2016-12-02

バカになる運

田舎で育ったガキだった。

小さい頃は勉強が好きで、知識を吸収する子だった。

小学校に入ると、「頭いい」・「勉強ができる」ということは恥であると思うようになった。

イケてる子たちがそれをバカにするからだ。

田舎では学歴がある人がそこそこ稼げていても、中卒の地主土建屋がそれ以上に稼いでいた。

学ぶという事はイケてる人間になれなかった者が仕方なしにする事だと思うようになった。

リーダー格が犯罪行為をしても、それをチクる事は法を犯す以上に悪い事だと思っていた。

法律知識なんてのは、力のない者が現実逃避をして自己弁護するためのポーズだとすら思っていた。

 

ある知人は親がどっぷり宗教はまっている

彼は小さい頃からお経を覚えさせられ、科学に対し否定的な考えを持っていた。

スピリッチュアルな単語が様々な現象の原因を説明できるとのことだった。

彼の周りには同じ事柄を信じた人が集まり、その信仰を深めていった。

信心深い彼は小学校の頃から三十になる今までずっと同じ姿勢である

今更彼は、別の角度から物事をみることができないだろう。英才教育が今の彼を作り上げたのだ。

 

私は高校時代たまたま知り合った人に勉強重要性を教えてもらう事ができた。

高3まで頭になかった受験勉強に専心し、上位3%くらいの大学に入る事もできた。

学歴を生かして、いろんな人と交流する事で、自分無知自覚できるようになった。

 

だが、もしその知り合いに出会っていなかったら、その知り合いが自分にとって説得力のない人間だったら、ルックスがかっこ悪かったら、

多分今の自分は別の人間であり、もっともっとバカで愚かな人間であっただろう。

こうなれたのもほとんどは運次第なのだと振り返って思う。

 

からこそ、バカを見下すのではなく、自分の運に感謝し、もっと謙虚にならなくてはいけないと思う。

自分バカだった時代に、正しい事を説得されても納得できなかったのは、見下される事による不信感があったことを思い出す。

自殺した某氏が言うように、謙虚さを持って生きていきたい。

それを自覚できない人たちもまた、運悪く謙虚になれなかった人たちなのだろう。

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