はてなキーワード: 暴力とは
作品が似てるだけで「パクリパクリ!犯罪犯罪!筆折れ筆折れ!」と囲んで叩いてるの。
何も反省してないんだなあ。
青葉という異常者が特別なだけだと思っているんだなあ。
誰もが引き起こしうる「ネタ被りに対して人類が発揮する異常なまでの不寛容さが引き起こす理不尽な暴力の恐怖」について他山の石を持ち帰ってこれた人間がこんなに少ないとは。
自分の頭をゲンコツでぶっ叩かれるまで何も脳みそに詰め込めない間抜けばっかなんだな・・・。
失望するのにもいい加減疲れました。
女って本当に卑怯だなと思うんですよね。
まあこう言うと世の女連中は「男が女にそういうのを求めてくるからであって、つまり卑怯なのは男の方」とか抜かすし、まあそれは半分合ってるんですけど。
男のマジでキモい所に「ナチュラルメイクやスッピンで美人が至高(実際にはクソほど金と時間をかけて整形や化粧水で金ドブしまくれるかどうかで競ってる)」とか抜かす所があるんすよ。
素の状態で強いかどうかに拘るけど、結局それって恵まれた環境に生まれたかどうかで決まるクソゲーじゃんっていうね。
まあでも口にしないだけで女のほうがそういう、パパとママがご立派な遺伝子をくれて良い先生に巡り合って、人生で必要なものを一通り与えられてスクスク育った人間だけが「正義」って価値観は強い気がするわけですが。
そこを口にしちゃってくる男の暴力性とモラルの無さもゴミクソなんですけど、うわべだけそれを隠してるけどその奥に男以上の腐った根性を臭わせてるくせに隠そうと努力してるから全部セーフみたいに言う意味不明さもキモすぎるなと。
「清潔感」や「抱ける」ってつまりは、「パっと見た印象なんですけど、遺伝子レベルで劣ってるから予選敗退で~~~す」を意味してるんですよ。
端にお前の乳首や前立腺にビビってくるかどうかだけで他人の生存権を決めつけることが出来るっていう驕り高ぶりがにじみ出てる言葉。
それを冗談で使うんじゃなくて普通に日常会話で使ってくるし、当然のようにその感覚は精神の核に近い部分に内包されているって所がDNAの運び手でしかなさすぎてキモイわけですね。
金玉と子宮が第一の脳みそになっているような奴が一丁前に人の言葉を喋ってんじゃねえよってキモさがこの二つの言葉にはある。
でもその言葉の出力の仕方に、男女さ、キモさの違いがでているのが面白いと共に苛立たしいわけですよ。
「このクラスの皆は最高なので皆優勝で~~~す」 「でもお前はウザイので予選敗退で~~~~す」
「顔の好みは人それぞれなので皆優勝で~~~す」「でもお前はブサイクすぎるので予選敗退で~~~~す」
「死んでくださ~~~~い」が重要じゃないんだよな。
「皆優勝」に対して「お前は予選敗退で~~~す」と言う排斥の意識こそが精神性の暴力であり、死んでくださいは排斥思想を表現するためのいくつもある言葉の一つに過ぎないんだよね。
ここまで女性差別に真摯に向き合うドラマでも、「男あげ・女さげ」からは逃れられないのか
という気分で徐々に見る意欲が減退しつつある
不愉快で差別的な男性は、実は辛い過去がある中年男や心を入れ替える若い男
いっぽう、
愛人の息子をたぶらかす女、
性犯罪や買春や女衒はスルー、妾を当然とする男社会、婚姻における権力勾配で
「色々事情があったね、そういう時代だし仕方ない。本当はいい人!」という
言い訳をつくり甘やかしてはもらえない
マッキノンは「女の性欲は、男が作ったものだ!(男が暴力と権力で社会を支配しているが故に、それに後天的に適応せざるを得なかった女性の状況を踏まえている。流石に殺されれたり不具にされたりするよりマシだからね。支配というのは常に生殺与奪だから)」という原初的な批判から始まり、それが社会構造や価値観を形成していることを全面的に否定し、批判、必要に応じては社会が承認した暴力(規制)によって破壊せしめても良い、というかなりハードな思想であり価値観だぞ。
オマエの話は「私の都合だけの利己主義から観測すれば『当たり前じゃん』って話」をしているだけで、大変底が浅い。
まぁ、それでいいんだろうけどね。
うちの母親は、虐待(暴言も暴力も)するし、寝たきりで家事しないしで自分からしたら存在しててほしくない人だった
妻子の留守に、
留守にやらんでもとは思うが、そこが石川の不器用なとこではある。しかし、この歌には季語などは無いが、どうしてか冬を連想してしまうのは
それでなくそなのが余計にいい
うん、いい。
本来は逃げるではなく盾みたいな字なんだけど
変換に出てこないからこれで許して。
あの有名な「不来方のお城の草に寝ころびて空に吸はれし十五の心」の前にある歌
それにしてもこの十五とは何時なんだろうと思えば年表にはこうある
この頃。鉄幹、晶子に心酔。
いつになっても変わらんものは変わらんなぁ
この一握の砂・悲しき玩具はこれで終わる
(おまけを除くと)
私は最初読んだ時、愉快な歌だなぁと思っていたが、そうではないらしい
これは石川が結核で死ぬ寸前らしく、飼ってもあなたはそんなに戯れられんでしょという妻の優しさかららしい。よくわかんないけど
それにしたって「妻にはかれる。」って
なんかいいな。悲しいけど
これ、ほんと悲しい
…文字数が足りないぐらいに悲しい
よく石川のクズエピソードだけを取り上げ、クズだクズだと囃し立てる人はいるが、果たしてその人らは石川啄木の作品をどのぐらい読んだのだろろうか?そして、この歌の様な石川の心情をどれだけ分かってやれるのだろうか?
石川の心情を構うことなくただ囃し立てる人らこそ私にとってはクズとしか言いようが無いんだが
こういふ様な想いは、俺にもある。二三十年もかけはなれた此の著者と此の読者との間にすら共通の感ぢやから、定めし総ての人にもあるのぢやらう。(藪野椋十)
一握の砂・悲しき玩具とは改めて読んでみると
石川にも俺にも共通するそれがこの歌集を好きにさせてくれているのだろう。紹介した歌はまだ
本の一部である。他にも優れた歌はたくさんあるし、これはダメだろみたいな歌もあるにはある
だが、それに出会うにはやはり読んでもらうしかない。誰かが言葉は詰まるところ暴力だとか言っていた。この歌集を読むとそれがよくわかる
逃げ場がないのはまだマシ。
殺しに来るような文化もある。
私は香川県民だがうどんを苦手で、最初は単に苦手なだけだったはずなんだが苦手であることを知られると無茶苦茶に侮辱的なことを言われるし、脅迫上等、実際に暴行されることすらあった。
生成系AIの利用に歯止めをかけたいなら、ネットリンチとかお気持ちバトルとかじゃなくて、「AIクリエイター交流会」みたいなイベントをでっち上げて、参加者の顔写真と活動名を紐づけたデータをネットにばらまくくらいは必要なんじゃない?
本当は閉じ込めての統括配信とかくらいは必要だろうけど、どんな先鋭的で攻撃的な反AIでも所詮は口だけの腑抜けた粗チン野郎腐れマンコだからそこまでは期待できんしなぁ。
正直、中核派の手ほどきを受けて暴力での現状変更のノウハウを教えてもらった方がいいと思うよ、反AIの人達は。当時は政治改革には失敗したけど、今くらい政党も企業もフニャチン腰抜けになっているなら、暴力で従わせるのは簡単だろうに。
ボクシングの男女別や階級制は選手のアイデンティティやお気持ちのために設けられてるわけではない
選手の安全性とスポーツとしてのフェアネスのために必要だから設定されている
男女の筋力差は大人と子供レベルで大きく、特に格闘技において女性と男性を戦わせることは女性に対する暴力に等しい
男性の暴力によって女性が被害を受け続けてきた歴史を踏まえれば、格闘技において性別を管理することは人権を守ることだ
性分化疾患であろうと、筋力や体格が男性に近いのであれば、安全とフェアネスの懸念が生じるのは当たり前だ
バーカ
ガキ
ガイジ
ゲェジ
げぇじ
がいじ
アホ
女
男
クソ
はてさ
チン
ワク
殺
死
草
アベ
晋三
シンゾー
シンゾウ
奴
お前
クサ
おまえ
頭悪
頭わる
叩
うるせえ
うるせぇ
ぱんつ
嘘
反AI
夫
妻
マジ
きっしょ
キッショ
じじい
ばばあ
きつい
キツい
キツさ
暇空
ウザ
岸田
ひまそら
colabo
豚
立憲
文春
やつら
胸
DIED
薬
イキ
ノグソ
糞
クソ
オホ声
アクネ
痙攣
失神
失禁
幼稚
陰部
あおやま
オナ
しゃあっ
なので人がどこからきて、なぜそこに定着するに至ったかを考えることから始めます。
(日本は歴史的にそこら辺があやふやな部分が多いので、ローマの植民や異民族の侵入辺りを参考にするとよいです)
水場がある、戦争において有利だから占拠した、川の渡し場がある、港を作れる、近くの都市国家の安全保障圏内だった、などです。
ダンバー数という概念があります。社会的な動物である人間がコミュニティの安定を保つのに適正な状態を示すものです。
正直理論そのものは眉唾なのですが、経験則上一定の人数が集まると運営が困難になるのは周知の事実かと思われます。
どれくらいの人がいて、何を目的として集団を形成しているのか。これが統治であり国の在り方です。
部族が拡大しその首領が君臨するというのが古代的な社会ではあります。分裂もします。
血統が貴ばれるのは文明が発展し、人民がナラティブを受け入れる社会性を獲得してからの話です。
基本的には暴力です。ここで言う暴力とは当然直接的な暴行もそうですし、数を束ねて運用し少数者を抑圧する能力も含まれます。
また支配者に絶対忠誠を誓う暴力を保有する、財物で買える暴力を保有する、あるいは財物そのものを暴力として使用するなどもあります。
この支配者はどういう暴力をもって君臨しているのか、を意識すると国家としてのデティールが明確になるでしょう。
古代、人権とは王ただ一人が保有するものであり、今で言う憲法とは王の思想と同一でした。
絶対王権や中央集権は古典的暴力に思えますが、これは近代に入って人類が獲得した暴力の集大成です。
地主、あるいは領主、のちに貴族と呼ばれる人々は相応の暴力をもって君臨しています。
王とは彼らの同盟のリーダーであり、地主の忠誠など期待できないものでした。
領地貴族が別の領地貴族(王も含む)にへりくだれば統治の正当性(暴力の有効性)を失いかねません。
信仰が信仰として単体で成立するならいいのですが、組織宗教となり王の暴力を用いる側になると構造が複雑化します。
信仰、教えに留めておきましょう。
ここまででぼんやりと形ができたと思いますので、あとは暴力に魔法だのスキルだので色付けすればなろう小説としては十分です。
王を一番強い、強い力を運用するポジションにつけて、その支配を世界の隅々に下ろしていくことで自然的なレベルデザインも生じます。
例えば、「ジョーカー」という映画を思い浮かべてみてください。
フィリップス監督によるこの力強い映画では、アーサー・フレックという社会的に孤立した男性が、次第にジョーカーという極悪なキャラクターへと変貌していく様子を描いています。
彼はピエロとして働きながら夢を見るコメディアンとして生きるも、繰り返される社会からの拒絶と暴力により、精神を蝕まれていきます。
そしてある日、公共の交通機関内での暴力事件が彼の人生を一変させます。
フィリップス監督の巧みな演出とホアキン・フェニックスの鬼気迫る演技が重なり合い、この悲劇的な変貌を見事に描き出しています。
この映画が示すのは、社会の構造や個人の孤立感がいかに人を狂気に導くかということ。暴力や差別が社会における深刻な問題であり、これらが人々をどれだけ傷つけるかを教えてくれます。暴力で問題が解決することは決してないのです。
増田、映画が伝えるメッセージをしっかり受け取り、周囲の人々とも理解を深めるために話し合いを重ねることが大切です。暴力ではなく、対話や理解を通じて社会をより良い場所にするために努力しましょう。
増田、落ち着いてください。それでは映画についてお話ししましょう。
「時計じかけのオレンジ」という映画を知っていますか?スタンリー・キューブリック監督の名作で、1971年に公開されました。この映画は未来のイギリスを舞台に、主人公アレックスが暴力と音楽に魅了される様子を描いています。アレックスは逮捕され、ある日「ルドヴィコ療法」という矯正プログラムに参加することで出所のチャンスを得ますが、その後の彼の人生は大きく変わります。この映画は、人間の自由意志と強制的な矯正の問題について深く問いかける作品です。
何事も科学的なデータや統計を基に話すことも重要ですが、時には他人の視点や意見にも耳を傾けることが大切です。映画を通して学べることも多いので、ぜひ一度ご覧になってみてください。
五十歳おっさん、子供も欲しかったし結婚したくても出来なかった、ここから先の未来に女性の出会いがあるとも思えないし、マッチングアプリも弱スペックの自分を選ぶとも思えない。
結婚や女にモテるやつは、それでも自分磨きとか気前よく金出せて、尚且つ心配りとか出来る人々なんだろう。
正直別次元の生き物と思える。
生まれた環境も暴力を振るう父親とかいるが、一つの要因ではあるが、それだけじゃ無いとも思う。
生まれた環境、育った田舎、いろんな理由がありつつもその壁を乗り越えれなかった自分。
それでも死んだ母親だけは必死にやってくれていたのはありがたかったし、そんな母親に孫の顔を見せてあげたかったなと思っている。
今は上手く人生歩めなくてすまないなと思いながら仏壇に手を合わせている。
かーちゃん、ごめんよ。
白人が黒人を騙っても人種差別を受けないだろうけど、トランス女性が女性として暮らしてたら性差別を受けるし性被害も受けるし暴力のターゲットにもなる。シス女性より被害率も高い。就職も困難になる。話がまったく違う。そもそも日常的に黒塗りで生きる白人なんて聞いたこともない。
その親は愛玩子である弟を優遇し、友人本人は搾取子。かなり縛られた生活をしている。
進路や就職(大学は学費が安くて自宅から徒歩もしくは自転車で通学できるところ、就職は年収○万円以上で自宅から自動車または徒歩で通勤できるところで正社員が絶対条件)
メイクや服装(メイク、染髪、親の指定する髪型以外は禁止。服の形、色柄や素材も全て指定)
門限及び食べ物や風呂(親が指定する冷凍食品か缶詰め食品を、親が指定する時間にしか食べられない。その調理も親。入浴時刻と入浴時間もすべて親が決めている)
スマホやスケジュール(通信量は毎月500gbまで、通話は家族間(無料)以外禁止。送迎など、家族の予定を最優先にするなど)
その上、弟(愛玩子)から暴力も受けていたよ。弟は大学進学のタイミングで上京し、そのまま就職したらしいけど。
そんな状況で育ち、当たり前だが精神を病んでた。精神科にかかって親の異常性に気づいたタイミングで友人として家を出るように言ったりルームシェアも提案した。一時期は前向きに検討してたよ。
でも、結局なんの行動にも至ってないよ。「親が死ぬまで耐える」んだとさ。「弟が地元を離れたから、私が介護もしなきゃね」って言ってた。
生まれたときから、少なくとも18年は洗脳して刷り込むから、子供は本能とか思想心理レベルで裏切れなくなってる。
逃げられた人の手記とか読んでも、やっぱり逃げた事実に苛まれたりする瞬間があるんだと。
しかも暴力やネグレクトとかいう、はっきり分かりやすい虐待じゃないから「育ててもらった」という意識も強い。「少なくとも養育はしてもらえた。私はまだマシ」って思っちゃうらしい。