はてなキーワード: 親孝行とは
山上容疑者の母親は、統一教会の前に「実践倫理宏正会」という組織にも所属していたという証言が出ている。
https://www.dailyshincho.jp/article/2022/07131132/?all=1
母親がこの組織の熱心な信者の私が、どういった組織なのかを軽く紹介したい。
かつては子育て世代の母親が主要な信者層となっていたようだが、現在は高齢化が進んで地域の婆さんコミュニティのようになっているところが多いと聞いている。
とはいえ、少ないながら若年層の子育て世代の母親もいるので、会誌(倫風という書物が発行されている)には、子育ての在り方や、家族の在り方が昭和テイストに書かれている。
「結婚してからの真面目な女性誌」みたいなものと思っておけば、だいたい間違っていない。
会誌の令和3年1月号が手元にあったので軽く目次を列挙しておく
このように主婦層をターゲットにしていて、その層に向けた内容が多くなっている。
「朝起会」(あさおきかい)という朝早く起きて集会を行うことを重視している。
ちょっと朝が早いとかじゃなく、朝5時など半端じゃなく早い時間に集会が開催されている。
この集会では、会誌の内容について語ったり、自分の家庭の体験談などを語ったりしている。
ランチ女子会ならぬ、早朝女子会みたいなものだろうか。朝早すぎるけど。
他の活動はほぼ無い。
戦後復興期に広まった会のため、基本的に日本の経済復興に向けて人々を鼓舞・啓発するような内容が多いのが特徴だと思う。
宏正会は、朝起会を重視しているため、特別な日(年始など)の早朝は大規模な集まりがある。
主に、自民党の地方議員(県議会議員など)が多く、人数の多い会場では自民党の国会議員などが来ることもある。
とはいえ、各議員も基本的には自分がどれだけ議員として仕事をしているかをアピールして行くだけで、挨拶周りの一環以上の意味は無いと思う。
宏正会は、創価学会のように特定の党に投票するように呼び掛けたりすることもなく、どの党に投票しても何も問題が無い。
保守層が多そうな集まりのため自民党支持者は多そうだが、政治的には中立の集まりと考えてよいと思う。
他所の宗教に比べても、ほとんどお金のかからない宗教だと思う。
私の母親は活動を熱心にしているが、朝起会に熱心に通っているだけであり、お金を貢いでいた様子は無い。
会費はあるようだが、年間2000円ほどのため大してお金はかからない。
ただ、事実上の宗教ではあるので勧誘活動があり、あまりに勧誘に熱心すぎると地域で孤立しかねず、大変かもしれない。
親が会員だという点で差し引いて読んで頂いて構わないのだが、私が見てきた範囲では全般的に緩めの宗教かなと思う。
「朝早く起きて、元気に挨拶して、人の悪口を言わずに、しっかり働く」という教義自体も尖ってはいない。
創価学会のように選挙に熱心でもなく、統一教会のように強引な寄付もなく、幸福の科学のようにユートピアとか言い出さないし、ワールドメイトのようにヤバイおっさんが教祖でもない。
家庭崩壊するような害は無いように見えるし、山上容疑者の母も統一教会に切り替えなければ破産しなかったのではないかとさえ思う。
30人いたら10人〜15人くらいはそうやろ。2,3人は少なすぎ。広とか宣とか正と入ってたら大体そう。
ブコメで「命名料高そう」って見たけど無料やで。まあバリエーションがそんなにある訳でも無いんですが。
池ちゃんの好物やからやね。サッポロポテトとかのときもある。あれは高校の倉庫に在庫があって池ちゃんからの配布支持が出たら取りに行くんや。教員職員生徒会なんかはたまに賞味期限切れそうなお菓子もらえるで。
というか7月やねんからかき氷の話思い出せや。創価の7月はかき氷や。倉庫に置かれへんから大変やねんぞあれ。
たまにふらっと学校きたりしたらそりゃもうお祭りよな。原点認定されてお前らの人生この出会いを大切にしろーって言われる奴。
年何回かの幼稚園と東西校結んでの中継で海外来賓招いて名誉教授授与式したりスピーチしてもらったりした後に池ちゃん独演会な。内容は増田の書いてる通りトルストイとかゲーテとかドストエフスキーとかホイットニーとか、まあその他諸々の詩人哲学者のセリフ引用して勉強しろいじめするな平和が最高読書しろ親孝行しろ!って言う奴。お陰でちょっとその辺の人物には詳しくなったわ。
今はもうほとんど人前には出ないけど、東京校とか創価大学には現れるみたいな話は聞くな。ほんまなんやろか。
なんか事あるごとにピアノ弾きたがるんだけど、左手がずーーーっと同じ位置なんよ!!!和音で一拍ずつじゃーんじゃーんじゃーんと弾くんだけどずーっと同じ。右腕の方は拙いけどまあ頑張ってますね位の引き方するせいで不協和音がすごい。何が創価のシンフォニーだよ(ここ創価爆笑ギャグ)
創価といえば学会歌の指揮とかいう扇子踊りだと思ってる人、本質はピアノですよ。
俺も似たようなネットで真実知ったアナーキーな中高生活してたからなんとなくシンパシー。勉強はできたから勉強会(創価の)で「池田先生は勉学第一って言ってるけど君ら全然勉強してないよね???」みたいな話して場凍りつくの好きやったわ。それでも同窓会行ったら有名企業とか銀行とか医者とかいるから中高時代の勉強なんか当てにならんわ。
俺は長男だから、この家を継いで守らなきゃならん。子供の頃からそう思って生きてきた。自分の父親だってそうしてきたんだもの。
県外の国立大学に進学した。一時的に違う環境に身を置く修行と思っていた。卒業したら帰るからと、彼女はおろか友達もろくに作らなかった。
地元の田舎の数少ない大卒の正社員の就職にありつき、実家に戻った。なかなかの学歴を得て地元就職。親孝行な息子だと言われるのが、何より誇りだった。
休日には地域の行事に参加したり、庭の手入れに時間を費やした。チャラチャラ遊び回ってる奴らとは違うと自分に言い聞かせていた。
やがて結婚適齢期と言われる年齢になった。
あれ?どうやって相手探すの?
今どき、そんなお節介焼いてくれる人もいない。
ろくに遊んでこなかった。地元に残った同級生からも、変わり者扱いされていた。
同居希望の田舎の長男。むしろ敬遠される存在になってしまっていた。
けど、この生活を変えるなんてプライドが許さなかった。それを捨てるのは、自分が信じてきたものが全部なくなるようなものだった。
こうして、子供部屋おじさんの出来上がりとなった。
正直自分は幼児期から出来が良くて勉強もすごくできたけど、親、特に母親からは手放しに褒められた記憶なし。自分の子どもの出来が良いことに喜ぶようなそぶりもなし。
どんなに良い成績を獲っても、一番ましな時で「あんたの100分の1でも○○(弟)ができたらね」と疲れた顔で言われた記憶しかない。悪い時は「成績が良いからって調子に乗るな」と言われる始末。
小さい頃から「生意気だ」「育てにくい」「贅沢」「気が強い」「わがまま」と言われ続け、小学校高学年になった頃には反抗期で親との関係は悪かった。
ずっと成績は良かったけど、相変わらず良い成績を獲っても特に誉められず、常に「扱いづらい娘」という空気を母親には出されていた。
「あんたがいくら勉強できても、○○(弟)の方が優しいし、人間そっちの方が大事」みたいなことを何回か言われたこともある。
母親は精神疾患持ちで、物心ついて以降少なくとも小学校の時、高校の時の2回長期入院。
特に高校の時は反抗期で荒れていた自分のせいにされているような空気を感じていた。(実際の原因は職場にあったよう)
母親からは妄想も入り混じって時には暴言吐かれたし、こちらも相当なことを言っていたと思う。
他の親が当たり前にやってくれる様々なことはやってくれず、他の親が関心を持ってくれること(成績とか)には全く興味がなく、ただただわがまま言わずにとにかく大人しくしといてくれ、としか思われていない感じがずっとしていて、辛かった。
弟の軽度知的障害も母親の精神疾患も恥ずかしかったし、障害の有無関係なく弟のことは人間的にあまり好きになれなかったし、今もなれていない。
そんな家族が嫌で早く出ていきたくて、勉強して良い大学に入って良い企業に入ってお金を稼いで家族とは物理的にも精神的にも距離を置けることを願っていた。
離れてからは母親との関係も改善して、たまの里帰りは楽しくできるようになっていた。弟の存在はやっぱり嫌で、両親亡き後のことを考えると本当に気持ちが暗くなって、自分が一人っ子だったらどんなによかったか、とよく思うようになった。
問題ばかりの家族で最悪な環境だったと思っていたけど、弟さえいなければ両親のことももっと好きになれたし、普通にまあまあ良い家族になれたんじゃないか、と何度となく夢想した。
子どもが出来た時は弟のこともあり、遺伝カウンセリングが胎児エコーなどできることはなんでもやった。
今のところ子どもは健常で、幼児期の自分と同じように周りよりも発達が早くて賢くて自慢の子どもだ。
自分に似て気性が荒いところもあるけど、そこも含めて本当にかわいくてかわいくて仕方がない。
自分の子どもを育てるうち、自分には母親に手放しで可愛がられた記憶が一切ないけど、もしかすると弟が生まれるまでは自分もこんな風に愛されて可愛がられていたんじゃないか、と思い始めた。
確かに自分に子どもが2人いて、そのうちの1人は平均よりもずっと勉強ができるがもう1人は知的障害でごく普通の人生さえ送れない、という状況だったら、どんなに平凡でも2人ともに「普通」であってほしい、と願うかもしれない、とも思った。
自分の子どもに障害があるかも、という状況でその不安を隠して上の子を愛情いっぱいに育てられるようなキャパは確かに母親にはない。
もし知的能力が移譲可能な世界であれば、私は弟に足して2で割った差分を譲るべきなのか。
幼児期の私の気持ちはどうなるのか。小学校の時の私は。中学高校の私は。
頑張っても親に褒められず喜ばれず、何をしても疎ましそうな顔で見られ、二言目には「贅沢」「わがまま」「上を見過ぎ」と言われる。
今、褒められないながらも勉強を頑張ったおかげで、社会的にはまあまあ成功している部類だと思う。子どもの頃散々親に言われた「贅沢」で「上を見過ぎ」な生活を送っている。
親は、そんな言葉をかつて娘に投げかけたことは綺麗さっぱり忘れ、高学歴で社会的に成功している娘家族を、昔からそうしてきたかのように褒め、出来の良い孫を褒め、手放しで可愛がっている。
ただ、今どうしても許せないことがある。
人並みの親孝行として両親を家族旅行に誘うと、当たり前のような顔で弟も連れてくる。
良い大人なので、連れてくるなとは言えない。
でも、小さい人間だと言われるかもしれないが、最悪だった家族環境で努力して手に入れたこの私の幸せな家族に、両親は屈託なく参加し、そこに私が嫌っていることを間違いなく両親も知っている弟を平気な顔で毎回連れてくることが許せない。
弟が一人で留守番できないということはなく、両親が私の家に泊まるような時はさすがに連れてこない。
両親はあまり出来た人たちではないので、この気持ちをぶつけてもオロオロするだけだということはわかっている。
両親は両親でかわいそうな人たちだということもわかっている。
自分達には手に余る障害児育児に苦しみ、上の子の反抗期に苦しみ、自分や妻の精神疾患に苦しみ、という時期を経て今は子育ても仕事も落ち着いて、孫も可愛くて、幸せそうにしている。
そこに水を差すのは心苦しい。
でも、幼児期からのこの自分の苦しみを、誰にも言わず、自分だけの中にとどめておくのが辛い。
両親にぶつけたいと何度も思ったけど、もう老い始めているあの人たちから納得のいく弁明を聞けるとも思わない。
ただただ辛い。
旅行に弟が来なければ、ただの親孝行としてこちらも楽しめるのに、と思う。
これからも弟を連れてくるのなら、もう二度と行きたくないと毎回思う。
連れてこないでほしい、と言うことがどんなに大人気ないことかもわかっている。
どうしたらいいのかわからない。
もちろん衣食住に困ったことないし、習い事にはそれぞれ好きなもの通わせてもらってたし、三人兄弟で共有とはいえクリスマスにはゲームも買ってもらってた。
家が貧乏だって気づいたのは大学進学の際に奨学金を借りることになった時。収入を書く欄があるんだけど、そこで改めて我が家の収入を見て「え?なんか少なくない?」って思った。
提出のときに同じ第一種(無利子)で要望出す友達にそのことを伝えると、「家も割と少ないんだなって思った〜」って言ってた。だから、(まあそうか、みんなそんなもんか)って思ったんだけど、その後第一種で通ってたのは私だけだった。
奨学金って成績と家庭の経済状況で判断されるんだけど、私とそんなに成績が変わらない友達も落ちてたので、そこで初めて、(あ、うちって貧乏なんだ…)って自覚した。
そういえば、何かねだったときに母親はよく「お金がない」って返してたけど、あれは諦めさせるための言葉ではなく、本当にお金がないからだったんだと思った。
私の大学進学も、奨学金(無利子)と叔父からの支援と国立、そして片道1時間強のバス通学によってようやく成り立つものだった。
今の私は社会人となり一人暮らしだが、働いて給料をもらって生活をして、初めて家計を握っていた母親の凄さが分かった。あの頃どうやってあの収入で家族5人が生活できていたのかが本当にわからない。
小論文を書く練習で、どんな体験をしたことがあるかを書き出すことがあった。
「随分教育熱心なご家庭なんですね。ご両親は教職につかれていますか?」と質問された。
親から離れて暮らしているが、年々親に対しての嫌悪が強くなっていく
それくらい嫌悪感がある
特に父親が嫌いで、理由は小さい頃からすぐにキレて暴言を吐くからだった。
自分自身が気に食わないと「面白くねえ」「お前は気が狂っている」と連呼し不愉快を周囲に当たり散らした
体裁を気にする人間で、自分が昔、新卒で入った職場のパワハラで精神的に耐え切れずに仕事を辞めた時に
真夏の中汗だくで面接に行ったし、祈られる度に次こそはと頑張り続けた
けれどそんな事を知らないし、知ろうともしない父親は「早く働け」「どうして働かない」と言う
「もうこの親と付き合う事は出来ない」と自分から徹底的に距離を置く事にした
電話は基本出ない。メールは定型文で1行。書面は見る前に捨てる。
仕事は退職→就職活動を経て1年半程度で今の会社に入社出来た。
幸運にも環境に恵まれ、パワハラモラハラすら無く、上司や部下と和気藹々と仕事が出来ている
じゃあこの文章は終わりかといえばそうではない
何故なら父親は未だに自分に対して仕事を強いるという、おぞましいモンスターに成り果てたと言う結論があるからだ
必ず「仕事頑張って」をメールの文章に入れる。コロナが始まる以前からそうだったが、
このコロナ禍でもすべてにおいてあの男には仕事と言う言葉しか無い
何度も何度も「仕事を頑張って」「仕事を頑張って」「仕事を頑張って」と言う
コロナに罹らない様に日々身体に気を付けてだろうがこの低能ボケカスが脳味噌にウンコ詰めてんのか、と思いながら
自分は脳味噌ウンコモンスターに定型文一行をbotのように返信する
最早父親に何の愛情も無く、あるのは嫌悪感だけで生きているし、ずっとこのままなのだろうと思っている
最近では故郷(クソ田舎)でのステータスを上げたいらしく、「公務員の子供がいる」事を自分に求め始めた
なんとこのモンスター、今度は自分にメールで「公務員募集がある」と意味不明の地元(クソ田舎)の就職情報を送り出した
前述のように、自分は何年も前から上京し、そこで既に就職しているのである。年齢だって30代。
それなのにクソ田舎に戻れと。今いる仕事を捨てて、父親の望む仕事をしろと。
マジで「ボクちゃんの考えたステータスのための美しいストーリーの礎になれ」と言って来るのであるこの脳味噌ウンコモンスターは
自分が精神面で多大なストレスを受けた結果退職した事を、この脳味噌ウンコモンスターは一切覚えていない
その原因。逃げ出した業界を、脳味噌ウンコモンスターのステータスのために、もう一度受けろなどと寝惚けた事を言って来ている
純粋に自分の親はあたおかなんだなあ、と仕事中に何だか残念さを悟ってしまったからこの日記を書いた
もう何年も実家には戻っていない。
きっとこれからも帰る事は無いと思う。
母親とはそれほど仲は悪くないが、父親と一緒にいるのなら今後会う事は無いだろう。
自分は定型文botとして生き、今後も好きなように自分の人生を生きたいと思っている。
毒親自慢とか、こんなの毒親じゃないとか、自分はもっと辛かったとか、そういう意見はどうでもいいです。
親がこの年齢になっても子供をマジで縛り付けようと考えている事に耐えられずに書いただけなので。
客観的に見ておかしいでしょ。30代の子供の就職を決めようと思ってるとか気持ち悪すぎるんですよ。
後悔するとかそういうのも求めてないです。もう親子関係の修復を求めていないんです。終わりなんですよ全部。
10億円あっても、じゃあその10億円をまるっきり資産運用に回せるわけではない。全財産資産運用に回してる人いないでしょ?最初は自分でインデックスファンド買ってたけど毎日数千万円が動くのは仕事にならなかった。プライベートバンキングで1%以上の手数料を取られるけどそちらに一任した。
言い寄ってくる人とかいるのかと思ったけど一切なかった。新聞に載ったりしたし、自分の周囲の人は知ってるはずなのだが。宗教や寄付の誘いも一切なかった。
高い家賃のところに行くと住民の質が高い。必然的に子供の友達も上品な人が増えるというのは正直ある
10億円程度ではいい中古の話も回ってこない。資産数百億の知り合いのところには有名建築家の物件情報などが回ってきているので、ハイソサエティーというか文字通り住んでる世界が違う
興味がない。いつでも買えるというのは気持ちがいい。以前よりこういう店に入る時の気持ちの余裕ができた。なお妻は豪遊している。
ここにじゃぶじゃぶお金を使えるのは本当にありがたい
親の住宅ローンを返済したり、車を買ってあげたりできたのは嬉しかった。また親の悩みもほとんどお金で解決できるのはありがたい。夫婦喧嘩もお金があるから避けられているというものは多い「タクシーのれば?」「食洗機買えば?」「ベビーシッター読んで出かけようか」など喧嘩のタネがかなり減らせる
手に入れるまえに資産運用の練習をしておくのがいい。たとえば私はリーマンショックの経験を資産100万円の頃にしていて非常にショックだったが、そこから回復した経験もあるので今ある程度のお金を預けても安心していられる。
創作じゃないと仮定した上で書くけど、文章の端々に自己弁護や身勝手さが現れててホストの性質を表してるなと思った。
留学資金を親に頼めないから(動機は清純でしょ!、親孝行でしょ!)
仕事は充実しているし、同僚たちとも仲良くやれている。(女は破滅したけど俺は順調だよ!)
今更できることはないので、そう思うよりほかない。(他人だから後のことは知らないよ!)
そんなに「君は実はいい子なんだよね。しょうがないよ、女の子はもともとそういう子だったんだよ」って言って欲しいんだね。
だいたいタイトルでかもしれないとかぼやかしてるのが自分に対する甘さを表してる。
なんか「自分は本来はホストとかやる人じゃなくて、親孝行で志の高い大学生で、かつ就職した真っ当な人間」みたいなこと思ってそう(少なからず読み手にそう思わせるような書き方してる)なのが正直気持ち悪い。
心根はそこらのホスト以上にグロテスクで腐ってるよ。破滅に追い込んだ女を見下し、自分は悪くなかったと正当化し、増田に書いて承認欲求を得ようとするのに、自分は責められないように仕掛ける狡猾な性格の持ち主だから。
別に罪悪感とかは感じなくていいから、自分はこういう性根の腐った人間だと自覚し、そこを誤魔化さず生きて欲しい。むしろ誇らしく周りにも喧伝するくらいがいい。
以前から旧帝大と早慶MARCHはどっちがえらいのか?という話があって、昔はそれはただの学歴厨同士のプロレスにすぎなかったのだが、
最近はどうも東京一極集中のせいか早慶MARCHのほうが本気で優れているという認識があるようだ。
東京一極集中というか、東京の私大文系的な感覚が社会のメインストリームになりすぎているというべきか。最近総理大臣も東京の私大文系の人ばっかりだし。
例に挙げられているTwitterでの創作で表現されているのは田舎ディスりではなく、勉強することが階級上昇に寄与しなくなってきたことに対する怒りではないかと思う。
勉強して地方を抜け出して東京の大学に入ったはいいが、東京育ちの人たちが地の利と親の経済力で自分よりも遥かに豊かな文化的資本を享受しているのを目の当たりにするのまでは昔から繰り返されている話ではあるが、
昨今は地方都市の衰退が進んで、一生懸命勉強した人が(特に文系で)まっとうな就職をしようとしたら東京に向かわざるを得ないところまで来ているようだ。
公平な開かれた競争で一生懸命がんばって勝ち抜いたつもりが、ゴールについてみたら全然違うコースを楽々走ってきた人たちがいたらそりゃ腹も立つというものである。
田舎というと国道沿いのイオンが出てくるというのが、まずだいぶ解像度の悪い話で、ひょっとしたら創作したのは北関東の田舎の人ではないのかな。
関東には「田舎」と「地方都市」の区別がついていない人が結構いるのだ。
特に北関東の人たちは東京までの物理的距離が都会と田舎を分けると思ってるみたいで、地方都市の真ん中らへんに住んでいた人を捕まえて「俺たち田舎の人間は」みたいなことを言って自分の不見識を晒したりする。(これは自分の実体験)
地方都市で旧制中学の流れを組むトップ公立高校→旧帝大というのは非常に輝かしいコースで、その中で暮らすことをよしとするかどうかは別として地方都市の親孝行なエリートコースとして機能しているのだが、
問題は地方都市の衰退によってそのヒエラルキーを上り詰めて得られる果実がどんどん小さくなっていることではないかと思う。
東京育ちで早慶MARCHに行くのがなによりも就職に有利だというのは実に由々しき問題で、出自によらず個人に栄達の機会を与えるという明治以来のシステムが壊れ始めているということで、とても不健康なことだと思っている。
真面目に勉強して日本の司法試験を受けるのではなく、もってうまれたハンサムな顔を生かして人から金を引っ張ってアメリカに留学して弁護士になるやつが日の当たる社会でいいのか、ということだ。
何がいいたいかっていうと日本の社会が少しでも公平な機会を若者に与え続けるなら、常に地方旧帝(+駅弁とは呼ばれないレベルの国公立)は早慶MARCHなんかより優れているとされるべきなんだよ。
ちゃんと勉強した人たちは投票に行け。このままでは安倍晋三が東大に行く社会が来るぞ(それに近いことはすでに起きてしまったが)
以前から旧帝大と早慶MARCHはどっちがえらいのか?という話があって、昔はそれはただの学歴厨同士のプロレスにすぎなかったのだが、
最近はどうも東京一極集中のせいか早慶MARCHのほうが本気で優れているという認識があるようだ。
東京一極集中というか、東京の私大文系的な感覚が社会のメインストリームになりすぎているというべきか。最近総理大臣も東京の私大文系の人ばっかりだし。
例に挙げられているTwitterでの創作で表現されているのは田舎ディスりではなく、勉強することが階級上昇に寄与しなくなってきたことに対する怒りではないかと思う。
勉強して地方を抜け出して東京の大学に入ったはいいが、東京育ちの人たちが地の利と親の経済力で自分よりも遥かに豊かな文化的資本を享受しているのを目の当たりにするのまでは昔から繰り返されている話ではあるが、
昨今は地方都市の衰退が進んで、一生懸命勉強した人が(特に文系で)まっとうな就職をしようとしたら東京に向かわざるを得ないところまで来ているようだ。
公平な開かれた競争で一生懸命がんばって勝ち抜いたつもりが、ゴールについてみたら全然違うコースを楽々走ってきた人たちがいたらそりゃ腹も立つというものである。
田舎というと国道沿いのイオンが出てくるというのが、まずだいぶ解像度の悪い話で、ひょっとしたら創作したのは北関東の田舎の人ではないのかな。
関東には「田舎」と「地方都市」の区別がついていない人が結構いるのだ。
特に北関東の人たちは東京までの物理的距離が都会と田舎を分けると思ってるみたいで、地方都市の真ん中らへんに住んでいた人を捕まえて「俺たち田舎の人間は」みたいなことを言って自分の不見識を晒したりする。(これは自分の実体験)
地方都市で旧制中学の流れを組むトップ公立高校→旧帝大というのは非常に輝かしいコースで、その中で暮らすことをよしとするかどうかは別として地方都市の親孝行なエリートコースとして機能しているのだが、
問題は地方都市の衰退によってそのヒエラルキーを上り詰めて得られる果実がどんどん小さくなっていることではないかと思う。
東京育ちで早慶MARCHに行くのがなによりも就職に有利だというのは実に由々しき問題で、出自によらず個人に栄達の機会を与えるという明治以来のシステムが壊れ始めているということで、とても不健康なことだと思っている。
真面目に勉強して日本の司法試験を受けるのではなく、もってうまれたハンサムな顔を生かして人から金を引っ張ってアメリカに留学して弁護士になるやつが日の当たる社会でいいのか、ということだ。
何がいいたいかっていうと日本の社会が少しでも公平な機会を若者に与え続けるなら、常に地方旧帝(+駅弁とは呼ばれないレベルの国公立)は早慶MARCHなんかより優れているとされるべきなんだよ。
ちゃんと勉強した人たちは投票に行け。このままでは安倍晋三が東大に行く社会が来るぞ(それに近いことはすでに起きてしまったが)