はてなキーワード: 新興宗教とは
敵:ゼントラーディという宇宙人。戦闘しか知らない民族。偶発的に地球と接触して戦争状態になる。
マクロス7
敵:プロトデビルンという宇宙生物。スピリチアというエネルギーを欲している。地球人はスピリチアを生み出せるので狙われる。
マクロスF
敵:バジュラという宇宙生物。変な奴らに操られて地球人を襲う。
マクロス⊿
敵:ウィンダミア人という宇宙人。地球との不平等条約に反発して独立戦争を仕掛けてくる。
敵:ジオンという宇宙コロニー。地球からの独立を宣言して戦争を仕掛けてくる。
敵:ティターンズという地球連邦の組織。ジオンの残党狩りを主導して横暴の限りをつくす。
ガンダムZZ
敵:ネオジオン。ジオンの残党。ジオン再興を目指して戦争を仕掛けてくる。
敵:ザンスカール帝国。新興宗教を母体とする。地球連邦からの独立、思想に基づく秩序の再構築などを目指して戦争を仕掛けてくる。
敵:ムーンレィス。地球が住めなくなったのでいったん月に避難してまた地球に戻ってこようとしている。特に強硬派が地球を侵略してくる。
「本質的な意味や目的が同じであれば、一つの体系にこだわらなくてもいい。むしろ拘ることこそ、視野を狭くする要因になる」
宗教という体系から生活の意義を教えたくて、立ち上げたらしい。
だけど、周りには「ただのウザい奴」だと思われている。
生活教に入信していることを自称する人間たちも、9割は面白半分でやっているだけだ。
なぜなら俺たちの町では……いや、現代社会において宗教は時代錯誤だから。
長い歴史によって文化として根付いたケースもあるけど、その隙間を新興宗教が入り込む余地は全くない。
科学で大体のことは説明できるし、俺たちはそれを深く理解していなくても生きていける。
おんぶに抱っこだと、たまにエセ科学に引っかかることはあるけど、それは別に科学が悪いわけじゃない。
体系にそういった“ノイズ”が入り込んだり、未熟な人間が邪魔をするのは他のことにも言える話だしね。
「さあ、皆さん。生活をより良くするためには、何が必要だと思いますか?」
「健康ですか」
「正解です。より厳密に言えば、この“健康”とは身体と精神の両方を指しています。まず身体に必要なものは何でしょう?」
「野菜とか、ですか」
「そうですね、野菜。身体に良いとされているもの全般。ですが、それだけでは足りないですよね」
教祖は、相も変わらず二流ブロガーのライフハックみたいなことを説いていた。
信者たちも面白半分で付き合っているのに、良くあんなの笑わないでいられるな。
「さあ皆さん一緒に、目を瞑って。森羅万象に宿る精霊と魂で共鳴し……おっと、呼吸をすることを忘れないで。愚か者は呼吸することを忘れます」
けど、これに真面目に付き合う人は誰もいなかった。
信者の間では、教祖がこれで目を瞑ったら一斉にその場を離れる、という遊びが密かに流行っていたからだ。
ガキの俺が言うのもなんだけど、ガキくさい遊びだ。
まあ、大真面目に付き合ったなら、それはそれでどうかって気もするけど。
「花の精霊が、皆さんの目や鼻、口から入り込むのが感じるでしょう……」
恐らく気づいているだろうに、それでもやり続ける教祖も大概だよな。
「……さて、今日の布教活動はこんなところですかね。あまり悪目立ちすると通報されかねないですし。私個人のせいで、生活教に泥を塗ってしまっていけない」
教祖は、いそいそと退散を始めた。
この教祖が世間では「ちょっとウザい奴」で済んでいるのは、こんな風に謙虚なところもあったからだ。
大仰に場所を占有したりだとか、商売紛いなことをしているわけでもない。
普段は地域のイベントに精力的に協力したり、善良な市民であることをアピールしているのも効いている。
ただ街中で声高に叫ぶ、ストリートミュージシャンみたいにしか思われていないってことなんだろう。
教祖的には不服だろうけど、これが生活教の、俺たちの街での日常だ。
……だけど、その日は違った。
「え? 自治体って……どこのです?」
「ここら辺の自治体です」
「いや、『ここら辺』と言われても、たくさんありますし……」
教祖は警戒している。
なにせ、この町には自治体が多い。
中にはヤクザに片足突っ込んだようなのまでいる。
「我々のことはいいんです。こちらの質問に答えていただきたい。生活教が最近、“寄付”という名目で商売紛いのことをやっていると連絡を受けましてね」
「ええ!?」
おおっと、いつかはやると思っていたが、とうとう馬脚を現したか新興宗教。
次は待ち合わせにおばさん連れてきそう。
自称モデルのマイミクさんが(本当に綺麗な人です)、それにハマってしまったらしく。
「彼女は****って新興宗教ですよ!勧誘されて怖い目にあいました、
会いたい言われてあったら、待ち合わせに知らないおばさん連れてきて、
入信勧められました。****って過激な処ですよ。
もし彼女に会いたい言われたら二人きりで会わないで下さい、勧誘されますよ!」
そのあと、彼女とマイミクになったきっかけの、共通のマイミクさんに、そのメッセ転送しました。
その方は実害がないからなのか、交流ないのか、まだマイミクみたいです。
綺麗な方でした。
ちょっと上の年代のバンドの知り合いもあるみたいで、そういう話もしてくれて、
上京したら会いましょうね💝と案の定言われてて、怖かったですよ。
本気て上京したら連絡してお茶して貰えるかなって思ってたのにバカだったなぁ。
宗教じゃないといいですね。
人生の指針を「誰かの役に立ちたい」にしてしまうと、とんでもなく混乱する。
自分のやりたいことや、自分の好きなことの上にある「誰かの役に立ちたい」なら、純粋に素晴らしいし、そのまま進むべきだけど。
行動する理由を「誰かの役に立ちたいから」にすると、ビックリするほど何も見えなくなってしまう。
周りも、もちろん自分のことも。
ネットワークビジネスやら新興宗教から、そのような匂いがする。
いやしかし、恥ずかしながら、先日初めて知ったよ。
誇れるスキルなんてないのに、「誰かの役に略」とばかり考えていた数ヶ月は、何をすれば良いのか本気で分からなくて辛かったよ。
「自分の経験を役立てたいです!」とか言って、仕事の面接にまで行っちゃったよ。
もう良い歳の大人だよ。
生まれてから今まで目にしたものが、おなじみの葬式仏教と、正月しか行かない神社と、なんか怪しいキリスト教と、
そいつらより明らかに怪しい有象無象の新興宗教しかないのが悪いのかもしれないけど。
いやそうは言うけどね、何かあった時に頼りたくなるんだよ、という感覚もよくわからない。
だってさ、あいつらは人に救いの手を差し伸べる体で、結局はただ搾取してくるだけの存在なわけじゃん?
別に神も仏も具体的に自分に向かって手を差し伸べてくれるわけじゃないじゃん?
そいつらに感化された奴らが何かすることはあっても、結局はそいつ本人の意志でしかないんじゃないか?
そりゃまあこっちだって別に、私は無神論者というか不可知論者です、みたいな態度は別に取ったりしないよ?
ネットワークビジネスも新興宗教も、どこでもある程度はあるんじゃいのかな。間を取って、衛星都市とか政令指定都市程度の規模の都会住みでOKでは?
何が起こってもネガティブな考えにしかならないし、小さなことでも悩んでばかりだったし、
なによりそうして頭がグルグル回り続けることが辛くてしかたなかった。
そんな時にふと思ったのが、「あ、いま宗教の勧誘されたら簡単に落ちるな」ってことだった。
なにか信じるものというか、こうしてたら大丈夫ですよ、というガイドにすがりたい気持ちがあった。
ただまあ、結構宗教ってやばいやつが多いし、そんなこと考えること自体ヤバイだろ、ってことで心療内科に行った。
カウンセリングってやつを勧められて、まあ一回1万弱で1時間くらいカウンセラーさんと喋るやつに通うことになった。
そこでマインドフルネスって理論を教えてもらった。なにやらグーグルとかエリート企業でも採用されてる考えかたらしい。
物事をとらえるときに、常に「いまここ」を意識して、それをありのままに受け止める、みたいな。
そうすると過去を引きずったりとか、将来が不安になって仕方なくなったり、とかいうのから脱却できるらしい。
やり方を教えてもらって試してみたら、確かに毎日が少し過ごしやすくなった。
実際に楽になるとそういった心理学的なものに興味が出てきて、色々と教えてもらった。
「自己成長性への信頼」といって、ありのままに過ごしていれば、自然と良い方に物事が転ぶ、という考え方とか。
新興宗教はお金巻き上げられるから怖いと思ってたけど、今も「治療費」として金払ってるし。
なんとなく心理学という学問として体系だてられた権威があるだけで、
広場にいたのは以前、弟たちが色々と野暮なことをして困らせた魔法少女の人だった。
どうやら、何らかの催しと合わせてチョコを配っているらしい。
「うっわあ、あんだけ無作為に配るって、俺には絶対マネできないな」
「まあ、人気商売だからね。見返りってのは形のあるモノだけじゃないってことなんだろう」
配っているチョコはどうも魔法少女組合が販売しているチョコらしく、在庫処分なのか宣伝目的なのか分からないが、いずれにしろ利己的な思惑が絡んでいることは明らかであった。
慈善団体という名目だが、魔法少女をやっていくのは簡単ではないということなのだろう。
「タダで貰えるんだったら、俺も貰ってこようっと」
弟は列に並ぼうと魔法少女に近づくが、ミミセンが静止する。
「いや、僕たちはこれまでも魔法少女の人に図々しいことをしてきたし、今回はやめとこう」
それでもミミセンの判断が優れていることは分かっていたため、大人しくそれに従った。
「まあ、いいや、とにかくチョコを捌かないと」
「渡すアテはあるのかい?」
「とりあえず近所の知り合い、きっちりお返ししてくれる律儀な大人たちに優先して配ろうと思う」
予想外の人物からのまさかのバレンタインチョコにみんな最初の内は困惑するが、「こいつのことだからホワイトデーの見返り目的だな」とすぐに勘付く。
それでも受け取ってあげるあたり、良くも悪くも弟の人徳が成せる業である。
その道中、また知っている人物を見た。
『生活教』だとかいうのを広めている、時代遅れで薄味な新興宗教の教祖だ。
「皆様、バレンタインも宗教が関係していることをご存知でしょうか。しかし、贈答品がチョコというのは企業戦略の結果もたらされた風潮でしかありません。国によってはメッセージカード、花などを贈ることもあります」
バレンタインを話に絡めて、今日も飽きずに布教活動をしているようだった。
みんな教祖のことを胡散臭い人物だとは思っているのだが、それでも話に聞き入ってしまう者が何人か出てくる。
曲がりなりにも教祖なんてやっているわけだから、やっぱりそういった“素養”があるのかもしれない。
「恋人のための祭りという認識が一般的かもしれませんが、これも厳密に決まっているわけではありません。片思いの相手、友人、仕事仲間など様々です。つまりマクロ的な観点から見れば、チョコ以外のものを送ってもいいですし、誰に送っても問題ないのです」
いまの弟にとって、その教えは福音だった。
「こう、おっしゃる方もいるでしょう。『大事なのは真心』だと。ですが、それは目に見えませんよね。こう考えてみましょう。真心を可視化したものが贈答品なのだと。そう考えるなら、大事なのは“何を贈るか”ですよね? そこで『生活教』では、生活用品を贈答品として推奨しております……」
むしろ耳の痛いことも言っているのだが、こういうものは各々が都合よく解釈するように人間は出来ている。