はてなキーワード: 先入観とは
ほうじ茶はスッキリさっぱりと、優しい苦味が良いのになぜあんなぶち壊しにするようなことを……
というようなことを会社の先輩に言ったら、自分はほうじ茶ラテは美味しいけども抹茶ラテが理解できないと返された。
曰く、苦くて濃厚な抹茶本来の味を甘味で誤魔化すようなことはしてほしくないと。
私は抹茶ラテは好きなので不思議に思ったが、よく考えれば先輩がいうような苦い抹茶本来の味を知らないのだ。
はじめての抹茶との遭遇から、ソフトクリームなどの甘いもので、抹茶はこのようなものと思い込んでいた。
もしかすると、先輩も同じではないのかと、ほうじ茶本来の味を知らないのではないかと思い確かめると、先輩もほうじ茶との遭遇はほうじ茶ラテということである。
なるほど。
ほうじ茶の味を知らなければ、私がほうじ茶ラテを愛することができた世界線もあったのかもしれない。
少しだけ寂しい気がした。
そんなものは寡聞にして知らないが見逃されてるだけな気もするんだよな
裾野が広い山ほど高いっていうし、レスバトルには相当な人間が参加してきてるわけだから、本来その議論から生まれるものは計り知れない
何としてもその論争に勝利すべく機転なりウィットを利かせるうちに従来の論理学では見出されていなかった論法が生み出されていることだってあるかもしれない
哲学者という名の大学教授は論文とか書いて金をもらっているように、レスバトラーにもそういった功績に応じて褒賞金が出るべきなんだよな
でも金を与えられるような身分の人間は先入観でネット上のレスバトラーを軽視してるからなのかそもそもそこで画期的な大発見がなされようが光が当てられることもないのだろう。
オッカム先生はもともと、北海道の裕福でない家庭で生まれ育った自分の境遇と、階級格差・地域格差への怨嗟をたびたびつぶやかれていました。たとえばこれとか。オッカム先生にとっては、その境遇から脱出するための唯一のキャリアパスが、大学の研究職になることだったということで、「うちには資産がなく告げる(sic)仕事もなく、もう大学組織に雇われるしかない。それで業績や大学の規模やステイタスに拘りました」とか、「私はガリガリ亡者のように(大学教員)職を求めていました」みたいな話はよく書かれてました。今回消されたツイートの中にも「大学に職を得られないなら死ぬつもりでした」というのがありました。地元dis・ご実家disについてはやや自虐芸が過ぎるようにも思ってましたが、それは個人的境遇についての説明とモチベーションにつながる話でもありますし、自分もこういう文化資本を含めた階級格差・地域格差がアカデミアでのキャリア形成に及ぼす影響(再生産)というのは、充分考察・検討に値する問題だと思っています。
そういった背景のうえでの、件の炎上について。オッカム先生は、国際会議の同時通訳をやれるほどの能力を持ちながら、研究もしていなければ常勤でもない既婚の女性達を見て、
北大助手時代に「東京は恐ろしい所だ」と思ったことが一度だけあります。国際会議のロジやっていた時、同時通訳を派遣してもらいました。最初は研究者なんだから通訳くらいできるだろうと思ってたのですが通訳は甘いものではなくまるでうまくいかなかったのです。まして同時通訳など訓練なしには無理。
アカデミアの国際会議でしたから専門用語だらけですが、事前に資料渡しておいたら、それはそれは見事な同時通訳がなされました。通訳者はすべて女性だったのですが、これが皆さん、専業主婦だったのです。東大やICUを卒業した専業主婦です。セレブバイトだったのです。
東大やICUや東外大(ICUや東外大は大学院を駒場で修了してたりする人もいました)出身者が専業主婦やってるのです。ジェンダーの問題は本件ではちょっとおいておきます。とにかく北北海道の辺境出身の私にはあまりにもイカツイ学歴の持ち主が専業主婦やって、セレブバイトしている。衝撃と畏怖でした。
繰り返しますが、ジェンダーの問題は専門外なのでおいておきます。彼女らは比較的余裕で超一流大学に入り、普通に教養を積み、しかしキャリアをガリガリ重ねることには関心がなく、恐ろしく給料の高い旦那のパートナーとして読書し語学を磨き子育てしている。雲の上より私には高かったです。
あり得ないのです。あり得ない世界だったのです私には。研究者としては、彼女らの旦那(が研究者だった場合)を凌ぐことができるかもしれない。しかしあの高学歴と語学力でキャリア志向のない妻を迎えることは想像もできなかった。つまり僕は絶対に勝てない。一体どんな世界なんだと背筋が凍りました。
という感想を抱かれました。当時その体験から受けた階級格差・地域格差の衝撃、圧倒的な語学力を持ちながら自分が切望する大学研究職というキャリアパスには興味を持たずに暮らしている(暮らせる)方々が存在することの衝撃をそのまま言葉にした結果、一連のツイートには、当時のオッカム先生がお持ちだったジェンダー観も交錯した形になり、そこが批判の対象になりました。
この「格差の衝撃」が、最終的に「自分と彼女達の旦那との勝負」(同時通訳者達の配偶者男性のことは、それまで話題に一度も登場していないし、そもそも研究職かどうかもわかりません)になり、しかもその彼らに自分は「絶対に勝てない」と勝手に敗北感を抱いてしまう…というくだりについては、多くの方が「もしかしてオッカム先生は、『男性の価値は、配偶者の属性や能力や、その配偶者を専業主婦として養えるかどうかによって決まる』という価値観をお持ちなのではないか?」という風に読まれたようです(自分も、素直に読んだらこの文章の意味はそうなってしまうように感じます)。そこで「トロフィー・ワイフ」という言葉を出して批判する方々も出てきましたが、オッカム先生は、この言葉を使ってオッカム先生を批判する方々に対して「女性はモノじゃないでしょう」「私、思いつきもしませんでした」と非常に憤られています。
もうさ、「トロフィー・ワイフ」という言葉がふっと思いついた人が2桁いるんですよ、確認した範囲で。どんな人生送ってきたんだと思うし、女性はモノじゃないでしょう。私、思いつきもしませんでした。
そして、「思いつきもしなかった」理由として、
思いつきもしない理由を考えてみました。
あともう一つ、アメリカ研究では、人種とジェンダー研究が盛んです。だから、「男女差別が具体的にどう現れるか」の研究を死ぬほど聞きます。だから「ジェンダーのことは置く」としたのは、自分のような政治史はジェンダー研究者から見たら子供レベルだからです。でも他分野の人よりは知ってます。
と言っています。オッカム先生は、ご自分が「自分が性別で他者を差別しない」方だと考えられています。なぜならアメリカン・スタディーズは半分以上女性の、実力の世界だし、「男女差別が具体的にどう現れるか」の研究を死ぬほど聞いているからです。これに説得力を感じるかどうかは読者の皆さんによって異なると思いますが、自分はちょっと、皆さんから指摘されていることの肝心な部分が伝わっていないのかな、と思いました。
もうひとつ、同時通訳という仕事について。同時通訳というのは、通訳・翻訳界のひとつの頂点で、その中でも国際会議などの同時通訳案件を請けられるのは本当のトップクラスの人材です。同時通訳というのは、どこに専門性があるかが誤解されがちな仕事で、語学力があればできる仕事…たとえば「米国からの帰国子女で、英語・日本語どっちも十分な語学力があれば、同時通訳ができる」という風に思われる方も多いようですが、実はそうではないのです。
英語を話される方なら「英語脳と日本語脳を切り替える」みたいなイメージは割と湧きやすいと思いますが、同時通訳というのはいちいち脳を切り替えてはダメで、「2つの言語モードを、脳のなかで同時並行で走らせる」という特殊な訓練が必要です。これは2言語ネイティブであってもなくても、練習なしには極めて難しいことです。
自分は同時通訳なんてとてもできませんが、一時期フリーランスの書籍翻訳をしていました。翻訳業界では「米語ネイティブで日本語も達者な人なのに、英日翻訳をやってもらったら商用出版に耐えないクオリティだった」ということをよく耳にします。頭が英語のモードのまま日本語に翻訳をすると「単語を日本語に置き換えた英語」になりがちで、日本語ネイティブが読んだときに不自然だったり意味が通らなかったりすることが多いのです。だから頭を日本語のモードに変えて、自分は英語原文を知らないというつもりで読み直して、それでも意味が通るかどうかを検証しています。
同時通訳者というのは、これをリアルタイムでやる仕事です。頭をフル回転させて、耳から入力された言語Aの内容に意識を研ぎ澄ませつつ、語り手の立場、聴き手の立場、その場の文脈などを加味して、最も適切な言語Bでの表現を選び出して、言葉として淀みなく紡ぎ続けるわけです(個人的には、同時通訳者さんの脳内では将棋や囲碁などの知的ゲームのトッププロ並の情報処理が行われていると思っています。「アスリートに近い」という人もいます)。想像していただければわかると思いますが、同時通訳は脳にかかる負荷がものすごいので、長時間はできません。国際会議などのように尺が長い場合は、複数の同時通訳者をアサインして、15分交代でやります。休憩中はしっかり糖分を取る人も多いようです。業界トップクラスの年収数千万円レベルの方々でも、持ち時間の終盤にさしかかってくると、徐々に言葉が途切れたり、不本意な倒置などが増えたりしてくることがあります。それほどハードな高度技術職なのです。日本トップクラスのフリーランス同時通訳者の田中慶子さんのお話( 日本トップクラスの同時通訳者が明かす、英語で困ったときの切り抜け方 - ログミーBiz)など読むと、その内実が伝わりやすいかもしれません(ちなみに田中さんは帰国子女ではなく、高校まで愛知で育った方です)。
また、担当分野に関する深い知識も当日までに身に付けなければいけません。通訳業界ではしばしば「その場にいる人の中では、通訳が一番話題に疎い人物」みたいな言われ方をします。商談でも政治交渉でも学術会議でも、母語は違っても同じテーマについて語りたい人達が集まって話す場なので、通訳以外の参加者達はテーマ自体については深く理解しているのです。その2者の橋渡しをするのがその場で一番アウェイな通訳だと考えれば、どれほどの事前準備が必要か、というのは想像に難くないと思います。
こうした仕事の性質上、企業の常勤正社員で、毎日同時通訳ばかりしている方はあまりいないと思います。契約社員などでの社内通訳というポジションもあるにはありますが、数は多くなく、そういう方々の中にも将来的なキャリア形成として、より高収入で仕事も選びやすいフリーランス通訳者を目指す方は多いようです。オッカム先生がおっしゃられている状況を考えると、会議にいらしたのは、おそらく首都圏でサイマル・インターナショナルなどにエージェント登録されているクラスA以上のフリーランス通訳者だと思います。おそらく全員が、事前に当該分野・当該テーマについての予習をみっちりして、前日に首都圏から北海道に飛行機で前乗り込みして、複数人の体制でブースに入って、アカデミックな話題について原稿なしの同時通訳をやられたのではないかと思います。トータルの拘束時間は3日ぐらいかかっているのではないでしょうか。そういうプロフェッショナルの同時通訳者の方々が、その時はみなさん既婚の女性だった、という状況なわけですが、自分はこれを「キャリアに興味がない専業主婦のセレブバイト」と呼ぶのは無理があるし、そう言いたくもないなあと思います。この表現には「有閑階級で時間がある主婦だからこそできる、暇つぶしの趣味的な仕事」というニュアンスがどうしても漂いますが、仕事の実態はとてもそんな風に軽々しく言えるものではないし、だからこその高給でもありますし、将来につながる立派なキャリア職でもあるからです。
炎上ツイートの冒頭を読むと、同時通訳が「訓練なしには無理」のハードな仕事だということはオッカム先生も認識されていたようなのですが、そういう高度技術職に携わっている既婚女性達が、〈既婚〉で〈女性〉という手がかりだけから「比較的余裕で超一流大学に入り、普通に教養を積み、しかしキャリアをガリガリ重ねることには関心がなく、恐ろしく給料の高い旦那のパートナーとして読書し語学を磨き子育てしている」と推定して、「専業主婦のセレブバイト」という評価に到ったのは、当時のオッカム先生が同時通訳という業態についてそれほどお詳しくなかったこと、お話をされた同時通訳の方がご自分のステータスについて「専業主婦」と仰ったこと(どういう質問に対してこの答が出てきたのか、答えられた方がどういう思いでこの言葉を選んだのかはわかりませんが)、男女の性別役割に関して当時お持ちだった先入観が絡まり合っていたこと、の3つによるのではないか、と感じます。
過去の物の見え方は物の見え方として、問題なのは、帝京大学教授として後進指導にあたる立場になられたオッカム先生が、当時ご自分がお持ちになられたそうした印象をどう考えられているか…なのですが、今日までのつぶやきを拝見すると「当時の自分の物の見方には、今からしたら偏っていた部分もある」といった形でそれを相対化する振り返りは自分の見た限りではあまりなく、むしろ一部の批判に対しては訴訟をする決意を固められているようです。自分は正直、事態があまり好ましくない方向に向かっていると感じています。
某地下ドルがお亡くなりになった
アンチのせいだという話だが、側から見ている限りそれを望んだアンチはいなかったと思う
逆に別のコンカフェP兼地下ドルは全く反省せずに図太く生きている
これもたぶんアンチの望まない姿だ
エゴサで本人に見つかるようなアンチ書き込みをしそうになったら、そいつのことは一刻も早く忘れるに限る
アンチ本人ではなく関わりそうな人に注意喚起をしていくパターン
全く先入観ない人間にあいつやべえから関わるなっていきなり吹き込む奴のほうがだいたいやべえ
本人を叩くんじゃなくて周囲に働きかけるほうが少しは実があるのではないかと
でもやっぱり多分忘れるほうがコスパは高い
仕事ってつらいものだっていう認識(先入観?洗脳?)があるから。
でもそこに不平等感が入るともう駄目だね。
「俺はつらいのに、あいつは仕事もせずに牛丼食べてる。なんで俺がつらい思いして仕事しなくちゃいけないんだ。」なんですよね。
まったく同じ仕事こなしてるのに年齢が上ってだけで給料2倍違うとか、
そういうのがやる気を奪っていくんですよね。
そういうこともわからず弊社の社長は今日も会社にプライベートの用事持ち込んで遊んでるし牛丼食ってるし、
「それが我慢できずに辞めていくなら、うちには合わなかったってことだね。」みたいなこと平気で言うし、
ずっと黒字なのがご自慢みたいだけど、前社長からの資産食いつぶして、設備や人材に一切投資しなかっただけだよね。
[B! 漫画] 宇宙の向こうの地球まで。/2021年4月期ブロンズルーキー賞 - こぐまあゆむ | 少年ジャンプ+
「これを言っておけば通ぶれるよ」とネットで聞きかじった言葉を自動的に吐き出すだけの装置になった人工無脳の集団か?
なーにが「「こんなん絶対途中で何かあるやん。」っていう読み手の先入観を計算に入れてたら天才の所行」だよ。
作者がお前の方を向いて作ってくれてたら天才認定、もしそうじゃなかったらバカ認定ってか?
本当ふざけてんな。
定食屋の卵焼きに「甘くてとっても美味しいです。オカズはしょっぱいべきという固定観念にこだわる味覚障害者への皮肉を込めているなら満点」って言い出すようなレベルだな。
ほんまアホやわ。
あのなあ「こういうジャンルはこういう文脈が普通」とか考えだしたらそれは老害なんだよ。
SFだからロケットは爆発しなきゃいけないとか、学生の恋愛は不幸に終わらなきゃいけないとかそういうのいらねーから。
マジ?
お前の頭がおかしいんだよ。
40代おっさん。最近あまり新しく好みの漫画に出会わなくなってきたので、もし好みが合う人がいたら教えて欲しい。
なかなかバラバラな趣味趣向ではあるんだけど「この世界をもっと読みたい」と思った作品はこんな感じ。
料理もの、食事もの、海外エッセイものは好きなんだけど最近流行りすぎてて食傷ぎみではある。科学や数学ネタな漫画あまり知らないのでもっと読んでみたいなぁ。
リプ、ブクマでいろいろ教えてくださりありがとうございます!気になってたけどまだ手を出せてなかったものなどもあり、時間とお金が有限な都合上一気に全部は消化できないので少しずつ読んでいきたいと思います。(多分、時間はかけてもおすすめされたもの全部手を出します) まずは「5/22まで全話無料配信」とあったので 屍人荘の殺人 読みました。面白かったです。
漫画詳しくないのでアドバイスできないけど「最近あまり新しく好みの漫画に出会わなくなってきた」のなら合わなかった作品も提示したほうがよさそう。disる必要はないので。
書こうかどうか悩んで書かなかったんですよね。どんな漫画でもそれなりに楽しめてはいますし、情報少なめな方が先入観少ないおすすめしていただけるかなと思ったので。
強いてあげれば チェンソーマン、ゴールデンカムイ、テラフォーマーズ、天地創造デザイン部、ムシヌユン あたりが途中で読むのをやめてしまった作品ですね。
おすすめいただいている中でこの辺はすでに楽しく読ませていただいております。
チ。、へんなものみっけ!、東京トイボックス、不思議の国のバード、カムヤライド、グレイトフルデッド、女の園の星、フェルマーの料理、サトコとナダ、山と食欲と私、3月のライオン、ナウシカ、きのう何食べた?、テロール教授の怪しい授業、寿司 虚空編。
id:kotetsu306 もやしもん、映像研、決マネあたりから、奇人変人が集まる部活・研究室モノが好みかな? アトム・ザ・ビギニング、ハルロック、とかどうだろう
友達は私のことを非リア仲間だと思って「私たち独身オタク仲間でズッ友だよねっ!」って前提で話してくるので否定しにくい、彼氏ができたときに浮かれてるっぽいのも恥ずかしいしすぐ別れたらマジでピエロだと思ってちょっと間をおいて言い出そう…と思っているうちに気づいたら3年もたっちゃって言い出すタイミングを失ってしまった。
オタクのくせにそういう変なプライドを持つのが悪い、完全に私のせい、それは甘んじて受け入れている。
嘘つかない程度に彼氏の存在をぼかし続けてた私も私だけど、完全に私には生まれてこのかた男がいた時期がないと思って話進めてるあなたもそうだよ。
あなたに話した○○行ってきたよ報告の半分くらいは彼氏や元カレと行ってるけど、「誰と行ったの?」って聞かれたことが一度もないから言い出したことが一度もないよ。もはや浮かれているとかではないからただの報告に過ぎないけど、なんでこんなに言い出しにくいんだろう。
クリスマスや誕生日の予定を聞かれて、ごめんね予定があるよって言えば相手は勝手に仕事頑張ってね系の返事をくれる。あなたもわりかし思い込み激しいけど否定しない私も悪いのでどっちが悪かったとかはないけど、だんだん騙してる気持ちが膨らんできてしまって余計プレッシャーになってるんだ。
もともと独身女ひとりで生きる生活も選択肢の一つとして考えていたしそういう認識でいてくれても良いし、結婚しても家とか籍変わるだけで友達やめるわけじゃないけどさ。
順番というか、前提がおかしい気がする。
普通の発達過程では、まず、「自分は、能力が特別でなくても、存在に価値がある」という感覚を得る。
すると、自分の能力が冷静に見つめられるようになる。大抵の能力は平凡だが、他人よりも得意なこともあることに気づける。
逆に、能力が特別でなければならないという「焦り」があると、自分の能力を冷静に認識できない。「勉強と部活の両立」のような、固定化した観念に自分を当てはめ、縋り付いてしまう。その過程で、本来なら見つけられたはずの自分の可能性を見逃してしまう。
まずは、特別でなければならないという先入観から離れることだと思う。世の多くの人が、特別でなくても幸せに生きている。一方で、世の多くの人が、特別でも不幸せに生きている。
垂れるのもあり、離れてるのもあり、陥没乳首だったり左右非対称だったり。
市場に出てる野菜しか見たことのないバカは見慣れない形があるとすぐにやれ奇形だのフクシマだのと罵る。
・そこら辺にある家族イラストとかで、ママと子供が楽しそうだけどパパは荷物持ったりして汗かいてる、みたいなの
→パパ一人だけ大変な思いをして当然、みたいな前提を感じていい気がしない
→そもそも困った行動を問題にするのじゃなく人物を揶揄して話題にするのがどうかと思うが、
「おじさん」という単語に揶揄の意味を乗せるのは「おばさん」を揶揄するのと同じくらい良くないと思う
→ダメでしょこれは
・「男のくせに」「男ならこうしろ」みたいなの
→これもダメでしょ
→論外
・女性なら貧乏旅行でもある程度ちゃんとした宿を取らなきゃいけないけど、男性は最悪野宿でもOKみたいなの
→これは男女どっちの差別かちょっと悩むけど、男だって野宿したら強盗とか遭いやすくて危ないよねきっと?
・女に手を上げる男は最低!みたいなの
→男にだって上げちゃいかんし、女が男に手を上げるのだってダメ
→これは自分で経験してないしよく分からない… でも男だから育てられないはず、女だから育てられるはず、という先入観は良くないよね
→よくないけど、こういうの出席する男性が増えてきたら自然とこれは無くなりそう
あと、外国の人が日本で色んな体験をしてみた、みたいなエッセイ漫画で、婚活の場で男性だけ年収を書かされる(女性は趣味とかを書く?)のは凄い差別的だって作者の人が言ってた。婚活はしたことないから知らないけど、それはそうだよな、と思った。ちなみにその作者も女性ね。
まあこうやって考えてはみたけど、やっぱり当事者じゃないと見えないことが多そうだなと思った。