はてなキーワード: 渋谷系とは
そもそも世の中には小山田圭吾という人物を今回初めて知ったという人がいっぱいいるわけですよ。
たとえばうちのばあちゃんとか。
あと、名前は聞いたことあるかもしれないけど良くは知らないという人もたくさんいるわけですよ。
たとえば俺とか。
当然そういう人達は小山田さんの過去の悪行なんて知らなかったわけで
ずーっとずーっと許さないと言ってた人じゃないんですよ
そんでうちのばあちゃんとか怒って「今後小山田の音楽なんて聞かない」なんてことはなく
炎上があろうが無かろうが一生聞くわけないんですよ
じゃあ、そんな人には関係ないだろというわけにはいかないんですよ
なぜなら小山田氏はオリンピック・パラリンピックの開会式の担当者なのだから
渋谷系サウンドに関心がなくても、オリンピックという世界的な祭典には大いに関心があるわけですよ
そんで、こんな人がオリパラに関わるのは許せないってことですよ
小山田氏は自ら自身のフィールドから、でっかい舞台に飛び出てきたわけじゃないですか
叩かれるのが嫌なら自身のフィールドに籠っていれば良かったじゃないですか
そしたら悪行は多くの人に知られなかったかもしれないし、一部の人が叩いても
ファンが支持してくれていたわけじゃないですか
これからだって、テレビとかメジャーなところに出るのは難しくなったかもしれないけど
障碍者を虐待していた小山田圭吾に五輪の音楽を担当させて、政府がそれを承認し、NHKがそれを放送するわけですから、誰にも迷惑かけてない大麻使用の芸能人すべてを復権してくれないとなー。
=引用ここまで=
今回は小山田圭吾の件で一丁噛みしている町山智浩ですが、大麻使用芸能人を擁護する程度に留まるだなんて、パトリック・マシアスにパワハラしていた頃の町山智浩にタイム電話で聞かせたら「オメエのtweetは退屈なンだよ! 一般人がオメエに訊きてえことはソコじゃねえだろ!」と怒鳴られるのではないでしょうか?
では、一般人が町山智浩に聞きたいこととは何でしょうか? それは、小山田圭吾のイジメ自慢インタビューを擁護する人間たちが口にする「90年代にはワル自慢、悪趣味自慢を許す鬼畜系ムーブメントとでも呼ぶべき風潮が存在した」という主旨の主張に関してです。
この鬼畜系ムーブメントの有無については、90年代当時に物心ついていた年齢の人たち同士でも、認識には差と言うかグラデーションがあるようです。ムーブメントそのものの有無について、私の個人的な見解を述べると「有った」という人の記憶も「無かった」という人の記憶も、半分づつ当たっていると思います。「有った」と記憶している人は、何らかの形でその狂った風潮とその産物に触れた人間で、「無かった」と記憶している人は、そのような狂った風潮に触れなかった人間というだけのことです。
個人的見解としては、鬼畜系ムーブメントは「限られた領域の、少数の人間による、小規模の狂ったムーブメント」と言っても構わないと思います。だから、あんなムーブメントに触れたからと言って別に偉くも何ともないですし、むしろ「無かった」と記憶している、鬼畜系ムーブメントに触れなかった人の方が正常なのですから安心して下さい。
こういう鬼畜系ムーブメントに触れたことによって「自分は他の人間とは違う!」と、己が偉くなったと勘違いした人間が何をするか知っていますか?一例を挙げると、何か「切り株映画はセカイのシンジツを描いている!」とか馬鹿なことを言うわけです。耳(目?)にタコが出来るほど聞いた、この"切り株映画讃歌"の決り文句を此処で持ち出したのは、別に牽強付会ではありません。
例えば、90年代の鬼畜系ムーブメント、悪趣味系アンダーグラウンド文化を象徴するような出版物として『危ない1号』という鬼畜系ムックがあります(このムックは、90年代の半ばから終わりにかけて発行)。その執筆陣の中には、町山智浩と柳下毅一郎の名前を確認できます。
また別の例を挙げると、一部の精神疾患罹患者が示す"電波"妄想及びそれに翻弄される彼らを、特殊漫画家・根本敬が「電波系」と呼び始め、面白コンテンツとして消費するような悪趣味な風潮を生み出したことは有名ですが、この「電波系」を面白がる風潮に乗っかって雑誌『宝島』『宝島30』でも記事を掲載したり、別冊宝島を出したりしていました。その頃、彼らの言う「電波系」に該当する人が店主として経営する喫茶店に行って、店主が示す奇妙な言動などを陰で嗤ったり面白おかしく記事にしていた人間の一人に、町山智浩がいます。宝島における根本敬の担当編集者は、町山智浩でした。また、根本敬のツテで「電波系鬼畜ライター・村崎百郎」という悪趣味なギミックによるデビューを果たした編集者・ライターの黒田一郎は、ペヨトル工房時代から柳下毅一郎の友人でした。蛇足ですが、根本敬は、嫌韓/嘲韓ムーブメントを生み出した張本人の一人でもあると私は思います。
ここで幾つか例に挙げたのは一部に過ぎませんが、90年代の鬼畜系、悪趣味系の系譜を辿れば、その中に旧体制『映画秘宝』の源流の一つが有ることは確かです。あるいは、悪趣味系のムーブメントを作り出したのと同じ人間たちが生んだものこそが、旧体制『映画秘宝』と言っても過言ではありません。
さて、今回ようやく小山田圭吾は断罪の火刑場に引かれていく羽目になった訳ですが、爆笑問題の太田をはじめ有象無象のギョウカイジンは、小山田圭吾、Rockin' on、Quick Japanを擁護する為に「90年代には悪趣味系が流行ってたという、時代の空気も考慮しないと」などと言っています。
これらの擁護を見た時に私が感じたのは、関東大震災当時の朝鮮人虐殺事件や、戦争当時の性暴力や虐殺のことについて「当時の時代の空気を考慮しないと」と言う人間を見た時に似た気持ちです。
百歩譲って、90年代当時「一般人」だった人間が言うならば、たとえ許容は出来なくても、まだ理解が可能です。90年代後半からはインターネットが少しずつ一般人に浸透し始めていたとはいえ、Twitterのような高い情報拡散性と手軽さを兼ね備えたSNSの普及以前には、まだ名も無き一般人が社会的な流行や風潮を生み出すレベルの情報発信を行うことは、事実上の不可能に近かったからです。また、虐殺事件などにおいて、武装した多数の暴徒を目の前にして怖じ気づいた一般人が、独りで立ち向かうことができなかったと告白・懺悔するのも、これもまだ理解は可能です。
しかし「90年代鬼畜系ムーブメントの流行」を根拠にして、小山田圭吾を擁護しているギョウカイジンの多くは、既に90年代にメディア活動、芸能活動をし始めていて「ムーブメントを作り出す、或いは、影響を与えることが可能だった立場の人間」ではないですか。「オレたちギョウカイジンは、お前ら一般人と違って、世間を動かせるんだよ!」という考えの持ち主だったはずです。例えば、爆笑問題の太田は、当時から過激な発言が売りだったのだから、得意の毒舌で小山田圭吾を「アイツ、イジメ自慢して格好悪いな!」とか攻撃することも、やろうと思えばやれたはずです。反権力的な言動がウリのミュージシャンや文化人も同様です。なのに、それをやらなかったのは、結局は彼ら自身の打算や保身が理由でしょう。ならば彼らは「90年代の時代の空気や風潮」のせいにするのではなく、せめて己自身の問題として「打算や保身、我が身かわいさから、自分という個人は、小山田圭吾の蛮行を批判せずに見過ごした」とハッキリ言うべきなのです。先に虐殺に立ち向かえなかった一般人を例に出しましたが、90年代当時のメディア関係者や芸能人が「当時の空気」と言い訳するのは、関東大震災当時に「不逞朝鮮人」などと世間を煽っていた官憲の人間が、いざ朝鮮人虐殺が起きたことの批判を受けたら「時代の空気が」と言い出すのと同じぐらいには無責任且つ卑劣だと、私は思います。
更に、小山田圭吾を擁護する人間たちを卑劣に感じるのは、彼らが小山田圭吾のしていることを勝手に「過去の話」にしようとしているからです。私は「していること」と書きました。そうです。あの暴力事件を犯して以来、そして雑誌インタビューによって一般人に広く認知されて以来、小山田圭吾は被害者に対して謝罪も償いもせず、謝罪や反省を促す一部のファンからの真摯な声さえも無視し、逃亡し続けているのですから、これは「したこと」ではなく「していること」つまり「終わってしまった過去の話」ではなく「継続している現在の話」です。小山田圭吾の盟友である中原昌也も、小山田圭吾のしていることを「あの頃は」と「終わってしまった過去の話」にしようと画策した卑劣な人間の一人です。渋谷系って本当にダサいですね。石原慎太郎を罵倒することは出来ても、オトモダチのギョウカイジンの悪さは批判出来ない、そんな自称"反権力"作家は、毎朝鏡を見て恥ずかしくなったりしないんでしょうか。
長くなったので、今回は一旦ここまでにします。
古市憲寿が小山田の擁護のつもりで「裁判するにも頭と金が必要だからね」と火に油を注ぎ、それへのフォローのつもりで「あれは結婚祝い」とか変なこと書いてまた炎上しているけど
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/poe1985/status/1416750358521475073
あれってわざとナンセンスな事言って「相手にしてない」って態度示してるだけだと思うよ。
2chで正面切って異論を唱えるIDが来た時に、住民が延々と「好きな寿司ネタ」とかの話をし続ける事があるが、あれよ。
80年代地続きの90年代前半を吹っ飛ばしたのはオウム事件なんだが、この時思想的に責任がある中沢新一は「あれはネタだし」って事を言って呆れられ更に叩かれる事になった。
数年前に衝撃的自死を遂げた西部邁は東大教授だったのだが、80年代末に「あれは学問ではない」と中沢の研究を認めない東大教授会に対抗して中沢擁護の論陣を張り、結局退官してしまった。
そんな西部が体張って人生掛けた自分の研究、カッコつき「学問」はネタだと言ってしまった。んでついでに自分も身に覚えがある浅田彰は「自分も構造の中で逃げろと言ってた訳でw」とか言っちゃった。
ネタだから、本気じゃないから本当の自分は傷つかないのって事を公の場所で言った訳で、自意識のコップの中であーだこーだ言ってたのがバレちゃったのよ。
めいろまなんかも言ってる事だが、そういう文化的土壌というかサンドボックスを吹き飛ばしてしまった、或いはサンドボックスの外郭を外からサーチライトで照らし、それがガキの遊びだったって事を知らしめたのがオウム事件で、その後はオウム以前の言説、思想商売なんか全く出来なくなって環境が一変してしまった。
今回の小山田の問題はそのオウム前のサンドボックスでやってた事がオウム以後である現在、しかも五輪プロデュースという究極の「オウム後」で参照されてる事にある訳だ。
言うまでもないが被害者にとってはそのサンドボックスは機能していなかった。小山田とサブカル糞連中だけが中で遊んでただけだ。
1985年生まれの古市はオウム事件では10歳であるのに、何故かこの思想的サンドボックスを巡らすとリアルから保護されるという認識を持っている。不思議だ。
知のサンドボックスは学問とか大学には必要なものだが、それを現実に影響するところでやると「構造の中で逃げろと言ってた訳でw」って言う羽目になる。
そして今おっさんになって渋谷系のリスナーなんて居なくなり、更に五輪の楽曲担当に選ばれてしまった小山田の立場というのは「内向きのノリ」で擁護できるはずがない。
その辺はオウムの時に10歳だったので判らないのだろうが、浅田彰に聞いてみるとか島田裕巳(オウム事件で大学解雇)に聞いてみるとかあるだろうと思う。
ネット民が矛を収めるとはとても思えない。
渋谷系なんだから渋谷のスクランブル交差点のど真ん中で、車を通行止めにして、通れない通行人のフラストレーションをためながら、
彼が相手にしたことと同じことを彼にさせた上で、飯塚幸三の運転する車をぶつけさせる。
それぐらいしてもまだネット民の怒りは収まることは決してない。
『妹の姉』でも思ったが、この人は自分の「絵の上手さ(下手さ)」にすごいコンプレックスがあるんだよね。
「絵がうまい」って言われたくて言われたくて仕方がない。
まあ、漫画家にはありがちだけど。
でも所詮漫画の絵なんて「伝わるか伝わらないか」みたいなレベルの話でしかないんだけど(絵のクオリティを気にするなら1コマに何か月もかける)、自分が「上手く見られること」が大事らしくて、
そう見えそうな「崩し方」「手の抜き方」も多用してる。
で、未だにそれを消化できてなくて、美大と(またか)、よりもよって京アニ事件とぶつけることで、コンプレックスを解消しようとする漫画だった。
美大生に嫉妬する犯人(要は自分だ)の描写があの体たらくで、美人漫画家の方に自分を重ねて悲劇のヒロインを気取ってるようでは、成功してるとはとても言えないが。
なにより事件を扱う前にしょうもない自分の内面くらい整理しておけよと思ってしまうんだが、なんていうか、それが「天才」と持て囃されるのが現代かあって気持ち。
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
---|---|---|---|---|
00 | 115 | 17318 | 150.6 | 45 |
01 | 119 | 13798 | 115.9 | 48 |
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05 | 47 | 43635 | 928.4 | 39 |
06 | 68 | 45226 | 665.1 | 54.5 |
07 | 85 | 31821 | 374.4 | 49 |
08 | 174 | 12123 | 69.7 | 34 |
09 | 86 | 7067 | 82.2 | 44.5 |
10 | 173 | 15768 | 91.1 | 48 |
11 | 187 | 17783 | 95.1 | 45 |
12 | 219 | 18364 | 83.9 | 39 |
13 | 165 | 16458 | 99.7 | 44 |
14 | 194 | 12999 | 67.0 | 36 |
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オモ(5), composer(6), METAFIVE(7), Oyamada(4), tc(4), 小山田氏(12), クイック・ジャパン(4), 旗本奴(8), Cornelius(7), 2ch.net/(6), 801板(10), いじめっ子(21), 辞退(22), ネットリンチ(17), カルチャー(17), サブカル(18), イジメ(41), いじめ(153), パクリ(25), ミュージシャン(14), 腐(19), 五輪(84), アーティスト(29), ID(34), ひろゆき(26), 板(28), スレ(27), ウンコ(25), 障害者(57), オリンピック(109), 謝罪(49), 音楽(63), 加害者(33), 雑誌(25), 被害者(68), レス(34)
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正しさとは
愚かさとは
それがなにか見せつけてやる
.
当初の予算は3000億
気づいたら10倍になっていた
持ち合わせるわけもなく
.
でも金が足りない まだ足りない
困っちまう これは誰かのせい
あてもなくただ迷走するエイデイ
それもそっか
.
.
はぁ? うっせぇうっせぇうっせぇわ
嗚呼よく似合う
うっせぇうっせぇうっせぇわ
以前あるサイトで、音楽を聞く際はミュージッククリップも見るよね、と発言したところ、非常に反応が鈍かった。
完全否定というわけではなく、何となく違うかなというもの。しかし、かつて渋谷系や90年代ミュージックを聴いてきた自分からは深夜番組で流れるPVは、それ込みで別世界へと自分を連れ出してくれる映画のようなものだった。
しばらくして、すっかりおじさんになった私は久しぶりに音楽の世界を思い出そうとしていた。今はSNSの時代であるからして、選択する音楽は自然とネット世代のものとなった。彼等の主戦場はYouTube。そこでは彼等が作った楽曲とイラスト等込みのPVが流される。このとき冒頭の彼等の反応が鈍かった理由がわかった。PVは80~90のような大げさなロケ地がなく、8ミリフィルムのわざとらしいかっこよさがなく、海岸線をピーコートを着た男女が走り抜けたりもしない。ちょんまげをつけた殿様が吹き矢で狙撃されるわけでもなかった。
イラストは可愛いものから面白いもの、拙いものまで多種あったが、あくまでコラボとして成立した結果であって、PVがアーティストたちを一方的に盛り上げるものではなかった。しかしそれは同時にアーティストを最大称揚するがゆえに、映像美に目が行き映像を作ったディレクターの名前が売れるという構造でもないような気がした。この場所はどこまでもインディーズであると自他共自認しているようでもあった。だから彼等は仕事して挑んだりコンテストに望む様相で挑んではないのだ。一旦完結してあとはSNSのユーザー数が増えるのを待つばかりである。大きなたまねぎの下に集まる気もあまりない。
それから数年たち、PVは再び金がかかるようになった。いや、今でも金はかかってないかもしれない。ロケ地ではなく、少なくとも機材の発達からか、かっこよく見栄えのするPVも見かけるようになったし、有名なアーティストだとイラストも目まぐるしく動くようになった。Live2Dなどの発展もあると思う。しかし未だ圧倒的に遊び足りない印象がある。いわばスタジオ撮りでそこそこの絵が取れたので良しというものだ。最近『ODD TAXI』で有名になった(これはなんとなく悔しい気持ちでいる反面、嬉しさもある)『スカート』はアニメ系PVでも面白いものが多い。まるでNHKの子供番組に迷い込んだようなものや、スカートのボーカルがメタ的に登場するものまである。
自分の好きだった音楽が異世界への扉を開いてくれるという空気が少しずつ復活しつつある。景気の良さ悪さにも関係があるように思えるが、もっとぶっ飛んでて面白く、かっこよいPVや可愛らしいもので少年に戻してほしいと思うのだ。
だからどうするってわけじゃないけど。
渋谷系の終焉期に高円寺とか中央線由来のエログロ文化と謎の融合を始めた時期があって、その流れでQJとかの悪趣味を売りにする媒体が出てきた
。
フリッパーズ解体後に迷走する中で小山田がデス渋谷系とか言い出した時は本当に嫌で、NHKホールでツノつけて棺桶から出てきたあたりで一度見切りをつけた。
例のインタビューはそういうプロモーションの一環だったから、キャラ立てのために露悪的な発言をしてるんだと受け取ってた。
フカシだといいけど本当かもしれない、どっちにしてもこういうこと公言して許されると思ってんなら調子乗りすぎだろ…ぐらいの温度感だった。
媒体に苦情を言うとかそういう発想はなかった。やるべきだったんだろうか。
でも今みたいに「不快感→すぐSNSに投稿」みたいな文化はなかったし、嫌なことがあっても、友達と「なにあれ最悪」と言い合って終わりにする以外の対応なんてしたことなかった。
その頃まで一応ファンだった人間として、甘やかしていたと言われてしまうのか、どうしたらよかったのか、と毎日グズグズ悩んでる。
あの時なんかしたらこんなことにならなかったのかな。
例えば苦情の投書をすれば、謝罪文が載るとかして、後年の騒がれ方を少しは和らげられたかもしれない。
具体的に悪いことしたわけじゃないから反省はしようがないけど、後悔はしてる。
こうなることを少しでも止められるところにいたのにって。
ただやったことの落とし前は本人にしかつけられないから、小山田さんには具体的に何か考えてほしい。学校に問い合わせれば連絡先ぐらいわかるだろう。
この文を書いたことに意図はない。批判はされるべきだし謝罪文出したのも「怒られたから謝ります」レベルで褒められた話じゃないし、今からでもクレジットから名前を削るぐらいはされるべきだろう、みんなの言う通り。
早く身内で自浄作用ごっこしないと大変なことになっちゃうぜ~~~
変にかばい合いとかせず、自分を安全圏に逃げ込ませるためにドンドン身内の臭い所を切り捨てていって、仲間同士で潰し合わないとまとめて死んじゃうぜ~~~
😁本当いい気味だな
小山田圭吾の例の記事を1990年代にリアルタイムで読んでた。
渋谷系ってべつに全然メジャーじゃなくて特に自分の住んでた田舎(茨城)では中学とか高校のクラスで聴いてるのはひとりいるかどうか。掲載誌のロッキンオンジャパンなんかも街の一番大きい本屋で2冊とかの扱い。普通の書店にはなかった。クイックジャパンなんて地元で売ってるの見たことなかった。
小山田の記事も自分以外に読んでいる人なんていないと思っていたし、ネットもなかったから誰かと語り合うこともなく「へ~ばかだな」くらいの感じだった。
オリパラがらみでこんなに大きな話題になったことに正直かなり動揺している。
ふと思い浮かんだのがSNSが炎上するバカッター騒ぎのことだ。友人だけが見ると思っていたSNSにちょっとイキって載せた動画が自分に興味がないはずの他人にまで広まって世界中から非難される。全世界に公開されていることは頭でわかっていても有名じゃない自分のSNSなんて誰も見ないと思ってたのに…。
小山田の今回の件も時代を超えたバカッター騒ぎだなと考えて初めてバカッター当事者の気持ちがふんわりわかった気がしてぞっとした。
中村佑介が「中学生の時に漫画村を観ていたことが、就職活動の時に最終面接であばかれるような」って書いていたのがすごくしっくりきた。
多分"同好の士を探しにフラ~っとスレに立ち寄った"ぐらいの感じでいきなりあの食糞コピペをぶつけられてまぁ狼狽したよね。
心の底からクソだな、という思いと、信じたくねえな、という思いと、
色んな感情が交錯して、まだ10代とかだったし、相当こたえたと思う。
でも、結局コーネリアスとかフリッパーズ聴くのやめるまではできなかったんだよな。
それからも、「良い曲だなぁ」「でも人間としてはクソなんだよなぁ」って
聴くたびに相反する感情に苛まれて、好きなアーティストとして挙げるのもはばかられるし。
定期的に掘り返されては燃えて。
まあ、一言で言うとしんどかった。
もちろん今回の件も。
で、ずっとこういうアンビバレントな思いを抱えて聴いていくんだろうなぁ、って思ってたところで、
今回初めて小山田自身からあの件についての正式な言及と謝罪があって。
あの文章でカタ付けられるなんてファンの欲目だろ、と言われれば、うんそうだね、としか言えない。
(ライターの代筆じゃねえか、と言いたいのも分かる。が、文責:小山田圭吾なのは事実だ)
多分世間からは許されないと思うし、これからも事あるごとに燃え続けると思う。
けど、あれで少しは楽になれた人間もいたということは、ここに書き残しておきますね。
小山田圭吾のやつは、鬼畜系サブカルじゃないよ。QJだから、イキってるやつら、泥水すすってないやつらだよ。渋谷系。東京の裕福な私立中高出身。
そういう、クサイサブカルへのカウンターとして、“ほんとの”サブカルとしてあったのが悪趣味&鬼畜系で、釣崎清隆や村崎百郎や鶴見斉や青山正明や、最初の頃のGONとBUBKAは、本当に救いになったんだよね。世の中はクソだけど、そのクソからでさえ美しい花が咲くときもある、みたいな。あと、やってた人たちは辛そうだったのも共感できた。
なので、根本敬とかみうらじゅんとかは、当時から違うよな、と思ってた。本人つらそうじゃないし、自分の手を汚さないし。奥崎謙三は気の毒だったな。