順番というか、前提がおかしい気がする。
普通の発達過程では、まず、「自分は、能力が特別でなくても、存在に価値がある」という感覚を得る。
すると、自分の能力が冷静に見つめられるようになる。大抵の能力は平凡だが、他人よりも得意なこともあることに気づける。
逆に、能力が特別でなければならないという「焦り」があると、自分の能力を冷静に認識できない。「勉強と部活の両立」のような、固定化した観念に自分を当てはめ、縋り付いてしまう。その過程で、本来なら見つけられたはずの自分の可能性を見逃してしまう。
まずは、特別でなければならないという先入観から離れることだと思う。世の多くの人が、特別でなくても幸せに生きている。一方で、世の多くの人が、特別でも不幸せに生きている。
自分はいつまで「特別」でいられるのだろう。 昔から要領は良くて、勉強はできた。部活は好きだったし、それなりに成績も残せたから、ずっと頑張ってきた。 勉強で結果を残しつつ...
順番というか、前提がおかしい気がする。 普通の発達過程では、まず、「自分は、能力が特別でなくても、存在に価値がある」という感覚を得る。 すると、自分の能力が冷静に見つめら...
特別のハードル低すぎねえ? スポーツで飯食えるスポーツ選手や学究の道で飯食える大学教授とかは特別と言っていいだろうけど、小中高でちょっと結果出したところで普通の範疇やろ...
凡庸ともいう