はてなキーワード: 悪夢とは
どんなに相手が悪くてもやめろ。
それは自分と同じ正しさをしてないやつはぶん殴っていいっていう考え方をしてますよって言ってるのと同じだ。
ちょっとでも冷静な人間なら、政治的にまずいことよりも、その正しくないやつは殴っていいっていう考え方のほうが悪いって思ってんだよ。
なんでかわかるか?
それはヒトラーやポルポト、スターリン並にやばい独裁者のやることだからだよ。
たとえ政治的スタンスが一緒でも、そんなやつと同じにされたくないって思って賛成も出来やしねえ。
こういう人は皆が思ってるより以外にいるんだよ。
お前が相手を悪く言った事が理由でお前の敵を応援し始める奴だっているんだよ。
だから政治の話をするやつとかリベラルはヤバイって思われてるんだよ。
はっきり言ってむちゃくちゃ迷惑だ。リベラル的な立場を隠さないといけない。
今までの自民党独走体制を作ったのは間違いなく反対派の功績だ。
なんでかわかるか?
普通は自分の敵のことを悪魔みたいに悪く言うのはヤバイことで、そんなヤバいやつに味方したくないからだよ。
お前らの活動はしっかり実を結んでるんだよ。お前らの望まない形でな。
アベだの悪夢の民主党だの何の実にもならない言葉を見るのはもううんざりだ。
悪口交えないと政治の話できないんだったらヤバイって事を自覚しろ。
バブル期、私は小6。
お金を返すように家の電話は頻繁になり出すし、電話がなっても取らないで鳴ったまま放置する親だった
どうしてでないのか子供心に疑問で例しに何度も自分はでていた「お母さんかお父さんはいますか?」って電話口で言われて母を呼ぶと「いないと伝えて」というのも日常茶飯事。
ある日、家の中に男の人達が急にあがりこんできてどうも893系の人達だった
父を懸命に家の中で探していたようだ
差し押さえか何かのシールみたいで当時はさっぱり意味が分からなかったなぁ
あれから、借金を母に肩代りして離婚した母は毒親の振るまいが一層強くなり私は今は精神疾患にかかってしまっている
仕事は細々といってるが当時からの悪夢にいまでもうなされて度々体調崩す
新刊の情報や投稿したイラスト、漫画の裏話などいつも楽しみに見ていたが、今日フォローをはずしてしまった。
事の発端は遊戯王の作者の政治的イラストの件。事件以前より現政権に対して快く思っていない発言はあったが、
投票日が近くになるにつれ、漫画の話題は消え、政治的発言ばかりになってきていた。
誰がどんな思想、発言をしようと自由であるとは思うが、漫画家としてのアカウントでやってほしくなかった。
あくまで個人のアカウントで発言してほしかったし、ツイッターの通知でなにか新作の情報か!?と思ってみてみれば政権批判に選挙の話。
だけど選挙が終わったらこれも少なくなるだろうと思い、そのままフォローしていた。
そして、あのイラストの事件が起こった。その漫画家はもちろん擁護していたが、以前「民主党政権時代は悪夢だとか安易同意するのはおかしい」的なことを言っていたのに
こっちは安易に擁護するのか???なんか矛盾してない???と思い、その時点で無理になってしまった。
卒業式や運動会の組体操や合唱大会や老人ホームに訪問してお年寄りのために見せる演劇のような学校行事で、生徒が先生の言うことを聞かずに真面目に練習しないまま本番を迎えるような状況が怖くて仕方なかった。
ほとんどの場合は、先生が生徒の尻を叩いたりなだめすかしたり、途中で演目の難易度を下げたりして、なんとか本番までに仕上げて切り抜けてたけど、行事の練習と本番は毎回憂鬱で仕方なかった。
一度だけ、本当に本番で生徒がてんでバラバラになって行事を放棄して中止になったことがあった。自分にとってまさに恐れていた悪夢の実現。
当然、外部の指導者の人は激怒したし、担任の先生は「毎年この行事をしていますが、こんなクラスは初めてです!」と怒りながら泣き出すし、その日の夜は生まれて初めて悩んで眠れないという経験をした。
先生は自分たちの担任をもうしないのではないか、行事を失敗させた自分たちはずっと家族や他の先生や地域の人たちから叱られ続けられるんじゃないかと思って。
もちろん、実際にそんなことは起こらず、担任はやや無気力になってクラスは崩壊気味のまま1年が終わってクラス替えになり、次のクラスではそういうトラブルも無く小学校を卒業した。
別に複雑な背景や心理があったわけじゃなくて、自分が優等生だったので(勝手に想像した)先生の辛い立場に感情移入し過ぎてたってだけだと思う。
急に当時の嫌な気分を思い出したので、書いた。
近所のかっぱ寿司が閉店する。
理由は定かではないが、おそらく売上が減ったのだろう。
ここ数年、街にはスシローや魚米が進出してきた。どちらも何度か足を運んだが、いつでも客でごった返している状態で、対してかっぱ寿司は連休中を除けば閑散としていることが少なくなかった。
俺は数年前までかっぱ寿司が大嫌いだった。詐欺同然の代替魚ばかりで、しかも鮮度も悪い。サイドメニューの品揃えやボリューム感もお粗末。
低所得者層に漬け込んで、安かろう不味かろうの寿司もどきを食わせるこの企業を最低だとも思っていた。
それを変えたのは、たった一尾の赤えびだ。
数年前、先輩に「かっぱ寿司に行こう」と誘われて、内心ものすごく嫌だったが、仕方無しについていった。
そこで先輩が何度も赤えびを注文するので、俺は「そんなに美味いんですか?」と聞いたら、先輩はこう言った。
「最近のかっぱ寿司は変わったんだよ。昔のイメージを払拭しようと頑張ってるんじゃないかな。まあ一つ食べてみろよ」
俺はかっぱ寿司の企業努力よりも先輩の味覚を少し疑ったが、言われた通り赤えびを食べて、驚いた。
美味かったのである。
言うまでもなく冷凍ものの海老を解凍して提供していることは分かるが、大振りかつ肉厚で、歯ごたえもよく、臭みもない。俺の歯と舌の上でコリコリッと身が弾け、ほのかな甲殻類の甘みが広がった。
俺は本当に驚いた。
それからしばらくして実家に帰った時、家族にその感動やかっぱ寿司の企業努力を熱く語ったが、家族は眉唾と言わんばかりに、まるで取り合ってくれなかった。
「それこそうちの近所のかっぱ寿司、あそこは初めて食べに行った時は本当にひどかった。もう二度と行きたくない」と両親は苦々しく話した。
俺と同様、やはり家族もまた以前のかっぱ寿司の劣悪なイメージが頭から離れないようだった。
そんな家族も、その後『ガイアの夜明け』のかっぱ寿司特集をテレビで見た途端、汚名をそそごうと悪戦苦闘するかっぱ寿司社員の姿を目の当たりにしたおかげか、手のひらを返すように行こうと言い出し、ついに一家そろってあの近所のかっぱ寿司に入店する日を迎えた。
家族が口々に笑顔で「かっぱ寿司、変わったね」と言うのを見て、俺はなぜか少しだけ誇らしい気持ちになったくらいだ。
家族は全員寿司が大好きで、昔から様々な寿司を食べている。今や全国に名を轟かせた有名店にも昔から通っていたし、築地や都会の回らない高級寿司屋にも何度も行っている。寿司に関しては一家言持っているその家族が、かっぱ寿司を褒めた。
そうして俺たちは一月に一回はかっぱ寿司に通うようになり、毎回様々な品を食べる内に、かっぱ寿司のいいところにいくつも気付いていった。それはたとえば、
これは今でも驚く。しっかりとダシが香る甘味の効いた茶碗蒸しは他の回転寿司屋とは比べ物にならない。地元の割烹でさえこのレベルの味を食べさせてくれるところはまずない。ただ、何故か期間限定のものより通常の茶碗蒸しに限っての話だ。
揚げ物はいつもからりと揚がり、香ばしい。トランス脂肪酸の嫌な苦味もまったくない。フライヤーのマニュアル整備や油の交換頻度に起因しているのだろう。断トツの美味さを誇った上穴子天ぷら寿司やインパクト勝負の大海老フライ握りがメニューから消えたのは本当に悔やまれる。
すべての回転寿司屋において、かっぱ寿司の麺類に勝てる店はない。俺はあまり麺類は食べなかったが、家族は貝の塩白湯ラーメンを毎回頼み、そのたび褒めていた。時々ぼんやりした味付けの混ぜそばで迷走したりもしたが、基本的には満足のいくような作りになっていた。何より時流に乗って何度も様々なコラボをして、気軽に有名店の味を楽しめるようにしたことは賞賛に値する。かっぱ寿司全体では一幻のえびラーメンが一番人気だったらしいが、俺はにぼしラーメンこそ最も美味かったと思う。
ツナを原料とした面白い風味が癖になるツナゲット、肉厚で濃厚なハンバーグ、最近だとハワイアンキャンペーンでガーリックシュリンプなど、商品開発部門の遊び心とこだわりが感じられる。唐揚げやフライドポテトなどの定番も、万人受けするように余計な個性を出さない控えめさがあって好感が持てる。ただたこ焼きは誰も食べなくていい。
はじめこそド定番のケーキやなんちゃってパフェぐらいしかラインナップは無かったものの、ある時を境にスウィーツが急速に良くなった。中でも販売終了した杏仁豆腐、フロマージュは特に忘れがたい。かっぱ寿司は大体素晴らしい商品が消えてゆく。なおプリンに関してだけは、近所の店舗がだめなのか、そういうコンセプトなのかは知らないが、まったく固まらずどろどろと液状化しているのが今でも許せない。
といったようなことだ。寿司ネタに関してはあえて自分の舌で確かめてくれと言うしかない。
ただ、世間がそんなかっぱ寿司よりもスシローや魚米やくら寿司に流れていくことは仕方ないだろうという諦めもある。何故かと言えば、かっぱ寿司は今までのイメージの悪さだけではなく、純粋にやり方がとにかく下手くそなのである。
まずは店作り。かっぱ改革が始まってからできた店はともかく、既存の店舗は妙に清潔感に欠ける。これはおそらく蛍光灯やインテリアの配色がそうさせているんだろう。
店内BGMもそうだ。お得さを無意識に感じさせる心理効果を狙ってなのか、スーパーで流れるようなJ-POPのクソクソフュージョンアレンジが常に流れていたりするところは正直毎回疲れる。
CMもひどい。「かっぱが変わる」みたいな内容の頃のCMはまだよかったが、最近は聞いているだけでイライラする歌付きの脳みそ空っぽなCMに変わって呆れた。
接客は口調だけ丁寧な典型的な感じで特に不満は無いが、もう少しホールの人たちの労働意欲が増すような環境とか制服を作った方がいい。
後は注文端末。液晶パネルが高い位置に固定されているため、注文していると異常なほど腕や肩が痛くなるのは致命的。これは親や年寄り世代には辛いだろう。
低所得者層、学生、家族層をターゲットにしているのだとしても、せっかく採算度外視で質の高いネタを提供する方向に舵を切ったのならば、もっと落ち着いた居心地のいい店舗作りをすべきだったのではないか。
しかしそれでも、週末は必ず激混みする地元のスシローや魚米に比べれば、かっぱ寿司の満足度は群を抜いている。
スシローは注文品も一緒に回ってくるシステムのせいで他のアホ客の勘違いで取られたりするし、赤えびも茶碗蒸しも、かっぱ寿司ほどの感動はない。
魚米は麺類の不味さが全企業トップクラスだ。パスタや明太釜玉うどんはもはや悪夢。えんがわが食べたくて仕方ない時にえんがわ軍艦を食べに行くお店だと思ってる。
それでも実家の近所のかっぱ寿司は閉店する。他のかっぱ寿司は車で20分近くはかかるので、家族がかっぱ寿司に通う頻度は激減するだろう。
昔はあんなに毛嫌いしていたが、生まれ変わろうと努力し始めたかっぱ寿司にすっかり惚れ込み、応援したい気持ちもあって、何度も通った。
今後はあの赤えびや茶碗蒸しがなかなか食べられないのかと思うと切ない。
過去に問題があった人間や企業に対してどこまでも冷たくなる気持ちは分からないでもない。だが、過ちを反省し、顧客の満足のために試行錯誤し奮闘努力している人間たちが確かに存在している訳だ。
最近居眠りが酷すぎる。9時から6時半まで寝ようが1時から6時半まで寝ようが翌日同じ程度の抗えない眠気に襲われる。学校・家・電車…関係なく30分程度、または短い居眠りをしてしまう。(外出先では眠らない場合もあるが移動中、ゆっくり座ってたら寝る)さらには外食中だとか性行為中にも居眠りをする。下手したら社会的に死ぬため最近は外出を控えている。眠りながら赤信号を渡り怒られたこともある。学校ではやる気ない人扱いをされ最初は良かった成績も段々と転落。辛い。授業が嫌なわけじゃない。高校の時は嫌だったがいまは自分が好きで選んだ専門学校だ。楽しくないわけがない。先生に起こされると自己嫌悪と希死念慮を抱き涙が出る。しかも夜もしっかり眠れるわけではない。夜は夜で悪夢と金縛り、5回程度の中途覚醒に悩まされる。病気かと思い検索すると「ナルコレプシー 」という病名がヒットした。だがほかの症状はほぼ当てはまるが脱力発作がない。それに受診したとしてもし自分が病気で無ければただの怠惰だ。病気なら救われるが怠惰だったら自殺してしまう気がする。というより親、先生周りにも迷惑をかけ生きてる価値がない。いますぐ死にたい。まぁ自殺しなくても赤信号を渡るぐらいなのだからいつか交通事故で死にそうだが。
来月、彼等は結婚式を挙げる。
都内の豪奢なホテルに500名以上の人を招き、祝宴を開くのだ。私自身も参席が認められている。あの病院長の息子と言うだけあって、祝賀ムードに沸き立っていた。王妃となるそのお方はヒラヒラと美しい白衣を纏ってみせた。此方を振り返る様は少女のようだ。最終フィッティングが終われば二人は閨を共にし明日への準備を行うだけとなる。
その最終日にIは私を呼んだ。
「勿論、お祝いして下さいますね」
頭を下げて肯定すれば彼女は和かな笑顔を見せた。花のようなお方なのだ。
「良く尽くして下さいました。勿論貴方にも感謝を捧げなければ」
「私に感謝など滅相もございません」
「では一つだけ、最後にお願いを」
「何なりと」
返答を聞いた彼女はそっと私の手を取り、白き指で指の節をなぞる。
頭が真っ白になり何も言えず硬直する。いつの間にか肘まであるグローブを身に付け
無垢なその言葉は淡々と、残酷に告げられる。無慈悲な美しき乙女は、鈴の鳴るような声で続ける。
「此方へどうぞ、歩いてらして。」
時期院長、と一言付け加えて。ぎこちなくなった呼吸を整えると深く息を吸う。ほんの僅かな距離に黒髪の乙女は立っていた。美しい。純白の衣装に身を包んだ彼女はマリアとも見まごうような光を発している。ベールを下ろし表情は隠されてしまっているが、その輪郭は華奢そのもの。
コツ、コツと床が音を立てる。期待に満ちた瞳に自分自身が映っていた。
命じられた通りに差し出された白魚のようなか細い手を取り、口付ける。貴方を裏切らないという忠誠の証。見上げれば彼女の笑みが降り注ぐ。
それも全て明日から袂を別つ事を約束している身だった。決意を固めた彼女は、少し寂しそうにも見える。不安も期待も入り混じる表情で立ち上がった私をみつめた。
そして彼女は私の名を口にする。
「怖くはありません。」
「ええ。何の不安が御座いましょう」
彼女は、底知れない物を抱えている。それが何か解き明かしたかったのかもしれない。
果たして全てを払拭して差し上げる事が出来るだろうか。乙女は瞳を閉じて口付けを待つ。顔を近付け、唇が触れる寸前で止める、つもりでいた。
柔らかな唇の感触に思わず言葉が途切れてしまう。それは、私ではなく院長に捧げられる筈の純潔だ。
「言わないでください、何も。震えてしまいそうです」
あつい熱が喉奥から込み上げる。この方は自分の物では無い、筈なのに。何故こう悲しみとも苦しみともつかない感情が押し寄せるのだろう。契約一つで関係性に何か変化が訪れる訳では無い。秩序の保たれた今迄通りの関係が続いていく筈だ。それなのに、何故。肩を知らず抱き締める。
「…離したくありません」
離してしまえば、貴方はきっと遠くへ行ってしまう。私は一人取り残された心地で祝福するのだ、二人を、遠くから幸せそうに。それが出来たらどんなに良いかと思う。二人の幸せな結末に彩りを添えられる存在であれたら、どんなに。唇を噛み締めた。
浅ましい感情を隠していたのに。一度矜持を失えばどれだけ虚しさが胸を占拠するか分からないのに。そんな私の心を察したのか緩く背中を撫で始めた。
「御免なさい、無理強いを致しました。私の過ちです。どうか許して」
一つ口付けを頬に落として白衣を纏いし娘は去って行く。光だと思われたその姿はいつの間にか影で覆われて、此方を振り返りもしない。明日、貴方は私と同じように同じ唇で院長に口付けをするのですか。愛を誓うのでしょうか。女々しい想いに嫌気がさす程。気付けば首元には汗が流れ「どうぞ、逝かないで下さい」と叫ぶように懇願していた。
そこで、私の目は醒めた。はあはあと乱れる吐息。指先は闇の中で情けなく震えている。
それは現実を映した悪夢だった。記憶を辿ってみても愛したその人がどんな結末を迎えたのか思い出せそうに無い。まるで穴が空いたように、一部分だけが脳裏から欠けてしまっているのだ。無理に思い出そうとはしなかった。
私が秘書を務めるあの医師も夢を見るのだろうか。例えば、オペ中に失敗して権威を失う夢など。その喪失感は計り知れないだろうと想像し、また瞳を瞑った。今日のうちは眠ってしまうに越したことはない。先程の夢も、緊張が見せた物に違いない。だが、意識すればするほど睡魔はどこか遠くへ行ってしまい目が冴えるばかりだった。
仕事の片手間にやろうと思って契約したのに、ここ1ヶ月全く手がついていない。
合間にこうやって逃避したり、煮詰まりすぎてゲームしてるから時間がないわけじゃない。
貧乏ゆすりしながらやってるからあまりいい精神状態じゃないのはわかるけど、ちょっとした達成感が無いと塞ぎ込んでしまいそうになる。
その時間に勉強すれば良いのだろうけど、脳が仕事以外で考える事を放棄してしまって考える事に集中できなくなってる。
「それ以外で最初から苦痛になることは考えたくたく無い。」ってイヤイヤ状態がここの所続いている。
慣れるまで時間がかかる自分だから、新しい事をやる事にすごいハードルを感じやすい。
スケジュールもオンスケじゃないしまだ未確定な要素もある、且つ、在宅の仕事だから今日はここまでって切り時が難しい。
一日やり切って、「もう無理」ってなったタイミングで寝るという生活が続いている。
本当はスケジュールが狂ったタイミングで軌道修正しないといけないのだけど、自分一人だからお座なりになる。
非効率だなって思ってるよ…。
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熱を出して休む。
休日出勤失敗。
仕方がないので引きこもって眠る。
悪夢を見る。
自分の人生を時系列ごたまぜにして5,6時間かけて追体験した物語の夢を見た。
俺にとっては最大の悪夢だ。
いまの政権を支持する人々は、津波が迫っているのに自宅から逃げない人々と似ている。今まで大丈夫だったから、今回もこれからも大丈夫、避難なんて億劫だから自宅にいればいい、と思っているうちに濁流に呑まれる。どんなに災害予知が進んで危険を予測できても、どんなに景気悪化や自由の侵害が予想されていても、今の状況を変えることがとにかくしんどいし何も変えたくないという人々がいる。そこまで疲れ切っているのか、それとも、何も考えたくないのか。
その割には、とても威勢のよい「野党がだらしない」というスローガンのようなものを、あちこちで見かける。最初の出所がどこなのか分からないけれど、いつしかテレビのコメンテーターが二言目には「野党もだらしないんですけどね」というのが定番になった。よく聞いてみると「野党がだらしない! なぜなら、野党だから」などと同語反復、つまり無意味なことを喋っている。
いまの政治がダメだとすれば、それは政権を担っている「与党がだらしない」からだ。良いことはすべて与党のおかげ、悪いことはすべて野党のせい、という論理は成り立たない。すべてのことには原因と結果があるのだから、たとえばプレートが動けば地震が起こり、地震によって津波が起こる、そうやって一つ一つ検証していけばいいはずだ。だけど現在の政治は、あの地震はナマズ(野党)が暴れたせいですよ、津波(民主党)は悪夢でしたね、などと自らの失政から目を背けさせることに全力を注いでいる。だから、次に押し寄せようとしている津波、消費増税や景気悪化にも対処しようとしない。
自然災害とは違って政治経済は人がコントロールできるのだから、本当は、目を背けさえしなければ、いくらでも身の危険を回避することができる。すぐそこにまで迫っている危険に、今のままで大丈夫大丈夫と唱え続けるのか、それとも自分の生活を守るために行動するのか。
「経験不足」(くらやみ)の中進む影は 誰も心許なく
企業訪れる度に幾度も冷たい手で俺たちの首筋を優しく撫でた
黄昏を裏切って灯る「周りの空気」(きぼう)の背に縋り追いかけた
地獄へと向かってるとしても
「夢の続きが見たいなら お前は何を差し出せる?」「面接官」(あくま)は甘く囁いた
妄想でで道を作れ
この「選考」(かべ)の向こうに何がある?
嗚呼…可能性に満ちていた筈の若人達の器に運命は其々何を吹き込んだ
それは 誰の悲願か、誰の夢か悲しみ 憎しみが交わって
志望動機は互いを目指す
この「お祈り」(そら)の向こうに何がある?
幼き日々に囚われた昔日の灯が照らし出す、お祈りの文の先を
空の上から見たら 一体何が見えるのだろう
ここではない何処かへ 行ってみたかった
幼き日々に夢見た広い世界の果てには、目眩を覚えるほど不条理が潜む
時に神の姿借りて「社会」(せいぎ)は牙を剥く
「学校」(おり)の中も「学校」(おり)の外も 等しく地獄か……。
「無い内定」(つみ)の重さを背負うほど踏み出す足に意味がある
この闇の向こうに何がある?幼き日々に呪われた 現実はいつ報われる?
《着慣れないスーツ姿》が駆け抜けた軌跡
《冷や汗》を散らして
《積んできた詭弁》を束ねても
《就活の先の暁》には早すぎる
進み続ける 闇の彼方へ…
そもそも、民主党の悪夢は、小泉自民党の悪夢をなぞる形で生まれたものだ。
両方、金の動きをガン無視して緊縮財政をして、各種金にならない公的サービスに石をぶん投げたら日本は復活するんだという新自由主義。
ただ、小泉自民党の悪夢がヤバイんじゃないかって揺り戻しと小泉自民党の実害が出だしたところで、民主党が政権をとった。
で、小泉自民党の新自由主義をとことんまで突き詰めた結果が民主党の悪夢というもの。
どちらが政権を取るかというより、どちらがきちんと金の回転を見て経済を回すかというのが大事。
消費税は間違いなく金の回転に関わる要素だ。で、今回消費税がもろ争点になってる選挙だ。