はてなキーワード: 稽留流産とは
現在6w1dくらい。まだまだ妊娠初期も初期、心拍すら確認できていない。
それでも立派につわりが辛い。
ひたすら愚痴をこぼすだけのエントリになっちゃった。誰にも言えないからごめん。
既婚子無し、30代前半。
2年前に稽留流産を経験し、自分には子どもが出来ても流産する素因があるのかも……と不安になり不妊治療クリニックを受診した。
仕事をしながらの通院はなかなか困難で、結局ほとんど通院できなかったが、なんとか妊娠した。とりあえず妊娠反応が陽性になった。
嬉しかったけど、また流産するかもと思うと、怖くて仕方なくなった。
腹の中でまた知らない間に死んでるかもと思うと怖い。
それに加えて、ただただつわりが辛い。何をしていても吐き気がする。というか吐く。
食べづわりというやつか?と思い食べてみるも気分は悪いし、では食べないでおくかと思っても空腹もまた気分が悪い。
食べられるタイミングで食べられるものを少しつまむだけになった。これなら食べられるかもと思って買った弁当を丸ごと捨てた。友達との会食も断った。送別会も断った。理由は言わなかったので、不義理なやつだと思われていると思う。
また流産するかも知れないと思うと職場にも周りにも言えない。入院するほどでもないつわりで仕事を都合してもらうわけにもいかない。というか、職場や周りに報告したあとに「やっぱり流産しました(汗)」ともう言いたくない。
初めての妊娠のときは呑気だったから「ごめん、ちょっと今つわりがつらくてご飯行けないや、また終わったら行こう!」って言ったけど、その後流産して少し経ってからまた友達から「その後どう?もうお腹も大きくなったかな?そろそろご飯行こう!」なんて優しい連絡が来て、「ごめん、流産したんだ〜」と言う羽目になったの本当に嫌だった。もう言いたくない。
てことで当分職場には言わず、なんとか我慢して、誰にも言わずにひっそり暮らしていくつもりなんだけど、つらい〜!!!
赤ちゃんが生きてる証拠じゃん!望んだ妊娠じゃん!って思うけど、つらいもんはつらい!!!
子供産んで2年。来年40。渋る夫を説き伏せて二人目不妊治療に踏み切った。
1回目の移植、いっぱつでうまいこと行くわけなく心拍確認後に稽留流産。心身ともにくらう。
第一子の前にも同じように流産してて、不育症の検査なんかも挟みつつ回復待ちで半年足踏み、ようやく今月2回目の移植。だったんだけど今回もダメっぽい。フライング検査で一瞬陽性反応出たのぬか喜びだったな。はぁ。
残機ないからまた採卵からかー。わたしまた赤ちゃん会えるんかな?もう時間がないよ。
作ろうと思い立ったらすぐ妊娠できる人とはそもそも話が噛み合わないし、かといって一人目不妊で治療がんばってる人のしんどさもわかるからおいそれと同志ヅラして声をかけられない。誰とも分かちあえず孤独でつらい。
出来たら良いねって話してた矢先で嬉しさよりもびっくりが勝ったのが本音だけどついに親になるのか…っていう不安もあった。
産婦人科に行ったら妊娠はしてるけどまだ小さいから3週間後にと言われとりあえず妊娠してる確認だけ取れた。
10月7日〜だんだん出血が止まらなくなり流石にマズいのではと思って10月19日に診察。
成長してるし流産の兆候も無いからと言われてまた3週間後の診察に。
11月12日の診察で心拍の確認ができるかと思いきや子の形は確認できたけど心拍が無い。
流石に実感なさすぎて泣けなかった。
夫にも心拍が確認できなかった事は伝えたけど私以上に実感が無さそうだった。
もう一度念の為に11月15日にエコー確認したけどやはり心拍は確認できなくてこの時点で稽留流産確定。
私は結局一度も子の心臓の音を聞く事もなく9週弱で妊婦が終わってしまった。
そこからは稽留流産手術の手続きへ。淡々としててこれが1番辛かったかな。
血液検査と心電図測ってくれた看護師さんがとても優しくて。ありきたりだし皆んなに言ってるのかもしれないけど、また会いに来てくれるから今はいっぱい泣いても良いんだよ。って言葉で涙が止まらなかった。
11月18日に流産手術のため病院へ。エコーで成長がない事を確認。これが子を見た最後だったな。
手術着に着替えて点滴刺されてある程度したら手術台へ。
優しく声かけてくれた看護師さんと再会したのも束の間全身麻酔で寝て起きたら手術終わってて気づいたらベッドの上だった。
これで私のたった48日間の妊娠は終わった。
こんなあっけなく終わる事もあるんだなと。誰にも言うこともなく相談する事もなく。
両親に話したら喜んでくれるかなとか、友達に報告できたらなとかうっすら夢見てたけど本当に妊娠して子どもが産まれる事は奇跡なんだなって身をもって実感した。
術後はびっくりするほど普通。私の頑丈さを子にも分けてあげたかったな。
今はネットの広告記事がマタニティ関連なのがなかなかダメージ受けるけど拒否反応とかではなく。
また会える準備期間なんだと前向きに捉えて元気に過ごします。
次の授乳までに寝ようと思ってたけど、眠れなくてぐるぐるしてるから吐き出す。
そこでなぜか「二人目どうするの?」というのをめっちゃ聞かれて、「いや今産んだけど」と思いつつ、「経済面とか抜きにしてそもそも自分には第二子を産む力がなさそうだ」と思ってしまった。
第一子妊娠の一年前にも妊娠していたが、その時は6週で流産してしまった。稽留流産だった。
診断が降りた時にはもう出血が起きていて、手術日程とってもその前に自然排出される可能性が高いからということで自然排出を待つことになった。
ただ、その時世間ではRSウイルスが猛威をふるっていて、時短のママさんたちがそれに振り回されて人員が足りなかった上に、「流産したのでちょっと在宅多めにしたいです」というセンシティブな話もしたくなかったので、毎日オムツタイプのナプキンして出社していた。今思うと相当頭おかしい。
で、診断から1週間くらい経った日、コロナワクチン打つために午前休→午後出社しようとしてたら、ワクチン打って電車待ってる間に尋常じゃない腹痛があった。
「あ、もう出てこようとしてるんだ」と悟って、ワクチン副反応が出たことを理由に在宅に切り替えた。
夜になるにつれどんどん出血と痛みが増えて、19時くらいにはもうトイレから出られなくなってた。そこで痛みのピークがきて、いよいよ死ぬかもと思った時、大きな塊が三つくらい出る感覚があって、体が楽になった。
赤ちゃんが出ていったんだな、と思った。
その後も病院に通って、体には問題がないと言われたけれど、自然排出時の体の痛みと止まらない血、塊が出ていく感覚等が忘れられないし、心音が聞こえないと言われた時の指先から血の気が引く感覚も忘れられなかった。
その時、次はちゃんと産んであげたいと強く思った。
流産後半年で妊娠した。今度はちゃんと産まれてきてほしいと思ったけれど、半分期待せずに日々を過ごしていた。
そしたら、ちゃんと心音もとれて、母子手帳をもらえるところまでこぎつけられた。すごく安心した。
ただ、仕事が忙しい&引き都合とした相手が同じように妊娠したり時短になったりで、結局引継ぎ相手が見つかったのが産休一ヶ月前、そこから引き継ぎしたり机片付けたりしたので、このご時世なのに毎日出社&遅番早番ありでかなり負荷が大きかった(残業時間毎月40時間だった)
夫は私よりも激務で、家事も常にワンオペだった。重いものも一人で運ばざるを得なかった。
で、そんな無茶をしてたら30週くらいで子宮頸管がめちゃくちゃ短くなってることが判明した。
「あと5mm短くなると即入院」と言われ、その話を夫と職場にして諸々セーブさせてもらった。けど、そのセーブ具合も在宅勤務が月2回から4回になったとか、夫が家でご飯を食べない日が少しできた程度なのでそんなに効果なかった。
なので、趣味や楽しみやら散歩やらを全てあきらめて家で寝てたら即入院はなんとか避けられて、里帰りはできた。
夫のサポート力には全然期待してなかったので、産休突入→即里帰りし、実家でゆっくりしながら準備とかしよ〜ついでに心残りだったこといっぱいやろ〜(ゲームとか)と思っていた。
なお、里帰りしたのが予定日の一ヶ月以上前だったので義母には少々嫌味を言われた(夫を支えるのが妻の役目なのにこんなに早く里帰りするなんて的なやつ)
里帰り先で健診に通いつつ、両親と楽しみだね〜なんて話をしつつ、母と久しぶりに散歩して話したり、仕事漬けの中で積んでたゲームしたり、いけなかった母親学級の予約したらのびのび暮らしていた。
でもそれもすぐに終わりが来た。
35週5日目、実家帰ってきて2回目の健診で妊娠高血圧腎症と診断を受けて、「このまま予定日まで待つと母子ともに危ないです。明日から管理入院して37週入ったら即誘発分娩しましょう」って言われた。
症状が症状だったので、病院側の提案も私の希望も個室だったのだが、部屋が全然空いてなくて回復室に泊まることになった。胎児モニターしたり採血めっちゃしたり、ことあるごとに血圧測った。
そして翌日朝。朝ごはんがいつまでも出てこなくておかしいな〜と思ったら助産師さんが来た。
「赤ちゃんの心音が弱くなってて、37週とか言ってられなくなってきたので、今日この後できるだけ早いタイミングで調整して帝王切開で産むことになりました」
えっ私の意思は???ってなったけど、赤ちゃんがやばいならもう何も言えないなとなった。
それからあれよあれよと絶飲食が始まり、医師の説明を聞いて術前の点滴しながら同意書にサインし、「家族のサインもいります」と言われ「夫仕事中だと捕まらないし全然来れないんですが」と言って先生に「そんなことどうでもいい!あなたは11時に手術しないといけないんだからさっさと来させろ!」と怒鳴られ、回復室で泣きながら夫に電話した(夫はわりとすんなり来てくれた)
そうして36週1日目で出産した。
妊娠前にやりたかったこと、お産でしたかったこと、してほしかったことも全部なくなったし、「管理入院するなら個室がいい」ということすら叶えられなくて、産まれた子どもはかわいかったけれどかなり落ち込んだ。
そんな経緯があったので、退院指導とか親戚に「二人目は?」と言われるたび、「いや一回目流産で二回目は早産で緊急帝王切開なんだから、二人目なんて無理でしょ」と思っている。
二人目できたらほしいけど、「もしまた稽留流産とかになったら、乳幼児の世話しながら手術とか自然排出とか考えたくないな〜うまくいったとしても帝王切開になるの確定だし、一人目も早産だったから二人目の出産もうまくいかないっしょ」って思うくらいにはトラウマになってる。
経済面のことはもちろん心配だけど、それ以上に私の心が自分の出産を信じきれないというか、なんかもう無理だなって思っている。まともに月数満ちていつになるかなとかわくわくしながら待つことなんてできないし、楽しいマタニティライフとかもないし、自分の思う楽しいお産も無理なんだから、二回目とか正直やりたくない。夫が出産してくれないと無理。私はもうやりたくない。
なんかツイッターとかインスタでキラキラマタニティライフ!とか後悔しないお産!とかを見ると心が苦しいし、こんなこと友人にも、親にも、夫にも言えない。
この子に兄弟がいないのはかわいそうかもだけど、精神的にも身体的にも予期しない大ダメージを負った私のこともかわいそうだと思ってほしい気持ちがある。
それがあるうちは二人目なんて産めないんだろうな。
書いたら出ねぇかな、と思ったのと、
書くとこないけど書いときたいな、と思ったので。
現在進行系の話で、追記するかもしれないし、しないかもしれない。
「2週間後に拍動が確認できたら、産院への紹介状と妊娠届書きましょうね」
って言われて、2週間後に医者行ったら
って言われた。
健やかなカップルでも15%くらいの妊娠はそうなってしまうそうで、30過ぎかつちょっと卵性能に難がある身としては、そういうこともあるのかーと思った。
正直油断はしてた。
午前中に医者行って、午後に役所で母子手帳もらうつもりで一日休み取ったのに、午後が空いてしまった。
「念の為1週間様子見ましょう」って医者から帰されて、さすがに精神に来たなーと思ったとき、ふとTwitterでうたプリの映画の話してる人がいたのを思い出した。
近くの映画館の予定を調べたら、ちょうど30分後くらいに始まるところだった。
我ながら、すごいいい仕事した。
1時間強、よくわからないがキラキラした良いものを浴びせられた。
映画代とケンタ代で3,000円も使っちゃったわね、と思ったけれど、自分で機嫌を取るための必要経費だということにした。
それで一週間後、今度は半休を取ってまた医者に行った。
「やっぱり育ってないですね、確定ですね」
みたいな話になって(そんな気はしてた、妊娠モードのときは便秘してたのにここ数日超快便だった)、
「出てくるのを待つか、手術で出すか」
って話になった。
とか言われてしまって、正直めんどくさいですわねって感じだった。
紹介状もらってよその病院行ってそれから日程確定っすか、いつになんだよ、みたいな。
「1週間経ってもまだ出てこなかったらまた来るんで、そのとき紹介状ください」
ってことにした。
医者で会計するたびに、「流産は保険適応なんだなぁ」と思ってしまう。
それが今日の話。
地味に年休が減っていってるから、社則を調べてみたけど、妊婦と不妊治療のための休暇はあっても、流産のための休暇はなさそうだった。
そりゃそうだね。
生理時に吐き出される壁に1センチの卵がひっついてるんだから、生理より血が出るんかな、良かったらトイレで出てくんねぇかな、などと考えている。
在宅勤務95%くらいの職場なんで、不安定な状況ではめっちゃ助かっている。
(努めて考えないようにしてるとはいえ)ドライに過ごせているのは、たぶんまだ拍動もなんもなかったからだと理解してる。
取っておくか、なんぞ供養にでも出すか、考えるのを棚上げにしている。
とりあえず、今のところはこれでおしまい。
タイトル通り暗い出来事について書きますが、なるべく悲しい感情は書きません。
もちろん悲しかったけど、流産手術について知りたい人が欲しい情報はそれじゃないと思うので。
今回の出来事で、流産、流産手術についてって本当にネットで調べるしか体験談を知ることが出来ないんだな、と思ったので、その一つとして書き残したいと思います。
稽留流産された方が、手術について不安を抱いているならば、それが少しでも和らぐといいな、という想いで書いています。
とは言いつつ、自分の心の整理のためです。
人に気軽に語れるようなことじゃないし、面と向かって話したら泣いちゃうかもしれないから、文章として今の自分についてだけ書き残しておきます。
普段推し語りとかばっか書いてるから、テンションが難しいです。
誰のことを傷つけるつもりもないし、私も傷つきたくないので、そっとしてくれると嬉しいです。
翌週クリニックへ行って、胎嚢確認。
妊娠週数(6w0d)と比べると少し小さい気がするけど、排卵が遅れた可能性もあるし、ちゃんとした位置にあるから、とりあえずこのまま大きくなるのを待ちましょう、とのこと。
とりあえず変なことは起こってなかったので安心。
この時はずっと胃がムカムカしていて、吐くほどじゃないけど吐きそうな不快感が続いてた。
特に食後3時間後には胃が一気にクゥーーッと締め付けられて血の気が引きそうになるので、慌ててゼリーとか豆腐とかを口にして耐えた。
翌週(7w1d)、もう一度クリニックへ。
先週と比べるとちゃんと成長しており、丸い卵黄嚢と小さい胎芽が確認できて、アップにするとピコピコ心拍が動いていた。
やはり週数よりは小さめだけど先週よりちゃんと大きくなってるので安心した。
まだこの状態だと「胎児」とは呼べないから、また来週、成長してもっと心拍も確認できたら母子手帳もらいましょう、と言われた。
その後の体調は相変わらず軽めのつわり、少しのお腹の張り、便秘。
動けないほどの不調はなかったので、平日は通常通り働いて、休日も短時間なら友人と外食もできた。
出血も全然なくて、軽めだけどつわりもあったから、順調に育っているとばかり思ってた。
10日後(8w3d)、3回目のクリニック。
卵黄嚢は見えてるけど、繋がってるはずの胎芽などが全然大きくなってない。
何度も何度も、色んな角度からたくさん探してもらったけど、そういう問題じゃないってことはすぐ分かったし、最終的に「先週から10日経っててこの状態だと、完全に心拍は止まってるね…稽留流産です」と言われた。
その後、診察室で今後についてお話。
まず、この時期の流産は母体の影響とかではなく、染色体異常なことが主な原因で、自然淘汰のことだから自分を責めないでほしい、と言ってもらったので、それ信じることに決めた。
すぐ手術、とは言われず、1週間は自然排出を待つことになった。
初期の大きさだから、もし自然に流れて出血しても、母体に影響が出るほどのものじゃないはずなので、手術しないで済むならそっちのがいいとのこと。1週間過ぎても出てこなかったら手術を考えよう、と。
確かに私の場合、職場と自宅も近いし、仕事は座りっぱなしの業務なので、仕事中に出血があってもそこまで大事にはならないで済む。すぐ帰って休むことも出来るから、そう言われたのかもしれない。
普通に手術も自然排出もどっちも怖かったから、どっちの可能性も残しつつ、様子見としての時間をもらえるのはありがたかった。
今のところおりものに血が混じることもないし、自然排出もすぐには起こらないだろうな、と思っていたので、どっちになってもいいように、割と落ち着いて考えることが出来た。
中で成長は止まっているのに、身体の不調は全然変わらず、未だに胃のムカムカも、朝の貧血っぽさも、空腹時の胃の急速締め付けも健在。
それに加えて、いつ出血が始まるのかという不安もあったので、とにかく落ち着かない気持ち。
調べると急に大量出血するわけではなく、通常の生理のように少量の血やおりものに血が混じるような段階を経て出てくるみたい。
だから何もないってことは、まだ大丈夫なはず、と思いつつやっぱ不安。
念のため、替えの下着、ショーツ型ナプキン、夜用ナプキンを、大きめのタオルにくるんで鞄に入れて持ち歩いてた。(結構デカいけど、ちょっと安心)
ただ、出てくる気配もないのに不安な日々がずっと続くのもしんどいので、気持ち的にはもう手術を受けたくなってる。
調べたら通ってるクリニックでは「手動式真空吸引法」という手術をやっていて、いま日本で行われている中では、1番痛みも少なくて、母体への負担も少ない方法なことがわかった。
妊娠してクリニックを選ぶ時、普通は「流産時、どんな手法で中絶手術をしているか」なんて見ないだろうけど、まだ普及がそんなに進んでいないというこの手法を取り入れてるクリニックを、たまたま選んだ数週間前の自分に感謝した。
結局あっという間に1週間経った。
とりあえずクリニックに相談の電話をして、今の状態を伝えると「まだ自然排出を待ってもいいけど、どうしたい?」と聞いてくれたので、「なるべく早く手術したいです!」と伝えたら、翌々日に予約を取ってくれたので、すぐ家族に迎えを頼む連絡をした。
とにかく終わりが見えてホッとした。
事前にクリニックへ行って改めて膣内の確認と、手術の説明、同意書の受け取りなどをして、最後に採血をされた。
局所麻酔で回復も早いはずだから、手術の2時間前までは飲食OK。食欲なかったら食べなくてもいいけど、脱水症状になったら困るから、ちゃんと飲んでおいて、とのことでした。
言われた通り、朝ご飯を軽めに食べて、9時までは温かい飲み物を飲んだ。
10時にクリニックに到着。
落ち着く薬を1錠飲んで、待合室でゆっくりしてるとちょっとウトウトしてくる。効いてるっぽい。
1回目の流産だし、初期だから調べたところで得られる情報は少ないだろうから、特に検査しなくていいです、と答えました。
11時に「もうすぐですよー」と看護師さんに声をかけられて、最後にトイレへ行く。
いつもの診察台にいつもの体勢で脚を開き、内診後に入口を開く器具を入れる。
こじ開けられる鈍い痛みがあるけど、全然耐えられる。
たぶんこのタイミングで麻酔の注射をされるけど、特にチクッともせずに終わったので、こじ開けられる感覚のが強いのかも。
それからは色々器具を中に入れてる感覚とか、中を器具が動いてる感覚があるけど、総じて痛みとかは全然ない。
違和感だけで「おぉ……うう…」ってなる感じ。
先生に「じゃあ今から吸い出しますね」と言われて、お腹の中をジュッと吸引する音と感覚が来る。これも痛くはない。
何度か繰り返して、一度中をエコーでチェック。
「ごめん、もう一回やるね〜」と言われ、もう2回くらい吸い出す。
やはり外されると気が緩んで楽になるし、痛かったのかもって感じた。
楽にはなったけど、一気に強めの生理痛が来て、先生にも「子宮収縮が始まってると思うけど、それ以外の痛みはある?」と聞かれたので、「生理痛は来てるけど、それ以外はないです。」と答えた。
生理のように血がダラダラ出てきているので、色々拭かれて終了。
待合室に戻ったのが11時半過ぎ。
とりあえず出血が始まっているので夜用ナプキンを装着して横になる。
ずっと下半身丸出しだったのと、生理痛の感じでかなり寒く感じて、持ってきたカイロをお腹に貼ってじっとしてた。
看護師さんが薬を持ってきてくれて、子宮収縮剤と抗生物質、痛み止めと胃薬を貰って、その場で飲む。
また少しウトウトして、12時過ぎにはだいぶ楽になったのでお会計。
今朝まであった吐き気が一気になくなって感動。
生理痛はあるけど、正直ホッとしてるから、手術を受けて本当に良かった。
食欲も戻った気がするので嬉しい。
今後もまだ様子見で通うし、生理もしばらく続くのかな〜と思うとちょっと憂鬱だけど、生理痛は慣れてる痛みなので全然耐えられそう。
無事に終わって良かったーーーーーー!!
シンプルに分かりやすく書くつもりが、結局ダラダラ長くなってしまいました。
言いたかったのは、不安だった初めての流産手術はそんなに痛くもなかったです。
この方法だからなのか、自分の状態か、先生の腕か、分かりませんが、検索しまくっていた自分には「歯医者より楽だよ」って伝えてあげたいです。
この一ヶ月は、今まで体験したこともないような幸福感と絶望感を経験した、ジェットコースターのような日々だった。
なんとなく予感がしたのは、ちょうど出張中だった。いつもだったら、アプリの通知とそこまで大きくハズレず生理がくるのだが、その時は来なかった。
出張中はずっと「生理来ないでくれ」と祈り続けていた。時折強い腹痛があったけれど、なんとか乗り越えた。帰りの電車では、ずっと妊娠の記事を読んでいた。
翌日、妊娠検査薬を使ったら、すぐに陽性反応。出社前だった夫にもすぐに報告。初めての妊娠だったので、すごく浮かれていた。
その後すぐに産婦人科で、正常妊娠なことを確認。半分夢見心地のような気分で、家に帰ったのを覚えている。
年齢も30半ばを過ぎて、やっと始めた妊活だった。恥ずかしながら、最初はタイミング法も基礎体温も知らなかった。
いろいろ調べて、ようやっと基礎体温を測りだした矢先、遅れた結婚記念日旅行のときが排卵日あたりになることがわかり、初めてタイミングをみて試した結果の妊娠だったので、もう運命としか思えなかった。
2回めの検査は2週間後だったが、もうその間は幸せだった。つわりで体調が悪いときも、「これが噂の!」と感動だったし、お腹の子が頑張っているんだ(実際は関係ない)と思っていた。
初めてたまひよを読んだし、妊娠アプリも入れて、毎日赤ちゃんの様子を検索していた。「この時期は神経ができる頃なんだって」とか「一日にこれだけ大きくなるんだって」とか、よく夫と話していた。
色々検索するにあたって、やはり流産の懸念はあった。年齢的にちょうどリスクが高まる頃だし、身近にも何人か流産を経験した人もいる。
浮かれまくって子供の名前や、出産にあたって何が必要か、とか調べているのと同時に、流産の記事もたくさん検索していた。次の検査日が近づくにつれ、心拍が確認できなかったらどうしよう、と毎日心配だった。
そして、2回めの検査。胎嚢は大きくなっていたし、初めて胎芽が確認できたのに、心拍が確認できなかった。
死刑宣言を聞いているようだった。手足が震えて、現実を受け止めたとき、涙が止まらなかった。
流産が起こる可能性は20%ぐらいだとも言われている。高くはないけど、低くもない確率。でもその20%になるなんて、思いたくなかった。
本当だったら、その足で母子手帳貰いに行って、両親に報告して、お祝いにケーキ買って…なんてのんきに考えていた自分が情けなかった。
その時点では、まだ流産確定じゃなかったが、もう自分の中では最悪の未来しか想像できなかった。
同じ週にもう一度、今度は別の病院で診てもらうように言われ、紹介状を渡された。
それからは、毎日流産のことを調べては泣き、後で心拍を確認できた人の記事を読んで少し心を持ち直したりしていた。お腹に手を当てて毎日「あなたは強い子だから、大丈夫だよ」と応援していた。
そして今日、大きな病院で稽留流産との診断がくだされた。心のどこかでは想像していたけれど、やはりキツかった。
本当は今日ダメだと言われても、別のところでセカンドオピニオンを聞くつもりだった。けれどモニターに映る胎嚢、胎芽が小さくなっていること、そしてそこに血が通っていない事がわかって、もう受け入れるしかないと思った。
話を聞きながら、号泣してしまった。そばに来て、肩をさすってくれた看護師さんの優しさが、本当にありがたかった。
今後の流れは、自然に出てくるのを待つか、手術するかの2択だと言われた。
「赤ちゃんが小さくなっていっているので、そこまでの大出血はないだろう」と言われた。
初期の流産は、遺伝子異常で起こることが多く、もう変えられない運命なのだと検索魔になったときに散々読んだ。
強く生きられないから、赤ちゃんが母体の負担にならないように成長を止めるのだと、最後の恩返しなのだと書いてある記事もあった。
それで言うなら、小さくなって、出血量を抑えてくれたこの子は、なんて優しいのだろうと、そう思えた。
不思議と、赤ちゃんに対して「ごめんね」という気持ちは起こらなかった。ただ、自分がもうちょっと若ければ、とか不純な気持ちでいたバチが当たったのか、とは思った。
幸せな未来を想像していただけに、目の前でそれが消えてしまうのが、切なかった。何もできない自分がやるせなかった。
流産してても、まだ妊娠中の症状はある。とても残酷なことだと思う。
結婚4年目。
3年ほど不妊治療(といっても排卵促進剤を飲む程度でほぼタイミング法と内診のみ)をしていて、1度は自然妊娠したのだが、先月稽留流産してしまった。
自分としては、排卵自体がしにくい体質での妊娠だったので「次こそは」という気持ちですぐ立ち直ったのだが、夫は待望の妊娠だったし、夫側希望での不妊治療だったので(夫側は問題なし)、いまだにひどく落胆している。
何より、周囲の学生時代の友人たちからグループラインで次々と2人目、3人目の出産の報告が来たものだから最近での荒れ様はすさまじい。
テレビで虐待のニュースが流れれば「なんでこんな親に…」と呪詛を吐くし、ちょっとチャラそうないかついお父さんが2、3人子供連れているのを見れば恨み節炸裂。
わたしがさっさと妊娠すればいい話なのだが、いかんせん自分の持病(抑うつで休職歴有り)もあって精神安定剤を服用しながら仕事もしているのもあるのか、次も妊娠できるのかとだんだん不安になってきた。
術後、女性の医師に診てもらって子宮綺麗ですよと言われたので、
綺麗って何ってちょっと思った。
悲しいのか何なのか分からなかった。
可哀想と思って涙は少しでた。
結婚8年目で、途切れ途切れにだけど不妊治療をして、初めて陽性の印を見た。
エコーを見た。心拍を確認した。母子手帳を取りに行って、産院を決めた。
義父母、実母にも伝えた。喜んでもらえて嬉しかった。あまり喜ばせた事がないものだから余計に。
産院に決めた病院に初めて健診に行った時、きっとこれから有給を使う機会が沢山あるし、出来るだけ有給は使いたく無かったから、フレックスで遅く出勤する事にしていた。
待っている間に、産休について調べていた。
産前は産休を請求しなければ出産直前まで働いていいんだって、私はいつまで働くのがいいかな?と夫にLINEした。
受付から3時間経って、コアタイムに間に合わなくなるんじゃないかとハラハラしてた。
診察後に保健師さんから話がありますよと言われて、それじゃ完全に出勤時間に間に合わないなと頭を抱えた。
それって次回にできませんか?とダメ元で聞いてみたけど、それは難しいと言われてこれは遅刻だな半休かなと考えていたら診察に呼ばれた。
「あー…
赤ちゃんが育っていませんね…」
え
そうなんだ
エコーで見た赤ちゃんは小さいけど頭と体があって、人のようなシルエットをしていた。
心拍が確認できず、前回の診察から育っていない、9週なのに明らかに小さい。
前回の診察の数日後で成長が止まったと考えられる、
手術をするか?それとも自然に任せるか?と聞かれた。どちらがいいか分からないと言ったら
今後のために手術をお勧めする。ご主人と話して決めて明日来てくださいと言われた。
冷静を装ってはい、ありがとうございました。と言って診察室から退出したけど、初診だからどうやって会計したらいいか分からない。
受付の看護師さんに声をかけた。
「あ、そうですね、まだなんですけど、いらないと思うんです。えっと」
だって流産なんです、とは他の妊婦さんの前で言えなかった。だってそんなこと聞かされたら胎教によく無さそうだし、
なんというかさっきLINEで自分で打ったのに、口に出すのは憚られた。
「聞かずに帰ると言うことですか?」
怪訝そうな顔で看護師さんが見ている。何か言わないとともごもごしていたら、もう一人看護師さんがきて、向こうで話を伺いますと離れたスペースに案内してくれた。
ここなら他の妊婦さんに気にする事なく言う事ができそうだった。
「さっき流産と診断されたので、保健師さんの話は必要ないと思うんです。会計をお願いします」
後半は泣いてしまってまともに言えなかった。悲しいと言うより衝動的に涙が出た。人前で泣くなんて迷惑をかけてしまった、早く泣きやめと頭だけは冷静に考えた。
家に帰って病院でもらった書類を夫に渡して、パソコンをつけて出勤して、溜まった連絡を片付けてようやく隣にいる夫に向き合った。
手術をしようと言うことになった。
1ヶ月とちょっとだけど一緒にいて、
名前も考えているところだった。
頑張って保活して、2人とも職についたまま地元に帰って子供と暮らせる家を建てようねって夫と話していた。出産までに貯金も増やそう、でもそんなにうまくいかないかも、私いい加減だからなって不安だった。幸せにしてあげたかった、と思う。
と、言うことが全てなくなった。
昨日、私の中から居なくなった。
やっぱりこれは自己憐憫かも知れない。どう思い出しても自分のことばかりだから。
でも、いいわけかも知れないけど、その子のこと悲しむにもまだ何も知らなかった。
初期の流産は染色体の異常で起こる事が多く、完全には防ぐことはできないというのは、不妊治療をする上で知っていた。でもやっぱりああすれば良かった、ああしなければよかったと言うことはたくさんあって、自分のせいじゃないかと思わないでもない。仕事してなかったらとか、もっと前から葉酸飲んでればとか、もっともっと以前から身体を大事にしていればとか、
ごめん。申し訳ない。
初期の流産は珍しいことじゃない。だからこんな長文を書くほど嘆くことじゃないのかもしれない。何故こんな事を書いているのか、
きっとそのうちこの気持ちを忘れてしまうのが嫌だからだと思う。
自己憐憫か分からないけど、悲しいと思う。妊娠が分かって嬉しくて、居なくなって悲しかった。夫にも悲しい思いをさせて申し訳ないと思ったし、子供に申し訳ないと思った。
それを忘れてしまうのは嫌だと思う。他の人は知らないから私だけは覚えておいてあげないといけない。いけないのに、私はアホだから忘れてしまう気がする。
父が死んだ時どう悲しかったか、だんだん分からなくなってきたから、それ同じように。
書けば覚えておけるかもしれないし、インターネットが覚えておいてくれるかも知れない。
この記事を消しても忘れないように、
自分で覚えておけるのが1番いい。
妊娠が確定し安定期前後に母子手帳が配布されると、検診時に助成があったり、12週以降の流産や分娩時には出産一時金を受け取れる。
自分の場合は母子手帳を受け取る直前の10週に流産をしたため、10万円近い金額があっという間に飛んで行った。
初期流産は母体が若く健康でも10~20%は起こることなので、今後誰かの参考になればなあと思い、経験や感想を交えながら具体的な費用を残しておきます。
結婚数年目にして子作りを始め、初の妊娠発覚。検診は全て保険外。
初期の稽留流産となる。(胎児の心臓が止まったまま子宮に留まった状態)
流産が分かった時点から、保険適応となるようです。ただし手術に向けての血液検査等で保険外がこのうち¥13,200-かかっている。
胎児が小さければ自然排出されるまで待つ場合もあるが、今回は胎児が大きくなってきており自然流産となると自宅で大量出血の恐れがあり手術を選択。
手術前日の前処置で、水分を吸収し時間をかけて子宮を広げる棒(ラミナリア)を入れられます。
拡張器で膣をつまんで無理矢理広げられ針のような物をグリグリ奥まで刺される。
痛みには個人差あるようだが、私の場合子宮頸管が狭く角度もあったため上手く入らず時間もかかり、経験のない激痛が走り悶絶。人生で一番痛い経験だった。
抗生剤を受け取り帰宅。ラミナリアを挿入している影響で重い生理痛のような鈍痛が続く。
掻爬手術という方法で、匙のようなもので子宮内から胎児を掻き出す手術だ。
中絶の場合は保険外となりおよそ10万前後かかるが、流産は保険適応内。
手術着に着替え分娩台に上がり麻酔で意識を失うが、20分程経ち麻酔が覚めた頃にはまだ手術が続いていた。痛い。怖い。
どうやら子宮口がうまく広がりきらず器材が入らなかったようで、手術中止となった。
恐怖や悲しみと戦いながら手術に挑んだのに、まさか中止になるとは予想だにしていなかったので、泣いた。血も結構出た。
担当医からは、あなたの子宮口の問題で手術が難しいから自然排出を待って、胎嚢が出てきたら持ってきてと言われる。
2、3週間~長ければ2、3ヶ月程かかるかもとのこと。2、3ヶ月も体に悲しみの時限爆弾を抱えて生活するのは精神衛生上よろしくなくないか?
通っていたのは近所でも人気のクリニックだったが信用を失ってしまい、近くの総合病院でのセカンドオピニオンを決める。
紹介状を書いて貰う際に担当医からは「何万人もの手術経験のある僕にできない手術なら、この病院行っても無理だと思うけどね~」なんて言われた。
前回まで通っていたクリニックとは違い、かなり時間をかけて丁寧に内診をしてくれた。
内診で見る限り異常もないし、手術もそこまで難しくはなさそうなので、当院で再トライしてはどうかと言われ、是非にとお願いする。
血液検査や性病検査、心電図等、前回のクリニックで足りていない部分の検査をした。
うち個室代が¥14,000。
大部屋なら差額はかからず総額4万円以内で済むのだが、幸せそうな妊婦や赤子と同室になることが不安で精神安定のため個室にした。
因みにこの病院でも手術前に海綿体の棒を入れる前処置があった。
前回、激痛で死ぬ思いをしたので恐怖に震えながら挑んだが、今回はほとんど痛みも無く時間もかからず、
え?もう全部入った?え???状態。医師によってここまで痛みが違うとは、担当してくれた女医さんに感謝……感謝……
手術も前回とは変わり真空手動吸引法というもので、体に負担が少なく手術による合併症のリスクも少ない手術らしい。
海外ではこちらの吸引法が主流だそうだが、日本は医師の平均技術も高いことも影響してか、掻爬術のままの病院がまだまだ多い。
手術自体は麻酔があり怖がらなくていいものだが、自身は酒が強いせいもあってか、とことん静脈麻酔が効きづらいのがしんどい。手術中、寝たり目覚めたりを繰り返して唸っていた。
手術は無事成功し、術後はベッドを血で汚してしまったりもしたが本当に痛みは全くなかった。
中身がなくなってしまったお腹への違和感と切なさだけは残った。
一週間後の検診。血液等の残留物を出し切るために子宮収縮の薬を1週間服用したが、子宮内に血が残っていたので処方箋を変えてもらった。
「サイトテック」という元々は胃薬なのだが、副作用として子宮収縮効果が強く出るらしく、妊娠の可能性がある女性には禁忌の薬だ。
この薬に変えたとたん血が下からドバドバ出た。胃薬なのに副作用怖すぎへんか。
胃薬のおかげで子宮も回復。手術から約1か月半後に生理がきて、やっと全て一段落。
それに加え今回私は¥5,000支払い診断書を出してもらい、個人で加入している医療保険に手術給付金を申請し、10万円戻ってきた。医療保険、初めて入っていてよかったと思えた。
因みに自然流産で完全排出されたら手術給付金は受け取れない……
以上、ざっくりですがこんな感じ。転院がなかったり日帰り手術であれば、もう少し費用は抑えられると思う。
そして金額より何よりも、夫や家族や友人に頼ったり、難しければ病院やカウンセラーを頼り、気分転換もしっかりして精神的なケアを怠らずどうか鬱にならないよう。
私は自身のメンタルが強かったこに加え周りの支えもあり何とか持ちこたえましたが、流産によりホルモンバランスが一気に変わり産後うつに近い状態になることもあるそうです。
アラサーで結婚して1年が経ち、そろそろ子供欲しいと思っていたが生理不順でいつ子作りを考えた性生活を持てばいいかわからなかった。
最寄りの産婦人科にかかると卵巣に異常があって自然妊娠が難しいかもと言われる。
その後不妊治療の病院を紹介され、なんとか保険適用内のタイミング法で妊娠した。
もしかすると妊娠すらできないのではと思っていたので、妊娠検査薬が陽性になったときは嬉しいより安堵したって感じだった。
そして胎嚢確認し、その後もすくすく育ち心拍も確認。胎児のサイズも問題なく、母子手帳も交付。ここまでくれば流産の確率も5%くらいで大丈夫でしょうと医師が言うので安心しきっていた。
しかし妊娠3ヶ月目で急に出血があり、病院に連絡するがこの時期の出血はよくあることだから、様子見と言われる。その後1週間毎日出血が続き、量も増えているので不安になり病院でエコーを見てもらったら、赤ちゃんの心拍は止まっていた。
その前の妊婦検診ではしっかり動いていて目視でもわかった心臓の位置も、止まっていてはどこにあったのかわからず、コロンとした胎児の形をした置物が子宮内に映っているだけだった。
医師からは残念だけど…と言われて、ああ、ダメだったのか…とじわじわ実感してきた。
旦那も付き添ってきてくれていたので診察室を出たあと結果を伝えると、マジで…とそのまま無言。その後また自分だけ診察室に呼ばれ、稽留流産との診断を受けた。自然流産を待つのはリスクが高いほど成長していたから、翌日に除去手術受けることに。
会計を済ませて旦那と無言で涙を流しながら帰宅。帰宅後はもう訳が分からんぐらい喚きながら泣いた。旦那は夜勤なので泣きながら仕事へ。
自分も少し落ち着いた後、職場の本部長に経緯を話し、手術をするため数日休みを貰うことにした。妊娠は直属の部署の人には報告していたので、本部長から経緯を説明してもらうようにした。いちいち1人ずつ説明するの辛いし…。その後経緯を聞いた先輩から、来週は元気に出社してねとLINE。まあそんなもんだよね…。
翌日朝9時に再度来院し、個室に案内されて11時から手術になった。旦那はずっと個室で待機。
前処置が辛いと先人のブログ等で拝見しビビっていたけれど、点滴打って麻酔が効きやすくなる注射を尻に打たれただけで、そのまま手術室へ。全身麻酔で即寝しているうちに手術は終わっており、前後ともに痛みも何も無くて安心した。ただ、麻酔からなかなか覚めず、車椅子で個室まで運ばれたらしく、その間ひたすらウーウーと唸っていたらしい。怖…。
目が覚めると個室のベッドの上で、麻酔がまだ残っていて目眩と吐き気が強いので、3時間ゆっくりさせてもらった後、もう一度子宮のエコー見せてもらい、中が空っぽになったのを確認して退院。16時には病院を出た。
病院内にはたくさんの妊婦と、産まれたての赤ちゃんがいて、幸せそうな空気でいっぱいだった。
手術方法は掻把法(そうは)と言って匙で書き出す方法か、機械か真空の筒で吸引する吸引法が主流みたいで、私は吸引法だった。翌日から出血すら無く、痛みもなくてびっくりしているんだけど先生の腕が良かったのかな。
金額は4万ちょっとだった。手術なので保険がおりるらしく不幸中の幸い。親からは美味しい物を食べるように言われ、妊娠中食べれなかった寿司を食べた。美味しかった。辛くても食欲はあったんだよね。手術絶飲食だったし、、、
帰宅し、マタニティウェアや母子手帳、お腹に赤ちゃんがいますのストラップを見てまた泣いた。でも、妊娠すらできないと思っていたので、妊娠できることがわかっただけ良かったと思うしかなかった。
もし、また妊娠して、また流産になったらと思うと、あまりにも怖すぎるけれど、旦那と話し合ってもう一度不妊治療の病院に通院し、1から頑張ることにした。もしかすると次は妊娠すらできないかもしれないし、すぐ妊娠して何事もなく産むかもしれないし、やってみなくてはわからない。
3日前。
稽留流産と診断された。
胎嚢の中で赤ちゃんが溶け始めてしまっているから早めに外に出さないといけない、と説明された。
今後、悲しいけれど稽留流産になってしまった人に向けて、起こった出来事を記録しておく。
稽留流産は赤ちゃんがお腹の中で死んでしまっていて、自力で流れて出てきていない状況を言う。
赤ちゃんが自力で出てくるまで待つお医者さんもいるけれど、わたしがかかったところは、以下のリスクがあるから手術をしたほうが良いとお勧めされた。
・手術できれいにしてしまったほうが次の妊娠へのステップに早く進める。
わたしは今回お腹の子が3人目だったので、上2人の世話もあるし、妊活妊活!という感じではなかった。
でも、上の子たち2人のお世話をしなきゃいけない中で突然大量出血&腹痛に見舞われるのも困ると思ったので手術を選択した。
✳︎費用:35000円くらい
✳︎約束事など。
・来院する1時間前に処方された痛み止めを飲む。
・術後はタクシーか誰かにお迎えに来てもらう。徒歩、電車、バスで1人で帰るの禁止。
・夜用ナプキン2〜3枚持ってく
・術後に飲みたい飲み物を予め準備する(気分が悪い場合が多いから、レモン水とか水とか、ポカリとか、飲みやすいものにする。)
こんな感じで手術当日、喉乾いたなあと思いながら病院に10時に到着した。
血圧測って手術の説明を受けて、前処置、子宮口を広げる処置を受ける。
ここで私のミス発覚。
飲んでおいてねと言われた痛み止めの薬を飲み忘れてた…朝子どもたちをバタバタ園に連れてってたらすっかり忘れてしまった…みんな気をつけてね…これやらなかったせいで後でわたしは痛い目見ました…
先生からは座薬から痛み止め入れるからいいよ、と言ってもらえる。
下着まで全部脱いで長いパジャマ着て足がパッカーンと開くあの産婦人科特有の椅子に乗る。
パジャマは薄っぺらくて寒いからか、何枚も厚手のタオルをかけてもらえた。
前処置の段階でもう点滴をするんだけど、私は昔っから血管が浮かび上がらない。
(本当に毎回申し訳なか感じる…どうやったら血管って浮かび上がりやすくなるんだろう…)
で、今回もかなり手間取って、やっとのことで針が入った。
で、外で待機してたお医者さん登場。
余りの痛さに2人出産経験あるはずなのに叫ぶ、冷や汗が出て体が痛さで身震いした。変な声も出た。
かすれ声で、「ま、ますい…ますいっ麻酔は…?」って聞いたら、
そ、そうなん…?みんなこんな痛いの我慢してるの…?我慢できるもんなの…?
と思いつつも痛すぎて勝手に体に力が入る。
看護師と先生に「ああ、腹圧!腹圧かかっちゃうから、お腹に力入れないで〜ゆっくり息吸って〜」となだめられる。
で、なんとか前処置終わり。
そのあとボルタリン入れてもらえて、微妙に出血が始まってたから持ってきておいたナプキンつけてパンツ履いて、手術台みたいなとこでじっと安静。
終わった後と、看護師さんとお医者さんの会話が外から聞こえた。
…もう疲れ切っててなんも思わなかったけど。
わたしが痛み止め飲み忘れたのが悪いし。
でもせめて聞こえないとこで会話して欲しかった。
あっという間に2時間たって、一応トイレにいくように言われ、点滴しながらトイレ。
昨日の夜からなんも飲んでないけど、点滴だけで結構出るもんだなと驚く。
時間は多分13時くらい。
また戻って、手術台に寝そべる。
針が刺さってるところが冷え冷えして、じんわり痺れて、痛くなってきた。
あー結構痛いですね…と呟いた、のまでは覚えてる。
次目を開けたら、看護師さんに全部終わったのでお着替えしてくださいねーと言われた。
気がついたら、お腹にいたはずの子はもうどこにもいなかった。時間も15時になっていた。
そういう処置だって分かってたし、心積りもしてあったつもりだった。
でも、もうお腹に誰もいない、という状況になって初めて寂しさやら申し訳なさやらで涙が出た。
麻酔でふらふらになりながらお会計を済ませて、家に帰ってからは夫に子どもの世話を全て任せてしばらくお布団で寝てた。
起きて動くと目が回って気持ちが悪くて、吐きそうだ…というのがその日の夜20じくらいまで続いた。夜用ナプキンをずっとつけてるけどそれを、2〜3時間で交換したいくらいには出血が多い。
誰かいてくれたから愛おしく見えたわたしの脂肪も、ただのわたしの脂肪になってしまった。
寂しい。
またいつか、お腹に戻ってきてくれたらいいなと思う。
同時に待ちわびた妊娠が発覚して喜んでいたら、8週で稽留流産になってしまった。
仕方ないこととわかっていても悲しい。
前厄だしこれはいかんと厄払いにいったら、もらった御神酒の蓋が壊れてなかなかあけれなかった。
夫がペンチで取ってくれたので飲み干したけど。
そのときにひいたおみくじには今がどん底でも耐え凌げば先は明るいよ!と書いてあったけどなんだかパッとしない。
こういう時の気持ちの切り替えはどうしたらいいんだ…
何もかも駄目かと言われると、毎日はそれなりに楽しく過ごせているし、この先の妊娠の可能性が絶たれたわけでもないので、このパッとしなさを泣き喚くことができるほどではない。
みんなはこんなときどうしてるの。
これ「海外なら薬で処理する」と最初にコメントした増田のたった4分後に具体的な薬剤名まで出した言及があるんだけど、単に中絶する人を腐したいだけのミソジニー男がこういう↑みたいな反応をすぐ出来るほど前提知識持ってるんかな
つーか産科学会が堕胎薬承認を嫌がるのも、イデオロギーだけじゃなくて堕胎術(稽留流産の後処理術含む)が儲かるから、って側面がでかい
出産がろくに儲からない分そっちで儲けないと食っていけないんだろうね
ピルなんかも儲からないし、産科医からしたらどんどん妊娠してどんどん堕ろしてくれた方が都合いいんだよな