はてなキーワード: スナック菓子とは
フェルミーッス
「地球は青かった」の奴です。
正しくは「空はとても暗かった。一方、地球は青みがかっていた。」です。
宇宙開発を頑張っても結局争いは終わりませんが、まぁ宇宙開発も結局のところそういう技術方面での争いですしね。
それでも何の為にやってるのか、何の為に地球の周りをぐるぐるふわふわ飛ばなきゃならないのか、という部分で目的が見えなくなるのが実地での出来事のいやらしいところだと思います。
物事の渦中では冷静でいれなくなることが多いと思うので、時折は現状を俯瞰で見て、状況を冷静に判断することがとても大事だと思われます。
神はいないかもしれませんし、地球外生命体なんてのもどこにいるのかわかりませんが、もしかしたらスナック菓子片手に我々の奇妙な状況を見つめているかもしれませんしね。
ということで本日は【俯瞰的な視点よいか】でいきたいと思います。
大豆だけをタンパク源とするとホルモン異常やリーキーガットの原因になるので、えんどう豆やひよこ豆、ナッツ、シード、玄米由来プロテイン、ニュートリショナルイーストなどを使わないと、何かしら苦痛や不調が出る。
マーガリンはトランスファットフリーがほとんどになったので、そこまで神経質にならなくても。
味噌汁入り大豆や煮切り酒、椎茸出汁を使うとバリエーションが出る。
カレーは普通に牛脂不使用のルーを使う。ニンニクと生姜を多めに使うと、肉のような味わいになる。
豆乳は飲みすぎるとリーキーガットになるので、オイルを足したり、アーモンドミルクなどのナッツ由来ミルクに変更した方が良い。
チーズは、餅とオイルとニュートリショナルイーストを混ぜてレンチンしろ。伸びるしチーズの匂いもする。
・外食はほぼできない(外食に肉や卵を使わないメニューはほぼない)
・甘いものも卵とかマーガリン使ってるの多すぎてドライフルーツとかになる。
・パン大好きなのにバターとか使ってるとアウトだからフランスパンとかしかない。
・肉を食べたいというより、肉を避けるのが大変過ぎて、肉食べようとしてしまう。
・お菓子食べなくなった。
・バーモントカレー大好きだったのに肉の油とか使ってるからトマトスープにしてる。
・トマトスープは、チキンコンソメをヴィーガン用の野菜コンソメにしたらなんとかなる。
・スタバ行ってもソイラテにするようになった。美味しいけど豆乳の後味が苦手。
・ヨーグルト好きだったけど豆乳ヨーグルトにしたら不味すぎた。
・チーズは豆乳チーズに変えた。伸びないしとろけないしこれはチーズじゃない。
・うどんの出汁にもかつお使ってたりするから、丸亀製麺とか行けない。
・甘いものが苦手になってきた。
・実は白砂糖は精製段階で牛の骨炭を使うので本当は白砂糖はアウト。
・一応家ではてんさい糖を使っている。
・自分が食べなかった分、苦しむ動物が少しでも減ったと思うと報われる。
・痩せた
・食費が減った
・誰にも強制するつもりはないし、飲み会があれば雰囲気壊したくないので肉食うかもしれない。
・もう少し続けてみる。
定期的に電子書籍と紙の本どっちがいいみたいな話題が出てくる。
まずスペースの問題だ。これはまっさきにだれもが思い浮かぶところだろう。実際、自分はマンガやらラノベで2万近いとこまで行って、これはもう人間の生活として限界だと思って、あるとき全部処分した。内田善美の本とか、もう二度と電書で入手できないこと確定みたいなもん以外、すべて。そしたら、信じられないことにモノがものすごく少なくなりました。びっくりしました。要するに俺の持ち物のほとんどは本かCDでした。あとエロゲの箱。
で、万を超える物量感を体験している人間としては、もう二度とあの状態にはなりたくない。もちろん歩いてると本屋とかは見てしまうわけで、そうするとふらふらと入ってしまう。紙の本ってそれ単体が「モノ」であり、モノとして訴求する力を持っている。ゆえに買いそうになってしまう。1冊くらいまあいいか。そこが地獄の入口だ。禁煙なんかと一緒である。
これだけの本を読んでいるということは、とうぜん活字中毒的ななにかである。出先で本を切らしたときになんでもいいから活字がないと死ぬと思って本を買った経験は一度や二度ではない。ある程度の期間の旅行ともなれば、10冊くらいは本を持っていくしかなかった。ついでにいうと音楽も切らすわけにはいかないので、かつてはカセットテープを10本とか20本持ち歩いていた。いまやこれがスマホひとつである。もうアラフィフなので思う存分老人仕草をすることにするが、いい時代になったもんだ。もっとも、これおっさんにけっこう多いと思うんだけど、ガジェットを単機能で持ちたがる癖があって、電書はKindle端末だし、音楽は、サブスク用のスマホを別に持って歩いてたりするんだが、まあそれでも本を10冊持ち歩くよりははるかにましだ。最低でも未読の本を5冊くらいは持ち歩いてないと落ち着かない。「この小さな端末のなかに文庫が100冊!」という安心感はなにものにもかえがたい。
さらに老眼の進行である。俺はドがつく近眼であり、かつ老眼もだいぶ速やかにご訪問くださりやがったので、裸眼で見えるスイートスポットが異常に狭い。日常生活で使えて手元も見える遠近両用とか頭痛するし、肉体的に文庫の活字を読むのがきついのである。その点、電子書籍なら安心だ。小1の教科書よりもでかい活字で表示できる。ディスプレーを見続けることによる目の疲れもKindle端末ならそれほど問題にならない。
俺にとって本は消耗品である。スナック菓子を食うみたいに活字を食う。あるいはトイレットペーパーみたいなものだ。この手の人間にとって所有権がどうこうとか、貸し借りが云々とか、子供が親の背中を見てとか、そういうのはいっさい問題にならない。読めればいい。本屋の営業時間を気にすることもない。なんならうんこしてる最中でも続きが買える。すばらしい。せめてそこはうんこ終わるまで待てないのか。
もちろん電書にもデメリットはある。
ブコメで頻出だった閲覧性、参照性の問題。これは絶対に紙に軍配が上がる。紙の本の「確かこのへん」でなんとなく探り当てるような探しかたって、シークバーではまず同じことができない。ただこれは単なるUIの問題である気もする。閲覧性でいうと、本棚よりも特定の本にアクセスするのが難しいというのもある。もちろん検索で対応できないこともないのだが「確かあれ、あの、なんだっけ、海辺でボーイミーツガールで……あれだ、あのエモいやつを読みたいんだ。20年前に読んだきり本棚のどこかに放り込んだあれを」みたいなときに、電書の3000冊とかのなかから探すのはかなり骨が折れる。Kindle端末本体ではどうにもならないし、いざパソコンの前に座って購入履歴を、と思ってもあれなんか妙に目が滑りません? やっぱりこういうとき「モノ」が厳然として存在している、というのは非常に強い。実際、紙の本で持ってたときに「確かあのへんに置いた」で見つからなかったことってあまりなかったと思う。
あとマンガな……。老眼に電書のマンガまじきつい。パソコンのディスプレーで見る以外の手がない。マンガのながら読みっていうか、部屋でぼけーっと寝転がってるときにそのへんのマンガを手に取ってなんとなく読む、という行動は激減した。10インチくらいのタブレットで解消できる問題ではあるけど、これ以上ハード増やしてどうすんだ的な感じもある。
電源切れとかは経験がない。そもそもモバイルバッテリーを持ち歩いてるし。あと端末の故障に備えて新品の予備は常に一台キープしてある。
俺が思う電書の最大のデメリットは「すべての読書行動を電書のみに絞り込むことができない」ということだ。これはほんとでかい。いちばん多いパターンが、新書なんか読んでて参考資料とか引用先で出てきたおもしろそうな本を買おうと思うと電書化されてなかった、というやつだ。またそういうのに限ってやたらおもしろそうだったりする。アマゾンで調べてる場合だと、1クリックでそのおもしろそうな本が(紙でなら)買えてしまうので、なおのこと心が揺らぐ。
これは読書に限らず調べものなんかもそうなのだが、一定のレベルよりも深堀りしようとすると、最後は紙の書籍に頼るしかない、という場面が頻出する。たとえば東ローマ帝国について調べていて、まあざっとした歴史の流れだとか、政治体制だとか、要するに概要を掴むくらいならネットでの調べもので充分だし、電書でも通史のたぐいはいくつも出ている。しかしもし、東ローマ帝国の庶民の食生活について知りたくなったら、電書ではどうにもならない。そこは学術書の領域で、論文探してヒットすりゃいいけど、こういうニッチな研究ってたとえば1960年くらいに書かれた本がいまだに最新の研究だったりすることもよくあって、こうなるとお手上げだ。紙の本しか選択肢がない。
これに限らず、マイナーな作者の小説だとか、古いタレント本だとか、古い時刻表だとか、とにかく紙の書籍は資産が膨大であり、とうてい電書ではカバーできない。そして今後もおそらくは電書化はされない。要するに紙の本から完全に足を洗いたくても洗えない、というのが電書一本槍にしたときに最大の障壁となる。
ま、図書館行けって話なんすけどね。なんでまあ、現状は「購入はほぼ電書、足りない分は図書館で」というかたちになっている。
あと最後に、電書のデメリットとして日常的に多く使ってる人は感じてると思うんですけど、無駄に買いすぎますね……。講談社学術文庫とかよく50%ポイント還元やってますけど、ああいうときやばい。
ついでですけど、アンリミは「なんでもいいからラノベ読めればいい」みたいな人間にとっては、けっこうよい状況になってるので、おすすめです。ただし1巻だけ対象でそれがおもしろかった場合は地獄みる。向こうも商売だから、まあ考えるわな。
1月27日の初公判に、上下黒色のスーツ姿で入廷した梯沙希被告(26)。髪の毛を染めていたのであろう、毛先だけが茶色く残っていて、逮捕からかなりの月日が経過したことがうかがえる。
2020年6月5日から13日にかけて、東京・大田区の自宅アパートに長女・稀華(のあ)ちゃん(当時3)を9日間放置し、脱水症と飢餓で死亡させた、保護責任者遺棄致死の罪などに問われている。
起訴状などによると、梯被告はシングルマザーとして稀華ちゃんを育てていたが、交際相手の男性が住む鹿児島県を9日間旅行し、3歳の稀華ちゃんを自宅に1人で放置した。稀華ちゃんがいた寝室は電気が消された状態で扉には鍵がかけられ、外側にはソファーが置かれていた。
おむつを2枚重ねた稀華ちゃんの胃や小腸には飲食物がなく、口の粘膜は水分が足りない状態になって発見された。寝室には600mlの水とスナック菓子の袋が1袋、どちらも空の状態で置いてあった。
証言台に立ち、まっすぐ裁判長の方を見つめた梯被告は、検察官から起訴内容について読み上げられている際、手を握ったり、ほどいたりと落ち着かない様子を見せた。
か細い声ながら、はっきりと起訴内容を認めた。
「あんたなんか産まなきゃよかった」 母親は自らも虐待の被害者だった
法廷でまず明らかになったのは、梯被告が壮絶な虐待を受けていた過去と、母親との複雑な親子関係だった。幼少期、母親から日常的に殴るなどの暴行を受け、時には手や膝をガムテープで縛られ、そのままビニール袋に入れられ、風呂場に捨てられていた。包丁でおでこを切りつけられ、口を縫われることもあったと言う。
「あんたなんか産まなきゃ良かった」「お前は何も言わずに笑っていればいい」などの暴言も日常的に吐かれた。最初は母親に対して嫌だと主張したものの、止まない暴力や暴言に無気力になった梯被告は、母親の顔色を常にうかがい、笑って応答するほか為す術が無かった。
母親は警察に逮捕され、梯被告は施設に預けられ育った。施設でも周囲にいる人が母親と同じように感じられ、笑顔でごまかしたという。その後、再び母親と生活することになるのだが、母親は過去のことはなかったかのように接し、虐待により施設に入っていたことは、周囲の人間にも打ち明けることができなかった。
そう言った経験から“他人に逆らうことが出来ない人格”が形成されていったと弁護側は主張、「虐待を受けていない人と比べてどれだけ非難できるのか、どれだけ刑務所に入れておかなければならないのかを考えてください」と述べ、情状酌量を求めた。
一方、検察側は冒頭陳述で「稀華ちゃんを旅行に連れて行ったり、知人に頼んだりもせず、交際相手に会いに行った身勝手さ」や「自宅に放置したまま遊びに出かけることを繰り返していた常習性」などを指摘した。
検察側は論告で、「稀華ちゃんが最後までもがき苦しんでなくなったのは一目瞭然」であるとして「交際相手に会いたいという自己の欲求を優先させた身勝手な犯行」と指摘した。
また起訴内容以外にも19回にもわたって稀華ちゃんを放置したまま外出したことも明らかにした上で「育児放棄を常習的に繰り返す中で起こった犯行であることは明らか」として、懲役11年を求刑した。
一方、弁護側は、母親からの虐待や施設で育った過去が影響し、「強い愛情欲求があり、交際男性に愛されたい自己が強く出ていた」と述べ、加えて「積極的に傷つける意図はなく、憎しみを抱いていたわけではない」などと情状酌量を求めた。
梯被告は最終意見陳述で、証言台に立ち、涙を流しながら振り絞るような声で「ずっと変わらずのんちゃんごめんねって思いでいっぱいだし、全部後悔しかないです」と自らを責める言葉を口にした。
身勝手な“ネグレクト”が原因で起きた悲惨な事件その理由が“虐待の連鎖”だとしても、亡くなった稀華ちゃんがあまりに無念でならない。この母親に対して、司法はどういった判断を下すのか。判決は2月9日に言い渡される。
よろしくないことを整理してみる。
○数日間ずっとイライラしている
→過去の嫌なこと思い出し&そこからさらにネガティブ妄想繰り広げてイライラするのをやめられない。
→掲示板や増田を眺めても半数以上がネガティブな情報だと分かっているのに見るのをやめられない。
→勉強内容が過去の大きなストレスと繋がっているので勉強中どうしてもイライラする。
→(解決)ツイッターの勉強アカウント界隈の人達と交流して、勉強中に考える人間関係がその人たちになるようする。
→スマホばかり見ている。
→掲示板でレスバしたらスッキリした。昨晩に引き続き今日の午前中ずっとレスバしてしまった。
→嫌な考えから逃げるようにスマホでYoutubeや掲示板を開く。
→youtubeで人の話し声を聞くのはネガティブ断ち切るのに効果的。掲示板だけやめたい。
→(解決)0よりはいい、の考えでやった方がいい。計画通りにならなくても、進捗を知るのが大切。進捗確認が重要。
○イライラした態度を姉だけの前で出す
→姉に言いたいことが山ほどあるが言えない状況なのでこうなった。
→同じことを前の職場の上司にやられて鬱になったのに、結局自分も同じことをしている。
→しかも姉は今日から本番、大事な1日目なのに目の前でイライラして怒鳴ってしまった。
→(解決)こちらから謝罪する。明日からは姉が頑張れるようにする。
○食欲がおかしい
→金が無い
→(解決)ヨーグルトと玄米ブランとドライバナナ買ってきた。これらを食べる。
→食欲が強すぎるのは気の緩みでは。忙しければ金使わない。
→欲深いから気が散るんだと思う。質素で地味な暮らしに満足したい。
・瞑想する
→イライラがおさまる。
→これもサボりがち。できるだけやった方がいい。
無理すぎてストレス半端ないせいでなんか楽しみを用意して自分を労ってやらないと電車止めてしまう気がしてホテル泊まることにした
今日は昼まで寝て、午後からデパートのレストラン街でランチして、その足でデパ地下の惣菜とケーキ買って、ホテル近くのコンビニで缶酎ハイとスナック菓子買って、ホテル着いて、きれーにセットしてあるベッドでごろんごろん寝返りうって暴れて、ケーキ食べて、湯船でソシャゲしてYouTubeみて、久しぶりにテレビでニュースなんか見ちゃったりしながら惣菜とアルコールで良い感じに酩酊してこれから寝るわけだ
明日の朝は朝食バイキングも待ってるわけなんだけど、そこから仕事行かなきゃいけないのが唯一の欠点なんだよな〜〜〜
でもここから会社まではホームドアある地下鉄だから飛び込む心配はないだろうからそこは安心だな〜〜〜
寝よ寝よ
9:00に目覚ましのアラームがなるが、身体は起こさずにヤフーニュースを見る。テキストを読みたいけど頭は使いたくないというニーズに、このサービスはよくマッチしている。記事の内容はほとんど読まずにコメント欄をスクロールし、コメントを書いた人たちを勝手に想像して見下すことで優越感を抱く。10:00頃になるとやっとベッドから身体を出し、シャワーだけ浴びて出勤。出勤といってもリモートワークだから自室のPCデスクに座るだけだ。
職場のチャットで周りの様子を見つつ、なんとなく22:00過ぎに退勤する。頭がぼんやりしていてもう何もやる気がおきない。アプリのカレンダーには週の頭に入れた生産的な風を装った予定が入っているが、削除してベッドでYouTubeを見始める。深夜0時を超えてからスナック菓子と缶ビールをコンビニに買いに行く。別にそれらを食べたり飲んだりしたいわけではないが、何もしないことに耐えかねて家を出る。
普通に映像コンテンツを見ても楽しめないから、アルコールを入れて自分の頭を鈍くし、なんとか視聴が続けられる状態にしている。YouTube を見て寝ざるをえない時刻になるのを待つ。別に性欲が高まっているわけでもないが、誰がアップロードしたか分からない動画や漫画を見ながら、自分のモノを作業的に擦ってを便器に吐き出す。掃除が面倒だからティッシュは使わない。全く満足感はなくダルさだけが残る。
そのまま寝てしまうのも何故かもったいない気がして、YouTubeの動画を再び眺める。レコメンドエンジンはもう同じものしか勧めて来ないので、必然的に動画は過去に見たものばかり。新しい動画を開拓する気も起きず、勧められるがままに同じ動画を繰り返し見る。何かやらなければという考えが一瞬ちらつくが見なかったことにする。深夜3時をすぎると流石にベッドに入って目を瞑るが、YouTubeの音を流し続けるイヤホンは耳に入れたまま意識がなくなるのを待つ。