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はてなキーワード: サンデーとは

2020-12-14

anond:20201213163215

犬夜叉読んだなららんま1/2読んで欲しいし、ネギま! 読んだならUQホルダー(連載中)も読んで欲しいし、はじあく読んだならこわしや我聞も読んで欲しいし、ツバサクロニクル読んだならxxxHoLicも読んで欲しい。CCさくらワンチャンどうですか。

ラインナップ的にひとりぼっちの地球侵略も楽しめると思う。打ち切りだけど。

戦闘回が長くて途中キャラやら立ち位置やらが分からなくなるようなのが途中離脱やすいのかなーと思った。炎炎はその点でオススメしないけど、進撃の巨人読んでるし読めるのかも。

読んでみたら巻数の少なさの割に内容が濃厚!てのだとやっぱ冨樫に勝るものはないと思うので、幽遊白書HUNTER×HUNTERおすすめサンデーも読んでるみたいなので、のけものたちの夜も薦めてみる。

anond:20201213163215

バトルメインで恋愛は少しだけど「PSYREN

サンデー系で読んでたの多いみたいだし、読んでなかったら昔の「帯ギュ」、「GS美神」、「パトレイバー」、「うしおととら」、「YAIBA」、「H2」、「俺たちのフィールド」、「め組の大吾」あたりの古いの揃えるだけでもかなり持ちそう

2020-12-13

anond:20201213205946

うえきもガッシュもあらきひろひことはどこも関係ないよ

アシ師弟関係があるとしてもサンデー系列から藤田-MERの安西-うえきやガッシュってとこだったか

anond:20201213163215

とりあえずサンデーっ子は金色ガッシュでも読んでバオウ・ザケルガしてろよ

うえきの法則でもいい

2020-12-08

パトレイバーってまるで予言書だな

サンデーうぇぶりで読めるから一気に読んでるんだが、怪しい中国人にいいようにされる大企業外国人労働者に対する不当な差別個人的感情で起こされる厄介な事件、内部からの腐敗に弱すぎる巨大組織、何もかも現代社会のものじゃないか

これが30年前に描けるなんて先見の明があるんだなあ。

2020-12-05

萌え絵アニメーションに向いてないという勘違い


巷で話題萌えアニメオタク害悪だと主張する記事を読んだ感想である


私は萌えアニメからいわゆる硬派と呼ばれるアニメまで広く嗜む、アニメ視聴歴20年くらいのしがないアラサー男だ。

ジャンプサンデーと言ったお馴染みの週刊誌で人気の原作アニメが、テレ東ゴールデンタイム毎日のように放送されていた頃に、箸で摘んだ夕食のコロッケテーブルの上に落としブラウン管にかじりつく少年期を過ごし、最近新刊が発売された『涼宮ハルヒの憂鬱』をきっかけにいわゆる深夜アニメ世界に足を踏み入れて、今日に至ると言った経歴(他に言葉が思いつかなかった)を持っている。

視聴作品数は、履歴書に書けば人間性理由採用確率が30%減になるくらいあっただろうか。と言っても熱中度でいえば大したモノではなく、どんなに気に入った作品でも円盤を買ったり、グッズ等を買う程度だった。興奮が抑えられず感想ブログに載せたり、二次創作に勤しんだりするくらいならニコニコ動画で他の作品の視聴課金をし始めるくらいには職人気質は持ち合わせておらず、人によってはカステラ茶色の表皮だけをすくって人工甘味料(無いかも)の鋭く刺すような舌触りだけで満足するような、奇怪な楽しみかたをダラダラ続けていただけに見えるかもしれない。

そんな人間がひさしぶりに取れた休日の暇潰しに書いた文章だ。

簡潔に何が言いたいのか知りたい方は、途中全く大したこと書いてないので、最後だけを読んでほしい。

以降は今の俺以上に暇だと宣言できる、大変人間強度に優れた人だけが読み進めて欲しい。


主に作品ごとのアニメーションが持つ性質役割の違いについて横道に外れながら綴っていきたいと思う。

過去に色々な作品を目にしてきている者ならばご理解いただけると思うが、「好きなアニメは? どういうところが好きなの?」と質問を受けたとき、瞬時に心動かされた場面(シーン)が頭の中を駆け巡り、「さてどれから話せばよいものか……」と、全身が幾分高揚している自分がいることに気づくだろう。

それらはキャラクタたちと共にストーリーを辿ることで得られた感覚につけられた名前のようなものだと私は考える。そしてそれらは言葉では表せないが、私たちに中で一種の『共通言語』的な役割を担い、機能しているのだ。


例えば以下のシーンを目を瞑って思い浮かべてもらいたい。


『氷属性もつ冷徹残忍な魔女が、手に持った杖を振るった。その瞬間空間四方から無数の鋭利な菱形をした氷の刃が出現し、彼女の透明感のある艶やかな唇で結ばれる「さようなら」の言葉を合図に一斉に襲いかかってきた』


数々の映像作品を見たことがある人なら、無の空間からパキパキと音を立てながら蒼白い形作られ、魔女の妖艶な笑顔が映った次の瞬間に鋭い氷の塊が視界の中心に集まってくる2、3カットくらいの映像が容易に頭の中に流れたことだろう。

これは性格によるのかもしれないが、私は基本的には物語の進行上は「それ」でOKと考えるのだ。

「それ」とは、視聴者の頭の中で出来上がった薄ぼんやりとした2、3カットのことであり、重要なのは「それ」を我々視聴者に想起させ、作品を補完させることだと考えている。

例えば先のシーンで「魔女がどんな容姿でどんな服装服をまとい、どんな体勢なのか」とか、「魔女と言うくらいなら箒に乗っているのか」とか、「どんな服を身に纏っていたのか」とか、「どれくらい勢いで杖を振ったのか、杖の先はどこを向いているのか」とか、「氷の軌道は直線的なのか最初に外側に弧を描くなどトリッキーな動きをしているのか、時間差のある多段階攻撃なのか」などの質問されたら、スラスラと答えられるだろうか。(……私だけができないのなら怖い。ショックのあまり寝込む)

おそらくだが「いやそんな細かいところまでは……」のレベルの話だと思っている。多分これができる人はきっと絵が上手いはずだ。私は私を含め絵がど下手くその人がこの世にいることを知っている。

ぶちゃけた話、そこの解像度が高くなくても我々には多分『伝わってる』のである

しろ、それでどれくらい負傷するのかとか、実力差はどれくらいなのか、どうやって勝つのか負けるのかなどの次の展開に興味が移っていないだろうか。さらに言えば、この魔女性格はどんな感じなのか? 冷徹なのだから口調は厳しいのかとか、魔女主人公のこと気に入ったりするのか、追々仲間になる展開なのか、と言った、キャラクタの心情の移り変わる様子すら、この段階で期待してそれを軸に妄想を膨らませる人もいるだろう。

さらにここに、


『氷の魔女と呼ばれる彼女は、実は地球に住む人間の種を手に入れようと狙ってやってきた宇宙人であった。侵略活動やすいよう周りの空気自分たちの住む星の大気温度まで下げるため、彼女腰掛けているステンレス製の巨大三角から温度を奪う冷気的な何かを放出していて、空気中の水蒸気が氷結してできた塊を利用し相手冷凍保存しようとしている』


と言ったストーリーの上欠かせない設定が加わった瞬間、魔女攻撃の一連の動きがどれくらい迫力があるのかよりも、物語の展開的な動きの方が気になってこないだろうか。アニメーション上の緻密な動作よりも、ギャグ調を出すためにSDキャラデザや画面効果といった要素の方が卓越してきそうなモノである


要はその作品がどんなジャンルでどんなテーマなのか、その中でアニメーションをどう位置付けているかで、表現千差万別の答えを持っていると考えている。立体的な動きとか力の伝わり方を見て取れるようなリアリティを重視するよりも、もっと感情移入して欲しいかキャラクタの魅力を全面に出す方針があるのであれば、背景のモブと呼ばれる方々まで生き生きと動いていればその画面の映え様に感動するけど、そこに力入れるなら止め絵でも良いかキャラ造形やカラーグラデーションに力が入ってて欲しいよねって意見も当然あると思う。

この時萌え絵かどうかはあんまり本質的問題ではなくて、視聴者各々の共通言語とどれほどマッチしていて違和感あるかないかの話に過ぎないと考える。

これより先は趣味指向トレンドしか言えない領域突入してしまう気がしてならない。そこは表現の自由が担保されている以上、善悪判断軸が及ばない空間である

もしそれに対して「過去多くの作品萌え絵が使われていて、時間をかけて大衆になじんでしまたことで不当にも市民権的なモノを得てしまたからだ!」などと主張してしまっては、もはや時代(トレンド)に対する憎悪しかなく、いつまでも見えない相手との戦いを余儀なくされることになるだろう。

キャラ造形に対する文句ほど不毛なことはない。


ひと昔前にギャルゲー原作としたアニメが多く生み出される時期があった。のちにラノベ原作アニメが多く輩出される時代が訪れることになるのだが、当時としてはニコニコ動画を始めとした他メディアで取り沙汰され、言わば萌えアニメの本流とも言える地位を築いていたと思う。

ではそのどれもが、彼がいうところの『強度』なるものを有してたかというと、……なんとも言えないところはあるかも知れない。

当然のことだが何千枚という数の原画に対して、その全て原作独特の繊細な塗りを再現するのは時間的にも経済的にも叶わず立ち絵差分とスチルと効果のみで表現されていた絵に対して、話の展開にマッチするようにかつゼロから動きを盛り込むのはやはり至難の技のようで、結果的作品の持つ強みを生かしきれないまま終わってしまったものが多くあった印象がある。

その原因は、アニメ萌え絵が向いていないというよりは、テキスト……特にキャラクタの心情面に比重が大きい作品は、初めからアニメーションを十二分に活かせるだけの舞台比較的狭いように思える。キャラクタ同士のウィットに富んだ掛け合いを楽しむだけなら、それこそゲームのように会話と場面移動、要所要所で叙情性の窺える背景描写カットの繰り返しで事足りてしまい、ともすれば動作は間を持たせるためのツールになってしま可能性すらあるのだ。身もふたもない話だが。

まりなんとも言えない感じになるのは萌え絵のせいではなく、作品のコンセプトにいかアニメーションを上手絡めることができるかによるのだ。そしてそれは当然、作品ジャンルアクション主体なのかコメディ主体なのかリアル恋愛主体となるのかでアニメーションの寄与度の上限が決まってくるので、表現手法の一つである「動き」単体で評価した時、ジャンルによる偏りがどうしても出てしまうモノなのだ。画面映えする動きがなくても『十二人の怒れる男』(実写映画だけど)のような名作は生まれる。

実際のギャルゲー原作作品には、画面映えを飽きさせないようなさまざまなアイデアが盛り込まれていたけど、いよいよ話の筋から外れてしまうから割愛したい。


画面を縦横無尽に駆け巡るアニメーションは、突き詰めればただの動きであり、結局は表現手法の一つでしかなく、ストーリーとの直接的な関係がなければ、ストーリーへの直接的に干渉することはできない別レイヤー存在にすぎないとも言える。

絵コンテ等の段階でスクリーン上の動きに込めた意図に気づける目の肥えた人にとっては、「動かし屋さん」の実力が垣間見れる瞬間であり、味の決め手のような作品価値を決定づける重要ポイントなのかも知れない。

だがストーリーの展開に目が向いてしまう人々にとっては「面白い動きだな、他作品ではあんまり見ないカットを入れてるな」くらいに止まっていて、やっぱりキャラ同士の会話やその時に垣間見れる感情自分リーチできるかどうかに関心が向いてしまものだ。

昨日NHKの某番組で紹介されていたが、殆ど人間は1秒間に4,5枚の絵しか見れないらしい。一枚絵のカットの切り替え表現の繰り返しは、程度にもよるのだろうが、予算工程など諸々の事情を鑑みた時、大変妥当表現だと個人的には思う。

昨今のは様々な形が出てきたとはいえ、まだまだ異世界生モノアニメブームが続いているように見える。

少ないリソースで最大効果を期待する戦略としては非常に合理的だと思っている。

ストーリー上の役割が小さい場面では「異世界生モノあるある」やその根底にある「子供の頃に慣れ親しんだRPGの思い出」という共通言語を利用して絞り、作品オリジナルの強みにピボットを置き部分的に「動き」のリソースを割くことで相対的な画面と展開のギャップを生み出し、差別化と人気を獲得するにあたり大変都合が良いのかなと思っている。

この潮流について個人的にどうと言うつもりはない。むしろ当然の流れだと思う。個人的には長らく続いてきた「高校生部活青春ドラマ」がようやく落ち着いてきて、代わりに台頭してきたくらいの感覚だ。時代とともに変遷する価値観や需要を端的に示していると思ってる。


ところで『リトルウィッチアカデミア』というアニメ作品をご存知だろうか。

2017年に株式会社トリガーから出されたオリジナル作品で、ヒロイン少女アッコが憧れの魔女シャイニィシャリオにのようになろうと魔法学校入学し、仲間達と共に成長を遂げていくというお話である。当時OP映像を見てその作り込まれ世界観引き込まれ、全話リアルタイムで追っていた。

ご存知の通りトリガーといえば他にも『キルラキル』や『SSSS.GRIDMAN』を始めとする数々の名作アニメを世に生み出した有名なアニメ製作会社だ。

社名に違わず弾丸が飛び交うような激しいアクションシーンが特徴的で、およそ10年にわたり多くのアニメファンを魅了し続けてきた。

何の因果か、つい先日株式会社トリガーが手がけるのアニメオリジナル放送前となる『リトルウィッチアカデミア』の短編映画原画制作する新人アニメーターたちの様子を追ったドキュメンタリー動画を、失礼ながらもしゃちく☆まっしぐらしていたリアタイ当時の自分の状況と重ねながら観ていた。

今回この拙文を書こうと思ったのも、その動画を触れたあとの余韻がそうさせたのだと思う。

動画の内容が気になった方は各人で確認してもらいたい。

端的に言うと、彼らが手がける他作品と一線を画す豪快な「動き」に込められた感動を生み出すもののの正体はアニメーターたちの寿命のものだ。

そこまで心血注がなくたって、既に共通言語を獲得している我々にはその半分以下の動きであったとしてもおそらく『伝わっている』のである。だが彼らはそんな事眼中にはなさそうだ。彼ら自身が観たいものを描いているだけなのだろう。シャイニィシャリオクルクルと回りながら杖を振り動物たちの花火魔法を出すまでのたった数秒の「動き」に、何週間も終わりの見えない苦悩を重ね続けるなんて、それこそ描くこと動かすことが大大大好きでもなければやれるはずがない。私のような観ているだけの人間には理解できない世界がそこにはあった。

間違いなく時代トレンド関係なく後世に伝わってほしい作品の一つだし、アニメ好きの私は一つでも多くそう言った作品が世に出てくることを願ってやまないものの一人ではある。

だがそれがアニメの全てだとかあるべき姿だとかそういう指向性に囚われるような話でもないと思う。

だが、予算制作期間と人員の消耗等のあらゆるのリスクを考えるのであれば、それらアニメーターの生命と血が滴る作品を世に出すことは、何十人何百人の人生をかけた大勝負であり、そんなものを定期的に見せておくれよなんて烏滸がましいことを言えるほど私は偉い人間ではない。

製作陣の戦いの姿の一端を見ただけで、シャリオが振う杖の軌跡一つとっても、数年に一度しか拝めない奇跡の奇蹟と言われても納得できるし、胸の内から熱く込み上げてくるものを心地よく感じることができる。


コロナの影響ですっかり荒廃しきった今の時代、人との関わりがすっかり乏しくなってしまった(俺だけかもしれないけど)独身を生きる俺に、自然と「頑張って作ってくれてありがとう」の気持ちと、明日を頑張れる活力を授けてくれた魔法だった。

もっと色々な魔法を、『傑作』を見てみたい! その想いの強さが故にアニメ業界の現状に、文句の声の一つくらい出してみたい気持ちもわかる。

けれど、

あの世界は、我々視聴者同士が視聴者層の絵の嗜好がどうとかで文句を言い合っているレベルで語れるのものではないのだと私は思う。

私が円盤や関連グッズを購入すると言った金銭的な応援以外にできることは、アニメーターの方々が1秒でも長くアニメを大大大好きでいていただきたいと願うだけである


気づきの通り最後の2文が言いたかっただけだ。

最後まで読んでいただいた方は、こんな拙文にお時間取らせてしま申し訳ない。

良いアニメライフを。

萌え絵アニメーションに向いてないという勘違い

巷で話題萌えアニメオタク害悪だと主張する記事を読んだ感想である

私は萌えアニメからいわゆる硬派と呼ばれるアニメまで広く嗜む、アニメ視聴歴20年くらいのしがないアラサー男だ。

ジャンプサンデーと言ったお馴染みの週刊誌で人気の原作アニメが、テレ東ゴールデンタイム毎日のように放送されていた頃に、箸で摘んだ夕食のコロッケテーブルの上に落としブラウン管にかじりつく少年期を過ごし、最近新刊が発売された『涼宮ハルヒの憂鬱』をきっかけにいわゆる深夜アニメ世界に足を踏み入れて、今日に至ると言った経歴(他に言葉が思いつかなかった)を持っている。

視聴作品数は、履歴書に書けば人間性理由採用確率が30%減になるくらいあっただろうか。と言っても熱中度でいえば大したモノではなく、どんなに気に入った作品でも円盤を買ったり、グッズ等を買う程度だった。興奮が抑えられず感想ブログに載せたり、二次創作に勤しんだりするくらいならニコニコ動画で他の作品の視聴課金をし始めるくらいには職人気質は持ち合わせておらず、人によってはカステラ茶色の表皮だけをすくって人工甘味料(無いかも)の鋭く刺すような舌触りだけで満足するような、奇怪な楽しみかたをダラダラ続けていただけに見えるかもしれない。

そんな人間がひさしぶりに取れた休日の暇潰しに書いた文章だ。

簡潔に何が言いたいのか知りたい方は、途中全く大したこと書いてないので、最後だけを読んでほしい。

以降は今の俺以上に暇だと宣言できる、大変人間強度に優れた人だけが読み進めて欲しい。

主に作品ごとのアニメーションが持つ性質役割の違いについて横道に外れながら綴っていきたいと思う。

過去に色々な作品を目にしてきている者ならばご理解いただけると思うが、「好きなアニメは? どういうところが好きなの?」と質問を受けたとき、瞬時に心動かされた場面(シーン)が頭の中を駆け巡り、「さてどれから話せばよいものか……」と、全身が幾分高揚している自分がいることに気づくだろう。

それらはキャラクタたちと共にストーリーを辿ることで得られた感覚につけられた名前のようなものだと私は考える。そしてそれらは言葉では表せないが、私たちに中で一種の『共通言語』的な役割を担い、機能しているのだ。

アニメーション、画面上の動きの一つに、こうした共通言語や構図の時間的変化から読み取れる言語で感じて欲しい叙情性に補完を入れたいのか。

例えば以下のシーンを目を瞑って思い浮かべてもらいたい。

『氷属性もつ冷徹残忍な魔女が、手に持った杖を振るった。その瞬間空間四方から無数の鋭利な菱形をした氷の刃が出現し、彼女の透明感のある艶やかな唇で結ばれる「さようなら」の言葉を合図に一斉に襲いかかってきた』

数々の映像作品を見たことがある人なら、無の空間からパキパキと音を立てながら蒼白い形作られ、魔女の妖艶な笑顔が映った次の瞬間に鋭い氷の塊が視界の中心に集まってくる2、3カットくらいの映像が容易に頭の中に流れたことだろう。

これは性格によるのかもしれないが、私は基本的には物語の進行上は「それ」でOKと考えるのだ。

「それ」とは、視聴者の頭の中で出来上がった薄ぼんやりとした2、3カットのことであり、重要なのは「それ」を我々視聴者に想起させ、作品を補完させることだと考えている。

例えば先のシーンで「魔女がどんな容姿でどんな服装服をまとい、どんな体勢なのか」とか、「魔女と言うくらいなら箒に乗っているのか」とか、「どんな服を身に纏っていたのか」とか、「どれくらい勢いで杖を振ったのか、杖の先はどこを向いているのか」とか、「氷の軌道は直線的なのか最初に外側に弧を描くなどトリッキーな動きをしているのか、時間差のある多段階攻撃なのか」などの質問されたら、スラスラと答えられるだろうか。(……私だけができないのなら怖い。ショックのあまり寝込む)

おそらくだが「いやそんな細かいところまでは……」のレベルの話だと思っている。多分これができる人はきっと絵が上手いはずだ。私は私を含め絵がど下手くその人がこの世にいることを知っている。

ぶちゃけた話、そこの解像度が高くなくても我々には多分『伝わってる』のである

しろ、それでどれくらい負傷するのかとか、実力差はどれくらいなのか、どうやって勝つのか負けるのかなどの次の展開に興味が移っていないだろうか。さらに言えば、この魔女性格はどんな感じなのか? 冷徹なのだから口調は厳しいのかとか、魔女主人公のこと気に入ったりするのか、追々仲間になる展開なのか、と言った、キャラクタの心情の移り変わる様子すら、この段階で期待してそれを軸に妄想を膨らませる人もいるだろう。

さらにここに、

『氷の魔女と呼ばれる彼女は、実は地球に住む人間の種を手に入れようと狙ってやってきた宇宙人であった。侵略活動やすいよう周りの空気自分たちの住む星の大気温度まで下げるため、彼女腰掛けているステンレス製の巨大三角から温度を奪う冷気的な何かを放出していて、空気中の水蒸気が氷結してできた塊を利用し相手冷凍保存しようとしている』

と言ったストーリーの上欠かせない設定が加わった瞬間、魔女攻撃の一連の動きがどれくらい迫力があるのかよりも、物語の展開的な動きの方が気になってこないだろうか。アニメーション上の緻密な動作よりも、ギャグ調を出すためにSDキャラデザや画面効果といった要素の方が卓越してきそうなモノである

要はその作品がどんなジャンルでどんなテーマなのか、その中でアニメーションをどう位置付けているかで、表現千差万別の答えを持っていると考えている。立体的な動きとか力の伝わり方を見て取れるようなリアリティを重視するよりも、もっと感情移入して欲しいかキャラクタの魅力を全面に出す方針があるのであれば、背景のモブと呼ばれる方々まで生き生きと動いていればその画面の映え様に感動するけど、そこに力入れるなら止め絵でも良いかキャラ造形やカラーグラデーションに力が入ってて欲しいよねって意見も当然あると思う。

この時萌え絵かどうかはあんまり本質的問題ではなくて、視聴者各々の共通言語とどれほどマッチしていて違和感あるかないかの話に過ぎないと考える。

これより先は趣味指向トレンドしか言えない領域突入してしまう気がしてならない。そこは表現の自由が担保されている以上、善悪判断軸が及ばない空間である

もしそれに対して「過去多くの作品萌え絵が使われていて、時間をかけて大衆になじんでしまたことで不当にも市民権的なモノを得てしまたからだ!」などと主張してしまっては、もはや時代(トレンド)に対する憎悪しかなく、いつまでも見えない相手との戦いを余儀なくされることになるだろう。

キャラ造形に対する文句ほど不毛なことはない。

ひと昔前にギャルゲー原作としたアニメが多く生み出される時期があった。のちにラノベ原作アニメが多く輩出される時代が訪れることになるのだが、当時としてはニコニコ動画を始めとした他メディアで取り沙汰され、言わば萌えアニメの本流とも言える地位を築いていたと思う。

ではそのどれもが、彼がいうところの『強度』なるものを有してたかというと、……なんとも言えないところはあるかも知れない。

当然のことだが何千枚という数の原画に対して、その全て原作独特の繊細な塗りを再現するのは時間的にも経済的にも叶わず立ち絵差分とスチルと効果のみで表現されていた絵に対して、話の展開にマッチするようにかつゼロから動きを盛り込むのはやはり至難の技のようで、結果的作品の持つ強みを生かしきれないまま終わってしまったものが多くあった印象がある。

その原因は、アニメ萌え絵が向いていないというよりは、テキスト……特にキャラクタの心情面に比重が大きい作品は、初めからアニメーションを十二分に活かせるだけの舞台比較的狭いように思える。キャラクタ同士のウィットに富んだ掛け合いを楽しむだけなら、それこそゲームのように会話と場面移動、要所要所で叙情性の窺える背景描写カットの繰り返しで事足りてしまい、ともすれば動作は間を持たせるためのツールになってしま可能性すらあるのだ。身もふたもない話だが。

まりなんとも言えない感じになるのは萌え絵のせいではなく、作品のコンセプトにいかアニメーションを上手絡めることができるかによるのだ。そしてそれは当然、作品ジャンルアクション主体なのかコメディ主体なのかリアル恋愛主体となるのかでアニメーションの寄与度の上限が決まってくるので、表現手法の一つである「動き」単体で評価した時、ジャンルによる偏りがどうしても出てしまうモノなのだ。画面映えする動きがなくても『十二人の怒れる男』(実写映画だけど)のような名作は生まれる。

実際のギャルゲー原作作品には、画面映えを飽きさせないようなさまざまなアイデアが盛り込まれていたけど、いよいよ話の筋から外れてしまうから割愛したい。

画面を縦横無尽に駆け巡るアニメーションは、突き詰めればただの動きであり、結局は表現手法の一つでしかなく、ストーリーとの直接的な関係がなければ、ストーリーへの直接的に干渉することはできない別レイヤー存在にすぎないとも言える。

絵コンテ等の段階でスクリーン上の動きに込めた意図に気づける目の肥えた人にとっては、「動かし屋さん」の実力が垣間見れる瞬間であり、味の決め手のような作品価値を決定づける重要ポイントなのかも知れない。

だがストーリーの展開に目が向いてしまう人々にとっては「面白い動きだな、他作品ではあんまり見ないカットを入れてるな」くらいに止まっていて、やっぱりキャラ同士の会話やその時に垣間見れる感情自分リーチできるかどうかに関心が向いてしまものだ。

昨日NHKの某番組で紹介されていたが、殆ど人間は1秒間に4,5枚の絵しか見れないらしい。一枚絵のカットの切り替え表現の繰り返しは、程度にもよるのだろうが、予算工程など諸々の事情を鑑みた時、大変妥当表現だと個人的には思う。

昨今のは様々な形が出てきたとはいえ、まだまだ異世界生モノアニメブームが続いているように見える。

少ないリソースで最大効果を期待する戦略としては非常に合理的だと思っている。

ストーリー上の役割が小さい場面では「異世界生モノあるある」やその根底にある「子供の頃に慣れ親しんだRPGの思い出」という共通言語を利用して絞り、作品オリジナルの強みにピボットを置き部分的に「動き」のリソースを割くことで相対的な画面と展開のギャップを生み出し、差別化と人気を獲得するにあたり大変都合が良いのかなと思っている。

この潮流について個人的にどうと言うつもりはない。むしろ当然の流れだと思う。個人的には長らく続いてきた「高校生部活青春ドラマ」がようやく落ち着いてきて、代わりに台頭してきたくらいの感覚だ。時代とともに変遷する価値観や需要を端的に示していると思ってる。

ところで『リトルウィッチアカデミア』というアニメ作品をご存知だろうか。

2017年に株式会社トリガーから出されたオリジナル作品で、ヒロイン少女アッコが憧れの魔女シャイニィシャリオにのようになろうと魔法学校入学し、仲間達と共に成長を遂げていくというお話である。当時OP映像を見てその作り込まれ世界観引き込まれ、全話リアルタイムで追っていた。

ご存知の通りトリガーといえば他にも『キルラキル』や『SSSS.GRIDMAN』を始めとする数々の名作アニメを世に生み出した有名なアニメ製作会社だ。

社名に違わず弾丸が飛び交うような激しいアクションシーンが特徴的で、およそ10年にわたり多くのアニメファンを魅了し続けてきた。

何の因果か、つい先日株式会社トリガーが手がけるのアニメオリジナル放送前となる『リトルウィッチアカデミア』の短編映画原画制作する新人アニメーターたちの様子を追ったドキュメンタリー動画を、失礼ながらもしゃちく☆まっしぐらしていたリアタイ当時の自分の状況と重ねながら観ていた。

今回この拙文を書こうと思ったのも、その動画を触れたあとの余韻がそうさせたのだと思う。

動画の内容が気になった方は各人で確認してもらいたい。

端的に言うと、彼らが手がける他作品と一線を画す豪快な「動き」に込められた感動を生み出すもののの正体はアニメーターたちの寿命のものだ。

そこまで心血注がなくたって、既に共通言語を獲得している我々にはその半分以下の動きであったとしてもおそらく『伝わっている』のである。だが彼らはそんな事眼中にはなさそうだ。彼ら自身が観たいものを描いているだけなのだろう。シャイニィシャリオクルクルと回りながら杖を振り動物たちの花火魔法を出すまでのたった数秒の「動き」に、何週間も終わりの見えない苦悩を重ね続けるなんて、それこそ描くこと動かすことが大大大好きでもなければやれるはずがない。私のような観ているだけの人間には理解できない世界がそこにはあった。

間違いなく時代トレンド関係なく後世に伝わってほしい作品の一つだし、アニメ好きの私は一つでも多くそう言った作品が世に出てくることを願ってやまないものの一人ではある。

だがそれがアニメの全てだとかあるべき姿だとかそういう指向性に囚われるような話でもないと思う。

だが、予算制作期間と人員の消耗等のあらゆるのリスクを考えるのであれば、それらアニメーターの生命と血が滴る作品を世に出すことは、何十人何百人の人生をかけた大勝負であり、そんなものを定期的に見せておくれよなんて烏滸がましいことを言えるほど私は偉い人間ではない。

製作陣の戦いの姿の一端を見ただけで、シャリオが振う杖の軌跡一つとっても、数年に一度しか拝めない奇跡の奇蹟と言われても納得できるし、胸の内から熱く込み上げてくるものを心地よく感じることができる。

コロナの影響ですっかり荒廃しきった今の時代、人との関わりがすっかり乏しくなってしまった(俺だけかもしれないけど)独身を生きる俺に、自然と「頑張って作ってくれてありがとう」の気持ちと、明日を頑張れる活力を授けてくれた魔法だった。

もっと色々な魔法を、『傑作』を見てみたい! その想いの強さが故にアニメ業界の現状に、文句の声の一つくらい出してみたい気持ちもわかる。

けれど、

あの世界は、我々視聴者同士が視聴者層の絵の嗜好がどうとかで文句を言い合っているレベルで語れるのものではないのだと私は思う。

私が円盤や関連グッズを購入すると言った金銭的な応援以外にできることは、アニメーターの方々が1秒でも長くアニメを大大大好きでいていただきたいと願うだけである

気づきの通り最後の2文が言いたかっただけだ。

最後まで読んでいただいた方は、こんな拙文にお時間取らせてしま申し訳ない。

良いアニメライフを。

2020-12-04

anond:20201204154711

ワイはサンデー力を手に入れたおかげで毎日がエブリデイやで

2020-11-30

今日も朝からワイらのお家は てんてこまいの大騒ぎ

政治宗教一緒に来たよな てんてこまいな忙しさ

何がなんだかさっぱり分からず どれが誰やらさっぱり分から

何も知らずにログインしたけど 何を書くやら 何で書くやら

それがごっちゃになりまして

ワイほんまによう書けんわ ワイほんまによう書けんわ

たまの日曜 サンデーというのに 何がすいすい水曜か

こんなにたくさんトラバとツリーに 他の利用者考えず

あることないこと手当たり次第に 人の気持ちも知らないで

ワイほんまによう書けんわ ワイほんまによう書けんわ

何はともあれ 雰囲気つかみに 人気のエントリ読み込んだ

アニメ マンガに 自分語りに 怪文書

時事ネタ取れたて お気持ち表明 読みなはれ

おっさん 読むのと違います

スペース空けたら 悪目立ちすると思うだけ

ワイほんまによう書けんわ ワイほんまによう書けんわ

リベラル アナーキー フェミニスト

オタク ヴィーガン ウヨにサヨ

主張を押し出しマンガにしたなら なんぼかバズるやろ

なんぼかバズるやろ

オススメ作品 私に教えてください

うそう あんたの書く日記 「ゲーム」とついとるが

ほとんど ただの日記やおまへんか

ワイほんまによう書けんわ

ヤオかい

ちょうど隣はコピペ記事

ニッポン ダメダメ ゴイスー 上げ下げ

社会の基本 ホウレンソウ

つぶやき まとめに 互助会

タバコに お酒に マナーに ポリコレ  

ブクマ クマクマ 釣られた

炎上 コンプラ 身内ネタ

瞑想 睡眠 運動 野菜

恐ろし 恐ろし 恐ろし 恐ろし

ああ 恐ろし

ちょっと おっさん モテないの

ちょっと おっさん 金ないの

隣に いますか 女子高生

物知り 自称の 関係者

お子さん ナントカ カントカ 

お子さん お子さん お子さん お子さん

お子さん お子さん お子さん お子さん

お子さん お子さん お子さん お子さん

ワシャ ろう者で聞こえまへん

ワイほんまによう書けんわ ワイほんまによう書けんわ

そんなら 向かいのおばはんよ

今日知った言葉 使いたいので

ちょっとお題だけ おくんなはれ

ノートを出したら おばあはん

これまたイメクラ こけまへん

嘘マジ半分 妙ちきりん

ワイほんまによう書けんわ ワイほんまによう書けんわ

あと一つは?

2020-11-27

今日は素晴らしい サンデー

さわやかな日曜 降りそそぐ太陽

ヘイヘイヘイ イツア ビューティフル・デー

出かけよう彼方(かなた)へ 歌おう高らかに

ヘイヘイヘイ イツア ビューティフル・デー

ハァハァハァ ビューティフル・サンデー

今日は素晴らしい サンデー

きっと誰かが僕を

おゝおゝ 待ってる

僕のそばに君が

胸はずむ日曜

ヘイヘイヘイ イツア ビューティフル・デー

出かけよう手をとり 見つけよう太

ヘイヘイヘイ イツア ビューティフル・デー

ハァハァハァ ビューティフル・サンデー

今日は素晴らしい サンデー

きっと誰かが僕を

おゝおゝ 待ってる

キャン玉キラキラ金曜日~。

社員の皆さんありがとう今日も一日ごくろうさん

わが社の未来運命は 一に根性二に努力

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anond:20201127113709

2020-11-14

anond:20201114000907

そういえば、サンデーグラビア写真載ってても炎上しないけど、ジャンプでお色気漫画が表紙になると炎上するんだよね。

なんでやろなあ。

anond:20201114000246

サンデーグラビア写真載ってても炎上しないけど、下着メーカーグラビアっぽい宣伝をしたら炎上するようなもんだと思う

2020-11-07

アニメ化で人気出るジャンプ漫画

アニメの出来がいいのもそうだけど「週刊少年ジャンプに連載されている」っていうアドバンテージ半端ないと改めて思った

トリコですら一時期テレビで「原作は!あの!少年ジャンプで!!連載されていることでおなじみの大人アニメ作品のトリコ!!」みたいな押され方してたからな

マガジンサンデーチャンピオンなら気持ちの悪い造形の怪物ばかりクローズアップされたりオタク様相特集したりでどれだけ売れてもどこかうっすら「キモい」のイメージがつきまとうけど

ジャンプテレビ局や芸能界全面協力でひたすら肯定的に押しまくって非ヲタにもあっという間に定着してなんていうかジャンプ漫画読んでるって普通のことでオタク趣味扱いされない

ただジャンプは非ヲタがあまりクリーンで熱くて健全イメージ持ちすぎててちょっとエログロ入れると目つけられて叩かれやすいけどそのデメリットを補って余りある大変強力な後ろ盾だと思う

anond:20201106203736

鬼滅って作者が女性だしこんな風に女性の読者が多いからそれだけで嫌な感じはしていた

アニメも全話見たけどテンポ悪いし合間合間に挟まるギャグややり取りがいかにも女性作者的な感じで

この漫画サンデーガンガンならともかくジャンプで連載してるのは駄目だろ、と半ば本気で思っていた

アニメから人気が爆発して単行本の売上が20倍に膨れ上がったと聞いても「いや、どうせ買ってるの30~40代の鬼滅女子とやらだろ?」って馬鹿にしていた

それがどこに行っても鬼滅のコラボ商品を見かけ始めた時から「ああ、あの作品は本当に人気があるんだな」と自分の中で認識が変わったのか素直に受け入れられるようになった

こんな風に「何で今頃流行ってんだよ!」ってやきもきしてる元増田も居れば俺みたいな人気に迎合して何も考えず楽しんでる奴も居るのが世の中だよな

元増田言及してる様に鬼滅が右翼思想人間に受けるだろう事は何となく分かる、敵は「鬼畜」だしその鬼畜と戦うのが黒装束を着て帯刀した大正時代人間からこりゃあ受けそうだわ

2020-11-04

鮎川というオタクに優しいギャル

鮎川中学校3年の時の同じクラス女子だった。身長が高くて小顔。すっと通った鼻筋が印象的な美人だった。

校則禁止されているのに、少し明るい色に髪を染めていて生活指導によく目をつけられていた。

当時はアムラー全盛期。クラス女子はみんなルーズソックスくらいは履いていて、ギャルっぽい格好が普通だった。

その中でも彼女は少しヤンキーっぽくもあり、大人びた雰囲気もあり、いつも気怠そうな感じで「圧」があった。

俺はといえば、いわゆるアニメ漫画ゲームオタク

休み時間に仲良くする友達も少なかったので、漫画の模写ばかりをして昼休みを過ごしていた。

無論、下手くそな絵を見られるのが嫌だったので、音楽室の隣の空き教室にいつも忍び込んでいた。

夏休みもあけた9月体育祭の係を決める学級会があった。

うちの中学校では3年生が町内10キロを走るマラソンが1番の目玉だったが、

運動が苦手な俺は心の底から参加したくなかった。

そんな時「大看板を描いて、当日応援すればマラソン免除」という体育祭実行委員役職は、

まりに魅力的で、すぐに飛びついた。立候補したのは、俺と鮎川鮎川と仲の良いギャルの3人だった。

そんなオタク1人とギャル2人で看板製作は始まった。

例年、体育祭看板は、ナウシカ紅の豚などのジブリ作品が描かれることが多く、

ついでドラゴンボールエヴァなどの少年漫画モチーフとされた。

自分特に描きたいものもなかった(というか、模写してる絵は萌え絵ばかりだった)ので、

二人の話の成り行きを見守っていたところ、鮎川が「今日から俺は!!」を描きたい。と言ってきた。

当時サンデーを読んでいなかったこともあるのだが、ギャルオタク自分が知らない作品を挙げたことにびっくりした。

話を聞いてみると、高校生のお兄ちゃんがいるらしく、兄の影響で読み始めたがめちゃめちゃ面白いので、

その絵を描きたいという。俺は漫画の内容を全く確認せずにOKした。

翌日、鮎川が「今日から俺は!!」の漫画を10冊ほど持ってきた。とりあえず、読んで欲しいと。

ごりっごりのヤンキー漫画であった。特攻の拓湘南純愛組!のようなヴァイオレンスコメディー。

中学校体育祭看板ヤンキー描いて大丈夫か?という不安がよぎった。

しかし、鮎川意見できるわけもなく、主人公三橋伊藤の絵を描くことになった。

参考に借りた漫画本はタバコ香りがした。

製作が始まると、友達ギャルはなんだかんだ理由を言って、すぐに来なくなった。

しょうがないので二人で作ることになった。鮎川複数コマから

「このコマ三橋と、この表紙絵の伊藤を組み合わせた、殴りかかるような絵」にしたいと、

細かく指定してきた。彼女のこだわりはよくわからなかったが、俺はオーダーに応えた。

増田、超絵うまいじゃん!漫画家なれるよ!!」と謎に褒めてくれた。

放課後。まだ残暑の暑さの残る中、二人で黙々と作業を進めた。

1週間も一緒に作業していると、ポツポツと話をするようになった。

4つ離れた兄と2つ歳上の兄がいること、浜ちゃん友達ギャル)は最近塾忙しいから、

手伝うの難しいのわかってて無理に誘ったこと。

自分商業高校行こうと思ってるから勉強しなくても余裕だということ。

目の前にいるのは気怠そうな怖いギャルではなくて、ただの普通の可愛らしい女子だなと思った。

女の子からそんな身内話を聞くのは初めてで、俺は多分恋に落ちていた。

提出日の前日、19時過ぎ。仕上げ剤が乾燥するのにもう1〜2時間ほどかかった。

家の遠い鮎川あんまり遅くなるのは良くないかと思い、先に帰した。

先生にもう少し居残る旨を職員室に伝えに行き、戻ってきたら1枚のメモ書きが残っていた。

あんまり無理しないでね。看板作るの楽しかったよ。」

体育祭は無事に終わり、懸念していたヤンキー絵ということで教師から怒られることも無かった。

クラス受験一色に雰囲気が変わり、鮎川とはまた話す機会もなくなった。

お互いどこに進学したのかを知ることなく、俺たちは卒業した。

それから数年後。成人式の時、久しぶりに中学校時代同級生と再会した。

特に仲の良い友達もいなかったが、飲みに行くというのでついていった。

鮎川は来ていなかったが、思い出話の中で彼女名前が出てきた。

彼女のお兄ちゃんは有名なチーマーのヘッドでめちゃくちゃ怖かったこと。

そして、お兄ちゃん友達と当時付き合っていたらしいということ。

ご両親が離婚されていて、結構複雑な家庭だったとのこと。

数年前、池袋を派手な格好で男性歩いてるのが最後の目撃談だったこと。

俺が見えてた世界と、彼女が見えてた世界は同じ場面でもきっと全然違ってたんだろう。

でも黙々と絵を描いている彼女の横顔は綺麗で、今でも覚えている。

2020-11-03

anond:20201103201500

そういうのは毎週漫画描いてクオリティ維持してるジャンプマガジンサンデー漫画家に勝ってから言え

十分すぎるほどの時間があったら上手い絵をかける人間はザラといる

2020-11-01

何で日曜日の朝から意見主張してんだよ

テレビの真似やめろ

インテリさんは明日から頑張ってください

サンデー ウィル ネバー ビー ザ セーム

2020-10-30

anond:20201030122924

これこそ「普通の読者」(サンデーを読んでいないライト層)が知らないことだけどスピンオフは梓さんとのラブコメ漫画ではないよ

作中の一般人から見れば安室アラサーなのに金髪フリーターゆるふわ生活してる変な男だから彼女は良くも悪くも一般人代表として安室に対して無邪気に偏見をぶつけてる

友達が生きている間は安室偏見めいた発言をする人がいれば友達が怒ってくれたけど(実際過去編でそういう回がある)今はみんな亡くなってるから誰も安室を庇わない

安室一般人として潜入してる立場からニコニコしてスルーするだけ

今の安室ぼっちであることを強調するためだけに梓さんが舞台装置として使われている

梓さんはあのスピンオフに出演することによって得するどころか相当損な役回りを引き受けてるんだよ

あんな無神経キャラじゃなかったはずなのに

安室とのカップリング赤井や梓さんや夢女子以外にも部下や幼馴染の男や、あとコナンなんかもあるんだけど

もう全方位誰も得してないから正直早くスピンオフ畳んでほしい

2020-10-29

ジャンプマガジンサンデー漫画雑誌

一番真っ先に潰れて廃刊するのはサンデーだと思う

たまーに面白い作品あるけど、雑誌を売る気ねーだろというような漫画も多い

下手すりゃサンデーよりハルタの方が漫画雑誌として数倍面白い

2020-10-28

フリーレンいいわ

これだけのためにサンデー買っても良いまである

ジャンプ暗黒期って編集責任では

ジャンプ持ってこい」とか言ってジャンプらしさに固執したのが悪かったんじゃないの

鬼滅とか連載はじまったころは「こういう絵は編集部で嫌われるだろうね、手を抜かずにちゃんとツヤベタしないと」とか言ってる奴いたけど、今は流行ってるし

バランもヒットしたけどジャンプらしくはなかった。暗殺教室もそう。

最近ジャンプジャンプらしくないがそこそこヒットしてる。サンデー落ち目もあるし、他誌らしさを奪っていい頃合いなんじゃないか

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