に大きな驚きだったと言われている。
アメリカによる戦後占領を受けた1949年の京都、日本の前首都である。
「これ以上の文化混交の瞬間を見つけるのは難しい」と John W. Dower は1940年代後半の日本について書いている。
「これほど深く、予測不能で、曖昧で、混乱していて、刺激的なものは他にない」という。
「瞬間」を「フィクション」に置き換えてみれば、村上の作品を完璧に説明することができる。
彼の物語の基本構造は、互換性のない複数の世界に根を下ろした普通の人生であり、
そこは、さまざまな言語の喧騒に包まれた国際的な港湾都市である。
彼はアメリカ文化、とくにハードボイルド探偵小説とジャズに没頭して十代を過ごした。
二十代のはじめには大企業の序列に入り込む代わりに、髪を伸ばしヒゲを生やして、両親のすすめを押し切って結婚し、借金をして「ピーターキャット」というジャズクラブを東京で開いた。
掃除をして、音楽を聞いて、サンドイッチを作って、酒を注いで、
作家としての村上のキャリアの始まり方は、彼のあの作品スタイルそのものだった。
どこまでも普通の設定で始まり、どこからともなく神秘的な真実が主人公に降りかかり、その人生を根底から変えてしまう。
29歳の村上は地元の野球場の芝生でビールを飲みながら、デイヴ・ヒルトンというアメリカ人助っ人バッターが二塁打を打つのを見ていた。
平凡なヒットだったが、ボールが飛んでいくのを見て村上は天啓に打たれた。
そんな望みはそれまでなかったが、いまや圧倒的なまでだった。
そして彼は書いた。
数ヶ月のちに『風の歌を聞け』を書き上げた。
それは名もなき21歳の話し手が語る小さく凝縮された作品だったが、冒頭から村上らしさが見えていた。
アンニュイとエキゾチシズムの奇妙な混合。
わずか130ページで、その本は西洋文化をぶつ切りにして引用してみせた。
『名犬ラッシー』、『ミッキーマウス・クラブ』、『熱いトタン屋根の猫』、『カリフォルニア・ガールズ』、ベートーベン第三ピアノ交響曲、フランスの映画監督ロジェ・ヴァディム、ボブ・ディラン、マーヴィン・ゲイ、エルヴィス・プレスリー、『ピーナッツ』のウッドストック、サム・ペキンパー、ピーター・ポール&マリー。
以上はごく一部に過ぎない。
そしてその本には(少なくとも英語訳には)日本の芸術の引用がまったくない。
村上作品のこうした傾向は日本の批評家をしばしば苛立たせている。
そして一年後、ピンボール機を取り上げた次の小説を出したのち、執筆に時間のすべてを費やすため、ジャズクラブを畳んだ。
「時間のすべて」という言葉には、村上にとっては余人とは異なる意味がある。
30年を経て、彼は僧侶のように統制された生活を送っている。
すべてが作品を作り出すのを助けるように調整されている。
彼は毎日のように長距離を走り、泳ぎ、健康的な食生活を送り、夜9時には床につき、朝4時に起きる。
そして起床後5、6時間は机に向かい執筆に集中する(2時に起きることもあるという)。
「集中できないとき、人はあまり幸せではない。僕は考えるのが速くないけれど、何かに興味を持てば、それを何年も続けられる。退屈することはない。僕はヤカンのようなものだ。沸かすのに時間はかかるけれど、いつまでも熱い」
そうした日々の湯沸かしが続いていって、世界でも類まれな作品群ができあがった。
30年の歳月を経て積み重ねられたそれには人を虜にする不思議さがあり、様々なジャンル(SF、ファンタジー、リアリズム、ハードボイルド)と様々な文化(日本、アメリカ)をつなぐ位置にある穴を埋めている。
どんな作家にも、少なくともこれほど深くまでは、埋められなかった穴だ。
そして今、とりわげ激しく長い湯沸かしの結実として、もっとも長く、奇妙で、シリアスな本が上梓された。
彼は翻訳者を通して会話するのが嫌いだという。
なまりは強く、落ち着くべき箇所で動詞の活用が劇的に現れたり消えたりする。
とはいえ相互の理解に支障を来たすことはまずない。
特定の熟語("I guess" 「ではないか」、 "like that"「というような」)が、ときたまおかしな位置で使われることがある。
安全な言葉遣いから逸脱するのを楽しんでいる節が彼にはあった。
私たちは東京にある彼の事務所で席を持った。
数人のスタッフが靴を履かず他の部屋で作業をしている。
彼のキャラクターと同じように、アイロン掛けしたばかりのように見えるシャツだった(彼はアイロン掛けが好きだという)。
靴は履いていない。
彼はペンギンのある本の表紙を模したマグカップでブラックコーヒーを飲んだ。
その本とはレイモンド・チャンドラーの『ビッグスリープ』、彼の昔からのお気に入りの小説であり、今日本語訳をしている小説でもある。
話を始めながら、私はあらかじめ用意していた『1Q84』をテーブルの上に置いた。
その本は932ページあり、ほぼ30センチのその厚みは本格的な法律書を思わせるほどだ。
「大きいな」と村上は言った。
「電話帳みたいだ」
★人間、選択肢が10個以上あると、かえって逡巡して行動ができなくなる傾向にある。
「首都圏以外の43道府県が選択肢」となって、選択肢多すぎて決断できない、という
状況に陥っているような気がする。
「東北のどの県を支援するか、予め決めておく、カウンターパートナー方式」を取ったように、
「世田谷区だと岩手県を紹介、杉並区だと山形県を紹介」のように
首都圏人から見ると、山形と青森、いずれも自然が豊かなんだろうが、
「山形も青森も、自然が豊かなのはわかったけど、どっちがいいの?
今度の旅行でどっちに行けばいいの?
迷っちゃって面倒だから、旅行取りやめ」てなことになりかねない。
ビジネスも同じ。
その点、韓国と相対する福岡県であれば「日本で一番韓国に近い都市」ということで、
北海道は「日本で一番ロシアに近い都市」ということで、差別化が可能。
青森が「ロシアとの交流」を標榜しても、地理的関係では北海道に負けるし、
大分が「中国との交流」を標榜しても、地理的関係で長崎に負ける。
であれば、多少「こじつけた理由」で、他国(非英語圏が望ましい)と
「A国のことなら、B県に聞いてしまえ」というまでにのぼりつめればいい。
例えば、大分県の「こじつけ理由」として、大分県は地熱発電が盛んである。
であれば、地熱発電が盛んなインドネシアと、カウンターパートナーとなる。
具体的には、
・大分空港からジャカルタへ直行便、ジャカルタ以外の複数都市にも直行便
・大分銀行が、日本企業(県内企業)のインドネシア進出サポート
・大分県内のNHK/民放で、インドネシア語のバイリンガル放送
・県内図書館にインドネシア語書籍、インドネシア関連書籍揃える
・インドネシア系企業・商店が集積する「インドネシア村」の設置
「インドネシアに強いかどうか」ということで、明白に差別化できる。
在京企業もインドネシアビジネスしたい場合には、大分に行ってビジネスした方が
他県も、こじつけでいいから、外国とカウンターパートナーの縁を結ぶ。
鳥取は砂漠研究が盛んだから、中東の例えばサウジアラビアと縁結びする。
りんご栽培が盛んな青森は、中国アメリカに次いで世界3位のリンゴ大国のポーランドと縁結びする。
さくらんぼ栽培が盛んな山形は、世界1位のさくらんぼ大国のトルコと縁結びする。
多少こじつけでもいいから、その地域の「強み」が生きる相手国と
縁結びするのである。
こうすれば「青森と山形、大同小異、どんぐりの背比べ」じゃなく、
「青森はポーランドビジネスの拠点、山形はトルコビジネスの拠点、日本国内でオンリーワン」となる。
非英語圏諸国は、英語が通じない、通じづらい、というハンディを抱えている。
そのハンディを、カウンターパートナー先の県が、教育・マスコミ総出で
解消してあげるのである。
この構想は、今47都道府県にばら撒かれている「各県インフラ4点セット」を、
逆に利用してやれ、という発想である。
各県インフラ4点セットとは、空港・国立大学・地銀・県紙(テレビ)である。
明治以来150年の歴史を誇る、47都道府県の4点インフラを有効活用しないのは、
いかにも惜しい。
自転車:歩道走行禁止、厳格運用…警視庁が安全対策策定へ - 毎日jp(毎日新聞) mainichi.jp
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20111019k0000m040191000c.html
まず歩道とは?
(定義)
歩道は「縁石線又はさくその他これに類する工作物」によって区分された箇所をいう。
三の四 路側帯 歩行者の通行の用に供し、又は車道の効用を保つため、歩道の設けられていない道路又は道路の歩道の設けられていない側の路端寄りに設けられた帯状の道路の部分で、道路標示によつて区画されたものをいう。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B7%AF%E5%81%B4%E5%B8%AF
路側帯という。
はてブに路側帯の言及が全くないのでたぶん勘違いもあるかと思うのだが、というか自分が勘違いしてたんだが、路側帯は歩道ではないので、歩道走行禁止とは無関係。
路側帯は、原則として自転車走行が認められており(17条の2)、左側通行の原則もない(17条4項は括弧書きで路側帯を含む歩道等を除外)。歩道と違い路側帯の車道側を走るべきという規定もない。
(通行区分)
第十七条 車両は、歩道又は路側帯(以下この条において「歩道等」という。)と車道の区別のある道路においては、車道を通行しなければならない。ただし、道路外の施設又は場所に出入するためやむを得ない場合において歩道等を横断するとき、又は第四十七条第三項若しくは第四十八条の規定により歩道等で停車し、若しくは駐車するため必要な限度において歩道等を通行するときは、この限りでない。
4 車両は、道路(歩道等と車道の区別のある道路においては、車道。以下第九節の二までにおいて同じ。)の中央(軌道が道路の側端に寄つて設けられている場合においては当該道路の軌道敷を除いた部分の中央とし、道路標識等による中央線が設けられているときはその中央線の設けられた道路の部分を中央とする。以下同じ。)から左の部分(以下「左側部分」という。)を通行しなければならない。
第十七条の二 軽車両は、前条第一項の規定にかかわらず、著しく歩行者の通行を妨げることとなる場合を除き、路側帯(軽車両の通行を禁止することを表示する道路標示によつて区画されたものを除く。)を通行することができる。
2 前項の場合において、軽車両は、歩行者の通行を妨げないような速度と方法で進行しなければならない。
(罰則 第二項については第百二十一条第一項第五号)
なお、車道を走る場合は当然左側通行なので、右の路側帯を走るときは路側帯から車道にとび出ることの無いように注意しなければならない。
ここまで書いたんだけどよく考えたら近所に歩道無いじゃん路側帯ばかりじゃんとなったのでもういいや・・・
70歳以上は歩道走行許されるけどどうやって警察官はみわけんだよ?若いのばっかねらうんじゃないの?とか
「車道又は交通の状況に照らして当該普通自転車の通行の安全を確保するため当該普通自転車が歩道を通行することがやむを得ないと認められるとき」は普通人も走行できるんだけど?とか
この誤信はどうするの?故意犯だよね?とか
交通反則通告制度との均衡はどうなの?自動車なら前科つかないのに自転車は前科つくわけだけど?とか
いろいろ考えてたんだけど
「世のため人のため社会のために運転はするな」と言われたので、
アクセルの回転数を時間比例でしか上げられないようにしたらどうかなぁと思ったけど、
あまりよくなかった。坂道発進が危なすぎる。危険回避もできないし。
ブレーキもアクセルも必要なのでつけるとして、アクセルとブレーキがすぐ隣にあるのが悪い気がする。
今は片足で踏み替えができる範囲にあるよね。もっと物理的に離れたところに設置することはできないの?
右足の延長上のもっと右側にブレーキで、左足の延長上のもっと左側にアクセルとか。
いくらなんでも「間違って」右足で左足の外側にあるものは踏まない、よね?
もしくは、ロック解除ボタンを押さないとアクセルが踏みこめないとか。緩める方向は随時OK、踏むときはロック解除。
ブレーキのかわりにアクセルを踏んだとしても、ロックを解除していないから踏み込めない。
高齢者による踏み間違い事故が多いことから、高齢者を判別できるようにもしたい。
車本体に高齢者色を設定するというのは難しいので、高齢運転者標識の表示を義務化してほしい。
年金をもらい始めるのと同時に義務化。60歳から年金受給の人は60歳から。70歳からの人は70歳から。
月数が足りなくて年金が受給出来ない人は、一般的な受給開始年齢から。
もちろんその前からつけるのはまったく問題なし。
東電がー政府の対応がーとか怒ってる人はカリカリしないでこの歌でも聞いて落ち着こうぜ。
「じこはおこるさ」
http://www.youtube.com/watch?v=8HV23ThBo04
スリルなんてちょっとなら楽しみさ
へっちゃらさ なんて知らん顔して
走っているとそんな時
事故がほら起きるよ いきなり来る
調子乗ってやってるとバチがあたる
事故がほら 起きるよ
いい気になってると
そうさ、よそ見してるその時に
事故は 起きるものさ
思いつきでやると きっと 失敗するよ
幸運の女神は気まぐれだから
ウキウキしてるとまっさかさま
忘れないで気をつけてね いつだって
事故がほら起きるよ 突然さ
運が無い時はしょうがない
なんとかしよう
事故がもし起きたら
落ち込まないで
うまくやれるようにがんばろうよ
事故は起きるものさ
大事なモノばかり見落とすね”
そんな時必ずやってくる
二度とやらなければいいけど
事故がほら起きるよ いきなり来る
調子乗ってやってると
バチがあたる
事故がほら起きるよ
いい気になってると
そうさ、よそ見してるその時に
事故は起きるものさ
事故がほら起きるよ突然さ
運が無い時はしょうがない
なんとかしよう
事故がもし起きたら
落ち込まないで
忘れてると事故は起こるさ
ほーら
いい歌だと思う。
最終的には人間嫌いに行きついちゃんだけども、
このルールの時点で守れていない人がほとんど。
逆に言うと車道か自転車道に出るまでは降りて歩かなきゃいけないわけだけども
そんなの面倒だろうから全区間乗っちゃう。
流行りのロードバイクの人はちゃんと車道中心に走っているかもしれない。
でもきっと歩道も走ってるよね。
後は迷惑駐輪。駐輪禁止の標識の前でも平気で駐輪。
駐輪スペースがないから、とかいう理由で。
自分が便利ならそれでいい、という考え方の人が乗る乗り物。
乗れるような環境づくりをせよ、とかいうのはまた別の話。
現状そういう環境じゃないわけだから。
例外的に完璧に乗りこなしている人もいるかもしれない。
でもそれって100人に1人とかそういう割合だろう。
なので、自転車に乗る人が嫌い。
トラバ付けてくれる方いらっしゃったので追記。
むしろ迷惑かけることが多い方だと思う。
迷惑の基準の問題。法を破って他人に怪我をさせる可能性があることまで
単なる迷惑の基準に入れちゃう人ってやっぱり好きにはなれない、ということです。
そうゆう人ってどこまでのことならやっていいと思ってるんだろう?
最近話題のカンニング?万引き?人殺し?その基準がわからないので、
自転車乗りになって自転車乗りの人に同情的に、というのは以前の感覚が麻痺しちゃったんでしょうね。
なんでも好きになれれば楽だとは思いますが、単純に多数派に流されて自分の考えを持てなくなる
ということは避けたいのです。具体的な反論はできずにとりあえず多数派に付いて
安心したいだけの人が多い今の現状に立ち向かうのはしんどいですけど…。
いくら日本の一部の連中が癌で死にかけていたとはいえ、あのやり方はあんまりだろ。おかげで戦利品は半分ぶっ飛ぶわ、頑張ってた奴らは標識をいきなり変えられて大混乱するわ、中には一番うまく行っていたときに死ぬことになる奴がいるわ、小泉は最悪なことをやった。あいつがやったのはドサクサまぎれで自分のオナニーを日本にぶっかけただけ。んであいつの政策は弊害ばっかりだし、めちゃくちゃやりすぎてその後に変な事件が多発して社会が余計悪化するわで、結果的にあいつのせいで日本が積み重ねてきた社会は壊滅した。なんせ日本を動物園にしたんだからな。あいつが出てくる以前はもっと理性的な風潮があったぜ。みんなあいつに殺されたときは苦痛だったはずなんだよ。だけどあいつの殺し方は、犯人をあいまいにし、一瞬苦痛を感じるけどいったん死んでしまうと何も感じなくなるように巧妙に仕組んでいるから、みんな誰にいつ殺されたという最悪の事実を認識していないんだよ。言ってみれば牛や豚の殺し方と同じように、麻酔や投薬をして殺しているから、苦痛があまりなく、殺された後も誰が殺したか分からないように工夫している。しかしお前らは小泉純一郎に殺されたんだよ。こういう凶悪犯罪者は死刑で当然。誰か小泉元首相の所在を探し出してめった刺しにして殺せ。まずこいつの家族から殺して本人に苦痛を与えながら最後にこいつを殺せ。理不尽な暴力で多くの国民の努力と人生を無にした罰だ。
いくら癌で死に掛けていたとはいえ、あのやり方はあんまりだろ。おかげで戦利品は半分ぶっ飛ぶわ、頑張ってた奴らは標識をいきなり変えられて大混乱するわ、小泉は最悪なことをやったんだよ。「後世に評価されるだろう」とか嘯いてな。あいつがやったのはドサクサまぎれで自分のオナニーを日本にぶっかけただけ。
んであいつの政策は弊害ばっかりだし、めちゃくちゃやりすぎてその後に変な事件が多発して社会が余計悪化するわで、結果的にあいつがぶっかけた精液のせいで日本が積み重ねてきた高級な社会は壊滅した。なんせ日本を動物園にしたんだからな。あいつが出てくる以前はもっと理性的な風潮があったぜ。こういう凶悪犯罪者は死刑で当然だろ。
ことの始まりは、立ち入り禁止区域に入り込んだ酔っぱらいの言い訳からだった。
「ちゃんと標識は見たさ。だがなあ、俺の肌は黄色いぜ、黒じゃない」
確かに立ち入り禁止の標識に描かれている人間は黒い、真っ黒だ。しかし、それはわかりやすさを優先したからで、他意はない。ましてや人種を意識しているなんて。
だけれど、標識に黒い人間を描くのは人種差別だとして、話は進んでいった。酔っぱらいの話が火種となって、あらゆる人種差別撤廃団体が、署名活動を始め、それは日本だけでなく、海外にも広まった。その数二億名分。日本の人口より多いのだから、これはもう国も動くしかあるまい。と言うことで、標識上の人物における差別の撤廃会議が行われた。
私は名のしれた広告デザイナーだ。以前、国の事業の広報ポスターを担当したのがきっかけとなり、この会議に喚ばれた。
差別撤廃団体の代表たちと、私のほか数名のデザイナー、そして政府の担当者が、ぐるっと円を囲むようにして、座っている。
「とにかく、今回は色だけ変えましょう。ええ、まず黒は駄目なので、白はどうでしょうか」
白人の差別をなくす会日本支部の代表が、ドンと机を叩いた。
「駄目に決まってるだろう!白人差別だ」
「黄色はどうでしょうか」
黄色人種を守る会日本支部の代表が、血管を浮かして怒鳴る。
「それは黄色人種をバカにしているんですか。ふざけないでください」
「じゃあ、赤、赤ならどうでしょうか」
今度は二人立ち上がる。フェミニズム協会と、ネイティブアメリカンを救う会だ。
「赤は女性を象徴する色です」
「そしてネイティブアメリカンをだ。そんなのは許せない」
「じゃあ、青は」
今度はマスキュリズム協会。
「青は男の色だ」
「なら、灰色は、白でもないし黒でもない、そして黄色でもない。中間を表す色です」
「混血協会がだまっていないぞ」
「なら紫はどうでしょうか」
「ニューハーフ業界がデモを起こすわ」
しばしの沈黙。しょうがない私の出番であろう。私はゆっくりと口を開いた。
「緑だったら。緑ならいいでしょう」
これなら見栄えは悪いが、誰も差別とは思わないだろう。
しかし、それは早くも崩れさった。奇病による肌の変色を差別から守る会の人間がこちらを睨んでいる。私は黙るしかなかった。
するとそのとき、私の隣にいた若いデザイナーが、おどおどしながら、すばらしいアイディアを提案した。
「じゃあ、複数の色を使うとか」
「つまり?」
「虹色にすれば、みんな平等に立ち入れないことを示せませんか」
そういう考え方が有ったのか。急いで色鉛筆で虹色の標識を描く。見事としか言いようがない。まさか肌が虹色になる病気なんてあるまい。
ちょうど、そのとき、お茶を注ぎに来た事務員にその絵を見せてみた。半分自慢のつもりだったのだが、なんということか、事務員が叫びだすではないか。
「これは駄目です。いけません。ニュースをみてないんですか」
「どういうことだ」
「落ち着いて聞いてくださいね。水星人がはるばる地球まで移住にきて、その受け入れが決まったんです」
「それとこれに何の関係がある」
関係は大いにあった。水星人の肌は、きれいな虹色をしていた。
これ以上に八方塞がりなことはあるだろうか。あったら、誰か教えてほしい。みんな疲れきっていた。そうして、とうとう、あの若いデザイナーが狂い始め、突然大声で叫んだ。
「黒も黄色も緑も紫も青も虹色も駄目とは、いっそのこと色なんかなければいい」
腐っても鯛、狂ってもデザイナー。「色なんかなければいい」これである。
「透明はどうでしょうか」
「透明?」
「ええ人を透明にするんです。それなら、大丈夫でしょう。まさか幽霊に人権はないですからね」完璧に思えた。しかしそのときである。
いきなり私は誰かに殴り倒され、マウントポジションでボコボコにされた。
なるほど、透明人間は実在する。