昔から要領は良くて、勉強はできた。部活は好きだったし、それなりに成績も残せたから、ずっと頑張ってきた。
そのうち、勉強と部活の両方で結果を残すことが自分の特別性、アイデンティティなんだと感じるようになってしまった。
実際、勉強と部活の両立は分かりやすい「凄さ」だと思う。大抵の人間は勉強をしたことがある。勉強で結果を残すのは楽じゃないことも知っている。部活に入ったことのある人間も、それよりは少ないにせよ多数派であることは間違いないだろう。
私にとって「勉強と部活」は、手っ取り早く周りとの差別化ができるツールであった。
気づけば社会に出るような歳になっていた。
就職活動では、もちろん勉強と部活の両立について話す。それが一番の差別化要素だから。
しかし、働き始めたら、部活をしていたことは何の差別化にもならないんだろう。それどころか勉強すらも差別化になるのか怪しい。とにかく自分の仕事の出来で評価される世界だ。
もしかしたら、仕事の出来が新たな特別性を与えてくれるかもしれないけれど、そんな保証はどこにもない。
大抵の人間は、もっと小さい頃から、自分は特別な存在でないことを知っているのだろう。そうやって身の丈を知って、大人になっていくのだろう。
勉強や部活を通じて、それはそれで多くのことを学べたし、後悔しているわけではない。
順番というか、前提がおかしい気がする。 普通の発達過程では、まず、「自分は、能力が特別でなくても、存在に価値がある」という感覚を得る。 すると、自分の能力が冷静に見つめら...
特別のハードル低すぎねえ? スポーツで飯食えるスポーツ選手や学究の道で飯食える大学教授とかは特別と言っていいだろうけど、小中高でちょっと結果出したところで普通の範疇やろ...
凡庸ともいう