はてなキーワード: 些細なとは
好きなものを仕事にした所で取引先との確執が消えるわけじゃない。
良く分からずに知ったかする人間への苛立ちや、自分たちでマスクデータにした情報をこちらが知らないことを何度も説明されてようやく気づく間抜けへの殺意、もしこれが好きなものを仕事にしたとして許せたとは思えない。
それなりに知識がつき拘りが増えるに連れ、仕事の中で些細な苛立ちに過ぎないものにやたらと激昂しそうになることが増えてきた。
就職するのに必死にであまり興味がない分野に入ったおかげで、「まあゆーてどうでもいいよな」と割り切れるから耐えられているが自分の詳しいことだったらどうだったんだろうか。
たとえば、オタクの街のオタクショップの店員として働くオタクがお気に入りの百合アニメの服を着て出勤した日、ふとこう言われるのさ「いい服だな。ラブライブだろ」って、耐えられるんだろうか?
1日なら、1回なら、耐えられるかも知れない。
だが毎日何十回もそういうことが起きたら爆発するかも知れない。
ふとそう思うことがある。
この子俺のこと好きなのかな?って思ってアプローチすると「増田くんは友達だと思ってた」って言われるし、
で、この手の戦略をしてくる女の子に限って、気のないふりをすると豹変するんです。
いきなり態度が悪くなって、些細なことできつく当たられたりするんです。
「この私が好き好きアピールしてるのに、なびかなかったクソ野郎」扱いに変わるんでしょうね。
職場の同僚とかだと最悪です。2回くらいめっちゃしんどい思いをしました。
で、この先は私の経験則ですが。
この手の「好き好きアピールして告白待ち戦略」をする女の子って、告白のリスクを意中の相手に押し付けたいんだと思うわけです。
告白して振られたら、誰だって辛いわけですから。そのリスクを背負いたくないから、相手に押し付けようとするんです。
これって程度は違うけど、恋愛禁止のアイドルに言い寄る男に似ていると思うんですよ。
「恋愛禁止のアイドルに来る男にいい人はいない」とは小嶋陽菜さんの金言ですが、この手の女性にも当てはまると思うんです。
自己紹介をさせてほしい。
何年も世間一般で行われているような色恋沙汰が無いし、些細な出来事で勝手にバッドに入る。
これから書き殴っていくことは全て自分の愚痴を吐き出すだけである。ひとえに自分がクズな人間というだけということを示す愚痴。
正確に言えば異常独身男性の定義には当てはまらないのかもしれない。
どちらかといえばホワイトと言われる部類の企業に入り、年収も取り立てて低いというわけではない。
隔月で酒を飲んだりして遊んでくれる可愛い(男の)後輩や友人もいる。
大学時代の友人や先輩後輩とも未だに遊んだり旅行に行ったりもする。
にも関わらずいつも心が晴れないのは、色恋沙汰とは無縁というこの1点につきる。
産まれてこのかた真っ当な恋愛というものをしたことがない。付き合ってやりたいことリストばっかり埋まっていき、実行は全くできていない。
彼女というものがいた事は何回かある。(彼女すらできないというオタクからの罵倒には平謝りするしかない。)
が、どれも1月以内に別れを切り出される。人間的に問題があるからである。
マッチングアプリに勤しみ、3ヶ月口説いた末、やっと告白をOKしてもらった子は1週間で連絡が途切れ途切れになり、先週別れを告げるLINEが送られてきた。
現実から逃げるようにストゼロを4缶飲み、Twitterで嫌いなコンテンツのオタクをブロックしてまた酒を飲む。全く無益でしょーもない行為だと思うが、やめられない。
セックスをすれば少しは変わるだろうと、酒が抜けてソープに行った。童貞に悩んでいた頃以来の8年ぶりのソープだ。
キスをしても何も満たされなかったし、嬢にあまり興奮もしなかったし、イけずに35000円を無駄にした。家で女装をして自慰に耽っていたほうが余程気持ちいいと思ってしまったし、浴場の変な匂いが今でもフラッシュバックする。
クリスマスが近いのでいつにも増してカップルを街中で見かける。その度に自分の不甲斐なさにダメージを受けては酒に逃げる。
仕事場のどうしようもなく仕事が出来ない奴や、元パワハラ上司の薬指に指輪を見つけるたびに「こんなクズでも結婚できるのになんで俺は」とどす黒い感情が湧いてくる。パワハラ上司はともかく前者に及ばないことは分かっているのに。
facebookを開けばかつて淫夢語録で会話していた奴らが結婚報告をしている。周りが結婚しすぎてそろそろその辺の生ゴミでさえ結婚報告しそうだ。
職場恋愛も結局自分を除いて展開されているので全く縁が無い。同期会なるものもよそ行き用の社交性を発揮して参加してみたが、参加したところで彼女ができるわけでもなし、面倒くさくなり全員ブロックした。
手広くやっている趣味で気を紛らわそうとしてもちっぽけな承認欲求のせいでストレスがたまる。
実力が伴わず細々と描いている絵をtwitterに上げたところで全くRTもfavもつかない。自分の絵が下手なのはわかり切っているが、明らかに自分より下手くそなアイマス絵が100RTとかされるのを見るとブロックせずにはいられない。
もしかしたら病院で診断をしたら鬱と言われるかもしれないが、「彼女or配偶者がいる癖に鬱は甘え」という考えを持っている故にそれを認めたくはない。彼女or配偶者がいて鬱は甘えだ。
部下の営業活動が取締役を動かすくらいヤバかったのでシェアします。 - Everything you've ever Dreamed
https://l.pg1x.com/kayG8fMBueB5B8We7
こういうキチガイクズをフォローできるぐらい有能かつ売上を立てる奴がいるんだろうなぁ、と思う。
俺の付き合いのあった(過去形)会社でも「人の悪口と、揚げ足取りだけは天下一品のバカ」がいる。
社員はおろか、関係者みんなから嫌われているのだが、本人は何処吹く風。給料を限界まで下げているのにクビにはしていない。もちろん退職もしない。人間が怠惰だからだ。
社長に「なぜあんなクズを置いておくのだ」と何度かキレたが、曰く「クズにはクズの使い方がある。あの揚げ足取りは、QAチェックには向いている」と。
実際些細なレベルでも他人の揚げ足取りができるめんどくさいQAマンとして使えているようだった。口が悪いので必ず喧嘩になるのだが、ユーザーには関係ない。製品クオリティが上がればいいのだ。
と言われてる気がしてすごく傷つく・・・っていう時代があったんだよね。
その後、糖尿病には先天性の1型と、主に食生活の不摂生から中年以降に発症しやすい2型があるという認識を広めるために、
この手の糖尿病対策本には、必ず、1型と2型の記載を入れて、1型の人に配慮するようになった経緯がある。
・・・ということは、トランスジェンダーも先天性の1型と、後天性の2型に分けたら良いのではないか。
先天性のトランスジェンダー1型は、治らないし、感染も伝染もしない。
後天性のトランスジェンダー2型は、思春期の些細な思い込みから発症し、SNS経由で伝染することがあり、間違って手術を受けてから治ることもある。
KADOKAWA の本は、あくまでも、後天性のトランスジェンダー2型の人向けの話しであり、1型の人とは無関係だとすれば、
誰も傷つかなくて済むのでは。
猫飼いの人には是非読んで欲しい。特に、猫とのお別れを経験した人や、ペットロスになった人には響く内容になってるので。
まずはDavidという曲がどんなものなのか、先入観を持たずに聴いて欲しい。
この曲は1986年「やっぱり猫が好き」という深夜のドラマ(?)のオープニング曲だった。
やっぱり猫が好き(やぱ猫)は、恩田三姉妹(長女かや乃:もたいまさこ、次女レイ子:室井滋、三女きみ恵:小林聡美)が繰り広げる、ドラマのようなアドリブトークのような、時にはドタバタを含む深夜番組。
日本を代表するコメディエンヌが3人だけで毎週様々に起こる日常の小さな事件(主にレイ子が事件を持ってくる)をゆるゆると乗りこなす、そんな「日常系」の深夜ドラマ。事件と言っても些細なことで、寝苦しい夜に一緒に寝ようとか、すき焼き食べてたらハエが出たから外に追い出してたら、ベランダのロックがかかって閉め出されたとか、ドタバタとユルユルが融合した、本当に面白い番組だった。三谷幸喜脚本も多々あり、三谷幸喜の出世作とも言われている。この番組きっかけで小林聡美と結婚した、という伝説の深夜番組なのである。
まぁ、それはおいといて。猫が好き、というタイトルのわりに「サチコ」という猫が、たまーに出てくるだけのドラマなんだけど、このタイトルとDavidの結びつきが、試聴してた頃はなんとも思わなかったんだが、最近になって、この歌詞の意味がスーッと理解でき、このDavidの歌詞を深く理解するに至り、この曲を思い出すだけで泣いてしまう状態になってしまった(ノ∀`)
これは、解釈としての一部であり、本当のところはどういう意味で矢野顕子が歌詞を書いたのかはわからない。
でも、この曲は「やっぱり猫が好き」な人でない限り書けない曲だと思ってる。
矢野顕子いわく「Davidって誰?」と聞かれるけど、誰でもない。と答えている。ダビデだ、という説もある。
しかし、この「誰でもない」はこの歌詞を読み解くひとつのヒントとなる。
果てしなく広がる街から ひとり離れて
ここへ置いていって
静かな微笑みを 遠い日々の歌を
どんなにか つらかった日々を
あなたは 見つめた
よく笑い よく泣くあなたの 話を聞かせて
こんなに近い 同じ思いで
ここで待っているよ
聴こえるでしょメロディ みんなで待ってるよ
私のともだち Oh David
歌詞を書いただけで、もう涙が止まらなくなってるんだけど、頑張ってひとつずつ解説したい。
この曲は、亡くなった猫が飼い主を思って歌ってる歌なんだ、と。
つまり、Davidは飼い主であり、私は天国にいる猫だ、と解釈すると、この曲の意味がわかってくる。
果てしなく広がる街、というのは、猫の視点からすれば、ただの街ではなく、そこは果てのない大きな大きな街に見える。
ひとり離れて、というのは、亡くなって離れていった。
あなたの手紙、というのは、たぶん火葬する時にDavidは手紙を書いて、その猫とともに天国に持たせたものなんだろう、と。
だから、読み返すうちに思い出が蘇ってきた、と。
こんなに遠い ということに対して「時間も場所も」というのは、やはり猫の時は止まっているけど、Davidの時間は進む。だから時間も、という表現になる。
ここへ置いていって欲しいのは、静かな微笑みや楽しげに歌ってた日々。つまり、Davidにはペットロスを乗り越えて、日々を進んでいって欲しい、という猫からの願い。
どんなにか辛かった日々を というのは、多分闘病していた猫の辛い日々や、ペットロスになったDavidの日常を空の上から見つめていたんだと思う。
そして、泣いて笑って、そんな日々を思い出して「ここで待っているよ」って、天国で再会することを待ち望んでいる。
みんな、というのは、きっとこの猫より前に飼っていた猫たちのことだろう。会いたいという気持ちは、飼い主だけでなく私たちも同じだよ、と。
最後に「わたしのともだち」というのは、飼い主のことを友達のように思っていた、ということなのかな、と。
パパやママという感覚ではなく、猫としては飼い主を友達のように思ってた、っていう。
この解釈でDavidを聴くと、涙が止まらなくなる呪いがかかるでしょうw
「やっぱり猫が好き」というタイトルだけ聞いて曲を書いた矢野顕子さんが「失ってもまだ猫の心と私の心は繋がっている。寂しいけれど、やっぱり猫が好き」という気持ちでこの曲を書き上げたのではないかな、という推測が成り立った。実際はコメディ番組だから、ここまでの深い考察をするまでは、まったくそんなこと、思いもよらなかった。
自分も先代の猫たちに会いたくて、今でも泣いてしまうけど、この曲の意味をこう解釈することで、亡くなった猫への思いを整理つけてペットロスから抜け出せるような気がしている。
本当にすまん、誰にも言えないので吐き出させてくれ。
毎度毎度毎度毎度、なんでいま!?ってタイミングばっかりなんだ。
10年以上共にして、こどもがいる今でさえだ。
(なんで今腹下すの!?)
こんなことばかり。
でも本人が体調が悪くなりたくてなっているわけじゃないから責めることはできない。
わかる。
心が狭いやつだな、とか
じゃあお前はどうなんだ、とか
そう思われることはわかっている。
でも辛いんだ。
強いていうならあちこち体をぶつけてよく痛がっている。それにもイラつくことがある。
生活を共にすると、どんな相手でも些細なことでイラつくことがある。
それをわかってほしい。
乱雑な文章でストレスの捌け口にしてごめん、はてな匿名ダイアリー。
じゃあ、また。
仕事でクソな事が続いた。彼氏が濃厚接触者になりデートの予定も消えた。
モヤモヤして眠れずにいた夜、明日は一人でラブホに行ってみようと決めた。ちょうど今は本場所中、好きな大相撲を非日常的空間で観たらいい気分転換になるんじゃないかと突然思いついた。
元々一人行動が好きだけど、ラブホにソロで入ったことはなかった。ヒトカラやひとりライブはよく行く。
私の住む地方のラブホは大体国道沿いのガレージ式。フロントで誰かと鉢合わせしない分、ヒトカラより敷居が低いはず。緊張しながらも一人で入室。
向かったのは彼氏と来た事のあるホテル。料金はそれなりだけど小綺麗で、ビジホ代わりや女子会利用も推奨してる所。
一人でラブホに来たことに舞い上がってしまい、まず自販機で大人のおもちゃ購入。バイブとローターの中間みたいなやつ。
シャワーを浴び、大画面でAV流し、さっそくおもちゃを試してみた。初めての体験に興奮して3分くらいでイってしまった。一回で満足してしまい、一気に虚無感に襲われた。
大画面で巨乳の子がアンアン突かれてるの観て、AVはスマホでこっそり観るくらいがいいなぁと思った。一人で大きい画面で流すと「さあ観ろ!」と迫られてるようで逆に興奮しない。音も大きいと、男優の言葉攻めが生理的にやだなぁとか気になってしまった。
幕ノ内土俵入りまでまだ時間があった。持参したお菓子食べながらVODで昔の劇場版スラムダンクを観た。
緑川さんの流川の声かっこよかった。新しい映画は評判観てから行くか考える。
頃合いをみて浴槽にお湯を入れた。泡の入浴剤も入れた。
家ではなかなかできない特上の泡風呂が出来上がったところで浴室のテレビをNHK総合に。前頭下位の取り組みが始まっていた。
脚を伸ばせる大きな浴槽、ふわふわの泡、ラブホらしいギラギラの照明。その中でテレビから響き渡る行司の声。
泡風呂の中で取り組み観戦ってどうよ…という気持ちもあったけど、異空間でニコニコと勝ち越しインタに応える関取を見てるとすごく癒された。
後半の取り組みで推し関取が押し出しで圧勝し、泡まみれのままガッツポーズした。
職場のお局ウザいとか、日頃の些細なイライラが吹き飛ぶくらい楽しい経験になった。
育児能力は「性差なし」 子育ての留意点で指針案―こども家庭庁
https://www.jiji.com/jc/article?k=2023111300881
このニュースがヤフーなどで紹介されていてちょっと気になった。
性差なしの原文はどこにあるのだろうか。
検索してもなかなか見つからなかったので日付を頼りに検索してみた。
こども家庭庁には幼児期までのこどもの育ち部会というものがあるそうで第9回の資料に記載があるようだ。
日時が令和5年11月13日(月)なので時期も一致する。
https://www.cfa.go.jp/councils/shingikai/kodomo_sodachi/wh8d5DQ3/
その中の「資料2―2:「幼児期までのこどもの育ちに係る基本的なヴィジョン(仮称)」(答申案)概要(溶け込み版)(PDF/777KB)」を見てほしい。
4保護者・養育者のウェルビーイングと成長の支援・応援をするの部分。
✓男女ともに保護者・養育者が共育ち
と記載されている。
こども家庭庁もこの考えが正しいと考えたから記載しているのだろうがこの大きさを見るとこども家庭庁はそこまで重視していないのかもしれない。
しかしジェンダー平等を重視しているのは政府である。ジェンダー平等が進むと父親の育児も女性の社会進出も進むはずである。
そう考えると控えめな記述は謎ですらある。
想像になるが、こども家庭庁にとっては「性差があろうがなかろうが父親も母親も育児をすべきであることには変わりがない。
だから育児能力に男女差があるかどうかは些細な事。どうせ言い訳にならないのだから」と思ったのだろうか?
逆に時事通信はこの記述が大事な一歩であると考えニュースの見出しにしたのではないだろうか??
【道路族被害専用】道路・駐車場で遊ぶな!! 104【公園被害等は禁止】
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/baby/1694652743/
例えばこんなの
678: 名無しの心子知らず 2023/11/22(水) 11:41:41.64 ID:bK+0YbuZ
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1700619940/l50
>>677
なんでそういう受け取り方するの?「このエリアで迷惑してる人がストレスを溜め続けてるんだろうなあ」
って想像は容易にできるでしょ?そこからトラブルから些細な事で殺人事件が起きてもおかしくない
こ
だとさ
「人を助けたことがある」と言う人よりも、「あの人に救われた」という人が多い。きっと助けた人は、そんなことは些細なこと当たり前のことだと思っているからだと思う。
私は挨拶に救われたことがある。クラスでいじめられていた、あるいはそう思っていた時に言われた「おはよう」で救われた。鉛筆を貸してくれた。教科書を見せてくれた。社会人では、残業に付き合ってくれて、そばにいてくれた。感謝されたなど様々ある。
よく「潮目が変わる」というが、実際のところ、大きな変化の前に小さな些細な何かがおこっていて、小さな親切や当たり前をきっかけに人生の流れが変わっていく。
きっと私も人を救っているのだろうと思う。全く覚えてないけど、きっとそうなんだろう。事実があってもなくても、ただそう思えるだけで十分だし、これからもそう能天気に思える人生を歩みたい。
メイプルちゃんかわいいよメイプルちゃん、と言うより、楽しそうだなーってより思うわ。
こんな子がいたら運営もカロウシ寸前までがんばるんじゃないか。
で、見てて気付いたけど、凄い動くのは当然として、キャラデザが動かしやすいし、動くと映えるキャラデザなんだなってことに気付く。もちろんそれだけであのクオリティは無理だろうけど。
そして1期と2期でそれぞれあるCG会もみたけど、なんかこう言う実験的な事も同時にできるのが、この作品のアニメ化の成功に繋がってんだろうなーと思いました。やっぱりアニメは動いてなんぼやで。
あと最後にある掲示板風に流れるの、大画面だと普通に読めるね。やっぱりでかいのは正義。クローゼットを開ける度に移動しなきゃいけない事なんて些細なことだわ。