はてなキーワード: 鳳凰とは
鳳凰院凶真みたいなこといいだした
鳳凰「いいえ、なりません。あなたは一度転職し、サイバーエージェントへ入社するのです」
いつ頃からだったであろうか、自分も韓国がらみのものに嫌悪感を持つ様になったのは。
もともと政治活動をする団体が嫌いで、街宣車で軍歌を流す右翼も嫌いで、路上で拡声器で政権批判をする共産党も嫌いで、大人数で旗を持って練り歩く日教組も嫌いで、三角大福中から続く自民党の派閥政治も嫌いで、政治に無関心な「ノンポリ」だと思っていたのだが。
最近はネトウヨの記事に納得してしまう程に、韓国がらみの話に嫌悪感を覚える。
「ウソをウソと見抜ける人でないと…」とは解っているつもりであるが、(私の情報リテラシーの問題かも知れないが)韓国人のごく一部だけが反日をやってるのか、世論として見過せないパーセンテージの人が反日行為に賛同してるのか、韓国政府が主導してやってるのか、よくわからない。
そんな中、Steamでゲームを漁っていたら、King of Fightersがいつの間にか移植されていたのを見つけ、懐かしく昔を思い出した。
格闘ゲームが好きであったがそれ程上手くはなく、ストⅡのフレームを争うストイックな駆け引きについていけなくなり、餓狼伝説Spcialに手を出した。2D格闘としては大味ながら、相手の隙をついて超必殺技を叩き込む駆け引きや、奥行きを利用して逃げたりと、ストⅡとは別の楽しさがあった。当て身投げには痺れた。キャラも、柔道やムエタイ、太極拳、さらには闘牛士や忍者など異種格闘技戦の様相で、コミカルで魅力的であった。某忍者は勝つと胸が揺れるしな。
キム・カッファン。テコンドー師範の熱い男。乱舞技がかっこよく、きれいに決まれば爽快であった。普通に強キャラで人気があり、こればかり使っていると非難された。鳳凰脚の出だしモーションは、「テコンドーにはああやって間合いを詰める技があるんだよ」「人間にあんな動きができるか」などと仲間内でもネタになっていた。
当時の自分は韓国に全く悪いイメージはなかった。ジャンプ漫画的あるあるネタを散りばめた韓国映画「火山高」が大好きだった(今調べたら2001年公開だから、餓狼伝説Specialやってた頃よりだいぶ後だ)。萌え絵を描いている韓国の絵師がいて、日本を好きでいてくれると思ってたし、言葉は解らないながら巡回リストに入れていた。ラグナロクオンラインもやっていた。
先日テレビの東京オリンピックに向けての特集で、女子中学生か高校生のテコンドー選手を取り上げていた。「何で日本人なのにそんな競技を選んじゃったかね」とつい思ってしまったが、当時の自分が見たら普通に「かわいいな!頑張れ!」と思ったんじゃないかと想像する。当時テコンドーと言えばキム・カッファンだったが、今のイメージは「テコンダー朴」になってしまった。
韓国のものにネガティブなイメージを持つ様になってしまったのはいつ頃からなのか。
日本嫌いの韓国人が結構な数いるのだとしたら、それはいつ頃からなのか。自分が韓国に好感を持っていた頃から、実は韓国側にはそんな感情があったのか。
近年でも、日本でそこそこ売れている韓国出身のアイドルグループがある。日本に長く滞在し、日本語ぺらぺらだから、彼ら・彼女らは日本が好きなのだろうと思ってたが、実際のところどうなのだろう。商業的に「君たちの使命は日本で売れることだ!頑張ってこい!」というのは当然あるにしても、日本が嫌いなのに日本語を憶えて、日本で暮らして、ではまるで大戦中のスパイではないか。そんなメンタリティでアイドル活動などできるのか。
どの程度と書いている時点で視点がずれてる。
最も能力を活かせる状況を保持して、それ以外の要因をいかに抑えること。
例えば、医者なんかべらぼうな勉強が必要なわけだ。経験も非常に積み重ねる必要がある。更にはそれを学び習得できる素質が必要だ。
いや、他の高技能職種でも全てそうだ。高技能職が出来る時点である程度選ばれた人間で希少価値があるんだよ。
ついでに言うと、本来はマネジメントもマネジメントの高技能職である必要がある。
そもそも、「高技能を活かした仕事が楽しい」という状態に至れてるからこそどんどん高技能を磨ける。
だが、女性には妊娠出産での一時のキャリア断絶というのがある。さらに、医者はそもそもが超過重労働という土壌もあった。
それは一時の問題で、高技能を活かせるには些細な問題だ。少なくとも日本以外では。
だから、「些細な問題」の方を排除して、高技能を持つ人間をフルに活かそうとする。
だが、ニコニコ動画がプログラマに焼きそば焼かせて炎上したみたいに、高技能者は何でもできるから雑用でも平気で押し付けて、
高技能者は能力もあるし給料ももらってるんだから雑用も過重労働もやって当然だろ?みたいなのが日本の土壌にある
高技能者は「高技能が活かせるのが楽しい」から高技能なのに、その高技能を生かせない。
そもそも、高技能の意味がわからないから、女性だからとかみたいなどうでもいいところで価値がないとか言い出す。
鳳凰は聖徳をそなえた天子の兆しとして現れるというが、俺は、単に、高技能者を使いこなせない社会や人間は鳳凰と鶏の区別がつかないし、
愚痴というか呪というか晴れることのない胸の内を整理させてほしい。
それまでも観劇していたが、演目を楽しんでいるだけで他の舞台や映画の趣味と変わらずに見れる時に見る。その程度だった。それが1年ちょっと前にAllforOneという公演がはじまりよくわからないまま惹きつけられ複数回見るファンになった。組ファンになりスカステに加入しぐんぐん知識を蓄えて地方ツアーも複数回見た。本拠地の小箱公演はチケットが取れないので行けなかったけれど、ポスターは素敵だなと思った。
2月からの本公演は芝居はともかくショーが熱かった。まだ終わって数か月なのに、万が一タイムマシンが発明される瞬間まで長生きしていたら預金も年金もねじこんであの時間に帰りたいと思うくらいに重症ではある。
AllforOneも鳳凰伝もBADDYも、真ん中のふたりが大好きだった。
群衆芝居でも真ん中にすっと立ち、努力の跡が芸事の極みとして上塗りされて洗練されたたまきさんと
孤高の存在のようでいて、血が通って暖かく、時に激しく、あふれる涙をたまきさんにぬぐわれて笑うちゃぴさんが
書いてて泣くくらい今も大好きだ。
有難いことに1月からその事情は発表され、演目も発表になり、製作会見もあり、こちらが冷静になる時間は存分にあった。ただ冷静になるのと実際その時が近づくのは人間が出来てないせいもあって乖離しがちではあるが。
今は組子にもたくさん好きな子がいるので、組ファンとしてトップコンビを愛せることのありがたさを漢字で書いて丸めて飲み込みたいくらいではある。有難い。そう、有難い。
難しいことなのだ。トップコンビが大好きというのは。宝塚という組織の人事と自分の好みが合致するというのは並大抵のことではないのだ。
特に、路線と言われる分野にあまりひかれない自分のようなファンにとっては。
じわじわと、そうじゃないのかなと噂されていたとおり、組内からの抜擢となった。
自分が関与できることではないので、比較的冷静に受け止めつつも軽く貧血になったりもして、この件に関する大喜利を見て笑って心を落ち着かせたりしつつ、あぁでもしんどいな。というのが今も晴れない心の底の本音である。
ごめん。
なんか、ごめん。
応援するとか組ファンとか自称しといて一度の人事で打ちのめされるとか100年以上続く宝塚舐めてんのか、ってなる。うん。
なので、ごめん。
AllforOneでは、複数回見るうちに姪っ子ーズの中で面白い顔芸の子がいるなぁっていう程度でまぁ面白がって見ることもあった。
小箱公演は見てないのでわからないけど、特に気にすることもなかった。
因みにそれ以前の公演については全然把握していなかった。
もちろん新人公演というのがあることも1年前に知ったくらいなので見ていない。
2月からの本公演の芝居で、彼女の役はアイドル的アスリートだった。演出の指示なんだろうが相当アホっぽくて見ているのがつらかった。なのに子供ができて引退を決意するところではじっとり重い雰囲気芝居で、あれ?二重人格???え?なんか怖い。とうっすら思った。別に見なくても芝居は進むので見ないことにした。相手役のまないくんが見れないのは非常に残念だったしなるべくかぶらないところで見るように心がけたけれどほぼ見ていなかった。他に見るべきところもあったので仕方ないと思っていた。
ショーでは、悪役チームの二大美女であった。こちらもほかに見るところがあったのであまり見なかった。ショーは本当に観客それぞれで見ている視点が違いすぎるそれもまた面白いみたいな感じだったので、気にしないようにした。だが実はちょっと気にしていた。
なんかしんどい。
けど、好きな人もいるしわざわざ言い立てることでもない。心に仕舞った。
梅雨時に、季節柄というか雨をモチーフにしたミュージカル公演があった。
退団を発表しているちゃぴさん(現娘トップ)は本拠地小箱で主演をされるので、たまきさんを単独で見るのははじめてになる。
(スカステや映像ではちゃぴさん以外の娘役と組んでるものもたくさん見た)
相手役が、ちょっとしんどいなと思っていた彼女だったので内心ドキドキしていた。
予想は悪い意味で的中した。
真ん中が見れなかった。
彼女に思いを寄せるたまきさんが信じられなかった。笑。
複数回見ても、何も変わらず、たまきさんを見れないのがしんどいな。。。ということに気づきつつも、相手役を脚立に見立ててみたりするのもしんどかった。脚立って。無機物。
ひたすら彼女じゃありませんようにと願った。できることならあの子がいいという対抗馬も特に掲げず、彼女じゃなければ誰でもいいと思った。
脚立再び。
別組の子でもいいし、路線じゃない子だっていい、なんだっていいから彼女じゃありませんようにという非常に失礼で勝手なことを思う自分が嫌で疲れた。
しんどいと思いながら見ていると、自分自身がしんどくなってくる。
だったら見なきゃいいじゃん。正論です。
真ん中で輝く(んだろう)彼女を見て「うちのナンバーワンですよ!かわいいでしょ!」って言える日が来るのだろうか。
今んとこ難しい。
でもいつかなってるかもしれない。
その日にこのエントリーを思い出して笑えるといい。
前向きになるには一度吐き出さないとならない、面倒なファンで申し訳ない。1年目だから一喜一憂の高低差についていけてないのか、いやたぶん宝塚のファンに向いてないんだよねってことはうっすら自分でも気づいている。
舞台に出ているそれが全て。
その舞台を見てムリだったらたぶん全部ムリ。
(戻っちゃった)
ショック療法でたくさん見たら慣れるかと思って
おめでとう!なツイをいろいろ見てみたけど、ニュースに使われてるおとめの写真の耳たぶが気になり過ぎてもうダメだと気付いた。
やっと気づいた。
目指すは解脱。これっきゃナイ☆
西暦2015に最高裁が「選択的夫婦別姓は却下」と判断を示しました。
これを受けて原告団長の塚本協子さんは「判決を聞いて涙が止まらなかった」
「『塚本協子』として生きること、死ぬことができなくなりました。」と述べました。
しかし待ってください。それって法律で解決しなくちゃいけないことでしょうか?
真犯人の名前を教えましょう。旧姓で呼んでくれない職場、旧姓で呼んでくれない銀行、旧姓で呼んでくれない葬式。
やつらです。
数年をかけて裁判を何度も起こすより! 三井住友銀行に毎日クレームを送りましょう。
この投稿を見たら「ペンネームでも簡単に口座が! マイナンバーを持ってお近くの銀行へ!」のキャンペーンをしてください。
「パスポートに名前を記入させないで」とお便りを送りましょう。
年賀状なんてやめて、外務省とか東京都生活文化局とかに絵葉書を送りましょう。
「佐藤から始まる同姓同名なんてたくさんいるんだから『本日は晴天なり』と自筆記入させてくれませんか?」と添えて。
「子供の姓はどうするんだ」
今回の訴訟では、子供の姓のルール改正は求めていませんので、「結婚時に決めた戸籍筆頭者の姓に統一する」だけです。もし、別のニーズ(子供は新しい姓にするとか)が発生したら、また時代に合わせて改正を検討すればいいと思います。海外のように、両親の名字をくっつけて子供の姓にする時代が来るかもしれませんね。「ますだおかだ」とか。
みなさんには役人の友達がいませんか? みなさんの友達は泣いていませんか?
「鈴木と佐藤が結婚するだけで『鈴木』『佐藤』『鈴木佐藤』『佐藤鈴木』『鈴佐』『鈴藤』『佐木』『木藤』とにかくたくさんだ!」
ただでさえ無駄の多い役所仕事に無理難題を要求するのは、みなさんの反対するところではありませんか?
選択的夫婦別姓は結局、戸籍にしがみついているだけですから最高裁が別姓を認めてくれたところで無意味です。
子供の名字は、親の名字は、先祖の名字は、友達の名字は……。戸籍に全てを任せようとしてしまいます。
選択的夫婦別姓の先にあるのは、子供が「父親の名字になりたい。母は要らなかった。戸籍を変えたい」と訴訟を起こす未来です。
効率的・実務的に言って役所をただ混乱させるだけの選択的夫婦別姓制度には断固反対していくべきで、
「そういえば所ジョージさんって芳賀隆之って戸籍上なってるらしいですが、所ジョージの方が本名って感じがしません?」と不動産会社の人に言いましょう。
選択的夫婦別姓なんて結局、子供の名字をどうするのか決めなくちゃいけないんですから。
既に主旨は述べましたが、ではどうして戸籍を擁護するのか整理させてください。
みなさんもご存じの通り、夫婦別姓というのは極めて男女差別的な側面があります。
中韓が現在も夫婦別姓であるように、極東では女性は家族の中でただ一人、男の姓を名乗ることを許されないものでした。
そこで明治維新の頃、列強のルール「妻は夫の名字を名乗る」という先進的な男女差別へと乗り換えたのが日本です。
名字の話をするだけで昔の各国のパワーバランスの話になりました。
名は……ちょっと土地を変えれば全く違う理論で働いている、とても価値のあるものです。年輪です。地層です。百科事典です。
ロシアには「父親の名前が、子供に自動的に足される風習」があります。「父称」で検索。
プーチン大統領は「ウラジーミル・ウラジーミロヴィチ・プーチン」という名ですが、ミドルネームにあたる「ウラジーミロヴィチ」は父親から来ています。
砕いて言うと「ウラジーミル、ウラジーミルの子の、プーチン」です。ウラジーミル・プーチンの父もウラジーミルだとミドルネームに書いてあるのです。
父親と子供の名前が同じというのは日本からすると変かもしれません。
しかし「名前に無頓着な名前」は世界的には多々あることで、マクドナルドは「ドナルドの息子」という意味だとされています。
マクミランは「ミランの息子」、マッカーサーは「アーサーの息子」とされています。
名は文化・歴史的に価値のあるもので、善とか悪とかそういう尺度で語るべきものではありません。
日本では源義経は牛若丸だし、豊臣秀吉は羽柴藤吉郎だし、鳳凰院凶真は岡部倫太郎だし……。
名は大切なものではありましたが、そのせいか代わりの名前がぽんぽんと出てくるものでありました。
選択的夫婦別姓の先にあるのは「寿限無」や「ピカソ」のように長い長い名前です。
「親のせいで俺の名前120字以上になった! ツイートできない!」となります。
そういう一般的な人間のユーモアと役所仕事というのは相性が悪いものです。
名乗りたい名前があるなら自由に名乗ってくれて構いません。それが国民の総意になる未来もあるでしょう。
しかしそれはともかくとして国がきちんと古くさく管理するのを許してあげてくれないでしょうか?
そうしてきちんとされたものが百年先、千年先にどう解釈されるのか私たちには全く想像できないのですから。
世間では漫画家だ声優だ絵師だなんだと言うものになろうとすると、一撃必殺しようとする怖い大人がいるらしい。
例のまとめを見て悲しい気持ちになった人もいるだろうから、ちょっと私の話をしてみたいと思う。
私も一応、インターネット上で小さく小さくものを作っている人間だ。文章を書いたり、どうでもいいものを作って公開したりしている。
文章の方は時々反響があったりして嬉しい気持ちになるが、まぁはっきり言って九割五分ぐらいはインターネットのゴミとして漂流する。だいたいそんなもんだ。
しかし、自分を悲観視しているかというと、はっきり言って一切悲観視していない。
ポジティブと言えばそうだが、そう言う以前にスタンスとして、タイトルのようなことを常に考えているからである。
その理由はひたすら単純だ。
創作者は自分の制作した創作物を使って、世間の人間を監禁することができるからだ。
人は創作物に触れている間何もすることができない。その人の自由を奪うことができる。
言われてみれば簡単な話だし、くだらないと思うかもしれない。
だが、創作物で時間を奪うということは、実は誰にでも簡単に行うことができる。あなたが作ったものを公開すればすぐにでもできる。
その時、別にできの良し悪しは関連しない。あなたの創作物が一瞬でも目についた時点であなたは間違いなく他人を拘束している。
検索画面のどこかに表示されただけでも、あなたはその人間の時間を奪っている。
その時点であなたは立派な創作者であり、もっと言えば犯罪者である。
もちろん、それが閲覧されれば最高だし、ついでにそれに評価が貰えればもっと良い。
その人は間違いなく見たり評価したりするために時間を使っているからだ。あなたはその人のことを更に長い時間拘束することに成功した。
評価が悪評だっても一切問題ない。あなたは悪評を書く時間をその人間から奪っているのだ。その時点であなたの創作物は立派に犯罪をしている。
あなたが作ったものに触れた人間を、鎖のない手錠をかけて、重りがない足かせをつけて、檻のない牢屋にぶち込んでやれ。
もう一度いう。創作者は犯罪者である。どんな些細な創作物でも犯罪は犯罪なんだ。
だから、どんなに小さく雑で碌でもないものを作ったとしても、それを公開した時点で犯罪だし、その時点であなたはつくり手側だ。創作者だ。
だからキーを叩け。ペンを持て。描画ソフトを立ち上げ、エディタを開き、工具を取り出し、そして罪を犯せ。世間から時間を奪い続けろ。
こんなスタンスでいろいろつくりはじめて、なんやかんやでもう3年である。
冷静に読み直してみたが、なぜか途中から鳳凰院凶真っぽくなってるし、昔こんなことを書いた自分も結構痛いなぁこれ…ほんとひどくない???
だが、こんなくだらない考え方でも、世間に何かを公開するハードルはかなり下がったので、インターネットに放流しておくことにする。
せっかくなので、個人的には犯罪者が跋扈していると思っている増田に投稿することにした。
Gガンダムの石破天驚拳が『石破・天驚拳』じゃなくて『石破天・驚拳』であることは意外と知られていない(元ネタの武侠小説の主人公の通り名が「石破天」さんで、石破天さんもビックリのすごい拳って意味だよ)— あろまーら (@aromara1) 2017年6月27日
普通にこっちじゃねえの。
https://dictionary.goo.ne.jp/leaf/idiom/%E7%9F%B3%E7%A0%B4%E5%A4%A9%E9%A9%9A/m0u/
せきは-てんきょう【石破天驚】の意味
音楽・詩文・出来事などが、人を驚かすほど奇抜で巧みなことの形容。石が破れ、天が驚くほど巧妙であるという意から。
石破天驚の出典 李賀「李憑箜篌を引く」
吳絲蜀桐張高秋 空山凝雲頹不流
女媧煉石補天處 石破天驚逗秋雨
夢入神山教神嫗 老魚跳波瘦蛟舞
吳質不眠倚桂樹 露腳斜飛溼寒兔
金庸がこっから人や技を名付けたのを、さらに今川が取り入れた、って流れなんだろうけど。
言葉としては大元の「石破天驚」から取られているはずなので、区切りは「石破・天驚・拳」でいいと思われる。
追記
LD掲載のロングインタビューをテキスト打ちしたサイトが有るのですがその中を見ると両方共関係ないですね。最初は「天破侠乱」だったようです。ご参考までにhttps://t.co/oqhAu60g6O— 5 (@NI_5) 2017年6月27日
最初にあるひとつの四文字熟語からインスパイアされて「天破侠乱」っていう言葉を考えたんですよ。香港でのレコーディングのときに、これを唄の中にセリフで入れることになって、日本語にその場で訳して、かい摘んだ説明をして、一度英語に直してもらって、それから広東語に直してもらったのが「石破天驚」なんですよ。和解釈、英語になって、広東訳っていう手順なんですよ。なんと面白かったのが、香港から帰ってきて最初の四文字熟語をもう一度調べて見たんですよ。そうしたら「石破天驚」って書いてあったんですよ。これは自分自身、本当に忘れていたことなんで驚きました。
書き起こしなので分かりづらいけれど、これは今川監督が、(李賀の詩に由来する)「石破天驚」という四字熟語にインスパイアされて、「天破侠乱」という新しい言葉を考えたということか(中国語に「天破侠乱」という言葉はない)。
その「天破侠乱」の意味するところを翻訳者に伝えて広東語にしてもらったら「石破天驚」と訳されて、逆引き的に意味が通じていることが証明されたというエピソードのようだ。
もともと今川監督が「石破天驚」という四字熟語を知ったのは、金庸作品あるいはその映画からの可能性が高いが、いずれにせよ「石破天驚拳」は「石破天驚」という既存の四字熟語が元ネタだと断定していいだろう。
デマが定着しないことを祈る。
対人オンラインゲーム麻雀サイト「天鳳」にて、ゲーム中の通話は不正行為であるか賛否両論分かれている。
つまりタイミングを合わせて予約ボタンを押せば知人同士で対局できる可能性がある。
◆経緯
Twitterにて「あと1人」「予約押せ」等のツイートでフォローワーに呼びかけ等などがあった、さらにスカイプ等で通話しながらプレイするプレイヤーもいた。
同卓通話NG派 、非公開情報を共有したり知人同士有利になるプレイといった不正の可能性がある
同卓OK派 深夜など過疎って自然に4人集まりにくいこともある、知人と勝負した方が燃える
◆公式
twitter, SNS, ブログなどを利用する際の注意点(2012年06月20日)
http://blog.tenhou.net/article/56597789.html
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鳳凰卓で意図的に友人とマッチングする行為はご遠慮ください。 ⇒ ランダム対戦でないものは好ましくない(2015年09月23日)