ことの始まりは、立ち入り禁止区域に入り込んだ酔っぱらいの言い訳からだった。
「ちゃんと標識は見たさ。だがなあ、俺の肌は黄色いぜ、黒じゃない」
確かに立ち入り禁止の標識に描かれている人間は黒い、真っ黒だ。しかし、それはわかりやすさを優先したからで、他意はない。ましてや人種を意識しているなんて。
だけれど、標識に黒い人間を描くのは人種差別だとして、話は進んでいった。酔っぱらいの話が火種となって、あらゆる人種差別撤廃団体が、署名活動を始め、それは日本だけでなく、海外にも広まった。その数二億名分。日本の人口より多いのだから、これはもう国も動くしかあるまい。と言うことで、標識上の人物における差別の撤廃会議が行われた。
私は名のしれた広告デザイナーだ。以前、国の事業の広報ポスターを担当したのがきっかけとなり、この会議に喚ばれた。
差別撤廃団体の代表たちと、私のほか数名のデザイナー、そして政府の担当者が、ぐるっと円を囲むようにして、座っている。
「とにかく、今回は色だけ変えましょう。ええ、まず黒は駄目なので、白はどうでしょうか」
白人の差別をなくす会日本支部の代表が、ドンと机を叩いた。
「駄目に決まってるだろう!白人差別だ」
「黄色はどうでしょうか」
黄色人種を守る会日本支部の代表が、血管を浮かして怒鳴る。
「それは黄色人種をバカにしているんですか。ふざけないでください」
「じゃあ、赤、赤ならどうでしょうか」
今度は二人立ち上がる。フェミニズム協会と、ネイティブアメリカンを救う会だ。
「赤は女性を象徴する色です」
「そしてネイティブアメリカンをだ。そんなのは許せない」
「じゃあ、青は」
今度はマスキュリズム協会。
「青は男の色だ」
「なら、灰色は、白でもないし黒でもない、そして黄色でもない。中間を表す色です」
「混血協会がだまっていないぞ」
「なら紫はどうでしょうか」
「ニューハーフ業界がデモを起こすわ」
しばしの沈黙。しょうがない私の出番であろう。私はゆっくりと口を開いた。
「緑だったら。緑ならいいでしょう」
これなら見栄えは悪いが、誰も差別とは思わないだろう。
しかし、それは早くも崩れさった。奇病による肌の変色を差別から守る会の人間がこちらを睨んでいる。私は黙るしかなかった。
するとそのとき、私の隣にいた若いデザイナーが、おどおどしながら、すばらしいアイディアを提案した。
「じゃあ、複数の色を使うとか」
「つまり?」
「虹色にすれば、みんな平等に立ち入れないことを示せませんか」
そういう考え方が有ったのか。急いで色鉛筆で虹色の標識を描く。見事としか言いようがない。まさか肌が虹色になる病気なんてあるまい。
ちょうど、そのとき、お茶を注ぎに来た事務員にその絵を見せてみた。半分自慢のつもりだったのだが、なんということか、事務員が叫びだすではないか。
「これは駄目です。いけません。ニュースをみてないんですか」
「どういうことだ」
「落ち着いて聞いてくださいね。水星人がはるばる地球まで移住にきて、その受け入れが決まったんです」
「それとこれに何の関係がある」
関係は大いにあった。水星人の肌は、きれいな虹色をしていた。
これ以上に八方塞がりなことはあるだろうか。あったら、誰か教えてほしい。みんな疲れきっていた。そうして、とうとう、あの若いデザイナーが狂い始め、突然大声で叫んだ。
「黒も黄色も緑も紫も青も虹色も駄目とは、いっそのこと色なんかなければいい」
腐っても鯛、狂ってもデザイナー。「色なんかなければいい」これである。
「透明はどうでしょうか」
「透明?」
「ええ人を透明にするんです。それなら、大丈夫でしょう。まさか幽霊に人権はないですからね」完璧に思えた。しかしそのときである。
いきなり私は誰かに殴り倒され、マウントポジションでボコボコにされた。
なるほど、透明人間は実在する。
「ええと、では気を取り直して。発光すればどうでしょうか?光る人など存在しないわけですから」 あれ?でもどこかに光の国というものがあったような…。 遠く空の上のほうから「シ...
実際にはそういう時、白人とか男とかに押し付けてたんだけど 今は昔の強者が強者を引き受けなくなったからマジで争い始めたらどこにも落ち着かないんだよね
一方、ソ連の立ち入り禁止区域では、標識の代わりに蜂の巣にされたスパイが吊るされていた。