はてなキーワード: 海賊とは
いいじゃない私の心の中が節分ともっと叫べとガイアがつぶやいているわ!
いいの!
だからあなたの中の暦も今日が節分だって言ってもだれも怒らないから。
変な空気にはなるかも知れないけど、
でも囲炉裏を囲って、
郷土料理を紹介するグルメ漫画って案外無いからいい線いくんじゃない?って思うの。
藤岡弘さんが濃すぎてぜんぜん郷土料理情報が入ってこないでお馴染みなんだけど、
そういった時ってどちらかというと薄味な顔の人の方が、
郷土料理の味も良く見えるような気がするわ。
でもだいたいは
と、そう相場が決まってるわ。
クッキングパパは何巻に渡ってずっとハンバーグ作り続けている漫画でギネスに掲載されそうだけど、
やっぱりハンバーグかつハンガーグらないハンバーグも人気だったわよね。
そんなことを言っていたら私すっかり忘れていたわよ!
虎穴に入らずんば虎児を得ずの如く、
吟味して行く日行かない日とか狙う日替わり定食を決めて今月の行動予定とするわ。
宝物をゲットできないでしょ?
まあおめでたいことが2回あってもいいじゃない。
立春トゥーミーよ。
気付いたんだけど、
やっぱり今日3日に豆まかないと気が済まないご年配の方が多いのかも
豆をのどに詰まらせないように気を付けないとね!
うふふ、
って笑ってる場合じゃないけど、
うふふ。
今日はあったわよ!久しぶりなフィッシュフライサンドなので頬ずりしちゃったわ。
好みによりけりだと思うけど、
ソース付いてなかったように思うけど、
まあシェフが変われば品変わるって言うし仕方ないわね。
炭酸で割ったらちょうどいい濃さわよ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
聖地巡礼とは中世ヨーロッパの封建社会においてキリスト教徒のあいだで流行した、キリスト教の聖地であるエルサレムを訪れる宗教的行動である。
転じて、現代においてはアニメや映画などの熱心なファンが、創作物やキャラクター縁の地を訪ね歩く行為を指す言葉として使用されるに至った。
私も昨年度から今をときめくアイドルグループ乃木坂46好きが高じて、(暇を持て余していたことも手伝い)彼女たちが番組のロケで訪れたり雑誌等メディアで紹介したりしていた場所を巡ることが退屈な日常を彩る楽しみの一つとなっている。
大塚の天祖神社やバッティングセンター、千歳船橋の喫茶店ぱおーん、五反田のデニーズ……
思い起こしてみたがそれほど多くはなかった。
それはさておき、この日記(?)で私が考えたいのは「人はなぜ聖地巡礼をするのか」その理由だ。
聖地巡礼には楽しさがある。
思えば私は日本史と世界史も好きなので、歴史上の史跡を巡ることが旅行に行く際の主目的の一つだったりする。映画のロケ地を訪れることもある。
(前提として書き加えておくが、行ったことがない土地を訪れるのが好きな方であると思う。「まだこのへん歩いたことがないから」という理由で6時間ぐらい散歩することがざらにある)
今も『世界史をつくった海賊』(竹田いさみ著)なる本を読んでいて、大航海時代にマゼランに続いて史上二度目の世界一周航海を達成した海賊、フランシス・ドレーク(ワンピースのドレークのモデル)に関する記述を読んで、「彼の航路を船で辿ってみたいなあ」などと空想に耽っていた。
そう、私はフランシス・ドレークの足跡を辿りたいのである。
乃木坂のメンバーが参詣した神社に自分も赴きたいし、バットを振るったバッティングセンターで、彼女らがそうしたように、自分もバットを振るいたいのだ。
そして、「ここに彼らも、自分と同じように立っていたんだ」などと感じたいのである。
この衝動はなんなのだろう。何故、こんなことをしたいと思うのか。
バッティングセンターで行ったバッティングは、それ自体として面白かった。乃木坂のことがなければ、私はバッティングセンターに行きはしなかっただろうが、バッティングの最中は乃木坂のことは忘れて純粋にボールをバットで的確に打ち返すことに集中していたし、それが成功することに喜びを覚えていた。
しかし、やはりその一連の行為には、「メンバーも同じ場所で同じことをした」という事実認識によって特別な意味を付加され、それが私の心に満足感をもたらしている。
私の記憶には、明らかに「ただのバッティング」以上の色が付いて、この思い出が保存されているのだ。
この違いは何に由来するのか。
まず一つ、見逃せない重要な点は「私は乃木坂が好きである」という事実だろう。これは明らかに聖地巡礼の動機に深く関わっている。
私は何も藤田ニコルや西野亮廣の訪れた場所に行きたいとは微塵も思わない。ニコるんはどちらかと言えば好きだが、出演番組をチェックするほどではない。西野に至ってはどちらかと言えば好きではないし、好きではない人間の縁の地を訪ねたい、その足跡に自分の足跡を重ねたいとは思わない。
フランシス・ドレークのことも、まあ好きになりつつある。(暇があれば伝記を読んでもいいかなと思うぐらいには)
では、好きな人なら誰でも聖地巡礼したくなるのかと言えばそんなことはない。身近な友人のことは好きだが、彼らの足跡を辿りたいとは思わない。
恐らくは、その人物との関係性および距離感が聖地巡礼に向かわせしめる大きな引鉄の一つなのだ。
想像するに乃木坂のメンバーでさえ、もし私が直接的に関係性を構築してしまえば、聖地を巡礼したいという衝動はなくなるだろう。
同じ場所を訪れて、同じことをしたいという気持ちの裏にあるのは、「近付きたいが手の届かない者の存在」を少しでも身近に感じたいという欲求なのだ。
友人という生々しい関係は、最早相手をそういう「聖なる存在」にしておかない。
ただし、友人との関係が何らかの理由で解消され、手の届かない存在になった場合はその限りではない。その最も単純な例は「死別」である。死が二人を分かてば、当たり前な存在は当たり前でなくなり、会いたいのに会えない、焦がれ求める対象になる。
そしてその感慨は、対象と同じ空間的座標に立つこと、そこで同じ行為を追体験することで増幅される。ただ、家でスマホをいじりながらその人のことを考えているだけの時間よりも、その人に少し近付けたような気になる。
その対象は人に限らない、作品、ひいてはその世界観全体も対象になりうる。
私は宮崎駿監督の映画が大好きで、監督がハウルを撮り終えた後に数ヶ月間療養し、次回作の『崖の上のポニョ』の構想に繋がった広島県の鞆の浦や、『耳をすませば』の舞台となった聖蹟桜ヶ丘も訪ねているが、ポニョや雫個人をそこまで好きかといえばそんなことはない。
フランシス・ドレークのことは好きになりつつあると言ったが、やはり人物に対しての好意それだけというよりは、世界史的な偉業であるという点の魅力が大きいように思う。俗な言い方をすれば世界一周にロマンを感じるし、楽しそうである(実際は辛いことの連続だろうが)。
しかし、ドレークな先立って世界一周航海を達成したマゼランの足跡を辿りたいと考えたことはないことを踏まえれば、やはりドレークには読書を通して僅かながら彼の功績やエピソードに触れたことにより、マゼランに感じる以上の魅力を感じていること、それが巡礼への衝動を後押ししていることは間違いない。マゼランのことは何も知らない。何も知らないので魅力も感じなければ、より深く知りたいという動機も起こらない。
(どうやら相手のことを「知りたい」と思うには、まず相手のことを知ることが必要らしい。少なくとも私にとっては。難儀なことだ。)
「手の届かない「聖なる存在」である対象をその足跡を辿り行為をお手軽に追体験することで、少しでも身近に感じること」が聖地巡礼の意義であると一旦結論付けてみる。
ここで唐突に「お手軽に」という制限を付け加えたのは、私はバッティングセンターでバッティングをする程度の追体験はしたいが、乃木坂のメンバーが日々の研鑽を重ねたダンスレッスン場で一年間同じレッスンを受けたいかといえば真っ平御免だなということに思い至った。
一年間彼女たちが受けたレッスンと同様のレッスンを受けることは、彼女たちの辛さや頑張りをよりリアルに追体験することになる。追体験としての質は高い。だが時間がかかりすぎる。ダンスよりもやりたいことがあるし、辛そうなので、暇潰しに週二程度通うならチャンスがあればやらなくもないが、それはもう追体験としての価値は薄れて、一年間におよぶダンスレッスンそのものが持つ価値が問われている。(追記:そもそもこれ、巡礼ではなくダンスでは?)そういう意味で1000円分のバッティングには十分その価値があったし、世界一周航海も同様である。(追記:これも巡礼と言えるのか?場所を訪ねる行為に限定するべきだったかもしれない)
聖地巡礼はお手軽でなければならない。言い換えるなら、その行為自体を楽しめないのならやりたくはない。滝行は楽しそうなのでやりたいが、例えば彼女らが受けていた辛い仕打ちを自分も受けたいかというと難しい。
例えばメンバーの誰かが過去にイジメを受けていたとして、それと同様のイジメを受けたいか。これに関しては少し受けたい。マゾヒスティックな願望ではなく、多少なりとも彼女らの苦労を追体験することは彼女らを理解することにつながるからだ。
しかし、紛い物のそれはやはり本当のイジメ体験とは辛さの質が大きく異なるし、よりリアルに状況を再現するために半年間継続してイジメを受けてくださいと言われればお断りする。あくまでもその一部を、私が本当には辛くならない程度に体験することで、辛さに思いを馳せたい、という程度に存在への接近願望は留まる。
キリスト教徒だってエルサレムには行きたくても、ゴルゴダの丘の上で十字架に磔にされたいかと言えばそんなことはないだろう。ごっこ程度にはやってみたいが、それはごっこ遊び自体が楽しさを持つからである。高所に磔にされて「こえ~」などと言ってるのは楽しいが、手足を本当に釘で打ち付けられるのはたまったものではない。(追記:これも巡礼の話ではなくなっている気がするが、でも巡礼先で対象が何かしてたら同じことやりたいよなあ。(追追記:でもやらなくても巡礼は成立するからやっぱりおかしいね。はい。))
体験の総体として楽しくないならやりたくない。少なくとも私は。この「楽しく」は何も笑顔になったり、興奮したりするといった類の楽しさである必要はない。
心地よい感情が動きがあればよい。
郷愁に浸るとか、感慨に耽けるとか、今風に言えばエモさがあってもよい。「泣く」ことによる感情の発露も、人間にとっては快感であるので、ここで述べる「楽しさ」に含まれる。
いや、違うな。
上に述べたエモさは体験そのものに由来する(既出の例をとればバッティング行為によって引き起こされた)感情ではなく、「行為を追体験している」という事実に付随する感情の動きだ。そこは切り分けるべきだろう。
例えば「同じ場所に立つ」ことも、聖地巡礼に伴う追体験行為の一形態だが「立つ行為そのもの」には特に何の楽しみもない。(立っているだけで楽しい場所もあるが、必ずしもその必要はない)(追記:この例の方が純粋な巡礼っぽい)
先例のイジメのように行為自体は許容範囲であれば不快であっても構わない。これは個人差があるし、対象に対する思い入れの深さによっても許容範囲が変わってきそうだが。
「追体験行為を包含する巡礼行為」が総体として満足感をもたらす体験であればよい。(追記:「巡礼が追体験を包含する」よりも「巡礼に追体験が付随する(ことがある)」が正しい)
距離も重要な要素だ。ここで言及する距離とは、対象との関係性としての距離ではなく、その聖地との物理的距離感である。
遠ければ遠いほど、巡礼を達成した際の体験価値は高い。エルサレムが近所の公園にあったら巡礼の有難みも霞むだろう。
私は電車移動含めて一時間もあれば十分である。しかし、ここまで書いて想像してみたが、家の隣にあった昔馴染みのなんでもない祠が実は家康が足繁く通った祠であったと発覚すれば、そこにはそれなりの感慨が生まれるように思える。巡礼と呼ぶにはあまりにも短距離だし、巡礼としての価値は希薄化するものの、完全に失われることはない。いや、とはいえやはり価値の減少は免れないな。
遠ければ遠いほどいい、というものでもない気がするが。例えば、乃木坂のメンバーが訪れた場所の比較として、私の現在地から大塚のバッティングセンターとパリの街角にあるカフェとの物理的距離には圧倒的な差があるが(もちろんパリの方が遠い)、パリのカフェを訪れた際の感慨がバッティングセンターに比べてそれほど深いかといえば、あまり変わらないような気がする。
これは、「パリ旅行のついで」にカフェを訪れるのか、「乃木坂のメンバーが訪れたカフェを主目的に」パリを訪れるのか、物理的距離を越えんとする直接的な動機がどちらにあるのかによっても異なりそうだが、メンバーが通った小学校とか、生まれ育った地域ぐらいの重要地ならともかく、たかだかロケで立ち寄っただけのカフェを目的に渡仏する気にはならない。
いや前者でも渡仏する気にはならないが、(追記:というかメンバーの母校って言うほど感慨深いか?その頃のメンバーが好きな訳ではないし……)するにしてもそれはやはりそもそもパリ自体が好きで巡礼を抜きにしてもパリに行きたいからであって、パリの一地域を訪ね歩く行為そのものに乃木坂とは無関係に楽しみを見出している。その意味で巡礼行為は「ついで感」が否めない。(追記:「むしろ行きたくない場所への巡礼」を考えてみようと思ったが、思いつかなかった。(追追記:日焼けと車酔いに弱いのでそれらが伴う場所には積極的に行きたくない。苦労した分、到達時の達成感はありそうだが、それは聖地が持つ意味とはやはり無関係。目的地に至る行程に由来する価値を抜きにした純粋な巡礼価値は何によって決まるのか。))
これはもしかしたら聖地巡礼も、エルサレム旅行そのものに少なからず体験としての楽しみが含まれていた可能性もあるが、中世を生きる農民の長旅の過酷さや宗教に対する敬虔さはとても無知蒙昧な私の想像のおよぶところではないので、お叱りを受ける前にこの説は引っ込めておく。
でも伊勢参りとかは楽しそうだよね。明日(もはや夜が明けたので今日なんだが)近所のブックオフで聖地巡礼事情に関する本でも漁ってみよう。
眠いし目も疲れたので「過去の自分への巡礼」とかまだ考えたいことはあったが、このへんにしておく。
おやすみなさい。
最近在宅勤務なのもあって
芸人さんのラジオやトークやネットラジオなんかを雑多に聞き流している。
そうしてるとやっぱり好きなジャンルの話が固まってくるんだけど、最近好きなのは【ない話】なんだよね
エピソードトークだったり、オモシロ体験談話してるなかでちょっと盛られてる部分はもちろん、全くもって虚構の1から100まで【ない話】。
例えば、きのうスーパー行く途中に裏の世界に迷い混んじゃって、裏のスーパーで買い物したわー。みたいな話。(ハライチのターン)
もしくは、麦わら海賊団に差し入れするときなに持ってくのが正解?みたいな話(匿名ラジオ)
こういう話、なんで好きなのか考えてみたんだけど
多分現実と非現実がビミョーーに交わってる部分がキモなんだと思う。
ない話するだけなら、それこそ嘘松とかいわれてるようなのだってあるんだけど
アホな非現実を現実のなかに織り込んでしゃべればオモシロが生まれてくるようなきがする。
スーパーの例だと、裏世界(非現実)と買い物(現実)みたいな。
そんな非現実な話してるのに、なぜかディティールだけが妙に現実的だったり、変に真面目だったりするところがたぶん、オモシロい。
原題:Pirates of the Carribean
原題:Godzilla King of the Monsters
これマジでなに考えてザ取ってんの?
ザがあると響きが悪くなるみたいな?
ならねえだろ大して パイレーツオブザカリビアン、キングオブザモンスターズ 大いに結構じゃん
ヘンにダサい邦題つけるよりそのままの題を活かす方が良いってのは分かるんだけど、じゃあホントにそのままにすりゃいいじゃん
「太平洋の島々」ってなんていうんだろうな、あっそういえば「カリブ海の海賊たち」がパイレーツ・オブ・カリビアンだったな、ってことはIslands of Pacific Oceanか!ってなりかねないだろ theをつけろtheを 海にはtheがつくって知識をタイトルの形で学べるチャンスをフイにするどころか間違った知識を与えてんだよ
ウハウハザブーンとかの方が100倍マシなんだよな なぜ「英語っぽいのに原題から冠詞だけ取り除かれている題」なんてものをわざわざ出すのか
本当に理解できん
水がめちゃちべたいわ!
この時期の風物詩!
注いだそばから液体の水が凍っちゃう超常現象実験映像あるじゃない。
うちの水道から水が出たらそばから固まってそんな状態になったから笑っちゃったわ。
ウソだけど。
ところで、
たまには真面目に仕事をするでお馴染みの私なんだけど、
不慣れな輸出のこと?
大袈裟にそれ輸出というのかも怪しく分かってないんだけど
そういった海外輸出のことを調べていたら
お手上げする前に上げる手もないぐらいややこしいのよね。
すでに、
テストに出る海外輸出のことについてのテキスト赤本を読みたいところだけど、
あんまりそう言うことやったことない不慣れなことはなかなか慣れないわね。
そのオンスとかポンドとかでいきなり詰まっちゃって詰んだーってもう終了したいところ。
おんぶに抱っこって似た節で言い方をしても解けないものは解けないわ。
やっぱりまたドキュメンツをちくちくと読み進めていく地道な作業となるのその辛い辛みに効く特効薬があったらいいわ。
でね、
海外発送でもなんか種類があってまた読み進めなくちゃいけないんだけど、
「海外発送」と「グローバルセリング」って言うもうまたここで分岐点が2つあって
2種類もあるとかよく分からないし、
ぐろーばるせりんぐ?って美味しいの?って平仮名で言っちゃうレヴェルよ
前途多難中の前途だわ!
今日の日替わり昼ランチは何かと尋ねてみたら今月の献立表の紙を昨日くれた給仕さんにも感謝!
だいたい何でも感謝!
だいたい何にでも感謝!
と言うことで、
調べ物してたら
今日の日替わりのことすっかり忘れていたので、
すっかりSwitchずいちゃって冒険癖がついちゃったみたい。
よく分からないけど、
ゲーム遊びたいし
仕事もあるし、
日替わり定食も救いに行かなくちゃ行けないしで
私もハーレーダビッドソンにクリスマスサンタの格好して乗ってクリスマスの告知に走ろうかしら?
にしても
この時期、
ハーレーダビッドソンに乗ってる人は
クリスマスのサンタの衣裳を着てクリスマスの告知に精が出るわよね。
今時、
ハーレーダビッドソン達の人よね。
ハーレーダビッドソンに乗ってる人って、
クリスマス衣裳をこの時期着がちだし
みんなで集まってツーリングしがちでもあるわね。
彼らが街を走っているうちは
何でも無いようなことが
幸せだったと思う
トラブリューの第65536章の一節を引用して今日は締めたいと思うわ。
私は日替わり定食を救いに出る旅にでる!
ってオレは海賊王になる!ってルフィーの節の言い方で言ってみたら、
日替わり定食がまたより一層美味しく感じられちゃうから不思議よね。
今風に言うなら
日替わり定食の呼吸!っても言えるわね!
うふふ。
まぐれ美味しいかも知れないので、
今日も食べて確かめたみたら美味しかったのでリピまたしてみようと思いました。
さすがに寒くて寒い冷たい水飲んだら、
腰に響くわ!ってことで
ほうじ茶でホッとするわ!ホットだけにとかってベタなことは言わないからね!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
二十年以上前の話になるけれど、小学生だった俺は、自分自身が創造したキャラクターに訪われる夢を見た。
彼らは本当に存在していたのだ! と夢の中で俺はとても興奮していた。「早く準備をするといいよ」と、その黒髪の少年が優しく促す中、家に取って返して準備をしていたところで、目が覚めた。
「あれ? 冒険の旅は……?」
そう呆然としつつも、まだ胸の高鳴りは残っていた。この喩えが適切かどうか分からないけれど、某海賊漫画で船長から誘われた船員は、大体似たような気持ちになったんだろうと思う。俺はそんな夢を見た日の朝に、幾分がっかりはしていたものの、夢で味わった旅出の爽やかさは、まるで心の溝をそっと撫でる風のようだった。
それ以来、そのキャラクターが俺の夢に出てくることは無かったけれど、でも、その夢はある意味で俺の道祖神として、その後の人生の招き手となった。
その後、少年期の俺はよく一人で山に出掛けた。知らない町に自転車で行って、その知らない辻を彷徨うのを好んだ。小さな丘を越えて、普段は見えることのない丘向こうの隣町を見下ろした。大きな橋を渡って、隣り島の海辺の町で時間を過ごした。
今では冒険の話を書くことはなく、もっとひっそりとした人間関係の物語を書いているけれど、でもその時見た夢は、俺の原体験として未だに心に残っている。人は誰かに誘われるのではなく、自分自身の呼びかけに従って旅に出るのだ。その時の気持ちを忘れないでいたい。
ちょっと興味あるけど調べるとあんま評判よくないんだよなうーん
ポケモンがたくさんあったけど興味ない
アダルトコーナーへ
スイートナイツがポップにレアゲー!ってかいてあったけど馬鹿言うな
だいぶ前だけどアリスの館456にプレミアソフト!とかポップつけて3kくらいで売ってた糞店だからなあ
エロゲDVDが付録でついてるメガストアとテックジャイアンが大量にあった
たぶん60冊くらい
ラインナップみた
目についたので覚えてるのは、
ライアーのインガノック、NTRゲーの金字塔TRUEBLUE、DARKBLUE、はっぽうびじん原画のやたら評判がいい低価格ゲーなんとか迷宮みたいなの、VIPERシリーズ4つはいってるの(駿河屋買い取り価格1200円でなぜか高かった)、ジブリール1,2、群青の空をこえて、フォークロアジャム(冴えカノの丸戸史明がてがけたオカルトエロゲ)、とらは1-3、魔法少女アイ2,3、夜勤病棟1、姦染2,3、カナリア+青カナリア+カナリア茶(bambooゲー好きだから迷ったけどガマンした)、
最初全部買っちまおうかと思ったけどまずやんねーだろうしかなり迷ってガマンした
もやし2袋だけ買った
ドラッグストアで半額のをいろいろかった
ざっと数えた感じでは以下の21本かな
あと、以下の4本はXBOX版が発売されるまでそれなりに期間が空いてるので判断の分かれるところ
数多くの増田さんの独り言を読んでは、そういう考えの人もいるんだな~と想いを巡らせてきた。
今日、ふと調べてみたら「アニノマスダイアリー」由来の言葉と知り、え、海賊みたいで格好良い!と思った。
自我を持つが自分のものとは分からない言葉の羅列に、何を乗せているのだろう。
きっと見てもらいたい誰かがいるのだろう。
XBOXを推す増田がちらっと話題になってたようなので書いてみる
別にこっちを買えとかあっちを買うなとかいうわけではなく「そんなにXBOXが凄いなら、どうしてプレステよりいまいちなの?」という単純かつ純粋な疑問を抱いている人に向けたものだと思って読んでほしい
ぶっちゃけた話、唯一にして最大の理由は「ソフトに魅力がないから」に尽きる
ここで言うソフトとは「XBOXでしか遊べない超魅力的なソフト」のこと
その指標として、国内外の大手ゲームサイトなどがそれぞれ主催している「ゲームオブザイヤー」の最多受賞タイトルを見てみるとわかる
ゲーム好きを自称する人ならどれもこれも最低でも名前くらいは聞いたことのあるソフトばかりだと思う
さてここで問題
これらのタイトルの中で「XBOXでしか遊べないソフト」はいくつあると思う?
正解は「ゼロ」
一本もないんだわ
さらにもう一年さかのぼって2012年にやっとこさHALO4がランクインする程度
もちろんゲームオブザイヤー受賞タイトルがゲームソフトの全てと言うつもりは微塵もないし、どのソフトをどのハードウェアで楽しむのも個人の自由だし他人がとやかく言う話でもない
ただ単純に、XBOXがプレステに後れを取っている理由について何となく理解してもらえたかと思う
余談だが、2020年のゲームオブザイヤーは「あつ森」「ラスアス2」「ツシマ」の三つ巴になるんじゃないかと個人的に思ってる