社会学ってそもそも、自由な議論を阻害するなと言いながら学問的な裏付けもない理論をぶん回して社会運動に流用しまくったんだよね。
つまり社会運動に看板だけ貸して、その学問を棍棒にしてやりたい放題やってきたのね。
黒人が白人をリンチしてるのを、「トーンポリシングだ」「そこまでに至る抑圧がー」とか、どこからどう観ても「そんなの正しいわけねえだろ」って誰もが分かる問題を、無理やり擁護してる。
学者の看板で勝手に正統性を暴力政治運動に与える名義貸しをずっとやり続けてきた。
きちんと研究してるかといえば、やってることはせいぜい、オタク表現に思いつきで放火するソーシャル放火魔でしょ?
社会運動にアカデミズムの看板を名義貸しをしておいて、そんで、逆に炎上したら「自由な議論を阻害された」と、放火しておいて被害者ぶる。
でもさあ、そのやり口が「社会学者という学者の看板で語る」のなら、最低限、その学者としての生命をかけて貰う必要がある。
学者として語ったのなら、それが学者としての倫理にそぐわない思いつきをホイホイ勝手に捏造してばらまいただけなら、当然学問として最低の評価を受けるのだ。
スタップ細胞のように、「お前は捏造理論を唱えた。学者として発信したのに、全く研究した痕跡も無ければ、そもそも根拠がない」と言われねばならない。
しかし、社会学者にはそもそも検証される土壌がない。言えば言いっぱなしで逃げ放題だ。
しかも根拠を問われたら「あくまで個人の感想です」と、さんざん学者でござい、って顔して放火してたのに、個人の顔になりやがる。社会運動の煽動に利用しておいて、その逃げ口上は一体何だ?
「自分たちが社会的圧力をかけるように煽動していた」のに「自由な議論をしていただけだ」とは、ヤクザの居直りである「俺は穏便に話していたのに、相手が勝手にころんだだけ」みたいな態度である。
そりゃ、「ヤクザ」と同じ扱いを受けても仕方がないだろう。
社会学者が襲われるようになったのは、学問の看板で放火しまくったからであり、まっとうな社会学者が「もし」いるとしたら迷惑なことだとは思うが、今のところそういう学者は放火そのものをしないので、誤爆を観たことがないのである。
同じことを何度書いているんだろうね。
社会学者が学習するまでさ。