はてなキーワード: サブリミナルとは
顔を見て、かっこいいとかかわいいとかその容姿を魅力に思う気持ちと、性器を見てエロいと思う気持ちって、言葉が違うだけで大差ないのではないかと思ってる。
言葉の違いが認識を変えさせてるという哲学の話じゃないが、なぜ座頭相撲とか公唱制度やってた国がここまでエロという概念をこしらえてそこに忌むべきものとしていろんなのを突っ込んで公然と言えない空気にしたかというと、
公然と水着の女やグラビアアイドルを見ていいなと思うことはよくて、海外のヌーディストビーチを裸体鑑賞目的で行ったら変態と思われることには、どうにも恣意性を感じるというか。
でこまん事件みたく性器ひっさげて表現の解放を主張するのは過激派的だとしても、刑法175条の緩和を謳うならエロ漫画テイストの性器が見える構図の裸体に性器部分だけモザイクかけたパネル貼った街宣車で選挙活動するぐらいのことはあってもいいんじゃないか。
もちろんこれすら「良識」ある人間としては抵抗を感じてなかなかするのが正しいことと思えない部分があるが、この良識感覚自体なにか誰かの都合で、サブリミナルナッジ理論そのほか無意識に作用する社会的手法を意図的に使われた刷り込みに感じる。
エクソシストの新作観た。
取り憑かれての異常行動も割と控え目だったし、ホラーって感じはあんまりしなかった。前のもそうだけど、悪魔に蝕まれていく辛さみたいなのが大きい。
キリスト教に限らず、人生に対する希望と言い換えても良いような「信仰」がテーマになってた。
悪魔祓いは色んな文化圏であると繰り返し言われてたり、非キリスト教の聖職者が参加してたり、主人公が無神論者だったりと。悪魔の囁きも抽象的な信仰というよりは具体的な人生の後悔を掻き立てるものばかりだった。
前作主人公が出てくる所でアツいやつじゃんと思ったらあっさりやられたし、神父も満を持して参加したかと思えばあっさり殺された。その辺でもやっぱりキリスト教の抽象的な話というよりは普遍的なヒューマニズムに寄せてる気がした。
無性にファイト・クラブを観たくなった。やっぱり面白かった。プライムでもサブリミナルチンポは無修正だった。
エクソシストもそうだけど、あれってサブリミナルというにはハッキリ写しすぎじゃねって思う。ちょっと再生ボタン連打すれば捕まえられるし。なんか写りこんだ?というのも認識出来ないレベルで挟み込んで無意識に刷り込むみたいな話じゃなかったっけ。ファイトクラブの方はまあ作中でも言及されてるし、演出に気付いてもらわないと困るのかもしれんけど。
電話がタイラー・ダーデンと繋がるツールになってたり、廃屋のキッチンで二人が同じ画面に収まらないシーン(タイラーが部屋から出た瞬間にエドワード・ノートンが入ってるとこ。逆かも)を見て、ジョジョのドッピオを鮮烈に思い出した。元ネタはこれなのかもしれないなって思った。メメントとかもまんま取り入れてたし。
前観た時は深く考えず、単にストレス由来かなんかの二重人格なんだなあくらいに思ってた。今回はドッピオとディアボロの関係を踏まえると非常に腹落ちした。エドワード・ノートンのこうありたい自分という願望がもう一人の人格として形を持ったんだなって。
気弱な優男風のエドワード・ノートンに対して、同じ身体を持つはずのブラッド・ピットが容姿といいファッションといい真逆なマチスモを体現してるのも腑に落ちる。ドッピオも体型が本当に変わってたし。
ブランド品での気晴らしに埋没する妥協と、夢をごまかす学生に銃を突きつけて本気で取り組めと脅すような破壊願望。理想的な自己実現(?)や欲求への誠実さと、社会性(敢えて良心とは言いたくない)の二項対立。「愛」は前者のようでも後者のようでもある。
前もネットの受け売りの視点で消費社会がよォ……みたいな見方はしていたけど、もっと肌感覚レベルで一人の人間の葛藤の物語なんだなって思えた。結局爆破はするけど……
20XX年。
無料の動画やゲームを楽しむと必ず、一定時間CMを視聴させられて、
多くの人が不満に思っていた中、登場したのが夢広告だ。
夢広告を採用した動画サービスやゲームは、楽しんでいる間にCMを挟みこまれることが無い。
代わりに、特定の夢を見るためのサブリミナルシグナルを刷り込まれる。
そして、寝つきの良かった日の朝に、夢の中で広告をみることになるのだ。
夢から覚めたM氏は呟いた。
夢広告は、対象商品やサービスについて詳しくなるとその夢を見なくて済むようになる。
夢広告の中で夢だと気づければ明晰夢として好き放題できるのだが、
注意 表現にはかなり気をつけていますが、念のため性虐待のフラッシュバック等がある人は読まない方がいいと思います。
いわゆる小児性愛者と言うやつで、ストライクゾーンは主に小4以下の男児。女児もナシではない。インスタに3歳の推しがいる。
近年地位向上の機運が高まりつつある「多数派性的少数者」とは違って、小児性愛者は対象との接触どころか記録物の単純所持すら加害になるので、日々の糧はもっぱら二次元頼みだ。
対象の合意を得ることは天地が逆転しても実現し得ないため、修正のギリギリを攻めたショタ同人誌やイラストを描いてくださる神々には足を向けて寝られない。
最近は児童を性的に描いた創作物の規制がさらに厳しくなり、有名なイラスト投稿サイトは使い物にならなくなってしまった(AIに紛れて本物の児ポが撒かれていた件の発覚より以前からの動きだ)。
下腹部を覆い隠す黒い長方形を見て何を感じろというのか。そのうち乳首まで隠されるんだろうか。そうなればもうお先真っ暗だ。逃げ場がない。
脱線するが、同じ同人誌でも児童を性の対象とした小説はサイト側から厳しい扱いを受けるらしい。絵なら「●学生」と所属をブラックボックスにぶちこめば躱しやすいが、小説は詳細の描写を省くとロリ・ショタものとして成立しないからだ。古い知識なので、今はもっと厳重かもしれない。
ここまで読んで、鳥肌を立てて増田の死を願う人もいるかもしれない。いや、いるだろう。それくらい世間の風当たりは厳しいし、緩和する見込みはこの先もないだろうなと感じている。
関係の成就は絶対不可能。しかも一部の犯罪者のせいで恐ろしくイメージが悪い。そのため存在自体が社会悪と言わんばかりの偏見を持たれており、カミングアウトしたところで、失うものこそあれ得るものなど何一つないため、集団で声を上げることも出来ない。我々には永遠に市民権獲得の機会は訪れない。
世間ではLGBTQ+(このQ+の馬鹿馬鹿しいことよ)の受け入れと並行して小児性愛者を排除するエクスキューズとして、同性愛は「指向」小児性愛は「嗜好」だからというフレーズが定番化している。
要は同性愛者の性的欲求は対象が多数派と違うだけで異常ではないが、小児性愛は児童を対象とする歪んだ「趣味」であり、常識から逸脱した異常なものであるという極めて恣意的な理屈だ。
数十年前は同性愛者も「そっち系の趣味」などと呼ばれ、立場によってはバレた瞬間社会的に死んでいた。好きでもない相手に「襲わないでよ」と一方的に拒絶される屈辱は、今まさに小児性愛者が受けているそれと同じだ。
実のところは、対象との合意が不可能であること以外、同性愛と小児性愛に大きな差などない。社会に認められるかは多数派の気まぐれによるのだ。
小児性愛は有害な趣味だというのなら、その趣味を止めるにはどうすればいいのだろう。かつての同性愛者のように、矯正キャンプに参加すれば治るだろうか。一体どのような形に治るのが「正しい」のだろうか。
小児性愛は性加害をする?大嘘だ。性的「指向」に関わらずする奴はするし、性的「嗜好」に関わらずしない奴はしない。妻子がいる異性愛者でも児童に性加害することがあるらしい。
そして、加害者がどんな属性であれ、被害者が児童なら非難の矛先は必ず小児性愛者全体に向く。
ある陰謀論では、裏社会にはヤバい小児性愛者の秘密結社があることになっているらしい。もし事実なら、結社はトランプと戦うのを後回しにして、小児性愛者も平凡な人間だということをサブリミナルか何かで世間に刷りこんでいただきたいところだ。
願わくば、二次元だけでももう少し自由を許してほしい。締め付けられるばかりで気持ちを逸らすすべがなくなる辛さを知ってもらいたい。実在児童を守るための法律を定めるのは構わない。子供が護られるべき存在なのは異論ない。
ただ、認めなくていい、肯定しなくても気持ち悪がってもいいから、我々に逃げ道と息抜きを与えてほしい。
「結局表現の規制緩和しろって言いたいだけかよ死ねペド野郎!」と思われるかもしれないが、他に訴えられることがないだけである。実在する子供への虐待を認めろなんて思ってもいない。自分自身が元被害者だから、子供への性加害がいかに残酷かはよく理解している。
安全に生きるためには、ただ自分を抑えて性的なことに興味が薄い人のふりをして生きるしかない。
案の定の手合いがいらっしゃってるんですけど、隙あらば児童と性的に接触したいぜ!とか一言も書いてないんだけどな。むしろ加害性を自覚して弁えていますという話なんだけど、内心の自由すら許さない勢いなのかな。
追記2
別に児童が好きなのはパワーバランスが不均衡で制圧しやすいからじゃないです。好きだからです。可愛いからです。同性愛者が同性を好きなのは「異性に苦手意識があるから」「異性の良さを知らないから」ですか?違いますよね。それと同じです。
追記3
好きだった作品群がサイト側の要請で残念なことになったのが辛すぎて、つい書いてしまった。
追記4
実のところは、対象との合意が不可能であること以外、同性愛と小児性愛に大きな差などない。社会に認められるかは多数派の気まぐれによるのだ。
ここに引っかかってる方が数人いるようなので。表現がまずかったです。
『無実の小児性愛者がただ存在しているだけで差別を受けるのは、誤解と偏見に基づく心証の悪さによる。』に訂正します。受け入れられるも疎外されるも、マジョリティがキモいと思うか否かが肝なんだよなぁ、と言いたかっただけでした。
ブコメの黒線の話ですが、媒体やサイトによります。ギリギリのを提供してくれる場所もまだ生きてますけど、ダメなところはダメになりましたね。前述したように最近好きな作品が非公開を食らってしまって、かなりショックを受けました。もし今後もっと厳しくなったらどうしようかと危機感を抱いてます。
追記5
※思うところあってディティールを大幅に削りました。
・被害児童の気持ちがわかるか→読みにくい文章で申し訳ないけど、もう書いてます。私は元々被害児童です。
・AIを使え、自分で書け(描け)→もうやってます。自作の非公開小説は原稿用紙に換算すると約3000枚分ありますが、自分で書くのと他人の描いたものは違うんですよ。全然違う。
バービーとオッペンハイマーが、とんでもなく意味深なこと気づいて欲しい
説明にあたって、スティムソンは日記にあるようにメモランダムを書いた。正確にはこのメモランダムは、スティムソンの陸軍省における顧問で、ニューヨーク生命保険会社の社長、東部金融家のジョージ・ハリソンが下書きを作って、補佐官のハーベイ・バンディと一緒に原稿に仕上げ、マンハッタン計画の陸軍側総責任者レスリー・グローブズとその上司である陸軍参謀総長のジョージ・マーシャルの了解を取り付けてから、このメモランダムを持参してトルーマンとの会談に臨んだものだ。
盧溝橋事件に日本の生命保険が関わっていた、米国の生命保険はそれを凌駕した
被爆者の強い声には保険の片鱗も現れず、声は次第に薄れてゆき、システムは平然と営業
これでシコれなくても俺は知らん
オタク用語の特殊な語法のフィクションなんか現実に通用しないから
あと何が論点なのかも分かってないみたいだね
痛いものを気持ちよいものとされてる世界観を描く誤学習やミスリーディングやサブリミナルな有害性がある
痛い性交や尊厳のない性交は性加害なんだけどそれを性加害と認識させないようグルーミングしてる
その行為は人権侵害で金のために女性(と男性)を犠牲にしてる自覚はあるんだろ、って話をしてんだよね
オタクの常識やオタク用語がそれこそファンタジーすぎて現実に通用しないよそれ。その辺の有名な素人オタクの勝手に作った持論でしょ、
殺人ビデオでも猫虐待ポルノでも気持ちよくなるやつはいるでしょ
普段はテレビショッピングなんてと見てなかったが、その日はルンバの紹介だったので以前から気にはなっていたものだから値段だけでも見るかと話を聞いていた。
諸品の説明を見ていていろいろあるが、特に気になった点を二つだけ挙げる。ジャパネットの発言の書き起こしは記憶頼りなので正確ではない。
このグレードは現行機では2018年10月発売と最古のもので、かつ直近までもっとも安いエントリーモデル。
当たり前だ
販売台数をくらべたら大抵は一番古く一番安い製品が勝つだろう。
それをグレードの話をし、その中で一番であることを強調し、タメ、ほんのずれた話をする。
グレード、一番と来たら一番自然な連想はグレードが一番「高い」ことだ。「売れている」でも間違いではないが、「わざわざグレードを引き合いにだす必要は"薄い"」。(販売"台数"を強調するなら)
大げさにたとえると、
ミシュラン0星から3星の料理のなかで、なんと!いっちばん!!………ハンバーガーとコーラが売れているんです!
確かに売れていることが美味いという指標の人は(創作に)居る。
https://moto-neta.com/wp/wp-content/uploads/82c22ddf07055371617547bf19e6e6c6-718x537.jpg.webp
(元ネタ由来サイトより https://moto-neta.com/manga/hamburger-cola-no1/)
恐らくマクドナルドなどはミシュランで星を獲得していないだろう。それは0星の中に入るので枕は誤ってはいない。誤ってはいないが、誠実な文章でもあまりないではないか?
ミシュランの話が出たら料理の美味さの話になるだろうし、グレードの話が出たら高低や機能の話を連想するだろう。台数を誇るなら「ルンバシリーズの中で一番売れている」とグレードをつける必要はない。
グレードの中で一番!とタメを作り区切る話し方もいやらしく、文章では一番は売れているにかかっているのだが耳ではグレードにかかりグレードが一番な印象を与えている。
「数あるグレードの中でなんといっちばん。売れているんです」
「数あるグレードの中でなんと。いっちばん売れているんです」
文章にしてみても意味が違ってしまう。集中して聞かなければならないリスニング問題だ。
この話口からするとうっかりグレードが高い商品と誤認してしまうと感じた。
ルンバには様々なグレードがあり、確かに10万を超えるものもある。だが紹介する商品は元々が4万だ。
では、値段の枕に10万円をつけるのはいけないことなのか?いやそうではない。別に嘘は言っていない。
値段は確かに10万を切る。ルンバ"の中には"10万を超える商品もある。
しかし、わざわざ商品と関係ない最上位のルンバの値段を(最上位のルンバの話もなく)頭に添える必要はあるか?
これもうっかりすると10万円から大幅値下げしていると誤認する可能性があると感じた。
ジャパネットの話し方はジャパネットにとって"都合のいい誤解"の余地が残るように、意図的に、騙さないラインを上手に避けながら文章を作っている。あくまで視聴者が勘違いしたテイだ。
これは穏当に言ってかなりお行儀が悪く感じる。
そもそもテレビショッピングは口頭説明が多いし、ジャパネットは話のスピードも早い。本腰を入れる判定となる値段がわかるまでは適当に聞き流すこともある。実は俺はこの商品の放送を2回見た。1回目で3万弱というまあまあ良心的なお値段を見た上で2回目に出会いやや意識して聞いてみた結果がこの違和感だった。1度目はテレビに注意してなかったとはいえ気づかなかった。(冒頭の文章はちょっと盛った)
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/tokoroten/status/1607599674986475521
ジャパネットは非常に戦略的に、"賢く"商品を売っていることははてなーの中でも同意がとれるだろう。そして高齢者をターゲットにしていることも。
高齢者にならば本来なら丁寧に理解されやすく説明しなければならない。いや、ジャパネットは丁寧に話している。とても丁寧にわかりやすく話している。しかし、そこにこっそりとサブリミナルのように毒を埋没させている。非常に練られたプレゼンを生放送でする賢いジャパネットならば、これはもうわざとと言ってもいいだろう。
テレビショッピングなんてものは(まあ、いい意味で)いかに視聴者を騙すかの商売だろう。薬事法にひっかからないようにし、効果を保障しない個人の感想を伝え、調べればさほど安くもない値段を値切って搾り出す。老人や眠くて思考能力が落ちた深夜の人を狙い打つアコギな商売だ。と思っている。
それでもジャパネットのプレゼンには一目置いていた。他とは一線を画すスタイルと質でたかた氏が降板した後も比較的魅力的な話術を魅せてくれていた。流し見でそう感じていた。商品は多少アレでも戦略とストーリーでそれでも納得・満足できるものを売り抜ける巧みな商売人だと。しかししっかりと聴くとやはり人を騙す気持ちがそこにはあった。ああ、やっぱりか。お前もか。そうだよな。テレビショッピングだもんな。
e5が古い型落ち品であることに触れないのはもういい。でもあの喋り方は駄目だ。誤解の誘導が主目的としか思えない。
節水シャワーヘッドのお金が浮く量の計算やパソコンの性能の紹介方法など今までもひっかかるものはいろいろあったが、これに比べれば許容範囲になってしまった。
俺の中ではジャパネットたかたは人を騙す邪悪な存在に落ちてしまった。