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はてなキーワード: 脳天気とは

2021-07-04

妹と己へ

おれには2歳年下の妹がいる。

親元を離れても同じ屋根の下に暮らし休みは一緒に過ごして、毎日のように2人で酒を飲んでた時期もあった。人生で最も酌み交わしたのはこいつだと思う。

妹が彼氏喧嘩して、2人で海に行こうとしたけどハイヒールを履いていたから速攻で辞めて、近くのショッピングモール爆買いした。深夜にどうしてもラーメンが食べたくなって、汚いスウェット姿のまま2人で電車に乗って特盛のラーメンを無理やり食べた。片方の帰りが遅くなると、駅前立ち飲み居酒屋で待ち合わせしておじさんにまみれながらホッピーを飲んで厚揚げを食べた。

住処を別にしても毎日連絡を取り合っているし、寂しい時は電話をする。2週間に1回くらい、面白そうな居酒屋を探しては2人で飲みに行く。妹の彼氏と3人で遊びに行くこともあれば、おれの同級生に混じって妹が酒を飲んでることもよくある。

1番心許せる同性は間違いなく妹だ。

おれは小さい頃は神童と呼ばれるタイプ人間だった。3歳で入会した塾では、退会するまで毎年全国的表彰を受けていたし、学校で行われる統一テストもいつだって全国トップだった。運動も人並み以上にはできたし、男女問わず友達も多く支持してくれる人もたくさんいた。いわゆるカースト上位だった。

反面、妹は臆病で脳天気人間だった。絵を描くことが好きで、宿題をするフリをしてはスケッチブックにずっと絵を描いていたのをおれは知っている。勉強は人並みかそれ以下の出来で、気の強い女友達香り付きのペンを盗まれて泣いていた。そんな子供だった。

親がよく、成績のことでおれと妹を比較していた。親だけじゃなく色んな人から妹がそういう扱いを受けていたこともなんとなく知っていた。姉であるおれはそれが当たり前ですと言わんばかりの態度をとりながらも褒められることに喜びを感じていたし、のほほんとした顔で受け流す妹を少しだけライバル視していた。

でもおれはまっすぐ人生を進めなかった。

親を何度も泣かせた。何度も怒鳴らせた。最終的には腫れ物のような扱いをさせてしまうまで落ちぶれた。

ちょうど反抗期だった妹は、そんな状態の親に迷惑をかけられないからと手のかからない子になった。おれが地元中学で失敗したから、と行きたくもない私立中学受験して、友達と離れて毎日往復3時間電車通学に耐えて通った。

姉みたいになりたくない、と強く思っていたんだろう。

この頃は妹と過ごした記憶ほとんどない。(というかおれの記憶ほとんどない。)

やっとおれが人生を取り戻した頃、少しずつ妹との関係も良くなっていった。妹も大学に進学した頃、今のような関係になった。

つのまにか妹は社交的で都会的な1人の女性になっていた。誰かが喜ぶことが嬉しくて、バイトをしたお金何の変哲もない日にプレゼントをしちゃうような心の優しさは昔から変わっていない。

おれの中にはいつまでも妹を守ってあげなければいけない存在だと思う節がある。

小さい頃に昼寝から目が覚めた時、妹が黒目がちな目をこちらに向けていたのをずっと覚えている。自分も幼いながら、この小さな生き物を守らなければいけないと思ったのを覚えている。

おばあちゃんの家に1人で行った時、ファインディングニモ映画を見に行った。後に妹がメモに「○○(おれ)、ニモ見てずるい🐟」と書いていて、なんてかわいそうなことをしたんだろう、今度おれがどこかへ連れていってあげようと思ったことも今も心の中にある。

妹はおれの中ではずっと妹で、バカでも、ちょっと食べすぎて太ってても、それが妹らしくて、「妹」という存在完璧にこなしている。

反対に今のおれはどうだ?

姉としての役目、妹から尊敬されるような生き方、真似したくなるようなお姉ちゃん、どれ1つとして達成できていない。今はもう彼女は1人の人間として女性としておれよりもはるかに自立していて、おれにできることは何も無いようにさえ見える。長く付き合っている彼氏もいるし友達も多く、おれが助ける隙は無いのではないか

別に慕って欲しいわけじゃない、姉としての認めて欲しいわけでもない。ただ、妹としての役目をしっかりと果たしている彼女に対して申し訳ないと思う気持ちでいっぱいなだけだ。

いつかまた姉としての役目をおれが達成できる日が来るといい、おれが妹を「妹」の役目を果たしている人間だと思うように、妹がおれのことを「姉」としての役目を果たしている人間だと思ってくれる日がくるといい。

2021-06-11

うつ病って脳天気で贅沢な病気だよなーって

俺は長らくうつ病になっていた。

そんな時、友人に若くしてガンが発覚した。

俺はそん時思ったんよね。なんて俺は脳天気なんだと。やれ自己肯定感だの職場人間関係だの、ちっせー事で死ぬ死ぬいかレベルで悩んでる(笑)自分がアホの極みに思えたよね。もう恥ずかしいレベル精神が幼稚。

目が醒めた気分だった

2021-04-25

尊属殺規定もなくなって久しいのに子供に刺される心配してないって脳天気だよなァ

2021-04-05

anond:20210405081048

要素のひとつが「守銭奴」だから

ちなみにサヨは「青天井(ガバガバ脳天気)」だからな!

2021-02-05

anond:20210205031050

かにまるで脳天気な奴がマジョリティだとは思う

面倒くさいか理解してやろうとする必要はないバカはどこまで行ってもバカ

とにかくお疲れ

あなたとご家族にできるだけ多くの幸せがありますように

2021-01-31

企業にお褒めの言葉を送る方って神かなんかなの?

自分はBtoCの仕事をしていて、接客にもそれなりに関わる職種なんだか、いわゆるお客様のご意見会社ホームページから送れるようになっている。

大抵の意見は難癖に片足を突っ込んだようなクレームが中心でまあ対応もそこそこに流したり注意するように周知程度で済ますんだが、たまにそのご意見フォームを使って接客が良かった等のお褒めの言葉を頂くことがある。

そうなると職場長がみんなの前で褒めてくれ、皆で拍手をして……という感じで結構な騒ぎになるしかなりモチベーションが上がる。

そんなだから自分もっといいご意見貰えたら良いのになーとか脳天気なこと考えていたんだけど、この間職場で「わざわざ会社のご意見欄で褒めてくれるなんて凄くいい人に間違いないよなー」って話になったのでふと自社のご意見フォーム確認したんだ。

「誠にありがとうございます!お問い合わせはこちら!よくある質問こちら!注意事項をよくお読みください!個人情報の取り扱いには同意いただけましたか?ならば下のボタンを押してね!じゃあ内容ですね!返答はいますか?姓は?読みは?名は?読みは?性別は?住所は?メアドは?ご年代は?我社の商品はどこで?どう使ってます?あっご意見の内容聞きますねー」


いやいやいやいや

わかる、わかるよ?

意見だもんな、クレームの方が多いって想定で注意事項とか色々堅苦しく書くのはわかる

書きすぎて本当は意見来ないでほしいオーラバリバリなんですけど!?

これを乗り越えてお褒めの言葉くれるお客さんまじでなんなの神様なの聖人なの!?

神様ありがとう!!! いつも元気を貰ってます!!!


みんなもっと軽率に褒めてね!むっちゃ嬉しいから!

しかクレームならこの注意事項と質問の嵐を軽々越えてくるのが笑えるというかないというか…

2021-01-11

anond:20210111200816

感染して発症してもなお「新コロはただの風邪」を貫くやつってどんだけいるんだろうね?

感染してないか感染しても無症状だから、そんな脳天気なこと言ってられるんだろ

anond:20210110161507

人を生んで育てるなんてとんでもなく大変なことなので、本来はこの嫁みたいになるのが普通というかまともというか理知的感覚だと思う。おめでとうありがとう!とか言って脳天気に楽しみにしてる方がおかしいし、身も蓋もなく言うと頭が悪いと思う。人間バカにならないと生きたり生んだりできないということかもしれない。

2020-09-24

anond:20200924124805

ちゃうねんちゃうねん、

ヒネクレ嫌味ババアにヒネクレ嫌味ジジイが絡んでギャンギャンやっとるのを、脳天気でヒマなオッサンオバハンが茶々いれて暇潰ししとるだけやで?

2020-08-17

anond:20200816105223

女性」という主語で語ることの傲慢さ、という感想しかない。「私は男の体になったら面白がって男湯に行くなあ」などという脳天気発言からは、自分性自認人生集団の中で禁忌とされ揺らされ続ける恐ろしさについての想像力が全く及んでいない。つまり増田が下敷きにする意見は「性自認が揺れたことのない人(強者女性)」の意見であって、それは原理的に「性自認の揺れを経験した人(たとえばトランスジェンダー)」と対立する意見だ。それを「全女性」の意見のごとく語るのは不遜であり、率直に「ヘテロセクシュアルで、生まれてこの方自己ジェンダーと性に引き裂かれる経験を全くしたことのないマジョリティ強者」の意見だな、という感想しかない。それが「傲慢だ」ということの意味だ。

そのような強者の振る舞いは、たとえ「女性歴史的にずっと被害者であった」というフェミニズム史観を背景にしたところで、というより、むしろそれを背景とするからこそ、決して許されるものではない。間違いなくトランスジェンダーの人々こそ、「歴史的にずっとマイノリティであり、未だにその存在すら認知されないほどに、被害者のものである」のだから

2020-07-18

自殺に関するお気持ちポエム

もしあなたの知っている誰かが亡くなって、その悲しみを周りと分かち合えないという状況だった時、これを読んで少しでも「同じ気持ちの人がいるんだな」と思ってもらえたらいいと思う。

知っている人の訃報を聞くと、ふつう悲しくなる。知らない人の訃報は、「へー」で終わってしまうこともある。

その人のことを知っていてもよく知らなくても、自殺の報は気分が沈む。それも普通とは少し違う風に。

有名人自殺を通して、私は過去の夏に自殺した友人を見ている。

いや、自殺かは分からない。かの有名人だって本当に自殺かは分からない。誰も死に目を見ていないのだからしかし、状況から見て自殺しか思えない。

そうなると、心は混乱する。重い悩みを抱えていたんだろう、どうして気づけなかったのか、と思う一方で、もしかしたら突然の心臓麻痺かもしれない、ひょっとすると自殺に見せかけた殺人かもしれない、などと突拍子もないことを思いついてしまう。そんなはずがなくても、その人が死を選ぶ程の悩みを抱えていたということや、自分や周りがそれに気づけなかったということを否定したくなる。

後を追うことは考えなかった。もし私が死んだら、私の友人は今の私と同じ気持ちになるのかと思うと、できなかった。

もし身近な人や好きな有名人が亡くなって、少しでも後追いを考えてしまっている人がいるなら、絶対にやめてほしい。

亡くなった人は、それを望んでいない。断言する。

訳あって、私は周囲の人間より少しだけ先に友人の死を知った。そして、そのことは発表されるまで誰にも言わないようにと言われた。

これがメチャクチャきつかった。周囲の人は、突然姿を表さなくなった友人について様々な噂話をする。死んだ?死んでない?何が原因?病気いじめ

半笑いでそんなことを話す奴はもちろん許せない、ぶっ飛ばしてやりたいが、真剣な顔で話している人もとにかく嫌だった。友人とろくに話したこともないくせに、何も知らないくせにと思っていた。でも、友人のことを何も分かっていなかったのは私も同じなのだ。だから友人は死んだ。誰にも言わずに一人で死んだ。私は不安気持ちが拭えず、様々な不確かな憶測をめぐらせた。そいつの悩みは私が思いつくそのどれでもないかもしれないのに。所詮噂話をする無関係の奴らと一緒だった。葬式にも行けなかった。

今ならこう思う。友人のことを知らない人は、知らないなりに不安だったのだ。そして私ももちろん不安だった。大切な人が亡くなったときの状況や、心情を知りたいと思うのは自然感情だ。だからそのことについて色々考えてしまうし、ネット自殺者の心情や方法なんかについて調べてしまう。だがそういう情報に触れすぎると心は疲弊する。一種自傷だ。だからそういうときは、テレビネットに触れず、美味しいご飯食べて、風呂入って、好きな音楽聴きながら寝よう。

あの人はあんなに苦しんだのにそんな脳天気生活してていいのか、とかそんなの考える必要は全くない。私のあの行動も自殺に追い込む一因になってしまったのではないか、とかも考えなくていい。メンタルが参っている時は、とにかく自分に優しくしろ。何も我慢するな。色々考えるのは落ち着いてからでいい。

自分がその人の死を止めれたんじゃないかとか、考えなくていい。あなたはその友人に冷たく接しただろうか?暴力をふるっただろうか?心無い言葉を浴びせただろうか?心当たりがないなら、それはあなたのせいじゃない。あなたの知らないところで、もしかしたらその人は苦しんでいたかもしれないが、それに気づけなかったのはただ運が悪かったのだ。だって気づいていたのならば、実際にはできなかったとしてもあなたはなにか行動しようとしていただろう。だからその人の死を悲しんでいるんだろう。

なんとも沈んだ気持ちとき、静かな自分の部屋に一人でいると、今なら死ねそう、と頭に浮かんでしまうのだ。

鬱だ、死にたい……ではなく、なんとなく軽い気持ちで、あ、今なんか苦しまずに死ねる気がする、と思ってしまう。

そういう思考に変な思い切りの良さが加わると、人は息をするのをやめてしまう。

個人的意見だが、人生ギャンブルのようなものだと思う。負けていてもずっと続けていればいつかは勝てるかもしれないし、今のツキが良いならその後の負けを恐れて降りたくなるかもしれない。この先アタリがくるかもわからない低迷の中にいて、私の友人は勝負を降りてしまった。

友人が亡くなった直後でも、1週間後でも、1ヶ月後でも、1年後でも、その後も、なんやかんやで世界は回るし、友人に影響を受けたはずの私も普通生活できてしまうのだ。大切な人が死んでも、意外と生きていける。その事がショックだ。

ただ、私は友人の年齢を追い越してしまったし、友人は今伝染病世界ものすごいことになっていることも、オリンピックが延期になったことも知らないんだなあと思う。

人が死ぬと、その人は異常に美化されるようになる。

しかに素晴らしい人だった、だったけど、より美化されるようになる。みんな、あんなにいい人だったのにと急に言い始める。それを見ていると、なんだか死んでからじゃないと周囲から褒めてもらえないんじゃないかという気になる。

あちこちとっちらかった文だけど、要するに私は誰にも死んでほしくない。自殺は何も解決しない。苦しみから解き放たれるかもしれないが、それは楽になるということじゃない。ただ遺された人が本物のその人を忘れ、過度に美化された幻影を崇拝し続けるだけだ。死んだ方も、死なれた方も、得はしないと思う。

幻影でもその人のことを思い起こすことが無意味であるとは言わない。ただ、できるならみんな、生きているその人を見ていたかっただろうと思う。

繰り返す。なにも、あなたのせいじゃない。

死にたいと思ってしまうことも、あの人が死んだことも。

2020-07-14

そうだな、どこから話そうか。

一つ一つのピースは、ごくごく小さな事だったんだ。

それ単体には、不幸も幸福ももたらす力なんてありはしない。

ありふれた人生の一部分ってやつさ。

ただそれぞれが複雑に絡み合い、事態は進展していく。

いや、正確には進展しない。届きさえしない。

絵に書いたようなハッピーエンドであれ、

救いのないバッドエンドであれ、

物語には山場があって、オチがある。

そう信じていただろう?

だが、ラストほんの3秒までなんの問題もなかったこストーリーは、

突然にその悲劇的な幕切れを俺に予感させた。

もう家にの中にいるか問題ないって?

そう思うのは脳天気アメリカ人か、でなければ育ちのいいお坊ちゃまだ。

しろ家の中に入った瞬間、始まったのさ。

3秒は3時間にも感じられ、わずか数メートルフルマラソン42.195kmのように感じられる。

時間は逆行し、空間は歪む。

そして物語は突然に終わりを告げる。

俺は自宅でうんこを漏らした。

2020-04-19

人生自己責任

コロナ解雇された? 自己責任です

コロナ差別された? 自己責任です

コロナ自殺したの? 自己責任です

コロナ感染した奴は逮捕して殺処分するべきだ

これ以上の感染拡大は死んでも防がなけれなならない

脳天気国民ゴールデンウィーク中に絶対に出かけるだろう

感染拡大は免れないので見せしめ渋谷のど真ん中にでも感染者を火炙りにでもしてやればいい

2020-04-10

西村康稔新型コロナ対策担当大臣赤坂自民

実際は兵庫県に限っても7日朝まで断続的に大雨となった。

自分赤坂自民亭や宴会ツイートのものよりも(*5)、5日23:45の「山を越えた」ツイート問題があると思う。これは大雨のタイミング宴会を開いてしまったための言い訳ツイートと思われるが、保身のために事実を捻じ曲げ(しか事実誤認については秘書責任転嫁しつつ)地元住民危険晒しかねない極めて悪質な言動だった。

1. https://www.jma.go.jp/jma/press/1807/05b/2018070514.html

2. https://b.hatena.ne.jp/entry/twitter.com/nishy03/status/1014857016441954305

3. https://b.hatena.ne.jp/entry/twitter.com/nishy03/status/1014883044308615169

4. https://www.mod.go.jp/j/press/news/2018/07/06d.html

5. 最大限擁護すると、5日22:02の時点であのように脳天気ツイートをしてしまったのは、出席してくださった安倍首相おべっかを使いたいため必要以上にのぼせ上がってしまったのだと思われる。実際一年後の2019年9月内閣改造において西村氏は見事経済再生担当大臣に抜擢されている。

(余談:西村氏はかつて「命を守る防災危機管理 その瞬間、生死を分けるもの」なる著書を出版している。)

https://presidentstore.jp/category/BOOKS/002116.html

2020-03-30

anond:20200330191542

未だにこんな脳天気なこと言ってるやつが存在するのに呆れる

感染症専門家が非常な危機感を抱いてるのに、お前は自分専門家以上に現実が見えてるとでも思ってるんだ?

その自信って何か根拠があるの? 「何となくそんな気がする」程度だろ?

2020-02-03

安倍が一線をどれだけ越えても揶揄ブコメ以外何もしないお前らが安倍みたいなモンスターを育てた

いつまでこのままヘラヘラ笑って暮らせると思ってるの?

脳天気平和ボケから先に死んでいく…と言いたい所だが残念ながらみんないっしょに死ぬ

2020-01-26

育児衝撃画像

ここ数日、「育児衝撃画像」というタグツイッターで盛り上がってる。

最初にこのタグがついたツイートを見たときウッとなったのに、見るのをやめられない。

私の親は自分の子供の写真を平気で他人に渡してしま人間だった。

近所の人や知り合い程度の人でも、「子供さんかわいいねえ」なんて言われたら喜んで写真をあげてしまう。悪気無く。

から全然知らない人が私の写真を持っていることがたまにあった。話したこともないような人から、大きくなったね、なんて突然声を掛けられ写真を見せられる。正月しか会わない親戚のおじさんの財布から私の写真が出てきたりする。

そのころから嫌悪感を覚え始めた。

地元飲食店コルクボードに張ってある写真が、全裸水遊びをしている私と弟だと気づいたときは血の気が引いた。

両親がよく飲みに行く店で、店主のおじさんとおばさんとも話したことがあったが、その日から嫌いになった。

中学生の時にこっそりその写真を外して持ち帰ったが何も言われなかった。コルクボードには他にもたくさん知らない人間写真があったから気づかなかったのかもしれない。

でも私と弟の裸が今まで他の客に晒されていたのかと思うと吐き気がする。

その写真は燃やしたけど、他にも私が気づかないところで私の写真が知らない誰かの視線に晒されてなんやかんや言われているんだろうか、とずっと考えていた。

写真をあげるのやめてほしい、と親に言い続け、カメラにも徹底的に視線を背けるようにして、ようやくやめてくれるようになった。

写真が恥ずかしい年頃になったんだね」なんて脳天気なことを言われて、この人たちは本当に分からないんだ、とびっくりした。親は私を愛しているかもしれないけど理解することはできないんだと知った。

親元を離れた今でも、この写真は他の人間に見せられても大丈夫だ、と思う写真しか親に送れない。

ツイッターに流れている写真の子供たちが大きくなって、自我もなく防ぎようがない写真インターネットなんて開かれた場所に晒されていたことを知ったらどうなってしまうんだろう。

特に子供の裸の写真を公開垢で修正もなく堂々と載せている親なんか、衝動的にリプしそうになる。削除してくれ、と勝手にその子未来を騙ってしまいたくなる。

子供の人権が全て親に握られていることがわかってしまって辛い。

このタグがついた一連のツイートを見ながら、あの頃カメラ無防備笑顔を向けていた幼い自分を哀れに思った。

でも自傷な気がするので、これを書いておしまいにする。

大人になってよかったなあ。

2019-12-03

anond:20191202103923

デバイス人間のもの」そんなこと、1960年代から言われてる話で、今さら得意げに言うほどのことじゃない。曰く、進歩した技術人間身体拡張である技術人間対立的に捉えるのではなく融合的に捉えるべき、そりゃそうだよ。現代人なら、ネットで繋がってない人間関係とかもはや想像の外の話だろ。

から俺が言ってるのは、「ソレ」はそんな特別なことじゃねえんだぜ、って話だよ。「ソレ」が開く未来脳天気想像する暇があったら、「ソレ」がどんな地獄を生みかねないかということも同じくらい想像しておくべきだ。でないと、将来あんたら科学の徒はまとめて地獄行きだぜ。「人類を滅亡に導いた罪」ってな。

2019-11-21

ジャンルで肩身が狭い

ジャンルで肩身が狭い。

頻繁に荒れるからです。オタクたちが。公式相手に。それが怖い。

はいってもこれオタク側がヤバイ人たちなのかっていうとそんなことはなくて、ごく普通にコンテンツを楽しみたかったごく普通オタクなんですよね。

から怖がってるのはたぶん私と、もしかしたらいるかもしれない私と似たようなタイプの人だけだろうなあ、という話。

先に言っておくとこれは自分語りというか感情整理なので一介のオタク日記ミリも関心がない人は読んでもおそらく時間無駄です。

ジャンル。具体名は伏せますが、読む人が読んだら一瞬でわかってしまう気がします。

数年ほど続いてるジャンルで、原作CDです。アニメ化もしたし舞台化もしました。人口が今どれくらいいるのかはわかりませんが、まあたぶんそれなりにいるのかなあ……私が思ってるよりは知名度が高いのかも、と時折思います

で、このコンテンツ。まあやり方が下手くそで……こりゃ怒り買ってもしょうがないぞとちょいちょい思うんですよ。

クリエイター側というか、キャラとか声優さんとかストーリーとか役者さんとかイラストレーターさんとか曲を作る方々とか、そういう人たちは全部素敵なんですけど、如何せん公式のやり方が心配になるくらい下手なんですよ。

大事なことを何故か公式からアナウンスしないことが本当に多い。しても遅い。発売予定とかね……大事だと思うんですけど……遅れるなら諸事情で遅れていますって一言いうだけで落ち着く人、そこそこいると思うんです。それがないから……偉い人から口止めでもされてるんですか……?と思うくらいにはその辺の話をしない……かといって公式ツイッターが動いていないかというとそんなこともなく、企画とかコラボカフェとかの話は意気揚々としてるから……偉い人から口止めでもされてるんですか……?と思う……

あと二次元2.5次元の混線が多い。これ、私は全然平気なんですけど苦手な人はほんとに絶対無理だと思うので……やめてあげたほうがいいんじゃないかなあ……と常々思います……それでキレてる人定期的にお見かけしますよ……

他にも多分いろいろあるんでしょうね。対応面とか……脚本解釈問題とか……私はそこまではわかりませんが……ただ公式として些か不誠実だな、と思うことは確かにあります。どうかなあ……と思うことは。

あるんですけど、思うところというほどのものがあるかっていうと、ない。

これはどちらかというと個人的性格とか、こういったコンテンツとの付き合い方の問題なんだと思います

私は公式に甘いタイプオタクです。喜怒哀楽の怒の感情がたぶん比較希薄で、なんていうか、自分ことなのでやや乱暴な言い方をすると、無責任ファンです。

公式が正直客観的(になったつもり)で見ても問題が多いことを認識した上で、はあそうですか、くらいの感情しかない。

平和に生きていたいんですね。植物のようにと言うべきか。穏やかでありたい。そのほうが楽なので。

から感情をはっきり吐露しているオタクを見ていると、胃がキリキリするし、怖い。

これほんとに向こうには非はないんです、正直正当な怒りだと思います。でも怖い。

怒っている人がとにかく苦手です。その対象自分の知っているもので、自分が許容しているものだとなお胃が痛い

本当に何も気にしてないオタクなんです。

発売が遅れようと。その間は別のジャンルにいたり、一応文を書いたりしてるのでのんびり書いてみたり、それこそ公式ツイだとか、企画系の新規絵や安定して動き続けてる舞台を楽しんでみたり。のびのびやっています

でも、公式に思うところがある人というのはたぶん、そこそこいる。(観測範囲が狭いのでなんとも言えませんが)

サイレント原作の発売を来年に遅らせたことに憤ってる人。

音源不具合があったことに怒っている人。

原作舞台版を一緒くたに扱っていることが嫌な人。

原作が動かないのに派生のもの舞台版は動いてることを複雑に思う人。

派生舞台も好きだけど、原作が動いてないのに……と思うと素直に喜べないという人。

初期にあった設定がいつの間にかなかったことになっていることを疑問に思う人。

上記の色々があって公式への不信感が強い人。

いろんな人がいますし、どれもおかしものでは無いと思っています

ほとんど何も気にしてない私のほうが妙なのかもしれない、と思うくらいには。

それでも推しいるから離れられない、という人もそこそこ見かけました。推し人質に取られている、と。

言わんとしていることはわかります。でも怖い。

自分と違うものを恐れるという心理があります。それに近いのかもしれない。頭で理解しているつもりでも、反射的になんでそんなに怒るんだろう、って思ってしまう。

物言い過激というか、些か攻撃的な言葉を使う人が一番苦手です。だめってわけじゃないです!Twitterなんだから好きにつぶやいていいんです、企業でもあるまいし。匿名で何事か言ってる人間ことなんてないものとしてカウントしたほうがいいです。

言い方が不謹慎で非常に申し訳ないのですが、こういうコンテンツのことで体調崩すレベルで怒ったり嘆いたりできる人、すごいな……と思います。あのほんとに揶揄する意図はなくて、感情が豊かだな……と思って……

二次創作をやっているひとは少なからず気が狂っているといいますが、まあそれは確かにそうだろうなと思います

私も一応は書き手の端くれなので、ツイッターにも二次創作をやっている人は多い。で、たぶんそういう人って、コンテンツについてめちゃくちゃ考えてるんですよ。

ROM専の人がそうではないということではないですし、書き手が必ずそうというつもりもないです。現に私はそのあたりがとてもゆるい書き手なので……)

コンテンツのことが好きだからコンテンツの先行きを憂いているから、好きという気持ち公式への怒りとか、悔しさとか、悲しさに変わってしまうのかな、と思っています

私はそういうのがない。出てきたものをわーいって言いながら素直に楽しんで、何もないときは何も言わない。それだけ。コンテンツのことはシンプルに好きだなってそれだけだし、公式への感情はそれ以上は特にない。

グッズとか買うのだってただ欲しいからでしかない。応援したいからとか続いてほしいからみたいな殊勝な理由はない。だからお金がどこに流れてるのかなんて気にしたこともない。

設定のブレもそれほど気にならない。これおいしいな、と思うとこだけ適当に拾って食べてる。

要は、私が勝手に肩身が狭いような気がしているっていうだけなんです。被害妄想みたいなもの

みんないろんな思いを抱えてるのに、脳天気にゆるく楽しんでるのなんか悪いなあ、と思うことがある、それだけ。

別に自分ないし相手スタンスが嫌なわけじゃなくて、向き合い方はひとりひとりにあるんだからそれはそれでいいんじゃん?と思っていますが、それはそれとして周りが怒ってる中ひとりで普通にしてるのはちょっと心苦しい。

かといって無理に抱いてもない感情同調するのはどう考えても不毛しかない。

結果的に、どうでもいいようなことを呟いたり静観したり、という形に落ち着いていく。

とはいえ怒りの感情を眺めていると私は辛くなってくるタイプなので、結果TLからは足が遠のく。

ある意味SNS向いてないのかもな……なんて思いつつ。

不当なものではないよなあと認識できるからこそ辛いんですよね。同調できないから。同調することが必ずしも是ではないけれども。

モノが出なかろうが何しようが私は別にあいつか出たらいいなと思うし死んだらその時はその時よね、みたいな感じなんですけど、ただオタクたちがそれで荒れるのを見ているのがただキツい。

そういう意味で、少なくとも公式ファンの間はそこまで荒れないジャンルのこと、たまに羨ましくなります

でもやめてなんて絶対に言えない。そういうのは自由なので。十中八九ないと思いますがこれ見てやめようとか思ったりしないでください。責任持てないので。

自分のこととはいえこの辺はなかなか変えられないし正直あんまり変える気もないし、まして他の人に関してはもっとそうなので、たぶん公式ちゃんとなるか私の飽きが来るかまでは今の姿勢を取り続けるんだと思います

おわり。

2019-06-04

anond:20190603174014

優生思想の話とは少しずれるが

世の安易に「ナチス擁護するオレ格好いい斬新画期的」と思ってる人には一言したい

ナチス的な優秀な人間けが繁栄すればよいのだ思想の信奉者は

絶対自分をその優秀な人間に分類される側だとか脳天気に思ってるだろ?

で、ナチス時代ドイツではユダヤ人や非アーリア人は嫌な思いをしたけど

世間の大多数の普通ゲルマン系ドイツ人はみんな幸福だったとか思ってるだろ

ところがどっこい

世の中は「純血のゲルマン人は神/ユダヤ人ゴミクソ」とかい

単純な二分法では割り切れず、大量の「白でもない黒でもない中間」がいるわけ

で、ナチス時代ドイツはどうなったか

善良なドイツ人が皆お互いに

「お前、祖父の代までさかのぼったら純血のアーリア人じゃないだろ?」

「お前こそ、曾祖父の代までさかのぼったら純血のアーリア人じゃないだろ?」

「お前こそ5代さかのぼったら同上」

「お前こそ10代さかのぼったら同上」と言い合い、

一生懸命に「理想的ゲルマン人」の骨格に合致しているかどうか

顔の額の広さや顎の広さをミリ単位で測って競い合うようになった

なまじ、ある一種類のみが優等、逆にこれは劣等なんて基準を作ると

際限なくこーいう相互疑心暗鬼で「こっちが優等」争いになるわけ

そーいうギスギスした世の中を防ぐためにも

「みんな違ってみんなダメ」が理想的なんだよ

「みんな違ってみんな良い」などという綺麗事は言わぬw

あいつらはダメ、でも俺もダメな部分がある、と認められる謙虚さが必要

2019-05-21

https://anond.hatelabo.jp/20170811212332

小説が読めて正当に評価できるプロパーなら知っているだろうけど、芸術性の高い小説はいかにまらない小説を上手く書けるかを競っているようなところがあり、そうした小説大衆的な評価を得られないのは当たり前だし憤るようなことでもない。

それが分かってない時点でこの増田も、文学界隈で議論されて来たような「小説価値」を全く理解できていないスノッブしか見えない。

 

増田は上手い小説が正当に評価されと欲しいと言っているが、そのわりには上手い下手の基準曖昧で、上手さの基準が違うジャンル小説をひとまとめにして語っている。

何が上手さかをちゃん言語化し、これが基準だよと指し示す。国語ができるかを口にするなら、目的の為、それぐらいはできてしかるべきではないだろうか。

もっとも、後半の仮説を読むと察するのだが、この増田は表向きの目的よりも別の目的、あるイデオロギーに囚われているのがわかる。

 

それは、良い小説や良い表現を読むことにより立派な人物になれる、という人格形成神話だ。

こうした読者にとって、読んでいる小説人格や知性は比例する(しなければならない)ので、悪い小説や下手な文章評価するのは単に評価のものさしが違うのではなく、小説を読まないような読者だということになる。

そのような読者を分析してみせ、自身の完成した人間性披露したがる文芸スノッブは多い。しかし、この程度のありきたりな分析ほとんど自己紹介のようなものである

要するにそれぐらいの藁人形相手でなければ、まともに誇れないような知性を現しているにすぎないからだ。

 

増田は「評論が読めるのか」などと煽っているが、こういう連中こそまともに評論を読んだことがあるのだろうか? 非常に疑わしい。

名の通った評論家の本を読んでいくだけで、文学という制度自覚的かつ批判的な本に何冊も目を通すことになり、この程度の脳天気小説観など出てこようはずも無いのである

 

小説の正当な評価を望むのは私も同じである

しかし、それはスノッブ好みの文芸保守復権してほしいからではない。

文学とは何か、小説価値とは、それらの議論を踏まえ、歴史の上に積み上げていくような営みにこそ未来があるからだ。

2019-02-13

anond:20190213184153

おいおいw  これだけ様々な突っ込みを喰らいまくっているのを見て、よくまあそんなに楽観的でいられるなあww

そこまで脳天気だと、それはそれで一つの才能かも知れんぞ! www

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