はてなキーワード: 親孝行とは
32歳でまったく食えないがやりがいだけでアルバイトを続けているんだけど、どうしてこんな事になったんだろうとふと思うと悲しくなる。
いわゆる普通の人は、普通に働いてそこそこの給料をもらい、良いものを食べ、適度に親孝行できていると思うのだけれど、
俺はなんのスキルも持たず、スキルもなく職歴もアルバイトしかないので転職もできず、仕事をやめる度胸すらない。
親も年老いて、働いておらず年金ぐらしだし、それでいて自分は親の面倒も見ることができない稼ぎしかないのだ。
どうしてこんなに不幸なのか、若い頃の自分はどうしてこんな不幸になるという見通しが立てられずに生きてきてしまったのかと、
ふと思って死にたくなる。
今となっては「ただ助からないまま死ぬしかない」ということを受け入れるしかないのだろうか。
助かりたい。
先日、お母ちゃんと妹との女3人で2泊3日の北海道旅行に行ってきた。
実は日本でコロナ感染者が出るすこし前の実家帰省時に(2019年の秋冬)、
「来年の6月は北海道にいこう」という話をしていたのだけど、コロナでまあいろいろ流れていったので、数年来の実現だ。
ちょうど母が仕事をもう辞めてもいいかなという時期になって、たまたた妹もそれまで働いていた職場を退職をしたので、
「今行かなきゃ全員の休みは合わせづらいだろう」と提案したのがきっかけだった。
妹と話し合って、基本的には母親へのプレゼントとして姉妹2人で払おうと内密に話していたのだけれど、
父が小遣いを一人1万円ずつ、計3万円を母に渡してくれたので食費がそこでまかなえ、
結果的には私たちの大きな負担は飛行機代と宿泊費だけで済んだ。お父ちゃんありがとう。
※父だけ置いていったのではなく、父は家族や親戚が集うイベントには私が生まれたときから基本いない。
当初、母は7泊ぐらいして道内の行きたいところ全部まわりたいと話していたのだけれど、
それは私の仕事の都合とか諸々含めてなかなか難しいので
「いやもう1回で全部行ききるのは諦めて、2、3回にわけていくぐらいにしなきゃ!」という説得からスタートした。
札幌と美瑛と網走と十勝と小樽と後なんか他にもいきたそうだったけど、そもそも旬の季節は美瑛は特に限られてるし、大体私以外誰も運転できないから無謀だろよと。
結果的に、千歳空港からスタートして、札幌と小樽をめぐる2泊3日の旅に。
2日目の小樽が雨風で見たい物がイイ感じに全て見られたわけではなかったけれど、母が行きたがっていたところは概ね全部行けた。
北海道大学、サッポロビール、夜景、小樽の街並、ニッカウヰスキー。妹が食べたがっていたジンギスカン、乳のなにか、新鮮な魚貝……。
あと何故かどこに行っても1日1回は道行く地元の人から「旅行ですか?」と話しかけられたのも面白かった。関西弁がうるさかったのかしら……。
札幌の展望台にのぼる方法がてんでわからなくて行き方を尋ねた場所で、なぜかそこを利用していないのにご親切に割引券をいただけたことも有り難かった。
旅が終わったあとも母親から「楽しかった」「また行きたい」「私たちがいったあの店が旅行雑誌にもでている」と連日感想が送られてくる。
楽しんでくれたようで何よりだし、私も楽しかった。下手くそでまったく映えない、でも思い出深い写真がたくさん撮れた。
ポニーと一緒のところを撮ってもらったのに撮影者である妹の影がポニーの顔ぜんぶ隠してるとか、食べかけのホッケとか。(笑)
同時に、実家で過ごしているときとはまた違ったかたちで母の年齢を感じる(逆に年齢の割に元気なところもあったけど笑)時間にもなった。
北海道は、母が死ぬまでに行きたいと話していた土地のひとつだ。
でっかい地平線が見たいらしいけど、それは今回の旅では見せてあげられなかったので次回はぜひ良い時期の美瑛に連れて行ってあげたい。
あとは主に海外に行きたいらしいけど、
海外は……円安がこのまま加速するならもう来世にお願いして、私たちは死んだあとの母がその土地で生まれ直すことを祈るしかない。
そういうことに恵まれてこなかった分、こうやって仕事はしつつだけど気軽に旅行へ行くことはできる。
コロナになってからは基本的に実家の近場でしか過ごしてこなかったので、久しぶりにとても良い時間になった。
母親があと一年以内には死ぬんじゃないかと思う。今84歳なので特別なことではない。
一か月ほど前、老人ホームで食事中に吐いて、病院で検査して10日間くらい入院した。
意識はあるようだったが、意思の疎通はできなかった。移動は車椅子である。
退院した少し後に介護認定の更新があり、要介護5になった。その前までは要介護2だった。
父は約9年前に81歳で認知症と肝臓病で死んだ。医者によると老衰ということだった。つまり、母は父より6歳下。
なんとなく、父が死んだら母も長くはないんじゃないかと思っていたが、意外と長く生きている。
母には父の遺族年金が出ているが、老人ホームの出費の方が当然大きいので貯金を食いつぶしている。
まだあと5年くらいなら貯金は足りそうだが、それを超えると悲惨なことになる。
そろそろ先が見えてきたので、安心してもいいのかもしれない。
親に対する感謝とか愛情とかないのかと怒られそうだが、無いというのが正直なところである。
まだ、父が生きていたころ、すでに認知症だった母が実家の様々な物を業者を使って一気に処分したことがあり、その時に自分の中で母は居なくなった。
学生時代からとってあった本や雑誌の切り抜きやカセットテープなど思い出の品がほとんどなくなった。父もたくさん持っていた蔵書がなくなり、かなりショックだったようだ。
それ以前から、両親に対して興味はなかったが、この時が決定的だった。
世間体のためというか、こんな母親のために自分の価値が下がるのは馬鹿馬鹿しいので、母親を攻撃するようなことは何もしない。
むしろ、母を立派な老人ホームに入所させる親孝行を演じているが、コロナ禍をいいことに面会にはいかないし、
コロナ禍以前も何かのついでに面会しても話すことが無いし、さすがに老人ホームのスタッフさんたちには正体がばれているのではないかと思う。
あとは、母の死が変なタイミングにならないことを祈るばかりである。仕事の大事な時期や、プライベートの予定がある時期は避けてほしい。
思い返せば、自分が子供の頃から、なんとなく悪いタイミングで部屋に来たりする母親だったので、この祈りも叶わないのかもしれない。
うちの実家、兄と俺が大学出た時の年収夫婦合わせて500万なかったと聞いてひっくり返ったよね
関東圏暮らしで物価は安くないし高校まで県営住宅に住んでたけど兄の就職を機に家まで買って(頭金かなり入れてたけどどうやって貯金したんだよ)
兄弟両方私立の中高大学出してるんだからどうやったんだよマジで
ちなみに奨学金は借りてない、おかげで返済もない
そらまあかーちゃんがフルタイムのパートで働いてたから俺らで飯作ったり弁当作ったりくらいはしてたし
家族旅行なんて中学以降はほとんどなかったが代わりにノートパソコンやらゲームやらでは遊んでたから不自由なかったしな
大学も実家から通えたってのは明らかに大きいとは思うけどそれにしたってよく耐えたよとーちゃんもかーちゃんも
1000万円ですら子どもいたら余裕がないってニュース見る度にうちはなんだったんだ…ってなってる
兄弟独立後は同じノリで老後資金貯めてるみたい、俺らが世話しなくていいように
いやーありがたい親だよ、たくさん親孝行してえな
これは違うと思うなあ。
整形した人間は子供を作るな。不妊手術を先にしてからならどうぞご自由に。
https://toyokeizai.net/articles/-/592147?page=5
「大学生のころ、課題論文で美容整形について取り上げたことがあるんです。テーマは“日本で美容整形に偏見が持たれる理由とは?”。日本と韓国の美意識の違いとか、両国の整形というものに対する考え方の違いについて掘り下げました。たとえば、日本の昔ながらの考え方では、“自分の身体に傷をつけてはいけない”、“親にもらった身体を大切にしなくてはいけない”という強い思いがあって、オリジナルを次代に継いでいくことが親孝行とされる傾向があります。
妙に気分が落ち込んだ状態で書いているので、半分嘘くらいの感覚で読んでくれると嬉しい
30歳になって少し経った。Twitterで同年代の結婚出産報告を見かけることが増えた。特に絡みはないので「へぇ、そうなんだ」と思って終わりなんだけど、ふと自分はこの先どうなるんだろうと考えてみる時もある。
特に何も思いつかなかった。
強いて言うなら、親が動けなくなったら介護しなきゃいけないんだろうな~という程度。双方60過ぎで今は元気だけど、さすがに前と比べれば老いた印象を受けるし、本人たちから体調に関する愚痴を聞くようになった。あと10年は大丈夫かもしれないがその先は微妙だなぁ、という感じ。施設に入るとか言っていたがどのくらい本気かは分からない。
でまぁそれはともかく、それ以外に何もなかった。親を看取って、家とか家財とかお金とか墓とかをどうにかした後のことがさっぱり思いつかない。
結婚するつもりはない。こんな根暗ブスを好いてくれる人がいるとは思えない。いたとしても私が受け入れられない。根暗ブスを気に入る時点で人を見る目がないに決まっている。もしくは気の迷いだ。もっといい人がいるからその人と共に頑張ってほしい。
それでも一応、親孝行のつもりで1年くらい結婚相談所に登録したけれど、送られてきたメッセージを読んだだけだった。どうしたらいいか分からなかった。返事をして期待を持たせるのも失礼だし、かといって断るのも失礼な気がする。会ったこともないゴミクズに断られて凹んだり悩んだりする時間がもったいない。恐らく何通も送っているだろうから有象無象の中に埋もれて忘れていてほしいと願いつつ退会した。私が自腹でそこそこ払ってこの結果だったからか、親からは「結婚しないのか」とは言われなくなった。もしかしたら来年あたりにはまた言われるかもしれないが。
似たような理由で子供を産むつもりもない。自分が母親だと思うだけで子供がかわいそうになる。責任感もなければ甲斐性もなく根性もない。ついでに言えば視力も聴力も低い。頭も悪い。親は孫の顔が見たいのかもしれないし、それが親孝行になるなら見せたい気持ちも1mmくらいは存在するが、自分の欲求のために他人の命を左右する気持ち悪さの方が勝る。孫(子)は顔を見せて終わりじゃない。その後何年何十年にも渡ってたくさんの困難を乗り越えなきゃいけない。それをすべて投げ出さずにやり遂げられると思えるほど私は私を信用していない。こうやって愚痴を書き連ねて防衛線を張って行動しない理由を探してばかりいるクズが他人と共同生活を営んで、あまつさえ子供を産み育てる? 無理に決まっている。
というわけで、親を看取ってから自分が死ぬまでの人生が空白で、その空白が億劫だと感じている。幸いにも今は定職があって給料もそれなりにもらえているが、それだっていつまで続くか分からない。
とりあえず孤独死してドロドロになって親戚に迷惑をかけることだけは避けたいと思っている。しかしそれまでの空白をどう過ごせばいいんだろう?
あれはおまえら庶民も喜ぶし銀行や医者、田舎の物産にもお金がまわる。
「まともに自宅建てていきるのに銀行に手数料とられる?じゃあ国が所得税控除でもどしてあげますね」住宅ローン控除
「まともに働くため治療しようとしても医者にかかるかねが高い?じゃあイカ同文」医療費控除
「まともに田舎の父母に親孝行しようとしてもお礼に要りもしないかぼちゃやすもも200個ばっかりおくってくる?じゃあ」ふるさと納税
ついでにヒキニートを養っている場合は未成年か障害の診断がでてればこれも控除をうけられるよな。
「まともに投資しようとしても証券会社の手数料とか高いし損もしかねない?じゃあ国が」 NISA枠で買えば損益通算とかで損しないようにしてあげるね、と。
結局、生活保護とかで貧乏人、働けない人、に金をあげようとしてもヤクザがまとめて援助金をもっていってしまう。
老人の年金の場合はオレオレ詐欺とか年金めあての虐待とかもある。
で、しかも被害者は被害の自覚がなかったりストックホルム症候群でヤクザやオレオレ詐欺の受け子、虐待もどきの介護者にだけ感謝して政治家には感謝しない。
こういうことに国(政府と行政のお役人)はもう飽き飽きしているんで
頭のしっかりした若い人は控除をうけまくって年金くらいにお得な制度を活用してくれってことなんだよ
受取口を国に提出してくれればワクチンのお礼とかいっぱいこまごまと送れるから
とりあえずヤクザに架空口座として売り渡すまえに自分で登録しろってこった
高校からバイトを始めたら家に金を入れるよう言われて、毎月1万、2万、5万…と最終的には毎月10万円を家に入れていた。
自分の学費も捻出しなければならないしある程度小遣いも欲しかったので、奨学金もめいっぱい借りた。それが大学卒業まで。
求められる金額が増えた時期に、これ以上は払えないと拒むと「誰が育ててやってると思ってるんだ。高校(大学)まで行かせてやってるんだぞ」とヒステリーを起こすし、友達と遊びに行ったことを話すと 「お前は金があっていいよな」と嫌味を言われた。
パート帰りに毎日寄り道をして、酒に酔って帰ってきていた。酷い時には泥酔して玄関で寝ていたり友人に引きずられながら。
私は学校も休まず通いながら毎月何万も出しているのに、親に毎日酒を飲んで帰って来られるのは気分が悪いし家のためにももう少しセーブしてくれないか、と頼んだら口論になった。
「こんな状況で酒くらい飲まないとやってられねぇんだよ」と怒鳴られたので、それ以降は言及することをやめた。
社会人になり何年か経った。
タバコと酒と車が好きである。毎日潰れるまで飲んでいるらしい。
「金ないならタバコやめろ」
「金ないなら酒やめろ」
「車を売れ」
本当にどのツラ下げて言っているんだろう。
言っていることはごもっともだが、自分のしてきたことは全て忘れているのだろうか。
そりゃまだ中学生の娘に金を持ってくる力はないから親が捻出するしかないけど、よくもまあ偉そうに。虫唾が走る。頭がおかしい。
鬱病になり生活費が捻出できずリボ払いが嵩んだ。鬱の寛解に数年を要した。
今は無事に復職し、親とも離れて暮らし、そこそこ楽しく暮らしている。
その反面、給料日には家賃光熱費通信費リボ払い奨学金食費を抜くとほぼ赤字ギリギリの生活が続いている。
そうしているうちに、タバコと酒がやめられなくなった。
赤字になるので嗜好品はやめるべきと頭では分かっているのにやめられず、会計の金額を見るたびに心が折れそうだった。
金がなくて何も出来ず時間を持て余す。
今ではどうすることもできない生まれや育ちについて余計なことを悩んでは気が狂いそうになる。
「こんな状況で酒くらい飲まないとやってられねぇんだよ」
母の言葉を思い出す。
悲しいのは、いい歳こいて自分の苦しみをまだ親のせいにし続けていることだ。恨んでいるうちは気持ちが縛られ続ける。