はてなキーワード: 大義名分とは
https://sn-jp.com/archives/32334
この記事、タイトルすごい悪意あるように見えるのと、反応を見ていると差別が理解できていない人が多すぎて変な感じになる。
ポイントはここだ
まず、日本を「寿司の国」ということがなんで差別なんだ、という点だが、「別に日本は寿司でできていないのにそのように言うことはステレオタイプだ」というのがポイントだ。そしてこの時点では誰も損害を被っていないか軽微だ。燃やす側には燃やすための燃料が必要だ。ここで火消ししてれば軽微だっただろう。
「私は日本に行った時に食べた寿司のあまりの旨さが忘れられず、それ以来日本のことを寿司の国と読んでいる、行ったららもう寿司しか食べない」というのは理解できる、個人的な経験に基づいた意見だからね。
こういう文脈なら寿司がラーメンでもいいし、モスチキンでも別に構わない。
だけどこのコンテクストはあの発言にはないので日本のことを単に「寿司の国」と呼んでいると言うように理解できる。なので、ステレオタイプに基づいた発言は差別だ、というのが基本的なポイント。同時に彼の日本に対する見識の狭さとか、公の場で物を言うプロにもかかわらず、発言に対する警戒心のなさなんかも露呈している。
「単に日本と言っておけばそれで良いのをわざわざ寿司の国というステレオタイプに基づいた呼び方をしたのはなんでだ?こういう言い方は常識として差別になるが、差別なのか?」が最初の論点(そしてこれが日本ではびっくりするほどに抜け落ちた観点でもある)。
次にこのレポーターが、この話に対して「日本を寿司の国と呼んだら、それは本当に人種差別なのだろうか?真面目に捉えていないよな?」という誠意のなさを見せた事が最終的な炎上のきっかけだろう。と言うよりも、可燃性の高いものをわざわざポリコレ側にわざわざ提供したように見える。ポリコレがじっくり燃やそうとしていたところにわざわざガソリンをぶっこんだ形だ。
おそらく初動としては「差別でしたすいません、以後をつけます」とあやまって、二度と公の場ではこれに触れない、が正解に近かったかもしれない。
本人としては、すごい屈辱だと思う、だっておちゃらけて何となく言った程度のことという認識だろうし、そのくらいのつもりで言ったことに対して土下座させられるわけだから(差別であることは変わらないけど)。いきなり返す刀で「あいつは差別主義者だ!今すぐ追放しろ!」というひどい要求が始まるわけだから。そしてこれこそひどい差別だとも思うのだけど、差別をしたやつを攻撃するという大義名分は強い、レポーターをかばえば一瞬で延焼する事間違いなしだし、燃やしたい人がよだれを垂らして欲しがる構図でもある。
差別ではないかという問題提起に対して誠意のない対応をしたことで、雇っている側も守れるポイントがなくなってしまった、もしくは、守るためのコストが解雇するコストを遥かに上回ってしまった。
という構図だと思う。
一方・・・
別の問題は「こういう発言に対して弁明の機会がたったの一回しか無い」という点だ。当然本人は当初「何となく言った一言」でしか無いのだから、それを「差別だ」と言ったら一瞬で「うわああああああ差別でしたあああああああごめええええええん!」とフライング土下座する程は変わらないだろう。こういう人間の本質を全く見ていない、というかこれができなければ追放が常識化しすぎている。下手な言論統制よりやばい。政府がやるんじゃなくて民衆が相互にやるんだから。
「差別かどうか」という議論の末に「どうやら差別らしい」となり、学んで最終的に謝る、または改める、というのがあるべきステップだろう(犯罪とかそこまで重大なことじゃないし)。
という流れは今後の人類にとてつもない影を落としていることは間違いがない。
確かに非リベラルやアンチリベラルの意見だって、インターネットで吐き出するぐらいは自由にできるさ。
書店に本を並べることもできるだろう。
流石にそれらを直接口封じされるほどヤバい状況にはなっちゃいない。
だけどそういうのって、学問だの批評だの言論だの民放テレビだのアカデミー賞だの直木賞だのNetflixだのの場からは、価値観のアップデートができていない野蛮で遅れたアホの野次だとか、衆愚の自尊心をくすぐる思想的ポルノでしかないと見られてるじゃん。
非リベラル側がストーリーを語る権利がないがしろにされているってのは、その辺を指してるんだと思うぞ。
リベラルの元増田からすれば「世間一般には非リベで保守の奴らのほうが多くて、俺らは数で負けてるんだから、優位にあるわけがない」って感覚なんだろう。
でもな、数の問題じゃねえんだわ。
なんだかんだいっても言論の中心ってのは、やっぱ格調高そうな大学の先生とか、文化人とか、テレビとか、賞レースに参加する作品とか、大企業のプレスリリースとかなんだわ。
たとえその担い手が人数としては少なくても、その辺を通じて出されるメッセージは、真面目なメディアを通して、真面目に扱われ、真面目に広められる。
(アメリカのFOXは、あの極端な保守があのメジャー度なの意味わからんしこえーな。扱われ方の実態をよくしらんので置いておくが)
虎ノ門ニュースだのまとめサイトだの平積みの愛国本だのは、影響力と売上はあっても、結局ゴシップやカスとり雑誌、流言飛語のたぐいでしかない。
俺はあの辺に触れてないけど、たぶん愛好者層のほとんどは自分たちが好んでる情報がうさん臭くてバカにされるもんだってのは自覚してると思うぞ。
たとえばいくらソシャゲが売れてようと、そのプレイヤー達ですらゲームのトレンドを作るのはコンシューマや大作PCゲーだと思ってる。
ユニクロヘビーユーザーでも、世界のファッションを動かすのはルイビトンだかエルメスだかだと思ってる。
今、言論における重鎮たちは圧倒的にリベラルが多いと思わないか?
たまに芸能人だの思想家だのが非リベラルなことを言う場合、みんな「敢えて言う」とか「歯に衣着せぬ本音を」みたいな前置きをするか、「過激発言」みたいな後先考えぬ炎上芸ぽい奴ばっかりだ。
カズオは、リベラルがストーリーを語る権利を自分たちの専売特許であるように感じてる、と言った。
僭越ながら俺が表現しなおすならば、「語ったストーリーを聞いてもらえる権利が、リベラルに偏っている」という問題だ。
もちろん厳密な権利論では、語られてる主張を聞くかどうかってのは聴衆に任せられる部分であり、語り手が「俺の声を絶対聞け!」と要求する権利はない(あったら世の中がやばいことになる)。
だが、非リベラルの意見には、世間的な大義名分が与えられづらいのは確かだ。
非リベラルの意見は、真面目な高尚な場で、真面目で高尚に扱ってもらいづらい、ともいえる。
リベラルの人間は、それは非リベラルというレッテルで聞くのを拒否しているわけではなく、実際に聞いた中身が余りに暴力的だったりくだらないから反対しているだけだ、と言うかもしれない。
でも、それはリベラル価値観で暴力的でくだらないとされてるにすぎないのかもしれない。
ならますます不味いぞ、世間全体がリベラル価値観に寄ってるということだから。
あと後編の方、何十も前の死んだ作家が非ポリコレだからどうの、なんてのはどうでもいいとこだろう。
露骨に古典が燃やされだす、もしくはドラマや映画や批評本で古典を題材に撮ったものが連発されだしたなら取り上げる意味が出てくるけどそうじゃないからな。
だろ?
プロの営業であったなら、「あっ、ステマとか言ってる人がいるんですか?違います」で終わりにして、「じゃあどうやって話題を伸ばしたかの手法なんですけど~~まずはアプリで広告を~~~」でいいじゃん。
単なるファンなら、「ふーんそうなんだ。私イベント走るのに忙しいからまたね」で終わりでしょ。
ないですね。
ステマと言われた上でマイナスイメージが付いてるのは実際にクオリティが低かったものだけです。
「評判の割には、こことこことここが駄目だったわ。そんで、話題のこことこことここも大したことなかった。ステマかな?」
ってパターンですね。
「いやここはこう良かったよ。証拠はこれです」
でしょ?
「ボクチンがこれ買ったのはボクチンの意思と情報収集の結果だもん!ステマに騙されてないもん!情弱じゃないもん!!!」
って感じですかね。
気にしすぎですね。
というかこれについても、なんで自分がそうしたのかを淡々と説明すれば良くて、ステマかどうかなんてどうでもいいです。
他人の目を気にしすぎでしょう……情報に弱いのかは知りませんが頭とメンタルはボロボロだと思います。
書いてる内容に嘘や恣意的が過ぎる情報の取捨選択が無ければいいだけだと思います。
って言いたいなら、読んだ人が信用できると思える内容を積み上げていけばいいだけです。
あーだこーだ言われるのは単に自分の書いてる内容が日頃から党派性のようなものの強さが匂い立ってるからじゃないでしょうか?
色眼鏡を外して客観的に情強を整理するモードと、自分の感情をそのまま絞り出すモードを使い分け、どっちで今書かれているかを他人からも分かるようにすればいいと思います。
それが文章力って奴ですよ。
文章力鍛えて、役目でしょ。
自分の好きな作品を嫌いな人達の界隈に火の手が上がるのを見たいだけだったという。
他人の家に火の手が上がることを楽しむ人はそこまで多くなくとも、嫌いな人間が痛い目を見るのは大好きな人は非常に多いですからね。
まして相手は一度付け火を企んでいるのですから、反撃という大義名分で燃え盛る松明を相手の庭に投げ込めるわけです(実際は、同じ穴の狢でしかないことに気づくことまではもう期待しません。諦めます)。
実際どうなんでしょうね?
ステマ扱いなんて単なるどうでもいい噂なのになんで気にするんでしょうね。
休みの日インターネットしかして無いから、インターネットで楽しめる幅を増やすために抵抗なく英文を読めたり外人とチャットや掲示板で雑談したり出来るようになりたいと思うようになった。最近中古パソコンにUbuntuを入れたので、cuiで「ギャッ、英語!」とならない様になりたいと強く思ったのが最終的な後押しになった。英会話や海外旅行などは望んでいない。
英語力は限りなく0に近くて、現在形や過去形の意味はなんとなくわかるが、現在形と現在進行形の意味の違いや、3単現や過去分詞の意味すらわからないとか、それぐらいレベルが低い。bとdの書き分けに自信すらない。
英語学習について調べてると、何よりもボキャブラリー。英文法がわからなくても単語さえ分かれば英文の大凡の意味がわかるようになるし、文法は後回しでいいという事で、速読英単語の中学版を買って寝る前と朝起きた時に進めている。
俺は中学時代から頭が悪くて勉強が出来ず、運動神経も悪くて運動も出来ず、何よりも他人に比べてとりわけ不細工な上に、メンタルが弱く人に対して強く怒れなくてヘラヘラしてしまうタイプで、同級生や教師からゴミのような扱いを受けていた。廊下を歩くと後ろから蹴られ、向かいから歩いてくる同級生にはキモいと笑われ、授業中は学力不足の大義名分の名のもとに馬鹿にされ、休み時間筆箱を廊下に投げられ、教科書を教室内のキャッチボールの球として使われていたので、勉強をしない割に勉強道具はいつもボロボロだった。自分の自尊心を守れるようなものが何一つない俺は生きる気力が次第に失われていった。父は拘束時間が長いうえに傾斜産業に従事していたので給料もあまりよくなく、母が家計を支えるために2つのパートをかけ持ちしていた。学校に行きたくはなかったが、「もう学校に行きたくない」と泣きながら母親に零してしまった時、母親から「お願いだから普通の子みたいに学校に行って欲しい」と泣きながら言われた事があった。今思えば母もパートで肉体的にも精神的にも疲れきっていたんだろう。学校に行くのも辛いし、母親に学校での生活を打ち明けるのも辛いし、母親に泣かれるのも酷く辛くて、思考放棄しながら中学に通い続けて卒業し、惰性で家から一便近い偏差値30代の高校に通った。
そんな経緯があるせいか、単語帳を読んで英単語を覚えていると、突然中学時代の嫌な記憶がフラッシュバックしてきて不快な気持ちでいっぱいになってくる。馬鹿にされた記憶が掘り返されて、馬鹿は勉強しても無駄だと言われてるような、そんな気分になってくる。英単語の勉強をしてからよく中学時代の夢を見るようになってきた。周りから嘲笑され、縮こまり、恐怖とも怒りとも似つかない酷く嫌な気分になる、そんな夢ばかり見るようになってきた。
英語の学習が三日坊主になるケースはよく見るが、英語の勉強が中学時代の記憶のトリガーになって酷く嫌な気持ちになるケースを見聞きした事が俺は無かったので、もしも経験者がいたらどうやって乗り越えたか教えて欲しい。
グループワークのよそよそしい感じも嫌いだけど、相手がわたしを親しいと思っていてもそれはそれで苦痛だ。要するに誰といてもある程度キツい。誰かとお茶して駅で別れたあとひとりで仕切り直したりとかする。
友達付き合いは、わたしがそういう人間だという理解のある人とだけしている。でも、一番気が合う子に親友扱いされていることが最近発覚したから、今後のことを考えたらもうちょっと引いたほうがいいのかもしれないとか考えてる。
それで表題の件になる。
わたしにとって人に会うことは色々と消費する行動なので、会わない大義名分があるっていいなと思っているけど(それ以上の金銭的な損害とかがあるので総合的にはクソボケはよ滅べと思ってるけど)周囲の誰もそうなっていないことに、この状況が始まってしばらくして気がついた。人に会わないことは我慢なのか。人に会うほうがよっぽど我慢ならないのはわたしだけなのか。
ところでどうして気づいたのが去年とかなのに今更こんなことを書いてるかというと、人と会うのをやんわり断ったつもりだったのに相手が予定をねじ曲げてまで会おうとしてきていて、それが明日に迫ってるのに、3日ぐらい前に送られてきた相手の「全然決まってないけどどうする?何時がいい?」に対して返事をまったくしていないからだ。マジでこれどうやって躱したらいいんですかね。
わーお
癒やしのプリキュア
優しい心
地球をお手当
いろんな言葉を使ったが最後は結局生存競争の元に相手を殺して終わりか
生きるためなら殺すっていうのはまさに、『カルネアデスの舟板』だよ。
どちらか片方しか生き残れないから仕方なかったという大義名分の元に相手を確実に殺す。
それを見事に肯定してみせたわけだ。
こりゃあ凄いぞ完全な戦争賛美だよ
毒親に殺されそうとかイジメっ子に殺されそうとかそう言った子どもたちは相手を殺していい
そうその通りだ
正当防衛だよ
殺されそうなら殺していいんだよってちゃんと教えるのは大切なことだ
子供に見せて良かったよ
そう言われて口にしたのが「生き残りたいから戦うんだ」ってのは大正解だ
そうだ人類はずっとそうしてきた
それが人類史だ
人類史を紐解けば紛れもなくそういった生存のための殺戮の時代が最も長い
ナチスに人類が滅ぼされてないのはその前にナチスを殺しきったからだ
皆で一緒に生き残るために殺しに手を貸す最終決戦は最高だったよ
誰も安全圏にいない
『生き残りたいからプリキュアにビョーゲンズを殺してもらおう』の一致団結はまさに一億火の玉
知らなかったで生存競争の責任を押し付けるものが誰もいない正しい戦後だ
いやコイツは実際凄いよ
誰もが「私達みんながビョーゲンズを殺しました」と自覚してるきれいな世界だ。
実際の戦後はどうだい?
政府が前線が国民が世論が勝手にやった勝手にやらせたと騒いで自分の手についた血を他人になすりつける卑怯者だらけだ。
ヒープリを見て育った子はその点頼もしいよ
祈りを捧げて力を貸すことは殺しの手伝いをしたことに他ならないって子供の頃にちゃんと教わってるんだ
生き残るなら殺すしかないって事もだ
いやいや昭和の頃の私達は被害者なんです次に起きたら無抵抗に捕虜になります連呼の教育は本当にひどかたっねえ
でも安心したよ
ちゃーんと生存競争の厳しさを知ってるし手を汚したことから逃げられないことも知ってる
立派な世代だ
いいアニメだったなあヒープリは
大人って、もっと倫理的な正しさの判断とか、共同体としての意思決定の手腕が長けているのだと思っていた。
そうじゃないんだなあ。
自分の責任にならないよう回避するとか、大義名分だけ掲げて自分のやりたいようにするとか、自分の組織に加わる人を選別して勝手がいいように運営するとか、仲のいい人に利益があるようにするとか、そういうことが上手なだけなんだわ。
ずっと騙されてきたんだな。
自分のことを30歳になってもまだ子供、まだ倫理的な正しさも共同体の舵の取り方もわからんわ、周りの大人は自分の考えつかない次元まで思考が及んでいてすごい、と思ってた。
そうじゃないんだわ。批判して、責任回避するけど、何もやらない大人が多すぎるんだわ。
ホッテントリでスター集めてたブコメでそんなものを見た。(すぐに見つからないので削除したのかもしれない)
仮に彼を裁く裁判があったとして、また仮にその裁判員になったとして死刑相当だとでも言うのだろうか。スターつけた人も。
失言に対する叩きでその内容は人として下回ってるよね。
恐らく元の発言を咎めることより、とにかく殴りたいという感情が隠し切れず表出したんだと思う。
これは見える例だったけど、結構な割合の人が大義名分のグローブの中に暴力を込めてるんだろうなという空気を感じる。
たぶん anond:20210206223117 が言いたいことの半分くらいがこれだと思う。
#DontBeSilent は進めて欲しい。
信じるという行為は、それが真実かどうかということは大して重要ではなく、信じるということにより自己の不安が取り除かれることに重きが置かれる。
自分が不幸なのは自分の努力が足りないから、ではなく、この世を影で牛耳っている悪の組織のせいなのだ、という陰謀論を信じる方が、自分が傷つかなくて済む。
自分が悪いのではないという安心を得ることができる。悪いのは全部アイツらのせいだと言って、(存在するかどうかはともかく)巨悪と戦う大義名分を得るのだ。
敵を見立てることにより、視線を外に向け、自分を見つめることなく、(一時的であれど)自分が安定する。
他人に愚かしいと思われたところで、そいつらはどうせ悪の組織の一味なのだと決めつければ、聞く耳を持つ必要がない。