はてなキーワード: 稽留流産とは
http://b.hatena.ne.jp/entry/4665825756400927650/comment/fritzbeep 経由で来た。
妊娠初期はめっちゃ流産する。地球人の二十代で 1/10 くらいの確率。年取るともっと確率上がる。作中の人はタイミング法そろそろ諦めるくだりがあったから、4/10 くらいかな。大体初期の検診で発覚する。
初期流産はとてもよくあることなんだけど、いざ直面するととてもショック。そしてなぜだかあまり広まってない。
この時期の流産の原因としては遺伝子異常で成長できなかったパターンが多く、どうしようもない。
ちなみに数十年前はそういうのを知る技術がなかったらしく、多くの女性は初期流産を初期流産だと気付かずに「生理が遅れてきた」くらいに思っていたらしい。
これがあったから二度目の妊娠初期はすんごい疑心暗鬼になって、「今喜んではならぬ、また流れたらその分悲しみが大きくなる…」とつわりの影響含め能面みたいなツラして暮らしてた。
一度目は胎内で心臓が止まって、医師の判断で自然に流れるのを待たずに手術で除去した。(多分作中の人と同じ稽留流産)
体しんどいしお金かかるし(いくらか忘れたけど保険適用後の額で「Wii 買っておつりがくる…」と思った記憶がある)心はぬか喜びからの転落でボロボロだしで、これが 1/10 の確率でそこら辺の人に起きているということが信じられなかったけど、いざ話してみれば割と身近な人もそういった体験をしていて、そうか…これが「ようこそ世界へ」というやつか…みたいな気持ちになった。
誰にも言いたくないし認めたくないから始めてだけどここを使うよ。
国語なんて長らく触れていないし、普段はツイッターランドのおたく村の住人だからハチャメチャに読みにくいと思うけど了承いただきたい。
ほんと吐き出したくてしょうがなかったんだ。
妊婦健診の日だったから、血圧、体重、頸部細胞診ののちにエコー。
婦人科診察台、あれほんとにエッチだなって思いながらぼんやりしてたけど、普通の診察室に戻るように言われ、ベッドに横になるように指示を受けた。
「ああ今日健診の日だし、わたしが採血でよくぶっ倒れるって言ってたこと覚えてくれてたんだな」くらいにしか思わなかったけど、横になるなり「お腹を見せてください」と言われて言われるがまま、腹を晒したんだ。だらしないお腹。
もともとスリムな体型ではないけど、つわりが7週か6週の終わりに少しずつやんで、わりとなんでも食べることができてたから体重は右肩上がりだったから余計にだらしない。
ジェル?を塗って先生がエコーの機械をあてる。そのときは「え〜〜?赤ちゃん本当にいるのかわかんないな〜〜」って笑ってた。
先生が赤ちゃんを探し当てて「わかりますか、これが胎嚢で、ここにうつってるのが赤ちゃんです。」と指し示してくれた。
5週で点だったものが、6週で心音確認できて、9週できちんと人型になってて感動すら覚えていたわたしはこのときはまだまだ理解してなかった。
「あのね、●●さん…すごく、小さいんですよ、胎児の大きさがね。いま9週だと思うけど、それにしてはとても小さい。7週目いくかいかないかくらいしかない。」
まじ?こんなにお腹出てるのに?
じゃあこの腹の肉はなんぞ?ただの脂肪なのか??
「え〜〜、2キロも増えたのに(笑」
「…心臓もエコーを見る限りでは、動いていませんね。確認できないです。」
えっ。
心臓、動いてないの?それってどういうこと??わたしの心臓も止まるかとおもった。待って。
6週めまではちゃんと生きてましたよね。
お腹はたしかに時々チクチク痛いけど、耐えられないような痛みはないよ。
まってまって先生、それ以上言わないで。
けいりゅうりゅうざん。
それ、ほんでよんだことある。
わたしはいまアラサーで、30代にほど近い人間の流産の確率は全妊娠の15パーセントくらいって何かで読んだ。
つわりがぱたりとやんだとき、心配だから病院にいこうかなって旦那に相談した。
先人たちは「流産のときは何かしら兆候があるよ」と教えたくれた。
「そっかあ、じゃあ特に痛みもないし大丈夫だな(^^)v」と思った自分を殴りたい。かわいそうなわたしの赤ちゃん。いつから止まってたのかな、心臓。
きっと苦しかったね。
確定診断は来週になるそうだけど、9割がた稽留流産とみて間違いないそうだ。
誤解しないでほしいんだけど、稽留流産は母体に何かしら問題があるわけではなくて、受精卵側の染色体異常がその原因の多くを占めている。
だからわたしの日頃の行いが悪かったわけでも、旦那がダメだったわけでもない。
そう、誰も悪くない。
初めての正常妊娠だった。
前の月に生理が来たときは、多分化学流産だったから生理痛が半端なかったし、10日以上遅れてきたから期待値も上がっててしくしく泣いてた矢先の妊娠だった。
染色体異常かあ。
人間感情が閾値を超えるとうまく反応ができなくなるらしくて。思わず先生に「マジっすか」って聞き返してた。
「そうですね」と先生。
聞きたくない。流産とかつわりとかここ数ヶ月ずっとそういうの読んでたからそのあとの処置は知ってる。でも聞くことをやめられない。
「今後の、その……処置は……どうすればいいですか」
なるべく冷静に冷静に声を出したつもりだったけど、処置という言葉を自分で選んだくせにそこで涙が止まらなくなった。
産んであげられなくてごめんなさい。
稽留流産の場合、自然流産と違って流産の兆候が見られないままお腹の中で胎児が死んでしまう。
だから胎児が自然に中から出てくるのを待つか、中絶手術と同じように子宮内から胎児を吸引してしまうか、どちらかの選択を迫られる。
わたしはどちらにせよ、この子とはもうさよならしなくちゃならないのだ。
たった3ヶ月、数週間だけの妊婦だったけど、心身の変化はとても楽しかった。
まだ妊娠を経験していないひと、自分の乳首の色を覚えておいてください。びっくりするくらい黒くなるし、 ものすごく大きくなるよ。しかも後生そのまま。写真とかに抵抗がなければ記録として残しておいてもいいかもしれない。
わたしの乳首、もうピンクになることは一生ないんだな、って思うと大人の階段を登ったような気がする。別に自慢の乳首じゃなかったけどさ………。
4週目で妊娠に気づいたのだけど、そのときはまっったく自覚がなくて、でもフワフワして夢見心地で、でも同時にどうしようもなく不安だった。わたしお母さんになれるのかしらって。
わたしはもともと家庭環境が複雑で、母親のことを全くと言っていいほど覚えていない。祖父母はいたけど。
だから母親というものをイマイチ理解してないような気がしている。
でも6週めあたりから、なぜかメチャメチャにお腹の子が愛おしくなって、何が何でも産むぞ〜〜!!みたいな気持ちになって毎日お腹に話しかけまくった。母ちゃんもう疲れたよ〜〜、とかいまめっちゃ電車揺れたけど大丈夫〜〜??とか。
ホルモンの分泌とかなのかな、内側からも外側からも母親になるんだなという感じだった。
こうして文章にしていたらだいぶ落ち着いてきたけど、それでもやっぱ手術は怖いし、血が苦手だから出血がたくさんあるのは無理無理の無理だし、かといって赤ちゃんをこのままにしておくわけにはいかないしで、正直まだ受け入れられないでいる。
昨日も旦那とふたりでワンワン泣いたし、のちに子どもが生まれても、できなくて子どものいない人生を選択をしたとしても、今回妊娠した子のことは絶対に覚えておこうと思う。
まだまだ受け入れたくないけど、たった数週間だけでもこの子の母親になれてよかった。
12月は繁忙期でハチャメチャに忙しくなってしまうので、それまでに手術を受けて、暇を見つけて水子供養に行こうと思います。
わかったらすぐ手術するものかと思ってたけど、血液検査の結果が出るのに1週間かかり、そのあとの手術になるらしい。
手術というのは、絶対するんですか、自然に出てくるのを待つとかはしないものなんですかと聞くと、胎嚢(赤ちゃんが入っている袋)がもっと小さければ待つこともあるけど、あなたの場合は胎嚢も赤ちゃんも結構大きくなってきているから、ほとんどのケースでは自然娩出は待たない、待っている間に感染が起こることもあるし、手術することをすすめますとのことだった。
書くことで落ち着きたいので、妊娠発覚から今日までの経過を書かせてください。
夫も治療には意欲的で、精液検査もすんなり2回行なってなんの問題もなく、むしろ非常によい数値が出ていると毎回ほめられていた。
仕事等の都合で途中治療を休んでいた時期があり、排卵誘発でのタイミング療法を再開してしばらくしての妊娠だった。
自然妊娠はむずかしいのかなあと思い悩むことが増えはじめた頃で、妊娠検査薬が陽性になった時も、うれしさと同じくらい、浮かれてはいけない、ぬか喜びしてはいけない、という気持ちが強かった。
排卵誘発の注射が偽陽性を出すことがあると聞いたことがあったからだ。
夫に検査薬を見せると、飛び上がって喜ぶようなことはなかったが、へえ、と言いながらいろんな角度で何枚も力強いピンクの線を写真に撮っていて、この人らしい大喜びのしかただと思った。
でも、擬陽性かもしれないから、ぬか喜びかもしれないから、と何度も言ってその日は2人とも喜びすぎないことに注力して寝た。
その日はエコーも尿検査も何もしなかったが、医師からは、排卵誘発の注射からは1週間以上経っているし、最近の市販検査薬は精度が高いから、妊娠で間違いないでしょうと説明があった。
看護師さんからは妊娠初期に気をつけることや通常の産婦人科にかかるのは大体8~10週頃になるとの説明があった。
ここで子宮外妊娠が否定され、妊娠がはっきりとわかったが、夫にはまた、心拍確認までの流産の確率は結構高いから、まだ何があるかわからないから、と何度も言った。
私は、がっかりしないように、期待しないようにと身構えるのに躍起になっていて、今思えばそのせいで、結果最後まで夫婦で大喜びする機会を逃してしまったように思う。
その次の週にはエコーで卵黄嚢(胎盤が出来るまでの赤ちゃんの栄養源)と胎芽(胎児の前段階)の確認ができた。
同じ日に心拍の確認ができたが、大人と同じくらいの心拍数で、非常にゆっくりだと言われた。
心配な兆候だが心臓が出来たばっかりだとゆっくりのこともあるので、来週また来てくださいと言われた。
生活で気をつけることや出来ることはありますかと聞いたら、出血しているわけでもないし、この時期のことは食べ物や運動でなんとか出来ることは何もない、普通に過ごしてくださいと言われた。
はじめてのはっきりと不安な帰り道だった。
心拍が確認できれば流産の可能性は15%から5%に下がると聞いていたから、今日心拍が見られればやっと夫婦で喜べると思っていた。
自分の両親には夫の承諾を得て妊娠を知らせていたが、心拍が確認できれば、夫の実家や兄弟や親しい友だちにも妊娠をしらせようと思っていた。
結局電話はしないことにした。
夫に、心拍が確認できたらたまごクラブを買う、と言っておいたので、はじめてのたまごクラブという雑誌を買った。
夫は、表立って浮き足立つことはなかったが、体重計を買ってくれたり、座椅子がいるんじゃない、あれがいるんじゃない、と言って淡々と色々とさがしてくれたりした。
いそいそとしている夫をうれしく思った。
夜は2人で少し散歩をしたりした。
つわりも出てきて、体を動かすことが怖く、夫が帰ってきても晩ごはんが出来ていないことが何度もあったが、いいよいいよと言ってくれた。
エコーで、卵黄嚢が大きいですねと言われた。
検査後に自分で検索してわかったのだが、栄養源の卵黄嚢が大きいということは赤ちゃんに栄養が行っていないということらしい。
胎芽は1週間分ちゃんと大きくなっていたが、心拍数は先週と変わらなかった。
診察室に移り、夫とともに話を聞くと、よくない兆候ですとの説明があった。
医師が、元気ですよ、元気なんですけどね、と途中で言ったので、元気なんですか?と聞くと、元気というか、現時点で生きてはいます、と言いにくそうに言っていた。
この時期の胎芽がもし上手に育たなかった場合、ほとんどは染色体等の問題でもともと育つことができない子がなんとかここまで育ったがやはり上手くいかなかった、ということであり、医師にも、我々にも、出来ることはないとのことだった。
今後どうなるかははっきり言えないとのことだった。
でも医師はかなり難しい顔をしていたので、あの、もちろんはっきりと言えないと思うんですが、確率的には、と聞くと、医師はやっとここで、正直かなり厳しいでしょう、と言った。
呆然としてしまったが、今日は夫がいてくれてよかったなと思った。
夫に、どう思う?と答えにくい質問をすると、夫は来週まで待ちましょう、とだけ言った。
本当に良くないんだけど、『卵黄嚢が大きい』『心拍数が少ない』などで検索ばっかりしていた。
かなしい、不安、というよりぼーっとしてしまう、ついつい見てしまう、という感じだった。
落ち込む準備をしているようだった。
検査の前日、不安だよ、行きたくないよと夫に強く当たってしまった。
最後の検査の日、エコーでそう長く続けないうちに、やっぱり厳しいですね、と医師が言った。
心拍は見えなくなっていた。
この時期なら大きくなる一方のはずの胎芽は先週の半分に縮んでいた。
流産と診断された。
手術の説明の前に一度戻った待合室の端っこで、人から見えないように少しだけ泣いてしまった。
昼食をとりながら父母に電話するがつながらず、誰かに話を聞いて欲しくて、兄に連絡すると姪が熱を出してたまたま仕事を休んでいた。
今寝てるから電話できるぞと了承を得て、これまでのことを頭から話したら、いろんなことを思い出してぼろぼろに泣いてしまった。
兄は、俺は色々言えないし、かなしいことになったのは事実だけど、お前はずっと妊娠を目指してきたんだろ?かなしいことが事実なのと同じように、お前が妊娠したことも事実だし、次があるのも事実だから、というようなことを言った。
姪が起きたようなので、ごめんもう切るぞと言って電話は終わった。
父母に電話した。
少し落ち着いてきたので泣かなかった。
実家は離れていて、母は、こんな時に近くにいてあげられなくてくやしい、というようなことを言った。
はじめはGoogleで、次はTwitterで、あらかためぼしいものは読んだなと思ったので次ははてなで検索した。
体験記を読む間はあまり余計なことを考えなくて済んだし、内容に没頭できた。
ぬか喜びでもなんでも、後で死にたいほど大泣きすることになっても、もっとはしゃいで、もっと浮かれて、2人でばかみたいに大喜びしてあげたらよかった。
落ち込まないよう、がっかりしないよう、びくびく気をつけて、そんなことに気を取られている暇があったら、はじめから2、3ヶ月しか一緒にいられないと決まっていたとしても、もっともっと、おなかに来てくれてありがとうって、あなたが来てくれて幸せよって、伝えてあげられたらよかった。
元々お酒は宴席で飲む程度だが、妊娠してから夫の晩酌を見て、飲めないと飲みたくなるね~なんて言って笑っていた。
心拍数が遅いと言われてから、少しでも体を冷やさないように、好きなバニラアイスを食べないことにした。
妊娠がわかってから、友だちと前から楽しみにしていた遊園地の約束を断った。
アイスクリームが食べられることがかなしい。
遊園地にでもどこにでも行けるのがかなしい。
世界中どこにでも行けるのがかなしい。来年の何月頃にと想像していたことがかなしい。来週おなかからこの子がいなくなるのがかなしい。
かなしい、かなしい、かなしい
手術の前なのでまだつわりがある。
気持ち悪い。この気持ち悪さが、来週の今頃にはきっとないのがかなしい。
でもこの子はまた来てくれると信じて、しばらくは体を鍛えたり、体を冷やさないように気をつけたり、食べ物に気をつけたりしながら、また不妊治療がんばりたいと思います。
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180730-00010000-otekomachi-life
既に突っ込まれてるけど、稽留流産で即日手術なんかしないのはごく普通の対応だし
看護師なら上司はその知識があったから(婦人科勤務経験とかあれば当然知ってるだろう)
これで文句言ってる「関東地方に住む20代の看護師」の方が看護師の割に無知過ぎるし、これをわざわざ記事にする方が煽ってるだけ。
とか言ってる人がいるけど
海外だと「日本と違って予約が無いと病院で診てすら貰えない国が多い。勿論命に関わる訳でもない状況で即日手術なんかもしない」
「そもそも稽留流産は薬で処置するのが第一選択で手術はしないのが普通」
な国が多いので違う意味で日本の特殊性が認識されるだけだと思う。
いつでもどこでも誰でも病院で診て貰えるし大した事なくても即日手術して貰えるはず、と皆が素で思っているのも、
日本は「その薬が中絶薬と同じだから」と言う理由で未だに未承認な為によりリスクが高い手術を強要されている、という遅れた状況も、
まだ妊娠超初期だったので、まずは定期的に産婦人科に通い、出生届が出せる状態になるまで赤ちゃんの成長を見守ることになった。
ところが何週間たっても赤ちゃんの体が大きくならない。心音も確認できない。
着床して胎嚢はできたものの、それから赤ちゃんが育ちきれずそのまま亡くなってしまい、なきがらが体内に滞留している状態をそう呼ぶのだそうだ。
もともと子供を強く欲しがっていたのはわたしよりも旦那のほうだったが、でもわたしもやっぱり妊娠がわかったときは単純に嬉しかった。
旦那からは気が早いと笑われたが、名前を考えたり、どんな顔のどんな性格の子どもが生まれてくるのだろうと想像したりして、自分なりに妊娠生活のスタートを楽しんでいた。
生活も変えた。発泡酒の代わりにウィルキンソンの炭酸水と、それとカフェインレスのコーヒーを買い込んだ。
葉酸が多く含まれる食品を積極的に摂取し、ストレスがかからない範囲で嗜好品を控えるようにした。
そんな生活を2ヶ月ほど続けていたところに稽留流産を告げられた。
エコー検査では毎回爪の先ほどの小さな影が見えるだけでまだ人の体をなしていなかったこともあり、正直赤ちゃんがお腹の中にいるという実感はまだまだ乏しく、なので流産と言われても悲しかったがものすごくショックというほどではなかった。
残念だったね、でも次また頑張ろうねというふうな話を旦那とした。
妊娠超初期段階の流産とは、着床時の異常や遺伝子異常などでどのみち正常に発育することができない赤ちゃんに発生するものであり避けることができないものだと、母親の生活態度などで左右されるものではないと、かかりつけの薬剤師の先生からは聞かされた。だから自分を責めないでほしいと。
そういったサポートを受けられたこともあり精神的なショックはさほどでもなかった。
赤ちゃんが体内に残ったままでは色々と今後リスクがあるので、早いうちに赤ちゃんを体外に出してしまう手術をした方が良いと医師から勧められ、先日その手術をしてきた。
引き合いに出すのはおかしいかもしれないが中絶手術と同じようなやり方で、サジのようなもので赤ちゃんを体外に掻き出すのだそうだ。
土曜の朝から病院に行き、全身麻酔で意識がなくなっている間に手術は終わった。その日の夕方には家に帰れた。
ほどなくして2カ月間止まっていた生理が再開し、経血が排出されていくのと同時に妊娠判明以来ずっとあったお腹のもやもやとした異物感のようなものは解消されていった。
妊娠前の元気な体が戻ってきたのだ。
わたしの妊娠生活はかくして終わった。少なくとも妊娠できるということはわかったのだし、今後に向けて前向きに生活している。
昨夜、女友達数人で飲みに行った。流産のことは誰にも言っていないのだが、旦那がちょうど出張中で話し相手に飢えていたこともあり、いろいろな馬鹿話で笑い転げた。久しぶりのビールは本当においしかった。
少しの二日酔いでクラクラしながら今朝目が覚め、酔っ払って散らかし回した家の中を片付けていた。
キッチンカウンターに、使いかけのカフェインレスコーヒーが残っていた。
それを目にした瞬間、不意に虚しさが襲ってきた。
カフェインレスコーヒーは確かにコーヒーの風味はするのだけれど、やっぱりどこか味気なく、本物のコーヒーのほうがおいしいことに間違いはない。
でもそんな、柄にもないものを必死になって探して買い込んでいたついこないだまでの自分が、滑稽で、哀れで、愛おしくて。
手術が終わり、「増田さん、終わりましたよ」と麻酔科医から名前を呼ばれて手術台の上で目が覚めた瞬間、朦朧とした意識で最初に私が口にしたのが「出てきた赤ちゃんを見せてください」という言葉だった。
医師は一瞬迷った様子を見せた後で、小さなカプセルに入ったピンク色の塊を私に見せた。それは全くピンク色の肉塊でしかなく、赤ちゃんの体だと言われても素人には何が何だかわからない。
見せてもらってどうするつもりだったのか自分でもよくわからない。そんなことを頼む心積もりはなかった。ただとっさに、まだ半分寝ている状態でそんなことを私は言っていた。
自分を責めることはないと周りからは言ってもらえたが、でもやっぱり、ごめんねと思っている。
大きなショックは受けなかった。それは本当だ。でも何か、重しのような、ちょうど生まれたての赤ちゃんぐらいの、軽くて小さくて吹けば飛ぶような儚い、だけれど確かに重さを感じる、そんな重しのようなものが、わたしの心臓にぶら下がっているような、そんな気持ちがしている。
胎嚢がない。
26日に産婦人科にいった。
最終月経からすると6w2d。排卵検査薬の反応が出てからだと5w4d。
地元では人気の産婦人科。予約した時間からしばらく経って診察が始まった。
胎嚢が見えない。子宮外妊娠や稽留流産の可能性もあるかも。詳しくは別室で。と
他の妊婦の分娩がはじまったようで、そちらに行ったらしい。
看護師がとりあえず次回の予約を…と状況を飲み込めぬまま10/13の予約を取った。
そのまま会計を済ませ、ぽつぽつ歩いてスーパーに寄り、家に帰った。
つわりはほんの二日ほど。妊娠したという自覚もあまりないので、なんだか拍子抜け。
虚無感というか心が凪いでいる。
誕生日プレゼントもレア鯖もいらないから、お腹の中の人が生きていますように。
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先々週、稽留流産(お腹の中で亡くなってる状態)と診断された。めちゃくちゃショックで泣いた。
先週、手術で出してあげることになっていたが、入院前日に大出血して病院に行く途中、道端で自然流産した。めちゃくちゃショックで泣いた。
辛くて辛くて全然立ち直れそうな気がしないんだけど、体は正常に戻ってきていて、妊娠中ずっとひどかった体調が戻ってきた。それだけが救いか………って思ってたのに!!!!
おっきくなった子宮を戻すために処方された子宮収縮剤飲んだら、めっっっっっちゃお腹痛いいいいいいい!!!!!!!!!
痛い痛い痛い痛い!!!!なにこれ聞いてない!!嘘!!聞いた!!けどこんなひどいとは聞いてない!!何がちょっと痛くなるかもね〜だよ!!!
2月18日、初診。胎嚢らしき黒い丸は見えたもののはっきりしないとのことで尿検査だけで帰宅。
3月25日、3回目の診察。心拍が確認できず「稽留流産の可能性が高い」と言われる。
3月27日、夜から早朝にかけて自宅でこれまで経験したことのないような激しい腹痛と大量の出血。臓器のようなかたまりが出てくる。
こうやって書いてみるとまだ妊娠がわかってからまだ2カ月もたっていないのですが、気持ちの上ではとても長かったです。
少しの眠気とだるさだけで、食欲もあり、吐き気などはまったくありませんでした。
妊娠したことは夫、友人4人、職場の上長1人だけに伝えていました。
もともとお酒をよく飲むほうだったので(飲まないことはさほど苦ではなかったのですが)飲まない理由を周囲になんと言うか毎回迷いました。
現在は薬の副作用で多少体調が悪いものの、ほぼ会社も休むこともなく、いつも通りに過ごしています。
ショックはショックですが、まだあまり実感がないというのが正直なところです。
移動中や寝る前に時間ができると、「流産 体験談」「流産後 過ごし方」など検索してブログや掲示板を読んでいます。
妊婦のうち15%が流産し、その原因のほとんどが染色体異常など自然淘汰らしいです。
そのうち胎児の心拍確認後に流産する人は5%だとどこかで読んで、5%というわずかな中に入ってしまったんだなって、じわじわかなしい気持ちがわいてきます。
もし自分が人から流産した話をされたらなんて言ったらいいかわからないな、そんなに重いものを背負わせたくないな、と思ってあまり人に言っていません。
それで今ここに書いています。
読んでくれてありがとうございます。
http://anond.hatelabo.jp/20151211212703
これを書いたものです。
ありがたいことにたくさんコメントを頂き、励まされたので、蛇足だと思うが術後1ヶ月の簡単な経過と心情を記しておきます。
次回の診察まではとにかく大人しく寝ておいて家事はなるべくするな、と言われたので、夫と相談してトイレとシャワーと食べるとき以外は寝床で過ごす生活。
体は元気で、心配していた気持ち悪さもなく、処方された子宮伸縮剤を飲んだあと2時間ぐらいは軽い腹痛があるぐらい。
ご飯作るくらいはできるかなあと夕食の準備をしていたら怒られたので、仕事終わって帰ってきた夫にしてもらう。
寒い地方なので湯船に入れないのが結構きつかった。次の診察で何事もなかったら入れるときいていたので待ち遠しさがあった。
それと同時に、精神的なダメージがあった。思っていた以上だった。
手術終わった日は痛みに怯える日々から開放されて、少し楽になったかなと思ったのだが、ふとした瞬間に涙が出る。
TVで赤ちゃんが映ったのを観たその時はそれほど感じなかったのに、その後30分くらい経った後バカみたいに泣いたこともあった。
水を飲みに台所に立った瞬間大泣きしたり、正直涙腺がおかしくなったのではないかと思った。
突然泣き出す私にびっくりしていたであろう夫が、落ち着くまで抱きしめて背中を撫でてくれたのはありがたかった。
泣きながらどこかでしょうがなかったことなのになんで私は泣いてるんだろう、増田に手術のことを書いた後は少しすっきりして大丈夫だと思ったのに、と冷静になる自分もいた。
今までの人生で自分の意志と関係なく泣き出すことはなかったので、やっぱり流産というのは精神的なダメージがすごいのだなとわかった。
1週間後の診察では異常なしと診断され、ホッとした。何度やっても慣れなかった内診もこれでしばらくお別れと思うと少し気が楽になった。
また、先週から以前患っていた不眠の症状がひどくなり、睡眠導入剤(マイスリー)を処方してもらった。
その日は近くの日帰り温泉施設に行って久しぶりに大きい湯船に浸かった、気持ちよかった。
子作りは生理を1度見送ってからね、と言われたのだが、少しお休みすることに。
この週の土曜日に、手術が決まってからいこうと決めていた水子供養にも行った。
自分は特定の宗教を信じてはいないのだが、この日を境にして突然泣き出すようなことはなくなり、宗教というのは心の支えにもなるのだなあと初めて肌で感じた。腹痛でトイレにこもったときに神頼みはしたことはあったけどw
何故かこの時期になって体調を崩した。風邪のような症状で、鼻水と咳が止まらない。熱も37.5前後。
以前扁桃炎を2回やっている私は、体調不良になるとまず喉の痛みが強くなるので、医者である友人の勧めもあって耳鼻咽喉科を受診。
心配していた扁桃炎ではなかったが、原因不明のアレルギー症状と風邪のダブルパンチですっかり参る。
抗アレルギー剤も鼻水止めも気休めになりやしない!今月病院にお世話になりっぱなし。
ようやく家事ができるまでに回復したのに寝込んだので、夫には申し訳なかった。年末年始にはなんとか帰省できた。
術後4週間と5日目に生理がきた。以前の診察で異常なしとはいえ、生理がくるまで少し不安があった。
実際私は生理が不順で早ければ28日、遅いと50日来ないときもあって以前はピルを飲んで周期を安定させていたのだが、今回はそういうわけにもいかず。
流石に1ヶ月半来なかったら病院行かなければ…と思っていたところで、いつも重くて嫌な生理痛もなんだか嬉しかった。
家庭の事情であと半年は子どもを作らない予定だけれど、ようやくここで1歩踏み出せた気がする。
前回の増田とくらべて私事と心情ばかりなので、客観性はないものですが読んでいただきありがとうございました。
たくさんの流産体験記を読んでいて、私は覚悟できているから精神的なダメージもそこまでひどくはないだろうと思っていたのですが、そんなわけでもなかったようです。
それでも心構えがあったおかげで、今は家に供養台を作って毎日お世話したり、自分を甘やかすことで回復できました。
コメントを読んで励まされたのももちろんです。改めてありがとうございました。匿名性が高いここで吐き出すことですっきりしました。
先週金曜日、12wにして血液検査により稽留流産の診断がおりた。
先月初旬から、胎嚢が育ってない週もあり、宣告されたときは「ああ、やっぱり」と思った。
1ヶ月以上時間与えられたものだから、少し気持ちの整理が出来たからかもしれない。思ったより冷静に宣告を受けれた。
そして今日12/11、日帰りで子宮内除去手術(そうは手術)を受けてきたのでここに可能な限り情報と経過を記す。
手術を受けるその時まで、ずっとネットで同じ手術を受けた方の体験記を読んでだいぶ助かったところもあったので。
夫、私とともに20代後半。出産・中絶経験なしの今回が初めての妊娠。
10月下旬に妊娠検査薬で陽性が出て、病院でエコー検査により妊娠確定。
最終生理開始日を妊娠0日と換算すると、宣告時は12w。ただし生理周期が不定期なため、実際の排卵日(2wと計算される)は予測不可。
11月初旬から胎嚢の大きさは7~9wの間で変化。卵黄嚢は確認できるも胎児・心音ともに確認できず。子宮内で出血のようなものが見られ、2週間ほど止血剤を飲んだ。
2週間ほど前から繋留流産の疑いあり、基礎体温をつけた。36.3~36.6の間で高温期にはなっていない。つわりは継続中。
確定させるために先週月曜日と金曜日で血液検査を実施し、HCGホルモンの数値(安定期にまでは絶対に下がらないもの)を確認。この間ホルモンの値が下がり、診断。
1周間経過観察をして自然流産を待つものの、出血もなくこれ以上待っても母体へ影響がある場合を考え手術を決断した。
自然流産を推奨する医者もいるので、そこはどちらが自分にとって良いか、よく医者と相談するべきだと思う。納得出来ないときはセカンドオピニオンもおすすめする。
私は、自然流産でもかなり痛みは伴うし、いつ始まるかわからない上完全に排出しきらない場合もあり、そうなると結果手術は避けられないというデメリットが大きいと思ったので手術に踏み切った。
この時間から絶食。水とお茶に限ってはごくごく飲まなければ当日6時くらいまでならおk。
18:30頃に、その日来てくれていた実家の母が取ってくれた特上寿司を夫と2人で食べていたので、お腹は満腹。
ただ自由に飲めないという制約のせいか微妙に喉が乾く。ごまかすために歯を磨いたり口を濯いだりする。
手術したその日は入浴もシャワー浴もできないため、念入りに洗った。
手術への半端な知識のせいで、痛みへの恐怖が拭えずほぼ不眠。時折ウトウトする程度。この時間に布団から起き上がる。
夫が朝食を食べている横で、着替えを済ませ準備物の確認。()は個人的に用意して役に立ったもの。
・手術同意書
・サニタリーショーツ
(・袖がない綿入れ)
水筒がなかったので、ペットボトルを用意した。寝ながら飲むことになりそうと言われたので、ストローつきのキャップを事前に購入して装着。100均などで買える。
着いたと同時に、今日1日過ごす部屋に通される。隣は手術室。
セミダブルサイズのベッドで個室。待合室も兼ねているので、夫がくつろぐスペースもありありがたい。暖房がきいてとても暖かく快適だ。
入院着に着替えて診察室へ。
点滴(ラクテック)装着。血管が細すぎる上、つわりのせいで栄養状態が悪く、利き手じゃない方に4回入れて失敗。手の甲に失敗されるのはやっぱり痛いぞ。
以前入院していたときも同じことがあったので、利き腕の関節にある静脈に挿してもらう。針がずれないように腕を固定しないといけないから嫌がられるけれどしょーがない。
利き手が固定されてスマホいじりづらいなーって思っていたら、主治医の先生に呼ばれ内診へ。
経膣エコーで再度子宮内を確認、前回と胎嚢の大きさ変わらず7w程度しかない。卵黄嚢は見えても胎児や心音はやっぱり確認できず。
そのまま前処置開始。
麻酔なしで子宮口にラミセルをつっこむこの処置、とにかく痛い、激痛と評判で、これだけはしょうがないから頑張れと言われたもの。
ラミセルとは時間が経つと膨らんでいく性質のもので、子宮口を開くときに使うものである。同じ役割を果たすものとして海藻が成分のラミナリアがあり、後者のほうが一般的だ。
ラミセルを使い、普段赤ちゃんが出てくることのないよう固く閉じている子宮口をゆっくり開き、手術中に器具が入りやすい状態へ導く。男性は、体の中にある肛門(大便が漏れないよう固く閉じているイメージ)を器具を使って開くと考えるとわかりやすいのではないか。
先生が「今から入れるよー」と言った瞬間、なんとも言えない不快感。
痛い?ような?でもとにかく気持ち悪い。思わず「先生痛いよ~」って言ってしまう。
「◯◯さん不安そうな顔していたけど、この処置が怖かったでしょ~?色々調べていたみたいだからねえ。大丈夫もうすぐおわるよー」「がんばれがんばれー」と先生や看護師さんが話しかけてくれて気が紛れた。これはものすごくありがたかった。
数分と経たずに前処置終了。何本入れたかは敢えて聞かなかった。緊張が一気にほぐれて饒舌になる私。頑張ったねーとほめてくれる先生、いい方である。
待合室で待っていた夫が「一気に顔色良くなったね」と笑う。
ラミセル挿入後は、評判通り生理痛のようだ。私は生理痛がかなり重い方で、これなら普段より軽いくらいだな~と感じた。ずーんと重いけれど、寝転んでいれば耐えられそうな感じ。
病室へ戻りベッドへ寝かされる。鎮痛剤いる?と聞かれたけれど我慢できそうだったので断った。
今日は外来(個人病院で婦人科の他に内科もやっている)が多いので、そちらが少し落ち着いたら手術を始めますと言われた。なんとなくそうだろうなーと思ったので軽く了承。
うーん、我慢できるとは言え痛いなあと思いつつ、寝転がるより体を起こしている方が楽だと気づきそうしていると、途中点滴の様子を見に来た看護師さんにびっくりされた。
寝てていいんだよ!?って言われたけれど、体起こしている方が楽で…って言うと、背中が楽になるように枕をもう1つ持ってきてくれた。親切だな~。
その後は夫と2人でぽつぽつしゃべりつつスマホいじって時間を過ごす。暇な時間が多いと予測されたので、文庫本を持って行ったが正解だった。病室にテレビがなかったし。
待つ時間が結構長い。いつ呼ばれるかわからないので外出も出来ない。付き添う旦那がお腹空くのではないかと気の毒だったので、パンでも持ってくるんだったなーって思った。
午前中の外来が終わったようで、手術室へ呼ばれる。トイレを済ませ下着まで全部脱いで行く。
やぱり麻酔かけるとはいえ緊張してくる。手術台へ上がると、心電図をつけられ、両足を開いて固定したところで主治医の先生がいらした。
「静脈麻酔をかけるけど、前に言ったとおり血管痛があると思います。でもその後は大丈夫だから安心してね」
「はい」
「じゃ、入れます」
点滴に何やら先生が注入した(術後説明でソセゴンとセルシンと判明)
痛くなるよー、と言われたけれど感じられず。ここ数年注射は慣れっこだから鈍感になったのかな?と思ったところで上半身がカッ!と熱くなった。
以前肩こり解消のために処方された薬を飲んだ時のようだ。筋肉が弛緩しているのを感じる。
まったく眠くならない。むしろ意識がはっきりしている。あれ?いつ意識落ちるの?と思いつつも、そのうち落ちることに期待をしていた。
しかし。
「お腹ちょっと冷たいよ」と先生が言って少し経った後、子宮付近?とにかくお腹の中に激痛。さっきの前処置とは比べ物にならない。
と言うも止まってくれない。そうだよな…と冷静に思う自分はいるけれどとにかく痛い。ギリギリ我慢できないほどの疝痛。
「◯◯さんがんばって、ごめんね、もうすぐ終わる、綺麗に取れるよ」
「◯◯さんもうちょっとだよ~」
先生も看護師さんも励ましてくれている中、お腹の中で何か動いて吸い取っているのがわかった。かき回される感じもする。
ようやく終わった。
麻酔、効いてくれなかった…………
病室へストレッチャーで運ばれる。夫の心配そうな顔が見えたけれど何も言う気力がなく、手術が終わった後もお腹はズキンズキンと痛んで泣きそうになりながらベッドへ移される。子宮が収縮しているようだ。
「ちょっと麻酔がうまく効かなかったみたいで、もう少ししたらお腹の痛みも落ち着くと思いますが、耐えられなくなったらナースコール押してください」と夫か私かに説明する声が聞こえた。
大丈夫?と撫でられるが答えるのも嫌で首をふる。手を握って貰ってひたすら丸まって痛みに耐えた。
なんで麻酔効かなかったんだ、なんのための麻酔なんだよ、と悲しさが頭をぐるぐる回る。
しかし、しばらく目を閉じていたら、少しずつお腹の痛みを癒え、起きることができた。
1時間位して看護師さんが見回りに来た時は、喉が乾いているんで持参したお茶飲んでいいですか?と聞いてたくらいには元気に。
枕もなく寝転ぶのがきつくて、枕を使う許可求めたけれど両方ダメ。ぐぐると麻酔後はどっちも落ち着くまでは喉に何かをつまらせたり気管を圧迫する恐れがあるためダメらしい。
おまけに前日夜から絶食してることもあってお腹も空いてきた。帰ったらカツ丼かラーメンかカレー食べたいなと考える。
途中看護師さんがトイレの介助に来てくれたが、殆ど助けもいらずスタスタ歩けた。ふらつきもなし。
そのご先ほどと同じように元気になってから2時間くらいは、夫としゃべりつつ先生の診察を待つことに。
主治医の先生が病室へいらして、診察と手術後の説明に。膣に入れてたガーゼを抜いてくれるとき、申し訳ないとひたすら謝ってくれた。
「私不運でしたねえ」
「我慢してくれたおかげで、子宮内は綺麗に取ることができたよ」と、手術後のエコー写真(いつ撮ってたのかわからないが手術後すぐに撮ったっぽい)とカルテに記載してくれた図をもって詳しく説明してくれた。
「この後出血が続くけれど、正常だから。薬出しておくので1週間後にまた来てください」とのこと。
術前の説明だと4日後だったけれど延びたらしい。やったぜ。
薬の内容は、止血剤(トラネキサム酸・オダノン)と子宮伸縮薬(メテルギン)と抗生物質(セフジトレンピボキシル)。
「しかし、麻酔後にこんなしっかり受け答えできてふらふらしたり嘔吐したりしないのってすごい」と感心された。術後の具合悪さは覚悟していたのだが、まったくない。
まあ、痛みが取れなかったのと考えればプラマイ0かなあと考えることにした。
前回の診察後に総額2万弱だろうと言われていたが、実際は薬と合わせて1万程度だった。
主治医の先生は、初診の頃から雑談を交えて親しげに話してくれる方だった。
色々勉強してくる妊婦さんは好きだからと、質問をしたり、経過観察のときに症例を挙げて詳しく説明してくれたり、いい先生に巡り会えたと感じる。
ただ、今回の手術を説明する用紙にデカデカと"人工中絶手術"と書いてあって閉口した。今回私が受けた手術とやり方が同じということは事前に知っていたとはいえ。
慌てて看護師さんがその文言を消してくれたが、書式2つ用意しておいたほうが神経質な妊婦さんにはいいのではないかなと思ったり。
手術も蓋を開けてみれば、一番怯えていた前処置より子宮内除去のほうがよほど痛くてびっくりした。
麻酔かからず激痛だった方の体験談は読んでいたけれど、かなり稀なパターンと聞いたのでまさか自分に降りかかると思わなかった。
私自身アルコールはかなり弱いし、アルコール弱い人は麻酔にかかりやすいはずなのになあ。
耐えられたけれど、もう二度と経験したくない。
今これを書いている現在、じわじわと子どもを亡くした悲しみが襲ってきている。正直のところ今日までは手術の痛みの恐怖に怯え、悲しむ余裕がなかった。
初期流産の殆どの原因は染色体異常によるもので、母体がどうだったとしても防げないものだとは説明を受けた。
母も双方の祖母も、叔母も流産経験者で、おまけに義母もそうだった。知らないだけで経験してる方は多いのだなと思う。前もって知っていたので、何で私だけ!というショックは少し和らいだような気がする。
妊娠中、コウノドリという産婦人科医の漫画を読んだこともあって、子どもが無事に生まれてきてくれるというのは奇跡だなと身を持って知った。
初めて流産の疑いがあると言われ、怯えて過ごし次の週検査に訪れた時胎嚢が育っていて大喜びして泣いてしまったことがある。
そのとき先生が「産んだ子どもが成長していく過程で、やれあの子より成長が遅い、あの子より成績が悪いと嘆くことがあるだろうけれど、その時無事に育って生まれてきたときの喜びを思い出してみてね」と言ってくれた。