はてなキーワード: 東のエデンとは
幼少期に見ていたアニメは聖闘士星矢とか北斗の拳とかそういう世代だ。まだアニメがどうとか考えもしない年頃だからそんな程度で次に行こう。
普通のアニメ、すなわちドラゴンボールなどは幼い頃から見ていた。僕はやはりベジータが好きだった。ドラゴンクエストアベル伝説とかも好きだった。デイジーが好きだった。当時はまだ隠れヲタではなかったが、恐竜惑星などは好きだったし、ワタルとかキャッツアイとかうる星やつらとからんまとかも見ていた。
AKIRAも小学生の頃に見た。Vガンダム、G、Wあたりも飛び飛びでは見ていた。Vガンダムに関してはマヘリアさんが好きだった。
中学の頃、僕は自分専用のテレビとビデオデッキを買ってから、本格的にガンダムにハマった。ガンダムはファースト、Z、ZZ、逆シャアぐらいを見た。このガンダムの見方ぐらいからはもうヲタの見方だった。レンタルビデオ店で1話漏らさず見ていたのだ。僕はフォウ・ムラサメが好きだった。あの精神の不安定さにハマった。
中学の段階では、僕はまったくヲタとは言えない。ただのガンダム好きなやつだ。高校でヲタ友達に出会い、全く変わってしまった。
高校時代、僕は服装にも無頓着で無印とか着ていた(私服の高校だった)。校内では本当にオタクだと思われていたらしく「アニメイトとか行ってる」と笑われていたが僕は一度としてアニメイトには行ったことなかった(いまだにない、そもそも行っても何も買う金がなかった)。
本格的にヲタになりだすのは、エヴァンゲリオンに始まり綾波レイの妄想を繰り返す頃からだ。2ndRingというアヤナミストが書いた二次創作小説を読んだりもしていた。綾波レイ以降の無機質系はいまだに心が揺さぶられる。
高校ではヲタ友達に影響されヲタ向けのアニメを見るようになる。てなもんやボイジャーズ、アキハバラ電脳組、機動戦艦ナデシコ、カウボーイビバップ、ブギーポップは笑わないなどをレンタルした。カウボーイビバップを好きな人は多かった。ナデシコも有名だったから、友人の一人は思兼をデスクトップの壁紙にしていた。
逮捕しちゃうぞ、無限のリヴァイアス、マイアミガンズ、スクライドなどは深夜アニメで見た。リヴァイアスはあの暗さと人間関係の生々しさが本当に好きだった。スクライドはチャンピオンのマンガも話題になっていた。そう、当時はメイドが流行っていて、まほろまてぃっく、鋼鉄天使くるみ、花右京メイド隊なども見た。ただこのあたりは全話見ていない。ガンダム08小隊とかも全部は見ていない。何故かパトレイバーやマクロスは全く見ていない。
ヲタの友人はカードキャプターさくらを「キャプくら」などと呼んでハマっていたが僕は見ていない。ただこの当時ネットでも「さくらタンハァハァ」とかが流行って、ネットというか2chですね、ハイ。デ・ジ・キャラットも流行っていたが見ていない。
当時パソコン、インターネットを始めた影響もあって、To-HeartやKanonなどのアニメも見た。この辺りになってくると完全にヲタだ。堀江由衣が好きでCDも買った。アークザラッドのアニメも見た。
高校を卒業してからというもの、ヲタ友達がいなくなった。僕の通っていた大学はバカ大学だったからチャラいのばかりで、ヲタバレしようものなら生きていけなかった。仲良くなった人がたまたま普通の人だったから、ヲタ友達とつるむという事もなかった。大学1年生の頃に初めて彼女ができ、その前後から僕は隠れヲタになっていた。ただ隠れているだけなので、いくつかアニメも見ていた。
攻殻機動隊スタンドアロンコンプレックスは本当に面白かった。2ndギグよりも笑い男事件が社会性を帯びていて良かった。フルメタル・パニック、藍より青しなども見た。プラネテスはマンガ編でも触れたが、アニメのほうが先だった。NHKかどこかでやっていた。音楽も良かった。舞HiMEみたいなヲタアニメも引き続き見ていた。この頃は既に深夜アニメがかなりたくさんあり、僕はその内の一部しか見ていなかった。
アクエリオンなんかは当時流行っていたけれど僕は見ていない。エウレカセブンはその不人気にも関わらず全部見ていた。最終話の一つ前のアネモネが良かった。舞乙も見た。舞乙に関してはネットラジオも聞いていた。この時の小清水亜美が好きだった。全盛時だと思う。
涼宮ハルヒの憂鬱で僕が長門萌えをしないわけがない。かなり後だが消失の映画も見た。消失に関しては既にラノベが出ていたから、映像化されるのを待てずに読んでしまった。僕の初ラノベが消失だった。その後コードギアス、グレンラガン、らき☆すた、鉄腕バーディー、恋姫†無双あたりは見ていた。グレンラガンも最終話の一つ前が感動だった。鉄腕バーディーはアニメから入ってマンガも読んだ。ガンダムにしろAKIRAにしろ攻殻にしろプラネテスもそうだが、この手の近未来系SF物が僕は本当に好きだ。
大学を卒業してからはさすがに忙しくなり、アニメを見る頻度は減っている。
サムライチャンプルーは放送当時見ていなかったが後から見た。ある意味カウボーイビバップに似ていたと思う。ラストエグザイルも後から見た。タチアナ・ヴィスラにハマった。
けいおんも後からだった。ネット(2ch)の書き込みにある「あずにゃんペロペロ」は「えるたそ~」並に意味わからなかった。僕はムギが好きだった。学園祭の回で曲が終わったのにムギが伴奏を続けてアンコールみたいな形になるシーンとか好きだった。けいおんについてはマンガの続きがあるから再度アニメ化してほしい。
東のエデンのノブレス携帯には憧れた。iPhoneでジュイスの声を使っている動画があった。
化物語は初期が好きだった。最近までやっていたのも見ているが、僕は忍野がいた化物語が好きだ。ここからはかなり最近の作品になる。とある魔術の禁書目録、学園黙示録、俺妹、イヴの時間、氷菓、織田信奈の野望、有頂天家族、攻殻機動隊アライズも見ている。当然ながら新劇エヴァも見ている。しかしなぜか、まどか☆マギカは見ていない。
実質的に僕は高校時代がヲタ全盛時だった。この頃は隠れてもいなかった。ネットの影響と深夜アニメが充実してきたことが大きかった。僕の場合、ヲタか否かを分けるのはこのアニメの項目にある。映画やマンガに関しては普通のばかりだが、アニメに関しては一般人の目も当てられないような萌えアニメも見ている。もう一つ挙げるとすればインターネットだ。
歌った曲(入力した曲)一覧を帰りに渡してくれるサービスとかあったらいいなぁ。
1.言ノ葉(刀語)http://www.kasi-time.com/item-66917.html
2.続・溝ノ口太陽族(天体戦士サンレッド)http://www.kasi-time.com/item-45504.html
3.ごはんはおかず(けいおん!!)http://www.kasi-time.com/item-49801.html
4.CORE PRIDE(青の祓魔師)http://www.kasi-time.com/item-53617.html
5.創聖のアクエリオン(創聖のアクエリオン)http://www.kasi-time.com/item-4110.html
6.ジョジョ~その血の運命~(ジョジョの奇妙な冒険)http://www.kasi-time.com/item-64604.html
7.ライオン(マクロスF)http://www.kasi-time.com/item-35900.html
8.タチアガレ!(Wake Up, Girls!)http://ameblo.jp/kana6525/entry-11754991101.html
9.愛をとりもどせ!!(北斗の拳)http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=38437
10.1/3の純情な感情(るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚-)http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=38437
11.ラマさんのラママンボ(しろくまカフェ) http://www.kasi-time.com/item-67948.html
12.Tell Your World(Google CM)http://www.uta-net.com/song/127069/
13.YOU GET TO BURNING(機動戦艦ナデシコ)http://www.kasi-time.com/item-5835.html
14.午後の待ち合わせ(ノラガミ)http://www.kasi-time.com/item-70343.html
15.哀戦士(機動戦士ガンダムII・哀戦士編)http://www.kasi-time.com/item-6141.html
16.英雄(ウルトラマンネクサス)http://www.kasi-time.com/item-28882.html
=早くもデザート登場=
17.SKILL(第2次スーパーロボット大戦α)http://www.kasi-time.com/item-21.html
18.トポロジー(ロボティクス・ノーツ)http://www.kasi-time.com/item-65671.html
19.シンクロマニカ(ガリレイドンナ)http://www.kasi-time.com/item-69407.html
20.Stand Up!!!!(てさぐれ!部活もの)http://www.kasi-time.com/item-69171.html
21.炎のさだめ(装甲騎兵ボトムズ)http://j-lyric.net/artist/a00ab58/l012783.html
22.BLOODY STREAM(ジョジョの奇妙な冒険)http://www.kasi-time.com/item-65253.html
23.明正ロマン(重音テトオリジナル曲)http://www24.atwiki.jp/utauuuta/pages/2104.html
24.ニルヴァーナ(妖狐×僕SS)http://www.kasi-time.com/item-64703.html
25.futuristic imagination(東のエデン)http://www.kasi-time.com/item-42576.html
26.一斉の声(夏目友人帳)http://www.kasi-time.com/item-36300.html
27.希望の宇宙の…(ギャグマンガ日和)http://plus.himote.in/blogs/viewstory/3507
28.sister's noise(とある科学の超電磁砲S)http://www.kasi-time.com/item-66544.html
29.only my railgun(とある科学の超電磁砲)http://www.kasi-time.com/item-45162.html
=シンクロした!=
=出てきたパンがマギー審司の耳っぽい?=
30.Take Your Way(DEVIL SURVIVOR2 THE ANIMATION)http://www.kasi-time.com/item-66920.html
31.Beautiful World(ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序)http://www.kasi-time.com/item-20068.html
32.紅蓮の弓矢(Linked Horizon)http://www.kasi-time.com/item-67546.html
=大人の都合により?歌詞が表示されず……が、プロの集まりなので問題なし。=
33.聖闘士神話~ソルジャー・ドリーム~ http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=S01525
34.motto☆派手にね!(かんなぎ)http://www.kasi-time.com/item-38260.html
35.eternal reality(とある科学の超電磁砲S)http://www.kasi-time.com/item-68154.html
=レールガンを撃ち尽くした=
36.不明(BPM200くらいの超速、冒頭ドラム連打から、女声ボーカル曲??、演奏中止)
37.God knows...(涼宮ハルヒの憂鬱)http://www.kasi-time.com/item-1209.html
38.secret base~君がくれたもの~(10 years after ver.)(あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。)http://www.kasi-time.com/item-53442.html
=次を歌いたくもあり、画面と後奏で余韻を楽しみたくもあり=
39.Chase the world(アクセル・ワールド)http://www.kasi-time.com/item-61054.html
40.きみのためなら死ねる(きみのためなら死ねる)http://j-lyric.net/artist/a051215/l0193d5.html
41.FLY ME TO THE MOON(新世紀エヴァンゲリオン)http://www.kasi-time.com/item-7961.html
42.残酷な天使のテーゼ(新世紀エヴァンゲリオン)http://www.kasi-time.com/item-7960.html
43.ゲキテイ(檄!帝国歌劇団)(サクラ大戦)http://www.kasi-time.com/item-32922.html
44.DAYS(交響詩篇 エウレカセブン)http://www.kasi-time.com/item-23916.html
45.魂のルフラン(新世紀エヴァンゲリオン シト新生)http://www.kasi-time.com/item-5994.html
46.meditations(fripSide)http://www.kasi-time.com/item-51292.html
47.真赤な誓い(武装錬金)http://www.kasi-time.com/item-3246.html
48.ペガサス幻想(聖闘士星矢)http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=38074
=最後のメンバー。「33.聖闘士神話~ソルジャー・ドリーム~」とかぶらないのが流石!=
49.コネクト(魔法少女まどか☆マギカ)http://www.kasi-time.com/item-52119.html
=あれから3年……=
50.ウィーアー!(ONE PIECE)http://www.kasi-time.com/item-15866.html
51.ダンバインとぶ(聖戦士ダンバイン)http://www.jtw.zaq.ne.jp/animesong/se/danbain/danbain.html
52.勇者王誕生!(勇者王ガオガイガー)http://www.kasi-time.com/item-35419.html
53.Don't say "lazy"(けいおん!)http://www.kasi-time.com/item-41988.html
=お時間が……=
54.BELIEVE(めだかボックス アブノーマル)http://www.kasi-time.com/item-63915.html
55.マジンガーZ(マジンガーZ)http://www.uta-net.com/song/2270/
=パイルダー「「「「「「「「オーン!!!」」」」」」」」=
http://d.hatena.ne.jp/Rootport/20131015/1381840117
2013年9月でテレビアニメ『ガッチャマンクラウズ』は終了したが、それに絡めて(上記URL)書かれたガッチャマンクラウズの描像に違和感を覚えたので、それをきっかけにして『ガッチャマンクラウズ』について私が考えたことを記しておきたい。尚、本稿は読者が『ガッチャマンクラウズ』を最後まで観ていることを前提に書かれている。
さて、上述したブログの筆者(以下Rootport氏)の見解を一言でまとめるなら、『ガッチャマンクラウズ』とは「社会秩序を守るタイプのヒーローが、秩序の破壊と変化を受け入れる物語」ということになるだろう。だが私は、寧ろそうでなかったからこそ『ガッチャマンクラウズ』は面白かったのであり、現代日本的ヒーロー像を書くことに成功したのではないかと考えている。つまり、『ガッチャマンクラウズ』に登場するヒーローたちは元々が「社会秩序を守るタイプのヒーロー」ではないのではないかということだ。Gメンバーは一ノ瀬はじめが加入するまで確かに襲来する宇宙人達から密かに地球を守っていたが、それは単にJ.Jの指揮下で仕事をこなしていただけであり、奉仕していたのは地球とは文字通り次元の異った高度な秩序である。社会秩序に「人間の理解すら及ばない高度な秩序」は含まないだろう。地球のガッチャマンたちがやらされていたのは全貌を見渡すことのできない「大きな」仕事の一部でしかない。それは結果として地球を守っていたのかもしれないが、積極的に「地球を守る」こととは明らかに違う。『ウルトラマン』が全宇宙的な秩序を守ると言いつつ地球準拠の正義に隷属しているのとは対称的だ。
だが、はじめが加入したことで、ガッチャマンの内実は明らかにそれまでとは異ったものとなる。敵として認識されていたMESSは無害化され、「本来は手出ししない」はずのローカルな事件へ次々と関与していくこととなるのだ。その中でGALAX開発者:爾乃美家 類と出会い、ベルク・カッツェとも関わってゆくこととなる。はじめは何を変えたのか?ガッチャマンたちの「社会秩序を守る」という規範意識か?いや、違う。彼女が齎したのは、そもそも彼らが持っていなかった視座、即ちJ.Jが体現する高度な秩序から離れたローカルな秩序への眼差しである。はじめはそれまでのGメンバーの誰もが実は見ていなかった足元に、持ち前の強引さと直観で目を向けさせた。はじめの出現とベルク・カッツェの暗躍を通して初めて彼らはローカルな秩序と結びついたのである。端的に言って、『ガッチャマンクラウズ』は「社会秩序を守るタイプのヒーローが、秩序の破壊と変化を受け入れる物語」ではない。変化を受け容れるのは神々の視座に安穏としていたヒーローたちの方で、ローカルな社会秩序=ネットはGALAXによって既に変化をはじめていた。自分たちの変化を受け容れたヒーローは、受け容れて初めてローカルな社会の変化を知りその実感を得るのである。自分が大したことないヤツだと思い知らされたからといって不貞腐れている場合ではない、自分の能力に怯えてうつうつしてる場合ではないと気づき、彼らはようやく立ち上がった。
はじめとベルク・カッツェは真逆の方向からそのことをGメンバーに知らしめる役目を負っていた。彼らはインターネットの正負両側面をそれぞれが体現していたのだ。はじめは世代や職業を越えた人々と繋がりが生むポジティヴな連帯を、ベルク・カッツェは猜疑心と加虐性を無限に増幅させて破壊を生み続けるネガティヴな連帯を象徴し、各々自らがその先頭に立つことで「流れ」を引き込もうとする。この両者は、決してバランスのとれた均衡の上で争っているのではない。はじめがネットツール:GALAXに依拠しながらもあくまで立川市内という極ローカルな連帯を核にしている一方、ベルク・カッツェはネット上にありふれた不満と破壊衝動をほんの少しつついてやるだけで、姿を見せることなく、文字通り「どこからでも」破滅の種子をばら撒くことができた。彼(彼女)が立川に拘ったのは、まさに憎むべきガッチャマンたちがそこを拠点としているからでしかない。この圧倒的に不利で不均衡に思える状況の中で、劇中唯一元来の意味でヒーロー的活躍をしていたのがはじめだ。彼女は一切ブレることのない精神の有り様でローカルな視座から遊離していたガッチャマンたちの視線を「足下」に惹きつけ、ネットの向こう側に存在する人々と結びつけた。これに対し、ベルク・カッツェは爾乃美家 類の能力:クラウズを奪ってネット内で辛うじて留まっていた憎悪と欲望を直接現実世界へと送り込んだ。両者が別々の形でネットと現実を接続させ、物語はクライマックスを迎える…
正体を明かし、それまで触れることのなかった他者を知ったガッチャマンたちは、その時はじめてヒーローになった。はじめて守りたいものを思い浮かべ、傷つきながら戦い、己の無力さを痛感するヒーローの入り口に立ったのだ。それまでの彼らは、与えられた力で全貌の知れない「高度な秩序」に奉仕するだけの傀儡だったとも言えよう。だが、各々の意志で翼を広げて立ち上がった彼らは、従うべき規範を越え、ローカルな秩序を守ることに全力を尽くす。しかし、立川を防衛するという一見ローカルな戦いは、爾乃美家類によってGALAXを通したグローバルなゲームと直接接続された。そのことによって、ローカルはグローバルな舞台となり、グローバルな力がローカルに及ぶ。暴走するクラウズとの戦闘に、Gメンバーとゲームの参加者達は勝利する…皮肉にも、そしてある意味当たり前のことだが、これはベルク・カッツェが行ったことと表裏一体である。いや、同じことだと言ってもいいだろう。彼が先に仕掛けたのは、まさに類が提案したゲームであり、参加の動機付けだけが異なっていたに過ぎない。だからこそはじめは「正義ってなんなんスかね~」と戦いの後で口遊む。彼女は理解しているのだ。理解しているからこそ、ベルク・カッツェとの対話を試みる。
ネットだけでも、人智を越えた力だけでもダメなのだ。戦いを終え、ようやく彼らは入り口に立った。ゲーミフィケーションが世界を救ったようでいて、実は違う。GALAXは、単体では無色透明なツールでしかない。そこに参加する者達がどのような動機を持っているのかによって、はじめにもカッツェにも成り得る。目指すべきは秩序を根底から覆す変革ではなく、既にある秩序の漸進的な「アップデート」なのだ。
『ガッチャマンクラウズ』は「ヒーローは最早必要なく、世界は我々の手に委ねられている」なんて呑気な話ではない。少し長く引用するが、Rootport氏によれば
『ガッチャマンクラウズ』では、誰もがスーパーヒーローに準ずるような力を手にした。『キックアス』のように「ヒーローになれるわけがない」と笑い飛ばすのではなく、ほんとうにヒーローにしてしまう。これは現実世界のメタファーと見なせるだろう。ネットが一般化して20年あまり。私たちは実際に、英雄に準ずるような力を手に入れてしまった。
名も無き個人でも、世界に影響を与えられる。匿名のままでも、世界に向けて発信できる。
ということらしい…言いたいことが沢山ある。まず、Rootport氏が言及している映画版『キック・アス』は「ヒーローになれるわけがない」と笑い飛ばしてなんかいない。力(スーパーパワーや金)のない者が現実でヒーローになろうとした時にどれだけの代償を払うのかを冷酷に示して見せている作品だ。勿論、コメディ的要素も色濃く入っているが、本質的には「力がなければ正義をなさなくても良いのか?」という問いに否を突きつけようとして、血塗れになる物語である。そして、コミック版の『キック・アス』は映画版を超え、ヒーローをある種の病気として扱い、その行き着く悲惨さと哀しさを描いてみせた。どちらもアメリカ特有のヴィジランテ文化に立脚したヒーローを解体し尽くしても尚、何が残るのかを問うている…大いに話が逸れた。話を戻すが、私達は一般化したネットによって「英雄に準じるような力」を手に入れてなんかいない。決していない。手に入れているのなら、ガッチャマンたちは必要なかっただろう。お役目御免で、そもそも出てこない。人々は手に入れた「英雄に準じるような力」でさっさとカッツェを撃退してしまえばよかったのだ。だが、それはできなかった。代わりに見せつけられたのは、匿名のままでは、名も無き個人のままではダメだということ。匿名でない誰かがインセンティブを与え、ゲームの動機付けを行わなければ動かない現実だ。匿名の誰かによって動かされたゲームが暴走し、手が付けられなくなる様だ。これは何も特別なことがわかったわけではない。ただ、ネットというツールの「当たり前」を見せられただけなのだから。『ガッチャマンクラウズ』は、寧ろ我々が「英雄に準じるような力」を手に入れたわけではないと戒めるような作品だと思っていたのだが…Rootport氏は「世界をアップデートする」をただのキャッチーな標語かなにかとして受け取ったのだろうか?
Rootport氏は細かい点(その実重要な)について気にしないのか気づかないのか、とにかくざっくりした区分けで語る傾向がある。ヒーローの系譜を何故か『マトリックス』から始め、『X-MEN』『スパイダーマン』『V for Vendetta』『まおゆう』『キック・アス』『ダークナイト』『タイガー&バニー』『サイコパス』を辿っていく。日本なの?アメリカなの?どっちなんだ。アメコミの方は何故映画ばかりで原作に言及しないのか。日本のアニメに触れるなら、何故大元の『科学忍者隊ガッチャマン』含めたヒーローアニメの系譜に触れないのか。ライダーや戦隊には何故触れないのか。その辺りが謎である。特にローカルなヒーローモノに触れないのは、『ガッチャマンクラウズ』が描いてみせた「現代日本のヒーロー像」がそれまでのものとどのように違うのかを明らかにできない点で致命的だ。寧ろ『ガッチャマンクラウズ』が彼の言うような作品なのだとしたら、『東のエデン』にこそ触れて比較すべきではないのか?…このRootport氏が諸作品を引用した部分について言いたいことはまだまだ山ほどあるのだが、虚しくなってきたのでこの辺にしておく。
http://anond.hatelabo.jp/20131021172902
そしてマコの存在。色んな天然キャラは居るがこの天然の感じがどうも不快だ。
理由はこれこそ生理的なものだと思うが、存在そのものがご都合的で記号的で「馬鹿」な「女」を娯楽として楽しむためのものだからだ。
男女問わず、あのアニメにご都合的で記号的じゃないキャラなんか居るか?
居るなら挙げてみなよ。
どうだ、「ご都合的」じゃない「記号的」じゃない「馬鹿みたい」じゃない男が居るか?
こんなこと言い出すならな、
あれだってお前の言い方すれば存在そのものがご都合的で記号的で「馬鹿」な「男」を娯楽として楽しむためのものだろ。
あれについての批判を昔書いたから暇なら読め。
すごく表層的な部分で「熱血」に呼応して見るだけ。
登場人物にしっとり真面目に感情移入しようと思って裏切られたって言うなら
それはその視聴者の方がアホなだけだ。
そういう意味で俺のカミナ批判だって作品自体の価値を毀損出来る物ではなく
タケコプターに「首折れるんじゃねえか?」なんつって遊ぶ程度の、ズらした批判なんだ。
自分はこの笑いのツボを持ち合わせていない。
それは俺やお前の個人の感性であって
公論に付すような話じゃない。
気になるのは「こういう作品」なのに、まるで万人に喜ばれてるように、手放しに評価されている点である。
これこそ余計なお世話だろ!
俺のように敢えてズれながら部分的にツッコんでいくならまだしも
「こんなものを楽しむ奴が多いなんて!」とか言い出して何になる?
これは女性が(製作者も消費者も)もっと頑張りましょう、おわり、ってだけの話じゃね?
で、お前が納得して感情移入できる女性主人公なりエロエロお色気サービス男性主人公なりが実現すりゃいいというまで。
(『ミチコとハッチン』はお話が退屈で観るに耐えなかったね。)
じゃあ珍奇な意欲作をちゃんと買え。
お前みたいな思考のまとまらないもやもやした馬鹿を満足させるためにやってんじゃねえんだよアニメ製作スタッフは。
余裕なんか全然無いんだ。
きっぱりはっきり「こういうの作れば売れるぞ!」ってビジョンにまとめろ。
まとまったら企画にして売り込みにいけ。
話は逸れるが「東のエデン」についても同じような引っ掛かりを感じていたことを男性ファンに話したことがある。
自分が「ヒロインが好きになれない。女性として感情移入出来ない行動をとる。それでいて女性主人公の恋愛をメインに描くとはどういうことだろう。」
あのヒロインて男にも人気ねーじゃん。
王子様のほうも気持ち悪いし。
ガジェット部分とかサブカル的な雰囲気が一部に面白がられただけで
キャラ人気なんかねーだろあれ。
「そこじゃないでしょ、この作品はー!」
と返された。
そりゃそうだ。
もう男女論ですらなくなって、純粋にお前がピンボケなだけその件は。
でもそういう風に引っかかってしまう人間も、いるんだよと、頭の片隅に入れていていただけると、一石ならぬ砂利ですが投じた甲斐があります。
意味がわかりません。
どうして欲しいのかぐらい言え。
「こうすべき」ってはっきり言え。
それぐらいまとめられないのは醜態だと自覚してくれ。
いい大人なら自分の主張をまとめろよ。
結局レスポンシブルな「これ!」って主張なり要求なりにまとめられない、
「なんかわかってよ」「よろしく私のキモチの為に努力してちょ」みたいな雰囲気漂わせて終わり、
ってクズだろそれは。
言いたくないんだけど
フェミっぽい人ってこういう
「結局どうして欲しいの?」って言わざるを得ない、
物をちゃんと言い切れないモジモジちゃんが多くねーか?
(ビシバシと「こうしろや!」ってキッパリ言う田島陽子がもてはやされた理由がわかる。
内輪の外に行っても話になるのはあの人ぐらいだったってことだろう。)
キルラキルはそのアニメーション作画はもちろん色もキャラデも演出もお芝居もコンセプトも他を圧倒し素晴らしく、30分息もつかせぬようなアクションに毎週興奮している。
もちろん世の評価も高く、非の打ち所が無いというか「あれイマイチだよね」と言おうものなら「萌えヲタには解らないだろう」もしくは一周して「何すかしてんだよ」という視線を浴びてしまいそうな程の作品と言おうか。
なのでちょっと言いにくいのだが、自分はこの作品を見ているとどうも引っかかる。作品自体と世の中の評価に。
何を当たり前のことをとお思いだろうが、恐らく皆さん(男性的視点で見ている皆さん)が思っている以上にこの作品は男性向けなんだと思う。
一つ一つ理屈をこねても仕方ないくらい生理的なものだと思うのだが、挙げるとするとまず「視点」。
主人公の流子は強く格好良くて魅力的で、気持ちの良い主人公だと序盤は楽しく見ていた。
ところが戦闘ごとに露出度の高い制服を着せられ、毎回恥らいながら戦闘しているではないか。
今まで彼女の視点で世界を見ていたのに、いきなり彼女が好奇の目に晒されることとなる。
急にお茶の間に引き戻される。悲しい境遇の中でも強く生きる彼女に感情移入して見ていたら、辛い気持ちになってしまった。
この辺りでやっと「ああこういうことを楽しむ娯楽アニメなのか」と気づかされる。
そしてマコの存在。色んな天然キャラは居るがこの天然の感じがどうも不快だ。
理由はこれこそ生理的なものだと思うが、存在そのものがご都合的で記号的で「馬鹿」な「女」を娯楽として楽しむためのものだからだ。
自分はこの笑いのツボを持ち合わせていない。
と、くどくど語っているが別に作品を批判しているわけではない、「こういう作品なんだ」と思っただけだ。
そして萌えアニメと呼ばれる作品以外でこういうお色気作品というのは最近確かに少なくなっていると思うので、そういう意味であえて往年のドラマやアニメのオマージュとして要素を入れているのだろうということも理解している。
気になるのは「こういう作品」なのに、まるで万人に喜ばれてるように、手放しに評価されている点である。
従来からエンターテインメントにはお色気シーンはつきもので、女性もそれを幼い頃から見慣れているため普通に楽しめるようになっているのだろう。
だから多くの女性がこの作品に何も違和感を抱かずに楽しめていると思う。多くのエンターテインメント作品を見てきた(言ってしまうとアニヲタの)女性ほどその傾向が強いだろう。
むしろ頭の固い女だと両側から叩かれるのも目に見えているが、なかなか言う人を見かけないので言ってみました。
こんなことに引っかかっていて、じゃあ男女問わず楽しめる題材と表現を…云々言っていたら娯楽の表現の幅が縮小してしまうのも解る。
そこで思うのは、じゃあこの手の意欲作に、もっと男性的でない作品が増えてもいいじゃないかということだ。
ノイタミナの登場によりそれでもかなり増えたが、世間的に注目される意欲作ではまだまだ男性向けが多く感じる。
もちろん全てを把握している訳ではないが、アニメーションの良作と言われている作品の多くは男性的な作品であるように見える。
戦う少女、(男性的目線での)純愛、不思議な少女、銃声に跳ねる女性の死体、エロ、暴力、メカニック…
どれも面白い題材だが、もう少し幅があってもいいのではないか。
話は逸れるが「東のエデン」についても同じような引っ掛かりを感じていたことを男性ファンに話したことがある。
自分が「ヒロインが好きになれない。女性として感情移入出来ない行動をとる。それでいて女性主人公の恋愛をメインに描くとはどういうことだろう。」
と話したところ、
「そこじゃないでしょ、この作品はー!」
と返された。
そこじゃないのか。
今回のキルラキルの引っかかりも「そこじゃないでしょ!」ということなんだろうな。
そしてそう思う人口の方が多い。
でもそういう風に引っかかってしまう人間も、いるんだよと、頭の片隅に入れていていただけると、一石ならぬ砂利ですが投じた甲斐があります。
お粗末さまでした。
ガッチャマンクラウズを一言でいえば「『新しい』とは何かを勘違いしたSFごっこアニメ」だ。
スタッフは新しめのガジェットを詰め込めば「新しいアニメ」になると勘違いしている。
SFとは未来のプロトタイプであり、現状追認でしかないクラウズは「SFごっこ」でしかない。
新しいようでいて既に古臭いガッチャマンクラウズ。その理由を三つ挙げよう。
ガッチャマンクラウズの世界ではGALAXというSNSが浸透しているが、
その画面は一言で言えば、ポストペット、あるいはセカンドライフだ。
この画面を見るたびに、私は恥ずかしくなる。いったい何年前のインターネッツだ。
バーチャルリアリティもアバターもすでに終わった。誰も使っちゃいない。
LINEを見ればわかる。高速に意思疎通ができればいいのだ。架空の部屋も、人形も必要ない。
それにソーシャルゲームの最新型はアバターなんかで稼いでいない。
ツイッターっぽい画面やYoutubeっぽい画面、ニコニコ動画っぽい画面も登場するが、
すべて現実のマネッコでしかなく、そこにその先を行く想像力は存在しない。
しかし、現実の最新型はグーグル・グラスであり、ツイッターやアバターはもう終わりを遂げようとしている。
バカゆえに空気を読まない発言や行動で、物事の本質を突くというものだ。
「視点を変えれば世の中面白い」なんて手垢にまみれた主張であり、
「○○っす」「○○っす」ってうるせえんだよ、黙れ。
同じテーマを持つVOWの方が、見せ方ははるかに洗練されている。
ほかにもGALAXの夢想するSNSの繋がりで世界を変えよう、だなんて
昔懐かしい「ウェブ2.0」の主張とおんなじだ。
GALAXの開発者は『ウェブ進化論』でも読んだに違いない。7年前の本だ。
この主張の古臭さはもちろん、その危険性も私たちは「パーナさん」で知っている。
『ガッチャマンクラウズ』はネット上で感想があがり、盛り上がりを見せた。
その中の人たちは「クラウズ論壇の誕生だ」とか言ってはしゃいでいる。
彼らの名前を見れば、どういう層にクラウズがウケているのかがわかる。
クラウズを褒めているのは「Hatena」に生息する批評家ワナビーたちであり、
「一時期の東浩紀のマネ」とは何かというと、アニメを通して社会を語るというスタイルである。
アニメの一部分を取り出して、「○○は××を象徴している」という論評の仕方だ。
これをすると、アニメを見ているだけなのに、社会も語れて頭がいい気分になれるので、非常に人気がある。
例えば、「エヴァンゲリオンは現代社会の生き辛さを象徴している」とか、そういう語り方だ。
そういうスタイルの人たちには、ガッチャマンクラウズほど語りやすいものはない。
「ゴテゴテに化粧した男の娘は、SNSやアバターで着飾る現代人の象徴!」
「ガッチャマンを助ける一般人は、ソーシャルメディアで助け合う現代人の象徴!」などと何とでも言える。
スタッフがあらかじめ社会現象を反映させようとして作っているので、とても読み込みやすい。
そうやって用意されたものを読み込んで「俺って頭いい」と興奮している、そんな印象だ。
東浩紀自体は、そういう見方をやめてしまっている。彼の関心は政治であり、原発だ。
そういうアニメ批評、漫画批評が盛り上がりを見せたのは2000年代の中盤だけで、もう終わった。
しかし、現実の問題は語れないくせに、「現実を語りたい欲」だけがある人間が、この読み方をし続けている。
いわば「東浩紀フォロワーの残党」たちがごちゃごちゃ言い合っているだけなのだ。
彼らがごちゃごちゃ言っている間に、現実はもうはるか先に行っている。
アバターは廃れたし、不特定多数と不用意に繋がる危険性を、私たちは知っている。
ガッチャマンクラウズは『東のエデン』を引き合いに出されることが多い。
確かに作りは似ている。どちらも現実の社会問題やガジェットを取り入れてドラマを作っている。
しかし、今の時点でいえば、ガッチャマンクラウズは現状追認で終わっていると言えよう。
『東のエデン』にはまだ「東のエデン・システム」という現実の先を行く想像力があった。
しかし、ガッチャマンクラウズにはそれがない。
ガッチャマンクラウズよりも現実の方がはるかに新しい。
私たちの目の前で起きている現象を観察すれば、
ガッチャマンクラウズなんか見る必要ない。
こんなの見るくらいなら、『アキハバラ電脳組』でも見た方がマシだ。
(追記:8/30 21:40)
ガッチャマンクラウズは、性善説的な状況が実現された世界からスタートしてる
現実とネットの分離もない、(ニートに限らず)誰もがネットをしている
それが、壊れていく
善意を拡散する手段だったギャラックスが悪意を拡散する道具へと変わっていく
東のエデンがわりと抽象的な空気と国の形について描いたのに対し
ガッチャマンクラウズはネットによって明確に可視化された人間の善と悪を描こうとしている
また、東のエデンの滝沢ってのは、ガッチャマンクラウズでは「ギャラックスの力で世界をアップデートしよう」というメガネの男の娘であって、脇役
そして、第4話では絶望のふちに落とされてしまった。テレビ版東のエデンの滝山が失敗した世界が、これから展開されるわけですわ
つまり、ここまではテレビ版東のエデンを現代風にアップデートしながら、その失敗を描いた
当然ここからは新しいテーマに踏み込むことになるんじゃないすか
最終的には、匿名のヒーローのガッチャマンと実名の人間のはじめちゃんの二つの要素を使い分けながら
政治とは関係なく、人として、自分の中の善と悪についてどう向き合うべきか、という話になって来ると思う
【募集】大学入ってからいいよって言われたコードギアスとマクロスFしか見てない俺に見たほうがいいよっていうアニメ.もしくは映画など
実は俺も東のエデンのこと思い出しながら突っ込んだんだけどさ
あれすっごく痛々しかったと思う
ああいうのは「わかりやすい」じゃなくて「安い」演出って言うんだよ
日本人を出っ歯にしたり中国人を釣り目ナマズヒゲにする様なもんじゃねーか
神山監督はあの作品を若者やニートを応援してやるつもりで作ったとインタビューで述べてたけど
安い記号、それも10年前のスラング使って「応援してやるつもり」もない
「外国人」「エイリアン」としてしか見てない・捉え切れてないのが丸出しだ
現代社会を舞台にしたりメッセージ性をこめたりするとあまりに酷く陳腐な形で表に出るね
加齢でいよいよオッサンじみてきたのかもしれないけど
『デスノート』
『コードギアス』
『東のエデン』
王とは何でしょうか。未開民族の文化の中には、特別なお祭りのときに、村を治める長老がその日だけは罵りの対象になるということがあるそうです。
その意味で、『東のエデン』において滝沢が最後にジュイスに自分を王にしてくれと頼むときに言うせりふは示唆的です。「この国には頭のいいやつがいっぱいいるのに、損な役回りを引き受けるやつがいないんだ」。
ここから導き出されるのは、王とは、実は損な役回りを引き受けるために存在しているのではないか、という考えです。キラもルルーシュも、最後には世界の悪意を一身に受けて死んで生きます。究極の攻撃対象がいるおかげで、そこに攻撃が集中している間は、他への攻撃が行われなくなり、結果として平和が実現されるのです。
しかし、ちょっと待ってください。この国には王がいるはずです。そう、天皇という王が。滝沢がこの国に王がいないと言ったということは、実はこの国においては王であるはずの天皇が王としての機能を果たしていないということを示唆しています。そういえば、アメリカとの戦争に負けたときも、昭和天皇は生き延びてしまいました。彼が真に王であるなら、本来は死ぬべきだったはずです。しかし、彼は死なず、起こったのは天皇の代わりにアメリカが王となるということでした。そう、だからこそ、世界の中心として咲が最初のシーンで見に行った場所が「ホワイトハウス」=日本の王様だったのです。しかし、もちろん現在のアメリカに王としての信頼を我々が持っていないのは明らかです。「ここが世界の中心、なの?」です。「なの?」ということは違うということです。アメリカは王を体現できなくなった。
で、王がいなくても好きにやるさ、ということをやっていたら、あんまりうまくいかなかったと。ニートとか派遣だと。そういうわけで、ミサイル攻撃してやる=破局による価値の回帰をやろうとしたけどそれはあかんと。じゃあやっぱり王様だろう、ということになったわけですが、現実の世界には滝沢もキラもルルーシュもいないのだった。しかしこういうメシアニズムには注意しておかないといけないと思います。
http://news23vip.blog109.fc2.com/blog-entry-1825.html
1.全くその通りという人
2.ニコニコは糞ですがなにか?と開き直る人
3.糞の中からいい物が出てくるんだ!という人
4.お前は金をもらってるプロだろう、金をもらってない人の作品をどうこう言うな
5.プロのくせにニコパクった、知り合いの部下の企画が糞なのであって、ニコニコ動画の批判はどうかと思うという人
といった感じだろうか
なんていうか、みんな、ニコニコ動画は糞だって前提で話してるんだなぁという感じ
絶対的評価で言うならば、糞なのかも知れない。
でも、ああいう狭い世界での発表はつまり、学芸会みたいな物だ。素人だしね。
内輪ネタ全開フルスロットルが見せる世界は本当に面白い。みんなしか知らない学校の先生のモノマネみたいなもんだ。
そんな学芸会を、プロのように不特定多数を相手にする人がまじめに批評してどうすると。
で、相対的な話なんだけど
素人の創作というレベルで言うと、youtubeよりもどこよりも遙かにクリエイティブだとおもう。
ほぼ日本人のみのサイトで、この速さ、この質、この量は素直に感心する。
ニコニコ週間ランキングなんてまとめ動画一つとっても、まぁほんと丁寧な編集で、感心する
外人なんてカメラの前でしゃべってるだけだし、ほんとつまらん奴らだって思うよ。
だから、こういう連中がまじめにお金が絡んだことをやったらどうなるんだろうと、わくわくするし
ニワンゴ@ドワンゴが今後、その辺の人材を見捨てないでほしいと思うし
他の会社があざとく吸い上げてもいいんじゃないかなって思う。
そういえば、かつてのフラッシュ動画も日本は凄かったよね。俺の気のせい?
あのフラッシュブームでいろんな人が有名になったし
でも心配なのは
このエデンの監督もそうだけど、アニメ業界全体にも言えるんだが
素人でこれだけなら、プロならどんなもんなんだろう・・・。と思ってみてガッカリすることが多い。
アメリカは素人とプロの差がものすごい差で、これはあらゆる物に対してそんな感じだから感心する。
もしここにプロが入ってきたら,お金になる仕組みができたらと思うと、ニコニコ動画に未来はあるのか
なんて話になってくると思う。
東のエデンを見ている最中は、これが新しい物語を作る00年代というものかと思ったが
あの最終話では終わらない物語を終わらせるという事にはならなかった。
終わらない物語というものは物語自体の繰り返しであり、物語の外へと広がる物語も
含まれるが、エヴァンゲリオンはその意味で終わらない物語のエポックメイキングだった。
そしてミームは広がりエヴァは終わらない物語を何やかんやで10年も続けたわけだ。
しかし世の中の大体が80年代、90年代で括られるように00年代というアニメがそろそろ
規定される頃だろう。そして00年代は東のエデンになる、という人も居た。
確かに東のエデンには、エポックメイキングたらしめる要素があっただろう。
特に、ノイタミナという枠は流行という面で他のアニメには真似できない要素である。
流行=面白さでない事は確かだろうが、流行⊆面白さという側面はある。
ガンダムは終わった物語だったが、流行したからこそ面白さはより深くなっていった。
時代を規定するものにはやはり流行というものが必要だろう。
しかし様々な要素を含んでいた東のエデンも結局物語を閉じて一つの面白いアニメ
で終わった(劇場版を残しているので現時点で)
結局物語のパッケージの中で引き出すものが無い時点で、象徴的なものにはならない
のだろう。
何故こんな事を思ったかというと、ヱヴァンゲリヲン 序に次いで破においても、終わ
らない物語を終わらせるという点を意識出来るからだ。何故かは破を見て欲しい。
庵野秀明は10年に渡ってエヴァを超えるアニメは無かったと書いていたが、終わらない
物語を終わらせる役割が居なかった事を言っている、と思う。だからこそヱヴァで
古い人類を消して新たな生命を誕生させるという試みを見せるのだろう。
(という事を誰かが書いていたような気がするものの見あたらなかったので頭を整理してみた
大事な話が抜けている気がする)
ホワイトハウスの前で、
と少女漫画風の娘さんが言う。
俺としては、・・・これってどうなの?みたいな感覚だった。(そう思った人は俺以外にもいると思うんだけど)
なんか、アメリカにあこがれを抱いている40代の感覚だよな、というか。
問題は、映像のリアリティではないか。
ニコニコ動画などで、アマが作る映像の方が時代の生きている感覚、リアリティを感じる。
世界の中心は、ホワイトハウスでもアキバでもない。ここであり、そこだ。つまり、ネットだ。
時間の感覚が止まったプロは、思い出の中で生きる老人用の映像でも作ればよい。(と、暴言)
あー、でも、分からないな。
ハイソな(?)海外留学に憧れるコジャレた学校に通う娘さんの感覚って、こんな物なのかも知れないよね。
まー、単に俺は視聴対象に入っていなかっただけということだ。
取り溜めたプリキュアでも見るか。
http://anond.hatelabo.jp/20090104015812
で3か月前に「「3か月前に「脚本がしっかりしてそうな新番組教えて」と書いた増田です」の増田です」の増田です。