2021-02-03

信じるという行為は、それが真実かどうかということは大して重要ではなく、信じるということにより自己不安が取り除かれることに重きが置かれる。

自分が不幸なのは自分努力が足りないから、ではなく、この世を影で牛耳っている悪の組織のせいなのだ、という陰謀論を信じる方が、自分が傷つかなくて済む。

自分が悪いのではないという安心を得ることができる。悪いのは全部アイツらのせいだと言って、(存在するかどうかはともかく)巨悪と戦う大義名分を得るのだ。

敵を見立てることにより、視線を外に向け、自分を見つめることなく、(一時的であれど)自分が安定する。

他人に愚かしいと思われたところで、そいつらはどうせ悪の組織の一味なのだと決めつければ、聞く耳を持つ必要がない。

陰謀論を信じることは、ある種の癒やしであって、スピリチュアルに近いのかもしれない。

厄介なのは闘争心をたぎらせていることだ。

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