はてなキーワード: ジャンケンとは
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
そうだなあ、できるかは知らんが、統計学で何とかなるだろう。
統計学的には数%以下の仮説は、ないものとして扱われるからな。
とはいっても、それで棄却された仮説はあくまで統計学的にみてないものとして扱うだけで、認知心理学や社会心理学的な観点から見ればまた変わってくるかもしれないだろうな。
つまりジャンケンで勝つ確率は3分の1ではなくて、2分の1だということだ。
私がヒントだけあげてノリ気じゃないのは調べるのが面倒くさいというのが9割だが、残り1割の理由はズバリだしたとしても、それをちゃんと受け止められる人間がほとんどいなくて割に合わないからだ。
多くの人間にとって、可能性があるものは確率に関わらず必然的に起こるものと同義なのだ。
前にも似たようなことを答えたが、“最悪の事態は肯定された時点で、その人間たちにとって不慮の事故ではなくなる”ということだ。
うん、異世界へのトリップの方法としてはソシャゲはジャンケンにすら劣ると思う
現実世界の決め事をジャンケンの勝敗で決めてしまうには先にも述べたとおり
悪いけどやっぱモンストとかFGOの楽しさはゲームの楽しさと違うと思うわ
じゃあ何がゲームなの?っていうと
ジャンケンの世界は「グーチョキパー」の組み合わせで勝敗が決まるっていう異世界
だからそこでの勝敗結果が現実世界にも影響するという前提でやるのよ
武力とか経済力で勝負じゃなくてジャンケン世界に行くことで公平性を保証する
現実世界と違う、異世界に行くというのがゲームの根本的な面白さなわけ
金があれば強くなれるんじゃ何も異世界じゃない
やっぱり異世界に没入するにはなるべく現実世界からの持ち込みはするべきではない
切り売り商法が嫌がられるのも本質的には金が無いとかじゃなくて、
異世界への没入感を金やスケベ心のせいで阻害されることにあると思う
そろそろ結婚について前向きに考えないかと言われた。私はこれまで結婚について前向きに考えるつもりはなかったのだが、このように正面切って言われたら私が納得して結婚できるように私自身も考えなければいけない。
いくつか条件を提示してみた。
唯々諾々と自分の姓を変えるのは嫌だが「私があなたの姓になるのは嫌だ」と馬鹿正直に言ったら険があるだろう。どちらの姓になっても構わないとお互いが思った上で勝負して決まったなら納得する。
そしたら相手は言った。「夫たる俺が君の姓に替えたら婿養子になったように見えるし「じゃんけんで決めました」と弁解するのも世間体が悪いからそれは嫌」だとさ。
私は返した。「貴方は自分の姓が結婚によって変わるとは思ってもみなかっただろうけど、女性は常に社会からそれを意識させられているんだよ。貴方が自分の苗字が変わるかもと思ったらモヤモヤするように、私も抵抗を覚えるよ。 自分の姓に無条件で変わってくれと私に言うなら、私が納得できるような理由を考えてみてくれない?」
そしたら「思いつかない、だから俺の苗字になってくれと頼むしかない」と言われた。何それ、何も考えてないんだね。アハハハ。俺の世間体のために君は自分の気持ちを我慢する、そういう役割を私に期待していると言う事は分かった。私にはそんなつもりはないので、相手の誤解をこれからなんとかしないといけないな。
②夫の家(持ち家)の合鍵を夫の両親が持っていていつでも好きに出入りしている現況では、私はここを自分の家だと思えないから鍵を回収してほしい、貴方の母親の私物化が進んでいる部屋も撤収してくれと言った。
曖昧にうなずいてた。これは駄目かもしれん。だが絶対に譲れん。
相手は、すぐには変われなくてもお互い生活スタイルが変わるのだから俺はきっと変わるだろう、君が俺と結婚してこの家に来るなら君の私物を持ってこれるよう趣味のプラモ(埃被ってる)を処分するだろう、と言った。
私は「埃被ってるし、もはやどうでもいいものだったらさっさと捨ててしまったらいいだろ」という言葉を飲み込み「結婚のために趣味を捨てる必要はないよ。私も自分の趣味を捨てないし将来何かあった時に「お前との結婚のために俺は趣味まであきらめたのに」とか恨み言を言われても困るし」といった。
話はそこで終了。
君に色々変化を求める替わりに俺はゴミ風の所持品を捨てるよ、これでどう?とか意味わからん。
私には今の住処を離れて家財も生活拠点も自分の懐へ移動させ、「何か嫌…あと世間体が…」みたいな理由で名前も自分に合わせて変えさせ、結婚をしたあとも相変わらず親が自分の家をウロウロするままにさせておきたい。
相手は「俺は変わる」というが、私に変わる条件ばかりを出し自分や自分が頭のあがらない相手は何一つ変わらない。
そんな人のいう「俺は変わる」って何なんだろうな? せめて金のかからない書類手続きと外観だけの問題である姓の件だけでも乗ってくれたら「変わろうとする決意」を見ることが出来たのに、自力では何も変える気が見えなくてガッカリだよ。
ひょっとして悟空が超サイヤ人になった時のように、自分も人生の転機が来たらあっという間に変われると思っているクチだろうか。
幸い、私と相手はお互いに給与所得者で年収には大差がない。今後の話し合いが実に楽しみだ。勿論、結婚に向けての話ではなく、相手がどれだけ「明日から本気出す」に過ぎない生ぬるい認識でいるかを話し合いで分からせるのがな。
それで互いに落としどころが見つかれば結婚するだろうし、平行線のままなら互いに人生の分岐点に立つも良し。面白い一年になりそう。
ポケモン。
レベル100のバンギラスでギッタバッタっと友達を薙ぎ払っていた。
誰それが強いと聞けば勝負を挑み、バンギラスで噛み砕いては悦に浸り、とにかく楽しかった。
進学に伴って上京し、余暇時間を潰すためになんとなく立ち寄った中古店でポケモンを買ってみた。
「ワイファイ」いまでは当たり前だが当時の僕は知らなかった。
「無線LAN」との違いがわからず店員に尋ねたがキョトンとされ、未だに正しく理解できていない。
ともかく、ゲームから離れたほんの数年の間にゲーム機がネットに対応していた。
ストーリーを1巡し「勝てなくて良いや」という軽い気持ちでmixiの「ポケモン対戦募集コミュ」から対戦相手を見つけた。
悔しさを感じ、自分の理論で「最強」を作り再チャレンジした。惨敗だった。
訳がわからず、「ポケモン 最強」とググってみた。カンニング。後ろめたい気持ち。攻略本アンチの僕にとってプライドを捨てた行動。
同じレベルのバンギラスでも能力に開きがあることに気づいていた僕は、「個体値」「努力値」を感覚としては理解していた。ネットに答えがあった。
また戦った。敗北した。
結局のところジャンケンだった。
運ゲー。
正確には敗北の可能性を減らすことは出来そうだった。
「素早く、大きいダメージを効果的に与え」「相手からの被害を極力小さくし」「余計な手間を相手に押し付け」「確率を安定させる」
当然ながらグーやパーやチョキを出したところで現実に相手が死んだり傷ついたり拘束力や強制力が発生することはない。
しかし、ジャンケンというルールの元では明確に勝敗が分かれる。
「ジャンケンの法則」があり、「ジャンケンの法則に乗っ取った異世界」がジャンケンの場に発生している。
そしてジャンケンをしている間だけ、プレイヤーはジャンケンの法則が通用する世界の住人になっているからこそ、勝敗が発生するのだ。
もしプレイヤーが異世界にいないことになれば、ジャンケンの勝敗に何の意味も見出さないし、それによってどちらがトイレ掃除をするのか、という約束事も反故してしまえるだろう。
両者が異世界の取り決めを現実という現実世界に持ち越すことができるのがジャンケンという異世界の法則を信じているからだし没入したからである。
やれ「こうしたほうがいい」だの「この考えは間違っている」だの、あらゆる角度から精査吟味したコメントが山ほど付く。
返ってくるのがこんな回答なら自分は満足だ。
「なぜオナニーするのか?」と訊かれたときと同じなら何も文句はない。
しかし、「お前」はそうは答えない。「間違っていることを間違っていると指摘するのは当然…」みたいな、ゴニョゴニョしたことを言う。
世の中の間違いを正し、正しい考え方を伝えたいなら、なぜはてなブックマークのコメント機能なんか使う? まさかそれが自分の意見を伝える最適な手段だと思っているのか?
はてなブックマーカーのxevraという人はこんなコメントを書いている。
「棘があるのはそうしないと相手に届かないから仕方ないんですね。私のブクマ活動の目的は社会をより良くする事なので少しでも役に立てばうれしいです。」
こんな記事も書いている。
http://xevra.hatenablog.com/entry/2014/05/03/165034
要約すると、自分がはてブコメントを書く、しかも強烈に棘のある言葉で書くのは多くの人に強い印象を残すためであり、これを継続すれば社会が良くなっていくのだそうだ。
「もちろん、極微々たるものではあるが、こうやって毎日毎日メッセージを発信し続ける事で社会がほんの少しでも良くなれば、より住みよい社会になって私の人生も楽しくなる。
だから今後もこのスタンスは変えないし、日々、社会が良くなるにはどうしたらいいか考え続け、メッセージを工夫して発信し続けたいと思う。」
寝言は寝て言え、と思う。こんなことを1万年続けたって社会は良くならない。よしんば良くなるとしても、xevra氏自身の言うようにその効果は「極微々たるもの」だ。
なぜわざわざ「はてブ」を選び、そんな非効率的なことを続けるのか? なぜ微々たる効果に甘んじているのか? お手軽だからだ。似たような考えの人に安定して指示されるからだ。平均値よりそこそこ高い知能を利用すれば高確率で勝てるジャンケンゲームだからだ。気持ちよくなれるからだ。
特に最近のxevra氏は「先生」などと呼ばれて、一定のキャラクターを確立している。「同じことばっか書いてて頭おかしいけどちょっと憎めないよね」みたいな。「なんだかんだで言ってることは正論だよね。僕も野菜350グラム食べるようになりました」みたいな。これは閉じたコミュニティの中で生活するなら喉から手が出るほど欲しいポジションだ。何を言っても周囲が今までのキャラクター性と照合して解釈してくれるし、間違ったこと、人を傷つけることを言っても「まああの人はそういうキャラだから」というエクスキューズが成立する。自分専用の席が用意された世界ほど居心地のいい場所はない。
矛先がxevra氏に向いたのでこれを読んでいるxevra氏以外の人は安心したかもしれないが、問題は似たようなことを毎日やっている「お前」だ。自分がこれを「おまえら」としないのは、「でも、そうでない人も中にはいるし」という逃げを打たれるからだ。はてなブックマーカーという群体ではない「お前」の話をしている。
お前が毎日いろいろなネット記事に正論を貼り付けているのは、間違った考えの人たちに考えを改めて欲しいと思っているからなのか? それともただの楽しい井戸端会議のつもりなのか? もし前者だと少しでも思っているなら、もっと効率のいい方法はいくらでもある。文字数制限された1行コメントで変えられるほど世界は小さくない。「正しさ」を手札にしたゲームにのめり込めばのめり込むほど、数えきれない多くの問題をはらんだ世界のリアルさを忘れる。人ひとりが世の中に対して働きかけられることなんて微々たるものだが、だからといって1行のコメントを書き込むだけで「少しだけだが今日も善いことをしたな」と満足しないでほしい。もしブコメ以上に手間のかかることなんてしたくないと思うのなら、もう正しさを大切にしているかのような素振りを見せるのはやめてほしい。自分が気持ちよくなりたいという衝動に従っているだけだと自覚してほしい。
以上の文章はもちろん、増田の自分にも向けられている。なんでこんなこと書いたのか? やっぱり気持ちよくなりたいだけなのかもしれない。だってこれを書くことではてブ以上の何かをやり始める人なんてただの一人もいないだろうし、明日からもいろんな記事に同じようなコメントがつき続けるだろうから。正直こんな状況いやだと思っているが、これ以上の行動に移るのは、自分にはめんどくさい。
【追記】
でも正直言って、「自分が気持ちよくなるためだけに」世の中の出来事をダシに使えるのも実はかなり下品だと思うんだ。まあ下品なのは別にいいんだけど、それを自覚しないのは良くない、とも思う。ワイドショー夢中で見てる人たちと心性はまったく同じですよ。こう書くと「そんなこともわかってなかったの?」と先回り系のコメントがつくんだろうけど。
あと、「増田に書いて世の中が変わるとでも?」とか「ブーメラン」とか書いてる人が山のようにいたけれど、全然おもしろくない。こっちがそれくらいの反応を予期せずに書いているわけない。「相手側の論理を使って華麗にカウンターパンチ」みたいなのをはてブの人はすごく好むが、まさにそんなお手軽テクニックを使いこなす醜さへの嫌悪がこの増田を書いた動機の一つでもある。
大喜利会場じゃないの?
こういうコメントも。2chが元気だった頃からお馴染みの「しょせんチラ裏なんだから本気にすんなwww」の延長にある対応。本当に問題だと思っているのは、この「チラ裏」と「社会を憂う者たちの社交場」の二面を器用にクルクル使い分けて何の責任も取らずに適当なことを書きまくれる空気を確保する立ち回り方だったりする。あ、でもこういう言い方をすると、誰かがコメントしていた「内心の自由を制限するようなことはよくない」という指摘にモロ引っかかってしまうか。
自分はそんなことを言いたいんじゃなく、ある個人がネットでなんか書くときに内心で渦巻いているだろう打算と戦略のキタナさを憎んでいる。だからこそ、読んだ人にはこの内容を上から目線の命令だと思ってほしくなかったし、喧嘩を買ってさらに俯瞰で眺めてほしくはなかった。自分のこととして考えてほしかった。
ブコメでの正義が果たして電車で席を譲るほどの意味を持つのかは別として、たしかにブコメが何かしら社会に影響を与えるということはかなりある。「日本死ね」の件もそうだし。
自分はブコメそのものが無意味だと言いたいわけではなかった(そこははっきりと、自分が書き方を誤った)。むしろネット上の場としての影響力はすごいと思っている。でも、たとえばキンコン西野のブログのブコメを開いて皮肉コメントにズラーっと星が並んでいる現状を見ると、やべー、みんな病んでるって感じる。スズメバチ熱死させるミツバチの群れに進んでなりにいく人がこんなに多いのか……と恐怖を覚える。
ブコメがなぜ世の中に影響を与えられるか。たくさんのつぶやきが連結して巨大な世論みたいなものを形成するからだ。それを手放しに良いことだとは思えない。結果的に集団で個人を叩き潰す構図も無数に生まれているということへの反省が少なすぎる。こんなに大雑把にしか世論を動かせないのにブコメを選ぶ人が多い理由は「コミュニティとしての居心地よさ」という、正義とは無関係のものだ。ブクマは無駄だとはまったく思わないが、妥当な手段だとも思えない。
こんなにブクマが付いたのは初めてだ。ずっと変な汗が止まらなかったし心臓がバクバク鳴ってた。自分ひとりの文章に対してコメントが400くらい来ている。こんな疲れる目には二度と遭いたくない。ブコメで1行だけ何か言うのは手軽だし、人の意見を見た上で乗っかれるしでいいことづくめだと痛感した。
自分がやろうとしたことは「はてなブックマーカー」というコミュニティの中に潜んでいる一部の人間の卑しい心性を指摘することだった。思った通り、指摘はかなり難しい。何か言うたびに無数の「当てはまらない人たち」が立ちはだかる。「そんなことを考えているのはお前だけだよ」と笑われる。彼らは別にいいのだ。自身を振り返ってみて「全く当てはまらない」と思えたのなら、変なこと言ってゴメンねとしか言えない。でも自分は、自分の胸の中にもいる醜いあいつがあの群れの中にもいると直感している。「当てはまらない人たち」の中にも潜んでいると思う。そのことを伝えかったが叶わなかった。それとも中には通じた人もいるんでしょうか?
「ほら増田、こんなにブクマが数百個もついてホットエントリーになると興奮するだろ。何回もリロードしちゃっただろ。それと同じだよ。自分の書いた言葉が大勢の人に注目されるのって気持ちいいんだよ。いい経験したな」
このコメントにはてブが作ってきた空気の醜さが詰まっていて、自分に似ている。もし「まさかブコメを~」を書いたのが他人だったら、自分はこんな感じのコメントを付けていたような気がする。嫌だったのはこの処理のこなれ方だ。
FPSやTPSはかくれんぼの鬼と子を同時にやるようなものです。
でもずっと隠れて様子をみてるだけでは塗りなどでじわじわ不利になります。
「相手がみつかるまで隠れる」は「サーチアンドデストロイで攻める」イカに有利です。
「サーチアンドデストロイで攻める」は「塗りなどで有利を稼ぐ」イカに有利です。
「塗りなどで有利を稼ぐ」は「相手がみつかるまで隠れる」イカに有利です
グーを出し続けたら読まれて簡単に負けてしまうように適切にグーチョキパーを使い分けましょう
熱くなってグーで殴り続けようとするA帯プレイヤーをよくみます。
人によって考え方に違いはありますが、自分はこのゲームは「見る」のが最も重要だと思っています。
見れていれば適切な行動ができるし、失敗した時になにが悪かったかもわかります。
壁などで遮られてみれないところも「見る」という気持ちと気迫で注目すれば自然と索敵力が高まってオススメです。
どうしてもウデマエだけあげたければボールドネオやジェットスイーパーカスタムなど
ギアのスペシャル減少をメイン2個相当、あとはお好みでスペシャルゲージ増加系とかを積んで
地方を出て何年か余り、出勤前にゲーセンに寄って、退勤後にもゲーセンに寄るような生活からしばらく経ち、ふと地元に戻ってきて最初に思った事はそれだった。
学生の頃は貪欲に外で遊べるビデオゲームを求めていた。自転車で片道1時間くらいの範囲は、ゲームをする為に毎日でも通える距離だった。休日はもっと遠くのゲーセンに行っていた。
近所のスーパーのゲームコーナーは、面積が数分の一になり、わずかなガチャガチャとほこりを被ったようなよくわからないキャラクター物が景品のクレーンゲームだけが残っていた、この景品数年前にも見たような気がするけど気のせいだろうか。
郊外の大型激安スーパーの隅の子供向けゲームコーナーに放置されていた変なゲームをやる為にずっと通っていた時期もあったが、もうメダルゲーム(大型筐体ではなく、小さい筐体の、ジャンケンマンとかペン太みたいなタイプの奴(たとえが古くてスマン))ばっかりになっていた。ちょっとやってみたけれどコインを入れた瞬間に勝敗が確定しているかと思うと余りやる気が起こらなかった。
バッティングセンターの隅にあるようなゲームコーナーも全て見て回った。当時は化石のようなゲームが時代の流れに逆行するかのように残されていたが、今ではエアホッケーのようなゲームと、ボールを打ち出すゲーム(スマートボールの亜種? 詳しくない)ばかりになっていた。寂れたボウリング場の隅にあるゲームコーナーもなくなっていた。いつも建物全体の明かりが落ちていて、俺が行くとたった一人のために建物のライトを付けてもらって気の毒だった。
パチ屋の敷地に小さなゲームセンターがあるのも見つけたが、いつしか無くなっていた。古い旅館にゲームコーナーが無いか、泊まりもしない旅館やホテルを幾つも出入りした。学生の頃ずっと通っていた近場のゲームセンターそのものは全て潰れたか、プライズやスロットばかりになったか(プライズゲームやパチスロを否定するわけではないが、ビデオゲームがやりたくて仕方なかった)、とにかく俺が思っている「ゲームセンター」という言葉のイメージからは遠くなったなと思った。
田舎には何もないのか。何をおっしゃるウサギさん、コンビニは増えたし、ゲオだって出来た。大きなカラオケボックスも、流行のカフェチェーンもある。それなりに広い敷地を誇るショッピングモールも出来ている。ただ外でビデオゲームを遊ぶ事だけが困難になっていた。俺は時間の潰し方をゲーセン以外知らずに育ってきたからわからないけど、今は外で時間を潰したり、あるいは没頭する趣味にゲーセンって時代遅れなのかもしれないなと思った。ゲームがやりたいだけなら家庭用でもPCでもスマホでも一生かけても遊びきれないゲームが激安で手に入るし、たとえ外での暇つぶしを求めててもスマホを開けば世界中の人とすぐに会話出来るし、一緒にゲームを遊ぶ事だって出来ちゃうし、1回ゲームを遊ぶのにわざわざゲームセンターまで行って何十円とか何百円とか掛けたりするのってバカらしいよな。
地元にいた当時は徐々に変化を受け入れていただけだったんだろう。アーケードゲームという大ブームが去り、家庭用ゲーム機がアーケード機にスペック面でほぼ劣らなくなり、消費税が上がり、大型筐体が続々とリリースされ、様々な何かが起こる度に中小規模のゲーセンという業務形態の存続は危ぶまれ、実際に少しずつその煽りを受けていたんだと思う、ビデオゲームがないゲーセンなんてゲーセンじゃないみたいな思い上がった事を昔の俺はよく言ってたけど、ビデオゲームや専用筐体のゲームが田舎の回転スピードでどれだけのインカムを確保出来てるって言うんだろうか、どれだけのゲーセンがプライズやパチスロのインカムに頼る形で専用筐体や採算の取りようがない最新ゲームの基板を購入してきたんだろうか(って、客の目線から店舗経営の話をするのは実情に即してないだろうし、おこがましいだろうけど)。JR東日本の倍近くの高い電車賃を払ってでも何度も通った繁華街や都市部の方のゲーセンも次々と閉店の話が聞こえてくる。都会にいる間興味を持っていなかった地元の事象が、戻ってきた瞬間にまとめて襲いかかってくる。浦島太郎の気持ちってこういう感じだったんだろうか。そりゃ鶴になりたくもなるよ。
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
君の考えるランダムとは何だ?
試しに100桁の好きな数字を書いてみてくれ。
……君が自分で考えず、何らかの機器を使ったりだとかのインチキをしていないのならば、それはランダムとは程遠い数字の羅列だ。
色々理由はあるが、明らかな部分を指摘しよう。
同じ数字を隣り合わせることを避けているが、それは逆にランダムではない。
333とか、同じ数字が連続することは確率的に正常なことなんだ。
気を落とさなくていい。
君がたまたま、ランダムではないモノの見方をしているわけではなくて、私含めて大半の人間はランダムという概念には遠い思考をする。
つまり、我々が「ランダムではない」と思うということは、大抵の場合においてはランダムであることを逆説的に証明しているわけだな。
ちなみに、数字の羅列からそれがどの程度ランダムか正確に調べる詳しい方法は各自で調べてくれ。
今回学ぶべき教訓はこうだ。
まあ、人間がランダムという概念に弱いのをいいことに、不正をはたらくケースもあるらしいが。
ジャンケンは確率的にいえば均等にみえるが、その手を出す人間はランダムという概念から遠いのだから偏りが出る。
とあるジャンケンソフトがあるのだが、このソフトの人間相手での勝率は5~6割を超える(5割って普通じゃね?とか思うような者はここで帰った方がいい)。
同じ人間とジャンケンをし続けることで、その人間のパターンを読み取って、最善手を予測しているわけだな。
さて、ジャンケンで勝つ方法だが、君の勝率が悪いということであれば答えは簡単だ。
サイコロを用いればいい(もちろん、相手に悟られない方法でな)。
もちろん、それで勝てるかどうかはまた別の話だがな。
この前バスの中で見た子と、昔家庭教師(というか宿題監視員)でみてた子が、他人への絡み方がまるっきり一緒でびっくりした。
絡み方というか、見た目や喋り方・発話のトーンまでそっくりだった。
どちらもミッチミチに太っててよく喋る感じ。
家庭教師してた子は、当時5年生だけどこんな感じ↓
「んあー!あー!なー!なーなーなー!」
『なに』
「えー見てないの!!なんで!?」
『はやってるから』
「あんなー、俺思うんやけどハルヒよりみくるちゃんの方が絶対かわいいと思うねん」
『ふーん』
「だってな!だってな!ハルヒなんか、あっそうやジャンケン!ジャンケンしよ!」
『ハァン?』
「はい!さーいしょーはグー!」
『ドリル』
「ほらほら負けちゃうぞー!」
『ドリル』
「負けちゃうぞー!じゃーんけーん……」
『ドリル』
「ポンwwwwwwエッヘヘヘヘッヘヘヘヘヘwwwはい勝ったぁ~勝ったぁ~不戦勝~」
『おい』
「あんな、これな!ホラこれ!ここがグーで、ここがチョキで、ここがパーやねん!だから負けませぇーん!絶対勝てますぅ~!」
『つかぬ事を聞くけど、チョキで目突かれるのと、パーでハゲるまで頭しばき回されるのと、グー口にねじ込まれて窒息するのだったらどれがいい?』
「わかった!わかりました!ズルしない!今度はズルしないからもう一回ジャンケン!」
『しねえよ』
『ドリルやれ』
「れ……れ……レイちゃん!」
「うわーーーしまったーーーー!な、な、な、あんなー、あんなー、レイちゃんはなー」
「ちがうし!レイちゃん死んでないし!」
「レイちゃんはなー!っていうか俺はレイよりアスカが好きなんやけど」
『南無不可思議光~』(ズイッ)
「ちょっ、やめ」
「ゆるして」
「ああっ」
『建立無上殊勝願 超発稀有大弘誓』
『よろしい』
こんな調子でもドリルやるだけ奇跡みたいなレベルだったらしく、成績上がってご家族からめっちゃ感謝された。
そしてこの前バスで見た子は同じ調子でおじいちゃんにずーっと絡んでて、
しりとりとかジャンケンとか同じことしてて、しかもジャンケンでズル手出すのも一緒だった。
そしておじいちゃんは当然振り回されっぱなしで、なんていうか見てて疲れた。
酔っ払ったオッサンって小3ぐらいの知能指数しかないから「オレが小3だった時の行動を色々言われてもなあ」って思うだけ。
小3に対して、理性的な行動と再発防止を説いたところで無意味だからすれ違う。
夫がどういう飲み方をするタイプかは知らないけど、やらかしはそんな多く無さそうだから許容範囲じゃないかな。
ところで、対話というフォーマットを装いながら、答えありきの要求を引き出そうとするタイプの説教は無言で居るのが最適解になるしね。
「ねえ、こないだお酒飲んで鍵なくしたじゃん?あれ夫のお小遣いから出すか、家計から出すかジャンケンで決めようぜ!」って程度が正解。
あと、全体的に支出にタイする余裕がなさそうなんで、毎月+10万ぐらい稼いで自由に使ってもいい金を増やすのがいい気がする。