はてなキーワード: 被災者とは
※ネトウヨ 七生報國二生@sinsyu_samurai2
#拡散
朝倉の大豪雨で、母親が赤ちゃんを庇いながら亡くなった。そのお通夜に、鬼畜朝日新聞が突撃し、受付で遺族を呼べと取材要求。貴様らマスゴミは、被災地と被災者の惨状ばかりセンセーショナルに報道し、新聞を売る為なら遺族の絶望に追い討ちを掛けるのか?それが血の通った人間のやる事か!! pic.twitter.com/kzynK2bH1q— 七生報國二生 (@sinsyu_samurai2) 2017年7月8日
九州豪雨災害で亡くなった母子のお通夜で、朝日新聞の記者が強引な取材をした、という趣旨のツイートが流れていますが、そのような事実はありません。朝日新聞社はお通夜の会場や、その周辺での取材はしていません。今回の豪雨で被害に遭われたすべての方々に、心からお見舞い申し上げます。— 朝日新聞西部報道センター (@asahi_seibu) 2017年7月9日
http://blog.livedoor.jp/googleyoutube/archives/51929600.html
2016年8月8日、「象徴としてのお務め」に関する天皇陛下のお言葉以降、退位へ向けた法整備が進んできました。
私は、陛下のお言葉を拝聴して以来、この事態を大変憂慮しております。
私は、我が国の国民のために献身的に尽くされている天皇陛下のお姿、例えば、東日本大震災の被災者や先の大戦の戦没者に対する慰霊、特に、パラオをはじめとする国外の様々な地域へのご訪問など、陛下の務められる幾多のご公務を通じて示されているご意志とお気持ちを全面的に信頼しております。
先のお言葉の中で示されたお気持ちは、単なる「存在」としての「象徴天皇」ではなく、「行為する存在」としての「象徴天皇」のあり方に対する強い決意と自負の表明であり、「十分に行為できなくなった天皇」が「象徴」の地位にとどまり続けることこそが、やがて象徴天皇や皇室に対する国民の信頼を失わせ、その結果として皇室の存続を危うくすることにつながるという強い危機感の表明である、と私は理解しました。
しかし、私は、この陛下のお気持ちの示され方について、敢えてご諫言申し上げねばなりません。
先の大戦で、私たちの国は、天皇を神格として祀り上げ、天皇の名のもとに、悲惨な戦争を戦いました。国内外に甚大な死者を出したこの戦争は、国策の誤りでした。
私たちは日本国憲法の代表される戦後の政治体制のもとで、天皇を日本国と日本国民統合の象徴として位置付けることで、政治的権能から切り離しました。
天皇の権能を非政治化し祭祀と国事行為に限定することは、むしろ日本国と日本国民にとって素晴らしい知恵であったと考えます。非政治的な存在として祈り慰霊するからこそ、私たちはそのお気持ちを信頼し、共にひとつとなれるのです。もし政治的権能を有する者であったなら、その政治的行為に対する責任が生じ、過ちがあればその責任を追及し責めを負わせなければならなくなります。仮にその政治的行為のために報われない者が生じれば、その者たちは行為者に対して怨嗟の感情を抱くこともあるでしょう。政治的権能を有しないからこそ、日本国と日本国民統合の象徴でありえるのであり、私たちはその心を信じることができ、癒しを得ることができるのです。
今回のお言葉によって、国会は退位を可能とする特例法を制定しようとしています。しかし、これは明らかに、天皇陛下のお言葉が立法過程へ影響を与えたことになり、天皇の政治的行為可能性をひとつ押し広げてしまったことは間違いありません。
また、2017年5月21日に毎日新聞が、天皇退位をめぐる政府の有識者会議における専門家の発言に対して、不満を漏らされたと報じました。「自分の意志が曲げられるとは思っていなかった」と述べたとされています。毎日新聞の報道を受け、発言をした専門家(しかも一人はすでに故人)が陛下の生き方を全否定しているなどと強く批判されました。
もしこの発言が事実であるとすれば由々しきことであるのは言うまでもありません。天皇の意志とは異なる形で立法作業が進むことを天皇自身が阻むことになれば、それはもはや政治的行為そのものです。天皇が自らの意志を表明して、政治的行為を直接行ったり、また間接的にでも強い影響力を及ぼすことは、象徴としての天皇の位置づけを揺るがすものであり、上で述べた天皇の行為による癒しを損ない、むしろ皇室に対する信頼を危険に晒すことになると考えます。
あるいはこの発言は事実ではなかったのかもしれません。しかし、天皇が、たとえ自らの地位や出処進退に関することであったとしても、意志を表明し影響力を与えることができる可能性を広げることは、天皇の意志を僭称し、それをもって国民を動かし、一定の政治的成果を得ようとする者を産むことにつながるのです。天皇の意志に基づいていると見せかけて、特定の個人が糾弾されることは、戦後私たちが作り上げてきた象徴天皇制の枠組みの中で、極めて異常な事態なのです。
私たちは、今回のように「天皇の意志」が示された、あるいはそれが僭称されたことで、容易にその意向に沿おうとしたり、それによって個人を糾弾したりしてしまう傾向を今もなお強く持っています。だからこそ、天皇の意志が直接にはもちろん間接的にではあっても政治的影響力を持つことがないよう、意思の表明を極めて抑制的に限定し、同時にそのことで、祭祀と慰霊という行為を通じて、天皇を日本国と日本国民統合の象徴たらしめ、同時にすべての日本国民が等しく癒しを得ることができる仕組み─「象徴天皇制」─が大切なのです。
陛下は先のお言葉の中で、「十分に行為できなくなった天皇」が「象徴」の地位にとどまり続けることが皇室の存続を危うくすると述べられました。しかし、私たち「臣民」は、どうぞそこまでご心配なさらないでください、と申し上げなければなりません。たとえ陛下が十分に行為できなくなり、代行者を置かなければならなくなったとしても、私たちは陛下のお心を、そしてこれまだ果たしてこられたその行為を決して忘れることはないし、またそのことで皇室を廃そうなどと考えることは決してございません、と。むしろ、政治的影響力を与える可能性を広げてしまうことの方が、象徴としての「存在」を穢し、皇室に対する国民的信頼を損なうことになってしまうのです、と。
天皇のお言葉を根拠にしている人たちを、根拠を示さず妄想と言い切る増田。
は?普段から原発被災者は甘え、沖縄県民は土人発言するお前らが何言ってるんだ?
憲法の何を捻じ曲げてるのかわからないが、天皇個人の人権を求めることが民主主義に反しているというのならその根拠は何?
関心関心。
「かんしんかんしん」の漢字は感心感心なw
馬鹿すぎる。いつから首相が国民の総意の代弁者になったんだよw 首相はあくまで内閣の代表でしかない。
はてサはてサ言っている連中って一貫して根拠を提示することなく具体的な話をせず、するのはいつでも罵倒だけだよな。そういうのどこかで教えてもらうの?
「よかった」にはいろいろな意味がある。
ツイッターで流行った「#東北でよかった」の「よかった」は、純粋な「喜ばしい」の意味だろう。
これらの文では、交通事故にあったこと、空き巣に入られたことを喜ばしいと言っているのではない。
さらに言えば、寝たきり状態や死亡に至らなかったこと、盗人と鉢合わせて怪我をしなかったことは、純粋な「喜ばしい」ではない。
不幸中の幸いだと言っているにすぎない。
そもそもそんな事は起こってほしくはなかった。しかし、最悪の事態よりは被害は少なかった。
そういう意味だということは、声をかけられた方も分かるはず。
社会資本等のですね、毀損もですね、ま、いろんな勘定の仕方がございますが、25兆円という数字もあります。これは、まだ東北で、ですね、あっちの方だったからよかったんだけど、これがもっと首都圏に近かったりすると、もう莫大な、甚大な額な被害があったというふうに思っております。
ここでの「よかった」は、純粋な「喜ばしい」ではない。
東北で地震が起きたことを喜ばしい、とは言っていない。
自分たちには大した被害がなかったから喜ばしい、とも言っていない。
被害金額の比較として用いている。日本全体として見れば不幸中の幸いだと言っている。
その日本全体という視点、被災地に寄り添っていない視点が問題なのだが、それは後で述べる。
ここで言いたいのは、ブコメでもメディアの見出しでも「よかった」を「喜ばしい」という意味で解釈していたり、そう受け取られる見出しにしている場合が多い、ということ。
単なる「東北でよかった」では「喜ばしい」の意味で発言したと誤解されてしまう。
いくら字数制限があっても、「まだ東北でよかった」とするべきではないか。
先に挙げた「#東北でよかった」のハッシュタグも、それ自体は面白い取り組みだが、あの発言での「よかった」の意味を誤解させるという点で少し心配だ。
東京直撃に比べれば被害は少なかったと言える。それは事実だ。
ではあの発言は問題ないのか?そうは思わない。
先述のように、不幸中の幸いなのは日本全体として見た場合であって、被災者にとっては何の慰めにもならない。
たとえば、夫・妻・息子の3人家族でドライブ中に交通事故にあい、息子だけが骨折で入院したとする。
息子を心配する夫妻へかける慰めの言葉として、「一家の大黒柱である夫が怪我をしなかっただけ、まだよかった」は不適当だ。
夫妻が意気消沈して日常生活もできないほどなら叱咤激励としてありだが、普通は「うちの息子のことはどうでもいいのか?」とカチンとくるのではないか。
ましてや夫がそう発言したとしたら、夫婦喧嘩になって息子も心に傷を負うだろう。
先述の「交通事故にあったそうだが、骨折による入院だけで済んでまだよかったね」のように、個人の枠内で収まる不幸中の幸いを当人に対して言うならば「よかった」を使っても誤解は起こりにくいが、「被害者当人にとっては慰めようもない不幸だが、集団全体として見ると不幸中の幸いと言える」という状況の場合、「よかった」や「幸い」は被害者の疎外感を生む。
使っていいのは被害者本人だけだろう。
「僕は骨折しちゃったけど、お父さんが無事でまだよかったよ」と。
このたとえ話の夫の立場は、今回では首都圏の人々、もしくは中央の政治家。
その中央の政治家の、よりにもよって復興相の発言なのだから重大だ。
それでも、まだ辞任するほどではないと思う。
「まだよかった」と言っているのは人的被害に対してではなく、金額に対してだ。
本来なら、「東北でもあれほどの被害額に上ったが、これが首都圏だったなら...」と言うべきだったが、ついつい、話し言葉として使い慣れている「まだよかった」が口をついて出た。
そういう釈明で収まると思う。
しかし、「あっちの方」という言葉が致命的だ。
復興相なのに被災地に軸足を置いていない。完全に他人事。対岸の火事だ。
これでは言い逃れはできないし、させてはならない。
実際の辞任の経緯は知らないが、私が「これは辞任すべきだ」と判断した決め手はこの言葉だ。
同じ指摘をしているブコメもいくつかあるが、少ないなあと感じる。
どう転んでも辞任は当然なのだから、「まだ東北でよかった」を「東北でよかった」と誤解させるほど文字を切り詰める必要はなかったと思う。
将来、親自民派が「これだからマスコミは信用できない」と吹聴する隙とならないか心配だ。
このはがゆさと違和感を整理しておきたくて文章にしたら長文になった。失礼しました。
「言い間違え」が問題となっているけど、本質は功利主義的な視点から震災被害の「結果」を天秤にかけたところが問題ではないか。義務論的な視点から批判すべきではないかという話。
マスメディアが報道する「単なる言い間違えでは済まされない」という批判には「言い間違えであっても被災者を傷つけた」という被災者に対する情や思いやりといった「想像力」が問題とされている。この視点も大臣の資質という点において、もちろん大事ではあると思う。
ただ、「まだ東北で、あっちの方だったから良かった」という発言、「首都圏に近いようだったらもっととんでもない災害になっているだろうという意味で言った」と釈明について「想像力の欠如」だけではなく、倫理学的な批判もできるように思われる。
今村大臣の発言(釈明も含む)には、一貫して「東北」と「首都圏」を天秤にかけるという視点が見受けられる。すなわち、「結果として、どちらの方が甚大な被害だったかということである」。これは倫理学理論でいう「功利主義(帰結主義)」的な解釈であるといえる。
ただ、この「天秤にかける」ということ自体が問題視されなければならない。今回は功利主義的な量的な比較は必要なかったからである。
震災の被害はどこで生じたとしても「ここで良かった」と結論づけることはできない。こうした倫理的な正しさ自体について問う場合には、功利主義的な視点はバツが悪い。(もちろん、功利主義が有効な場合もあり、功利主義自体を批判している訳ではない)
今回は「義務論」的な視点から批判することが必要であったのではないか。「正しさ」とは何かを考えた上での批判、「天秤にかける」視点自体への批判が必要であるように思われる。
発言の撤回、最終的には辞任となったが、今回の騒動から「功利主義」と「義務論」という倫理学理論について学びとることは有意義であるように思う。
みなさん、こんにちは!ここに来ることができ、とてもうれしく思います。今回の日本訪問で、我々は、日米両国の素晴らしい同盟関係を再確認しています。ですので、皆さんに感謝を伝えたく、ここに立ち寄りたいと思っていました。兵士の皆さん、家族の皆さん、ありがとうございます。皆さんは、日米同盟の中核を担っています。感謝いたします。
「ウォーターボーイ」ことブシェー大佐、ガルザ最上級曹長、ありがとうございます。大勢の人たちがいますね。下士官、上級下士官、将校、一般兵士、国防省の文民職員。家族の皆さん、声を聞かせてください!
黄川田外務大臣政務官、福田市長、国会議員の方々、園田海将補、自衛隊員の皆さん、この場にお越しいただいた日本の友人の方々に、感謝申し上げます。素晴らしい、岩国市民の方々にも、お礼申し上げます。母国を遠く離れて使命を果たしている米国兵士への皆さんからの温かい歓迎は、わが国にとって、非常に大きな意味を持ちます。皆を代表してお礼を申し上げます。ありがとう。
なるべく手短に話をしたいと思います。というのも、できる限り多くの皆さんと握手をしたいからです。先に注意しておきますが、自撮りはご遠慮ください。そうすると、一日中ここにいなければならなくなるからです。
しかし、まずなによりも、米国大統領として、米軍兵士の皆さんの最高司令官であることは、この上ない名誉であることを、申し上げたいと思います。皆さんは米国民を守り、世界中で平和と安全を促進しています。「戦没者追悼の日」の週末を皆さんと迎える機会をうれしく思います。なぜなら、この日は、危険と犠牲が皆さんの仕事の一部であることを思い出させ、自由のために命を捧げた人々を決して忘れず、敬意を払わなければならないことを、再認識させてくれるからです。
大統領として私は、米国が再びアジア・太平洋地域で主導的な役割を果たせるよう、取り組んできました。なぜなら、この地域は、我々が共有する安全保障と繁栄にとって不可欠だからです。そのためには、安全保障での協力が必要です。貿易協定、人々の間で築かれる関係が必要です。そして、優秀な、日本の自衛隊員と協力して、米軍兵士が域内で実施する、誇りある奉仕活動が必要となります。
ご存知のように、今日の午後、私は広島を訪れます。これは、第二次世界大戦で命を落とした、全ての人々を追悼する機会であり、核兵器をもはや必要としない世界の平和と安全を求める決意を確認する機会でもあります。広島訪問は、最も痛ましい亀裂でさえも埋め、かつて敵同士にあった日米がパートナーとなるだけでなく、最も緊密な友人となり、最も強固な同盟国となることが可能だということを示す証左となります。
日米同盟の強さは、ここ岩国で端的に示されています。岩国基地は、両国の信頼、協力および友好関係を示す好例です。米国海兵隊は、自衛隊と力を合わせ、平和を守り、域内のパートナーと連携し、人道支援および災害救援を行っています。皆さんは、フィリピンとタイを襲った洪水やバングラデシュに壊滅的な被害をもたらしたサイクロンの対応にあたりました。2011年の東日本大震災では、救助・救援活動で、極めて重要な役割を果たしました。日米は共に、域内で、数え切れない数の人命を救ったのです。このことは、我々の大きな誇りです。
ここでの皆さんの奉仕は、自由、民主主義、人権、法の支配といった、今日、日米両国が共有する価値観に根ざしています。その結果、日米同盟は両国だけの安全保障にとって不可欠となっただけでなく、域内および世界において、欠くことのできない安定の源であり、繁栄の土台となっています。皆さんは、我々の生活の質を支える礎なのです。
最後に、日米同盟の本質を如実に語る、素晴らしいエピソードをひとつご紹介します。テッサ・スノー大尉はどこにいますか? この場にいるはずですが、、あっ! いましたね。スノー大尉は、オスプレイのパイロットで、先月の熊本地震の際、自身の飛行隊を率い、被災者へ人道支援を行い、物資を届ける任務を遂行しました。ある日本人一家は自宅の倒壊を恐れ、何日も屋外で過ごすことを余儀なくされました。皆さんの取り組みにより、その一家をはじめとする多くの被災者が、食料や水など必要な物資を受け取ることができたのです。
さて、その一家ですが、6月に女の子が生まれる予定です。テッサの任務のおかげで助かったことを知り、生まれてくる子どもに、テッサにちなんだ名前をつけると決めたそうです。家族は、誠実さ、勇気、責任感、進んで他人を助けようとする気持ち、といったテッサと同じような素養を備えた大人に育ってほしいと願っているそうです。
これらは、海兵隊の基本的価値観ではないでしょうか? 幾世代にもわたって、米軍兵士を特徴づけてきた素養であり、日米両国が持つ最も優れたものの象徴でもあります。皆さんの奉仕によって、人間の尊厳と自由に対する日米が共有する決意は、この地域および全世界で、存続していき、この地域は繁栄していくでしょう。そして、我々はどこに行っても、希望を広め続けていくでしょう。私は皆さんを誇りに思います。日本側に感謝いたします。米軍をこの上なく誇りに思います。
皆さんと皆さんの家族に神のご加護がありますように。そして米国に神のご加護がありますように。皆さん、ありがとうございました。
変わり映えのない家族愛に注目した特集が多い。無難で分かりやすいからだろうか。御涙頂戴でPV視聴率稼ぎやすいからだろうか。
実際のところ家族愛など微塵も感じたことのない毒親に悩む人間だっているんだけども。
外野からはとてもじゃないけどそんなことは言えないし、内野からでもわざわざ言うことでもない。オフレコでしか流通しないエピソードを見聞きする人はいるでしょう。
非被災者がいい加減なことを言うんじゃねぇ、と、被災者や不謹慎厨は言う。分断。
ここにもちょっとしたポリコレとポリコレ棒の問題が存在するように感じる。
ポリコレというか、弔い合戦というか、死者にゲタを履かせ花を持たせたい心情というか。
報道側・外野側の気持ちもわかる。無難だし、攻めたことをするのは覚悟が必要なのもわかる。かくいう私も増田でね。
個人的、ミクロ、主観的には震災はまだ続いている人もいる。しかし社会全体のマクロとしては、もう感傷に浸ることから抜け出さなければならない段階であって、そういった段階だからこそシン・ゴジラが作れるわけでしょう。冷静さと客観性を取り戻してきているわけです。
なのに先へ進めない時代。シルバーデモクラシーや感傷、反知性などによって合理性が蔑ろにされる。
鉄道の復旧なんかでもそういう話がチラホラと。元通りにするよりも、かねてよりの問題も鑑みてアレコレしたほうがマシでは?がポシャったりする。
いや元増田の考えと認識はどうか知らないけど。私はそう思った。
こういう、発達障害とか鬱病とかアスペとかコミュ障とか言われる、精神的な問題って、共感されないし同情されないよね。
同じ様に(それこそ自殺を考える程に)苦しんでいるにも関わらず、被災者は共感され同情され、何より支援される。
かたや精神的問題は自己責任だと叩かれ、絡み辛いと遠巻きにされ、カウンセリングは(場合によるが)保険も効かない。
ここに不公平感がある。
つまり、元増田の怒りの対象は被災者ではなく、共感出来る不幸には物質的・精神的に救いを差し伸べるが、そうでない不幸には寧ろ石を投げる、世間・社会なんじゃないのか。
コミュ障や精神疾患は、周囲から叩かれ疎まれ、それにより更にコミュ障になり、更に叩かれる無限地獄。
かく言う私自身も、周りに居るそういう人を個人的に助ける事は出来ない。
同情はするし出来る範囲の事はしたいと思ってるが、家族や旧友でもなければ彼等を好きになれないし、積極的に関わるのには莫大なエネルギーが必要だからだ。
人に助けて貰う為には先ず好かれるか同情されなければならないが、そこで躓く。
ひと昔前は発達障害や鬱病という言葉も認識されて居なかったので、今よりも更に「怠け者」「性格が悪い」という認識をされ易かった。
そういう意味では今はマシにはなってるが、不十分だと思う。
秋葉原無差別殺人事件の加藤なんかは、そういう負のループから生まれた面も有ると思ってる。
彼が「社会」「世間」に攻撃したのはある意味当然の帰結ではないか。
その社会に彼が共感を持つ事は無いし、復讐心を抑えるブレーキは機能しない。
元増田はとりあえずカウンセリングとか精神科に行って、専門家に知見を求めるのが良いと思うが、社会っつーか我々の理解がもう少し進めば、こうした「救われない不幸」は減って行くんじゃないかと思う。
2011年2月末、自分は私事で転居を決め手続きを進めていた。震災が起こった。
震災のため急いで転居をする人がいるのではないか、自分がお願いする引っ越し業者の人員をそちらにさくほうがよいのではとも思った。
悶々としているうちに転居日が来て、現居所に居る。
震災で生き残ったこと、都市部に転居して生活や気持ちが好転した事は罪なのだろうか?
「贖罪」という単語がひっかかった。「後ろめたさ」じゃないだろうか。
転居のきっかけが自分のように私事であったら、後ろめたさなんか感じなかったかも知れない。
震災という、一度に多くの方々の命と財産、生活、つながり等々を破壊してしまうおおごとだから
被災者の一員として、震災がきっかけの転居が人生の転機になったというのは
今の居所で幸せだというのはタブーのような事なのだろうか?
否、と自分は思う。
亡くなった方の冥福を祈ったり、心身や生活が苦しい方々への気持ちなどを忘れるというのではないが
自身が幸せになる道をふさいだり、こっそり歩く必要はないと思う。
増田のように、被災後転居して良い縁(人/モノ/仕事等)に巡り会えた方は他にもいるのでは?
自分のように、胸苦しい私事で転居したけど生活は落ち着いた人間もいる。
すべての人を救うことはできないし、すべての人のために生きることも出来ない。
人間はそんなに格好良くないと思う。
ありえないところにある数百トンあろうかという漁船やトラック。
すべてが非現実的すぎる。
噂のレベルもどこそれの市や町が壊滅して何人死んだとか、
どうでもいいよ!
こっちは目の前の信じられない状況を認識したり
実際、布教もかねて来ていた外国人の方は、何も貰うこともなく、
さして勧誘することもなく片づけを手伝ってくれたので感謝している。
すごく心外なんですけど。
<外国人犯罪デマ>被災地半数聞き86%信じる (河北新報) - Yahoo!ニュース
心配されてその辺は治安が良くないと止められたけどそこでは犯罪者を見なかった。
むしろえぐられたり泥が積もったりした路面やダンプの方が危ない。
そういうヘイトではなく引き止めるためのものが多いんじゃないかな?
問題として取り上げないといけないと思うよ。
ところで、上のリンクの2%の目撃者で50%がその噂を聞いたってのは
そもそもデマが何人に広まったら蔓延とか基準とかあるんだろうか?
被災者は避難所から仮設住宅まで顔を突き合わせて暮らすような状況だし、
1人の報告が25人に伝わっても不思議ではないと思うんだよね。