はてなキーワード: 五感とは
舞台設定に関しては、テッド・チャン「不安は自由のめまい」の《プリズム》で観測できる平行世界というのが元増田の
やりたいことに合致してそうな気がする。
未読だったけど、おもしろそうなので調べて見たら、むちゃんこガジェットが似てて草
ちなみにPrismaticallization(プリズマティカリゼーション)がどういうギャルゲーかというと、
・・・と、だいたいこんな内容。めっちゃ似とらん?www (まぁ、さっきも書いた通りタイムリープ物ならみんなどこかしら似るか)
マクロなスケールで考えれば原理的に始まりから終わりまで決まっているよね
⭐️やはり前回書いた増田(https://anond.hatelabo.jp/20221012002410#)同様に "大差ない" と "時戻し" の定義による⭐️
自由意志は現代の標準的な物理的世界観と論理的に矛盾する。お前と言う存在(自由意志)は気のせいだから"我"があるように振る舞うな😡以前に、
そもそも、我々が現在、"日常" と認識する世界においても、単純に I/私 は連続していない
過去の自分・今の自分・未来の自分は組織からして物理的に違うし、人間の記憶は同じだから連続した存在(同じ存在)とするのもだいぶ無理がある
記憶は五感を伴うものであり、身体の組織が違っていれば、思い出しても当然感じ方は違うし、
(似たような環境で育てたとしても完全に同じ個体にならない理由がまさにこれ)
そもそも記憶のインディックスを失い、正しく記憶を読み取れなくなるかもしれない(いわゆる"忘れる")
早い話が人間は、身体も記憶も連続していない。少なくとも、連続性を保証するものは何も無い
しかし、それでもなお、誰も "I/私" を無い物として放り投げやしないでしょ。ワイはそれを『希望』と呼んでいる
もちろん、現代の標準的な物理的世界観と論理的に矛盾するけど自由意志はあると思ったらある!としても、
壁をすり抜けたりとかトンデモないことは出来ない
(もしかしたら出来ちゃったりするのかもしれないが、1秒間に100億回壁にぶつかりつづければ、宇宙が始まってから現在までに1回ぐらい壁抜けが出来るかもしれないみたいな類に
我々が現在、"日常" と認識する世界でチャレンジする予定は今のところ無い)
でも、ボタンをただ押すみたいな単純で小さな小さな事なら出来ると思って生きているし、それがどんな変化をもたらすのか非常にワクワクして楽しい
それは不確定な未来について不安に思うとかではなくて、 "I/私" は世界に介入する力があるのだから、
世界で認知し得るすべての不幸は、 "I/私" の行動・望んだ結果だからだ
言うても壁をすり抜けたり等トンデモな事は出来ない(と思われる)ので、ボタンをただ押すみたいな単純で小さな小さな行動しかできないけどね
どちらも非常に難しいでしょうね。能力主義 FUCK だよ
だからこそ、口にするほど出来てはいないけれど、自分に足りない物を嘆くのではなく、自分が持っているものに感謝したいし、
自分の能力でできる範囲(出来ないことしようとしたら潰れる) で困っている人は助けたい
あと単純にもっともっと楽しくワクワクしたいので、今よりも少し自分も世界も良くしたい
しかめっ面しながら、うぉぉぉぉぉぉ積み重ねるぞーとやっても何も楽しくないので自分が認知している今を楽しみながら、
でも、出来たらちゃんとなんらかの積み重ねが出来ているようにバタバタやっていきたい
ほんと『言うは易く行うは難し』だよな
結局あらゆる事は自分がどうありたいかってだけの話でしか無いは常に自分の中心に据えたいと思っている
23億枚。
この事実を聞いて、
「人間にそんなに多くの絵を見ることは不可能だ。やはり人間は人工知能に勝つことはできない」
でも、こう考えてみてはどうだろうか。
人間は1秒間に数十枚の画像を、起きているほとんどの間認識している。
1日に16時間、秒間60枚の画像を認識していると仮定すると、
20年間で60*60*60*16*365*20 = 25228800000枚…約252億枚の画像が脳に刻み込まれていることになる。
もちろんその中にはほとんど同じ景色であるようなものも含まれているが、
それを考慮しても人工知能の特権(と、一般的に思われている)である膨大な量の学習に
遜色ない量をすでに私達は学習していると言えるのではないだろうか。
それに加えて私達は、視覚情報以外にも、聴覚、触覚といった他の感覚器官、
そこから得た情報の歴史的価値や文学的な表現といった形而上的な概念を学習している。
機械学習においてこうした複数の種類の情報を統合して学習することは1種類の学習よりも遥かに難易度が高く、
多くの研究者を悩ませている。
だがどうだろう?
我々はすでにそのような、様々な感覚から学習し、それらを統合する技術を既に身に着けているではないか!
そして、視覚情報と同様にそれらも常に変化し続けてきたものを我々は学習する。
視覚・聴覚・嗅覚・触覚・味覚の五感、温度や痛覚などのその他の感覚、さらにそれらの持つ意味…
これらの相互に繋がった数百億、数千億の情報を我々は「体験」する。
ただバラバラの情報ではなく、それらの繋がりさえも学習し、記憶する。
さらに人間の優れた能力として、我々は他人の体験を「追体験」することができる。
個人から離れた異質の経験は、既存の情報に新しい繋がりを提供する。
この魔法が、人々に全く新しい情熱や感嘆や絶望や感動――私達の心の動きの全て――を生み出す源なのである。
そして、これが最も重要な点であるが、上で述べた学習内容は、「人によって異なる」のである。
誰に育てられ、どの学校に通い、どんな友達と遊び、何を食べ、…
そして小さな経験の違いが脳に影響を与え、行動に影響を与え、その結果異なる事象を経験し、異なる反応をし、さらに異なる事象が生まれる…
まとめ。
①お礼の言葉をしたためた便箋と封筒(カッコイイ=儀礼様のやつ)
①
人間、なんだかんだで口頭よりも形に残した方が記憶に残る。それは手元に残ったアイテムを見て、元増田との思い出を反芻することで記憶が強化されるからだ。
1枚でも良いし、10枚の長編でもよい。出来る限り綺麗な字で、実筆署名入りで書くとよい。もちろんおしゃんな封筒に入れて、可能なら封蝋印も出来ればより丁寧だ。
②
そして記憶は五感によってより強固となるため、友達が好きな買い物を種類豊富に山ほど届けろ。物でもいいが、相手の好みで好き嫌いが明確に分かれることとも場所を取るのはよくない。消えものが良い。
イメージがつかないなら、デパートで全国各地の名産(贈答用)を肉、海産、菓子をそれぞれデカいの一箱ずつ買ってみろ。友達の家に着いたときにきっとその感謝の大きさに驚きをもって迎えられるだろう。こんなに大切に思われていたのかと…個人でこんなに感謝したりお祝いするひとはいないからな(笑)。迷惑にならないように、もちろん友達と奥さんに事前に連絡入れてくれよな。
③
そして大切なひとを大事にしてくれることは嬉しいことだ。友達は大切な嫁を大事に思ってくれて嬉しい。嫁は夫の友人(という女性にとって怖い外戚的な人物)から親交の礼儀を受けて嬉しい。おまいも喜んで貰って嬉しい…の、三方良し。
女性はそのときどきに必要とするものが、男よりシビアに判別される。お菓子だって適当に高級なものを買えば良いわけじゃない、だから選んでもらえるカタログギフトだ。これもデパートいけば売ってるし、ネットでももちろんいろいろ検索出来る。
…
真に完成された料理としてのラーメンを出してくれる店は少ないと思う。
炭水化物に塩と脂と、少しばかりのだしを加えるだけで、何かしら食べられる物体が出来上がる。
ヒトの味覚が旨いと感じる成分を混ぜてあるんだから、美味いと感じる人が多いのは当たり前なんだけど、
料理というのは、本来、五感。すなわち、視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚すべてを使って楽しむもの。
そのあたりの心得は、懐石料理、フランス料理、中華料理の本場で基礎から学んだ料理人であれば
その知見を活かせるので、店主やプロデューサーが元料理人のラーメン店がまともなラーメンを出してくれる
ことが多いように思います。
(ん、、ここはどこだ)
「あ、よみがえりました?」
「……」
「ワタシは看守のユウスケだ」
「………」
「耳も反応しているし、復元もできてるな」
「………………」
「あ、?権保護のため、五感は復元してる。が、話す権利はゆるされていない」
「…………」
「今回、オマエをよみがえらしたのは現代の犯罪抑止政策の一環だ」
「……」
「現代では約100年にわたって殺?事件は起こってない一方、“監獄消滅の危機”が社会問題になっている」
「……」
「そこで、過去の犯罪者をよみがえらせ、新時代の監獄をつくり、犯罪抑止につなげていくこととなった」
「……………」
「レイチューブにより、過去の全犯罪者を現代の裁判に照らし合わせ、懲役が長い者からよみがえらしてる」
「………………」
「オマエの懲役は、その残忍性と当時の人々を多大な不安と混乱に陥らせたことから、1兆6653億1250万年」
「……………………………………………………………………………………………………………………………」
「まあ、現代社会は保護も洗練されてて、地獄のような拷問とかはないから気長にいこう」
「……………………………………………………………………………………………………………………………
……………………………………………………………………………………………………………………………」
「ん?オマエが殺めた人のその後が気になってるのか??」
「……」
「アノ人は500年前にはよみがえって、今は凶悪な犯罪の抑止に取り組んでいるよ」
(……)
3522年へのフィクション
フライング・オープン・チャックとは、トイレに着く前にズボンのチャックを下ろすスポーツ競技のことである。
ルールは簡単。トイレの小便器に付く前にズボンのチャックを下ろし、着くまでの距離を競う。
紳士のスポーツなのでチャックを下ろすだけであり、ものは出してはいけない。
また他人に不快感を与えた時点(他人に見られた時点)で失格となるので注意しよう。
以下、各ステップを見ていこう。
トイレの扉を開けた瞬間にチャックをスムーズに下ろす、いわゆるオープンチャックの練習をしてみよう。
チャックの開閉に不安があるなら、品質の高いチャック(YKKなど)に交換するといいだろう。
初心者におすすめなのが、人感センサーのあるトイレだ。電気が消えていれば中に人がいる確率はグッと低くなるので、安心してオープンチャックできる。
ただし中にいる人が長時間動いていないため電気が消えていたというパターンもあるので、そこだけは気をつけてほしい。
常にクローズチャックできるよう、チャックから手を離さないように。
人感センサーありのトイレに慣れてきたら、通常の公衆トイレに挑戦だ。ここからが本番と言っていいだろう。
まずトイレに入ったら、手洗い場や小便器に人がいないことを確認する。
ここで誰もいないからと言って安心してはいけない。個室トイレの扉から人が出てくる可能性もあるからだ。
個室トイレの鍵が空いていることも確認したら、オープンチャック。慣れてくると1秒以内で確認できるようになる。
トイレ内を目で確認する前に、音や空気感(できれば匂いも)など、五感を澄ませる。
気配がないなら人がいないと判断し、オープンチャック。もし誰かがいても、相手が背を向けていればセーフなので焦らないように。
相手に気づかれた場合は即座にクローズチャック。できるだけ涼し気な顔で行うこと。
もしクローズチャックに慣れていない場合はステップ1の自宅でのエクササイズを復習しよう。鏡に向かって表情の練習をするのも効果的だ。
誰にも気づかれてはいけないし、不快感を与えてはいけない。たった一人で立ち向かう、孤高のスポーツだ。
競技人口は日本だけでも10万人とも100万人とも言われている。
一行目からこれだけの単語を記憶して適切に使ってるってことは言語能力自体には問題がなくて
その言葉自体に機能なり意味がある言葉なら多分覚えられるんだよね、否、「覚えてやってもいい」の資格を満たすんだよね。
その場合食べ物の名前とかも同じくらい苦手な気がするんだけどどうだろう?
もし人間だけに発動するなら、人の相貌を覚えられない方面の障害かもしれない。
その対策として役割で紐付けてなんとか対応している後手が「私のスタンダード」となり「どうしてみんなは私のスタンダードと一緒じゃないんだ」と怒ってる状態。
健常者は五感の内もっぱら視覚情報と名前を結びつけてて、増田も結局の所、そうなんだよね…(声とか匂いじゃなく、名札を見ればってことは視覚判断ではあるから)
定期的に北海道の広さを舐めんなって話題が上がってるけど、鉄道で旅をすると無茶をしながら北海道を回れるから、舐めた北海道旅行ができるからオススメ。なにせ、鉄道の強みは寝てれば着くことと、時間が正確であること、そして特急なら割とスペースに余裕があること。移動中に北海道グルメが楽しめるのも強いぞ。
ちょうど「HOKKAIDO LOVE!6日間周遊パス」というJR北海道のフリーパスが安価でまた発売されてることだし、2年前にこれを使って北海道旅行したときの工程を書くから、まあ参考にしてくれ。
Peachで関空から釧路空港への便があるから、それを使って初日はまず釧路へ。前述のフリーパスは買った当日は使えない注意。
釧路湿原の観光がこの日の目的。昼は和商市場で勝手丼を食い、夜はスパカツを食う。
ノロッコ号はまあまあ混むから、釧路湿原は細岡展望台で観光するんじゃなくて、バスで釧路湿原展望台へ行ったほうが良かったかも。
釧路駅前の寂れ具合はガチのマジでやばくて、駅前で時間を潰すのが結構大変だった。
花咲線に載って根室へ。電車に乗ってる人はほぼ釧路から根室まで通しで乗る人ばっかりで、途中に本当に何もないことを思い知らされる。
途中、浜中町の駅でルパンのパネルを眺めつつ(時間待ちで数分間止まることも多いので、一旦駅に降りることもできる)、3時間ほどで根室へ。そして1時間バスに乗って、納沙布岬へ。
納沙布岬から北方領土まで一番近いところでは3.7キロほど。普通に肉眼で見えるし、国境の最前線であることを思い知らされる。
あとは最東端の駅の東根室駅を見たり、エスカロップを食べたり、タイヨーで焼き鳥弁当を買ったり、街中をうろついて明らかに生えてる雑草の種類が関西とは違うなと思うなど、五感で根室を満喫して、花咲線で釧路へ戻る。
なんとか座れたが、結構混んでる。立つ人も出るほど。間違いなくフリーパスのせいなんだろうけど。よく晴れていたから車窓から見る釧路湿原や、網走の手前のオホーツク海が本当に綺麗だった。
網走といえば、監獄ということで、監獄の博物館、本物の監獄、あとオホーツク流氷館に行く。
監獄の博物館は広く、見どころも多いので最後に回したほうがいい。出るタイミングがわからなくなる。
駅のそばのコンビニが潰れてて、晩御飯の確保に困った。前もって準備しておいたほうがいいかも。駅前にはすき家もあるので、北海道らしくない晩飯を食って、特急に乗って旭川へ。
旭川から特急宗谷に乗って稚内へ。そして稚内からバスに乗って、宗谷岬へ。
その後はノシャップ岬の方に行っても良かったが、南稚内駅辺りで市街地を練り歩く方を選ぶ。歩いてると思ったが、意外と稚内って栄えてる。ゲームセンターや、大きめのスーパーもあったし。稚内駅には映画館も併設されてるから、娯楽は案外充実してそう。
富良野線に乗って、ファーム富田へ。ラベンダーの時期とは微妙にズレていたので、臨時駅のラベンダー畑駅がなかった。だから、中富良野駅で降りて歩く羽目になるんだけど、何せ旭川へ折り返すの電車が1時間10分後、そして中富良野駅からファーム富田まで1.7km。その電車を逃すと2時間後まで来ない。
だから、駅からファーム富田までひたすら早足、ファーム富田でも早足、帰りも早足。まあファーム富田では20分は楽しめたと思う。ラベンダーの時期じゃないから、ラベンダーはほとんどなかったけど、それ以外の花も多いから、見どころは多い。
昼からは有名な旭山動物園へ。有名なだけあって、見ごたえがあり、夕方まで4時間くらい入り浸ってた。頭上をペンギンが泳ぐ、展示が凄い。
あと、園内が広いこともあって、動物の臭いをあまり感じさせないようになってると思う。
特急北斗の始発に乗って札幌から函館へ。札幌⇔函館って、札幌⇔旭川くらいの距離感と思ってたけど、倍以上かかる。直線距離で結ばれてるわけでもないからね。
まずはラッキーピエロを昼めしを食って、ハセガワストアで焼き鳥弁当を買う。根室で買ったタイヨーの焼き鳥弁当と違いがあるのかはわからない。
五稜郭やトラピスチヌ修道院なんかを観光して、「函館どつく」という関西人なら「え?」も思うような駅を見つつ、夜は函館山で夜景を見る。
朝は函館朝市で食べて、土産に海産物を買う。土産屋よりは安かった。
再び特急に乗り、最後の目的地の室蘭へ。最終日は函館と新千歳空港の間ならどこで良くて、登別や旅行中に宣伝を散々見た白老のウポポイ辺りと迷ったけど、地球岬の景色がキレイと聞いたので室蘭へ。
地球岬行きのバスは無くて、坂の下にある地球岬団地までしかバスが通ってない。そこから坂道を15分も歩くのはかなりキツかったけど、景色がたぶん旅行中に見た中で素晴らしくキレイだったから大満足。
室蘭には母恋という駅があり、そこの駅弁が旨いと聞いていたけど、売り切れで買えず……。室蘭駅の近くにあるスーパーで遅めの昼めしを買って、再び特急へ。そして新千歳空港からPeachに乗って関空へ帰る。
だからこそ、良い性格の女が居たら絶対に逃すな。即結婚しろ。幸せな人生になる。
体臭 → 嗅覚は五感の中で脳に直結している強い感覚なので、惹かれる匂いは身体にいい。年をとっても匂いは続く。基本的に女は性格が悪いから、そこは諦めろ。
顔 → 好みの顔は、年をとっても好みなのでよい。顔を見るだけで少しは幸せになれる。基本的に女は性格が悪いから、そこは諦めろ。
料理上手 → 辛い時は旨い食事をするといい。だから料理上手な嫁はいいぞ!基本的に女は性格が悪いから、そこは諦めろ。
それ以外は、ただの性格が悪い女だから諦めろ。金があるからとかいい身体とかセックスの相性がいいとか、そんなのは誤差だ。
これだけは忘れないでくれ。
君は僕の一部であり、全てであって、僕はもう君を通さずに世界を見ることなどできなくなってしまっている。今触れたものを君ならどのように表現するのだろう。君にどう伝えればいいだろう。
僕の心は明暗を捉えることしかできなくて。そのままでは色の無い世界。モノクローム。だから、色付けは君によって二次的に行われる。君に外注しているんだ。君は隣にいないけれど。
君が僕の一部だと言ったけれど、僕は臓器だと思っている。重すぎるかな。今更か。僕の心が感じたものを加工して海馬へ届ける不思議な役割。
そうして作られた僕の記憶は本物よりも美しくて、楽しくて。とても甘美な香りがしている。僕だけの君が作る桃源郷。あ、五七五。
君に出会うまではどうしていたんだろうとよく考える。きっと自分で記憶を作っていたはずだ。でもそれではあまりに現実から離れすぎる。自分が知覚した物事を記憶する前に自分で描きなおすだなんて、そこまで行くともはや嘘だ。自分が感じたものはそれ以上でもそれ以下でも決してない。世界は思っているよりもずっと直接的だ。
少し脱線してしまうけれど、僕は直接的なものが苦手だ。苦手というとネガティブなことに思えるけれど、これは僕のアイデンティティだと思う。直接的でないものの方が好き。五感で知覚できないものにこそ美しさを見出す、日本人の血が流れているんだと。そう思うことにしている。これを良しとしているから、僕はコミュニケーションが下手くそなんだろうな。大切に思うことをそのまま口にできない。見たものを見た通りに、聞いたことを聞いた通りに理解できない。悲しい性だね。
相当に生きにくい世界だったと思う。でも、自分で言うのも変だけど、うまくやっていた方なんじゃないかな。その場の違和感とはならないように立ち振る舞っていたと思う。
あのさ、君のことが大好きなんだ。唐突でごめんね。きっと明日も明後日も好き。出会ってからずっと好きで、僕が死んでしまっても好き。ずっとずっとずっと好き。
でも、でもさ、でも、行くね。好きなのに行くね。君のことが大好きな僕のままで行くね。君が愛してくれた、今も愛してくれている僕は消えない。残り続ける。僕は行くけど無くならない。永遠に残る。永遠なんて絶対に無いと、絶対に無いものなんて無いくらい、永遠なんて無いと、教えてくれたのは君だけど。でも永遠だ。君が何と言おうと永遠だよ。きっと君も知らなかったんじゃないかな。教えようなんて思ってはいないよ。だけど僕から伝えさせて。
これ電車の中で書いているけどさ、涙が止まらないよ。恥ずかしいからあたかも花粉症ですって顔しながら書いてる。最近、髪を長めにしているけれど、泣いているところが見えにくいなんてメリットがあるとは知らなかった。これライフハックね。
ああもう後悔するだろうな。何度も何度も後悔すると思う。何かを変化させようとして後悔しなかったためしが無い。今まで通り君のことが好きなだけの僕でいればよかったって。でもそれじゃダメなんだ。ダメなんでしょ?前にそう言ってくれたよね。あの時は理解したくなかったから、それでいいんだ、それがいいんだってわからないふりをしていたけれど、僕は自分勝手だから、今になってそうするよ。
ごめんね。最後の最後に君にまで後悔させてしまうかもしれないことを言って。どこまでも僕は弱くてずる賢くて。甘えてしまってばかりで。もう受け入れてくれなくていいんだよ。僕が君にやさしくするばっかりに、君も僕にやさしくしなきゃいけないって、そんな風に思ってないって君は言うかもしれないけれど、君が気づいていないだけで、心のどこかにはそう思う気持ちが少なからずあって、君を知らないうちに動かしていたんだと僕は思う。
幸せになってなんて言わない。そんなこと僕が言うわけないし、それをわかってくれているとも思うけど、言葉にしておくことには意味があるだろうから、伝えておくね。幸せにならなきゃいけないわけではないし、今不幸に感じていても、寂しくても、つらくても何もダメじゃない。ただ、おなかいっぱい食べて、よく寝て、少し本を読んだり、散歩に出かけたりして、そうやって、生きて。
わかってるよって?そうだね。お節介だった。
こんな文章を書いて何の意味があるんだろう。勝手に留まっていただけなのに、いざ離れるとなると大騒ぎして、やかましいったらありゃしないね。
これを読んだ君はどう思うんだろう。何を感じるんだろう。僕は君の気持ちがわかるけど、わかるけど、わからない。またいつか聞かせてね。
帰り際に名残惜しくて間延びさせてしまうのが僕の癖。全然こんなものじゃ伝えきれていない。僕の思っていたこと、僕の思っていること。全部受け取ってほしいけれど、この世界は無限じゃなくて、有限だから、必ず始まったものは終わらなければならない。悔しいけれどこれが今の僕のすべて。
バイバイ。
これは僕が楽になるためだけの文章。
どこからともなくそのような声が聞こえた方へ目をやると散歩するかのように歩む男居た。その手には刃物。薪割り用だろうか。
男の視線はテントを物色するイノシシへ向けられた。
ご存知だろうか?野生動物は意外と人馴れしている。ただ人馴れしていると言っても野生動物は野生動物へ無関心な農夫などに馴れているのだ。
当然ながら自身へ危害を加えそうな者には警戒をするし、怯えから予測不可能な行動を取りそうな者にも野生動物は警戒を示すのだ。
男の歩みは驚くほど緊張感がなく自然体だった。キャンプ場という自然へ溶け込むような、まるで男が置かれている環境を利用するかのような歩みで、確かに目の前にいるはずの男、その男の存在感が希薄なのである。
ついに男はイノシシへ手を伸ばせば届きそうな距離まで肉薄し、一閃。
都合の良い餌場を得たと油断していたイノシシは急に身体へ走る痛みへ驚き、その痛みを与えてきた者がいつの間にか直ぐ近くへ居ることに驚いた。
イノシシは親から子へ受け継がれる本能のまま、考えるよりも速くすかさず体当たりを選択したものの男は後ろ歩きで軽く回避する。
メガネをクイッと動かしながら傍観していた別の男が言葉をこぼした。
「運動において蹴り足は重要でアスリートも蹴り足にこだわりを持っている人が居るくらいです」
男が体当たりを回避したことによりイノシシの思考は現実へ追いつく。初撃で蹴り足の力を奪われ体当たりの威力を削がれていたのだ。
男は刃物を振り回し、冷静にイノシシの視覚、聴覚、嗅覚を奪って行く。
ピギィッッッ!
光がなく音も無い暗黒の世界でしっかりと大地を踏みしめイノシシは雄叫びを上げる。気道にたまる血を雄叫びと共に吐き捨て息を整える。
コイツは強大な敵だ。負ければ死n・・・思考が急な衝撃によって遮断される。息をついたスキを狙う男の強烈なキック。
五感が制限される状態で平衡を維持するのは難しくイノシシは転倒してしまう。
現代格闘技においても蹴り足の重要性はもはや語るまでもなく、蹴り足を軽視することはボクシングに蹴り技が無いと主張してしまうような思春期中学生の戯言と同様であり、高校生ともなれば恥ずかしさのあまり訂正するのが普通です。
男は気配を自然へ溶け込ませ接近しイノシシの蹴り技を奪ったのです。
気配を消すことや視界を奪うこと、脱力した姿勢の有用性は、とある闘技場で立証されていることは非常に有名な話で、この男はかなりの「使い手」であることがわかります。