はてなキーワード: バリエーションとは
社会的な性規範の内在化されたものを心の性と呼ぶのは大きな誤りを孕んでいる気がしてならない。人間の心がまずあると仮定してもそこに性別があるなんてどう考えてもおかしな話である。これはLGBTの方々への権利の制限に賛成する話ではない。むしろあらゆる権利はあらゆる個人とあらゆる形式の集団に付与されるべきである。
婚姻制度なんてものはあらゆる人間のあらゆる組み合わせに対応すべきであり現在の状況がおかしい。そもそも法の下の平等概念からして法に男女という概念を持ち込んだやつの頭がどうかしている。同性婚を禁止している現民法はどう考えても憲法違反である。そして重婚を禁止するのも、複数人による婚姻を禁止するのも憲法違反である。というのが私の個人的な意見だ。また恋愛感情などという定義不可能なものを前提としない純粋な資本の接続制度に作り変えるべきだと信じている。これはただの意見だ。もちろん国家や宗教のいくつかのレゾンデートルの一つとして性規範の固定化があるのは言うまでもないことであるが、そもそも国家も性規範も大嫌いな私にそんなものを持ち出しても意味などないし届かない。
しかしそれはそれとして、心の性などというものは私には看過できない概念だ。そんなものは存在しない。血液型性格分類と変わらない無価値で有害な幻想だ。
近年、ある程度は心の性がない人という概念も広く知られはじめてはいるがそれはあくまで特別な人とされている。多くの人にはどちらかの心の性があると考えられている。これがおかしい。そんなものはある訳がない。常識的に物事を考えろ。心の性なんてものは元々人には備わっていない。これは事実であり現実だ。
心の性概念などというものはくだらぬ性規範が内在化されたものにすぎない。自由主義においては規範の内在化に反抗すべきであり、あらゆる性規範の破棄を求めるべきだ。社会的性などというものは当たり前だが許されない。そして性を前提とされない社会においては心の性なんてものはある意味がない。よって存在しない。そこにあるのはどういった生殖器が付いているかによる機械的分類だけだ。我々は人間である。まともな社会においてはそれより先にはなにも要らない。
女に生まれたが心の性が男である、というのは現在の性規範に縛られた糞のような観念だとあり得る。確かにあり得るがそれは性規範を内在化してしまっている、という意味では従前のゴミのような性別概念とほとんど差異はない。結局のところ自由度が2から4に増えるだけだ。そんなちっぽけな自由など自由ではない。無限のバリエーションのある心を二分法で分類する心の性と呼ばれるものなど許される訳がない。性規範を信じる人間と性差別者に本質的な差異などない。心の性なんてものはその実際として現在の性規範に照らし合わせて自身の価値観をどう縛り付けるかを考えより良いものを選択した結果にすぎない。二者択一のジェンダーのうちより自身にとって有利なものを意識的にもしくは無意識的に選択した結果に過ぎない。
心の性など存在しない。そもそも性別などは付いている生殖器の違いに過ぎない。付いている生殖器によって何かしらの束縛を受ける謂れなど我々にはない。自由主義において我々はこう言い切るべきではないのか。
そしてそもそも人は自らを知り得るのか。
恋愛は性欲の詩的表現を受けたものであると言う。恋愛感情という自己認識としてのその主観事実を否定するべきではないし、当人の自己認識は自由権のもとで尊重されるべきだ。しかし性欲について言及した今もう一度考えてみたい。人は独りでに心の性を持ち得るか?
持たない。上述のとおりである。
人はあくまでも社会的に心の性を与えられるだけである。もちろん心の性というものは確かに存在し得るがそれは生得的なものではなく獲得的なものである。身体機能としての性に一対一対応した心の性なんてものはない。ある訳がない。あるのは社会的性の役割であり、ジェンダーと呼ばれるものだ。
スカートを履き、可愛いものを好み、ピンク色が好きで、私立文系に進み、事務職をする、男に恋愛感情を抱く実存。のようなそういう唾棄すべきステレオタイプの集合を心の性と言っているにすぎない。
人が持つのは極めて純粋な身体機能としての性と、社会的な役割としての性の二つだけだ。そして後者は破壊すべき対象である。心の性などというものはそもそも存在すべきではない。
「馬鹿の特徴」とか「賢い人の特徴」とか語りたがるのって気持ち悪いオッサン仕草だと思ってるんだけど、
つまり、目的関数のバリエーションを認めるなら、人が1億人いれば1億人分の異なる最適化問題になり、「馬鹿の特徴」を挙げるバリエーションも1億通りになり得る。
では「馬鹿の特徴」とは本質に何を語っているのか。それは目的関数に含まれる情報についてだと思う。
「俺は人生の中でこれが重要だと思っている。他の人間が重要だと思うことはクソだと思う」という情報が「馬鹿(あるいは賢い人)の特徴を列挙する」という行為には含まれている。
自分があまりわからないのが、それを開陳することによってオッサンが何を得るかである。
もしネット上の影響力を利用して「嫌いな奴の特徴を列挙して、社会的に攻撃しよう」という発想であれば、オッサンが幸せになるためには他人を傷つける必要があるということだろうか?
オッサン、同情するよ。些細な日常の出来事で被害妄想を持って足の引っ張り合いをする悲しい人生に。
オッサンがクソ野郎と認識されるのは世界普遍の現象らしいしどうしようもない。
クソ野郎をクソと呼ぶことも、やはり「馬鹿の特徴を列挙する」ことになるかもしれんが、まあ自分は年齢的にまだオッサンではないしいいや。
参考:「クソ野郎」と言われる人々に共通する性格特性はあるのか? - https://gigazine.net/news/20220418-personality-profile-of-a-holes/
「定番」っていうだけあって、内容が古いんだよ。
多少は足してるみたいではあるけれども。
「まずいなあ」は、元増田が現状に満足してるかどうかによるんじゃないの。
もっと面白い仕事をしたいとか、給料が少な過ぎると思うとか、余暇に取れる時間が少な過ぎるとか。
コンピューターサイエンスっつっても、現場たたき上げからの集合知みたいなのから、ほぼ数学じゃないかみたいなのまでバリエーションはいろいろあるし、どれが自分にとって有用かは、その個人に寄る。
ランニングしてるのが楽しい市民ランナーに、そんなフォームで走っててもフルマラソンで4時間を切れないぞとか言われても、そりゃあ響くわけがないよなあ、という感じ。
表現の自由戦士はよく「ポリコレなんて言われる前からオタクは多様性に寛容」って言ってるけど「いや、どこが???」という感想しか湧かない。
男性キャラ女性キャラ両方登場するソシャゲ(原神、グラブル、FGO等)でイケメンキャラが実装されるたびに「まんさんに媚びるな!」「ちんこ(ホモ)はいらん!」って大荒れなのを知らないとは言わせないぞ。そして男キャラは美少年に美青年にマッチョに渋いおっさんにお爺さんとバリエーション豊富なのに、女キャラはクローンのように美少女ばかり。美少女という土台は変わらないのにヘアスタイルや服装はやたらと個性的にしてあたかも多様性があるかのように見せてるだけ。30超えてる設定なら見た目が美少女だろうと年増扱いされるのも当たり前。
同性愛に寛容()とかいうけどそれは美少女同士の百合だけでシコれない見た目の女性キャラの百合(ラスアス2等)やBLは「ポリコレガー!」と不満爆発。
ルッキズムとエイジズムとホモソーシャル丸出しじゃん。どこが多様性に寛容()なんだよ。
結局こういうオタクが考える多様性ってウマ娘やプリコネ、アズレンやブルアカ、アイマスや艦これみたいな"個性豊かな美少女"でシコることでしかないんだよなぁ…。
syamu game氏が言った「文句言うなら自分で作ってみろ」という理論である。いわゆる「お前だって論法」の延長に該当する、議論の手法(詭弁)のひとつである。
ほんでーまあ…『のびハザ怖くない』の最終パートでね、ちょっとコメントがあったんですけども、
いやーほならね、自分が作ってみろって話でしょ?そう私はそう言いたいですけどね。こっちは、こっちはみんなを楽しませるために動画のサムネを…作っているわけでして、 やっぱり、前はちょっとサムネシンプルだったのですが、 いや…ちょっとサムネやっぱ凝ったサムネがいいかなーと思って まあサムネ作り始めたわけですけども。
そんな、「サムネつまんない」とか言われたら、じゃあお前が作れって話でしょ、だと思いますけどね?ええ。
結構ー…サムネ作るのは大変だと思いますよ。サムネの構図、から考えなあかんし。
「つまんない」と言うんだったら自分が作ってみろ!っていう話でしょ?私はそう言いたい。うん。
逃げ場のない選択肢を与え脅迫的に詰め寄る理論展開の仕方。反応したら図星、反応しなかったら図星話法。とくさん問題として数学の未解決問題のように語られる場合もある。
54321 投稿者:とくめいさん (10月2日(木)13時00分33秒)
みなさんの見ている前で 公開で 陰毛をそられてみたいです。
誰かやってくれる人がおりますか。
本人確認は サウナの中で 竿を持って「とくさんか?」と聞いてください。
「違います」といいますからそうしたら竿を引っ張って洗い場に連れ出し 公開陰毛剃りを行ってください。
あとは皆様のおもちゃです。
一人で12660人の女性を売春した校長のせいで日本の校長の平均売春人数が1.2人を超える計算になってしまう理論。
ターゲットの特定作業中に削除されたり激しく否定された情報は、ターゲットに関係する情報(正しい情報)である、とする理論。一般に人は炎上するとビビッて消しがちであり用をなす場面は限定的である。(米軍ヘリの部品が幼稚園に落ちてきたことを報告した牧師のFB記事がバッシングを浴びて消されたことがある。やはり、ネット民はそれを根拠にデマであると盛り上がったが後に米軍が事実を認めたということがある。御岳山で被災した女性が「死ねばよかったのに」などの心ない中傷を受けてアカウントを消したということもある。この時も、想像力のない人が「悪いことをしていないのだから消すべきではない。消したというのは何かやましいことが……」などとさらなるバッシングを加えていたが無茶苦茶な話だ)
俺は嫌な思いしてないからという理由で人に嫌がらせをして迷惑をかけてもかまわないという理論。
現在の収入を時給換算して24時間365日働いた場合の年収でマウントをとる理論。ガチれば(余裕)理論。
他人に投げつける悪口は自分のコンプレックスの裏返しであるという理論
チンフェ「ニンニク鼻」
Tehu「オタクっぽい小太りの男に~」
とうふ「出たな無職」
塚越裕美子「おばさんブスAKBw」
マックのハンバーガーとコカ・コーラは世界一売れているので世界一上手いはずだという理論。多数派論証。売れているか否かと美味しいか否かで尺度が切り替わっている。(加藤元浩『Q.E.D. 証明終了』単行本32巻に収録されている第63話『レッドファイル』)
コストを消費した時点ではなく胃袋に収めた時点で計算する会計トリック。
152 名前:番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワッチョイW fb03-oU5x)[] 投稿日:2016/06/12(日) 19:59:46.69 ID:u0DjqppT0 [1/3]
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165 名前:番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワッチョイ 1b46-3PyY)[] 投稿日:2016/06/12(日) 20:03:12.07 ID:xXsdhtKJ0 [2/2]
民事訴訟で敗訴しても賠償額が原告請求より少なければ勝ちという理論
大澤昇平 @Ohsaworks
①【勝訴】
賠償金 < 55 万円 未満
②敗訴
賠償金 > 55 万円 超
自ら発信した情報が巡り巡って戻ってきたことで確信する虚偽。元はソースロンダと呼ばれていた。
小木、ラジオでAKBこじはるに「パイパンなの?」とセクハラ質問をしまくったことを話す
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週刊実話、「こじはるはパイパンだった!?」とラジオでの小木の発言をソースに記事を書く
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小木、週刊実話を読んで「こじはるってやっぱりパイパンだったんだ!」と知る
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アルファルファモザイクがまとめる
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アルファルファモザイクをもとにニュー速にスレが立つ
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J-castニュースがニュー速を元に記事にする
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J-castニュースを元にニュー速にスレが立つ ←この辺でなんか真情報っぽい雰囲気になってる
↑なんかこんな感じの出来事が実際にあった気がする
ドランクドラゴン鈴木「格闘技やってるとムカつく先輩いても耐えられる。だっていつでも殺せるし」藤井聡太ワンパン理論
アンチはファンよりもファンなのでただのファンより偉いという理論
「日本はもう終わり」的な政治・経済批判に対して終わってるのはソイツの人生だけであって日本は終わってないという理論
関行男(日本最初の特攻隊員)「報道班員、日本もおしまいだよ。僕のような優秀なパイロットを殺すなんて。僕なら体当たりせずとも、敵空母の飛行甲板に50番(500キロ爆弾)を命中させる自信がある。」
出す…!出すが…今回まだその時と場所の指定まではしていない。どうかそのことを諸君らも思い出していただきたい。つまり…我々がその気になれば金の受け渡しは10年20年後ということも可能だろう…ということ…!
殺害予告を正当化する詭弁。100以上のバリエーションがあり解説不能
例)相殺理論、不穏ワードとプラスワードが同じ数なら相殺されてセーフという理論
二者択一のルールを無視して両者のいいとこどりをしようとする理論。
へえー、みんな②なんだなあ。。
オレが今学生なら、10年①で塩むすびを様々な美味しいふりかけと昆布で味わい尽くして5億貯めといてそのあとビジネスやレジャーを存分に楽しみつつ美食を堪能するけどなあ。。
犯罪者はみな水を飲んでいるから水は危険という理論。パンは危険な食べ物理論。
連敗した後は連勝するはずという理論
錦織→すごい
日本人→すごい
俺→日本人
俺→すごい
この世界はプレイヤーの選択に応じて物事が出現してきてるんじゃね?的な空想をすることがある。
たぶん「望んだことが起こる」という類のものではないとは思うが、「自分の意識がすべて作り出す」「世界はシミュレーションされてる」「ランダムな中でたまたま脳がポンと出現した」「生物が合意した幻覚を現実として見ている」「知識に応じて世界が分岐する」「裏の組織が情報をすべてコントロールしている」でもなんでもいいけど、どれも地獄のバリエーションになり得ると思うんだよね。
わからんことについて考えるぐらいなら「それがなんであるかはわからないが神と呼ばれるものを信じる(ただし宗教団体には一切関わらない)」とかのほうがマシな気がする。
職業的な哲学者やらはそれを考えてりゃ金がもらえるのかもしれんが、例えばそういう地獄のバリエーションの知識を得たら、より良いバリエーションの情報が世界からポンと出現してくるんやろか?
選択に応じて情報がポンポン出てくるっていうゲームみたいな世界ならちょっぴり読書が楽しくなるな。
でも俺の知識にない本の中で現在よりも古いものを読んだら、すでにあった情報を読んだのか、それとも今読んだ瞬間に情報が出現したのか区別できんな。
これが「トロッコ問題」であると指摘している人の多くが、実は「トロッコ問題」を正確に理解していない。
トロッコ問題は「5人の死と1人の死のどちらを選ぶか」という問題ではなく、「このままでは5人死ぬが、1人死ぬ方に切り替えるか」という問題だ。
この違いは「功利主義」と呼ばれる倫理体系からは同じに見えるが、「義務論」と呼ばれる倫理体系からは決定的な違いになる。
トロッコ問題では功利主義的に考えがちな一般人に義務論を意識させるための典型問題が、トロッコ問題のバリエーションである「太った男」だ。その問題設定は次のとおり。
多くの人は、「太った男」では「突き落とさない」ことを選択するといわれる。
「突き落とさない」を選択する倫理体系の1つが、「社会全体を幸福にするためであっても、その手段として人を利用すべきではない」という「義務論」だ。
「トロッコ問題」でも、義務論的に考えれば「ポイントを切り替えない」すなわち「5人死ぬに任せる」という結論になる。
しかし、線路が初めから「1人死ぬ」に設定されている場合は、義務論からも「1人死ぬに任せる」という結論になる。
このように、「トロッコ問題」は同条件の2つから1つを選ぶのではなく、現状を変更するかという作為に関する問題だ。
功利主義によれば、死者がより少なくなる選択をすることになる。安倍元首相が生きていると2人以上死ぬと考える功利主義者は歴史を改変しないことを選択するが、安倍元首相が生きていても1人も死なないと考える功利主義者は歴史改変を選択するだろう。
それでは義務論からはどうか。ここで間違ってはならないのは、歴史を改変しないことは、「安倍の死によって多数を救う」という作為ではないという点だ。
もしこれが、安倍元首相が暗殺されない世界線において「安倍を殺して多数を救うか」という問いであれば、そのような作為はまさに義務論が禁ずるものである。(逆に、功利主義からは、本当に救えるのならば推奨される行為である。)
しかし、現実には安倍元首相は暗殺された、「何もしなければ安倍元首相が死ぬ」という状況である。
義務論によれば、歴史改変による悪影響が何一つ存在しない場合を除き、歴史改変は許されない(この「悪影響」とは第三者(たとえば宗教2世)の死に限られない。)。何らかの悪影響がある限り、歴史改変という作為は「誰かの犠牲によって安倍元首相を救う」という選択であり、それは義務論が禁ずるところなのだ。