はてなキーワード: 通勤とは
昔から体力もないし頭も悪いし運動神経もない俺は小学生の頃から社会に出た今に至るまでずっと社会生活が苦手だった。あなた達が今まで見た大人しいタイプの無能たちを思い出して欲しい。それが俺だ。
出勤中も仕事中もフルストレスな為、休みの日と通勤中に瞑想をするようになった。最初は嫌な記憶が甦ったりして全然集中できなかったのだが、慣れてくると何も考えてない無の感覚が心地よくて、瞑想してる間だけは幸せを感じるようになった。次第に電車の中でも吊革に捕まりながら出来るようになった。
この辺りからだと思う、仕事中に気づいたらボーっとしてることが増えてきた。何も考えてない。考えてないことすら考えてない。音が遠くに聞こえる。気づいたらその状態に陥って、上司に声を掛けられても気づかないこともあった。
瞑想中は幸せだが、現状が良くなるわけでもなく、瞑想を始めてから「俺が働いても周りに迷惑かかるだけだし仕事辞めて失業保険満期まで貰ってから生活保護でも受けようか?」と考えるようになった。
生きてるのが辛いが自殺も怖くて、瞑想には仕事の苦痛を上回るリターンがあるわけではないけれど、仕事しないでずっと瞑想してるだけの生活なら、仕事しながら瞑想する生活よりも幸せだと思えるぐるいにはなった。
これメチャクチャわかるよ。。
今は通勤先が変わって通勤ルートが違うから無くなったんだけど、数年前に同じような目に遭っていた。
具体的には「ヘルプマークを付けている、つり革に手を伸ばすのがきつそうな中年女性」に顔を覚えられて、目の前に立たれるっていうのを繰り返されてた。。つまり、目の前に立たれて、席を譲ってもらえるのを待たれていた。
こっちは30代のとくに身体的に困難のない、妊娠もしてない女性だから、そりゃ立てなくはないけど、当たり前に座ってたいよ。始発駅から二つ目に住んでてそこから45分各停で乗りっぱなしの通勤だったから、座ってたい。座れるように早めに駅にいって電車を数本やり過ごす努力もしていた。
でもそうやって、明らかに立ってるのが身体的に大変そうな人に目の前に立たれたら、譲らざるを得ないっていうかさ…
最初は偶然かなと思ったんだけど、何回か出くわして席を譲ってるうちに、「こいつなら譲ってもらえる」って顔を覚えられたことに気づいたんだよね。。遠い位置から乗ってきて、まだ満員じゃなく隙間のある車内なのに、わたしの前めがけて立ちに来る…。それに気づいてからは寝たフリしたり車両変えたりした。幸い毎日出会うわけではなかったし、車両変えたら出会う回数は減ったんだけど、それでも見つかったら絶対にやってくる。毎度寝たフリするのも気が咎めたし、それに負けて結局譲ったりもして、この謎の精神的コストはなんなんだ?ってだんだんキレそうになってた。周りのサラリーマンで他に譲ってる人誰も見かけないことにもキレてた。
勘弁してくれ、と思ったけど、転職してその時間その路線に乗ることが無くなって、この件は終わった。すっかり忘れてたけど増田読んで思い出した。
あの「よく知らない他人に利用されてる」感、通勤って特性による乗る電車がある程度決まるゆえの逃げられない感、独特のしんどさがあるよね…。
私はルートが変わって終わった話だから結局参考にならなくて申し訳ないんだけど、「寝たフリして、増田の次に席を取ろうと待ち受けてる人たちの存在をなるべく見ない」のが一番精神衛生には良いかもしれんね。気持ちわかりすぎるのでお疲れ様って言いたくなったよ。お疲れ様だよ…。
> したばかり見て知らないだけでたくさんいてそれを知らないで生きているんだなって
これ本当に最近思います、通勤や用事で「通行」するだけのときは気づかなかったことがたくさんあるんだなって 知れてよかったです
「電車でいつも降りる人の顔を覚えて確実に座る」という考えの人、結構いるだろう。
私は今の会社に入って約6年間、ずっとこれを「される側」の毎日を送っている者だ。
些細な事だし気にしないようにしていたけど、6年も蓄積すると少ししんどくなってきた。
私は急行停車駅に住んでいるが、職場の最寄駅は利用者が少なすぎて急行が止まらない。
座りたいのもあって、乗り換えはせず少し早起きして普通電車に10駅分乗っている。
私の乗る電車は大都市とは違って激混みというほどではなく、ラッシュタイムも7〜8分間隔で運行している。ただ、終点に近くなると流石に立ってる人で混んでくる。
降りる時には既にかなり混んでる電車内、ほぼ人が降りない駅なのでドア前の人が全然避けてくれない。
毎朝毎朝「降りまーす」とか言いながら人をかき分けて降りてるので周りからすごく目立ってしまう。
3日ぐらいで1人2人が「あ、こいつ○○駅で降りる奴だな」とでも言いたそうな顔をしている。
5日ぐらい経つと、まだ比較的空いてる車内でも
私の目の前だけ2〜3人がお互い牽制しながらスタンバイしてるとかがザラにある。
だんだんそんな毎日に嫌気がさしてきてちょっと乗る扉や車両を変えてみるが、
そこでしばらくするとやっぱりまた別の人が覚えて、何日も同じ人達が目の前に立ってきたりしている。
別の車両では高校生が私を探しては横に座り、そのあとの駅で乗ってきた友達が私の空いた席に座る気満々だったり。
自意識過剰と言われるかもしれないが
・どこの席に座ってても探してまで目の前まで割り込んできてキープしたがる人多数
・私の降りる駅が近付くと体を斜めにして立ち上がるのを待つおじさんおばさん
・私と隣の人の僅かな隙間に弁当袋(?)や手持ちカバンを差し込んで必死な女
・同じく隙間に傘を差し込んで待つ男
でも、みんな確実に座る席を押さえたいだけで、悪意がないのは分かっている。
「別にみんなお前に興味ねーよ勘違いすんなwww」←そりゃそうだ。これはその手の話ではないのだ。
っていうかこれ、同性だろうと異性だろうと、老いも若きも関係なく気持ち悪くて困る。
これは自己分析だが、たぶん毎日毎日探されて狙われてる側としては「他人に利用されてる感じ」が気分悪いのか?と思っている。
職場で電車通勤は他に2人いるが、1人はそもそも乗車時間が短いし
もう1人は筋トレ兼ねて立っていたいそうで全然ピンと来ないらしい…。
ちなみにジグザグにいろんな扉に乗るのは今やってる。
でももう割とどこ乗っても覚えられてんのよな〜。
なんだか「そんな最寄駅の会社を選んだお前が悪い」と言われてしまいそうだが
まあそりゃ私が悪いだろうな。
でも幸い、仕事内容も職場環境も人間関係もいいし、自宅は自宅で気に入っている。
この程度の事で自宅を引っ越したり、会社を辞めたり、電車の時間を変えるのはあまり現実的ではない。なおペーパーなので車通勤はできないw
あくまで「降りる瞬間を狙われてる人間の中にはこんな風に思ってる人もいますよ…」ぐらいに思ってもらえればそれで構わない。
読んでくれた人ありがとう。
ガソリン税に消費税かかる二重課税もおかしいけどもう一歩踏み込んでほしい
先日Twitterで車の維持費で家計が苦しい〜系の話題に言及してるTweetを見ていたら、地方住まいですら年収が〇〇万円以下の場合なら公共交通機関を利用してという話をしていて驚いた
私は今はマイカー通勤だけれど、夜勤や早朝勤もあるから公共交通機関は利用できない
運転は必死でしてるし、わずかな収入を減らさないように節約節約の日々
ところで私は運転がやや苦手だ
ゴールド免許なのをいいことに速度超過は控え目になるんだけど、エンジンオイル代をケチって不調だけどあと数千キロは交換しないとか、気温が低い日でも丸一日エアコンを使用しないとか大変な環境で過ごしてる
公共交通機関が貧弱だとマイカー関連の出費がある分、生活費の減りが都会住まいより多いと思うと腹が立つ
別に都会住まいに当たり散らそうとは思わないのだが、通勤などは通常の生活をしていると自力で運転するしかないもの
こういうサポートがないことが地方の空洞化に繋がるんじゃないかとすら思う
宇部新川駅の時刻表見てから言ってほしいんだが、宇部興産勤務するのに電車通勤は難しく、ほぼ車通勤になるので、シンジが宇部興産に就職した説は無いと地元出身者は思うわけです。
俺はここ1年で何度か出かけている。飲みにも行った。
俺自身は買い物やコンビニに行く、通勤するなども含めて全ての外出前後は2週間以上空けているし、
会食、家族と同居する、通勤するなどの高リスク行動を2週間以上していない人間とだけ会っている。
(家の近所の自販機に行くだのの低リスクな外出からは2週間以上開けていない人とも会っている。)
で、飲みに行ってる奴はすんげー馬鹿!みたいな風潮ばっかりだけども、俺は自分の行動がかなりリスキーで社会悪だとは認識できないんだよな。
(当然俺自身が感染する可能性は多少あるとは認識しているが割と低い確率だし、もし感染したとしても無闇矢鱈に広めることにはならないんじゃないかなと思っている。)
むしろ独身でパートナーもいない人間が一生引きこもり続けていることの方が人生や社会に対する悪影響が大きいんじゃないかなとも思ってしまう。(これは自分の行動の正当化なだけかもしれない。)
今普通に受け入れられている、頻繁に通勤しないと行けない構成員、頻繁に通学しないといけない小学生、そこそこ頻繁に買い物に行ってる構成員で構成されている家族が同居し続けている状況とリスクは大差ねえだろって思っちゃうんだよな。他にも一人暮らしでも毎日コンビニに行ったり、一人でランチに行ったりする状況とか、より効果の高いマスクが今や普通に売ってるのに布マスク使ってるのと大差ねえんじゃねえのとも思っちゃう。
実際はてなで叩かれまくってるように俺ってすんげ〜馬鹿で、社会の邪魔で、とっとと消えるか一生引きこもっとけってぐらい社会に悪いことしてんのか?
片田舎だけど、普通に20代っぽい人らも自転車乗ってるけどな・・・
俺も通勤に自転車使うし、免許と車はあるけど、毎年たっかい税金と定期的なガソリン代と車検代を考えると車の方が処分したい
遠出する時は車無いと困るしリース契約するのも面倒だから持ち続けてるけど、車無くてもいい地域なら遠慮なく処分したい
ていうか免許の更新もめんどくさい。免許更新の時に俺の前に居た30代ぐらいの人と50代ぐらいのオッサンが、「俺これだけ違反しちゃってさ~、次止められたら免停だってw」とか話してるの見た時は時代錯誤感すごかった
違反するのがカッコいいみたいな価値観の人間って実在するのかとビビった
そもそも乗り物に対してダサいとかカッコいいなんて発想がなかった
便利不便と高い安いしか考慮してないから、もらえるなら一番高い電動自転車が欲しい
坂はどうでもいいんだけど、風が強い日は意外と困るんだよね
3連休だ〜と思ってたら泣いて起きてしまったので長々不満を書いて落ち着いてみる。
前提
・この同居している姉がしんどい。
不満点
・父(社長)と姉(社員)の関係なのに父から庶務を振られると「なんで私がやらなきゃいけないの⁉︎」が第一声。
・父が忙しく作業していても手伝わない。
・1日平均3時間くらいしか働いていないのに、自社への税金の関係で年収600万くらい貰ってる(私の3倍)。
・父に指摘するも家族だからと有耶無耶にされるせいで改善の兆し無し。
・ヒステリーが凄い。自分の意に沿わないとすぐキレる。自分の料理の手際が悪いだけでキレる。
・こちらが言い返すと何倍も言い返してキレる。
・飼い猫にも当たる。
父の釜からご飯よそってもらってる癖に何言ってんだよって内心思ってる。言い返してやりたいけど、さらにキレるから大体黙るけど。
社長に暴言吐いて癇癪起こしてる社員なんてすぐクビなのに、家族というだけで許されてるのが納得いかない。
働きぶりを見ていてそんなに貰える仕事してない。同じ給与で他所から人雇った方が優秀な人を雇えると思う。
姉と喧嘩すると「私の家だから出てけ」「稼いでから言え」など言われる。私だって出ていきたい&稼ぎたいわ。
(正規で給与の良い所に転職しろって思うかもしれないけれど、私の職業は専門職で正規採用が稀。でも長年やってきたものだから諦めたくは無い)
一人暮らししようと賃貸サイト色々見てたのに、掛け持ちしてた所がクビになったので白紙になってしまった。あーあ。
早く死にたいな。
これ見て思い出した
自分も10年以上前は「足指痛いのがずっと長引いてるしヒビはいってそうだな」と思いながら我慢してパンプスで通勤してた 当時はそれが普通で当たり前だと思ってたけど今考えるとクレイジーだな…
その後30歳になる前くらいに足指の関節からメキメキ音がするようになって、先が尖った靴やかかと高すぎる靴履いたら全く歩けないほど痛むようになった ちょうどその辺りでタイミング良くペタンコ靴・ローファー・低ヒールのブーティの流行(いわゆるおじ靴ブーム)があって、自分の仕事の変化もあって履きやすい靴に乗り換えられたから良かったけど…
今はデパートやセレクトショップで女性用のヒールがない革靴も色々売ってるけど、昔はそんなフォーマル感があっておしゃれなのはなくて高齢者用みたいなのばかりだったよね
というか「走れるパンプス」ってのがセールスポイントになって画期的みたいに扱われてる時点でおかしな話だよ 人間の足ってのは本来走れるもんだ 靴ってのは本来裸足より歩きやすくするために履くもんじゃないのか
敢えてキツいこと書くけど、
と俺は思ってるんだけど
というか、宮崎駿氏にしても坂本龍一氏にしても安易に、原発なくせ、だの「たかが電気」だの、
人類なんか滅びちゃえばいいんです、だの、コンピュータとかゲームは頭がおかしい人が作ったもんなんです、だの、
マクロスやアクエリオンの河森正治氏も地球少女アルジュナみたいなエコでロハスでスピな新興宗教のアニメ?みたいなの作っちゃうし、
例えば、オネアミスとかロケットの話だけど、やっぱり庵野氏というかガイナックスというかアニメーターなわけで、
自分のような理系の視点から見た宇宙やロケットの壮大さに対する感動とは同じようで異なっているのではないか、
つまり、彼らは理系というより文系視点というか、センス・オブ・ワンダーなところに惹かれているのであって、
一からピラミッドのレンガを積み上げるような泥臭い本当の開発現場感が、
アニメーターはアニメ制作に関しては当然あるのだろうけど、別の世界のそういう地に足のついた視点には欠けていて、
というのも、リアルな研究や開発を脚色なく描いてもドラマがないというか物語として面白くなくなる可能性がある
つまり、天才的な科学者とか理系の女性が登場したり、こんなこともあろうかとでミラクルな超兵器がいつの間にか登場したり、
実際の研究や開発は、たしかに歴史的な天才、偉人と呼ぶべき人々も存在するのだけれど、
ほとんどは凡人、サラリーマンの集合であって、地味でつまらない日々の仕事がベースになっていると自分は思っていて、
ちょっとした思いつきや閃きで壮大な宇宙艦隊戦の形勢が逆転したりとか、そんなことはありえないと思うのです
でも、リアルすぎる研究や開発、リアルすぎる戦争を描いても面白くならない
だから、ビジュアルとして美しい部分だけを切り取るのはアニメというか映像を作る側としては当然の選択なわけです
しかし、敢えてキツい言い方をするなら、アニメ作ってる人もスタジオの中に閉じ込もって、その世界しか知らないのではないか
恐れ多いのだけど、宮崎駿氏だって朝から晩までスタジオにこもってアニメを作ってる
もちろん、通勤の途中に障害のある人に出会って云々みたいな話もあった気がするのだけど、
電気なくても構わないから原発なくせみたいな主張をされても、電気なければアニメは作れない、作曲や録音もできない、
アルジュナには水中分娩の話があるらしいけど、なんの資格もない助産師が水中分娩をさせて死亡事故が起きたりしてたと思うのだけど、
そういった左翼的というか、極端な自然回帰というか、そういったエコでロハスでスピリチュアルなのに走っていってしまうのは
そういえば最近だと膣にパワーストーンだのジェムリンガだのもあったけど、膣の声に従って、仕事辞めて、孤島に集まってしまうとか、
SFというか、どちらかというとSF寄りのファンタジーを描いてる人たちってオウムみたいなのと親和性がある気がするんだよなあ
SF寄りのファンタジーって何のことを言ってるのかというと、スターウォーズ、そしてガンダムのことだったりするのだけど、
宇宙や宇宙船が登場してるけど、一方で超能力とか、それが宇宙空間で開花するとか、
こういった話はLSDとかアイソレーションタンクとかアルタード・ステーツとか、ジョン・C・リリー、ティモシー・リアリー、
それとジョン・レノンとかヒッピー、メリー・プランクターズ、フラワー・チルドレンとかサマー・オブ・ラブとか、
LSDのような幻覚剤がなにか人類の発展に寄与するのではないか、そういう時代背景だったというのもあるけど、
結局は理系の研究者でさえ幻覚剤に溺れ、なんでか自然を超常的なものとして扱うスピリチュアルな方向へ走ってしまう
人間には何か根源的にそういうところがあるのだろうか
考えてみればユナ・ボマーことセオドア・カジンスキーも天才的な数学の能力がありながら、
世捨て人のように山奥で自給自足の生活を送るようになり、しかしながら当然その生活は長く続かず、
将来的にテクノロジーが人類を破滅的に不幸にすると思ったことから、
だったら将来性がある科学者を爆弾で○せば、悲劇的な未来は回避できるんでないの?と考えたんだかどうなんだか定かでないが、
これはターミネーター2のストーリーのベースになっているが、フィクションなら面白いが、現実なら単なる爆弾魔の犯罪である
話が大幅に脱線したが、エヴァは終わっても就職氷河期が救われない、というのは言い得て妙であって、
エヴァをリアルタイムで放映していたときが就職氷河期近辺ではなかっただろうか
その時期に庵野氏は、今は飽食の時代なので心の問題を描いた、アニメではなく現実を見ろ、みたいに語っていたわけだが、
こちとら現実の就活戦線は異常ありというか悲惨な状況だったわけで、
庵野氏はエヴァを作っているとき、ちゃんとニュースとか新聞とか世相を眺めてましたか?
なんだかんだ、バブル世代の自分の価値観でアニメを作ることしか考えてなかったんじゃないですか?
と恐れ多いながらも思ってしまうのが正直なところであって
まあ、たしかに現実を見ずにアニメだとかフィクションに没入しているだけの人というのもいるのかもしれない
というか、そういう人たちに人生で出会ったこともあるが、自分がいうのもなんだが、たしかにちょっとおかしいというか、
差別的になるけど軽度の知的障害?ケーキを切れない非行少年少女?みたいなタイプも多かったし、
そういうところで昨今のDQNやヤンキーの方がアニメと親和性がある状況というのを理解できる気もする
自分で言うのもなんだが、昔は良かった話みたいになるが、
SFとかサイエンスなフィクションなわけだけど、どちらかというと理系との親和性というか、
理系からするとそのフィクションに野暮なツッコミを入れるのがネタとして話が盛り上がるというか、
自分は大学時代にみんなで誰かの家に集まって、アニメとか映画の上映会というか、
どちらかというと映像を流しっぱなしにして、各自やりたいことを黙々とやるみたいなことをやってたわけだけど、
「このディスクには地球誕生からの全てのことが記録されてます」
とか言うと、「すっげー、どういう原理だよw」みたいにツッコミを入れる奴が現れ、
その後に真面目な記録媒体の話とかネタが続いたりするという、そんな日常だったわけだけど、
多分、大阪芸術大学とか偏差値も低いし、そういう視点では観てない気がするんだよなあ
やっぱり根底にあるのはビジュアルとしてのセンス・オブ・ワンダーであって、それはチャイナさんみたいなもんであって、
電子工学科、情報工学科、機械工学科、バイオなどのオタクが集まって話すツッコミとはちょっと異なるのだと思う
まあ、ストーリーの本質は技術ではなく、結局は人間関係なわけで、
今回のケンケンとアスカではないが、そういうところにツッコミを入れるのは理系文系偏差値関係ないのだけど、
まあ、でも、やっぱりなんか違う世界に生きてるんだなあ、
当たり前だけど、恐れ多いけど、庵野氏と自分の関心の距離感みたいなのがあるとしたら、
リアルタイムでエヴァを観ていたときは近いのかと思っていたのに、
シンエヴァは未見だけど、シンゴジラ観たときでも、意外と遠いというか、同じものを見ているようで違うものを見ていたのではないか、
つまり、庵野氏と自分が同じ赤いバラを見ているのに、互いに赤いと認識しているのに、脳内の赤はまったく異なっていた、
みたいな、まあ、勝手に自分が同じような価値観を持ってるのかな、と思って勘違いしていただけなんだろうけど
そんな感じで、最近の自分はアニメやゲームへの興味が皆無になりつつあるし、
それは東日本大震災だったり、原発事故だったり、コロナだったり、自分の個人的な人生のイベントだったり色々なわけだけど、
そう考えると、シンエヴァは未見だけど、同窓会みたいなもんなんだろうかと思ったり、
自分は死んでも大学、大学院以外の同窓会には出ないと心に決めてるので、
当方30歳、女。
特定派遣という業界に思うことのある人は多いだろうが、私にとっては良い会社だった。社員の距離感が自分に合っていたし、基本給は高いとは言えないが福利厚生は十分に揃っていた。
家庭の事情で引っ越しが出来なくなり、派遣として働くことが難しくなってしまった。やむを得ない退職だった。
化学というものは自分には向いていないような気がして、全く違う業界から転居が不要な場所にある企業を片っ端からブクマし、気が向いたら応募していた。
通勤はさほど大変ではない。完全年寄り相手の事業内容には一切興味がなかったが、業務内容には興味があった。
面接はトントンと進み、あっさりと就職が決まった。「○日から来てください(その電話の5日後の日付)」って、普通いいですかとか了承を取るもんなんじゃないかと思った。
職歴に間があくと、年金とか保険とかの手続きを自分でやらないといけないことが面倒。
来てほしいって言われたし……
とかなんとか、押しに弱い性質が響いたのか、まあいいか……とここに決めてしまった。
電話が来た日は不安で、普段しない親への電話などをしてしまった。
入ってみて。
風通しの良い社風だとは聞いていた。確かに社員間の風通しは良い。
が、パートのお局2大巨頭が強大すぎた。挨拶するだけマシ、しないギャルババアもいる(本当にギャルみたいなのだ、見た目はどう見ても40代後半だが)。
雑談には一切乗らない。挨拶をしないやつが世界で一番嫌いな私は既に毛根が死にかけている。
近くにグループがあるのに、「自分だけ会話に加われない」という状況がとてつもなくストレスになるらしい。
それらしいトラウマ体験に心当たりは、あるようなないような、という具合だが。学生時代の記憶が本当にぽろりと抜け落ちてしまっているのだ。
ただし、こういう話をしようとすると、感情とは関係なく涙が出てくる。今も書きながら涙が出ている。自分の中でなにかの防衛機能が働いているのだろうとは思う。
つまり、すぐ近くにパートのお局がいるのに、自分だけ(同時に入った社員も同様なので、自分だけではないのだが…)が会話に入れず、ハブられているという今の状況は、非常にストレスになっている。
給与が低いのは別に構わない。前も高くはなかったし。と思っていたが、思ったより見合っていないと荒むものだ。それなりに良い大学は出ている。
将来性がないのはまあ構わない。こんなところいつでもやめてやるという気持ちになれる。
とにかくずっとモヤモヤし続けていて、まとまっていないのだ。
よく考えないで就職するからだろカスと言われたらまったくそのとおりである。
自分のやりたいことがわからないし、何が向いているのかも未だにあんまりわかっていない。
とにかく自己評価が低いからこういう行動をしてしまったんだろうな、とは今にして思う。
いつでもやめてやるぞーーーーー
「死にて~」「もうダメだな俺」「おしまいだ~」的な言葉を通勤帰宅時の車の中で呟くのが最近のトレンドになってしまっている。
精神衛生上実によろしくない行為であるのは分かっているつもりだ。そんな言葉ばかり発していたら、いつか本当に精神が『死』に支配されてしまうのかも知れない。(こういう考え方を言霊って言ったっけ)
それでも止めることが出来ない。自然に口をついて出てくるということもある。だけど何より、その死にたい気持ちを糧に自分は生きていると思えるから、"死にたさ"を燃やしているのだと思う。
自分はこんなに苦しんでいるのに、この上更に俺だけが死ぬなんて不公平だし、何より癪にさわる。ぜってー死んでやらねえ。といった具合だ。
ああぁ、死にたいな~