「カルフ」を含む日記 RSS

はてなキーワード: カルフとは

2019-11-06

anond:20191106011552

女が男に頼るんじゃなくて、弱者強者を頼ることはいいんじゃない?

その結果として、家庭という小さなコミュニティ内で男尊女卑精神から割り振られたのと同じような役割分担になったとしても、それは需要供給関係から差別ではない。お互い納得の上でやっているのだから

問題は、そういう利得を享受した上でなおかつ、女性差別だとして男性に過度な家事育児の分担を主張したりすることであって。そりゃ無理だ。

あとまあそれとは逆に家事育児労働一般の賃労働比較してみて、家庭内でも搾取が行われていないかい?っていうようなことはマルクス主義フェミニズムでやるんだっけ?

まあそれは別の議論に任せるとして。

まあとにかくフェミニズム女性生き方に対して、男性に頼って生きるその限りではなく、自立して生きることも否定してはならないっていうことを言えばいいんじゃない

オメーらも全員キリキリ働け!みたいなこと突然言い出すとそれはそれで混乱するしまたそれで負担がかかるのは女性とか弱者じゃん?

できれば男女ともに仕事家事育児バランスを保っていける方がいいとは思うから、追い追いそういう風にはなっていくんだろうけどって今気づいたけどあれか、ラディカルフミニズムとリベラルフェミニズムってこういうことかな…?

2019-11-04

anond:20191104135852

「『女性差別社会構造に対する戦い』という認識を持っているが、そもそもその論法おかしい」とか「その認識オタクにはないから会話になっていない」というのが主張だと思うんだけど。なら、議論すべきは「社会構造が間違っているのか」、「社会構造の変更方法として、ポスター批判適当なのか」、「ポスター批判の論拠は適当なのか」などであって、なぜ「社会構築主義が妥当な論なのか」の問題が出たのかわからないんだけど。

いや件の棘は明らかに社会構築主義はおかしい.それに依拠したポスター叩きもおかしい」という論調じゃない……? ブコメコメ欄社会構築主義の是非で話が埋まってない……?

冒頭からいきなり「ラディフェミ(≒社会構築主義)」ってくくってる時点で「社会構築主義を取り入れている社会学や歴史学人類学はラディカルフミニズムだったのか……?」ってなるやん?

そう思ってるなら、「社会構築主義にまで話を広げる奴が居るが、社会構築主義の是非はお前らが思う以上に複雑だし、ポスターの話とは関係いから近づくな」という話と「ポスター批判の論拠が弱すぎる」という話は分けて語らないと、「社会構築主義の前提が間違っているので、ポスター批判は不当」みたいな、関係の無い論をつなげる議論が出てくることは想像できるよね。

関係のない論というか,前提がそういう論だったわけで……

お前らは全員フェミニズム理解していない

献血ポスターの件でまたあちこち燃えているけれど、フェミニズムについて両陣営がよく理解していないまま戦争しているなあ、と考えていたらふと学生時代に書いたレポートを思い出したので供養しようかと思う。

これは「ポルノグラフィ法規制」に対してのフェミニズム観点テーマであって今回の件とは必ずしも直接は関与しないが色々なところが補助線として使えるのではないかと思うのでもし議論の整理に何らか役立てば。

字数が切れていたので分割。

anond:20191104142158

以下本文

----------

1. 問題設定

レポートでは、ポルノグラフィとその法規制について、いくつかの観点から検討する。ポルノグラフィは、フェミニズム運動の中でリプロダクティヴ・ライツやセクシュアル・ハラスメントなどと並んで一定地位を占めてきた。一方で、その規制は、日本国憲法21条や米国憲法修正1条にいう表現の自由と正面から激突するものでもある。本レポートにおいては、日本国憲法の射程に限定しつつ、これらがいかに衝突するものであり、どう分析されるべきかを簡単に整理することを目標とする。

2. ポルノグラフィ定義

最初検討されるべきは、規制対象たりうるポルノグラフィいかなるもの定義されるかということである。もちろん、いかなる性的描写ポルノグラフィであって規制対象たりうる、という立場自体不可能ではない。しかし、表現の自由が強く保障されることを前提としたときに、容易には首肯しがたい立場であるということは言うまでもない。表現の自由への制約は可能な限り小さくなくてはならないというのが前提であるとすれば、規制対象となるべきポルノグラフィもそれ自体また狭く定義される必要があるであろう。

まず、一般的ポルノグラフィ定義について俯瞰する。いわゆる四畳半襖の下張事件において、「わいせつ性の判断に当たっては、文書全体としてみたとき、読者の好色的興味に訴えるものであるかどうか否かなどの諸点を検討することが必要で、これらの事情総合し、その時代健全社会通念に照らして、チャタレー事件で示したわいせつ要件に該当するといえるかどうか判断すべきである」という判断がなされており、わいせつ要件(通常人羞恥心を害すること、性欲の興奮、刺激を来すこと、善良な性的道義観念に反すること)をベースとしたうえで、社会通念に照らして文書等のわいせつ性が判断されるという判例を構築している。

判例立場は、わいせつ性が前面に出ているのか否かという観点を取り入れることによって性的対象を扱った作品であっても、芸術的価値の高さなどに応じてわいせつ物該当性を認めないという形で一定の制約を設定しているといえる。ここには、表現の自由との緊張が見て取れる。つまり本来性的表現であっても、直接他者危害を与えるものでない限り、国家によって自由を制約されるべきではない。しかし、わいせつ該当性があるならば、例外的規制することが許されるとしていわゆる定義づけ衡量を行ってわいせつ図画を規制しているものであるといえる。

一方で、Andrea DworkinやCatherine McKinnonはポルノグラフィいか定義たか。それは、実際に彼女たちが起草した反ポルノグラフィ条例に見て取れると考えられる。ミネアポリス市の反ポルノ条例第三条 は、「ポルノグラフィとは、図画または文書を問わず写実的描写され、性的にあからさまな形で女性従属させるものであり、かつ次の各事項の一つまたはそれ以上を含むものを言う。(1) 女性人間性を奪われた形で、性的な客体、もの、または商品として提示されている、(2) 女性苦痛や辱めを快楽とする政敵対象物として提示されている、(3) 女性レイプされることに性的快感を覚える性的対象物として提示されている、(4) 女性性が縛られ、切りつけられ、損傷を加えられ、殴られ、または身体を傷つけられた性的対象物として提示されている、(5) 女性性的服従姿勢提示されている、(6) 女性が、その身体の部位……に還元されるような形で示されている、(7) 女性が生まれつきの娼婦として提示されている、(8) 女性がモノや動物によって挿入された状態提示されている、(9) 女性が、貶められたり、傷つけられた李、拷問されたりする筋書きにおいて、汚らわしいものないし劣等なものとして、または出血したり、殴られたたり、傷つけられたりして描かれ、かつそれらの状態性的ものとする文脈の中で提示されている」と詳細に定義している。最高裁判例の打ち立てた上記基準と比べるとこれは、はるかに明快である

ところでこの二つの定義には、その明確性を超えて、根底的な部分でのポルノ観の相違が明々白々と見て取れる。これは、ポルノ規制日本において考える際にも重大な差異であると考える。

最高裁におけるわいせつ概念定義は、三要件を用いたその定義から明らかに社会的性道徳、善良な性風俗といったもの保護対象としている。つまり、過度に扇情的ポルノ作品市場に氾濫することで、社会を成り立たせている道徳基盤が破壊されることを防ごうという目的である。いわゆるチャタレイ事件控訴審における判決理由中の「かゝる文書猥褻文書として排除せられるのは、これによつて人の性慾を刺戟し、興奮せしめ、理性による性衝動制御否定又は動揺せしめて、社会的共同生活を混乱に陥れ、延いては人類の滅亡を招来するに至る危険があるからである」という文章は、まさにこの懸念わいせつ文書規制するべき理由であるということが念頭に置かれているものであると考えられる。

ミネアポリス市かいくつかの都市で起草された条例は、こうした目的のもとにポルノグラフィ規制しているのではない。それは、McKinnonらの論文や、また、条文そのものから明白である。ここで、ポルノグラフィはまさしく「女性差別」そのものとして認識されている。

ポルノグラフィは、女性を隷属させ、性的対象化objectificationするものである、とラディカルフミニストたちは考える。つまり、「ドウォーキンはいう。『女性従属においては、不平等のものがセクシュアルなものにされる』。マッキノンも次のように述べている。『ポルノグラフィーは女性の不平等をセクシュアルなものにする。それは女性の不平等セクシーものに仕立て上げる。それは、言葉の最も広い意味で、支配服従をセクシュアルなものにする』」 。

ここで、ポルノグラフィに対する定義が、二方向のアプローチを有しうることが示されている。つまりポルノが消費されたときに、社会倫理的道徳的にどのような影響を受けるかという観点と、道徳観点を一切取ることなく、ポルノの中で女性がどのように扱われているか、またポルノを消費する男性女性に対してそれを再演することでどのような危害が生じるか、という観点である

Millの提示した危害原理を素直に適用する限り、後者観点の方が規制根拠としては明らかに優れている。前者において、明白な危害存在していない。先に引用した人類滅亡論などは、まさしく論理の飛躍であろう。一方で、後者アプローチをとるならば、それが証明される限り、実際の危害が生じていると言える。これは、いか表現の自由価値絶対視し保護するとしても、しかしそれを規制する十分に強力な根拠たりえる。次章では、ここで主張される危害について検討する。

3. ポルノグラフィ危害

ポルノグラフィが「危害」を有するものであるならば、それは表現の自由を主張してもなお規制に当たることは言うまでもない。表現の自由に対して強く保護を与えることを主張したアメリカのOliver Wendell Holmes Jr.判事であっても、満員の劇場で「火事だ!」という嘘を叫ぶことをいかなる表現の自由保護しないと明言している 。また、実際にポルノグラフィ一般的危害を生ぜしめないとしても、上記の条文を見るに、発生しうる危害から逆算的にポルノグラフィ定義されており、これは限定列挙であると考えるべきであろう。

もっとも、注意しなくてはならないのは、ここで挙げられたものは、危害を「創作」したものまで範疇に含まれることである。つまり女性傷害を受けるという「現実」の存否にかかわらず、そうした創作は、ポルノグラフィとして定義される。そうした映像が、現実における傷害と必ずしも一致しないことは、あらゆる劇作の前提である 。そして、実際に生じた傷害については、こうした条例法律にかかわらず民事上、刑事上の責任を負わしめることが可能である

危害がどの広さで認識されるべきかということについては、確定的な見解はいまだ存在しないものと考える。元来はMillのいう危害原理、すなわち身体的な危害を指していたものであるが、現代的にはこれを精神的(に深刻)な不快の限度にまで拡大した不快原理offense principleと言われるものまで提唱されている 。もっとも、身体的な危害については明確で客観的基準の定立が可能である一方で、主観的不快およびその深刻性については、客観的判断が困難であり、現行の法システムに馴染むのかという点で深い疑義がある。

ラディカル・フェミニズムの主張する「危害」がそうしたグラデーションの中でどこに位置するものであるかは、詳細な分析必要とする。McKinnonの言明する危害は、ポルノグラフィはそれ自体性差別であり、それによって女性従属化されるということである。そして、そのポルノグラフィ撮影において、また、ポルノグラフィが再演されることによって、女性は「縛られ、殴られ、拷問され、貶められ、時には殺される場合さえある。あるいは、単に犯され、使用されている。視角ポルノに映し出されているあらゆる行為のために、女たちは実際に、縛られ、切りつけられ、焼かれ、猿ぐつわをはめられ、鞭うたれ、鎖でつながれ、肉吊り棒や木からロープで吊り下げられ、あるいは、……放尿させられ、排泄物を食べさせられ、ウナギネズミナイフピストルで貫かれ、喉の奥までペニスで侵され、血や泥や糞便や精液で汚される。……ちなみに、膣にペニスが挿入されるという意味での性交は、そこでは副次的テーマに過ぎない」 。すなわち、ポルノグラフィは、男性女性に対する性欲そのものが充足されるためのものではなく(それは副次的テーマに過ぎない)、もっぱら女性に対して暴行を加え、二級市民化することによって従属せしめることが目的とされ、そのためのプロパガンダとして成立しているものであるとされる。「ポルノグラフィ女性憎悪純粋蒸留物であり、女性経験の中でレイプ女性殴打、近親姦強制売春と結びついている。そのことを考えるなら、ポルノグラフィ擁護して発言する自称フェミニストがいったいいかなる道徳的・政治的原則にもとづいているのか、とうてい理解することができない」 と彼女は断言する。

実際にこれらが物理危害として発生しているのならば、それは全く看過することのできない危害のものであり、規制はされてしかるべきものであるしかし、これらは実際の刑法典、民法典の規定によって補足可能ではないか? という疑問が生じてくる。McKinnonはこれに対して、現実にそうした摘発がなされていないことをもって実質的に法は存在せず、それゆえ国家及び社会ポルノグラフィ公認していると見做される旨主張する。

McKinnonの熱烈なポルノ批判に対し、Drucilla Cornellはポストモダンフェミズムの立場のもと、一定距離を置く。「私たちは、ポルノグラフィ生産に対してとられるべき法的行為措置を、ポルノグラフィの配給に特化してとられるべき行為措置から区別すべきである。私は、この区別が、ポルノワーカーを含めた女性たちが、人格となるプロジェクトを引き受けるのに十分なだけ自己を固体化していく、というフェミニスト目的根本的に寄与すると主張する。この産業女性たちを連帯に値しない不幸な犠牲者として扱うことは、彼女たちの基本的尊重を拒絶することである」 という言葉は、ポルノワーカー女性について、「ポルノグラフィに出演している女性の多くは、子どもとき性的虐待の被害者であった。……自宅から性的虐待を逃れて都会に出てきた子どもたちは、そこでヒモに拾われ、レイプされ、殴られ、麻薬づけにされ、売春ポルノグラフィ従事させられるのであるポルノグラフィに出演している女性の多くは貧しく、たいてい教育を満足に受けていない。ポルノグラフィ存在している社会は、女性経済的に不利な立場に置かれている社会である」 と記述するMcKinnonらを批判対象としている。Cornellはさらに、「私は二つの特殊フェミニスト的な理由からポルノグラフィ規制法律に過度に頼りすぎることに対して懐疑的である第一に、反差別法の基礎としてステレオタイプ女性性を強化すべきではない。言い換えると、キャサリン・マッキノン仕事のように、女性を「ファックされる者 fuckee」か犠牲者に切り詰めたうえで、そのような存在としての女性に対する保護要求するような、文化的コード化された女性性を促進するような法はいらない。そういうわけで私は、マッキノンやアンドレア・ドゥウォーキンのそれのような、ポルノ規制の適切な法的手段としての市民権条例案を拒否する」 と言う。

2019-10-20

anond:20191020231217

いや、理屈がばがばじゃないんだって

ネットのラディカルフミニストはかなり前からそう言ってる。


「誰が見るのか」ってことが問題だって

正直もうこりゃあすり合わせや妥協はかなり難しいことになってきた。

完全に衝突してるよね。

2019-09-20

今日も女は毒親叩き

フェミ風俗嬢自称毒親持ちが多いの昔からだったんですね

2019-07-20

anond:20190720090348

ラディカルフミニズムと韓国ナショナリズムを両方擁護している人が多いのはなんでなんだろう。

スコ犬さんは韓国話題しか登場しないからまだ理解できるんだけど、それ以外の固定メンバー10人ぐらいはジェンダーオタク話題でも出てくる。

ラディフェミの本場が韓国から、本場と共闘するためなんだろうか?

2019-07-03

俺が嫌いなのはラディカルフミニズムってやつ

リベラルフェミニズムには共感するところもある。KKOから

ただしラディカルフミニズム、おめーはダメ

これからもボロクソ似叩かせてもらうぞ

2019-06-21

anond:20190621111810

自分の好きなものを楽しむ」ことがイコール他者への押し付け」になってしまう事は普通にある。その時に都合よく「正しさ」を使って自分を押し通そうとするなら、それはもうダメでしょ。

例えばコンビニからエロ本を追い出す騒ぎがあったじゃん。「エロ本視野にも入れたくない」っていう主張の、それ自体は俺も無理筋だと思うが、そういう要求に対して「法的にセーフだ」「コンビニ経営者自由だ」っていう別軸の「正しさ」を使って、押し付けをしたよね。

これについて「ポリコレ押し付けNGだが、俺たちは正しい」って雑に言っちゃうのは、代紋が違うだけでやってる事は一緒。鏡。

いや、全然違うでしょ。

そもそもポリコレサイドの主張に一切の正義存在しないのに、鏡になるわけないじゃん。

「楽しむ」ことが「他者への押し付け」になるとか言い出したらあらゆる趣味規制対象になるってそれ一億回言われてるから

論理的主張の押し付けに対して論理で以て抵抗するのまで「押し付け」っていっちゃうのはどうかしてるよ。

こんなん一番典型的なやつで、反ポリコレ側が気に入らないからってポリコレのやり口をそのまま意趣返しした事件じゃないか

馬鹿反ポリが「やられた事をやり返しているだけだから、これは正しい」っていう「例外要求」をしている、

または「ポリコレは正しい(だから意趣返しも正しい)」っていう反ポリコレ活動の基礎を揺るがす主張をしているだけ。

これも君が「意趣返し」ってレッテルを貼ってるだけだよね。

ポリコレサイドのロジックが正しいなら、当然身内に対しても適用されるべきでしょ。

「やられた事をやり返しているだけだから、これは正しい」じゃない。「お前らがやってることが正しいなら、これも正しい」な。

逆説的にポリコレサイドの正しくなさを身をもって思い知ってもらおうという反抗。

俺はこれを正しさだと思わない。これを「正しい」と考えるなら、例えばラジカルフェミの「女は今まで男に差別されてきたから、次は女が男を差別する番だ!差別反対!!」みたいな主張を批判できなくなる。

いや、おかしいでしょ。

現在進行形で振りかざされてるロジックと、実在さえ定かでない「女性差別」とは一緒になんねーよ。

仮に過去の「女性差別」が実在したとしても、それは現代を生きる男性には関係ない

しかポリコレは今振り回されており、今の表現ダメージを与え続けてんだよ。

anond:20190621111810

俺はこれを正しさだと思わない。これを「正しい」と考えるなら、例えばラジカルフェミの「女は今まで男に差別されてきたから、次は女が男を差別する番だ!差別反対!!」みたいな主張を批判できなくなる。

お前してないじゃん

2019-02-28

anond:20190228135157

女性同士の結婚を認めて、いざその二人の間でハラスメントDVが起きたら…

ラディカルフミニズムでお馴染みの男性性の暴力理論が使えなくなって詰む

別に詰まないだろ、フェミ脳内では。

男性性を内面化した名誉男性」とか「男社会の悪影響」とかいろいろあるぞ

anond:20190228134333

女性同士の結婚を認めて、いざその二人の間でハラスメントDVが起きたら…

ラディカルフミニズムでお馴染みの男性性の暴力理論が使えなくなって詰む

異性愛カップルの間の非対称性を前提にした状況じゃないと適用できないからだ

かといってLGBT運動における異性愛者の差別理論も使えない

2019-02-19

マッサージ好きが明確なビジョンを打ち出す新井浩文のインシデントについて

意識の高いおれはマッサージがアグリーだ。いわゆるメンエスと読み取れるやつな。

電話リザーブしてコンドミニアムの一室に働き、女性が出迎えてくれる。

お茶とかだしてビジネス成功させてくれたり、世界中の貧しい子供たちをいつか助けようと思ったりしてな。

そして、定時で退社した後シャワーを浴びてマッサージする。

足掛かりとしてはうつぶせハイヤーアイビー・リーグからだ、温かいオイルバーニッシングし、カルフを撫でる(笑)

そのバッチ処理もも。内ももを触り、Macを広げ、ビジネス書を読みながらカーソルアスタリスクアリーを撫でる。

現在の情勢におけるあとは”グルヌイユ足”だ。これメモっといた方がいいよ。足をまげてセラピさんが腕とパームを使って鼠径カンパニークリーンアップしてウェイストする。

手がアソコに当たるか当たらないかグレーゾーンのTRIZを駆使して導き出したところ。既にビンビンにコンセンサスを得ている───。

そのペンディングは四つん這い。四つん這いのコンディションで後ろからハンドツールを回してくれて鼠径協同組合を流す。

息が荒く携わるのを止められない。はぁはぁ日々成長。日々成長。日々成長。日々成長。日々成長。

漸く仰向けだ日々成長。日々成長。日々成長。日々成長。日々成長。

ここ(西海岸)で「ある」場合と「ない、それに私はこんな所でくすぶる気はない」場合が起こりうるんだ。

そのときまで欧米では通用しないと思うよ、それはわからない。

ジョブズに倣えば「雰囲気ある」場合に「より非常に意味がある…ここまではいいよね?」オケーションがごくまれにある。

この案件スティーブ・ジョブズの体内に潜む俺たちメンエスグリーホームランと言ったり、難病に苦しむ子供たちに頑張るよう鼓舞したりさせて頂きますんだ。

だな、新井浩文あくまでもこのビジネスチャンスは受け身でなければならないんじゃなくて、あえてやらなかったんだ。

しゃべりでの交渉トレンド入りしていいものの、無理やりなんてもってのほか

存在することないこと、メンエスでのMECEはセラピストによってプレゼンしられるものなんだよ。って言ってもわからいか

「ねだるな、勝ち取るな、さすんば与えられん」

弊社がモテるインスタンスモチベーションに溺れ、セラピストに企業合併をもとめるなんてマッサージマッチングの風上にも置けないよ。

大いに反省、というか自己嫌悪してエラーを償って下さりますようお願い申し上げます

2019-02-03

anond:20190203115342

ゲーム好きのラディカルフミニストってRPG女性キャラは全員切らずに残すとか、♀ポケモンは倒さずに全部捕まえる縛りプレイしてるのかな

もしそうならほぼレズプレイだよな

2019-01-26

「ツイフェミ」とは何かについての仮定

総体としては「ツイフェミ」は「ネトウヨ」と対象主義・主張は違えどもほぼ同じ使われ方をしている。


フェミニズムには詳しくはないので、同じ主義主張を持つものを重複している場合があるので注意されたい。


1.「ツイフェミ」とは広義にはツイッター上のフェミニストの略称蔑称)、「ネトウヨ」と同様の略され方である


2.「ツイフェミ」が何を指すかは「ネトウヨ」と同様、発話者によって幅がある。


2-A.比較的多く見られるパターン

男性言動に対して「ミソジニー」と呼ぶ人

・「女性被害者性」「男性加害者性」「非対称性」「権力勾配」「性的消費」を主張する者

・「ラディカルフミニスト」、特にそのうちの「ドヴォーキン・マッキノ主義者」

・「ミサンドリスト男性憎悪者)」

・「表現規制を主張する者」

・「被害者意識の強い女性

・「女性クレーマーハラッサー」


2-B.少数だが以下のような人を指す場合もある

・「男性差別はないと主張する者」

・「女性の権利を主張する者」「党派系統を問わない、フェミニズム支持者」

・「オタク嫌悪

・「セックスヘイター性嫌悪者)」

・「トランスフォビア」

・「女性の権利を主張するパターナリスト・マターナリスト」

・「母性保護主義」「レズビアン分離主義

・「女性新自由主義者

・「女性中道左派政党支持者」

・「禁欲的・純潔主義宗教信仰者、特に新興宗教

・「スピリチュアル

・「ファシスト全体主義者)」


3.攻撃言動が少ない人間が「ツイフェミ」とは呼ばれる事例は少ない。これも「ネトウヨ」と同様である

2019-01-19

フェミニズムに変わる新しい言葉が欲しい

昨今ネットでラディカルすぎるフェミニストが目につくことが増えてきたので、もしかして日本ではフェミニズムって言う言葉は悪い意味で広がりすぎているのかもしれないと思ってるので、自分が把握している範囲歴史を紐解きつつまとめてみようと思う。

まず、フェミニズムあくまで「女性地位向上」が目的として出てきた運動なのはまぁ言葉の通りだよね。男性地位が高く、女性には発言自由が認められていない状況をなんとかしようね、というのがフェミニズムの始まり

から、フェニミストが声を上げるたびに「じゃあ男性権利剥奪される一方で良いのか!」という反論を目にするんだけど、「語源としてフェミニズムから見た時に、フェミニズム女性地位向上が目的なわけで、こういう反論トンチンカンだとは思います

ちなみに、男性地位向上を目指す運動は「マスキュリズム」と呼ばれていたのですが、思ったよりはこの活動流行らなかったです。

マスキュリズムの考え方はとても良いものだと私も考えます離婚の際、子供親権女性に有利すぎるだとか、そういう女性優遇は確かに存在しまから

ただ、マスキュリズム流行らなかったのはマスキュリズム実質的には「反フェミニズム運動」にしかなれなかった、というところが大きいんですよね。

フェミニズムなんて活動が出てきたからそれまで保たれていた男女の均衡が崩れたんだ」なんていう言説が出てくるくらいで、はたから見ても「既得権益を守りたい男の言い訳やん」って部分が結構あったわけです。

女性地位向上」を目指す古いフェミニズムは、根本的に「そもそも性で地位を区切ろうとしている」ことから思想的に抜け出せないので、定期的に「女性とは何か」という定義をして、フェミニズム運動対象とするかどうかを更新しています

1960年代は、レズビアンのことを「自らを男性に同一化して女性を愛する女性」ということで、「レズビアン女性ではない」と定義してレズビアン排斥されてきた過去もあります

その後、逆方向に振り切って、「レズビアンフェミニスト男性がいない社会を作りたい、ラディカルフミニストの一派)」なんかが出てきたりもしています

いずれにせよ、フェミニズム女性地位向上、果ては男女平等を目指す活動であるはずが、同時に女性とは何かという定義更新し続けてきたわけです。

ところが、「じゃあLGBTQADを全て男性/女性に切り分けて定義するのか?」となってくると旧来の「女性地位向上」という枠では立ち行かなくなってきたんですよね。

そこで、現在は「ジェンダー平等」がもっぱら議論テーブルに上がっているように感じています

特にリベラルフェミニストは既に女性地位向上というよりはジェンダー平等の方を目指しているのでは?

ジェンダー平等という言葉は、「男性/女性/それ以外全て」の性差撤廃しようという活動なので、男女平等とは異なる概念です。

SDGsのゴールの一つにも名言されてますしね、ジェンダー平等

特に有名なのは国連賛同しているHeForShe活動でしょうか。

元々、2014年エマワトソン演説では性差撤廃を述べながら、HeForSheの活動のものは「フェミニズム女性だけの問題じゃないか男性も一緒に話し合おう」と言うにとどめていたのですが、2016年からそもそもフェミニズムって女性地位向上目指してるっぽく見えるし、ちゃんジェンダー平等を目指そう」って活動に切り替えています

ただ、ここで気になるのは、エマワトソン演説安倍総理演説の違いです。

エマワトソン演説ではかなり丁寧に「ジェンダー平等」という言葉を選んでいて、「男性女性も他の性も大変だよね、だからお互い性でくくらない方法を考えようね」と述べているのに対して、当時の総理演説では、「女性人権向上」だけがお題目になっていました。

日本にとってのHeForSheの運動は、「ジェンダー平等」ではなくて「女性地位向上」から変わっていない、ということです。

まぁ、HeForSheも英語の語義的には「女性のために男性は立ち上がれよ」って感じの意味なので、ジェンダー平等を掲げるつもりなら活動名前も変えたらよかったのでは、と思わなくもないですが。誤解している日本人もかなりの数いるのでは。

ジェンダー平等日本の考えの差異エマワトソンYouTubeの話と安倍総理レポートの内容を見比べると「マジか」って思うと思います

http://japan.unwomen.org/ja/news-and-events/in-focus/heforshe

http://japan.unwomen.org/ja/partnerships/japan-commitment

いえ、もちろんSDGsのゴール5だってジェンダー平等を達成し、女性権利向上を」って言っているし、政治的アプローチとしては未だに「女性地位向上」をしないとダメってのが現状なのは世界的に見ても間違いないんですけど。

もうちょっと演説のやりようあるやろ、と思うだけです。

ということで、日本ではまだ「ジェンダー平等」よりも「女性地位向上」の方がフェミニズムに求められている、というのが現状だと思います

特にネットを眺めていると、本当にジェンダー平等を目指そうとしているフェミニストっているのか疑問を感じてしまうくらいに、ミサンドリー男性嫌悪)が蔓延っているように感じています

かに、先述したレズビアンフェミニスト代表されるような急進派のフェミニスト国内外わずミサンドリー男性嫌悪)をあからさまにしている人もおり、エマワトソンとかが頑張ってるのに未だに「フェミニスト→ラディカルフミニスト→ミサンドリー男性の敵」という理解がされているようにも思います

日本でも「ポリコレ棒」という表現がありますが、それも上述のようなラディカルなフェミニスト(あるいはマスキュリスト)によって生まれた極端な例の叩き合いでしょう。

こうなると、そろそろ「フェミニスト」って言葉自体、あまり良い意味を持たなくなってしまったなぁ、と悲しくなっています

例えば「右翼」にとっての「ネトウヨ」や「左翼」にとっての「ネトサ」のように、「極端な人を切り離す言葉」があれば良かったのですが、フェミニストはそれ自体が極端な人を表すレッテルになってしまっていて、今の日本ジェンダー平等を目指そうとする動きに、フェミニストフェミニズムっていう言葉ノイズになってしまっているように感じます

今回のトランスジェンダー(MtF/男性から女性に性転換した人)への強烈な差別だってフェミニストの中には「生まれ男性であればそれは女性と認めない」という人が一定数いて、しかもそういう人が自分こそがフェミニストだとふるまっているか地獄になっているように感じます

「ラディカルフミニスト」って言葉が長いのでレッテルとしてあんまり良くないんですよね。ミサンドリストって言うのもなんかうーん、という感じです。

ということで、「ジェンダー平等を目指す人」ってのは本当は沢山いますし、フェミニストの中にもそういう人はたくさんいます

ただ、もう、そういう人たちは少なくとも日本では「フェミニスト」を名乗ってもあまり得はないと思うので、なんかもっとかっこいい肩書を考えてください。

ジェンダリストとかジェンダリズムっていうとなんかこう、DaiGoの姿が脳裏によぎるので、何か他のないですかね。

2018-12-14

バナナフィッシュの英ちゃん肯定する女子男性向けラブコメ肯定するはず

バナナフィッシュの英ちゃんというのは、何の取り柄もなく気弱でなよなよしているが

誠実さや優しさ、ささやか勇気を見せることで受け入れられるキャラである

こういうキャラ男性向けラブコメ主人公としては定番キャラである少年サンデーあたりでよく見かけるようなやつ

まりちゃん肯定するということは男性向けラブコメ肯定するということで、

少女マンガ世界ではとっくの昔に男性向け・女性向けの対立は解消されているのだ

要するに、ラディカルフェミは時代遅れ頭が悪いということだ

2018-11-12

anond:20181112123815

この時点でラディカルフミニズムのヤバさ、受け入れられなさがわかるよね。

男性がいない社会における女性、ひいては、社会から完全に自由である個人を想定しているという。

ちょっと目端が効けば、学生でもそんなことしないでしょ? てか普通にゼミ教授に怒られるわ。

.

それか、思想が出てきた当時は、まだそういう考えがでてくる余地があったのかな?

2018-11-04

フェミニズムが歪んだんじゃなく、裾野が広がったんだと思う

かつてはフェミニストと言えば田嶋陽子とか、テレビの中でネタ枠に押し込められていたけど、今ではフェミニストフェミニズムはその頃よりはるかに身近になった。

そうして裾野が広がった結果、末端の愚かな層、雰囲気フェミニズムやってる層、低学歴だけど偉ぶりたい層が産まれたんじゃないかと思っている。

性的であると指摘すれば規制できると信じているような、ラディカルフミニズムを履き違えた連中とかがそう。

2018-11-03

anond:20181103155146

ラディカルフェミ二ストのゴールって何なの?

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん