はてなキーワード: 標識とは
それはもう、非常に理解しがたいです。他の惑星で映画を撮ってるようでした。
―それはなぜですか?
ただ、何もかもが完全に違っているんです。よく言われることですが、道路標識から人々の行動の仕方、ふるまい方など、何から何まで。なんというか・・・ただ自分たちとはあまりに違っています。うまく言えませんが。
―あなたは日本社会を共産主義と比較して、資本主義の顔をした共産主義と言っていましたよね・・・それはどういうことですか?
恐らく、そういった類の管理社会だからです。共産主義下の人々が自由でないような・・・それと同じように、日本は強烈な超資本主義社会であり、社会が莫大な金儲けを追求し続ける中で、人々が自由でないのです。皮肉なことに、映画に出てくる日本人たちには全くお金がないわけですが!
―映画の主人公は他の日本人とだいぶ違っているように見えます。画一主義、同調主義でないし、とてもユーモアがあるし、くだけた物言いをします。なんと珍しい!
(笑) まぁ確かに・・・こういう日本人には会ったことがないでしょうね。彼は例外的に珍しいです! たぶんこの映画を作った理由はそういうところにあると思います、本当に・・・。例えば、会社の朝礼の場面(皆で朝の体操、あいさつの練習や目標の斉唱をする)、あれこそ日本です。あの悲惨な国のそういった部分こそ、これまで見てきて疑問を持ち続けてきたことなんです。
―あなたは、日本人は彼のような国民を否定的に見ている言っていましたが。
そうです。日本人からすると、彼は日本で良いイメージを持たれるような輝かしい例ではありません。日本人にとって、彼のような人は単なる負け犬です・・・公の場に汚点を晒しているようなもので、日本の文化の中では恥さらしと思われます。彼自身にとっても、国にとっても、国民にとっても恥だと思われるんです。彼は女性のヒモ状態で生活しています。現代の日本では非常にネガティヴなイメージです。でも、日本人は歓迎しませんが、僕は彼はこの国のヒーローであると思います。日本人が早く目を覚まし、国のおかしさに気付いて現実的に対処しようとすればするほど、その方が多くの人にとってマシになるはずです。そしてたぶん、一日に100人も自殺するような状況を止められるでしょう。
http://shonai.air-nifty.com/dokitomo/2010/02/68-c890.html
当初は張り切っていた私だったが、東京の中でさまよううちに、この映画が今までで最大の難題だと気付いた。私のジレンマは、日本をあまり好きになれないということだった。人々の個々の魂を殺してしまうような、非常にハードな社会だったのだ。公園にいるホームレスを見ていたら、そのうちの1人が私にこう言った。「気の毒だなんて思わないでくれ。俺は今、自由の身なんだ」私は、このような複雑さを捉えた映画を作りたかった。 (「監督のことば」より)
debito.orgの読者の一人であるSteve氏による投稿です(有道氏の投稿ではない)。
*************************
「問題、反応、解決
DM氏の案(http://www.debito.org/?p=5475#comment-188363)には僕も賛成だ。
いや、本気で取り組んでみましょうよ。僕らの最終的な目標は差別を禁止する法律を日本で成立させる事ですし。
誰かこの時代のローザ・パークス夫人になる勇気のある人はいませんかね?これを読んでる誰かにそんな人がいてほしいですが。
現状、個人で経営されている施設が国籍を理由に利用を拒否する事が実質合法ですが(そうでなくとも、実質罰せられていない)、ならば個人施設が日本人の利用を拒否すれば日本の国民だって物凄く反発するでしょうし、「個人施設に国籍や人種を元に利用を拒否する事は違法であり、これを違反する者は厳しく罰せられる」と明記した法律の必要性を理解してくれるのではないでしょうか。間違いなくそういった法律が要求されるようになると思いますが。
ひとまずこんな作戦を提案してみます:法律を守った善良な市民(税金も保険も年金も∀完全に収めていて、ビザの拒否といった反撃の恐れもあるので出来れば日本国民か永住者)で、何らかの施設を経営していて(バーやレストラン、お店など何でも)、損害保険に加入されていて(右翼に窓を割られたりするかもしれないので)、そして一番大事ですが、勇気のある方が、「日本人お断り」や「日本人入店禁止」、「非日本人の方のみ歓迎」等といった張り紙を、ちゃんとお店の前に日本語で貼りつけます。さらにその写真の下には、日本中で見られる、いわゆる「ジャパニーズ・オンリー」の張り紙の写真を張ります(www.debito.org/roguesgallery.htmlや、特に日本語でも書かれているhttp://www.debito.org/edensign030707.jpgなど)。そしてさらにその下には、「日本には『個人施設に国籍や人種を元に利用を拒否する事は違法であり、これを違反する者は厳しく罰せられる』という法律が必要」という旨が書かれた張り紙を張ります。
しっかりと書かれたプレスリリースと、「日本人お断り」の張り紙、「外国人お断り」の張り紙の写真のポスター、そして差別の違法化を訴える一文を一つの写真に写したベストショットを用意するのです。
恐らく多くの新聞やテレビ番組がこれを取り上げるでしょう。「日本人お断り」と書かれた張り紙が写っている、写真の上の部分を見た日本人の方々はもちろん激怒します。そして、彼らの目が写真の真ん中に降りていき、「外国人お断り」の張り紙を見ると、こういった差別が日本に存在する事を理解します。そして最後に写真の一番下まで目を向けると、こういった張り紙を違法とする法律が提案されている事を知り、願わくば賛同してくれる事でしょう。
こういった「問題、反応、解決」テクニックは、頭のきれる指導者によって、間違った目標へと市民の意識を向けるのに利用されてきました。例えば、テロリストの作り出した「問題」が恐怖や怒りといった「反応」を引き起こし、指導者の望む「解決」、つまり人権やプライバシーの現象、他国への空襲や武器のための増税を市民に納得させる、といった具合です。今こそ、この手法で「平和的」な小さな問題(差別的に入場を拒否する標識)を引き起こし、それに対する反応を促し(人種差別に対する怒りを引き立てる)、そして最終的に国民がこういった差別を廃止する法律を求める声を上げさせるべきです。
ただ、一部の新聞やテレビ番組は写真の上半分にのみ重点を置き、下半分をカットして無視してしまうという事も十分考えられます。なら、「外国人お断り」の写真を「日本人お断り」の写真の中に入れるなどすれば(法案も含めて)、一番大切な部分を無視しようとする編集者の働きを阻止する事が出来るかもしれません。
この他に、日本に反差別法を成立させるための、より効率的で真剣なアイディアのある方がいれば、是非ともお聞かせください。
そして、このスレッドの中でポジティブな意見を書き込んで下さってる方の中に「私がやる!」という方が現れる事を期待しています。スティーブより。
*************************
たとえ自分が安全運転をしていても、交通マナーを守っていても、すべてのドライバーが完璧に交通マナーを守れているわけではないので、事故は必ず起こる。
ひし形の先に横断歩道があることを知らないドライバーを自分の近くだけで数人知っている。
それでもって、過失の割合が100:0というケースはまずない。
横断歩道を渡っている歩行者を堂々とはねたりしない限り、双方に過失があるとされる。
初めての道で、すべての標識を見ることができるか?
路面状況や視界が悪かったりしても?
目で確認し、頭で判断し、ブレーキを踏むまでの時間をゼロにすることは不可能だ。
そりゃね、人生で一回も交通事故に遭わないパターンのほうが多いと思うよ。
でも、それは運がよかったからだ。
どんなに安全運転に気を使っていても、避けることが出来ない事故はあるし、その場合でも過失はゼロじゃない。
かなりの割合のドライバーは、特に男性は、自分は運転が上手いと思っているようだ。
しかも、事故歴や運転歴とあまり関係なく。
将来有望な子供を跳ねちゃった場合、数千万の賠償が発生するわけで。
こちらの過失が1割だったとしても、けっこうな額。
怖い怖い。
なんかさ、「萌える」対象は、人間の形をしていなくたっていいと思うんだ。いやそりゃ普通だ。獣人・非人萌えとかな。
つーか、俺らと意思疎通を図れる可能性のある存在じゃなくてもいいと思うんだ。つっても既に廃工場萌えとか道路標識萌えってのはもあるんだっけ?フェティシズムの派生?
いや、もっとこう、なんだ、「水分子一個の性質を研究するには量子力学みたいな分野になるのかな、でも水分子が大量に集まっただけで、流体力学っていう別の分野が待ってるよね」萌えとか。
すみませんでした。
あーなんかブクマ増えてるけど、違うんだ。モノなんて簡単に擬人化できちまう。すでに名前がついている科学/化学現象も、擬人化する絵師様は居る。どっかでクォーク萌えとか見たぜ。
違うんだ。
上の例でも、別に「量子力学萌え」とか「流体力学萌え」と言いたいわけじゃなくて、「同じモノを見てるはずなのに、量によって全く別モノになっちまうんだよね、水分子に限らず、世の中ってそういうの結構あるよね」萌えというか。
なんか俺、「分かってもらったら困る」と言ってる気がするな……
本当にすみませんでした……
ぼくは普段から気分が安定しない人間。
周りに嫉妬ばかりしててそれを隠してるつもりで汚くて小さい。
今日はとても嫌なことがあって、
いつものように話してる友人(だとぼくは思ってる)に電話で話した。
頼りすぎてしまったんだと思う。
お前は言ってるだけで結局行動起こさない。愚痴を聞かされて腹が立つ。
そう言われた。
そのとおりだと思う。
分かってるはずだけど裏切られた気持ちになって
とにかく吐き出したくなった。
友人を巻き込んでも、吐き出した愚痴では最初のストレスを解消できなかった。
真夜中だったがバイクに乗って家を飛び出した。
いや、一人で行くのは恥ずかしいな。
結局決められなかったが、気づくとバイクで走りながら唸っていた。
ああ、やばいなあ。
人に聞かれたくないなあ。
大通りから外れて車の少ない方向へずっと進んでいった。
苦しさで目が潤んだけどとにかく走った。
どこだ。ここ。
時計は確認しなかったけど多分10分から20分くらい走ったと思う。
暗いなと思ったら街灯が無い場所だった。
さっきまで大きい道を走っていたはずだけど。
少し寒さを感じた。
真夜中だから当たり前なのかもしれないけど。
帰ろう。
自分が知ってる街からは出てないと思うのだけれど。
周りをみると田んぼばかりだ。
来た道を振り返ってみれば真っ暗。
おかしいな。
今になって考えればあの時戻るべきだった。
来た道が分からなくても。
民家らしき明かりがあるのだけど時間は12時を回っていた。
怖かったけど迷惑になるようなことはできないよな。
というか、なんでこんなに家から家が遠いんだ。
ここどこだ?
完全に迷った。
舗装された道路も標識も見慣れたものだったけれど安心できなかった。
街灯を見つけたけれど、それを追っても何故か深みにはまっていった。
途中で街灯がなくなるんだよ。
林なのか森なのか分からないけど、空を隠されたら終わりだと思った。
きっと近寄りがたい人間だったけれど。この時ばかりは。
遠くに明かりが見えるような気がするのだけれど、道が分からない。
バイクが止まったら死ぬんじゃないかと思った。
こんなことってあるか?
メンテしてなかった所為もあって、最近切れ掛かっていたライトが切れた。
ハイにしないと明かりが確保できない。
ハイの方のライトも鈍くなってる。
バイク屋行っておくんだった。
ああ
きっと寒さの所為だと思うのだけれど、歯がガチガチ震えてきた。
周りが暗すぎる。
墓を見つけて背中が震えた。
もう本当に怖くて。
家を出たときの苦しさは吹っ飛んでいた。
もう。早く帰りたい。助けて。
泣きそう。
誰か助けて。
空を見上げると星が見えた。
星座は全然知らないけど、たくさん集まってる方向があるというのは確認できた。
星を頼りにするなんて現代じゃ考えられないけど。
方向を確認しながら進める。
ある角を曲がった途端、急に明るくなった。光ってこんなに安心するんだなあ!
どこか分からないけど、でも比較的大きな道との交差点だった。
その後コンビニを見つけ、レシートと地図で現在地を確認することができた。
俺の家から10kmくらい離れていた。
バイクに入れておいた、ばあちゃんからもらったセーターを着た。
帰ろう。
家に着くとすぐに風呂を沸かして入った。
あったかいなあ。
・・・真っ暗で怖かったなあ。光ってこんなに安心するんだな。
****************************************
英紙フィナンシャルタイムズ(9月9日)速報に拠れば、中国はオフショア市場で初めての人民元建て国債を発行する。
香港のオフショア市場を利用して総額60億元を世界の投資家から調達、発行は9月28日。ただし利率、償還期間の詳細は不明。
これは中国の通貨戦略の具体的発動で、自国通貨のハードカレンシー化への第一歩であり、注目される。
▽
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
ウラジオストック、ナホトカ紀行(その3)
****************************************
(承前)
ウラジオストックの中央広場にあるフェリー乗り場からおんぼろフェリーでルースキー島へ上陸して驚いた。
道路はぬかるみ、舗装は溶けて泥道、大雨のあとの水たまりの悪路を日本製のランドクルーザーが進むが、生い茂った森林の伐採作業場ばかりが続き、激しい凸凹道に車酔いを感じながら一時間後、ようやくイベント会場となる現場に到着した。
普請の騒音が高い。
現場は日本製のクレーンが林立している。ブルドーザ、シャベルカーも殆どが日本製だ。そうか、日本抜きにして開発は成り立たないんだ。
建設現場の横に長い看板、「2012年APECサミット会場」(ロシア語)がなければ何の工事かよく分からない。俄かづくりの観が否めない。アゼルバイジャンなどからの流れ者労働者が混在している理由も分かる。
建材や鉄骨が臨時の波止場に積み上げられ、労働者が居住するプレハブのマンションが周囲に建っている。「でも冬は零下二十度になるというのに、あんな住宅で大丈夫か」と問うと「真冬は工事が中断」という答えが返ってきた。会場になるコンベンションホールも外国代表の宿泊予定のホテルも、まだ影も形もない。
ふたたび鋼鉄が錆びてぼろぼろのフェリーでウラジオストックへ戻る。80歳を越えた老女がスターリン勲章を沢山つけて誇らしげに入ってきたので、意地悪な質問。大祖国戦争って何ですか。
▲ビルが林立して壮観だった
さて船から市内を眺めやるとウラジオストックは意外にも高層ビルが林立して壮観である。港には軍艦が三隻、写真を撮っても誰も咎めなかった。
瀟洒なレストランで豊饒なメニューの昼飯のあと、名物の「潜水艦C56博物館」を見学した。戦争博物館を兼ねる。
展示内容が「大祖国戦争」と「第二次世界大戦」ばかりでソ連軍の満州侵略に触れていないのはロシアの歴史観だから仕方がないにせよ、「日露戦争」の記述があまりにも少ない。ガイドに理由を問うと「あれ(日露戦争)は『小さな戦争』ですから」と答えたのには驚いた。
翌日、立派な高速道路を飛ばしてナホトカへ行く。
ナホトカは狭い町で展望台に登ると港湾全体が見下ろせる。
港は撮影禁止と聞いていたが、軍事施設もなく、石炭のバージ船が沖合待ちをしている程度、かつて日本のバック・パッカーの出発点だったシベリア鉄道の始発駅は閑散としていた。
ナホトカで一番大きなホテルは中国資本の遠東大飯店(ユンドァン)という。わざわざ見学に行ってみたが、ほぼガランドウに近く、対岸側にあるチャイナ・タウンの長い長い商店街も人が殆どいない。門前の四階建てのホテルは中華風のつくりだが、そもそも中国人客の姿がない。
▲チャイナタウンは火が消えていた
中華門の傍で焼き鳥を焼いている中年男に「中国人か?」と訊くと「そうだ」。
「商売はどう?」、「うぅん最悪に近いな」。「中国人を殆ど見かけないが?」、「そうさ、北朝鮮、キルギス、ウズベキスタン、そしてアゼルバイジャンからの安い労働力に奪われ、殆どの中国人は帰ったよ」と言う。
われわれ四人組が泊まったのはナホトカで高級な、ガイドブックにも出ているピラミッドホテル。だが、これとて民宿に近い。地下のレストランは客も疎らで、ウラジオストックの繁栄ぶりに比べると天地の開きがある(ただし味は旨かった)。
ナホトカの町を歩いている女性のセンスも田舎風で流行遅れ、所得格差が歴然としており市内唯一のデパート「グム」を見学して品数の貧弱さに唖然とする。書店は絵本と小説くらいしかない。村上春樹の翻訳? ナホトカでは見かけなかった。
2006年に524人の遺骨が収容され、慰霊祭も行ったというナホトカの日本人墓地は台座が毀され荒れ果てていた。
慰霊祭から僅か三年後、お墓だった場所は草ぼうぼう、日本人墓地の標識は落書き、おそらく大理石だった台座がインテリアの飾りにでも使うのだろう、殆ど盗まれて、まるでハゲタカの被害にあったような荒廃ぶりである。
ウラジオストックにあったお墓のほうが立派で、墓園の入り口には花屋もあったのに。
ホテルの裏にこれ見よがしにあった日ロ友好の壁が虚しい気がした。
─────────────────────────────────
通巻第2703号
免許の更新時にあたかも義務かのように請求されるこの謎の協会の会費。
一度も払ったことない。
巷では建前とは裏腹に天下り団体で浪費されるどうしようもないものだと糾弾されている。
交通安全に関する各種標識とか、啓蒙活動とか、朝夕通学路で交通整理をしてくれる、いわゆる「緑のおばさん」とかもここがやってくれてるんだけど、収入に対する活動内容が薄っぺら過ぎて、警察官僚の天下り利権の総本山だとか。
なんか、これを払わないのはどうしたらいいですかとかあちこちの掲示板とかでみるけど、自分は普通に「入りません。」とか「出しません。」とか、そのときの相手の言い方次第ですけど至極当然のように断って払ってません。はじめからきっぱりと言うと、相手もそれ以上なにもいわないですよ。
ただ一度だけ・・・「協力お願いします。」という言い方をしていたおばさんが、「協力しません。」と言った自分の意図を察してか、
少し悲しい顔をして「これは・・・子供の通学路の安全対策や、ランドセルに付けるカバーの配布とかにも使われるものなので・・・是非、お願いできませんか?」と、決してすべてが世間で言われている悪い金になるわけではない、と、乞うようにいわれたときは一瞬「うぐぅ」となったが、再度きっぱりと「それでも駄目です。」と断った。
おばさん、あんたは悪くないよ。
自分にも子供が居るし、交通安全協会の理念自体はすばらしいし、通学中の子供がトラックに轢かれて5体ぐちゃぐちゃのミンチになったなんて話し聞くと本当に寒気がして予防対策には関心があるけど、ごめんね。
だけど、「紛争の被災者を救済したり、インフラ整備にも支援をしている。」からといって、一方で自爆テロやロケット砲で無辜の市民攻撃して紛争を助長しているテロ組織に寄付はできないでしょ。(テロ組織が根強いのは、味方にたいしてはそういう草の根支援があるから。)
お金で済むなら地元のロータリー倶楽部に寄付するし、行動で示すなら町内会の通学路パトロールに参加するよ。
まぁ、地元の緑のおばさんもおじさん(?)も、知り合いなので多少ひっかかりはあるが、自分の意思はそうです。
ま、別にびびる必要は何もなくて、きっぱり「入りません。」と言うか、だまって更新料だけ出せば良いんですよ。
ボコられるのは仕方がないとして。
誰にも読まれないのはなんか手応えがないなあ、と思い、自称ネトウヨである俺のブログの記事を転載してみる。
メンヘルの寝言だと思って聞き流して下さい(と言っても、皆さん、容赦はされないと思いますが)。
~
戦後はともかく、戦前~戦争中の日本の戦車はとにかくしょぼかった(好きな人はごめんね)。
エンジンはディーゼルエンジン(ただし、技術的にはすさまじい)。装甲は紙のよう。
で、運転が無茶苦茶難しかった。戦車の運転手として、名人芸を問われた。
アメリカはどうか?
当然、ガソリンエンジン(しかもオートマ)。楽々前進。運転簡単。
司馬遼太郎は戦車乗りの一人として、米国の戦車と自国のそれを比べたとき、大変無念な思いをした訳ですよ。技術って普遍的なもので、優れた技術はそれを扱っている人間にはすぐに分かる。
で、この差はなんなんだろう?という話になる訳だけれども。
司馬遼太郎曰く、"文化"と"文明"の違い。今でこそ、日本のサービスは優れているけれども、戦前の日本は、"名人の文化"だった。「できないのは、お前がグズだからだ」という文化。タクシーの運ちゃんが「私は助手時代から一度も道を間違えたことがないのですよ」と威張れる文化(戦前の道路は、道は整備されていないし、道路標識もほとんど無かったので凄いことらしい)。
戦争中、すでにアメリカは、ベルトコンベアを採用したT型フォードの生産とかから始まる、機械の大量生産・大量消費の社会に入っていた。で、品質のバラツキをなくすため、品質管理をアホでもグズでも出来るように普遍的なマニュアル化、"文明化"した。日本の場合、品質は個々の情熱と自負心と技量に依存した"文化"だった。
日本は戦後、(サービスにおいて)、名人主義、"人はみな有能"という考えを捨てた。で、品質管理(QC)が、日本産業の基本的性格の一つになった。つまり、アメリカの"文明"を吸収して、日本"文化"にしてしまった。その結果、日本の航空会社のスチュワーデス(あえてこの語を使う)は(優しい)母親となって客を扱う、とは司馬遼太郎の弁。
まあ、大体、アメリカは移民の国であるから、モザイクのようにバラバラにまとまって住んでいる"文化"の違う住人達をまとめるには、普遍的な価値観の"文明"が必要だった面もあるかも知れない。
だから、アメリカは、"文明"的には優れているが、"文化"的には未熟、と言える。
だから、四つ足で一生懸命スタコラ歩く哀れなデザインのマシンを蹴り上げることが出来るのだ。Yes, We can !
参考映像→http://www.youtube.com/watch?v=W1czBcnX1Ww
まあ、俺辺りが簡単に説明できれば、誰も苦労はしないよなあwとは思いつつ、適当に私見を書こう。
結論から先に書くと、「禅的構造への落とし込み」だと思う。
じゃあ、"禅"とは何かというと、Wikipediaによれば、「ただひたすらに(坐禅を)実践せよ」とか「以心伝心」とか「言葉でなく体験」みたいな説明が出てくる。要するに、「空気読め」ということだと思う。多分、それが、日本人を日本人たらしめている。
「禅的構造への落とし込み」の例。
例えば、日本庭園の枯山水庭。とか言うと俺にもよく分からなくなるので、例えば、漫画とか。
昔の劇画でもアメコミでもバンドデシネでもいいのだが、基本的に良く描き込んである。でも、劇画は廃れ、現在の日本では、あまり描き込まれていない、もっとシンプルな記号化された漫画が主流だ。
これが何を意味するか?
まず、描き込むだけの時間がない、という面はある。つまり、「資源が少ない」のだ、我々は。島国は。で、例え結果的でも、描き込まれていないということは、紙に染みついたインクの量は少ないということである。ということは、それだけ、"何を紙に染みついた少ないインクにするか"考えなければならない。その結果、"何を書くか、どの線を選ぶかなどを作家が(生き残るために)魂を込めて選択しなければならない"(もちろん、適当に描いている人もいるかも知れないが、読者を脱力させるための線や展開などの構造を(無意識のうちに?)選んでいると思う)
で、アニメも描き込みの量が少ないわけだが、ストパンの監督は、エヴァンゲリオンの庵野秀明に「お前の描くパンツには魂がこもっている」と褒められたわけだ。
ゲームもそう。わびでもさびでも萌えでも良いのだが、日本の強みは現実の換骨奪胎と記号化であり、「逆に要素を少なくすることで、対象者に想像力を使わせる」のだ。禅的構造への落とし込みとは、「対象者に想像力を使わせるための魂のこもった取捨選択」だ。小さくまとめ上げる。美を追究する。そのために職人は技を磨き、我々は空気を読む。
で。
ハッカーの話になる。
「ソフトウェアは工業製品ではない」、Rubyのまつもと氏が講演 " @IT
http://www.atmarkit.co.jp/news/200904/10/matz.html
つまり、まつもと氏は、名人主義だ。
だが、そこが彼らの、我々の、日本人の限界性でもある。日本の技術者のかなりが未だに、紙のような装甲と、ディーゼルエンジンを装備し、精神を病むほどの"根性"で、自分を、現実を、だましだまし、日々を戦っている。
とは言え、泣き言や呪詛を並べても仕方がないのだろうが。
どうだろうか。歴史で繰り返される技術者の奢りであるかも知れないという疑念は?
正直、アメリカなら、やりかねないのではないか?
そのうち、ソフトウェア設計を合理化/普遍化/文明化/マニュアル化し、アホでも作れるようにしてしまうのではないか?
大抵のソフトウェアが適当に注文するだけで、9割方、自動生成されてしまうとか。しかも何回もやり直し可能。
俺はそれを恐れる(そして、楽しむ)。
現に、アメリカ発のインターネットというテクノロジーで、編集者は青息吐息ではないか。
多分、思いも寄らない方向から、必殺の一撃が来る、と考えた方が自然ではないか?
そいつは、非人道的に、無慈悲に、機械的に我々を殺しに来るのだ。我々は合理的結論で殺される。OK. 原爆はアメリカにとって合理性があったのであろう。殺される方はたまった物ではないが。それが村上春樹が恐れているものではないか。しかし、"技術革新は誰にも止められない"。
果たして、アホに生きる権利があることを許さない、名人主義のその狭量さが、限界性を作っているとしたら。そして、よりハッキリ言えば、技術バカ(ギーク)がやり手の営業マン(スーツ)に負けるように、好きでやっているアマチュアがプロフェッショナルの作った構造的罠に負けるように、負けるのが宿命づけられているとしたら(日本vs欧米のスポーツもか)。
もっとも、人間はどこかしらの部分で優越感を感じていないと生きていけない生き物であるから、腕のある人間はアホに優越感を感じて、差別して、見下して、生きているのだろう。底辺の人間が、例えば、外国人に優越感を感じて、差別して、見下して、生きているように(繰り返すが、それを自覚し、どう振る舞うかが重要なのであって、その感覚を無くせなどとは言っている訳ではない(というか、存在論の部分に関わってくるので無くせない)。どうプラスに活かすか。"かわいげがある"というのは、見下しているが、プラスの評価だ。だから、日本が"カワイイ"文化で世界に浸透してしまうというのは、結果的に正しい。日本人は連中に"文化"を教えねばならない(←ネトウヨの勝手な思い込み))。
それに、穀物を育てながら、畑を保守しながら、計画に戦略にロジスティクスにストラテジーに取り込まれて生きるのではなく、その時々において、メシの種(獲物)を見つけて狩りをする戦術や技術やタクティクスやアートや道(タオ)を追求するというのも一つの生き方であろう。男だね。侍だね。無形の型。戦略などないので強い者だけが生き残る。生き残ったから強い。まさに逆転の発想。なんということでしょう。匠の遊び心が光ります。お前ならどこへ行ってもやっていけるさ。じかい、ほくとのけんつ~!奥義、万物流転!誰だ、日本人は農耕民族だから、みたいなことを言ったやつは。責任者出てこい(とは単純には言えないのだろうけど。経済は生き物で、強弱の違いこそあれ、両面の才能は必要だろうから)。
・・・・・・少し落ち着きました。
さて、では、はてなは、どんな立場を取るのか。
名人主義のSNSへ向かうか。2ちゃんねらの底辺にいるようなアホの流入を前提にして、文明化するのか(一時期、そちらに傾きかけた・・・というか、あの時のはてな社長は血迷っていたのだろうか?)。今は、どちらでもない、なんだかよく分からない、迷走している状態だ。
それとも、近松門左衛門が虚構と現実のはざまに真に我々の心をうつものがある、と言ったように、迷走状態のはてなであるからこそ、我々の心をうつものがあるのだろうか?"不満を言う楽しみ"。"馬鹿な子ほどかわいい"。"灰色の魔女(違う)"。なんかね~、"相手の優越感をコントロールする"のがサービス業だとしたら、『あたしは、はてながどうしたっていいと思うし、何も言わないわ。はてなはよくやったと思うもの』ですよ(と、また話が明後日の方向へ)。
653 名前: 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 投稿日: 2009/02/02(月) 23:33:34.64 ID:qnLe+9Bi
<がんばれ街の仲間たち>
【電柱】 DQN撲滅のエースで今まで輝かしい戦績を誇ってきた。設置数、強さ、実績とも文句なし。
【街路樹】 電柱と比較し衝突強度は弱いが、地球温暖化防止にも一役買うお得なマルチ兵器。
【ガードレール】 強力装備である鉄の爪は除去は進んでしまったが、二輪車両には相変わらずの強みを見せる。
【中央分離帯】 車両バランスを崩し諸施設への激突を堅実にアシストする縁の下の力持ち。
【対向車】 持ち前の機動力で中央分離帯が漏らした車両や二輪車から放り出されたDQNに止めをさす。
【フェンス・側壁】 カバー範囲の広さで敵の回避に断固立ち向かう頼れる存在。
【歩道の段差】 致命傷を与える力はないが、歩道によれたDQNのトス役を地道にこなす仕事屋。
なんかいろんなとこで言われてるストビューだけど、自分はあんまり抵抗がない。
ってゆうか、最初みんな驚いたっしょ!すげーっつって!うわー小学校!ここ、俺んちだったんだぜ!ってさー!
通学路を歩いてみたり、じいちゃん、ばあちゃんちを見てみたりさぁ。思い出に浸ったりしたでしょ!
そりゃ確かに怖いわ。怖いけど、最初に見た衝撃ってどうなの?「うわグーグル最悪!」だったの?
インターネットで自分ち見えてるって怖い。オークションで相手に住所知られて…とか、芸能人がここに住んでて…とか、でもまぁ、僕ら一般人じゃん?
一部電凸してらっしゃる方のクレバーなクレームは見てて怖かったし、ほんとに頭の回転が早い人だって関心した。「ならYOUがGoogle行っちゃいなよ!」って思った。
申し訳ございません。私どもとしても私道に立ち入らないようなるべく下調べや付近の道路状況あるいは標識などを確認のうえ、撮影作業を実施しておりますが、今回ご指摘いただいたような漏れがあった際は同様に通報いただくようご協力いただけないでしょうか。
また、違法性に関しても、個人的には認識をしていますが、担当者への教育・啓蒙活動について、ユーザー様からのフィードバックを交えて上司に申し伝えます。
しかしながら紙面でもご案内のとおり、弊社社員及び契約の個人で撮影をしている関係上、各担当にその判断基準や対処について浸透するまでしばらくお時間がかかるかと存じます。その点、なにとぞご容赦いただけませんでしょうか。
とかさぁ!もうちょっと答えるような対応をしてほしいよなぁ。グーグル。答えてないか。これも。
やっぱり、なんかこう押し付けるようなクレームはさぁ、きっとグーグルの中の人も電話切ったあと「チッ、ぐだぐだ言いやがって!」って絶対思ってるよー。
それに、うちらみたいなネットギークだけじゃなくて、それこそ畑のおっさんとかからも「オラとこの畑かってに撮るんでねえ!ぐーぐる?なんだそれ食えんのか?」って言われてるだろうし、そういうクレームはハッキリ言って上にはエスカレーションされてない可能性が高いよ。
マニュアルどおりの対応をされてるって。ましてやこんな増田だって読んでないし、ブクマコメだって見ちゃいない。
高木さんも、ブクマコメしてるみんなも、いろんな知識持ってるんだから、それこそもうやっちゃってるかもしれないけど、道路台帳のデータとか、教えてあげたり、もっと、平和的な解決にしようよー。
だって、グーグルはみんなに便利に使ってもらおうって思ってんじゃないの?
少なくともオレみたいに「うっへっへ、これがあの子の家かぁー、パシャパシャ……ってこれインターネットで見れたら最強じゃね?!」って動機じゃないでしょ。
おれも明日電話してみよ。
http://kikko.cocolog-nifty.com/kikko/2008/08/post_ed51.html
きっこのブログにも書いてありますが片岡さんは横断等禁止で行政処分を受けてます。
約5ヵ月後に、公安委員会から、行政処分の通知が届きました。 22点で、横断等禁止ということでした。
それで2ちゃんねるやきっこのブログのブコメなどで横断等禁止と横断禁止を混同してる方が居るようなのですがこの二つは違うものです。
横断等禁止
道交法第二十五条の二第一項に違反することを、法定横断等禁止違反という。 (横断等の禁止) 第二十五条の二 車両は、歩行者又は他の車両等の正常な交通を妨害するおそれがあるときは、 道路外の施設若しくは場所に出入するための左折若しくは右折をし、 横断し、転回し、又は後退してはならない。 参考:http://www.takaragaike.co.jp/doukou/d_main.htm
上記のような内容に該当する場合が横断等禁止になります。
そして横断禁止とは車両横断禁止のことです。
交通法第25条の2第2項の道路標識により、車両の横断(道路外の施設又は場所に出入するための左折を伴う横断を除く以下この項において同じ)を禁止する。 参考:http://www.kictec.co.jp/SING/kisei/312-315/312.htm
規制標識があった場合のみ適用されます。高知の現場に行けばわかりますが規制標識はありません。
問題は片岡さんが横断等禁止を犯したかどうかです。
こちらの動画を3分40秒辺りから見てください。事故があった道路の周辺の状況がわかると思います。
http://video.google.com/videoplay?docid=5645711101257500884&vt=lf&hl=ja
3分55秒にはグローバルバイキングの駐車場から出て右折してる車の映像もありますね。
実は私もこのグローバルバイキング春野店に何度か行ったことがあります。そして駐車場から出て右折しました。
さきほどの映像を見ればわかりますが左右の車線上に信号はありますがそれ以外はありません。
駐車場から出て右折する時はタイミングを計って出るか、両車線の信号が赤になるのを待つかです。
ここの駐車場から出て右折することは何の違反でもありませんしごく普通に多くの人がやっていることです。
横断等禁止を満たす要件として歩行者又は他の車両等の正常な交通を妨害するおそれがあるときとなってます。
つまり道を塞いではいけないということです。
確かに片岡さんのバスは一時停止していたので道を塞いだかもしれません。しかし警察はバスが一時停止していたことは認めていません、と言うことはバスがあそこの道路を横断する事自体が妨害行為という事だったのでしょうか?
この辺がなんだかよくわかりません。
先程も書いたようにグローバルバイキング春野店を利用した人は日常的に駐車場から出て道路を横断し右折しているのです。
それは道路の構造上右折が可能になっておりまた横断禁止にも右折禁止にもなっていないのだからあたり前のことです。
片岡さんが違反であるならばあの駐車場から出て横断し右折した多くの人々も違反になるのではないでしょうか。
一時停止することが妨害だったとしてもまったく一時停止せずに横断し右折してる人ばかりではないはずです。
そもそも片岡さんのバスが横断等の禁止第二十五条の二 車両は、歩行者又は他の車両等の正常な交通を妨害するおそれがあるときは、
道路外の施設若しくは場所に出入するための左折若しくは右折をし、横断し、転回し、又は後退してはならないに当て嵌まる状況だったのならばあの駐車場からは一切出る事も動く事もするなということになります。そんな馬鹿なことがあるでしょうか。
私が素人なだけなのかもしれませんがどう考えても片岡さんが横断等禁止違反になった理由がわかりません。
それに片岡さんのバスがあきらかに交通法規を破ってるのであれば白バイは停車し片岡さんに対して取調べを行うはずです。
この辺も私はおかしいと思います。
どう思いますか皆さん?
追記
事件の詳しい内容については下記のサイトを参考にしてください。
http://blogs.yahoo.co.jp/littlemonky737
http://www.geocities.jp/haruhikosien/index.html
http://blogs.yahoo.co.jp/zassou1954/MYBLOG/yblog.html
片岡さんの過失などに触れてる記事
http://blogs.yahoo.co.jp/littlemonky737/30184515.html
何に衝撃を覚え、何に釈然とせず、何に愕然としたのだろう。
イノベーションが人を救うことも多い。運が人を襲うことも多い。
事故はなくせない。それが現実だ。それでも事故を減らすために努力している。
しかし、歴史的、経済的、技術的になかなか上手くいかないことが多い。
イノベーションはそれを変える。良くも悪くもする。
都会で迷子になる人は多い。
しかし、都会を作り人ごみを作り視界をさえぎるのも過去のイノベーションだ。
老女には生き辛い世の中かもしれない。しかし、多くの人には便利な世の中であり、変えるのは難しい。だから、それを変えるとしたらイノベーションが必要だ。
なんかいろいろ反応頂いたようなんでまとめていきます。
普通の感覚だと思い込んでいたし、まだよくわかってないかも。だから特に役に立ったっていう感覚はないけど、普通、「ああ目が見えて良かったー」とは思わないでしょ?
今考えると、テストのときとか、どうだったんだろ。ひょっとしてとても惜しいことをした?
ひょっとしてあなた、馬?
利口なハンスってやつではないし、蹄で運転はできません。
トイレの近くとか行ったら覗けるの?
トイレの中の様子ならわかることもあるけど、透視じゃないから見たくないものしか見えないよ。
そういえば、壁を挟むとあんまり見えてないのかも。どういう加減で見えたり見えなかったりするのか研究したことはない。
見えるかどうかを聞いてる訳だから見えないなら見えないって言った方が良いと思うよ。
難しい文を書いたつもりはないんで、元の文を読んでからコメントしていただけると助かります。
あなたみたいのがいるから、今後も喧伝するつもりはありません。
ちなみに3万キロぐらい乗って、5年間無事故です。
0.1じゃ標識みえなくね?
大抵わかる。その意味じゃ機械的な視力はあんまり関係ないかも。
0.1というのはなんとなくです。本やパソコン画面を見るのに不便に思ったことはないし。でもテレビの意味を理解するのにはかなり時間がかかってたかも。小さい頃はずっとちかちかする照明器具みたいなものと思っていた。
0.1じゃ標識みえなくね?
たぶん本当の視力が測れれば0.1ぐらいしかないと思う。でも、免許の更新で要メガネとされたことはないし、視力検査ではその気になれば1.5だろうが2.0だろうが「見える」。何故か。視力検査には必ず「判定する人」が付いているからである。
説明は難しいが「流れ込んでくる」感じ。止めることはできない。視覚とはちょっと違う位置、といったらいいのか、ともかく目を閉じたって関係ない。何でもかんでも「見える」わけではなくて、その人が集中してみたものの情報だけが入ってくる感じらしい。
最近は開き直るようになった。別に、自分の網膜に映っていようがいまいが、自分の脳が視覚情報を正しく認識しているには違いないからだ。運転とか危ないだろうって? 大丈夫。標識ぐらいは自力で見えるし、人の全然いないところでの運転はほとんどしないから。誰かがそれを見ていれば大丈夫。