はてなキーワード: クソ喰らえとは
はてブに上がってた死体埋め百合のまとめを読んで、note読んで、なるほどと思ったが、noteで引用されてたユーフォの話、ついていけない世界だ…。
未読で勝手なこと書く。
言及されてた香織に注目したんだが、「去年年功序列で3年の先輩がソロだったが今年は実力オーディションで後輩(麗奈)がソロを勝ち取り、自分(香織)がソロを吹けないかも」に周りの関係性の人たちが色々思い行動するとこがエモいのかなあ?と想像するけど(違うかもしれないが)、いや、音楽やる団体なら去年までが間違ってたのであって(課外活動で様々な経験をして人間的成長を云々という部活的には間違ってないかもしれんが)、香織の立場であろうが誰だろうが、後輩がソロ吹くことで音楽の質が上がるなら、それこそが望みだってのが私には根底にあるっていうか。
登場人物達はそうじゃないんだ?
ソロやるのがイイコトで名誉で、できないのが傷つくんだ?そこに1番注目するんだ、下手だということに傷つくんじゃなくて?
前年に1番上手いのに香織がソロ取れなかったのは私の感覚でも悔しいんだけど、それは最良の音楽を年功序列というクソに潰されたのが悔しいという面において。勝ちを譲らされたのが悔しいんじゃない。最良の音楽を求める立ち位置(私はコレ、これこそがかっこよく、エモく、しびれる、フィクションで読みたいもの)ならば、今年、年功序列で自分がソロ取るなんてありえねえだろう、部活の雰囲気が香織先輩がソロ吹いたほうがいいって同情的になるって?麗奈が「周りにどう思われようとオーディションに勝つ」くらいの覚悟しないといけないほどの四面楚歌感なの?は?弱小吹部がのし上がる、音楽を軸にした話じゃないの?雰囲気がそんなんだから弱小なんじゃねえの?みんな音楽が好きなわけじゃないんじゃねえの?と思ってしまった…。
いや、まさにそういう話、音楽はフレーバーで青春群像を描く話なのかもしれないけど。
逆に年功序列でソロやった去年の3年の人はすごく嫌だったって話かもしれないけど。
でもまあスポーツ漫画とかでもレギュラー取れなくて悔しいとか、そういう話、多いよね。
いや〜、うーん、全体のクオリティを下げてでも自分が目立ちたいなら、それはそれでいいけど、そこをぼやかして「辛い悔しい、かわいそう、でも年功序列で我慢して偉い、実力ある後輩に譲ったのが偉い、報われない葛藤を抱える苦悩」だけに注目…みたいなの、なんかなあ。自分が選ぶことだろ、全体のクオリティ上げをしたいか自己表現したいか。それで全体なんかクソ喰らえ、ならそれはそれで小気味いいけどさ。
多くの人は自分の中の「全体という他者の利益を捨てたい」欲を直視なんかできなくて、私もまた、天の視点から見たらみっともない行動してるんだろう。だからこそフィクションで読みたいのはサラッと直視するかっこいいキャラなんだよなあ。
うまく書けないな。
それとももしかして未熟な若者たちが、自分は何を求めて音楽するかを自分なりにわかっていくハナシなんです?どうなんでしょ?
そして大阪から東京へ上京するために貯金を貯めとかないといけない。そのために私は居酒屋バイトを始めた。
始めたキッカケは前回の記事(anond:20201009124045)で私の金沢弁をバカにした友達(以下の文からA君とする)に「俺と同じ居酒屋でバイトしなよ〜」と誘われ今年の4月に某居酒屋チェーン店にアルバイト入社する事になった。
しかしそれと同時期に就活やコロナの影響でバイトに入ることが出来ず、7月の時点で店で働いたのは数回しかなかった。
そしてそこから店はコロナ休業したのだが、つい先月また新たに開業したのだが人件費の問題上、私のようなまだ数回しか働いていない人よりベテランで動ける人を優先的にシフトを入れるようになり私は7月から3ヶ月以上居酒屋バイトをしてこなかった。
しかし、一昨日ついにシフトに入れてもらうことが出来て私は3ヶ月ぶりにバイトをすることになった。
そのメンバーは店長、A君(バイト歴4年)、同じ学校の女子大生(バイト歴3年)、私(バイト歴6ヶ月、実際働いたのは数回)の4人だった。
私以外のメンバーはコロナ明けからはバリバリ働いており、さすがベテランという動きをしている。
しかし私は本当に久しぶりに働くのでメニューや店のシステムが変わっており、最初は何が何だか分からず"何をしたらいいのか""どんな風に働けばいいのか"が全く分からなかった。
しかし、時間が経つにつれて徐々にやり方を思い出していき中盤からは久しぶりの出勤にしては割と動けてる方だと私は感じた。
実際、お客さんからのクレームは無くむしろ「店員さん元気でいいね」と30代くらいのサラリーマン集団に褒められたくらいだ。
そして店は閉店時間になり締め作業もやり方を忘れていたが店長に教えてもらい、無事に締めることが出来て私は「久しぶりにしては本当によく頑張った」と自分を褒めながらルンルンと帰宅した。
しかし次の日、私が入ってる学科のクラスのLINEグループでグループ通話が始まっており私は何となくそれに参加した。
するとその中に昨日一緒に働いてたA君もいたのだが、そのA君が「そういえば昨日一緒にバイトしたけど全然働いて無かったなw」とみんなが通話を聞いてる中で言われた。
私は「え?そうー?」と軽く流したが、A君は「なんか悪いことは何もしてないんだけど良いこともしてなかったよなw」と言ってきて私含め周りの友達も「どういうこと?」と聞いた。
するとA君は「食器とかを片付けるときに女子大生の子が片付けてる横で君が料理を提供してそのまま片付けを手伝わないまま戻ったことに女子大生の子がキレてた」という密告をしてきた。
いや、手伝って欲しいなら「手伝ってください」って言えばいいし、食器の片付けを手伝うというのがルールならそれを知らなかったから教えてくれればいいものの、なぜ人に愚痴る?しかもそれを本人に言う???
私はA君に言った。
「いや手伝って欲しいって言えばよくね?」
するとA君はこう言い返した。
「いや手伝うのが店の常識だし、他にも動きとか鈍いし忘れてること多かったし正直全然ダメだったよww」
てか、ほとんど働いてなかったんだからそもそも"分からないことが分からない"でしょ!!!!!!!
なのに、こんな新人みたいな私に対してお前らみてぇなベテランと同じようなレベルを最初から求めんなよ!
てか、こんな居酒屋バイトっていう小さいコミュニティで偉そうに威張るなクソが。
…と私は思ったが口には出さずに「そうだったんだ〜じゃあこれから気をつけるね」と言い私はグループ通話を抜けた。
久しぶりのバイトが憂鬱だったのに上手く動けたと思ってたからまた働きたいと思ってたのに、なんで行きたく無くすんだよボケ。
おめえが誘ってきたから入ってやったのになんで偉そうにすんだよ。せめて来てくれてありがとうぐらい言えバカ。居酒屋バイトってなんだよ。社会の底辺みてえなバイトで新人をいびるなよ。女子大生もムカつくわ!
普通にやってほしいことがあるなら言えよ!!
言わねぇで、他の人に愚痴るのはもはや私じゃなくてお前が悪いだろ!!!!!!!
居酒屋じゃ動けるかもしれんが、他のバイトやってみろ。私は吉野家で4年バイトしてたぞ。
【追記】
私の中では本当に悲しくムカつきすぎてたのですが皆さんのコメントで自分の中ではこの話は消化出来たと思いました。
株価が落ちない。さすがアベノミクスは、ご本尊が息絶え絶えでも健在だ。というわけではなく、皆が買っているから株価が上がる。シンプル。
なぜ、株に投資をするのか? 常識で考えたらおかしい。コロナのおかげで生産は落ち込んでいる。経済指標は最悪だ。ふつう、業績が落ち込んだ会社は株価が下がる。価値がなくなってしまっては元も子もないから、売り込まれる。安くなっても倒産してゼロになるよりはマシだとばかりに、株価は下がる。コロナ需要で潤った少数の企業を除けば、多くの企業が業績を悪化させている。だったら株価は下がりそうなもんだ。けれど、株価はついにコロナ以前を回復した。
実際、コロナ騒動が持ち上がったとき、多くのひとがそう考えて株を売った。どうせ下がるから、いまのうちに売ってしまえとばかりに売り急いだ。結果、株価は大暴落した。とはいえ、企業の価値がなくなるわけではない。騒動の中でも人間は生きていくのだし、そのためには一定の企業活動は続くし、経済も動く。だからそこそこのところで値頃感、割安感が出て、暴落は止まる。今回の特徴は、暴落が止まるとともに一気に株価が上昇を始めたことだ。二番底らしい落ち込みもなく、ほぼ右肩上がりに株価は回復した。いったいどういうことかと、皆首をひねりながら、買い続けた。
なぜ不思議に思いながらでも買い続けるのかというと、それは株価が上がるからだ。株価が上がるから人々は買い、人々が買うから、株価が上がる。とはいえ、これでは理由にならない。理由は、買わなければ損をするからだ。株が上がるとき、株をもたないことはリスクになる。
いや、資金がなければ、リスクもへったくれもない。株どころか、何も買えない。ところが運用しなければならない資金は、どういうわけか手元にある。自分の手元にあるだけではなく、他の投資家の手元にはもっとたくさんあることがわかっている。機関投資家や公的な基金にも潤沢に資金がある。なぜなら、各国政府がコロナでの景気落ち込みを防ぐために、市場に大量の資金を投入している。これは秘密でも何でもない。もちろんコロナ関係予算の多くは株式市場買い支えのものではない。けれど、困窮した現場にピンポイントに必要十分の資金が行き渡るはずもなく、その多くは避けることのできないロスとなって、市中に流れ込む。たとえば一律の現金支給は、それを必要とする困窮者には絶対的に必要で、効率的にそこに行き渡らせるためにはやむを得ない政策であるけれど、一定水準以上の所得が確保できた大多数の人々にとっては単に余剰の現金を増やすだけになる。そういった現金は、まわりまわって投資市場に流れ込まざるを得ない。なぜならこの不安の時代であり自粛の時代であるコロナ下においては、余分な現金は消費に回されるよりも備蓄に回されるからだ。それが投資資金として集められ、市場をちょっとしたインフレ状態にしている。ちょっとしたどころか、相当なインフレ状態にしている。
それがはっきりとわかるときに、もしも手持ち資金があったらどうだろう。仮に10万円の資金があるとする。10万円の価値はいつでも10万円だろうか。インフレ時にはそうではない。つい数日前に10万円で買えたものが気がつけば15万円出さなければ買えなくなってしまう。放っておけば実質価値が失われるのだ。だから、市場にカネがだぶついているとわかっているときに株価が上がるのなら、手持ち資金を現金で置いていてはいけない。それははっきりと損失を生む。だから投資家は、市場への通貨供給量を察知して、買いに走る。実体経済なんかはクソ喰らえ、損を出してはいけないから、みんなが買うならビッグウェーブに乗らないわけにいかない。だから株価は上がる。半信半疑、薄氷を踏むような気持ちで、あるいは首をひねりながら、とにかく買い続ける。その行動原理においては、投資家は決してバカではない。
ただ、問題は、これがそれだけでは終わらないことだ。
コロナはやがて終息する。それはもう、はっきりしている。人間は、いつまでも厳戒態勢を続けられない。医学的に解決するかどうかにかかわらず、遠くないうちにコロナ問題は過去のものになる。確かにwithコロナの時代になって日常が大きく変化するのかもしれないが、それでも日常は日常だ。人々はそれなりの日常をとりもどす。自粛ムードは批判され、やがて過去のものになる。消費は回復する。
本当のインフレが一気にやってくるのはそのときだ。いま、インフレ状態は投資市場の内部だけでおさまっている。それは、人々の心が消費に向かわないからだ。けれど、自粛ムードが去り、緊張状態がほどけたらどうか。人々はいまよりももっと消費に向かうだろう。そして、その消費を支えるだけのカネはある。貯蓄や投資に回したコロナ時代の資金が、バブルで膨れるだけ膨れている。そこからちょっとぐらいの贅沢にカネを回してもバチは当たらないだろうと、人々はモノを買いはじめる。健全な経済が戻ってきたと喜ぶべきだろうか。いや、政策的に膨張してしまった投資市場の勢いは、そこでとどまらせてくれないだろう。投資市場からカネが流れ込むせいで、実体経済の部分まで、通貨供給量が過剰になる。ブレーキは効かない。そしてインフレが起こる。
身も蓋もない話をしよう。インフレだろうがデフレだろうが、基本的に多くのひとは困らない。なぜなら、通貨とモノの交換比率が変化するだけで、日常の消耗品の売買はふつうに行われるからだ。けれど、インフレやデフレで大きな影響を受ける人々も存在する。それは両極端の人々だ。一方の極にいるのは資産家で、資産が目減りしたり、評価額が上がってもちきれなくなったりするだろう。だが、そういうのは放っておけばいい。本当に困るのはもう一方の極にいる人々だ。ロクに収入が増えないのに、物価がどんどん上昇する。当然、食えなくなる。命に関わる。
投資家たちは、実体経済がインフレになり、その反動が株式市場を直撃すれば、必ず大きな打撃を受けるだろう。だが、そんなことははっきり言ってどうでもいいことだ。株で失敗して首をくくるなら、それは自業自得というものだ。本人だって、それを知った上でバクチに参加している。同情はしない
コロナが終わり、インフレがやってきて、そういった社会問題が深刻化するのは、かなりの確率で避けられない。ただ、問題は、それがいつ来るかを誰も知らないことだ。いつ起こるのかを言わなければ、多くの予言はあたる。「あなたは死ぬだろう」という予言は、100%当たるのだ。だから、こんな話には意味はない。意味はないから、ここに垂れ流しておく。
心が弱ると自分の人生を占いの結果にゆだねてしまうことが多々ある。
スピリチュアルに胡散臭さしか感じない私が、なんで占いにこれからの人生を委ねるのか考えてみたのだが、結局誰かの指示がないと生きていけないだけなのだ。
10代の頃は青い反骨精神がゆえに「敷かれたレール」などクソ喰らえだと感じていて、「人とは違う」道を自分で見つけて歩んできたつもりだった。
だがそれと同時に、漠然とした不安が目の前をよぎるたび、「私は大丈夫である」という確証を得るため、若いときから占いに手を出してしまっていた。
そこには「こうすればいいですよ」とか「あと○ヶ月後にはこうなりますよ」とか書かれていて、その度に胸をなでおろしていた。
でも20代になってみて気づいたのは、結局私は占いでなくても、誰かに「次はこうしなさい」「こういうことはしてはいけない」とかその都度マネージメントしてくれる人間がいないと不安で仕方ないのだということだった。
そして、どんなことがあっても「あなたは人生を謳歌できるよ」と断言してくれる誰かが必要だということも。
人生を謳歌できていないという焦りがある反面、目標や計画がうまく立てられない(=行動に結びつかない)ことから、結局何もしなくても享受できるような、「自分は大丈夫である」という「確証」が欲しかったのだ。
世の中は騒がしいが我々サラリーマンは今でもジャパニーズトラディショナルなオフィス環境で普通に仕事をしている。
日本が健闘しているのはジャパニーズトラディショナルスタイルの呪術的なエネルギーの高さに秘密があるのだ。
ジャパニーズトラディショナルなそれらの儀式中は常に密閉されており密集しており密接している。高度に。当たり前に存在すべき仕切りすら存在しない。それがジャパニーズトラディショナルスタイルだ。仕切りがあるとジャパニーズアートたる労働のエネルギー循環が損なわれるからな。もちろんそこで一日の半分以上を過ごすんだ。それもまたトラディショナルスタイルだ。時間こそが呪術的なエネルギーを深化させるんだ。対面の会議もするべきだ。それもまたトラディショナルスタイルを成立させる重要な要素の一つだからな。エネルギーの交換がそこで行われるんだ。交換することで更に高まるんだ。
もちろんジャパニーズトラディショナルな満員電車に乗って通勤するべきだ。そこでは老若男女誰もが互いに過剰に触れ合うことでエネルギーが高まるようになっている。大切な要素だ。
それらのトラディショナルスタイルを貫いてこそジャパニーズスタイルのオカルティックな強さが生まれるんだ。一つも欠かしちゃいけない。全ては呪術的なエネルギーを高めるためのトラディショナルな儀式だからな。我々の世代で失うわけにはいかない。
以上のジャパニーズトラディショナルスタイルの宗教的儀式は今のところ禁止されていない。むしろ禁止することが検討すらされない。当たり前だ。一見して誰もが危険だとは思うがその儀式の中で感染が爆発したことはないんだ。おそらくは呪術的な強さのおかげだな。むしろこの儀式こそが近代医学には到底説明しえないジャパニーズの強さを支えているんだ。
禁止されていない理由がもう一点ある。誰も止められないんだ。この呪術的な儀式をやらないとどうなるのか?考えたこともないから恐ろしいんだ。まぁそもそも止める理由なんてないけどな。
この宗教的儀式とライブハウスとどちらがより危険か?科学的に考えればこの儀式だろう。でもこの儀式で感染は爆発していないんだ。信仰心の勝利だ。科学なんてクソ喰らえだ。信仰心こそが強さなんだ。
我々はバングラデシュを笑えない。
※ フィクションです。
何で決まるの?かけた金?入った公演数?積んだ円盤?グッズの数??推しのレート???
全部全部クソ喰らえすぎる、同じ界隈の人間が本当に無理すぎて一部の同担以外片っ端からブロックしてる
レート高い奴のオタクほど金かけられるオタクが正義みたいになってるの推しじゃなくてレート高い推しを推せてる自分が好きなんだろって遠回しな自己愛にしか見えなくて最近本当に無理
勝手にやってるのはいいけど金を必要以上にかけてない人間をゴミ扱いすんのは違うだろまともな教育受けてんのか?親の顔が見てみたいわ
本当は自分が十分にコンテンツに金かけられてる自信がないから後ろめたくてこういう批判になる
今は貧乏学生だけど手に職ついたら生き甲斐が推し追っかけることだけで無為に生きてるお前らより絶対稼いでコンテンツに投資してやるから首洗って待っとけよ
でもまぁ駅近まで行けばチェーン店もあるし、スーパーもコンビニもある。
電車で都市部に簡単に行けるし、少し不便だが暮らすのに困るという事はない。
町には山があって川があった。
川というか渓流という方が近いだろう。
夏になれば河原でBBQ、大人も子供も冷たい水に大はしゃぎといった感じだ。
少し上流に滝つぼがあって、傍の大岩から飛び降りるのが町の人の遊びだった。
さすがにちょっと危ないから子供はさせないけど、高校生くらいが度胸試しに飛び込んだりする。
毎年町の人達はそこで遊んでた。
ある年町に取材が入った。
そこにあの滝つぼが紹介された。
水も綺麗だし絵にもなるだろう。
「危ない」
「子供に悪影響だ」
「事故が起きたらどうする」
「飛び込みを楽しむなんてどうかしてる」
「環境破壊だ」
はては
「水が汚れる」
等といった変な人まで沸いた。
「同町出身ですが、あれは危ない」
「同じような事やってるけどあれはな…」
なんて意見もあった。
勿論否定派だけでなく、擁護派の意見もあったけど否定派には届いてないようだった。
町の人達は最初無視をしてたけど、その声は大きくなり無視出来なくなってきた。
でもそのスリル含めて楽しいもので、町の人達はある程度マイナールールを作って楽しんでいた。
誰も怪我をしたいとも、させようとも思ってなかった。環境破壊だなんてそれこそ考えていない。
なら、もう渓流遊びさえ出来ないのか。
管理されてれば良いのか。
どの高さと深さがあれば飛び込んでも良いのか。
1人モヤモヤしたものを抱えながら、滝つぼへ向かう道に通行止めのロープを張った。
これからも他の町や村で同じ事がおきるだろう。
今まで明確なガイドラインが無かったけど、危ないと思う遊びは規制すべきだと。過渡期だと。
彼らの正義は何処まで進むのだろう。その後に草も生えない不毛な地しか残らないのではないか。
否、彼らの望む姿というのはそうやってきちんと管理されて正しく並んだ草花なのだろう。
そもそも凡百のオタクくんたちはメクラであるとかそういうことは置いておいておくとしても、
そもそもアニメーター、というかアニメーターに限らず演出家でさえ基本的に傭兵のようなものでしかないのだから「愛情」を求めるのが間違ってる
アニメーターにとってアニメ作品なんて大体が自分の著作物でもなく、映像にしたらほんの十数秒分のしか関わらないことも多い、そんなドライな関係しかそこにはない
必要なのはアニメーションに対する姿勢だけで作品に対する愛情は必要とされるべきではないのだ
もしかしたら普通の「オタク」のように作品に愛着があったりこだわりがあったりするかもしれないが、それはおまけ、制作者側からのサービスに過ぎない
こういう「仕事に対しての愛情がないのか!」とか抜かす輩がもちろんオタクくんたちだけではないのは知っている
むしろ、日本社会に蔓延るゴキブリの中の一群がオタクの顔をして現れただけだろう
そんなのはクソ喰らえでしかなくて、結局は仕事と待遇との相関によってバランスが取られるべきでしかない
もちろん仕事に愛情を持って取り組んでいる人間も少なくないだろうが、それは経営者や消費者に対する労働者からの温情でしかなく、加点対象にこそすれ減点対象にすべきではないのだ
まぁどうせオタクくんは「でも作画崩壊してる!」と騒ぐのだろうが、それは冒頭で置いておいたメクラなオタクという話になるだけなので、そちらは相手にする必要もないだろう
妻に専業主婦になってもらって、家事と育児を全部やってもらって仕事と勉強のためのまとまった時間を捻出しないと、ITエンジニアの仕事を続けるなんて無理じゃない?
スーパーエンジニアだったら年収と社会的地位で妻の頬を殴ることができるから、専業主婦になることに納得してもらえるはずだ。
そうやってライフワークに全振りして高収入を得ることができるってわけ。
ITエンジニアをやるならイクメンなんてクソ喰らえってことに結局なるよね。
そもそもイクメンなんてのは役割や得手不得手を無視した非効率な考え方で、悪い意味で日本的であるといえる。
仕事に集中すれば高収入が得られる夫を、下手に家事や育児に参加させて高収入を得る機会を棒に振るほど愚かなことはない。
仕事に必要な勉強をするはずの時間、家事育児にかまけるなんて暇なん?と批判されてもおかしくない。
もし仕事と家事育児を両方完璧にこなせるなら、まったく寝ないか常人の何倍も効率的な思考と行動と睡眠が可能なスーパーマンだよね。
俺自信は超大企業ってほどではないものの一部上場規模の企業で総合職(転勤あり)として勤務している
仕事に対する考え方は生活の為に仕方なくやらなくてはならないものであり
プライベートの時間はすべて仕事と切り離し、仕事に関する勉強などは一切したくない
こんな無能で意識低い人間でも大過なく過ごせば20代半ばで年収500を突破し30代では700万、人によっては1000万超えである(ただし基本的にはここが天井)
異動、転勤ってのも考えようによっては悪くない
「どんなに自分と合わない人間がいても数年待てば相手か自分がいなくなる」
という環境はなかなか快適だ
もちろん引っ越しや単身赴任は辛いし、特に子供が小さいうちは家族に負担もかかるけど、毎日合わない人間や自分のことを嫌いな人間と一緒の職場で何十年も働くのもなかなかキツイ
俺のような人間は長くいればいるほど人から嫌われる確率が高まっていくしね
俺はずっとはてな民って意識低い無能でもそこそこの収入がもらえるコミュ障に優しい会社を求めてるもんだとばかり思っていたんだが
俺はお前らのことを誤解していたのかもしれない