はてなキーワード: 創作物とは
「『個人の選択の結果の服装』って言い方」がどう勘違いなのか、「然るべき文脈」が一体どういう文脈を指すのか、またその「然るべき文脈」において3Dと現実の洋服の違いがどう問題になってくるのか、申し訳ないけど自分にはちょっとよくわからない。
文脈について、以下の2つに分けて考えなくてはいけないと考えています。議論のレイヤーと言ってもいいです。
で、自分の基本的な主張は、前者の文脈での「人格」「魂」などの用語や概念を、安易に後者の文脈で使うべきではないということです。なぜなら、社会問題の領域で何らかの主張をする場合、ロジックに強度と普遍性が求められるからです。
二次元絵の取扱については、児童ポルノ関連など、踏んだらやばい案件がゴロゴロしています。なので、ここで勢いに任せて変な主張をするのは危険だと思います。
普遍性が求められるというのは、例えばこれから出てくるかもしれない、中の人が男の美少女Vtuberとかその逆とか、集団で運営される場合とか。例えばキズナアイのヌード写真集が企画されたらどう扱われるかとか。
そういういろんな想定に耐えうるロジックになっているかを心配しているのです。
基本的に、発端となった批判は社会問題に属するものです。批判そのものが妥当とは思いませんが、ともかくNHKのサイトに掲載された二次元絵が問題となりました。これに対する反論は、社会問題のレイヤーで行われるべきであり、また、自動的にそう扱われるはずです。
話がわかりやすくなるか微妙ですが、議論のレイヤーをもう一個増やしてみます。
三番目について、裁判所で「3Dと現実の洋服の違い」が議論の余地が無いことはわかると思います。だって絵だもん。キズナアイの服飾デザインが、現実における服装とみなされることはありません。デザイン担当者の作成した表現物として処理されるでしょう。
で、今回は二番目のレイヤーで話をしているはずなんですが、これは1番目のレイヤーと3番目のレイヤーのどちらに近いかってことです。近いというか、二番目と三番目は地続きだってことです。男女差別とかそういうたぐいの話だから、そうだよね。
で、そのレイヤーで話をするときに、無邪気にVtuber独立した人格論を展開して、第三層まで戦えますか?あのデザインはただの創作物ではなく、中の人の自己決定権によるものだと主張することに合理性や将来はあるのかってことを疑問視してるわけです。今後いろんなタイプのVtuberが出てきたときに全員をちゃんと保護できるロジックになっているか、もっとシリアスな問題が発生したときに足元を掬われるようなことにならないか。ちゃんとそういったことまで視野に入れた上で、「キズナアイには人格がある」と外部に向けて主張しているんですか、と疑問に思っているわけです。
Vtuberは一人の人格として独立していると私は見なす。中の人もいるし。
一人の独立した人格に対して、性的だから公に出てくるなとフェミニズムが主張するのはおかしい。個人の選択の結果の服装は弾圧されるべきではない。
ここで主張されていることって、極端な話、キズナアイの造形を決定するにあたって憲法21条の表現の自由ではなく、13条の自己決定権によって行われてるってことだよね。それはおそらく外部に向かって通じる理論じゃないです。いきなり話がでかくなって自分でも違和感あるけど、外部に向かって議論をするときにはそのくらい考えておいたほうがよいだろうと思ってるよ。
この部分も「法的に『キャラとして設定も尊重されてる』わけではない」ことがなぜ「『キャラとしての設定として魂があって中の人の人権が尊重される』という言い分は無理があるって結論になる」のかちょっとよくわからないです。なにが「だから」なのか。
これは書き方が悪かったな。自分でも何言ってるのかわからん。まあやっぱり文脈次第でって話。
デーモン小暮の本体はもちろん人権を保証されてるし、エンタメの文脈では設定も尊重されてペイントのまま相撲中継したりしてるけど、公的な場所、たとえば運転免許証の写真では、ペイント落とさないと通らない。文脈によって、あのペイントの顔がデーモン小暮の素顔だという設定が無効になる。
同じように、キズナアイの中の人も人権を保証されてるし、エンタメの文脈では「キズナアイというタレント」という設定も尊重されるだろうけど、社会問題を扱う文脈ではその看板をおろさざるを得ず、3Dモデルの服飾デザインは中の人の自己決定権によるものだという主張は難しいだろうって話です。
とします。紛らわしいので。
私は赤さんのことを5年くらい前から知っている。その当時、彼女は某幼女向けアニメの二次創作をしていた。更新頻度も高く、好きなキャラ、カップリングも同じだったので、自然とファンになった。彼女はイラスト投稿サービスに登録して、多くの方々と交流をしていた。私はというと、まだそういうサービスへ登録することは気が引けていたので、毎日赤さんのページへ行っては、更新を楽しみにしていた。
月日は流れ、私はTwitterに登録したり、あのイラスト投稿サービスへも登録をしたりして、オタク的趣味を楽しんでいた。私は懐古厨(?)なので、ある日急に思い出して、昔好きだったジャンルの過去ログを見返した。ちなみに、この方法でフォローした方が結構いる。蛇足でした。すると、彼女のページは残っていて、トップには「Twitter始めました!」とあった。私はすぐにリンクを踏み、フォローした。
赤さんは、二次創作ジャンルから離れ、一次創作をメインに活動していた。私は、彼女の創作も少し読んでいたし、何より、大好きだった方の新しい創作物が見られるのが嬉しかった。彼女がリツイートする中には、かつてのイラスト投稿サービスで会話を楽しんでいた方の名前もあり、今でも仲良くしていらっしゃるんだなぁと感心してしまった。
今思うと、もしかしたら私が始めて赤さんを知った頃から、赤さんと青さんは関わりがあったのかもしれない。
しばらくすると、彼女が繋がりたいタグを使ってフォロワーを募集?していた。私はもちろんいいねした。リツイートは覚えていない。そして、赤さんは私をフォローしてくれた。相互フォローになったのだ。そのときは、「神絵師にフォローされた!」と小躍りしたものだった。
私は、赤さんが「初対面の私の印象は?」というタグを使えば、『〇〇のときから知ってます!』とアピールをし、「今日誕生日です!」と言えば、『おめでとうございます!』と言ってイラストを描いた。大好きだったから、憧れていたから。そのうち、私は赤さんの中で「△△(キャラ名)が好きなフォロワーさん」という認識になった。私自身、本当に△△は好きだし、新規イラストが来れば、いつもリツイートして感想を呟いた。
でも、いつからか、私は彼女のことがあまり好きではなくなってしまった。もちろん今でも彼女の絵はうまい。私なんかよりずっと。私は絵を諦め、字書きへと逃げた。本を読むのは好きだったし、文もそこそこ書けたから。でもきっと、文字書きさんの中には、絵描きを諦めたからこっちへ来たという方も少なくはないんじゃないかと思う。蛇足。
赤さんは描いた絵を何度も何度もTLにあげる。「あげ」とか「みて」とリプツリーに繋げてあげる。それが少し気になってきたのはいつ頃だろうか。
それに、キャラの設定についてのツイートばかりする。例えば、「△△はアパレルショップで働いてるけど、裏でタバコ吸って怒られてる」というのを、毎日毎日50くらいいるキャラを日替わり、いや、偏りがあるけれど、でツイートする。
この前のあれは本当にひどかった。「◽︎◽︎はピアノ弾き設定だけど邪魔だな〜消そうかな〜〜」こんなツイートを見た瞬間、は?と思った。何言ってんの?◽︎◽︎はピアノ弾き設定だからこそ今の彼氏と出会って、その対比が面白いんでしょう?ていうかあなた初期にその設定の漫画描いてますけど、どうするんですか?
それでいて、「アニメ化したらこんな声がいいな〜」って言ってyoutubeのリンクを貼ってツイートする。そんなにコロコロ設定の変わる漫画、アニメ化なんてするわけないだろ。てめえの脳内だけで考えてろや。
そんなわけで、私は赤さんの裏垢はブロ解した。裏垢はもっとひどい愚痴や設定話ばっかりだった。私が今でも大好きな某幼女向けアニメ。あの続編を「生理的に無理」と言い、シリーズ総集編で出されたグッズに「気持ち悪い」と言う。挙げ句の果てに「その辺のワード全部ミュートにしてる」と言う。多分この話題はまたはてなで書くと思う。全体へのイライラがあるし。蛇足。
とうとう登場です。青さん。
青さんは最近赤さんと仲良くしている方だ。きっと男性だ。赤さんは裏垢、青さんは表垢で会話をしていた。リプでじゃない。エアリプで、だ。ということは、彼あての言葉が私のTLに並ぶ。
「すき、かも、、、?」
「ほんとうにだめな人だなぁ」
やめろ。
全てのツイートにいいね1。見ると、全部青さん。会話しているとき、彼と彼女だけを入れたリストを作ったら、見事にLINEのようなTLが完成した。
私は、友達との自撮り写真しかあげないようなTwitter始めたばかりのJKがリツイートしがちな、ひらがなポエム(無断転載背景)が大嫌いだ。クソくらえだ。だから無理だった。さっきも言ったけど、ブロ解した。
今、私がフォローしている赤さんのアカウントは、表垢、二次創作垢、日常垢の3つだ。もう彼女の文は見たくないけれど、創作に罪はないし、絵はそこそこ好きだ。それに、もう私は名前も覚えられてしまったし、ブロ解しても、彼女は△△の絵を描いて投稿したとき、私からの反応を期待するだろう。彼女はそういうところがある。ないとしたら盛大な勘違いだが。気持ち悪いな。
どうしたらいいんだろうか。もう彼女の創作に興味はない、と割り切ってしまうべきなんだろうか。今、私が考えられる最適の方法は、Twitterのフォローを解除し、イラスト投稿サービスだけフォローを残す。でも、◽︎◽︎がピアノを弾かないなんて考えられないし、青さんとの濃密な時間を元に描かれた新しい創作なんて始まったら、発狂してしまう。
赤さんのことが好きだなんてことは断じてない。人間として嫌いだ。どうしたらいいか、コメント機能とかがあれば教えてもらいたい。ちょっと前にあった、文字書きの2人の匿名ダイアリーに「百合w」ってコメするようなことはできるだけしないで、解決策を教えてください。お願いします。
しかし世の中には創作をしない人間が大多数を占め、その大多数にとっては製作者の時間や想いなど関係がない。
厚かましい人間がいるものだとたまにネット上でも話題に上がる。
さて、A子の元にもそんな人間が現れた。
彼女ーB美ーはA子がお世話になっている人の親戚だという。
そういう事情と大量の注文により知り合い価格で、また、無料で追加制作を承っていたA子であったが、今度の注文はB美の友達へのプレゼント用であった。
もちろん面識などない。
正直に料金を言うと大層驚かれたようだ。
それがA子には我慢ならなかった。
「ボランティアでやってるんじゃない」
「厚かましいにも程がある」
普段からA子には何を言ったところで火に油である私だが、あまりの言い様に「創作しない人には分からないんだよ」とたしなめた。
それがやはり気に障ったらしい。
わかる。
なんだかよく覚えていないが、創作者らしいことを言っていたような気がする。
一介の創作者である私にも大変よく理解のできることを言っていた。
先に述べたように、それを作ることのしない人には分からない領域である。
知らないことは、分からないのだ。
一見、何の問題もなく見えるそれだが、この装飾はA子が描いたものではない。
なんと画像検索で出てきた画像素材、そのSAMPLE文字を消して使ったものである。
さらに無料素材ならまだしも、どこから取ってきたのかも分からないと言うから驚きだ。
SAMPLEが付いている時点で、無断利用はご法度であろう。
だから「創作しない人には分からない」と油を注いでみたところもあるのだが、そんなこと知る由もないA子はヒートアップ。
私も私で、よせばいいのに素材の無断利用のことに言及した。
A子の言い分はこうだ。
当たり前のことだ。
A子から見れば私は絵のことになるとムキになるらしいが、生憎私は絵を描かないので例えこれが画像素材でなくとも引き合いに出したであろう。
結局、何を言ったところでムキになるの一点張りで面倒くさくなり打ち止めた。
今回、良い機会だと思い素材のことに言及してみたのだが、どうすれば理解してくれるのだろう。
わかる。
だけど、とても悲しい。
それがポジティブな理由で有名になって、徐々に拡大したとしたら
どこかの段階で韓国右翼に見つかって面倒事になる
それがポジティブな理由で売れて、深夜アニメになって、ゴールデン進出しちゃったら
その時点でPTAに見つかって面倒事になる
その時点で面倒事になる
物事には「厄介な奴らに見つからないための適切な領域」というものがある
特にインターネット時代、普通は出会うはずのない2者がSNS上でうっかり邂逅してしまうような時代だからこそこのコントロールは重要だ
これをコントロールするためには、厄介な奴らを適切に把握し、その人が見たときにどの程度炎上するか把握する必要がある
もしくは全て無視して毅然とした態度でポリシーを貫くかだが、炎上は下手をすると世界レベルにまで発展するので、その手を取れる組織は少ないだろう
上記投稿からこの投稿までに、イメージとか創作物とかの語がない投稿は挟み込まれていないので
イメージとか偏見であるとかは文脈上前提であって、リアルがどうこうには触れていないつもり。
「森永」
「森崎」
「中園」
「園井」
文字だけを頼りに物語を追ってると、漢字から受けるイメージが結構重要じゃないですか。
漢字の字面がキャラの顔っていうと言い過ぎかもだけど、初めて読む作品はキャラクターとも全て初対面なわけです。
リアルで一日にこんなに初対面の人といっぺんに会うことって、私はまずない。
しかし、その文字だけの世界で同じ漢字を使ったキャラが現れると混乱する。
あれ?この漢字のキャラすでに出てるけどなんて名前だったっけ?
どこに出てきてどういうキャラだったっけ?
見当がつきそうならその場で遡って読み返して確認する。
漢字が被ってるだけでそれが伏線になることもないことがわかれば、安心してそのまま読む。
どのへんに出てるかがわからなくなってしまったりしてる場合は、もやあっとするけどがまんしてそのまま読む。
でも、もやあっとはしてる。
どのへんで、どこででてきたキャラだっけ、と漢字被りしてるキャラが出てる間、ずっともやあっとする。
歴史物とかで、一族は同じ文字を必ず使うしきたりだったら仕方ない。
しきたりだから。
リアルでも同じ姓の知り合いいたり、似た名前の知り合いができてしまうことは普通にあると思います。
私も同じクラスに自分と同じ名前のクラスメイトが二人(自分を含めると三人)いたこととかあるし。
(名前で呼ばれていた子はそのうち一人だけだったので事なきを得た。)
でも!!!
漢字が被らないようにコントロールすることは可能ですよね!!!???
このキャラにこの漢字を、とか、この音を、っていうこだわりはあるかなーとは思います。
でも、文字だけの世界で漢字が被ったり、音が被ったり(特に初めの二音)っていうの、マジで読みにくい!!
『悪いものはなくなるべき』の思想には断固として反対でいいんじゃないでしょうか。なぜゾーニングまで反対するん?
私はロリ好きとかハイエースとか小学生は最高だぜとか膣(なか)に出すぞとかをネット民がネタとして堂々と消費してきたのを見てきました。
小学生時分にそれを見て不快極まりなかったし、そういう環境で小学生を性愛対象とすることに一切の後ろめたさを感じない人達が大量醸成されていくことに危機感を感じました。
創作物の影響を軽く見ないでください。
創作物を何よりも愛好するはずのオタクが「創作物の影響なんてない」と言い切る欺瞞に腹が立ちます。
私はどんなにヤバい創作物でも『現実ではダメ』の意識があればいいという意見ですが、しかし隠さないで堂々と出してくる人達、おおっぴらに消費できる人達にはたしてその意識はあるんでしょうか。隠すのは「ちゃんと悪いことだとわかってますよ」という意思表示になるんです。
隠されていれば受けとる側も「こっそり楽しむ特殊趣味なんだな」と理解できるんです。
キズナアイが性的かに関しては、私個人の感想では「そこまで気にならない」が答えですが、あなたの『無邪気』な意見は認められません。
私はその人たちの普段の行いを知らないので、どうもその人たちは「実在しない女性(という設定)のキャラクターの権利を云々騒ぎ立てる困った人」に見えている。
たぶんこの「その人たちの普段の行いを知らない」というのが重要で、その人たちは普段はちゃんと3次元の女性の権利を守るために戦っているんじゃあないかと思うのだ。
その活動の延長線上に、おそらく「女性の権利侵害を助長しそうな表現への苦言」と言った活動があるんじゃないかと思う。
(そうじゃなくて本当にいわゆる萌え絵ばっかりに文句をつける人はただの困ったチャンだと思うので今回は考えない)
フェミニストの人から見た世界は大変な世紀末、って感じなんだろう。
ラノベコーナーに行けば無駄に露出も多ければ性的強調も多い、女性の権利なんて考えたこともなさそうなイラストばかりだし、
テレビの中では女芸人が容姿を罵倒されても本人含め皆へらへらと笑っているし、
かわいらしい女の子の恰好をしたAIは短いスカートをひらひら振りまわしてポンコツな相槌を打っている。
こんな表現達が世の男性諸兄と一部の女性諸姉のジェンダー観を助長し、男女不平等な世の中を作り上げているに違いない!!!!!!!!
と、気炎を揚げてしまうのも無理はない。
でもちょっと待ってほしい。
順序が逆じゃないですか?
確かに客観的に見て、どうも古めかしい女性ジェンダーを表象するような女性キャラは多い。
でもそれは、3次元でそのジェンダーを強制されている女性が多いからじゃないですか?
多くの人が、そういうジェンダー観に囚われているからではないですか?
古いジェンダー観に囚われている人が多い→そういう創作物表現が増える→古いジェンダー観が強化される……
そういう悪循環は確かにあるかもしれない。(エビデンスなんてものはないけど)
ただその悪循環を断ち切るのに、楽ちんそうだからって創作表現に文句をつけるのはやめませんか。
創作表現に文句をつけるフェミニスト達は、ただ手抜きをしたいだけに見える。
別に手抜きしたっていいと思いますよ、ただ、その手抜きはその創作表現を好きな人たちを傷つけてる。
悪意のない無自覚な人たちが、3次元の女性を傷つけているように。
無意識に女性が傷つけられることが許容される世界を変えていこう、っていう人たちがそういうことするのはいかがなものかと思います。
萌絵は性的か?
→性的要素を含む。度合いはグラデーションで、ほぼ含まないけど萌え絵っぽいものもある。キノとか
性的なものは公共の目にさらされないようゾーニングするべきか?
→性的なもの、がわからんが、現実男性が現実女性に性的なものを感じる以上、ゾーニングはできないだろう。ヒジャブ?
実在の人物はともかく、性的な創作物は公共の目にさらされないようゾーニングすべきか?
→ある程度したほうがいいんじゃないか派
なんで?
→性的なものが嫌いな人がいる、でいいんじゃないか。ハラスメントは極力控えるべきという視点から。
そして「公共の場においてエロがないことは嫌がらせ」と感じる人はいないんじゃないか
個人的には、ある女の子に綾野剛と自分を比較されて悲しい思いをしたから、イケメン俳優もルッキズムに貢献してるという点で露出を制限してもらえるとありがたい。
キズナアイについて
→最初はわからなかったが、性的な要素を含んでいると感じる。あざとい。
あれがハラスメントに該当するかは人によるが、少数派なんじゃない?という感覚。街を歩けばあんなもんじゃない人はふつうにいる
→そうでもないと感じる。これを機に白衣モードとかの衣装つくったらいいとは思うけど
→ありふれていたけど、逆でも別にいいと思う。
ただこの構図自体を忌避すると、あとは男→男、女→男、女→女のいずれか、または性別を想起させないモチーフしか受け入れないことになる。
それが理想とも思わない
ある社会学者について
→業界のルールによるんでないか。なんらかの方法で成果物の程度が担保されていればいいと思うよ。
じゃあ何が問題?
→①実績のない人が権威あるようにふるまうこと、②その人の程度の低い成果物が世に広まること が問題
そしてこれは社会学だけに、文系だけに限らず、アカデミックの各地で問われることだとおもう
かなり面倒な部分を掘り起こした印象
ほんとのことを言うと、ゾーニングなんてしたらいいじゃんと思っていて、嫌がる人の気持ちがわからず
社会学者がたたかれているのは発言権を剥奪したかった人がいるんだろうなと感じている。
出勤しないと。あとで追記する
とても自分勝手な日記と思ってついココで匿名の日記に記すことをご了承ください
二次創作においてはご自身の描きたい書きたい内容や題材で作成するものであり読む人のため…といった考えではないので
いかなるものであっても余程の不道徳でない場合は問題ないと考えています
(この場合二次創作のグレーな部分や公式様に暗黙の了解頂いているものとしてその元で楽しませて頂いている件に関しましては今回省いて日記にしていること申し訳ありません)
その二次創作で使用する題材やテーマでは人によっていわゆる地雷といったことに相当する場合も無きにしもあらずと思います
地雷であるからといってそれを作成した作者様に非難をお伝えするのはまた別問題と思い、なるべくスルーが良いと考えていますが私自身は死ネタがとても苦手です
好きなキャラの死を嘆く面もある中で人様(公式)のキャラを死という悲しい題材の中に置くことも、ご自身以外のキャラを愛する方がいる中でそれを題材とすることも
苦手となります
何故苦手かというと私もかつてとても大切で尊い相手をリアルに死別という形で失った経験があるからです
これはあくまで私自身の個人的事情にすぎないものとなりますが、リアルのその時は急に訪れました
ある日突然大切な人の友人から私の携帯に連絡が入り夜中ですが駆け出して探しましたが見付からず、3日後行方不明捜索依頼してあった警察より連絡を受け
それは不慮の事故として身元確認を行ないました。世の中の全てが斜めになる様な感覚を味わいました。よくドラマや映画でそういった表現をされますが
まさにその通りでした
どうやって自宅に帰ったのか…どうやって日々過ごしたのか。
中略いたしますがこのあと落ち着いた記憶がある時には毎日朝起きると何故自分は生きているのか。何故その人はこの世にいないのに自分は寝て起きているのか。
そしてそこから少し経過して何故私の記憶にその人はいるのか。私の記憶から全てなくしてほしい。楽にしてほしい…。と毎日朝がくる度絶望しました。
そこから2~3年は普通に過ごしてはいますが毎日普通のフリをしているだけという生活となり、今はあれから15年程経過しているのですが
少しづつ忘れている自分にたびたび悲観します。もう声も思い出せない。触れた手も温もりも本当にあったことなのか思い出せない。
生きているんだから仕方ないんだよ…それでいいの。と近い方に慰めてもらうし私もそうだと思うし決してそのことがあった直後に願った様に
記憶丸ごとなくなればいいとは考えていなくて、今の自分を作ってくれた大切な部分だと思っています
ただ今でも望むことは、もう話すことも触れることも出来なくていいから、そっとどこかで生きている姿を一目いいから見たい…という気持ちが
拭いされません。
当時お骨だって拾いました。
何度もお墓の前で泣きました。
自らの命を投げ打ちたい気持ちにも幾度となくなりました。
そんなことしても何もならないのに…、と何度も思いとどまったので現在があると思っています
この私の経験を踏まえて二次創作において死ネタを扱うことへの拒否反応がすごくあります。
自衛して見ないようにしているつもりだし、あくまで私の個人的事情であることなので非難するつもりもありませんが喪ったことへの
心の移り変わりや成長を創作物という娯楽で楽しむという行為がどうしても価値観が理解出来ず…繰り返しになりますが人の嗜好を
否定するつもりはありませんがどこかに吐き出したい気持ちが抑えきれず…本当にお恥ずかしい限りです
このはては日記をご覧になって不愉快に思われた方もいらっしゃると思います
娯楽は楽しむもの。萌えだって同じく楽しむもの…という考えがあるので悲しくて。
うまく纏められる文章が書けなくてお恥ずかしい