「馬鹿の特徴」とか「賢い人の特徴」とか語りたがるのって気持ち悪いオッサン仕草だと思ってるんだけど、
つまり、目的関数のバリエーションを認めるなら、人が1億人いれば1億人分の異なる最適化問題になり、「馬鹿の特徴」を挙げるバリエーションも1億通りになり得る。
では「馬鹿の特徴」とは本質に何を語っているのか。それは目的関数に含まれる情報についてだと思う。
「俺は人生の中でこれが重要だと思っている。他の人間が重要だと思うことはクソだと思う」という情報が「馬鹿(あるいは賢い人)の特徴を列挙する」という行為には含まれている。
自分があまりわからないのが、それを開陳することによってオッサンが何を得るかである。
もしネット上の影響力を利用して「嫌いな奴の特徴を列挙して、社会的に攻撃しよう」という発想であれば、オッサンが幸せになるためには他人を傷つける必要があるということだろうか?
オッサン、同情するよ。些細な日常の出来事で被害妄想を持って足の引っ張り合いをする悲しい人生に。
オッサンがクソ野郎と認識されるのは世界普遍の現象らしいしどうしようもない。
クソ野郎をクソと呼ぶことも、やはり「馬鹿の特徴を列挙する」ことになるかもしれんが、まあ自分は年齢的にまだオッサンではないしいいや。
参考:「クソ野郎」と言われる人々に共通する性格特性はあるのか? - https://gigazine.net/news/20220418-personality-profile-of-a-holes/
なんでもオッサンに帰結させれば叩き放題だと思っているオッサン仕草
内容を理解していないのに皮肉が言いたいだけでコメントしちゃうオッサン仕草