はてなキーワード: 車輪とは
10年ほど遊戯王のかなりマイナーな分野を探求してきた者です。元々はアニメ2作目の最終盤をみて、そのなかのCMであった遊戯王オンラインにハマったのがすべてのきっかけでしたね。そこからシンクロモンスターをテーマにした5D'sとZexalと来て、たどり着いたのがかの有名なArc-Vです。記憶を掘り出しているのでかなり偏りがありますが、思い出補正込みで書いていきます。
さて、この作品は賛否両論どころか、おそらく日本の糞アニメ史上の末席を汚すような作品です。遊戯王OCGという列車を運ぶ車輪の一部でありながら、その実態はとうもろこしのようにグズグズな有様です。ですがそこらのアニメ作品とは一線を画すのは、その尺の長さに加えて「主人公以外が素晴らしい」という点でしょう。脚本全体が酷いのですが、なぜか主人公に関連しないところばかりに光るものがあります。にもかかわらず、その逸材達がことごとく主人公にとっては噛ませ犬であったりするため、酷評に至っていると思われます。そのアンバランスさが、同時期に放映されていた鉄血との相乗効果も相まって、実に刺激的です。
主人公の榊遊矢(以下、遊矢)はデュエリストとしてはとても平凡な少年。彼は行方不明になった一流デュエリストの父親の言葉を受け継ぎ「エンタメデュエル」なるものを心情としている。ある日、彼は謎の力「ペンデュラム召喚」を身につける。それはその世界の誰も知らない召喚方法で、未知のカードで構成されていた。彼はその力と仲間と共に4つの世界を渡る旅に出る。
このアニメでは、過去作品のリメイクカードや召喚方法、スターシステムを採用しています。正直これでコケること自体が難しいのですが、それでもコケました。
この作品の最大の売りにして最大の失敗は、遊戯王OCGで採用されたペンデュラム召喚そのものだと思います。遊戯王ではアニメの新シリーズが出るたびに新しい召喚方法が登場しますが、中でもこのペンデュラム召喚は曲者です。
簡単に言えば「どんどんモンスターを手札やエクストラから出す」というものです。制約はありますが、後半は主人公補正でほぼ無双状態。
ただでさえ何をしているのかさっぱりわからない遊戯王で、このペンデュラムは本気でよくわからない。モンスターが魔法カードになるとかエクストラから出てくるとか、OCGをちゃんと理解していないと多分無理でしょう。それにカードの絵柄がごちゃごちゃしているので本気で見ずらい。視聴者の中には、最後までペンデュラムが何なのかわからない人もいることでしょう。まあそれは過去作品も似ていますが。
最終的に他の召喚方法と比較してペンデュラムを持ち上げようとした結果、単なる無双状態を引き起こしたあげく、他の召喚方法ででかいモンスターだすだけのよくわからない戦い方となってます。別に面白いとは思えませんが。
この作品の価値低下を最大限補助しているのが、よりにもよって主人公とは。声優の演技力が低いとかではありません。むしろちゃんとしているから困るんです。
主人公の遊矢は「エンタメデュエリスト」を自称しています。彼いわく、「デュエルで笑顔に」が心情です。この言葉、100回は聞きます。そして一度たりとも実行されたことはありません。
遊矢のいうエンタメデュエルとは、どうやら華やかな演出による楽しいデュエルらしいのです。全員ボコボコにするだけですけどね。
前述のペンデュラム召喚は遊矢が得意とする戦法ですが、これはモンスターの大量召喚を可能します。そこから各種の強力なモンスターへと繋げるのが遊矢のスタイルなのですが、別に笑顔にする要素なんてありません。視聴者にとってのみ新カードのお披露目があって嬉しいとは思います。しかし対戦相手からすると大量のモンスターがでてきて、さらに極悪なモンスターで壊滅させられるという経験をするのみ。エンタメを自称するためか遊矢は「レディース&ジェントルメン」と声高に叫んでから、えげつない展開をするのですが、視聴者にとっては「これから対戦相手をフルボッコにします」としか聞こえません。
例えば、敵役として登場した融合次元のエド(GXの人気キャラ)に対しても似たようなことを叫びながらフルボッコにして、なぜか負けたエドは遊矢のデュエルに楽しさを覚えた様子で改心してしまいます。視聴者からしてみればこのデュエルのどこに感銘を受けるのか、皆目検討がつきません。素晴らしい展開とか考えつくされた伏線とか、驚きの勝利方法とか。そんなのではなく「力こそパワー」で殴ってくるだけの遊矢に共感する人っていたんでしょうか?
あと、度々登場する父親との思い出の「スマイル」(?記憶おぼろげ)というカード。実際なんの意味もないカードです。使う場面も限られるし、使っても意味がないことが殆ど。でも遊矢はたまに使いますし、スマイルが切り札のような雰囲気を出します。でもなんの価値もないカードなんです。演出目的としても不自然すぎて気持ち悪い。
この作品では実態を持つフィールドを生成して行われるアクションデュエルが多用されます。まあそれがどうでもいい。ようは街なかに溶岩が出現したりするんですが、別にそれがなにかおもしろいわけではない。確かに空中を移動したりする要素はあっても、面白いとはいえない。作品の骨子の一つであるのに、その要素が殆ど生かされていない。5D'sのライディングデュエルとは正反対なんです。その中でも特に不評なのはアクションカード。
アクションカードはフィールド上に無作為に落ちているカードで、拾った人が誰でも使用可能。大抵はダメージ軽減の「回避」です。そしてそれを最も多用するのが主人公の遊矢。
遊矢の切り札はほぼこの回避です。ただ落ちているカードを拾うだけ。それまでの主人公にあった、あっと驚く回避方法はありません。
「ちゅどーん」
こればっかり。面白さを心情とする主人公が、劣勢では常にワンパターン。なにこれ?ちなみにこのシーンは本当に飽きるほど出てきます。というか遊矢のデュエルでこれがない回はあまりありません。ようは勝ち筋がなく、その場しのぎでしかないデッキと脚本なんです。
恐ろしいことに主人公が直接絡まないデュエルはめちゃくちゃ面白い。そのデュエルを盛り上げる登場人物も個性豊かで際立っています。
主人公が何考えているのかわかりませんが、それ以外はちゃんと自分のスタイルが存在します。黒崎は復讐と妹のため。社長は世界を救うため。権現坂は仲間のため。ジャックは王者であるため。
例えばジャック・アトラス。5D'sでは主人公のライバルであり天然な面もありますが、今作では一貫して王者です。主人公の遊矢が「自称エンタメデュエリスト」であるのに対し、彼のデュエルは本気で面白い。「キングのデュエルはエンターテインメントでなければならない」という台詞がありますが、全くぶれない。遊矢と似て圧倒的な力で対戦相手をねじ伏せるスタイルであるにも関わらず、付け焼き刃ではないきちんとした王道を行きます。デッキ自体が自分の象徴であるレッドデーモンズを中心に組まれており、それを展開しつつ防御や攻撃を丁寧に処理していきます。大げさな演出も含め、ちゃんとデュエルできる数少ない逸材です。
ジャックVSセルゲイとかいいですよね。ジャックの堂々としたデュエルと、セルゲイの偏執的なまでの美学がぶつかります。自分が一番、自分が勝ちたい、絶対に負けない。そういう自我がはっきりした同士がきちんとデュエルして勝敗を喫するという、ひどく一般的な構図が、この作品には殆どありません。それが叶う場面が時々あるから評価が難しいんです。
まあ基本的にその全てが遊矢にとっての噛ませ犬でしかないので、最高の材料を使って泥団子を食べている雰囲気を味わうのには最適です。
酷い脚本だって短い期間なら許せるものです。でもこのアニメは3年間続きました。アホみたいな脚本に3年間です。それに付き合った自分はもっと馬鹿ですね。
最初の2クールで異世界に行く人員を選別する予選みたいなものが行われますが、これがムダに長い。こんな2クールかける意義が全然わからないほど内容が薄っぺら。そしてシンクロ次元編が異様に長い。まあこれは監督やスタッフが元々5D's作っていた関係なんですが、それにしても長い。おかげで融合やエクシーズが薄い薄い。融合次元が敵の総本山なのに、結局尺が足りないのか飛び飛びな印象でしかないんです。
最終的に遊矢は世界の敵として君臨します。ペンデュラム自体が忌むべき存在だったというオチですが、アニメの質も同時に呪われていました。
ただ、主人公が悪になってしまう経緯ってもっとキチンとしてほしいんですが、当然この作品にそれを望むことはできませんでした。各種の伏線はあるものの、遊矢の戦いが世界を救うための行いという側面があってこその悪堕ちなわけです。はっきりいえば遊矢は声のでかいだけのモブ。それが悪堕ちしても虚無感しかありません。
主人公としての信念は他人の言葉をただ繰り返すだけ。中身が本当にないんです。しかもそれを劇中のジャック・アトラスから「誰かからの借り物の言葉でデュエルをするな」と言われている。いや本当に視聴者が思っていることをずばっといってくれるキングです。素晴らしい。そう、作品自体が遊矢を主人公と認めていないんです。にもかかわらず遊矢は一切成長することなくそのまま悪堕ちします。成長した末にではありません。なんとなくです。
本当に何がしたい作品なのか見当がつきません。
まあ他にも、顔がそっくりではないそっくりキャラとか、悪役としては随分小物なハゲオヤジとか、同時期放映の鉄血でも散々な社長役だった細谷さんとか。ツッコミどころ満載ですが、そこそこ面白い作品ですよ。Arc-V。
なんで黄レンジャーって食べ物担当食いしん坊さんなイメージなのかしら?
5色のレギュラーメンバーの他に
無い色の黒とか白とかの味方は
たまに甥っ子のそう言うテレビに付き合わされることがあるんだけど
見てもさっぱり分かりません。
と言うかなんで戦いたがるのか私にはさっぱりだし、
剣で私を刺そうとしたり斬ろうとしたりしないで欲しいわ。
それはさておき、
もう世間ではマスク持ってないとアウトな習慣のエチケットになりつつあるんだけど、
着用すれば暑いの間違いなし!って決まってみんな気付いてるはずよね。
拳を突き上げて言いたいときにそう言った格好ができるってだけの
そうそうあと、
やっぱり交通費ガッツリ負担してくれた方が少人数のパーティー旅行では
いいような気がするけど、
何でもかんでも対象って訳じゃ無いみたいで
え?どこに泊まってもいいんじゃないの?って
もうイメージだけの戦略の円卓で決まった絵空事なのかもしれないけど、
連休はさてどうしようかしら?って
きっとあちこちそっちもこっちも
人が大いに決まってるんだから
これはゴールデンウィークに勝るとも劣らない秋のゴールデンウィークもとい
シルバーウィークなんて言葉もうどこでも聞かなくなったぐらい2000円札よね!
そのぐらい浸透してないモノって
他にも無いかしら?って思うの。
生活費と生活費に賭ける!ってもうこれもほとんど博打的な意味合いがマックスよね。
身から出た錆にならないように、
こころして5000円ポイントを使い切るまで!って私もはてなのブログでそう言ったタイトルのブログを始めようかな思った次第よ。
うふふ。
この人よっぽどハムタマゴサンドが好きなのねって思われても嫌だし。
水出しルイボスディー茶。
手間無くボトルにお茶パック入れて簡単出来上がって仕上がりも美味しいから便利よね。
サクッと飲んで朝の目覚めね。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
乗り換えの時間ができたので、駅の本屋へ立ち寄る。店に入ると、冷房の冷たい風と本の香り、同時に僕はある若い女性に目を取られる。その人は茶髪を後ろでくくり、麻のようなベージュの帽子と白い薄手のtシャツ を着て、黒い車椅子に座っている。骨折か、それとも足が動かないのか、見ただけでは判別はつかないが、車椅子は車輪を自ら廻して移動する種類のものではなく、右手のレバーで操作できるようなものだった。
どうしてか僕は、その人に話しかけてみたいと思った。恋なのかもしれない。やれやれ、僕はこんな突然一目惚れするような奴だったのか、しかしナンパするような奴でもないぞなどと思いつつ、本屋なので本を物色し始めた。
気がついたらその人は居なくなっていた。
もう二度と会うことはできないんだと感じた。
話しかけておけばよかったと後悔の感情が少しだけ湧いてくるが、すぐに消えた。
そうして僕の短い恋は終わった。
今日コンビニで買い物してたら通路の向こうから中年の女が来た。
俺はカゴ持ってたので相手にぶつからないよう脇によけて歩いた。
お互い端に寄ればすれ違えるのに女はほぼ真ん中歩いて来て案の定俺のカゴにぶつかって、
「痛い!」
とでかい声で言った。
俺は反射的に
「すみません」
と謝ったが釈然としなかった。
てめーが端に寄ってすれ違おうとすればカゴにぶつからずに済んだし、痛い思いもせずに済んだし、俺も謝らなくて済んだ。
つまり誰も嫌な思いせずに済んだ。
てめーの配慮の無さをなんで俺が謝らなくちゃいけないのか?
「痛ーい!」
いやいや俺が通過してから横切ればいいじゃん。
なんで待てない?
譲れない?
その時も俺は謝った。
てめーが飛び出して来たからだろ?とすげーむかついたけど。
ぶつかったらお互い「すみません」でいいじゃねーか。
お互い「すみません」で丸く収まるじゃねーか。
てめー一人被害者か?
横一列になって歩く若い女たちが歳食うとこうなるのか?
むかつくぜ。
存在があまり知られていないのだが、各教科書には教科書準拠のガイド本(俗に言う「虎の巻」)というものがある。
別に特別な書籍というわけではなく、教科書を販売する書店であれば必ず置いてあり、手に入れるのはさほど困難ではない。
私は、この「虎の巻」で大きく成績を伸ばすことができたので、そのメリットを紹介したい。メリットは4つある。
(教師も是非薦めるべきだと思うのだが、授業の重要性が相対的に薄れるからなのか、特定会社への利益誘導になるからなのか、薦める人は非常に少ない。
それでも、高校で数学の教師がその存在を教えてくれた。1年生の時点から「虎の巻」の効果を十分に感じることができ、成績も大きく伸びた。その教師には本当に感謝している。)
1つ目は、「教科書ガイド」たる本来の意味でのメリットではあるが、教科書を良く理解できるようになることだ。
それも「虎の巻」はオールインワンに構成されているので、理解にかかる手間も少なくて済む。例えば、英語や古典なら新出単語の説明も記載されているので、辞書を引く手間が省ける。
何より、「教科書準拠」という属性は、問題集として最強である。なぜなら、他の問題集を購入しても、「授業」という生解説は付いてこないのだから。
それに、教科書の理解は成績に直結するので、勉強する側のモチベーションも格段に上がる。これが、問題集の中でも「虎の巻」だけが、途中で挫折することの少ない理由である。
部活や風邪など、授業を1回休んだだけで、その内容に付いていけなくなる科目は多いが、そのリスクが緩和できる。誰かにノートを取ってもらう必要も無い。
「虎の巻」には、教科書の流れ、演習問題の解答、解く際のポイントが全て書いてある。授業を休んだとしても、「虎の巻」を読めば、授業で行う内容は概ね理解できるだろう。
もちろん、「虎の巻」だけで勉強できると思ってはいない。しかし、解答を保有することは非常に強い。
解答があれば、自分がわからない部分は、この解答の「どこ」なのかが具体化できる。具体化できたなら、その部分を指し示しながら、学校なり塾なりで質問することができるわけだ。
テスト前にノートをキレイにまとめ直すのは無駄だとよく言われるが、ノートは「車輪の再生産」であり、作成すること自体がそもそもの無駄である。
「虎の巻」には、問題の解答や授業の流れが書いてあるのだ。ノートは真っ白な冊子に書くのではなく、「虎の巻」にマーキングし、差分に当たる分だけ書き込めばいい。
数学の理解につまずくのは、その多くがノートを取るのに手一杯で、教師の話す強調ポイントを聞き取ることができないからだという。
白紙からノートを構成するのに比べたら、そんなリスクは格段に減るだろう。それに、ノートを全て取りきれなかったということも無くなるだろう。
(逆に言うと、このあたりが一部の教師から、「虎の巻」が邪道だと言われる理由である。教師が教えた内容を、素直に一からノートに起こす学生が真面目に見えるようなのである。)
そして、個人的には一番重要だと思う4つ目のメリットは、予習主体の学習ができるということである。
「虎の巻」には、解答やポイントが書いてあるのだ。授業に先行してそのポイントを読み、実際に問題を解くことで、先に書いた通り、自分のわからない部分を具体化できる。
すると、極端な話、授業はそこだけ聞けば良いことになる。よって、予習することによって授業中に暇が生まれてくる。
そして、その暇を更に予習に充てるのだ。英語なら先の単元の和訳をしたり、数学なら先の単元の問題を解いたり。授業の進度に十分先着したら、学校から配布されたワークブックを解くのだ。
すると、テスト勉強期間には一通りワークブックまで解き終わっており、テスト勉強は、ワークブックの間違いとまとめの問題を再度解くだけ。
その余裕は、綿密にノートをまとめ直す復習ではなく、「虎の巻」によって手軽となった予習によって生まれるのである。
予習によって授業中に暇が生まれ、その時間をさらに予習に充てることで、モタモタした授業をテスト勉強へと繋げる正のスパイラル。そうすれば、予習において自分で問題を解く機会も増え、受験対策にも直結する。
以上のように、授業を休みがちの学生にも、授業をまともに聞かずさっさと先行したい学生にも、「虎の巻」はうってつけなのである。
在宅勤務が続く中、書類作成のためやむを得ず出社したら会社の駐車場に見慣れない車が2台止まっていた
上司に相談すると、「動かせないようにチェーンでぐるぐる巻きにしてやれ」と言われたので、2台の車輪をチェーンで巻いて南京錠でロックしてその日は帰宅
ところがその車実は取引先のお偉いさんの車だったようで、社内は犯人捜しで大騒動になっているという
上司に相談すると「黙ってればバレやしない 絶対に誰にも黄蓋するなよ」と口止めされてしまった
確かにこのまま黙っててバレなければいいのだが、もしバレたときには間違いなく上司はシラを切るだろうし自分の単独犯にされてしまいかねない
2つの点で魅力的な案だった。誘われたのが僕で、誘ってくれたのが彼女だったからだ。それ以外は最悪だった。説教などしたくはないが、真面目に答えることにする。
「あのさ、みんなそういうの止めようって自粛してるんだよ。控えようとは思わないの」
「むしろ逆でしょう。明日までは"要請"で、それ以降は"命令"なんだから」
自由に遊べる最後の日ですもの、と言うので、僕は上司に休みをもらうと連絡した。
会うのは久しぶりだった。駅の東口、喫煙所で煙草を吸って時間を潰していると、向こうから彼女がやってきた。都合15分ほど待たされたが、特に申し訳なさそうな様子もない。自分を地軸か、グリニッジ天文台だと思っているのだろう。
我々はとりあえず全く人気のない元繁華街を歩き回り、そのゴーストタウンぶりを満喫した。スクランブル交差点で無意味にぐるぐる大手を振って回ってみたり、いつも行列の店に5分で入ったりした。
そういえばタピオカ流行には乗り遅れた、というので、有名店を探してしばらく歩いた。紡錘形のカップにカラフルな色のドリンク、そして黒ぐろと浮かぶタピオカ。実を言うと僕も初めて飲むことになった。一応人気店ではあるらしいが、人っ子一人おらず、普通に買えてしまった。
「こんな風にドッと流行って、すっと収まってくれたらいいのにね」
お前は誰の目線で怒っているのだ、と思わなくもなかった。
カップの中で滲んでいる黒い影は、ニュースで見るウイルスにそっくりだった。
貸し切れるなら何がいい?と相談した結果、次に映画館へ赴いた。
営業時間は短縮されていて、本数も少ない。係員は皆、マスクを付けていて表情が分からない。
ポップコーンだけはなぜか平常時と同じくらい作られていて、あんな量誰が食べるのだろうと僕は不思議に思った。
券売機で見ると、なんと一人も客が居ない上映時間があるではないか。内容には毛ほども興味はなかったが、ホール一つを貸し切れるのならばと我々は即断しチケットを購入した。
内容はやはりイマイチだった。貸し切りのつもりだったのに、途中で大学生風の男が入ってきてしまった。
仕事を休んでまでロックダウン・モラトリアムを楽しんでいた自分も、人のことを言えた義理ではない。
僕は目が悪く、暗いところから明るいところに出ると、その差に目が慣れず、時々立ち眩みを起こしてしまう。
「まるで酔っ払ってるみたい」
「なら、映画館なんて入らなければよかったのに」
とはいえ、手を握って支えてもらえるので、決して悪い気はしなかった。しばらく散歩しながら、色々な不安を語り合った。どうしようもないことは、一度手放して時間を置くことが必要なのだ。自分の手から離すためには、誰かに話すことが一番だった。
「優しいお父さんだったのね」
そうだったのかもしれない。でも、父については分からないことが多いままだった。もっと話しておくべきことは沢山あったのに、ないがしろにしてしまったのは僕だった。
「ねえ、明日東京がロックダウンするっていうのは、実は嘘なの」
でも、その具体的な内容を僕は思い出すことができなかった。
「明日も、明後日も。大きくは変わらない。象徴的な出来事なんて起こらないし、生活は錆びた車輪みたいに金切り声を上げるけど、誰にも届かない」
「もし、次に生きて会えたら、もうちょっと面白い映画を見ましょう」
「いいね」
そのようなことを話して、僕らは帰路についた。