はてなキーワード: 非オタとは
フェミニストたちは"オタク"を攻撃してるんじゃなくて、公共の場でポスターとして、もしくは広告として使われていることに怒ってるんだよ。オタクのことは誰も攻撃してないので萌え絵もそのまま好きでいたらいい。
オタクとして萌え絵を見ている間に感覚が狂ったのか知らないけど、公共の場にやたら胸が強調されている宇崎ちゃんポスターが使われているのも、股のシワが描いてある(現実にはありえない)スカートを履いてるポスターが使われているのも普通に気持ち悪いよ。
アツギのタイツに至っては顧客が女性なのに、なんで女性を客体化した広告使ってるんだって話だし。タイツ履いてる女性をエロいなーっつって鑑賞する広告じゃん、顧客を性的搾取する広告なんだから批判されるの当たり前だよね。
エロを強調した絵が嫌なんじゃないの。宇崎ちゃんもラブライブもアツギの一つ一つの絵も別に全然嫌いじゃない。
ただ、それを公共の場で広告として使ってるのが嫌だって言ってんの。宇崎ちゃんもラブライブもアツギもpixivに上がってりゃなーんの問題もないよ。ツイッターで個人があげててもなんも問題ない。
この絵を広告として使うのはどうかと思うってだけの簡単な話なのに、オタクが攻撃された!表現規制だ!って思うの自他境界線ゆるゆるすぎるから考え直したほうがいい。別にその絵を好きなオタクのことは誰も攻撃してないので。
公共の場、オタクも非オタも老若男女が見る前で、胸が強調されてたり股のシワがあったり、そういうエロの記号的表現がある絵をどうしても掲げたいって思うわけ?自分のことヤンキーかも〜とか言う前に広告として絶対に胸が強調されてる絵を使いたいって感覚がおかしいって気づいたら?
あとオタクとフェミニストは普通に両立する。何で両立しないと思ってるんだか。
それと、政治と結びつけて考察するのが敬遠されるっていうのも笑うわ。エヴァの考察なんて90年代の世情と結びつけて考察されたブログも記事も死ぬほどあったでしょ。いったい何見てきたの?
最近ようやくコミックス読み終わって無限列車も見て「鬼滅おもしれぇぇ!」ってなってる非オタクで二期のお知らせにもめっちゃテンション上がったんだけど鬼滅鬼滅言ってた周囲の奴らがもう何もその話してないのに一抹のさみしさを感じる。呪術かいせん(一発変換できない)を2人から勧められ、魔女の旅旅を1人から勧められたところだ。
私は関東住みだし正しい関西弁が何たるかは全く分かっていないが、取ってつけたような「やで」「~やから」的な言葉に薄らとした嫌悪感を覚えている。
賢すぎる子供が辞書にしか乗っていないような熟語を使ったり、オタクが非オタクとの会話で専門的な用語をペラペラと喋っている時のような、責めるほどでもないけど「ええ〜」と思ってしまうアレである。
関西弁なのかも分からないけど、リアルでは標準語なのにネットでは周囲に合わせて語尾を無理に変えている(本当に方言を使っている訳では無いから歪な言語になっている)のが気になって仕方がない。ていうか2chやはてブでよく見るあの口調が関西弁なのかすらよく分かっていない、が、なんだろうこのモヤモヤ感は!!!!!
相変わらずブコメには最初の5行しか読んでないコメントが並んでるけど、増田の主張は普通にここだよね
二次元オタク趣味って本当は反グレ風俗スカウトになって女性を搾取して生活したかったのに逮捕されるリスクやヤクザに殴られるリスクが嫌で仕方なくカタギやってる人が内なる願望を叶えるための代替行動だったの?
口より先に手が出る手合を蛇蝎のごとく嫌い、ヤクザや半グレの話題となれば「一生刑務所から出さないで欲しいと言ってはばからないオタクが、ことエロ方面に限ればヤクザの真似事したがるの、気持ち悪くない?ということ。
たださあ。
そういう自己矛盾抱えてるの、オタクだけじゃないよね。むしろ非オタクの方が白々しいと言うか、無頓着だよね。
もっと言えばさ、そう言う歪みを受け止める無害な器としてフィクションというのは、ある訳ですよ。
人間、感情や性的嗜好と、自分として考える人格が完全に一貫できれば苦労はないけど、そんな簡単にはできてなくてさ、ふつうに欲望と希望には矛盾があるもんじゃん。
キモいのはそういう自分の矛盾を平然と無視して好きな事をほざいてるtwitterやブクマカ連中の心性であって、フィクション自体では無いと思うんだよね。
まあそれを商売にしてる側が都合良すぎるのどうなの?みたいなのはあるけど、矛盾を意識しながらもコンテンツを摂取せざるを得ない我々オタクは決して特別異常でもないし、卑下される存在とは思わないんだ。
生きる権利があるから生きてるってよりも、生きるのにも死ぬのにも権利がないから生きてるが正解ですね。
あなたの主張って今流行りのアレですか?「生殺与奪の権を他人に握らせるな」ってヤツですか?私は例のアニメは序盤の序盤までしか観てないのであまり言うことはないのですが、この言葉ってある日突然襲ってきた鬼に家族を殺され、ただ一人残された妹も鬼になってしまい途方にくれる主人公に、鬼殺しのプロが言い放ったセリフですよね確か。主人公も最初は暴走する妹を必死食い止め、それでも妹は大人しくならなかったから主人公もついに絶望して鬼殺しのプロに妹を殺してやってくれと泣く泣く懇願したときの返答ですよね。ひどい話ですよね、まあここで妹を退治してしまったらストーリーが成り立たないのは言わずもがなですが、鬼に家族を奪われ妹を必死に宥めていた主人公を弱者と切り捨て挙げ句の果てに妹を殺したかったら自分で殺せという傲慢さ、なんだかこのアニメが非オタク層に流行った理由が何となくわかった気がします。長くなってしまいましたが例のアニメ批判はあまり関係ないのでここまでにします。
日本人って本当に自己責任論大好きですよね。だって他人が失敗したときもそいつに自己責任だって言えば自分が非難されるのを簡単に免れますもんね。従来の連帯責任が非難されるようになってから自己責任へシフトしていったように思えます。でも本来自己責任って自分自身を律するための言葉だったろうに、いつしか「何も努力せず自身の不遇を他人や社会のせいにする怠け者」へのバッシングの代名詞となりましたよね。でもその「怠け者」って本当にただ面倒くさいから怠けてるだけなんでしょうか?努力しても無駄、成果を出しても認めてもらえない、そうした学習性無気力に陥ってる可能性とかは考えられないのでしょうか?
「自分の自信は自分で守れ」と仰ってますが私の自信が今までの半生の中でじわじわと他人に奪われていったことについては想像できませんか?私の自信を奪った者たちへの非難はされないんですか?自信を守り抜けなかった私が全て悪いんですか?いじめっ子じゃなくいじめられっ子の方が全部悪いんですか?
あなたのような意見を聞くとどうもこの世の全ての人間は自分の意思で生まれてきたと聞こえるんですよね。でも実際は違いますよね?両親が勝手に性交したから子供は生まれさせられるんですよね?生まれる前の子供達は空の上から親になる人間を決めている、なんていうスピリチュアル与太話がありますが、それがもし真実なら虐待親の元に生まれた子供達は皆んな虐待されることを望んで生まれてきたことになりますね。
生存者バイアスにも程がありますね。成功者から見れば負け犬は皆んな努力してなくて失敗を社会のせいにしてるように見えるらしい。貧乏家庭に生まれ進学出来なかった子供も、虐待で心身ともに傷ついたり亡くなった子供も、先天性の障害を抱えた子供も、全部責任は子供にあると成功者は言います。そうですよね、他人に責任を押し付けるのは楽ですもんね。クラスでいじめが起きても、隣の家で家庭内暴力が起こってても知らない素振りをしていれば罪に問われないですもんね。
何も知らないくせに自己責任論で相手を諭した気になって、励ます振りをするのって最高に気持ち良さそうですもんね。そうやってずっと説法オ〇ニーしといてください。
社会って別に職場とかだけじゃないんです。学校も家庭だって小さいけど立派な一つの社会なんです。そして社会を殺すのは馬鹿な政治家でもテロリストでもなく大衆の中の無能たちなんです。あなたの職場にも一向に仕事が出来ない奴とか、学生時代体育の授業でチームの足を引っ張った運動音痴がいましたよね?こういう奴ら皆いなくなればいいって思ったこと絶対一回はありますよね?極論私が今存在せずこんな増田を書かなければ、あなたのその文章を打った貴重な時間を奪うこともなかったんです。生きるに値しない命は確かに存在するんです。いなければいい人間は存在するんです。ゴミはゴミ箱へ、ゴミ人間は処分場へ。現に死刑制度は今日の日本に存在し、生きてはいけない人間は次々定められています。法で裁けない罪という言葉があるように、悪と言っても色んな種類があるのです。そして自分が害悪だと自覚して死を選ぶこと、何がいけないのでしょうか?確かに今現在自死を選ぶと、発見者のトラウマ、電車を止めた賠償金、病院側の手間など結局社会に迷惑をかける羽目になってしまうのです。あなたも無能の飛び降り自殺に巻き込まれたくないですよね?急いでるのに電車が止まったらイライラしますよね?
別に誰かに認められたいから死にたい訳ではありません。タイムスリップして自分が生まれること自体無かったことにしたいです。むしろそれが一番理想です。私が元増田で「消えたい」という言葉を使ったのはそういう意味です。私の命には何の使い道もありません。成長性もありません。むしろ死んで血と肉と骨の塊になった方がよっぽど使えます。実際私の臓器提供意思表示カードには全ての項目に丸をつけてます。
よくよく考えて見ると凄いよな
例えば東京ガールズコレクションで献血ブースが出来て若い女性が一杯献血したら掛け値無しに賞賛されると思うんだよ
まぁ中には腐す奴も居るかも知れないが圧倒的少数だろうし支持もされない、腐す奴はただのしょうもないカスってのは一般的に共有される見解だろう
でもオタクならそれがひっくり返る
「オタクスゲー」系と腐されたり食傷と言われたり、「コミケに行かないと献血しないの?」と言われたり
「女性スゲー」系と腐されたり食傷と言われたり、「TGCに行かないと献血しないの?」と言われたりなんて無いのにね?
これは凄い事だよ
こんなに態度とか受け取られ方が違うんだから
この前ナイキのCMに対する反応で、日本に差別が無いとする反応が却って差別のある現状を浮き彫りにした、なんて言われたがあったけど、
献血の話題に対する反応で、浮き彫りに成っちゃってるよね、かつてより随分マシになったとは言え、まだオタクは平気で迫害される立場なんだって事が
だって現にオタクと非オタクで献血したことに対する反応がまるで違うじゃん?これでまだ「オタク差別は無い」と言うなら、それこそナイキCMに「差別は無い」って言うようなもんだよね、それ自体がもう差別じゃん
10代からオタク文化に頭の先まで浸かって大学でフェミニズムを勉強した女です。
ネット上で頻繁にいわゆる「萌え絵」が適切か否かを巡って炎上しているけれど、そこでの対立はおおよそ男性のオタクvs女性で非オタクのツイフェミという構図になっていて、オタクでフェミニストで女の私みたいな存在はいないことになってるなぁ…と思う。
https://note.com/dokuninjin7/n/n7ce1f56328e5
青識さんのnoteを読んでもそう感じる。
最後の「フェミニストの皆さん、オタクを踏んでいる足をどけてください」の辺りも、これじゃ私が私を踏んでいるのでは…と思い若干頭を悩ませた。
ネット上の論争をあーだこーだ言うのはしょうもないことかもしれないが、とりあえず思った事を言っておこう。
「萌え絵」炎上を男vs女、オタクvsフェミニストのような二元化しないで欲しい。
「萌え絵」が炎上した時のネット論争は大抵「これだから女/男は〜」のような語り口になる。しかし、企業や団体が炎上している場合少なからず炎上した側・させた側双方に男性も女性も絡んでいると思う。
例えば記憶にあたらしいATSUGIのラブタイツ炎上なんかだと、炎上した側の企画者は女性という情報が出ていた。
https://originalnews.nico/216814
勿論この方のみならず、企業が出す企画なら複数の社員が関わっているわけで、男性も女性も絡んでいるのにも関わらず炎上してしまった。
この時点で男性の企画vs女性消費者のような構図は崩れたわけである。
そしてオタクvsフェミニストという部分もだが、自分はオタクだがこの企画は無しだと感じた。ここでもうオタクとフェミニストの二元対立は(自分の中で)無くなってしまった。
投稿されたイラストはとても可愛かった。可愛かったんだが、どうしてタイツを履く側に向けたPRで、「タイツを履いてる女の子可愛いよね!!」みたいなイラストを提示してしまったんだろうか、と疑問だったからだ。
履く側からしてみればタイツはファッションの一部だし防寒具だし、別に人に見られるために履いているというわけではない。
ただこれをイラストで表現するのはとても難しい。イラストにするとどうしても第三者目線から「タイツを履いた人を見ている視界」を描くことになる。そうした時、フェチズムを表現することに特化した「萌え絵」のお作法で描かれたイラストはどうしても「タイツを履いた人が性癖に見える人の視界」になってしまう。
だからあの企画で投稿されたイラストの多くは、タイツのPRではなく「タイツを履いた人」のPRに見えた。タイツを履く"主体"側ではなくそれを"客体化"した側の企画だと感じたのである。
あれがタイツ同人誌のPRだったらそれでも良かったんだが、履く側の気持ちに寄り添うべきだった企業のPRの点を考えると、あれは違ったよなぁと今でも思う。
こういう調子で、オタクでフェミニストの自分は内々的にどちらの視点でも物事を見ている。というか、私以外の人だって色んな属性を持って物事を見ているわけで、一度あるサイドからの意見を出したからってそれが自分の全てではない。
しかし、こうした炎上を誰かが分析する時、殆どが賛成派と反対派を男女、イデオロギーで完全に分けてしまっている。結果としてその中間にいる人間はかなり透明化されてしまっている。
別に自分は「女だから」批判したわけじゃないんだけどなぁ…私もオタクなんだけど…と、炎上した側・させた側双方の意見を読んでいてそう思う。
だから、二元化するのは楽なんだけどそうじゃない、というのをもう少しネット論客の方々には考慮に入れて論を展開してくれないかな、と期待している。頼みます。
>だって職場に18禁BL同人誌を描いてるって言った場合の不利益は計り知れない。
不利益は計り知れない、というような、当人の損害の有無程度の話で終わっちゃうものなの、これ?
一時的なものではなく何年も継続してきており、一定数のファンがいる(頒布が継続できる)、つまりその界隈では一定の評価を受けている存在である、
という話に限りなく近くね?というか性別入れ替えただけなんだけど。
その塾にそういう趣味をお持ちの先生やスタッフがいたら、その塾を選ばせますか、という質問立て。
どう答える?
いや、オタクである私/俺は別に気にしないよ、先生は別に犯罪犯していないし、
って割り切れるの?割り切れるものなの?
じゃあ、追加で。息子や娘の同級生の保護者が同じように考えると思う?
相手が女性教諭であっても、描いているBLの中味、キャラがショタではなくover18キャラであっても、私、嫌だよ。
私の息子とか娘とか(いないけど)、通っている学校や塾の先生が、
自分の娘・息子大丈夫?クラスメートのあの可愛い◎◎ちゃん、○○君、目をつけられてない?まさか盗撮(資料用かオカズかはともかく)とかない?
くらいは連想するし、警戒するよ。
男の先生じゃない、女の先生だからそんなことある筈ないよ、大丈夫だよ、
私は無理だ。
子供産んでればもうその子が成人していてもおかしくない年齢だっていう程度の期間はオタクをやっている私でもそう思うよ。
犯罪にならない程度に子供達が何かのネタに使われていないか、くらいは警戒する。
ここで言うネタってのはまあ別に直接的なゴニョゴニョのものではなくて、
創作時のキャラ造形に使われる(名前を借りるとか子供の発想や発言、子供との現実のエピソードを使うとか…モブであっても)ってことも含めて。
アマチュアとはいえ、エロ本に使われるとしたら、嫌だと、私は思ってしまう。
まーBLは守備範囲じゃないから、たとえそういう事実があったとしても一生知ることはないとしても。
でも、嫌なものは嫌。
今回は、
女性教諭だから、児童らにエロ本まがいのことをすることはないだろうけれども、でも趣味が18禁だし、ねぇ、どうしましょうねぇ、うーん……
というところじゃないの。
であれば、このラインの処分はむしろ温情じゃん。ものすごーく。
誰かが悪意を持って垂れ込んだのかどうかも本当には分からない範疇のことだけど、
そういうタレコミする同人者の内面はどうでもいいよね、そこに子供を通わせている保護者にしてみれば。
非オタの親御さんにしてみたらもう「エロ本」作りが趣味って人が教員やっている、ってだけでパニックものじゃないの?
その「エロ本」が商業か同人か、あるいは抜き本じゃなく18禁描写は僅かで関係萌えがメインの……なんてことも、あんまり意味を持たないよ、きっと。
それと元増田こめん、
〆の、
と、バレた当人のダメージは心配していても、その周囲のダメージをまるで想像していない辺りが、なんか同人というか二次創作界隈というかの
視野狭窄を感じるんだ、ごめんね。
こういうところの同人だとか二次創作界隈の感覚ってなんか、「一般」とものすごくずれていると思う。
描き手や同人者たちの身の振り方や世間からの当たりには共感を寄せても、
その描かれたものやそれをたまたま目にしてしまった関係の無い人たちの受ける被害を結構後回しにしてしまったり、あるいは影響力を低く考える辺り。
男オタクは自分たちはキモいものだという視線を内面化してるだけだよ。
「キモい」は「オタク」の枕詞じゃん。令和になっても「キモオタ」みたいに言われること多いじゃん。
男オタクは「キモい」と言われることに慣れているだけ。自分たちが「キモい」と思われていることを知っていて、諦めているだけ。諦めているから向上の努力をしようとしないだけ。
「三次元の女より紙とJPEGの女」ってのも、言ってるやつの8~9割は酸っぱい葡萄だから。どうせこんな容姿だから無理だよ……っていうのが骨の髄まで染み込んでいる。
で、全体的にファッションセンスが壊滅的なので、っていうか女よりファッションに興味がない男の中でも特にファッションセンスがない連中を選りすぐったのが男オタクなので、オタク同士で外見で貶し合いっていうのは基本的に発生しない。
(っていうか、そもそも論として、よほどのことがない限り男同士で外見や服装を品評することはないよな……これはオタクに限らずそうでしょ。そもそも服装に対するジェンダーの差があると思うなぁ。男は服装について色々考えることが嫌いなのです。もちろん先天的というよりは後天的な文化的刷り込みだと思うけどね)
それでもって複雑なのは、単に見た目を整える能力が欠如しているから見た目がキモいんじゃなくて、あまりにキモいキモいと言われ続けたせいで「見た目がキモい」ことがなんというか男オタクの自画像になっちゃってる感があるということだ。
昔、よく戯画化されたオタクで、チェックシャツにバンダナ、みたいなのがあったよね。今から思えば差別的な目線だけど、でも、あれが「オタク」であり、俺たちはああいう存在なんだ、っていうアイデンティティはあるよね。
ニコニコ動画でアニメとか見てるとさ、そういうテンプレ的なオタクの服装したやつがモブで出てくると、「俺らじゃん」「お前らwww」みたいなコメントが飛び交うし、自分がオタクを自称して「俺らオタクはさ~」っていうときに、そこで思い描いてる「俺ら」ってのはパリッとしたスーツを着こなしたイケメンじゃなくてチェックシャツのバンダナ眼鏡だと思うのよ。
イギリス人にとってのブリタニアとかフランス人にとってのマリアンヌが、俺らにとっての「デュフフwww」とか言っちゃうチェックシャツのキモオタなんだよな(実際にはもう秋葉原でもチェックシャツとか着てないやつの方が多数派だけど、まあ多くの日本人も日常生活で着物着てるわけじゃないし……)
なので、多くの男オタクは、外見がキモいと思われることに(他の趣味を持っている男たちと比べると)頓着しない傾向がある。でもそれは容姿の品評から解放されているからじゃない。まったく逆だ。容姿の品評会で敗者であることを自覚し、それに甘んじているからだ。容姿の品評会で敗者であることが自己認識の一部になっているからだ。
男オタクにとっては、オタク趣味全体が他の男たちや女たちから「あのジャンルってキモい男が推しがちだよねw」って言われる対象だったわけで。
逆にその「キモいジャンル」の内部、つまりオタク趣味の内部ではそんなに服装の縛りはきつくないんだけど、賤民のあいだでは平等な関係であることを身分差別から解放されてるって言われても困る。
余談。俺のこれまでの経験からすると、オタク趣味に走る男の外見、他の趣味に比べて明らかに一歩劣るよね。原因なのか結果なのか偶然なのか観測範囲の偏りなのか俺の思い込みに過ぎないのかは知らんけど。
原因っていうのは、つまりオタク趣味というのはスポーツや吹奏楽とかとは違う周縁的な趣味であって、いじめられっ子の駆け込み寺のような役割を果たしている場合もあったからだ。「外見がキモい」がいじめのトリガーの1つになることは多いので、駆け込み寺に駆け込んでくるやつらの外見が駆け込む必要のなかったやつらより平均的に劣ってるのは十分ありえる。
結果っていうのは、オタク趣味って運動不足で不健康になりやすいのと、他の趣味と違ってファッションに対する意識があまりにも低いので、結果としてそういう界隈にいるやつらの外見はフットサルやってますとかそういう連中に比べて劣るものになりがちだろう。
でも実際、オタクと非オタクのあいだでの容姿の差ってどのくらい統計的に立証できるんだろうね。倫理的にアレだから真面目に研究することは難しそうだけど……