はてなキーワード: 生活レベルとは
東京に10年ぐらい住んで、フルリモートOKになったから実家近くの地方都市にJターンしたよ。
大学は今住んでる街にある国立大学で、就職で上京したから、仕事で住む場所に制約がなければ無理に東京に住む必要もないと思ってる。
まあ、結局地方から出る理由って「人間関係とか同調圧力がダルい」「仕事がない」この2つでしょ。そこまで東京の楽しさばかりを求めてるわけでもないというか。
今は、完全に実家近辺に住んでるわけではないから、そこまで同調圧力もなく、ほぼ東京に住んでるのと同じような薄さの人間関係をキープできてる。仕事はある。いいとこ取りだよね。
自分でも信じられないけど年収が1200万になった。正直年収については気にしておらず、働きたいところで働こうと思っていたから現年収以上(800万)でと提示していた。
そうしたら1200万を提示された。ぶっ飛びすぎだろ。オファーはお受けしました。
でも1200万は何させられるのかが全然わからない。逆に基本的に全部やってほしいらしい。何やってもいいと。むしろ何も決まってないし、要は全部やれということ。
ああ、俺が求められてるのってどこでもそういう感じなの。逃げ場ないじゃん。つらい。
普通1200万クラスはもっとしっかりしてるんじゃないのか。俺でいいのか。俺は無責任だぞ。
逆に責任が異常に増えるから年収そんなにいらないんだよ。それに1回上がると下げられなくて困る。生活レベルは500万で満足してる。
あえて下げはしませんが。
給料って本当にめちゃくちゃだな。本当に、雰囲気と勤める会社だけで決まってる。一応スキルチェックとかあるけど、あーいうのって対策すれば楽勝だろ。何が測れるんだ。
あと面接時の人柄。人柄ってなんだよ。未だに「お前に俺の何がわかる?」みたいな新卒と同じこと思ってるわ。ぶちころすぞ。
俺が昔年収300万でひーこら言ってたときは誰も評価せず「ふーん? 普通じゃん」みたいな扱いだったくせに、ちょっとレアモンスターみたいになると「スゴイ!!」みたいな扱いしてくる。ふざけやがって。手のひらクルーン!
そして一度ちょいレアになるとレアに進化しやすい。これが資本主義ね。
俺は本当に300万のやつらの4人分の価値を持っているのか不思議に思う。
300万クラスって、文句言いつつも必死に長時間労働しててバリバリやってるからな。職種変えたら俺は250万クラスになる自信ある。失礼すぎるけど「なんでこんな低賃金でこんな目に?」って絶対思っちゃう。
今までネット上にいる、アホみたいな口調で「俺は1000万↑↑」みたいなこと言ってるやつを見てて「お前みたいなアホの言うことを誰が信じるかいな」と思ってた。
どうも本当らしい。いや、やつらがアホなことは変わりはない。金の稼ぎ方や自分の見せ方を知っていて、また経歴も綺麗で、新卒大正解ルートを選んだだけなんだと腑に落ちた。
俺みたいな、なぜか正規ルートから外れてクズみたいな生活したせいでしなくてもいい苦労を背負い込んだ頭はほどほどにいいけど基本的にはバカでクズ、みたいな人間ではなく、基本はアホで嫌な奴なんだけど世の中を渡り歩くのはうまく、肝心な場面で人からどう見えるか作れる要領のいい「いい子」ちゃんタイプのクズアホpleaser仕草くん/ちゃん、という違いだったのだなと腑に落ちた。俺はバカだな。
俺のこの文章も、おそらく他人から見たらアホアホに見えると思う。だから「お前みたいなアホの言うことを誰が信じるかいな」と思われても仕方がない。なんも具体的なことは書いてないし。
これは本当にその立場にならないと信じられないはず。
あと外資系マウンティング勢は滅んでください。もし罵倒したいならChatGPT使わずに英語で罵倒してきてねcringy scumbag snowflake。JTCに逃げ帰ってきたらお前をぶちのめす。
そこの学生君!年収100万なら贅沢で優雅な暮らしをしていると勘違いしていないか?
今日はそんな誤ったイメージを正し、実際にどれくらいの生活レベルか教えよう。
36歳男、独身、関西田舎在住、年収100万ほど。100万と120万ではだいぶ変わるのでこれは誤差じゃない。
なおマウンティングなどと言われるかもしれないが、そんなつもりは全く無く、
家賃は1万、3DK、破棄された古民家をリフォーム。別に広くもない普通のボロ家。
古民家がある地域の治安はたまにヤンキーが多いが、部屋自体はボロい。
窓から綺麗な田園風景が見れるとかも無い。クーラーとかももちろん無い。
自家栽培の野菜と実家から送られてくる玄米、蕎麦など。ザ・肉がなつかしい。
安いスーパーの売れ残った激安弁当とかは買えないが、それ意外は普通。
さすがに学生価格帯の居酒屋は行かないし居酒屋自体に行けない。
ワイワイ飲む時は自宅で500円くらい。
たまにスーパー総菜などで一人あたり800円を超えると、
その代わり行った店では値段を気にしまくりながら飲む。
自宅で安いウイスキーやワインを飲むようなことがすべてである。
800円のワイン買ったら奮発したな、という程度。
でも88円の1カップ焼酎と98円のチューハイを悩まず買うくらいで、
豪勢な生活と呼ぶには程遠い。
しまむら。
「カネ目当ての女性がやってくる」というのは婚活パーティーとかだけの話で、普段は全くそんなことはない。
モテないということはあるが、よりどりみどり選べるなどと言うことも全く無い。
さすがに年収100万程度でこれをイメージしている人は少ないと思うが、
女性との飲食代はすべて女性持ち。価格帯は色々で、タコ焼き屋行くこともあれば180円居酒屋に行くこともある。
というわけであまりに普通すぎて、やま無しオチ無しになってしまった。
普通というと「もっと貧しい人がたくさんいる、わかってない」と言われそうだが、
学生が抱いているような豪華なイメージとは程遠いということをお伝えしたかったのです。
それなりの収入が新卒時から安定してあれば今のところ15万くらいは出る予定だから、
なお、月30万を予算にしてる
人間って言うほど簡単に生活レベル落とせないし、いちばん切り詰められないのは『食』と『住』だぞ
『食』は、無理くり無限にある時間を調理の工夫にかける・代謝が落ちてるし、たまに贅沢で質素を心掛けるにしたって、
『住』はどうにも出来ん。壁ドンしたりいかにも寝タバコしそうな属性の住人が集まるところで穏やかに暮らせんでしょ
あと、家賃18万を10年払ったら2000万になるし家買いたいなぁじゃねーんだな・・・
40年払っても8千万くらいだし途中で住み替えられるぞ
ペットを飼いたい場合、デザインや機能で叶えたい夢がある場合は、賃貸(集合住宅)じゃ単純に無理ってケースが多いので、
成人した子どもと同居予定が無くても買うのも致し方なしだが、
都内の話。私が住む築50年のマンションの向かいの部屋に93歳のおばあちゃんが住んでいる。小学校の先生で、生涯独身。頑固でプライドが高く孤高の人だった。私は彼女には子供のころからかわいがってもらったのだが、他の近隣住民には気を許さず、いわゆる嫌われ者だ。近所では「先生」と呼ばれている。
先生はプライドが高く、下町の住人を下に見ている。教養と生活レベルが違うのだろう。そんな態度で何十年もこの地域で暮らしてきた。おのれの金と生活力で生きていけるうちはさしたる問題はなかった。近隣と騒音やなんかでもめるくらいのものだった。しかし昨年くらいから、足腰も弱くなり、自力で生活するのは難しくなってきた。そうなると先生は知り合いや近所の者に片っ端から電話をかけ、おまえは年寄りの面倒を見るべきだと呼び出し、買い物やらなんやらをいいつけ小遣いを渡していたのだが、そんな生活が成り立つわけはなく、高齢者の公的介護を利用することになった。ケアマネを見つけ、ヘルパーが派遣されることになった。先生にとってヘルパーというのは下賤の者らしく、接する態度は酷いものだったようで、次々に事業者に断られ、もう区内には先生の相手をする事業者はいなくなった。そんな先生を受け入れたのは隣の区の良心的な零細事業者のケアマネだった。ケアマネは献身的に寄り添い、ヘルパーを手配し、なんとか先生の生活を成り立たせていた。
そんな折、今年に入り、先生は蜂窩織炎だか脊柱管狭窄症だかが悪くなって、入院することになった。リンパのガンを乗り越えた先生にとっては大した病気ではないのだが、立てないのはこたえた。先生は東大病院しか信じておらず、ずっとかかりつけにしていたのだが、東大病院が入院を受け付けない(過去にさんざんもめていた)ので、しぶしぶ紹介された関係の病院に入院することになった。二か月ほど入院していた。入院中弱気になった先生はケアマネの勧めに従い、有料の施設に入所をする決心をし、退院した足で施設に向かった。
しかし先生の態度は施設に着いた途端に急変した。医者とケアマネが画策して非人道的な機関に監禁されるのだと激高した。先生は耄碌はしているものの、認知症ではない。入院中から心に貯めていたせん妄が爆発したようだ。まだ正式に契約していない施設側はなすすべがなく、帰宅することに。施設は良心的にも先生の自宅まで自社の車で送ってくれたらしい。とにかく先生は立てない状態で私の家の向かいに帰ってきた。
先生は知人や近隣住民に電話をかけて呼び出そうとするが、もう先生の相手をするものはあまり残っていない。なにしろ善意で世話をしにきたマンションの管理人を怒鳴りつけるような人だ。しかたなく先生は私に電話をしてきた。先生は私の幼少を知っており、なにか強い思い入れがあるらしく、私だけは気を許せる優しい人間だと思い込んでいる。私の両親が学者だったことも大きな要素のようで、しがない零細障害者福祉事業を営む私をなにか福祉の世界の大きな存在だと思い込んでいるようなことを言う。いままでもたまに私も家にいて呼ばれれば徒歩2メートルの向かいの部屋にいき、水を汲んで出したり何か買い物をしたり、おむつを替えるくらいのことは職業柄たやすいことなので、助けを求められたら応じていた。先生は私にはとてもしおらしい態度で接する。申し訳ないと思うと1万円だか3万円だか買ってきたおにぎりだかおせんべいだかを渡してくる。気が済むならと私も受け取る。だが、今は施設を断った先生にはヘルパーもおらず、私も仕事があるので行ける時間は限られており先生の全生活を支えるのは無理だし、そんな気は毛頭ない。どうしたものかと思っていると、先生のケアマネと話す機会を得た。
ケアマネが言うには、先生のヘルパーの使い方はめちゃくちゃで、自社のヘルパーは全員泣かされてもう使い物にならず、無理を言って大手に派遣を頼んでいたがそこも苦戦し、入院、施設行きが決定した折にすべて白紙になってしまったらしい。地域の同業に悪名が轟いている先生に今からヘルパーをそろえるのはかなり難しいらしい。しかし先生をひとりで置いておくわけにはいかないので、疎遠になっている姪に施設入所の契約書にサインをもらい、半ば強制的に連行ししばらくは拘束することが先生の安全を考えても最良と判断している、とのことだった。話を聞くと施設もそれほど悪辣でない大手で、その言い分には同意できるところもあった。姪は医者で週に一度しか休みがなく、契約書にサインはしても先生との直接の対話は絶対に拒否するという姿勢らしい。ちなみに保証人になるわけではなく、保証会社が間に入るそうだ。
退院直後はせん妄でケアマネが病院とグルになって私を牢屋のようなところに引き渡したと言っていた先生も、すこし落ち着き、また一人で暮らす不便さに弱り、今日の面談ではしおらしくなっていたが、だからといって施設に行く気はまだない。ケアマネにヘルパーの手配を懇願していた。立ち会った私は先生のためにも一時的に施設に行った方がいいのではと進言したが、人の言うことを聞く人ではない。先生の家を出たあと、ケアマネと、もうすこし弱気になるのを待とうということになった。
私が気がかりだったのは、せん妄はあっても認知症ということではない当事者を、疎遠な家族のサインだけで強制的に高齢者施設に連れて行き拘束して薬で大人しくさせるという方法は法的に問題があるはずだが、そういうケースはあるものなのかということだ。ケアマネに尋ねると、あまりないと。確かに法的には問題があるし、先生は恨みを忘れる人ではないし、弁護士を使う人脈や資力もあるのでリスクがあることを認識していた。それでもそれが本人のためと考えたとのこと。そして法的にも問題ない方法は、訪問の医師を一度入れて、精神科に繋げ、医療保護入院という形でまずは精神科に収容することだということも理解していた。それを聞いてすこし安心した。
・努力不足
・他責思考
・無気力
だいたいこの辺が揃っていますね。
バブル世代、Z世代の使えない奴らも同じような傾向があります。
たとえばパソコンがずっと使えない奴はこういう特徴が強いですね。
地道にコツコツ勉強していって少しだけ昨日よりもマシな自分になろうって気持ちがない。
突然神様からチートスキルを貰っていきなり世界最強になれたらいいなの世界観で暮らしている。
もちろんんそんなことは起きないという現実に対して「じゃあ自助努力しかないね」となれる人は氷河期世代でも勝ち組になれています。
まあそれは単に若い頃に苦境に立たされても折れなかったどうかという形で篩にかけられているだけで、氷河期に立ち向かったから強くなれたというのとは違うのですが。
氷河期の負け組が他の世代の負け組よりも恵まれていなかったのは事実でしょう。
基本世の中の多数の人は負け組になるしかないような生き方をしています
たとえば小学校~高校3年間までの間の「現代日本人として最低限身についていないければおかしいはずの教養」を完璧に身につければ現代の大学受験のレベルなら早慶レベル、少なくともMARCHならアッサリ入れますし、それを受験生時代の特別な努力ではなくて人として当然の努力としていた人は卒業までストレートで辿り着くでしょう。
ですが多くの人は出来ません。
世間ではMARCH卒業している人は勉強が得意な上位5%のエリート様となってしまいます。
高校数学を理解し、まともに日本語の読み書きが出来て、外人に道を教えるぐらいは可能性、世界の歴史を新聞が理解できる程度には知っていて、ニセ科学に騙されない程度の科学知識があるだけでいいはずなのに……。
そんな努力不足な大多数の無能人間たちであっても、その結果として本当に負け組になるかは時代ごとの余力で決まります。
時代に余力があれば高校中退のボンクラであっても十二分な暮らしをして、ゆくゆくは出世の道が拓けることもあります。
というかね、今の時代って昔より技術的にはかなり発展してるから「それなりの暮らしを負け組でもする」っていうのは全然出来てるはずなんですよ。
ただその状態に対して自分の状況を冷静に分析するための知能を全く磨いてこなかった連中は「同じ小学校に通ってた奴が年収2000万円貰って高級マンションに住んでるなら同世代として俺にもその権利があっても良いんじゃないかな?それでどこまで生活が向上するのかは知らんけど」レベルのフワフワとした現状への不安を抱えてしまうんですね。
他人と自分を比較するのではなく、もっと貧しい自分ともっと豊かな自分を想像して、それに対してどれぐらいコストを払って生活を向上させる、もしくは努力を惜しんで生活レベルを下げるか、そういった損得勘定を働かせる発想さえないんですよ。
おもちゃ屋さんで子供が指を咥えて他の子供が買ってもらったものを羨ましそうに眺めているのと変わらないんですよ。
そんなんでどうやって勝ち組になろうっていうんでしょうね?
正直言ってどの世代においても多くの負け組が負け組になって当然の生き方をしている。
それは「氷河期の負け組」であっても変わらず、氷河期であってもちゃんと自分の人生に対して責任感を持って努力をした人は中間層ぐらいにはたどり着いてますよ。
それは氷河期が過ぎ去ってある程度転職市場も温まって来たあとになってからの繰り上がりかも知れませんが、そうやって繰り上がるための努力を続けている人は負け組を脱出している。
それをせずに「俺は氷河期だから」でずっとイジケている人達が口にする「氷河期だった俺たちを救うための特別な援助」というのはちょっとムシが良すぎませんか?
人生には様々な困難が怒るわけですから、自己責任論で弱者を切り捨てているようでは皆で金と労力を出し合って国家というコミュニティを作り上げ維持してきた旨味がないというのは分かります。
でも、勝手に「もう無理無理コールドゲームみたいなもんでしょ」と勝手に試合を切り上げてしまった人達が「なんか一発逆転のボーナスチャンスとかないの?」とワガママ言うのは聞く必要はないかなと。
「氷河期の負け組」が学習性無力感に打ちひしがれているのは分かるんですが、いつまでも「氷河期だから無気力になるのは仕方がない」で甘え続けるのは自分の人生対して無責任すぎるんじゃないでしょうか?
ましてやそこで「俺たちは氷河期で無気力になってしまった。俺たちの無気力の責任はその時代にあるのだから、俺たちはその分何らかの優遇をされるべきだ。それはそれとして俺たちはもうやる気がないのでやる気は出さないぞ」と言ってしまうのは……。
なんで今になってこんな事言ってるかって言うと、「氷河期世代の負け組」と「非氷河期世代(勝ち負け問わず)」が氷河期世代の負け組が無気力に寄ってダラダラすることによって発生した負債を「氷河期世代の勝ち組に払わせられないか」計算している動きがあるから。
これはマジで勘弁して欲しい。
それに対して「氷河期の負け組の問題は氷河期の負け組の問題であって、それは氷河期の勝ち組が蹴落としてきたというのとは違うんですよ」ということを皆に分かってもらい戦った。
「同じ世代で椅子を奪い合ったんだから、お前たちがそれで負かした奴らの人生も面倒見てやるべきだろ」と言われても困ってしまう。
だってそうやって椅子取りゲームしてたのはずっとずっと前だし、それで今でも駄目な人達はその後の自助努力不足は明らかなんだから。
新卒シーズンの椅子が埋まっていたと言っても、その10年後の比較的温暖な時期に転職活動で新たな椅子を手にすることは出来たはずだ。
私の周囲にも「一度は負け組に転がり落ちたが必死の努力で腕を磨き、実力によって結果を出して続けて、最初の椅子取りゲームでエネルギーを使い切ったような連中なんてとっくに抜き去り気にも留めていない」という理想的な「氷河期の元負け組」がいる。
彼らのような「腐らずに努力を続けた人達」に対して「氷河期だから……」でいつまでもイジイジしている達の面倒を見ろというのはやはり不公平なんじゃないかと思うわけだ。
結局、私が言いたいのは「氷河期だから負け組なんじゃなく、いつの時代でも負け組になっていた可能性が高い人達の面倒まで氷河期に押し付けるのはおかしくないですか?」ということに収束する。
氷河期の負け組が「氷河期だから負けただけだし……」と言ってるのは単なる当事者の供述に過ぎず、実際に他の世代に生まれていたら「バブル景気で浮かれてるし余裕だと思って……」「氷河期よりはマシっていうけどまだまだ……」と言い訳していたんじゃないかと思うわけだ。
こんな連中の負債まで氷河期だからで負わされるのは溜まったものじゃないので、日本全体で面倒を見るべき「普通の負け組」として数えてくれないだろうか?
という話だ。
要約してもらった。
30歳で転職してからは年収が増え、去年ようやく1000万円を超えた。しかし、生活レベルは変わらず、服や旅行は安価なものを選んでいる。家事の外注はせず、全て分担している。欲求はあまりなく、貯金や投資、保険で資産はあるが、誰にも頼らずに自立したいと思っている。話し相手がおらず、この話をしたかった。
35歳過ぎ?くらいの方なのかな。その歳で女性で1000万プレーヤーというのが実際どういう業界・業種でナニしてる人なのかよくわからん地方都市アラフォーオッサンです。
素朴な疑問なんだけど、ぶっちゃけ金融資産いくら持ってていくらまで貯めたいの?
てかその年収で共働きでその倹約意識っぷりだと既に5千万近くあったりするんじゃね?
住宅ローンは借りる方が得なのでキャッシュで家を買うとかは無いとして、うーんでも書いてないけどどうせ首都圏在住なんだろうが、単にまだ子供ができてないだけの既婚とすると、子供できたら資産が爆速で目減りする可能性もあるわけか。
まずその歳でその収入でその資産額は単純にすごいよね。素晴らしいです。
ほんで多分だけど「これ以上に資産をいかに増やすか(最終的には「労働者」から脱却するか)」または「資産はこんくらい維持できれば良いのであとは如何に無理なく生活レベルを上げるかor子供にどんだけ金をかけるか」という分岐点みたいなとこに立っていらっしゃるのではないだろうか。
好きにしてくれとしか言いようがないけどw
ただ「人生の最後に自分の資産をどういう状態にしておきたいか(小梨なのになんか理由があるのか知りませんが、子供がいないと最終的には資産は国に取られておしまいですよ)」は考えておく方がいいんじゃないですか。
今後の人生に幸あれ。
700-800万の間をうろうろし、去年やっと1000万を超えた。
大学は日東駒専レベルでそこまで自分のことを頭のいい人間とは思っていないが器用なタイプだ。
プライベートでは既婚。子なし。
主人との二人の生活が居心地が良すぎる。
1000万稼いでいても生活はそんなに変わらない。むしろ昔の方がお金を使っていた気さえする。
服はユニクロ、旅行は国内で極力安くいける方法を模索して予約するし、ブランド物は買ったとしても1-2年に1つ。(いろいろ調べて絶対後悔しないと判断できた時だけ、衝動買いはなし)
外食も頻度は少なくないかもしれないが、サイゼや回転寿司で豪遊する事を心から楽しいと思える。
化粧品も在宅勤務になってからデパコスをやめた。外回りがなくなりヒール、ストッキングを買わなくなった。飲み会もコロナ以降ほとんどいってない。
コンビニにはほぼいかないし、100g100円以下の肉を買いたいし(せめて130円以下)、飲み物は浄水器を通った水道水。お酒はふるさと納税でビールやワイン、ウイスキーを箱でもらい、あとは炭酸水を作って、サワーやハイボール。これらの缶は一切買わない。
そう。年収が上がったとしても、生活レベルは意識しなければ変わらないのだ。
大学から一人暮らしをして、奨学金を借り、一人でやりくりする事が当たり前。この時に身につけた貧乏性がいつまで経っても抜けない。400万あった奨学金もとっくに返済し終えているのに…
たまに贅沢することももちろんあるが、たぶん世の中の1000万稼いでいる他の人に比べたら、物欲がないのだと思う。小心者なだけかもしれないが。
ちなみに自分のための欲求はあまりないが、主人や親など大事な人のためならいくらでもお金は使いたい!しかし、主人からも親からも求められることは一切なく私の自己満で使っている状態だ。(子供ができたらたぶん大変だと思う。)
貯金、投資、保険と資産はまぁまぁあるが、何かあって一人で生きなくてはいけなくなっても誰にも頼らずに生きていける自立した人間でありたいとも思っている。誰かに自分の全てを委ねることはしたくないし、それが何より恐怖に感じている。我ながら本当に可愛げないと思う。
つらつらと書いてきたが、なぜこんな事を書いているかというと、本当にこの話をできる相手がいないのだ。友達はいるがここまでオープン話せる友達はミドサーになって持てている人がいたら本当に素晴らしいと思う。一度現状をアウトプットして、自分の中でも整理をしたかった。
もちろん友達はいなくはないが、みんな子持ちでキャリアの話もなかなかできないし、年収的に同じくらいの人はなかなか見つからない(1000万超える女性は世の中の1.1%)
趣味はほぼ全て旦那と一緒だから趣味の友達なんていないし、一人でやろうと思えばなんでもできてしまうから不要と思ってしまう。情報なら本やネットから入手できてしまうし、寿司、ラーメン、焼肉、カラオケ、バー、サウナ、スポーツ観戦、買い物、旅行等はむしろ人と予定を合わせることのほうが億劫に感じてしまうくらいだ。
楽しくなさそうな人生と思う人もいると思うが、自分で意思決定してきているからこそ、割と自分の人生は好きだし、仕事で認められてもいるからやりがいもある。
もしこんな生き方に共感してくれる人がいたら、もう少し自分の生き方に誇りや自信をもてるのではないかと思って吐き出してみた。物欲はあまりなくても承認欲求はあるのだと、改めてこの締め方をした自分に感じているところで終わりにする。