はてなキーワード: 再現性とは
自分の仕事としては案件進めているうちに出てくる課題とか機能追加とかバグ修正とかを設計してIssueとして作って他の人に振ったり自分で作業に当たったりと色々なんだけど、
最近とあるプログラミングスクール出身の同僚エンジニア(最近同じ部署になった)が自分の案件にアサインされた。
内容としてはとあるテーブルの特定カラムのバリデーション処理が漏れているから追加してもらって、なおかつユニットテストを修正する、というもの。まあ簡単な奴。
Issueを振ってからしばらくすると同僚エンジニアから質問が来た。
「ん?」と思った。いや別に特殊なことなんて何もないIssueだし似たようなテストケースもリポジトリ上に山程あるしどうにでもなるじゃんって。
まあ特に考えず1個のテストケースを例として自分で作ってみて、「残りは○○の場合とXXの場合と△△の場合のテストケースを網羅してください」みたいな返信をした。
しばらくするとまた質問が来た。「△△の場合のテストケースの実装方法がわかりません。」
いやいや、そんなん頭使ってどうにかこうにか考えろよって。案件特有のビジネスロジックのことを聞かれるならわかるけどこんなレベルの対応どの企業のどの案件で振られても同じことやるだけやん。
この質問してるのが未経験の入社1ヶ月目の新入社員なら自分は笑顔で答えるけどこのエンジニアは俺よりキャリアが長いらしい。
その同僚エンジニアはわからないことがあるととにかく素直に「わかりません」と言ってくれる人だった。
成果物についても指摘事項があまりにも多く、自分(というかその人以外)がやったら10分くらいで終わる対応に数時間以上かけて説明して修正してもらうという感じになった。何のための仕事をしているのかよくわからくなっていた。
自分はITエンジニアが「わかりません」という言葉を使うのは例えばどうしても再現性がなくてログにも何も残ってない謎の不具合とか、コンパイラやインタプリタレベルの不具合で現時点で解消方法がどこにも載ってない奴とか、そういうマジで「参りました」的な状況だけかと思ってた。
こんな公式ドキュメントとデバッグツールだけでどうにでもなる状況で「わかりません」を使う人に遭遇するのは初めてだった。
その人はとにかく「わかりません」が多い。
レビューの指摘の意味がわからない、指摘内容はわかっても修正方法がわからない、影響反映を洗い出してほしいと言ったら影響範囲の洗い出し方がわからないと言われる。何ならわかるのか教えてほしいくらいだった。
うっすら評判悪いのは知ってたけど実際に仕事してみると尋常じゃないほど酷かった。
こっちもいろいろ対策を考えた。
Issue振るときはソース上に「↓ここの○○をXXになるよう修正してください」とコメントを書いてから仕事を振るようにする、「わかりません」が来そうな部分は先手で予想して回答を載せる。
でもダメだ。こちらの対策なんてものともしないように全てを掻い潜ってくる。
もはやその人に仕事を振るのは「この作業を担当してくれたら助かる」ではなく「この作業であれば流石に”わかる”だろう、そして単純作業の量が多いからしばらくは邪魔されないだろう」という感じにできる限り疑問点が少なく時間がかかる作業で”遠ざける”のが目的になっていた。
最低でもあと1年くらいは人事はこの状況らしい。。。
こういう状況ってどう扱うのがいいんだろうなぁ。
真面目に「駆け出しエンジニア」が、入力に対するパフォーマンスの不一致が原因で、勉強停止が起こる理由を説明しよう。
そもそも、インフルエンサーのつく「フリーランスで年収一千万」という主張に再現性が無いのだ。まず、Rails + React を使う教材が多いが、その手の連中の壁が英語なんだよ。まず、「ちょっと、できるようになった」エンジニアが「ググって問題解決できる知識が書いてある」ところが、英語で書いてある。別に「英語を使えたら、年収一千万」なんじゃなくて、日本人の絶対数が英語圏より少ないことから生じる事象であって、日本人が解決するネタは「欧米人が解決している」可能性が高いのだ。そのせいで、欧米人よりも日本人は応用性に劣るというギャップが生じる。これは、差別ではないから、今後も解決できないです。
それが、間違うのよ。なんでかというと、Google や Likedin のようなサービスには MapReduce や Kafka のようなミドルウェアを生み出す原因をつくっていることがあって、後になって「似たようなものと違った」原因となる OSS として公開されるのよね。そして、我々が Rails や React として使えるようになるのであって、順序が逆なんだよ。
日本マイクロソフトでは、早慶を出た文系がたくさんいるけど、彼らは「アメリカで作ったものを日本で売る」というビジネスが成り立つから、コードを書く必要ないの。だから「コードを書いてないのに、年収が高い」という矛盾は、全く問題なし。日本人の給与でコードを書いたら、コストが馬鹿高くなるのよ。
そりゃ、君の使っている教材って、日本においても無料だし、浮いた学費は「自前で問題解決するため」にクラウドでも使って勉強した人の方が評価されるよ。ジャムおじさんも「美味しいパンを作ろう」といいながら、アンパンマンを作っちゃったから、世の中そういうもんだよ。
雇用の硬直化、および「専門学校や大学」といった勉強した連中が、貴方を選ばない原因の人材となります。だって、教材は同じだもん。ちゃんと勉強した人が、供給されている以上は負けますよ。
だから、マナブはタイに行ったんじゃね?しかし「NTT DATA が SEO を頼んできた」という Tweet は本当にウケけた。今どきの SEO なんて、NTT DATA なら Google から加点するっしょ。落ちぶれても、「デー」は一流だよ。タイにいる胡散臭いアホに頼むぐらいだったら、社内の「SEOエンジニア」に勉強と社益を兼ねてやらせるよ。ちゃんと利益出るし、SEO 真面目にやったからアクセシビリティも上がるからね。
色々と言い訳するだろうけど、お前の主張は「飲食店で一時は成功したって本当?。だとしたら飲食業の人は一目をおくはずだが?」「本当は健常者が発達障害をたてに中枢神経刺激薬をコンサータを獲得するだけの言い訳に使ってないか?」「お前の ADHD は、医学的に総意を得た ADHD なのか?」「そもそも日本人の殆どは早稲田に受かんない頭脳だけど、お前がスペシャルであるだけなんじゃないの?」「俺の理論が正しい、何故なら『本が売れたから』というのは『正しさ』の証明にはなってなくね?」「早稲田に行って『飲食で成功する』ってのも変じゃないか?」という疑問はペンネームを使う以上は、消えない問題なんだよ。
「本当に早稲田なの?、ADHD なの?、成功したの?、再現性あるの?」というのはさ、「私は〇〇です」というリアルな名前があって一対一対応するわけじゃないですか。はやい話が発達障害を【カルタシス】に活用したビジネスを「借金玉というペンネームで匿名性を借りてやっている」のだったら、詐欺師と同じだと思うのですね。だから、貴方の主張をリアルと比較したい。それには借金玉という人の「本名」が必要なんです。この疑念は「私は〇〇です」といわない限り、消えることはありません。諦めてください。
あと「債権玉という人が本当にいて、借金玉が『免責される自己破産』を、自らの意思で返済した」のを美徳化するのは絶対にめてくれ。やり方がヤクザだ。日本国で自己破産を正しくされたら、貸した金は損金で帳消しされるのだ。資本主義社会というのは「債権主、貸し手、株主」はリスクを取ることで、利益を上げているのだから「債権玉は借金玉に投資した責任」をとらされるのは当然じゃないか。もし仮に「債権玉」という人がいたら、世間的には「会計・法的な根拠がなく、利益を受け取る受け取る自然人」がいることになるし、それを出版社が肯定したら「反社会的勢力」に認定されるのが、令和なんじゃないのか。
借金玉、俺はお前を信じたい。お前が「イケダハヤト」「与沢翼」のような早稲田に行った、昭和60年に生まれた「詐欺師」ではないのだと。お前には才能がある、と俺は確信している。お前が苦労したことは、やがて俺がやることになるし、今まではリアルで再現された。なぁ、「都会の荒波は、田舎者には眩しくて辛かったよな?」「東京に生まれたらセンター試験を受けないで済んだよな?」「コンサータを飲んだら、別人になったよな?」。なぁ?俺は、お前の主張を信じたい。だから、名乗り出てくれ。じゃないと、俺はお前を信じられなくなる。
あと、訴えないでねー♡。
借金玉センセイは「双極性障害+ADHD」を「コンサータ+カフェイン+糖質+ニコチン」という双極性障害のアクセルをベタ踏みにするハイになる(合法)薬物で今の地位をゲットしているから、攻撃的なのは仕方がない。彼の鬱病は、双極性障害からきているので、一般的な鬱病と同一視するのは危険だし、彼のような躁鬱にコンサータをだしている医師はヤブな可能性が高め。躁うつ病には炭酸リチウムが良いけど、こいつは腎臓に悪い。躁うつ病には第一選択肢だけど、借金玉センセイは腎臓キラーのような生活しているから、真似しちゃいけない。透析なんてしたら、彼には治療法がなくなる。彼の本が美しいのは彼が命を削った刹那さに、敗北主義者たちが傷なめする要素があるからであって、暴走族のヘッドの話が「昔は悪だった」という要素でウケるのと同じだよ。再現性がない。バカバカしい。(^ν^)
塊としてみた時に、はてな民って人格の騙されやすさは異常だなとknoaの件で改めて思った。
https://anond.hatelabo.jp/20210721135308
https://anond.hatelabo.jp/20210726195557
彼に犯罪歴があるかどうか?は、この際には問題ではないと思う。前科があったとしても清算が終われば、それを批判の種にするべきではない。
実際に、雇用する、結婚する、交流を持つとなれば、再犯率の高い性犯罪者をどう考えるか?という問題は自衛のためにも無視できないが、ネット上でそれは関係ない。
彼に関する問題は、専門家でも何でもない商学部卒の素人が、何の根拠もなく信頼に値しない占いを、予想と名付けて公開して専門家面してしまっている事にのみある。
通常、「予測」というのは、根拠となる理論とそれを発表した論文などがあり、数理モデルが説明され、世界中の誰もが再検証できるし妥当性の判断が出来ると言う前提でのみ価値を持つ。
何が正しいのか?正しさとは何か?って視点が、knoa予想を信奉してしまう人たちには、ごっそりと抜け落ちてると思う。
もちろん、はてなにも初めからknoa予想を占いと断じて否定していた人たちもいるが、彼らは明かに少数派だった。
はてなの過去を振り返ってみると、似たような連中は他にもいた。記憶に新しい所だと、国会ウォッチャーがいる。
共謀罪で馴染みがあるであろう、組織的な犯罪の処罰及び犯罪収益の規制等に関する法律、が制定された時に増田で活躍した人物で
共謀罪を設定する事に反対して、各国の条文などを、意図的に単語を抜いて翻訳する事で、危険性を訴えていた輩だった。
やはり一部のブックマーカーは、ロジックに見過ごせない粗があると疑い原文を当たって、国会ウォッチャーの英語力の不足などではない明かな嘘があると増田やコメントで指摘をしていたが
この時もはてな民の多数は、国会ウォッチャーの詐欺を真に受けて、ほらみたことか!と大騒ぎしていて全体としては信奉している状態に見えた。
民主党政権が誕生した時に、詐欺フェストにたいして、「財源が見当たらないし出来るはずがない、何故信じる人がいるのか分からん」と言った声を
押し流して民主党に支持が集まったように。そうあって欲しい、そうだったらいいなって意見を、無条件に信じてしまう人が多いんだろうね。
コロナ占いの件で言えば、感染者が増える方が政府の批判が出来て、オリンピック批判が出来て都合がいいから、それに乗っかるし
共謀罪の件で言っても、共謀罪に反対出来るのが都合がいいから、乗っかってしまう。
総体としてはてな民を眺めた時に、客観的で論理的な視点や考え方と言うのが、ごっそりと抜けているように見える。
何が正しいのか?本当に正しいと言えるのか?という視点と、蓋然性を求める姿勢を持たない事は非常に危険なことだと思う。
世の中を間違った方向に動かしてしまうだけでなく、個人個人も詐欺にあったりと被害を受けやすくなる。
主張に明らかな間違いはないのか?
主張に実現可能性はあるのか?
と言った視点は常々持っておきたいものだと思う。自分の中に基準をもたないと、籠池や菅野完やショーンKみたいな山師に常に騙される事になる。
ワクチンや放射線に関するデマを信じて行動を大きく変えてしまえば、人生にも少なからぬインパクトが出てしまう。場合によっては、自身や近しい人が死ぬ事になる。
客観的な視点を常に持っていても、博士を取得した人が、きちんと論文が書かれてデータを提示されていれば、素人には容易に嘘を見抜くことは難しい時はある。
STAPとか、事実を積み重ねて再検証して嘘であると断定するのは、素人には労力的にも能力的にも無理だし、騙されるのをゼロには出来ないとも思う。常に絶対に間違わない人はいないだろう。
だが、knoaや国会ウォッチャー、詐欺フェスト程度の信じるに値しない意見を信じてしまうのは、誰にでも簡単に止められるのではないか。騙されやすさは改善出来るはずだし
信じるに足る根拠があるかどうか?くらいは、平均的な知能を持つ人には簡単に考えることが出来るはずだ。この姿勢は、真に知的な態度だと思う。
knoaの件で冷や水かけられた人は、これを機に少し自分を顧みて、客観的で騙されにくい、そんな知的な人間になってみてはどうか。
令和二年度春季試験に向けて勉強していたら中止になる面倒になったのでしばらく存在を忘れていた。
そして先日メールボックスを整理していたら本年度の春季の申し込み期限と実施が6月中だと書かれていたので、いい感じに知識も温まってるんじゃないかなという根拠のない自信を持って受験することにした。
あと非IT業でプログラミングスキルはPaizaランクでCぐらいです。メインはPHP。
キタミ式を一周してよくわからないところだけ暗記アプリで復習した。
試験三日前ぐらいから過去問道場で計算以外を計算より割合多いだろうからって理由で復習した。
結果:70ぐらい。
全く何も勉強していなかったので6月の頭に受験申し込みした後、選択問題のおすすめをググってそれで受験することにした。
前半は午前が長文問題になっただけと見たので何もしていない。後半のアルゴリズムとコンパイラ言語はちゃんと読めば簡単!とそのブログに書いてあった上に、コンパイラ言語はマニュアルが試験についているから命令とかを覚えていかなくも大丈夫!と書いてあったので結局何もしていない。
結果:80ぐらい。何もしてないけどどうにかなった。
過去問道場で過去問を時間配分を気にしながら勉強すると雰囲気含めて試験対策になってよかったんじゃないかと思いました。
以上。
ほんまや余裕で一万超えてるやんけ!誰も何も信用できねぇ!
https://stopcovid19.metro.tokyo.lg.jp/cards/number-of-confirmed-cases
流石に、このエントリーに500近いブクマが集まっていて、賛同の声しかないというのが、はてな民の頭の悪さを象徴してると思うよ
根拠が示されてないにもかかわらず、受け入れてるあたりが本当に知能が低い。この半年の間に1万人を超える感染者を出したことはないはずだし
ワクチン接種は日々進んでいるなどの条件の変化も日が進むごとに起こるし、シミュレーションするにしても従属変数がおおい難しい時期なのにこれ。
この条件下で短期間にこれほど悪化すると予想するのならば、明確にシミュレーションの条件や計算式などの再現性があり、検証可能な条件を提示すべき。
予想を出してる方も低脳だが、受け入れちゃうのは更にやばい。こいつらは論理的思考を必要とするような仕事出来るのか不思議。
はてなーって、単純労働者が主要構成員なんじゃなーのかって思える
自分の不安なお気持ちに迎合するから、ただしい予測だと感動しちゃう、こういう非科学的な連中がプラグを抜こう運動に参加してんだろね
何も根拠が示せないのであれば、せめて予想が外れたら腹を切るくらいの事はしないとねw
ついでに消えてた元増田をgoogleキャッシュ(http://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:https://anond.hatelabo.jp/20210622093917)から転載
大学生時代に学前のガストでよく駄弁ってたテーマで、大変懐かしく思った。
増田の考えを解き明かす分野としては法哲学に入るのだが、結論が
と、ややトーンダウンした感じで締めくくってる事。そして関連エントリで
どっちの話だ
https://anond.hatelabo.jp/20210616162123
というコメントがある事から、社会科学の視点について議論が浅い部分が見受けられたので、そこについて補足しておきたい。
(なお引用した『社会科学は検証も再現も不可能な占星術的なもの』という理解は何から何まで間違ってる。社会科学とは社会の “関係性" の部分に焦点を当てた学問なので、法律学を社会科学の視点で分析するのは正しいし、数多の論文はもちろん研究や講義も普通にある)……閑話休題。
さて。
という元テーマに回答すると
という回答になる。身も蓋もなくて申し訳ないというか、「そりゃそうだろ」と言われそうだが。
社会の便益と個人の利益。それらが相反するとき、妥協点を定めるのが、法とコミュニティである。
という言葉がありまして。個々人が好き勝手にやった結果、社会に損をもたらしてやばい → だから法で規制/ルール化しよう。ってのが、多くの法が作られる基本的な流れと思って良い。すなわちそもそも法が作られる理由/初動の多くが「誰かが好き勝手やったせいで、他の誰かの利益/権利をおびやかしている」である。大抵の場合において、科学的問題提起から発祥したものではない。
もちろん「この方法は患者の不利益になるから規制すべき」(医事法令)や「この方法を施工主が行うと顧客の安全性を損なうから規制すべき」(建築法規)などもあるが、これらの科学的根拠も 誰かの利益/権利をおびやかしているから、それらを保護/フェアネスにすべき という原則が先であり、科学的根拠はその理由付けに過ぎない。
よく語られる話ではあるが「大麻は規制されてるが、酒は規制されていない。科学的根拠に照らしたときに、矛盾があるではないか。両方似たものだから、両方規制するか両方解禁すべきだ。」という人がいる。この指摘は科学的な視点からは合理的かもしれない。
だが、これは時の権力者が「大麻/酒を規制したとき、社会の便益と個人の利益、どれを重視し、着地点を定めるか」と議論をしたり、賄賂だったりコネだったり、時代の情勢やら経済施策だったり、決めた権力者の気分だったり、そんな事情やあんな情事でアアダコウダして、その結果……今の大麻禁止・酒OKなのであろう。
ひとたび法が作られてしまうと、その後は妄信的に信じる輩が出てくる。コア・コンピタンス経営という本に「猿とシャワー」という寓話がある。有名な話だが、要約するとこうだ
檻の中に、4匹の猿がいた。部屋の中央にはバナナが吊されてある。
当然、猿はバナナを捕ろうと飛びつく。すると天上から冷たいシャワーが降ってくる。猿はバナナを諦めてしまう。
4匹の猿を1匹を入れ替える。新入り猿はもちろんバナナに飛びつこう……とするが、古参猿3匹に「やめておけ」と止められバナナには触れなかった。
猿の交換を繰り返し繰り返し、ついには誰もバナナに見向きもしなくなった。
だがしかし「バナナに飛びついてはならぬ」だけが呪いのように猿を支配し、バナナに飛びつかない理由自体は誰も覚えていない。
とっくにシャワーが噴き出す仕組みも、なくなっていたというのに……。
時代が変化しているのに、過去を妄信的に信じる猿に、僕らはなっているのではないか。
しがらみに囚われなければ、より良い利益(バナナ)を手に入れられるのではないか。この視点/議論は常に必要だと思う。
科学とは、多くの場合において、根拠と再現性ある形で、世の中を照らす。
古くに権力者によって作られた法は、本当は科学的根拠に欠けているのではないか。新しい科学的な発見を取り入れ、検証され、アップデートされてしかるべきではないか。
理想論をいうなら、私もそうであってほしい。しかし過去の法/ルールに縛られ、大抵の場合は喧喧諤諤の議論となってTwitterのつぶやきの藻屑と消えゆく。私の見る
も多くがそんな話をループしているように感じてしまう。増田のような科学的知見から疑問を呈する者が、確固たる根拠を述べ、社会にとっての新たな利益をアピールし、歪んだ法を叩き直してほしい。そう願う。