はてなキーワード: 権力とは
T紙やC紙は先様の使いやすい絵を提供するもんでなしにデーブ・スペクターあたりに「CalPERSでござい。追って公開質問状を出しますが、ここでは一つだけ。」とさせるべきだったんじゃないかと。
“私は、前職でセクハラされた時に上司に訴えた時の反応を思い出した。”
“「立派な顧問だから辞めさせるな!」とか言い出す、他人の子供の命なんかどうでも良いクソ親”
“子どもを利用したトーンポリシングにも吐き気がする。こんなヤツに拍手するジャーナリストっていったい何なんだ? つくづく気持ちの悪い国になったよ、ニッポン・・・”
民主主義を分かってないな
日本はその国民が責任を果たさずに怠慢をしてるから、こんなのが永遠に放置されるわけ
だらしない奴が湯水のように医療保険使ってるだけなんだよな…
だらしない奴はどこにでもいる。普通はそうならないように社会が動くんだわ。利権があるから国民が怠け者だから動かない。
なぜ日本は、被害者を責めるときだけは性悪説のくせに、社会システムは性善説を唱え始めるのだろうか。
権力者は利権を吸いたがるし権力は腐るのが当たり前、社会の常識の大前提なのに、国民やジャーナリズムの監視機能が怠けて腐ってることを批判しないのが何故なのか謎。
舐めてる老人の過剰医療だわ
保険が手厚い国は他にもあるが、こんなことにはなってないよ
いい加減にしなさい。無知なだけならまだいいが、マスメディアの陰湿さや権力構造を理解していながら未だにオタクカルチャーを叩くことに恥ずかしさを感じないのか?
なぜ少年に性加害を加える犯罪者や企業がこれほど保護されていたのか?
そしてなぜ実際の犯罪を無視して90年代からオタクを叩き続けてきたのか?
はっきり言うがマスメディアの権力構造に都合が悪かったからジャニーズを優遇して、その構造から離れてるおたくカルチャーを攻撃できたんだろ?
ビデオゲームやアニメや漫画がこれだけ世界に広まって、アイドルだらけの日本のドラマや邦画が崩壊した理由はなんだ?
テレビ局が権力構造を利用してエンタメ業界を牛耳ってきたからだろ。
それらの差別的構造を跳ねのけて戦ってきた業界だけが世界に進出できた。
テレビ局の扇動に乗っかってオタクカルチャーを叩き続ける馬鹿は恥を知れ。
性被害を告白した元Kis-My-Ft2飯田さんの勇気は敬意に値する。
現メンバーは何の発言もしないだろうけど、ホントにそれで良いんだろうか。せめて元メンバーがファンからの非難を受けないよう、守ってあげる発言をすべきでないんだろうか。
たとえば、普通の銀行でカネを横領した行員や詐欺をやってた行員がいたら、行内での再発防止策を求めるのは当然だし、意味があることだと思うけど。
仮に「詐欺師がカモを物色するために作り、実際に多くのカモを騙してた銀行」があったら、存在自体が犯罪組織なんだから、内部での再発防止なんて意味なくね? その銀行を潰すのが「社会としての」再発防止策じゃね?
同様に、テレビ局の中に少年をレイプしてたプロデューサーが1人いました、とかなら、テレビ局内部での再発防止策にも意味があるだろうけど。
「常習的な性犯罪者が好みの美少年を物色するために作り、実際に多くの美少年を権力を使ってレイプしてた会社」は、存在自体が犯罪組織なんだから、内部での再発防止なんて意味なくね? その会社を潰すのが「社会としての」再発防止策じゃね?
だから、ジャニーズ事務所の内部調査や再発防止策が不十分だって責められてるのすごい違和感があるんだよね。いや、彼らにそんなもの求めてどうするの? って思っちゃう。
彼らがどんな調査結果や再発防止策をお出ししようが、社会としての結論は1つしかないんだから、彼らにマトモな対応を期待するのをやめて、粛々とその結論に向かって歩みを進めるしかないと思うのだけれど。
「社会人経験はそこそこ長いけどIT関係の職種は未経験」というステータスで入社してきた女性が、
入社1日目にして既婚者である部長Aに「告白」して連絡先を交換し、「仲良く」なって、その後現場に配属されてきた。
彼女は関わるすべての人間を、自分より「上」か「下」かという点でまずはジャッジして、それに則って接し方を変える性質が強いように見えた。
先輩であろうが何であろうが、「下」とみなしたら徹底的に排除しにかかる(その際、すでに陥落済の部長Aの権力も余すところなく動員する)。
「上」とみなした場合、同性なら徹底的に媚びて、取り入っていく。
私は同性だが、なんとなくの雰囲気から「上」とみなされ、媚びて取り入った方がよいと(おそらく)判断された。
ただでさえ女性の少ないIT業界で、特定の同性にベッタリされるのは慣れておらず、当初は若干煩わしさも感じたが、当たり障りなく接していた。
「上」とみなした相手が異性の場合、色恋で取り入っていく。すでに部長Aと意味深な関係であることはまったくお構いなしである。
オタクな男性の多い業界なこともあってか、あっさり陥落していく者も観測された。
厄介なことに、一度陥落する男性は、どんなに理不尽に思えても、彼女の主張に全面同意して味方するようになる。
結果、彼女が排除したいと意図した「下」の者はどんどん居づらくなり、職種未経験であるはずの彼女のやりたい仕事の「やりかた」が、どんどんまかり通るようになる。
そしてそれがルールになる。
そもそも、彼女は口が達者で「正論っぽいこと」をまくしたてるのが得意だった。そこにさらに部長Aの影をチラつかせてくるのだから、普通の若い男子は勝てない。
彼女のやりたい「やりかた」が、正しくて適切なものであればそれでもよかったが
必ずしもそうでないことが多かったため、私も閉口した。が、面倒なことになりそうだから、それをどうしようということも、特にしなかった。
彼女は顔がまあまあかわいく、巨乳で、いかにもオタクの好きそうなピラピラの服を好んで着ていた(ただし太っていた)。
そういうとき、彼女は決まってしこたま飲んで、今でいえば「たぬかな」的な毒舌で、はたまた時にほぼ「嘘」といっていいような話の盛り方で場を喜ばせ、
大抵、最終的にはベロベロに泥酔し、周囲の男に抱きついて離れなかった。
スカートで大股を開き、パンツ丸見えの状態で椅子の上に寝そべってしまったこともあった。
そうして陥落した男のうち何人かは、突如、一転して「下」とみなされるようになって排除されるケースもあり、興味深かった。
あるリーダー(陥落済)の男性が、彼女と私のプロジェクトを受け持つことになり、その初日にこう告げてきた。
「俺は君たちと仕事をするのは初めてだから、まだ信頼関係ができていないと考えている。
信頼している、ということを言い訳にして、管理職としての責務を果たさず部下に丸投げする者を何人も見てきた。
俺はそういうことはしたくないから、これからお互いに信頼を築いていきたい」
「お前ら女のことなんて、俺は信頼しない、とあのリーダーが言った。あんな差別野郎の下では働けない」
部長Aがこれを上に報告し、上も鵜呑みにしてしまったことで、リーダーはお上から煙たい目で見られることとなる。
当の部長Aにしても、都合の良いときはこのように利用されていたものの、普段はもはや見下されているようにも見えた。
また、「上」とみなした異性が色恋で食えない場合が問題であった。
初日にあっさりと陥落した部長Aと比べて不愛想で、一見怖そうに見える部長Bが、あるときから猛烈なアタックを受けるようになる。
そんなあるとき、通常の業務上の「注意」というほどでもない「指摘」程度のことを、部長Bが彼女に対して行ったところ、彼女は態度を一変させる。
「部長Bにセクハラ&パワハラされた!!」と、部署中に触れ回り始めた。
いわく、毎日のように「誘い」を受け、断ったら態度を急変させてきた、というのだ。
これに関しては、実は困惑した部長Bがずっと以前から、ほぼリアルタイムで私に状況を伝えてきていたこともあり、
またのちにすべてのLINE上のやりとりが証拠として大公開されたこともあり、真っ赤な嘘であることが判明する。
嘘は嘘でも実態は逆で、彼女が部長Bを執拗に「誘って」いたのである。
同時にこの件とは関係ないところでも、彼女の情緒不安定は加速した。
客観的には特に何も起きていないのに、業務中、はたまた会議中などに突然、怒り出したり泣き出したりすることが以前より時たまあったのだが
その頻度が決定的に高くなった。
業務ですらない、オフィス内で起こるちょっとした行き違いですら露骨にピリピリとして、周囲を困惑させた。
そんなある日、彼女がいつものように何かよくわからないことで会議中に泣き出した末、
会議終了後に、「もう私会社やめます!」と、涙ながらに私に訴えてきた。
マの悪いことに、これがたまたま本社の幹部連中に近い人間に立ち聞きされており、お上に伝わり、社長レベルを巻き込んでようやく問題となる。
同時に、彼女のこれまでの問題行動、またそれに関して少なからず便宜を図ってしまっていた部長Aの挙動がすべて明るみとなり、
最終的に、彼女は「訴えてやる」というようなことを言いながら、なかば追われるように自主退職していった。
「訴える」の主訴は部長Bによるセクハラ&パワハラということだそうで、会社としては「おう、やるなら受けて立つぞ」という姿勢であったが
余談ではあるが、この期に及んで彼女を庇った先のリーダーは、その不用意な庇いだてが原因で決定的に社長の信頼を失い、
彼女が会社にいた間、最初から最後まで、祭りみたいな騒ぎだった。
結局1年以上のつきあいで、情は生まれていたものの、正直ホッとしたという気持ちの方が大きかった。
というのも、彼女は部長Bが食えないとわかって、自分が会社から不信感を持たれているという空気を理解するにつれ
私が部長Bとデキているという思い込みを強め、私が部長Bとグルになって彼女を排除しようとしていると、
私はそれが我慢ならなかった。
私だって、すべてにおいて清廉潔白で生きてきたというつもりはないけれど、
少なくとも、職場の権力者を色恋で抱き込んで思い通りに進めようなどという下品なマネは、絶対にしない。
お前と一緒にするな、と思った。お前がそういう人間だから、そんな疑惑が生まれるんだろうと。
彼女がいなくなり、平和な日々が返ってきて、冷静になって思い返せば、とにかく最初から最後まで彼女の目的がわからなかった。
周囲から見れば、彼女の立場を脅かすようなことは本来、何も起きていなかった。
彼女は少なくとも彼女自身の「作業」に関しては、平均よりもよくできる人だったし、覚えが早く頭の回転も良かったから、
普通にやってさえいれば、間違いなく、普通に重宝される人材になれていたはずだった。
彼女が、必要もないのに勝手に人を排除して、必要以上に人と親密になろうとして、勝手に情緒不安定になって自滅していった。
ただそれだけのことだ。
当初から「すべてを思い通りにしたい」という意識が強かったようではあったが、
それがだんだんとエスカレートし、もはや「すべてが理想通りでなければならない」といったスタンスに変化していったように見えた。
会社の近所に住んでいた彼女は、その後も付近の飲食店等で会社の悪口を言いふらすなどしていたが、
組織が組織としてある程度マトモに機能していれば、もしかしたら大きな問題にはならないのかもしれない。
答えよう
嫌がってるから嬉しいのだ
半ば無理やりだから悦びになるのだ
嫌がってるのに、男の体が興奮してるのが分かる
嫌がってるのに気持ち良がってる
これほどの愉悦はあるか?
少年は美しい
汚れていない
私の世界を作りたい
私が王だ
私のものだ
私の言う通りに彼らは動く
そんな王国を作ったのだ
それと一緒さ
ただ我々はその対象が男だったというだけだ
フェミニストなのでアンチフェミと穏やかに対話してたんだけど、話がマジで通じない。
フェミニズム思想どうこうとかじゃなくて日本語の理解の部分で躓きすぎて本題に入れない。単純な事実とか、すごく簡単な構造の文じゃないと理解できない様子。
しかも読み取れてなくても「分からない」とは言わずに、分かってないまま話を進めようとする。もしかしたら何が分からないのかも分からないのかもしれない。分からないのが当たり前なのかも。これは、支援級で見た子たちの振る舞いそのものだ。
旦那や男友達女友達はワイのそのフェミ文を難なく読める理解できるし分かりやすいとまで言っていた。そもそもライターとして寄稿した経験もあるのでワイの書く文章がわかりにくいわけではないと思う。
彼らが話す言葉も、事実や学問や意見や感想などのレイヤーがごちゃ混ぜになっていて、それはあなたの感想だよね、そこは意見だよね、それは事実だよね、と整理する必要があって全然噛み合わない。抽象概念の理解が難しいようだった。
小学生の段階で勉強に躓いている子は国語ができないと聞いたことがあるが、その子たちが大人になったらおそらくこんな感じなのだろうなという雰囲気。
煽りではなく、アンチフェミの方々は殆どが言語理解に問題のありそうな人ばかりだった。発達障害とか、境界知能とか。
何かの本で、フェミニストになる女性とは、わざわざ体制や権力に立ち向かうような人物なので女性の中でも賢く勇敢な上位の女性が多く、
アンチフェミになる男性とは、男性の中でも障害を持っていたり落ちこぼれだったりする下位の男性なのだというのを読んだことがある。
これは、フェミニストとアンチフェミは話が通じないわ、と思った。
フェミニストは博士号持っててばんばん論文引用したりしてくるのに、アンチフェミは感想と事実の区別がついてないんだもの
世の中の親御さんたち、少しでも怪しいなと思ったら障害者支援を積極的に受けてください。普通学級や普通の子として育てたい気持ちはわかりますが、必要なサポートを受けられない方がその後苦しみます。
ここに欠けているのは、人類の進化についての真の理解である。第3章で、G&Wは、人類学の主流派のコンセンサスとされる、現存するアフリカの狩猟採集民-「小さな移動集団」で生活する素朴な民-に私たちの採食祖先をなぞらえたことを批判している。そして第4章で、彼らは考えを変える。人類学の主流派のコンセンサスとは、オーストラリアのアボリジニのような狩猟採集民のことである:
大陸を半周し、まったく異なる言語を話す人々の間を移動しても、キャンプは自国と同じようなトーテムの部族に分かれている。このことが意味するのは、住民の半分は彼らに歓待の義務を負いながらも「兄弟」「姉妹」として扱わなければならず(そのため性的関係は厳禁だった)、もう半分は潜在的な敵であると同時に結婚相手でもあったということだ。
ルイス・ヘンリー・モーガン(1877年)は、いわゆる「分類的」親族関係の発見に基づいて、私たちの学問分野を創設した。その原理は「兄弟の同等性」として要約できる。たとえば2人の兄弟は、その関係性に関して互いに相手の立場に立つ。ある女性は妹に、『あなたの子どもは私のもの、私の子どもはあなたのもの』と言うでしょう。だから、子供に関して『私有財産』という概念はない。家族生活は『核家族』ではない。すべての子どもは、数多くの異なる「母親」や他の支援者である親族の間を自由に行き来することができ、大人になるまでそのような自由を享受し続ける。
人生がこのように構成されるとき、その結果は並外れたものとなる。誰もが、広大な地域に広がるつながりの鎖の中で、形式的には互いに同等に扱われる「兄弟」や「姉妹」からのもてなしを期待できる。この結果のひとつは、国家が成長する土壌を持たないということだ。人々が自主的に組織化され、互いに同盟を結び、育児やセックス、ダンス、家庭生活の喜びがより共同的に経験されるようになれば、国家が入り込んで埋めるべきデッドスペース、つまり社会的空白はなくなる。国家に取って代わることなく国家を廃止することはできず、共同体的な家族生活(今日の世界では、自己組織化された近隣地域やその他のより広いコミュニティ)は、そのためのひとつの方法なのである。
不思議なことに、グレーバーとウェングローはその長い著書の中で、親族関係についてほとんど何も語っていない。グレーバーとウェングローは、モルガン=エンゲルスのパラダイムを批判する代わりに、『家族、私有財産、国家の起源』(エンゲルス1972[1884])におけるエンゲルスのヴィジョンをひっくり返している。彼らの言う「はじめにあったもの」は、私有財産、宗教、そして国家である。第4章の結びの言葉を引用すれば、「私有財産に "起源 "があるとすれば、それは聖なるものの観念と同じくらい古いものであり、おそらく人類そのものと同じくらい古いものであろう」。マーシャル・サーリンズとの共著『王について』(2017年)では、神の王や森の精霊のような想像上の超自然的な存在が常に人々に対して権威を行使してきたのだから、国家の原理は人間の条件の不動の特徴であるとさえグレバーは示唆している。
アナーキストが私有財産と国家の必然性を受け入れるのは逆説的に思えるかもしれない。しかし、『万物の黎明』はそのメッセージに重みを加えている。そう、著者は言う。アナーキスト的な自由は実現可能だが、それは貴重な瞬間や飛び地に限られると。個人的には、すでに燃え尽きようとしている惑星に、どのような「飛び地」があるのか想像するのは難しい。グレーバーとウェングローは、「もうひとつの世界は可能だ」という革命的スローガンを放棄したようだ。代わりに彼らが提示するのは、「階層と平等は、互いに補完しあうものとして、ともに出現する傾向がある」という悲痛なメッセージだけである(p.208)。(p.208)彼らは、どこか別の場所で抑圧を受け入れなければ、ある場所で自由を手に入れることはできないと言っているようだ。
このような批判はあるが、本書の重要な点は、振動を提唱していることである。すべての生物には脈動がある。生きては死に、目覚め、眠り、息を吸っては吐き、季節の移り変わりや、私たちの生命に優しい地球・太陽・月の軌道系のその他多くの周期性によって動かされているのだ。
私たちは、物理的にだけでなく、社会的にも政治的にも、惑星地球をもう一度回転させる必要がある。これは、人々に配慮と支配や統制を混同するなと言うことでできることではない。それは、学校のストライキを支援し、そのピケラインで歌い、職場まで行動を広げ、通りで踊り、交通を遮断し、資本主義を完全に停止させることによってなされるのだ。
しかし、いったん主導権を握ったら、次はどうするのか?ストライキが長引けば、すぐに飢餓に陥る。だから、揺り動かそう。例えば、週1回の学校ストライキをもっと長くし、月に1回実施し、賃金奴隷から全人類を解放するまで世界中に広げよう。炭素排出量は即座に50%削減される。それから仕事に戻り、必要に応じて再編成する。資本主義に逆戻りしないと確信できて初めて、仕事に戻るリスクを冒すことができる。そして、次の新月には子どもたちとともにピケラインに戻ると誓い合って初めて、それを確信できるのだ。世界が再び揺れ動き、息を吹き返すまで、私たちは権力を奪い、それを放棄し続けるのだ。未来を取り戻そう。家父長制でも母系制でもなく、月による支配のようなものを。
それは、最初の人類革命の階級とジェンダーの力学を、今度はより高い次元で繰り返すことだ。このようなことは可能なのだろうか?みんなに議論を開いて、何ができるか見てみよう。それはきっと、活動家であり人類学者であるデイヴィッド・グレーバーが望んだことだろう。