はてなキーワード: メインストリームとは
これは日記です。
腐女子・腐男子やBL(以降まとめて腐界隈と呼ぶ)ってわりと研究・考察対象になるじゃん
本もいっぱい出てるし、増田でも考察がよくあって定期的にホッテントリにも上がる
自分は腐という字を使わなくなって4年くらい?経つCP厨だけど、腐界隈研究の対象ではあるわけですよ
そして、どの界隈もそうだけど、腐界隈はもちろん一枚岩ではない。
研究対象が一枚岩でないことの実感が、自分が研究対象になってから初めて湧いてきたんだよね
いや腐界隈属性以外でも例えば若年女性属性とか日本人属性とかで研究対象にはなってきたけど、そういうのは括りがでかいからそもそも研究されている実感が薄かった。腐界隈属性はその点「自分が研究されてる!」って感覚が生まれる。
私は基本同軸リバで男女CPも女女CPもやるゾーンに存在してるから、話題になってる腐界隈の話にあまり共感できないことが多い。本も出さないし神と仲良い人に嫉妬したこともないから、例の同人女の感情漫画も共感はあんまできない。中綾は萌えます。
でも研究では私のような辺縁?の存在も考えた方がいいわけじゃん、男男CPしか読まなくて固定が基本で即売会に行くのがほんとにメインストリームなのか私のTL眺めてると実感わかないけど、とにかくメインストリームだけ考察してればいいわけじゃないでしょ?学部生の卒論レベルならまだしも。
そんで、界隈を全部拾おうと思ったらめちゃくちゃ大変だから、解像度上げるのを適当なところでやめないとだけど、どの程度でストップするのかの基準も自分で決めないとだし
研究って大変だなあ…
専門職で、メインストリームではないけど熱心な師匠の元、そこそこに良いポジションに早めに着くことができた。
まだまだ給料安いけど、上を見たらきりはない訳で、基本給が安い年代の間は残業代もあるから1人でなら豊かに暮らせそう。
短く色んなとこ行きながら、いつかは独立して自分の好きにやりたいなあと思っていた。
カッコいいやつじゃなくて、別にすごくなくていいからその分時間をのんびり過ごせるように、と。
でもさ、終身雇用とやらにぶら下がる方がよっぽどのんびりできると気づいてしまった。
ひとりでやっていくためには、今やってる仕事内容だけじゃなく色んな勉強をしなきゃならない。
建前上は、勉強してるということも人事評価に入れてくれる会社だし、時間外でももがいて進めてきた。
でも、終身雇用にぶら下がるなら、むしろプロジェクトに集中して、休みは好きに過ごす方がよっぽどいい。
だって結局内部でどんだけ出来たかで今後が決まるでしょう。一生懸命外出て仕入れてくるよりは、そこそこにでも自分のとこだけ進めるほうがいいんじゃない?
ついに70歳までのチケットまで手に入ることになった今、外で勉強する必要が早々になくなってしまった。
終身雇用が死んだって誰が言ったんだろう。あと40年なら行けるんじゃないかなあ。
何のために頑張るのか、分かんない。向上心とやらを持っていた私には、もう戻れない。
「緊急避妊薬市販化推進に注力したフェミニスト」の例として多摩湖さんやピルつきさんが挙がるなら「オラ斎藤環さっさと謝れよ」という話になるのだが、件のツイートを叩いてるクラスタ内でそういう空気が一切ないといことは、所詮はイデオロギー戦争でしかないわけで、「どっちもどっちだし静観しとこ」としかならんのよな。
俺自身も一応フェミニストの端くれだとは思ってはいるのだけど、いい加減フィクトセクシュアルに対する差別意識をフェミニズムのメインストリームから外してくれという意味で、斎藤環氏の言葉の気持ちだけはわかるのよな。気持ちだけは。(ちなみに斎藤環氏は戦闘美少女という表象についてセクシュアリティの議論が必要であることを指摘した先駆者の一人なので、フィクトセクシュアルの一人としては肩入れせざるを得ないのよな。)
日本が歌下手アイドルの国になった戦犯は誰なの?
あたかも洋楽エンタメの世界は歌が上手い人がもてはやされているような論調だが10年代以降のポップスの状況を顧みると、元増田は今の海外シーンを旧来の日本のエンタメ観で捉えてしまっているような気がする。
じゃあ今の海外シーンは昔とどう変わったのかって話をすると、それは大きくいってヒップホップがメインストリーム化したことじゃないか。
ヒップホップがメインストリームになったというのはEminemや50 Centみたいな音楽ばっかりになったってことではなくて、ポップスがヒップホップの感覚で作られるようになったということね。
旧来のポップスもとい今の日本の一般的な制作体制ってのは、基本的に作家(コンポーザー/ライター)、アレンジャー、歌手に分けられる。
メロディや歌詞を考える作家がいて、それを基にアレンジャーが音源仕上げて、歌手はクリエイターの意図に沿った歌唱をする。
一方ヒップホップっていうのはトラックメイカー(プロデューサーっていわれることも多い)と歌手という分類になる。
まず誰がどんな歌を歌うのか未定の状態でトラックメイカーがインストの音源を作り上げてしまう。それを聞いてラッパーや歌手自身がメロディ(ラッパーではフロウと呼ばれる)や歌詞を考える。
SNSの浸透でアマチュアでも大々的なプロモーションが可能になったため、無名だけどセンスいいトラックメイカーから安く音源を買って自分で曲を仕上げてヒットを飛ばすようなラッパーが増えたのね。
歌メロと歌詞を考えるだけなら知識がなくてもセンスで勝負できるからR&Bやヒップホップ畑じゃないポップス志望の歌手もそういう方法を取り入れるようになった。
そして細かいとこまで詰めてからやっと歌入れする旧来のやり方より、ヒップホップのやり方のほうが効率よく手早くできる。
また昨今のハラスメント排除の流れとかもあって「プロデューサーとかの操り人形みたいになってる奴ヤバない?」みたいな風潮ができてきて、歌手本人が制作に口出しできなければ健全じゃないというように見られだした。
Rケリーのいざこざが蒸し返されたり、Ke$haとプロデューサーの裁判があったりで、与えられた曲を一生懸命歌うような姿勢は奴隷奉仕としてリスナーに嫌われだしたんだね。
増田が例示したワンダイレクション、Little Mixを輩出したXファクターも二年前に終わっちゃったし、この二組のメンバーも今は曲作りに積極的に関わるようになってるよ。
で、そんなこんなでコーライティングという制作スタイルが定着したんだよ。
コーライティングというのは歌手を含めた複数のクリエイターがチームを組んで、ディスカッションを重ねながら制作とレコーディングを同時進行で行うやり方。
アイドルっぽい扱いされてる人でもなんでも最近の流行歌手の曲はクレジットみたらちゃっかり歌手本人の名前が記載されているけどそれはコーライティングで制作されているから。
前置きが長くなったけどつまり今の洋楽って歌手本人が歌いやすいよう最適化された曲ばかりだから下手になりようがないんだよね。
「ちょっとこの部分高音きついわ。直してくんない?」みたいな注文つけて書き直してもらうようなプロセスがあるから。
オーダーメイドスーツだからぴしっとお洒落に決まるみたいなもんだよね。
話が脱線するけど、だからシンガーソングライターは格上だとかアイドルとアーティストの括り分けみたいな、そういう日本人がもってる概念も洋楽には存在しないんだよね。
ライブとか曲制作にいっちょ噛みしてるかどうかでアイドルか否か、アーティストかどうか日本だと分けられるけど、才能あるなし関係なく洋楽はもうみんないっちょ噛みしてるからね。
それの何が凄いの?って。
まあアリアナグランデとかThe Weekndみたいに歌唱力が売りの一つな人もいるけど、下手なことでマイナス評価がつけられることはもはやないと思う。欠点を論っても仕方ないというか。
テイラースウィフトなんかはダンスも歌もいまいちだけどSNSでのセルフプロデュース込みのイメージ戦略と、赤裸々な歌詞で地位を築き上げたじゃん。
そもそも歌が下手な奴に無理強いさせて歌わせようって感覚がおかしくて
そこの違和感に気がつかず「最近の音楽は」なんて言ってる日本人の感覚がガラパゴスなのかもしれないね。
歌いたい奴が勝手に歌って、たまたまそれを見聞きして良いと思ったら応援して拡散させるっていうのがこれからのあり方なんだよ、きっと。
もともとオタク含めてサブカルってのは限定された内輪の空間で成立したもの
サブカルは白昼堂々と見せびらかすものではないし、それゆえに許される文脈も多い
それがメインストリーム文化(商業文化と言ってもいい)に成り上がろうとするとめんどくさいことが多すぎる
2chだってtwitterだって本来はサブカルに属するメディアなんだから、サブカルメディア内でのゾーニングの問題のような気がする
もしくは単なる縄張り争い
女オタクが、男オタクが作ったサブカルメディアに後から入り込んできて(男オタクの専用物と言っているわけではないし、そもそもコンピュータナードと二次元エロコンテンツオタは基本的に別ジャンル)、あたしが不快に感じるから出ていけって主張してるようにも見える
メインストリーム(例えば地上波テレビ)では「嫌なら見なけりゃいい」ってのは暴論だけど、サブカルでは「嫌なら見なけりゃいい」でいいと思うけどなあ
家に帰ったらなんとなくだらだらネットしてた
なんか胸がすっとしてこんなの作りたいって思った
さてどうしようかと試行錯誤して初めて曲を作った
そんなものかと思いながら少し残念だった
仕事中もどんな歌詞にしようかとか次はこの音入れてみようとか考えてた
それ見た時嬉しすぎてベッドでゴロゴロ転がりながら変な声出した
正直なところおれももしかしたら有名になれるかもとか淡い期待はあったけど
そして17曲目が跳ねてやっと1000再生(笑)を超えることができた
今聞いても我ながらいい曲だなと思う
ボカロのメインストリームのはじっこで細々と活動してただけのおっさんだけど
当時を思い出すと初音ミク買ってよかった
俺は自分の思想とは関係なく「燃えそうだなー」と思ったことを増田に投稿してて、ネタに応じて【男/女】の立場から【男/女】を叩くよう切り替えてるんだけどさ
流石に女に甘すぎるブクマカが増えすぎてるわ
こんな性格だから同じような内容で男女反転した投稿を数ヶ月間開けて投稿したりするんだけど、人気ブコメの態度が180度違うのな
男が悪いという話には(「こんな人が全員じゃないけど実際こういう男が多いのが事実だよね」みたいな予防線貼りながら賛同しているのも含め)同意のコメントが高速で星集めてるのに対し
要約すると男女反転しただけの女が悪いという話には「認知の歪み」「男も悪い」「いや男の方が悪い」ってコメントが人気ブコメに並んでるわけよ
何がヤバイかって、そういうコメントしてる人からすると「ブコメが女に甘いという感覚」がそもそも認知の歪みであり、今でも(はてな含めて)インターネットは男たちが女を叩く世論に支配されてると思ってるところなんだよな
2ちゃねるまとめサイト全盛期ならともかく、「女叩き」が「男叩き」よりバズる時代って完全に終わってるのにね
はちまなんかのとにかくPVさえ稼げりゃいいアフィブログは流石にそのへんのことわかってるのか、ここ数年であからさまに「男叩き」のまとめ記事の割合が増えてる
多分この女アゲ男サゲの空気はインターネットのメインストリームとして変わらないとは思うけど、流石に今のインターネットが異常に女に甘いということに自覚はしとかないと、はてなみたいなウジウジした連中が多いところは今におちんぽ騎士団がついていけなくなって「女叩き」が支配するコミュニティに戻りかねないよなーと思う
なんか知らんけど90年代って80年代あたりに醸成されてったアングラがより洗練された形でメインストリームにのし上がっていった時代で
80年代のメインストリームは90年代のカルチャーとは全く方向性が違うことくらいわかるだろ
10年前に投票できるようになってから選挙権を行使しなかったことはないが、毎回投票日の朝に候補者一覧をみて誰に入れるか決めてる。
選挙活動中の発言は耳触りがいいだけで信用できないし、掲げている公約とか所属の党とか応援してる政治家とか、出身や履歴とかしかみてない。
当日の朝に、出身校をみるに弱者への共感が弱そうだとか、福祉によりすぎてて現実的でないとか、ただの街の狂人枠だとかを感じ取って決めてる。
人が誰に多く入れそうだというのも考えるけど、深く考えすぎてもわからないから、基本的にはその場の直感だけが頼りだ。
どの候補もダメそうなのでバランスをとるために対抗馬っぽい人を選ぶこともあるし、
どの候補もダメそうなので比較的マシそうなメインストリームの人に入れることもある。
そんな感じだから、投票した人が誰だったか、夜の20時にNHKが自民党大勝利! のクソデカテロップを表示したらもうどうでもよくなるし、
夜に用事があったときは結果すら見ないでそのまま日常に戻る場合もある。
政治的信念がないまま選挙に行ってるので、単に若年層の投票率を上げる統計の一項目に貢献するだけの行為になっていることは否めない。
政見放送が話題になって知った口ではあるけれども、あれを見たときにこの人は現代アートであるなあと思った。
政治を舞台に芸術活動(?)をするというと、おそらく多くの善良な市民が眉をしかめるだろうが、
自分は芸術という行為が市民という概念よりも先行する場合がありうると思っている、
というか先行できないとすれば芸術というものを想定する必要がないと思う人間であるので、
政治の世界を舞台に芸術活動すること・できることは知的にも社会的にも人間的にも重要な行いのひとつであると思う。
また、後藤輝樹のあれが芸術であるとするのをよく思わない芸術畑の人もいると思うが、それに関しては反論しないけれども、しかし芸術だと感じたのだからしかたない。
マック赤坂とかN国党とかを芸術とは感じなかったが、後藤輝樹には感じたんだからしかたない。
後藤輝樹の活動にたいしてどのように支持することがベストなのかを考えた。
彼が芸術活動を行う場は政見放送であり、それをするのに必要な活動費は供託金なのだから、
供託金が返還されるよう応援の一票を注ぐことが、最良の活動サポートの仕方となるだろう。
果たして前回の後藤輝樹はそこまでの得票を得ずに終わっていたのだが、投票先を覚えている唯一の候補者となった。
今回も、他候補者がどれもパッとせず、後藤輝樹の活動の精彩さが失われておらず、絶対に当選はしないという前提が揺るがなさそうな空気であれば、
というタイトルだけでは主語デカもいいところなので、もう少し具体的に書くと
「Xperia XZsからiPhone SE(第2世代)に乗り換えた感想」
である。
特にAndroidは本当にピンキリで、1万円スマホかハイエンドGalaxyかで色々違ってくるだろうし、iPhoneだって最新のホームボタンが無くなった系のメインストリームのモデルかどうかは結構重要だと思うので。
ちなみに筆者は今回iPhoneを買う数ヶ月前までの数年間はiPadアプリの開発に携わっており、そこで使ったテスト用のiPadと開発用のMacBookが、それまでWindowsとLinuxしか触ってこなかった自分にとって、生まれてはじめてのApple製品だった経緯がある。
なのでAndroid以外のスマホは触ったことがなかった反面、iPhone以外のApple製品を知らないわけではなく、かといって別にマカーというほど入れ込んでいるわけでもない人間だ。
なお筆者のAndroidスマホ時代は結構長く、ガラケーから乗り換えて以降かれこれ10年近く、合計3台のスマホを使ってきた。そのうちの2台はXperiaだったが。
とはいえiPhoneは、あのジョブズの神プレゼンとともに登場した当時からずーっと気になっていた。それなのに、日本語変換辞書の品質ガーとか、ジョブズ死んでからのデザインガーとか、今思えば、かなりみみっちい理由を抱えて乗り換えられないままズルズル来てしまった。
そんな自分がやっとiPhoneに乗り換えたのは、最終的にはSEの代替わりが決定打だったものの、半年ほど前に高齢の両親が揃ってガラケーから型落ちのiPhoneに乗り換え、それをごく自然に使いこなしているのを見てきたことや、職場に1人はいるような、自身のガジェット()にやたらこだわる先輩が、それまで見向きもしなかったiPhoneを使うやいなや「もうAndroidには戻れない」と言い出したことが後押しした。
ちなみに両親のiPhoneは母親の友達が、先輩のiPhoneは奥さんが使っていた流れでの購入だった。
そんなこんなで実際にiPhoneを買って、触ってみて色々驚いた。
最初にびっくりしたのは、触った感覚がMacBookのそれとかなり共通していたこと。
このタイミングでAppleのブランド戦略のヤバさを体感するとは夢にさえ思わなかった。
それから純粋にスマホとして見た場合、もう手にした瞬間から馴染む感じで、これは今までのスマホでは皆無の、全く新しい体験だった。
あと誰かが「Androidは男性的でiPhoneは女性的」と書いていたけど、それに便乗するように下世話な言い方をするなら、手に取るたび
という感覚がリフレインし、手にしているだけでなんとも言えない愉しさを覚えてしまう。
画面を開けば、これまたキビキビさとブレの無さが両立した、ナチュラルでしなやかな動作が、ごく自然な感覚の延長としての快適さをもたらす。
更に、驚きは持っているときだけでなく、単純に机に置いておくだけで妙に絵になる、独特の質感にも感心させられた。
iPhoneが高級機種なのは知っていたというか、そんなん値段を見れば誰でも理解できるが、その上でiPhoneは手に入れないと理解できない高級さがあると言っていい。
さっき日本語変換辞書ガーなんてみみっちい話と書いたのも、モノの体験はトータルパッケージングそのものであることを、iPhoneを触って痛感したからに他ならない。
それこそが、結構な大金を払って購入したことを絶対後悔させない経験というやつなのだろう。
というわけで、今後はiTuneで色々気になる曲を買いまくって、iPod的な使い方も試してみる予定である。
そういえば、「'80年代のギークはラジカセだコンポだウォークマンだビデオデッキだと色々買っちゃう→'10年代はiPhone1台で十分」という写真があったけど、これもAndroidじゃなくiPhoneだから意味があるんだと、今更ながらに思った。
いや未だにそういうので炎上する事はちょくちょくあるし、ツイステの流れもそれの一つに過ぎないだろ
我々は資本主義に愛されたメインストリームでマジョリティでおまけにソーシャルジャスティスなんだよ、っていう驕りしか感じられない
被害妄想強すぎ
てーかあんなん「俺の大好きな○○をしょうもないガチャゲーにしやがって」って、他のIPなら早けりゃ10年代前半ぐらいに経験してきた流れでしかねえと思うんだけどなあ
好きなシリーズの新作が出たと思ったらブラゲかよとか、マイナーな作品にようやく光が当たったと思ったらソシャゲのそれもコラボじゃねえかとか、そういうのをずっと経験してきたわけ
元々アーケードの時点で大概課金ゲーだったアイマス界隈ですら、モバマスの存在を受け入れるまでには一悶着どころじゃなくいろいろあったし
あれだけ流行ったFGOなんかも従来のファンというか老害おじさんからは結構反感買ってて、そこに「所詮同人エロゲ上がりの連中が石の下から出てきやがって」みたいなの、さらにリリース当初のあれやこれやも合わさって、文字通りグダグダのボコボコ状態からのスタートだった
でもいろいろありながらみんな時代の流れを受け入れ、あるいは受け入れられず離れていって今に至るわけ
そういう歴史に対して今の今まで鈍感でいられたっていうのが正直言って腹立っちゃうんだわ
我々は資本主義に愛されたメインストリームでマジョリティでおまけにソーシャルジャスティスなんだよ、っていう驕りしか感じられない
そりゃあツイステ勢の垂れ流す妄想にしたって、俺はわざわざ見たことないから知らないけど気持ち悪いのも普通にあるだろうし、中にはおよそ見るに堪えないものだってあるんだろう