はてなキーワード: リハビリとは
1年以上経って落ち着いてきたので、いまなら書けるとおもう。
あれは忘れもしない去年の4月30日だった。
当時26歳の私は、大学の課題や卒論、日々の日雇いの仕事、性別違和、精神疾患、父親との不和、などさまざまな問題を抱えながら日々をやり過ごしてきた。
4月29日の夜、いつものように睡眠薬と抗うつ剤と抗不安剤と女性ホルモン剤を入れて布団に入った。
眠れない。
仕方がないからしばらくネットサーフィンや資格試験の勉強などで時間を潰し、眠くなるのを待つことにした。
朝の6時になっても眠れない。
これはもう仕方がない、ひとまず眠れるまでは寂しいし誰かと通話しよう、そう思った私はSkypeで連絡を取れそうな人物と話をした。
大して内容のない話だったとおもう。本当にとりとめのないことを2時間半くらい話した。
そうしたら通話相手が、いまの私の現状に同情したのかなんなのかはわからないが、泣き出した。
泣いている人物と会話を話をするのはあまり得意ではないのでここらへんで通話はやめよう、そう思い、一応なだめて落ち着かせてから通話を切った。
通話後、自分のなかには将来への不安感、絶望感、焦燥感、そういったものでいっぱいになってしまった。
そういえば、カフェインを大量に服用すれば死ねるということを聞いたことがあったのでインターネットで調べた。
私の体重のカフェイン摂取の致死量は15g。ならその2倍服用すればほぼ確実に死ねるだろう。
このあたりで私の頭の中は死ぬことでいっぱいになってしまった。
そして手元にあったカフェイン剤をきっちり30g分用意して、そしてそのまま眠って死ねたらいいなと思ってルネスタやらロヒプノールやらマイスリーやら合わせて100錠くらい準備した。
そして、一気に、手元にあった炭酸飲料で飲み干した。
カフェインの錠剤が大きかったため、何度かに分けて飲んだ。胃酸だろうか、せりあがってくる液体も無視してすべて飲み干した。
飲んでから20分くらいは特になにもちょっと変な感じかな、その程度の身体の違和感しかなかった。
30分もすると強烈な吐き気がきて、ああこれはもう我慢出来ない、そう思いお手洗いで吐いた。ロヒプノールの色素のせいか、青色の吐瀉物が出た。
何度かえづいていると、1階にいる母に大丈夫?と声をかけられた。大丈夫ではなかったので素直に大丈夫じゃないと言った。
なんせ強力な吐き気、それからめまい、身体が動かない、もう自殺したいだなんて思わないから身体を楽にしてくれ、そう思った。
母に水を飲まされ、何度も吐いた。母が救急車を呼んだらしく、部屋に救急の男性が2人入ってきて、担架で救急車に乗せられた。
このあたり、正直なところあまり記憶がないため、細かいことを思い出せない。ただ、意識チェックなどを受けたことは覚えている。
それと、ごめんなさいごめんなさいと何度も謝っていた。
病院へ着くと、まず胃洗浄を行った。鼻にチューブを通され、洗浄水を入れたり、胃の中の悪い水分を抜いたり。
その後に、活性炭を投与された。胃洗浄は苦しいという話を聞いていたが、正直尿道カテーテルを通されるほうがしんどかった。
胃洗浄が終わると、病院着へ着替えさせられ、CTスキャンの部屋へ移動させられた。そこで強烈な吐き気。
CTスキャンが黒い吐瀉物でまみれてしまった。ごめんなさいごめんなさい、ひたすらに謝る私。
その後で、病棟に入り、尿道カテーテルを通され、全身管だらけになっておむつもつけられて待機。
はずかしいはなしだが、何度も看護師さんにおむつを交換されてしまった。
それと尿道の管の違和感が苦しかったのでお医者さんに抜いてもらった。
深夜になると、とても苦しくて寂しくて、泣いてしまった。
一緒に病棟で状態を見守ってくれた母がやさしく手を握ってくれたのを覚えている。
それから、こんな風になってしまってごめんなさい、と何度も謝った。
そして、明日には退院できるようにならなければ(その明後日に欠席不可の科目があったので)という気持ちが徐々に湧いてきた。
ODから1日経ちお昼になった。確かハヤシライスが振る舞われたと記憶している。
正直、食欲なんてまったくなかった。それでも、ご飯が食べられないと退院できないと聞いて、必死に食べた。
付け合せのレタス、トマト、デザートのバナナ、ツナのサラダ、そしてハヤシライス。軽いものから重いものへ順々に食べ、1時間近くかけてなんとか完食した。
その後はリハビリがてら、ちょっと歩いたりした。それは特に苦痛ではなかったのだが、最後に大きな問題が立ちはだかった。
いくら尿意を感じて力を入れても、1滴も尿がでない。尿が出ないと今日中に退院できないと聞いた私は数時間かけて排尿の練習をした。
そして、看護師さんに見守られながら、おしっこができたときは、すごく感動というか、開放感というか、達成感に近いものを感じたとおもう。
優しく接してくれた看護師お医者さんの方々に深々とお礼を言って病院を去った。
そして実家に帰り、お風呂に入り、早めに寝て、次の日は大学だったのでまた普段の日常に戻ったのでした。
今回の件で、絶対にODでの自殺企図はしないぞ、と固く心に決めたのでした。
・いまの現状
あれから精神は少しずつ落ち着き(結局大学は卒業できなかったけれど)、念願の恋人との同棲も叶い、基本的には主婦としてやっています。
たまに日雇いの仕事を入れたり、電気系の国家資格の勉強をしたりと、日々それなりに落ち着いた生活をおくれています、
復帰するにもリハビリ勤務みたいなのがあって、状況が思わしくなければクビ、いわば最終試験の目の前にいるわけだ。
正直病状としては微妙。つらい日もちょくちょくあるし、むしろ復帰のために、と思って始めた朝の散歩がプレッシャーになって起きれなくなったりなんてしてる。
精神科なんてチョロいもんで復帰可の診断書くれ、っていったら大体は書いてくれる。
問題は会社側がどうするか、リハビリで遅刻でもすりゃそれを理由にクビ切ってくるだろう。
自主退職、という選択肢も捨ててるわけではないのだが、復帰できるなら復帰したい。
このまま鬱なんて荷物を背負わされて、すごすご辞めていくなんて、もうやられっぱなしすぎてむかつくのだ。
復帰して、厄介者として扱われて、でも給料は払わないといけなくて。
職業訓練気分で仕事して、言っちゃえば会社にほどほどに迷惑かけて利用してから辞めてやりたい。
最低限のごめんなさいくらいさせてやってからでないと、この先町中で会社のロゴを見るたびに負の感情を募らせる日々になりそうだ。
少しでも気分のいい日々のために。
身バレしてもいいやって感じで書くけど、10年ぐらい引きこもってて(なんとなく収入はあった)、
最近ちょっとリハビリ的に個々でプログラミングの作業をする会(もくもく会というらしい)に出るようになったのね
んで今日も参加したんだけど、みんなでそれぞれ作業したあとで同じ場所で懇親会ってのがあってそれにも一応参加したんだ
で、懇親会がはじまった瞬間に、マジで「俺以外の全員が」瞬時にいくつかのグループに分かれて、(特に座席順とかでもないと思う)
マシンガンみたいな勢いの話で盛り上がり始めたんだけど、あれどういう仕組みなの?
そりゃ中には顔見知りの人もいただろうけど、20人ぐらい参加者がいて、
そんなに頻繁にやってる会ってわけでもないから、初対面の人も相当いたと思うんだけど。
作業中は別にそんなにコミュニケーションとってる風でもなかったのに。
いや、「ぶつかりに行く」というよりかは、「よけない」だな。
狭い歩道に広がって歩いてる集団やカップル。こっちは一人。向こうは複数。
というか、そもそも道に広がって歩かないってのがマナーだと思うんだけど、
意外とよけようとしない奴が多い。
そういうときは、こっちもよけずにそのまま突き進む。
当然、肩がぶつかる。
絵面だけみれば、拡散されていた動画の男のように自分からぶつかりに行ってるように見えるかもしれない。
ただし、女性にはやらない。老人にも。
あと、明らかにカタギでない雰囲気を醸し出してる人たちや明らかなヤクザ、明らかなキチガイにはやらない。
ガタイが良くて喧嘩したら負けるだろうけどって奴やウェイ系のサラリーマン、チャラい男子学生集団なんかは逆にムカついて戦意を煽られるので、よけずにぶつかっていく。
舌打ちされたり、睨まれたりもする。が、睨み返し、なんなら喧嘩になったこともある。
そういう経験があると、なんかこうぶつかりにいく奴が叩かれているのを見るとちょっと複雑な気分になる。
女性や弱いものを選んでぶつかりに行くのは明らかに違う。自分とは違う。
が、ぶつかられた側のコメントに、「自分もスマホ見て歩いてたらぶつかられた」ってのを読んで、
それはわざとぶつかってくる相手も悪いけど、ながらスマホしてるおまえも悪いだろ、って思う。
ながらスマホ全般は否定しない。急ぎのメール。地図の確認。乗り換えルートの確認。必要に迫られてってのもある。
ただ、混雑時のホームを歩きながらはないだろうとか、ただ延々とゲームしながらってのはないだろうと思う。
以前、うちの婆ちゃんは人混みでぶつかって転んで骨折して、歳だから治り悪くてリハビリとか結構苦労してやっと治ったあと、ちょうどポケモンGOが流行って頃でみんなスマホみながら歩いていて、人混み歩くのが怖い、またぶつかって骨折したらどうしようって、マジしばらく外出できなかったことがあった。
そういえば、脚本家の三谷幸喜がエッセイか何かでたたんだ傘を水平にして危ない持ち方してる奴見かけるとぶつかりに行くとか書いていたような。
歩きスマホも傘の持ち方も道路広がって歩くのもそうだけど、結局、やってる本人は気づいてないのだ。
それを気づかせるには、「口で注意する」というのもあるけど、それはそれで逆ギレする奴もいるし、同じ喧嘩になるなら、実際にぶつかって「邪魔だよ」「あぶないよ」アピールもひとつの方法としてはありじゃないかなって思うんだけど、世間的には違うのかな。「先に気づいたおまえがよけろ」、なのかな。どうなんだろう。
(※夜中に記事を見て勢いで書いていますので、最新のガイドラインに準拠した内容であるか査読していません。蘇生に実際に携わった経験が複数回あり、ICLSで複数回トレーニングを行っている者が経験と記憶を元に書いていることをご了承ください)
現時点では専門家としてのコメントが見当たらなかったので少しだけ書きたいと思います。
救命の専門家かと言われると自信はありませんが、院内でも心停止→心臓マッサージとなると、蘇生後(あるいは蘇生しながら)ICUに入るのがセオリーです。当然、院外から運び込まれます。もつまり、私たちは「蘇生がうまくいった人」「蘇生がいまいちだった人」「蘇生がうまく行かなかった人」のその後を実際に見ている立場です。
まずは、倒れた方が速やかに蘇生して何よりです。搬送されたその後は気になりますが、いろいろな意味で、これが一番良かったことです。
僕たちは定期的に、より高度な人形(胸を押す深さを記録したり、電気ショックを実際に行うことができるなど)でトレーニングを行いますし、実際に院内で心停止に対応したことも一度や二度ではありません。
慣れている僕たちでも、単純な運動としてもかなり疲れますし、頭をフル回転させて原因検索と現場のマネージメントを行うので、終わった後はどっと疲れます。慣れない一般の方であれば、アドレナリンがドバドバ出て、興奮が冷めたころにものすごい疲労を感じられたのではないかと思います。本当にお疲れ様でした。
そして、文面を見る限りでは、バイスタンダー(居合わせた人)としてのあなたの対応は間違っておらず、正しい処置をされています。安心して下さい。一番言いたかったことはこれです。
・脈拍について
もし本当に心臓が止まっていたら、あるいはとても弱い拍出しかなかったら「脈は触れない」ので探す必要はありません。
例えば、熟練者が1~2秒で「脈があるorない」と判断し即座に心臓マッサージを開始するのであればそれでもいいかもしれませんが、反応と呼吸がない(もしくは死戦期呼吸という喘いでいるよな呼吸)の時点で心停止とみなすため、特に非熟練者では今回の対応が正しかったと言えます。
私は肋骨どころか胸骨を折ったこともあります。仕方ありません。何もしなければ死んでしまうので、よくぞ続けてくれました、という所存です。
患者さんはICUで「胸が痛い」と言います。実際かなり痛そうです。いろいろな痛み止めの薬などで対応しますが、リハビリをし、退院されていきます。それは初期対応が的確になされ、障害がないあるいは軽微であったからこそです。
・時間を記録していること
大相撲の件でもどなたかDrが言及していましたが、心停止~蘇生の時刻を記録しているのは非常に重要なことです。心停止の時間が長くなれば、心拍や呼吸が戻ったとしても、脳がダメージを受けて植物状態のように意識が戻らない方もいます。心停止~心拍再開の時刻がわかれば、脳のダメージがある程度予測できます。しかし、一般の方がムリに記録する必要はないと思います。できるだけ早く心臓マッサージを始めること、良質な心臓マッサージを可能な限り絶え間なく続けること、AEDを適切に使用できること、これが優先です。余裕があれば時間の記録をお願いします。
心臓マッサージはもちろん生死の問題です。しかし、同時に社会復帰できるかの問題でもあります。
蘇生までの時間が長かったときは上記のように、身体は生きていても意識は戻らずずっと寝たきりのままになるかもしれません。
あるいは脳がダメージを受け、言葉がうまく使えなかったり、身体が十分に動かなかったりするかもしれません。
早くAEDにつなぎ、電気ショックで心拍再開することや、心拍再開するまでに胸骨圧迫が上手に行われて脳に血液が通っていることで、こういった可能性、程度が少なくなるということです。
そういう意味において、今回のケースは、蘇生が早かったこと、そしてバイスタンダーであるあなたが速やかに適切な処置ができていたこと、倒れられた方にとって幸運だったと思います。
最後に、環境について(誰も交代しようとする人がいなかったこと、駅員さんの情報共有?など)は残念に思うことがいくつかあります。
特に、駅員さんを含めて誰も心臓マッサージを交代しようとしなかったこと、AEDを持ってきてくれなかったことです。
今回のようにすぐに心拍再開しなかった場合、5分も経たずにあなたの心臓マッサージは「有効なもの」ではなくなります。そして、AEDの装着と解析はできるだけ早いほうがいい。
数年のブランクを経て、先月、金策とリハビリを兼ねてコンビニアルバイトを始めた。夕勤四時間を週に2、3回だ。
何せ久々の労働だし、以前の仕事先では使えないとかお前みたいな役立たず死ねばいいのにとか毎日面と向かって罵倒されていたので、今度は上手くやれるだろうか?というのんきな不安よりも、今度もまた死にたくなるほど詰られたり、なんのかんの言いくるめられて契約時間がどんどん引き伸ばされ連勤の嵐にのまれてブラック労働から抜け出られないようにされるんじゃないかっていう恐怖があった。
だが心配は杞憂だったようで、今のところこれまで働いたどの職場よりも快適な環境でルンルンの気分で働いている。
コンビニバイトはよく、覚えなければいけない仕事が多くてキツいと言われている。要領と物覚えの悪い私に勤まるのだろうか?と不安だったが、実際仕事について得たのは、私意外と要領も物覚えも悪くないんだ!?という発見だ。
思うに、毎日充分な食事と睡眠を取れて体のコンディションがよく、上司に些細な事で罵倒されず心穏やかに働けるのがいいのだろう。勤務日数も時間も少ないから疲れが溜まりにくいし。
小さなミスを何度も何度も重ねて客に胸ぐらを掴まれ泣きながら仕事をしていた若い頃の日々はなんだったんだろう?
なんだー、私だって落ち着いてやれば出来るんじゃん。一つ一つの仕事を速く正確にこなしていけるという、それだけの事が嬉しい。
私以外のアルバイトやパートの人達も、それぞれ無理ない時間で希望の収入が得られるだけ働いている様だ。
そういう環境を整備してくれている正社員の人達、特に店長や副店長はかなり過酷な労働をしていて、毎日の様に12時間以上勤務し、出勤時間も不規則の様だ。私など非正規は昼勤なら昼勤、夕勤なら夕勤だけと勤務時間帯が固定されているが、正社員は主に夕方~早朝の勤務、それに加えて非正規の休暇の穴埋めをしている。
今週は、高校生のバイトの子達が中間テストの勉強の為に休んでいるので、正社員さん達は特に忙しそうにしている。(私も1日出勤を増やしたけれど、私以外のバイトで高校生達の代わりに入ってくれる人は見つからなかった模様。)
殊に店長はゾンビ状態で、たまに遠くを見たまま立ち止まっているし、呼んでも反応がないこともしばしばある。
人手不足のお陰でいつの間にかアルバイトやパートが優位になりつつあるようだが、正社員さん達の様子を見ると、この状況は長くはもたないだろうなあと思う。
最近になって煽りドライバーのニュースが放送されたり新聞になったりしてますね。
私も、そういう心の無いドライバーによって人生の大事な時間を潰されました。
まず最初に、すべてのドライバーが憎いとは思っていませんし、グッドドライバーは必ずいると思っています。
本題。
バイクで通勤していた頃の話なのですが、私は主に夜勤をメインで行っていました。
なので、朝になれば仕事が終わって朝日を浴びながら家路を走る日々でした。
そんな毎日でしたが、ある時ミニバンタイプが後ろから近づいて煽りかけてきました。
民家が多い所だったので、よく事故もあり注意して走るのは近所の人なら誰でも知っている道だったのですが
ここでミニバンがとろとろ走ってると思って煽りかけてきました。バイクの後部スレスレまで近づいてきたり。
途中で信号待ちになると空ぶかしをしてきたりと悪質です。
それでも無視をして走っていたのですが、次の信号が赤になった為に停止した所…どーんと後ろからぶつかられました。
バイクですので、私は転倒。前の車との車間は空いていたのでバイクが前に飛び出しても運良く横にそれた為
前の車には被害はありませんでしたが、私はそのせいで首の神経をやってしまい腰は骨折。
ミニバンは逃げようとしましたが、前とミニバンの後ろの車の人が降りてきた為に逃げることもできずに
煽った理由は「ちんたら走っているから」というくだらない理由でした。
警察から「ここは事故が多いのを知っているか?」と聞かれていたのですが、信じられないことに地元の人でした。
わかっているはずなのに、そういうことをしたというのが信じられませんでした。
神経を痛めた為に、私の腕と足は動かなくなりました。
時間が経てば少しずつ回復すると言われたので、リハビリを頑張ろうと思いました。
腰の骨も折っていた為に、まずは寝たきりでした。
20代の大事な時間だったのですが後半は寝たきりとリハビリ生活で費やされました。
今まで勤めていた会社も辞めることになり、治った頃には就職するにも縁がない会社ばかりです。
保険はそれなりにおちましたが、そんなことよりもくだらない事故に巻き込まれて
大事な時間をうばわれたことに対して、煽り運転などを行うドライバーが憎くて仕方ありません。
本来なら結婚も決まっていたのに、それも引き伸ばす事になりました。
そして結局、その結婚もご破産されました。もしこのまま寝たきりだったらと考えれば恋人の考えは正しい。
先が思いやられる人よりかは健康な人と一緒になったほうが良いです。縁がなかったと諦めました。
仕事の面でも、みんなが仕事をしている時間にリハビリで過ごすのは正直辛かったです。
こうやって煽り運転によって台無しにされる人もいますので、煽り運転を行うようなドライバーは然るべき罰を受けて欲しい。
できれば、もう二度と乗り物に乗らないでほしいくらい憎たらしく思います。
下手をすれば、命を奪われていたかもしれないと考えるとゾッとします。
生きていただけでもめっけものかもしれませんが、五体満足でもなく死ぬまで寝たきりだったりしたら
それは生きていても死んでいるのと同じです。
軽い気持ちで煽るような輩には、絶対に分からないと思いますけどね。
今後も願うのは悪質なドライバーは一人残らず居なくなってほしい事です。
あぁ…ほんとにくだらない内容でごめんなさい。
久しぶりに恋人ができた。
およそ七年ぶりのことで、私にとっては「大」を幾つ連ねても足りないほどの大事件だった。
なぜなら、恋人がいなかった約七年間の間、恋愛関係に発展しそうな付き合いは一切なく、誰かとデートはおろか二人で食事をするシチュエーションすらなかったのだから。
もちろん酒の勢いやワンナイトの類いもなかった。
男女交際一式は過去に経験しているけれど、石橋を叩きすぎて割ってしまうほど慎重かつ臆病なので、恋人になりそうもない相手とスキンシップやセックスを楽しめるほどの勇気や経験値は自分にはなかった。
セックスアンドザシティで「一年間セックスしないと女は再処女化する」というようなセリフがあったけれど(ニュアンス)、七年間とかマジでどうなるんだよ怖えーよと一人頭を抱えたりしていた。
たまに「いいな」と思う人がいても、結婚していたから「いいな」で終わりだった。
好意を向けてくれる人がまれに現れても、どうしてもタイプじゃないか、やはり既婚者だった。
その間、合コンとか街コンとか相席居酒屋とか、出会いに繋がりそうな場所に行ったこともない。
そんなこんなで約七年。
それでも、人に恋人の有無を聞かれ、長年いないことを話すと十回に十回驚かれた。
まあ、お世辞というか、お決まりのリアクションなのかもしれないけれど。
顔面は、石原さとみのようなハイパー美人にはほど遠いが別に悪くはない。
きちんと化粧をして何ら差し支えのない洋服たちでJJに載っていそうな系統のおしゃれをする。
ムダ毛は手入れするし、伸ばした栗色の髪の毛のケアにも勤しむ。
前髪も後れ毛も巻く。
社会経験も人並みに積み、良い会社に落ち着いて、世間知らずでもない。
初めましての人と対面しても、しっかりコミュニケーションが取れる。
だから「彼氏いないです」に対して、返ってくるのは「なんで?いそうなのに」だった。(社交辞令かもしr
と、思ってました。思ってたし、実際にそうだった。
私はオタクだ。
推しは天使だから常にありがたすぎて課金するし、イベントなどがあれば北海道から九州まで飛ぶ。
ちなみに「オタクだから彼氏いない=オタク趣味が相手に受け入れられないからモテない」のではない。
オタクだから「オタクごとが楽しすぎて恋人いなくても全然寂しくない」のだ。
オタクというのはアニメ漫画ゲームアイドル同人などのサブカルチャー的な匂いを強く発する言葉だけれど、個人的には「恋人がいなくても何ら寂しくなくむしろ面倒な付き合いがないので自分の時間を圧倒的に優先できて充実したハッピーライフ送れてる」と感じるレベルの趣味やものごとは全部オタクごとだと思っている。
だからシングルで過ごしていた長い間、私が「彼氏ほしい!」と本気で思ったことはほぼなかった。
いなくていい、ほしくない、と思っている人間に恋人ができるほど恋愛は強制的なものではない。
できそう、できなさそう、モテそう、モテなさそう、以前の問題。
オタクでいると、頻繁に会う友達がほとんどオタクになる。(私の場合)
趣味を全力で全うするオタクって、まるで結婚しない。恋人がいる子も少ない。
結婚している全力のオタク友達もいるけれど、その場合子供がいないか、子供がもう大きい。
ある程度の財力と時間の余裕を手にいれたアラサーのオタク活動は、それはそれは楽しくて。
「まだいい」「もう少しこのまま楽しみたい」で、どんどん年をとる。
それは決して悪いことではないのだけれど。
で、私も、気付けば七年も色恋沙汰から遠ざかっていた。
人肌恋しい時は何度かあったけれど、寝て起きたら大体忘れているし、オタクごとで萌えるのに忙しくてすぐにそんな感情は溶けてなくなった。
そんな中、三十路が見えてきて、いつまでもこのままじゃいられないなぁなんて、ようやく焦りを覚えたのが昨年。
結婚願望はあったので、婚活中のオタク友達に相談して、出会いが見つかりそうな場所に、生まれて初めて自らの意思で赴いた。
そんなふうに行動してみたらあっさりと彼氏ができた。
でもって今は半年でふられてしばらく、といったところ。
ズタボロに引きずっている。
とりあえず彼氏がほしかったので、「好きになれそうだな」の段階からお付き合いしたけれど、付き合っている内に見事相手をとても好きになった。
長い間恋愛を休んでいても、良い相手に出会えさえすれば相手を「好き」だと思う感情が、まだ自分の中に残っていることにとにかく感動した。
相手との時間を作るためならライフワークだったオタクごとを後回しにしてもいいと思えた。
そのことに、私は人知れず、ものすごく、本当に、素晴らしく感動した。びっくりした。
所詮、私は恋愛体質で、aikoの歌に共感してトキめいた若かりし日々と大して変わってなかったなぁとか思って、嬉しかった。
だけど、せっかくそんなにも好きになれたのに続かなかった。(ちなみに私がオタクなのが原因ではない)
私が相手を思ってしまったほど、相手は私を思えなかったらしい。重かったんだろう。
推しのためなら諸々重課金する女だから、愛情があっさり系でない自覚は大いにある。
それにしても、オタクごとで生きている喜びを噛み締めてきた自分が、他の感情に大きく左右されて、ごはんが喉を通らないほど苦しむとは思わなかった。
「しようと思えばいつでもできるだろう」と恋愛をさぼった結果、自尊心を守りたいくせに恐ろしく自己肯定感が低い卑屈野郎になってしまっていて、今日日「結局私なんて誰にも愛されないよ〜〜〜うわ〜〜〜〜」と枕に顔を埋めるバカみたいな日々を送っている。自分が嫌すぎる。
長い恋愛ブランクのつけが、今になってボディーブローのように効いている。
付き合って入る最中はブランクなんて問題なくて、むしろ新鮮みがあって楽しかったのに。
経験値低すぎて、防具弱すぎて、失恋の一撃が重いったらありゃしない。
これから傷ついて立ち直ってを繰り返して強くなるのか…って、ため息がでる年齢。
一度でも、二度でも、ほんの少しでも、リハビリしておけばよかったな。
でも少し後悔している。
だから、オタクと呼び呼ばれるそこのあなたが、もし「将来結婚はしたい」「ゆくゆくは相手ほしい」と思うのなら、ちょこっとでも恋愛してほしいなぁと思った。
医療保険の制度で定められている疾患別の入院可能日数をしっかり把握しておきましょう。
ベッドの回転数を優先してその事実をひた隠しにするケースが多いです。
制度上は何日間リハビリを受ける権利がある疾患に該当しているのかを
患者側から主治医なり社会福祉士なりに確認をとる事を強くオススメします。
もしも入院可能日数と入院予想日数に許容できない程の開きがある場合
何故日数に開きがあるのか患者側から積極的にしっかり議論を仕掛けてください。
そして医師側からご自身が納得出来る答えを引き出してからサインをしましょう。
サインした後で日数の開きを嘆いた所でほぼ後の祭りになります。
再転院先の医者からは既に回復期で行える内容のリハビリは終えてると判断され
受け入れを拒否されると思っていてください。
情報の非対称性による敗北感を私以外の他の患者さんに味わってほしくないので
ここに記録として残しておきます。
これを見てて、ああわかるなーって思った部分があったよ
あとこの記事に対して「罵倒されたままだから云々」っての見たんだけど
多分だけれど、この人は空気読む能力が高すぎるんじゃないかな?
私も似た感じの状態になることがおおかったんだけど
なにかを言われたとして、すぐに言葉が出てこなくて考えちゃうのよ
みたいな感じにね。
その人たちのなかでもきちんとした人がいるのなら、それとなく「暴言は辛い」って漏らしてみてもいいかもね。
書き手さんも一緒にいてきついが勝ってきた人とは距離をおいた方がいいよ、段々考え方もマイナスな方に寄ってっちゃうから。
あと仕事とか色々考えることもあると思う。
とりあえず気が乗ったらバイトでもやってみて、人とのかかわり合い増やしてみるのもいいかもね。
飲食とかは向き不向きが出るから、飲食じゃない接客系を探してみてはどうだろうか。
はじめからフルタイムはきついだろうから、四時間位からやって段々時間長くするリハビリとかね。
人目が気になるなら、大きめの公園のランニングコースおすすめだよ。
とりあえずご飯はしっかり食べて、ゆっくり寝て心の回復に勤めてください。
変に思いきらないようにねー!ゆっくりでいいんだよー!