はてなキーワード: 御神酒とは
往年の國府田マリ子さんかヒュージャックマンさんか桃の天然水の華原朋美ちゃんしか言わないわよね昨今。
そんなわけで、
今日は2022のパーティーサングラスをご機嫌に掛けながらお送りするわ。
なんの歌を歌ってるのか当ててみてね!
いただいた年賀状にアンサーとしてお返事すれば
しれっと寅年決まったことを知らなかった人の体裁にならないからセーフって感じよね。
仕方ないから鶴と亀のイラストでも探してきて貼り付けようとしてみたけど、
とりあえず、
干支が何に決まってなかった人が無難に使える鶴と亀のイラストって便利じゃない?
今年は鶴でも亀でもない干支なのに
なんで鶴や亀なんだろう?って長年の謎が解けた瞬間でもあるし、
先手必勝方として鶴と亀のイラストを貼っておけばオーケーって風潮にしたいわ。
来年はね。
そいでさー、
0時になった瞬間スタートダッシュで福女を決め込もうと思って初詣に挑んだんだけど
近所の氏神様の小さなお社の神社はもう長い長蛇の行列の列ができていて
早々に新年早々に諦めたという
華々しいエピソードを引っさげて幕を切った2022年なんだけど、
ずっと毎年行ってる氏神様の初詣にこんなに人出がおおいの初めてだわ!
どうなってんの?
規模で言うと
ドラクエで言うとセーブは出来ないけど何かしらな祠的な規模の小ささなのよね。
じゃあ違うところの神社に行ってみましょう!ってなったのよ。
そこはちょっと歩いて30分弱のところだけど
言い換えてみたら30分の強めの弱ってところかしら、
結構朝一新年のウォーキングにしてはいい時間の距離あるけるのよね。
そこは毎年焚き火をしてあって暖が取れたり巫女さんが御神酒振る舞ってどんちゃんやってる賑やかな神社だから
そこは間違いない!って高を緊縛師括るレヴェルとまでは行かないものの若干の高を括って行ってみたわけ
そこもよ!そこも長蛇の長い列の行列が出来ていて、
飾る言葉も歌も花もない木の実ナナさんと五木ひろしさんが歌う居酒屋みたいな神社で
えー?今年はこぢんまりね!って
今年の神社の初詣はこぢんまりですかー?って言いたいところよ。
うー、ここもやっぱり長く列ができていたので、
早々にまた諦めた新年早々の諦めエピソードがまたもや出来てしまったのよ。
とほほだわ!
ここら辺周辺の銭湯で元旦から気合い入って営業しているところはここしかなくて
1年の疲れがすっかり取れるみたいよ!
でもさー
朝の初詣し損なった冷えた身体には十分染みわたる温かい銭湯のお湯が最高だったわ。
浴場に入場も一番のり!
ざっさーって飛び込み前転した着地したところが
ちょうど湯船に着水して思わずタイルの床で着地を失敗したら頭を打ちつけるところだったわ!
今日はもうパッとサッと温まって30分ほどで出て
ここももうまるで今年の幕開けの何何始めのタイムトライアル!って感じね。
私はBセット!を喫茶店に飛び込み前転で入店したのと同時に頼んで
今年の何何始めのタイムトライアルに挑戦中なのよ。
あと1種目今年の何何始めの競技が残っていて
今年の初餃子もキメ込もうかと思ったけど、
やっぱりここは最近街中に増えまくっている冷凍餃子の自動販売機を頼りにして
今年の何何始めタイムトライアルの全競技をクリアしなくてはならないワケで
街中に無人冷凍餃子の自動販売機が蔓延っている理由の一つでもあるわ。
夜中にお店が閉まっていて餃子を食べたくて食べたくて仕方ない人、
そういった切羽詰まった人を救済するための
いわば世の中のためになるための街中の冷凍餃子の自動販売機ってワケなのね。
合点がいったわ!
あと
猫ちゃんがコタツに入っていて長い時間入ってるなーって思ったら、
おもむろに表の涼しいところに出てきて
ぐてーってなって、
またしばらくしてコタツに入ったり出たりしたりしている様を見ていると
まるで銭湯の一連の流れを楽しんでいる人のようでもあるわ。
なかなかベテランみたいなサウナの入り方する猫ちゃんっているわよね。
でさ、
思ったんだけど
今年の何何始めを10種競技とするなら
いま私は3種目しか達成していなくて、
残りの7競技を慌てて考えて元旦のうちに達成しなくちゃいけない
タイムトライアルなのよね。
残りの7競技を考えてみたいと思うわ。
餅早飲み選手権を競技に持ち込むのは餅だけにもちろん危険よねって
だから餅の早飲みはやめておいた方がいいわ。
餅早飲みはやっぱりあれはプロがなせる技でもあるわ。
今年も無事2022年の火蓋が切って落とされたわけで
1年健康でありたいわね。
じゃあ
内容の年賀状でもアンサー書こうかしらって今から意気込んでいるところよ。
よいお正月を。
うふふ。
久しぶりに行けた喫茶店でBセット、
今年は寅年って知らなかったら
もはや毎年繰り広げられている干支レースってなによ?って思うわ。
初詣行き損なって寒くて寒くて飲んだ
うーほんと温かくすごしてね。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
次の日(11/2)は伊勢シーパラダイスに行きましたわ!完全に祝日だと思っていたのでバス停で待ちぼうけてましたわ!
伊勢シーパラダイスは数年前に改名する前に行ったきりでしたわ!
ふれあいがメイン的なところがありますがコロナのため消毒してからふれあいでしたわ!
ツメナシカワウソに指をギュッとされてわたくしの心はキュンってしましたわ!
セイウチのショーみたいなの見たりアシカショー見たりしましたわ!
あとたぶんノコギリエイがいましたわ!ノコギリザメだったらすまんやですわ!
あとタツノオトシゴコーナーが増えたりテーブルが水槽になってるおしゃれコーナーもありましたわ!あと森コーナーはもっと植物園っぽく攻めて欲しいですわ!
近くの夫婦岩だか、なんだかは前に見たのでスルーして伊勢神宮を目指しましたわ!
伊勢神宮の内宮前のバス停で降りましたわ!外宮は行く気がありませんわ!
実際には伊勢萬内宮前酒造場で枡酒を飲んで白鷹で特別限定酒と大吟醸飲み比べを飲んだだけやで!
その後伊勢神宮を歩きましたわ!御神酒とか買っちゃいましたわ!
入手した枡は伊勢萬で飲んだ枡酒の枡と白鷹の枡とお土産屋に売ってた作の枡ですわ!枡田ですわ!!
あと碧志摩メグのグッズを買うとポスタープレゼントとか言ってたのでクリアファイルを買っていきましたわ!おばちゃんにはメグちゃんなんて呼ばれておりましたがこの娘はとうに発禁になってると思っていましたわ!
同時に待ちわびた妊娠が発覚して喜んでいたら、8週で稽留流産になってしまった。
仕方ないこととわかっていても悲しい。
前厄だしこれはいかんと厄払いにいったら、もらった御神酒の蓋が壊れてなかなかあけれなかった。
夫がペンチで取ってくれたので飲み干したけど。
そのときにひいたおみくじには今がどん底でも耐え凌げば先は明るいよ!と書いてあったけどなんだかパッとしない。
こういう時の気持ちの切り替えはどうしたらいいんだ…
何もかも駄目かと言われると、毎日はそれなりに楽しく過ごせているし、この先の妊娠の可能性が絶たれたわけでもないので、このパッとしなさを泣き喚くことができるほどではない。
みんなはこんなときどうしてるの。
私の地元にはオリヒメサマという風習がある。年頃の娘がその年のオリヒメサマに選ばれ、6月1日に墨染山の頂上でおでこにデカデカとハンコを押す。「オリヒメサマ、この娘の体をお使いください」という目印らしいが、最近は子供や大人、観光客にも押すようになった。
オリヒメサマに選ばれた娘は、年末までオリヒメサマとして振る舞う。七夕に短冊を焚き上げて願いを本物のオリヒメサマに届けたり、8月半ばのオリヒメ祭りで彦星役と舞を踊って酒を飲み交わしたり、糸紡ぎの儀、機織の儀、衣染めの儀、灯籠流し、えびす講、松の文字下ろし、はては最近はカラオケイベントや盆踊りにまでも引っ張りだこだ。
オリヒメサマにいい加減帰ってもらうために、皆してオリヒメサマの悪口を言いながら山を登る。山を登った先では仏僧とオリヒメサマが参列者の頭に御神酒を注ぐ。年暮れだから当然凍えるように寒い。
かくしてオリヒメサマは天の彼方へと帰って行き、娘は解放される。
が、たまにオリヒメサマが帰らないことがある。
1月1日を過ぎてもオリヒメサマとしての言動が抜けなかったり、何やら奇妙なことを口走るようになって、その後半年で半分廃人のようになってしまうことが十数年に一度の頻度であったらしい。
昭和中頃までは「もらわれた」「よばわった」、あるいは「いらっしゃる」、「いごいた」など、我々はそのような娘を好き勝手に呼び、半分憐れみ、半分尊び、注目しながらも、目を背けつつ、みんなで世話をした。21世紀になって思うに、宗教的なものというよりは、年端も行かぬ若娘がまったくの別人格を無理やり与えられてチヤホヤされ、崇められ、その他全ての町人の上に立つという経験自体が精神に良くないのかもしれない。が、私は医者でも学者でもないので詳しい事はわからない。
昭和後半になって、これらの行事はどこからともなく現れた「正式名称」で呼ばれるようになり、「正しく」紹介されるようになり、行事はやんわりと修正された。もっとソフトでポップな雰囲気が欲しかったのかもしれないし、観光資源化のために必要だったのかもしれないし、何か良くないことをしているから変えなければならないという自覚が旦那衆にもあったのかもしれない。
若い衆は何も知らずに、単にイベントとしてこれら行事を楽しんでいることだろう。しかし、年寄りはあのころのディープな記憶を持っている。
最近はオリヒメサマ選びはただの美人コンテストなのかもしれない。ただのまちおこしなのかもしれない。
でも、あの頃の記憶は忘れられない。オリヒメサマを持っていることによる神秘的な高揚感。他町民への優越意識。そして、どこかいけないことをしているような共犯意識。
今の行事には、あの頃の妖しい魅力と強力な毒はない。腑抜けた、という表現がぴったりくる。でも、きっとこれでいいんだろう。我々が皆死にゆけば、この町は普通の町になる。