2015-11-17

トマトが好きならミニトマトも好きでないとおかしい」論法

パリテロについて大騒ぎするなら、中東で日々起こっているテロについても大騒ぎしないとおかしい」式の論法

前提にあるのは、同種のものは同じような権利をもっていて、それゆえ同じように扱われるべきだ、という倫理的要請である

この場合パリ人間中東人間は同種のもの人間であるはずなので、この二つに関して違った対応をするのはフェアでないことになる。

この論法はかなり使い勝手がいいのだが、それゆえいい加減な主張に使われることも多い。

たとえば、

「2番じゃダメなんですか」とのたまったレンホーにこの記事を読ませてやりたい。2番じゃダメなんだよ!!

http://b.hatena.ne.jp/entry/271054677/comment/iGCN

記事は、交尾の後にメスの交尾器を壊してしまクモ発見について、自分より先に他の研究者が発表した、という内容。

引用したブコメが言いたいのは、「クモ研究の発表は一番でなければならなかった、だからスパコンも一番でなければならない」よって「蓮舫発言は不当である」ということである

発見の発表」と「スパコンの性能」は同種のものだろうか。「発見の発表」が一番でなければならないというのは当然で、二番以下にはほとんど意味が無い。一方「スパコンの性能」の場合でも一番がえらいというのは当っているが、二番以下であっても相応の評価が得られる可能性があるわけで、蓮舫が尋ねたのもそこだったはずである

あと、

南京事件否定論にすら場を与えねばならないと言っていたのだから日本テレビがいつどんな番組を流そうが文句言う筋合いはないだろうが。本当につまらないやつ。

http://b.hatena.ne.jp/entry/271244743/comment/Apeman

記事東浩紀ツイートで、パリテロ世界中が大騒ぎしているにもかかわらず日本テレビバラエティ番組をやっているのを見て、「地上波しか見ない人とそうでない人の情報格差が開く」のを実感した、と言っている。

ブコメが言っているのは「南京事件否定論のようなトンデモにさえ場を与えなければならないと言っていたのだからテレビバラエティ番組文句をいうのはおかしい」ということ。

南京事件否定論」と「バラエティ」はとりあえず「好ましくないもの」という点で同種として、「場を与えなければならない」と「文句を言わない」は同じだろうか。「私はあなた意見には反対だ、だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」(by ヴォルテール)の名言があるように、表現存在を許容することと文句を言うことは両立しうる。東浩紀発言にいつも一貫性があるとは私も思わないが、少なくともこの発言に関する限り、ブコメ批判は適切ではない。

こういう「AのことをCと言っていたのだから、BのこともCと言わなければおかしい」という論法は、とりわけ批判されがちな有名人に対してはかなり雑に使われることが多いように思う。

記事への反応(ブックマークコメント)

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