はてなキーワード: アルツハイマーとは
きつかった…
悪夢といってもバケモノに追いかけられるとか、高い崖から落ちるとか、乗ってたエレベーターの底が抜けて落ち続ける夢とかではない。
私は勉強が出来ない。これは私一番の…悩みであり弱みであり、身から出た錆だ。
中学受験で志望校へまぐれで受かり、落ちこぼれて今の高校に通い二年生になった今に至るまで、大小様々な悩みはあれどこれまで自分を苦しめているものはないだろう。
なぜ身から出た錆なのかは単純に、勉強が出来ない事に悩みつつもそれを解決しようと勉強してないからである。勉強をしていないならまだしも、長期休みの宿題や課題を出さない。これがいけない。
かつ、私は親を裏切り続けている。何度今度こそは頑張って成績を上げて提出物を出すと言っただろうか、何度欠点の電話に怯える母を、面談の度に恥ずかしい思いをさせてしまっただろうか。ちなみにこれらは現在進行形で続いている。それを何とかしようと真剣に思うぐらいには恐ろしい夢だった。まあこう思う事は初めてではなく、20回目ぐらいだったりするのだが。
そろそろ夢の内容へ移ろうと思う。
通っていた中学校と高校が混ざった校舎の廊下に私は立っていた。対面にいる担任から今学期の成績表を渡される。読まずとも壊滅的な内容だと私は知っていた。特に英語の成績が。担任は母を呼んであると言う。もうこの成績は伝えてあるらしい。
私はふらふらと教室へ戻った。母がいた。実際に最後に見た服装と1年の面談に来て来た服が混ざっていた。まあどちらも似たような格好だったが。彼女は黒に白いレースの縁取りがついた日傘を持ち、赤い口紅を差していて、シックな印象を与えた。この格好をした母と歩くのが好きだった事を思い出した。
母は私を責めた。彼女は怒っていて、呆れていて、悲しんでいた。私は辛くて、自席の机へ目をそらした。小学生の時使っていたうさぎの手提げ(これは母が祖母とふたり、母娘水入らずの旅行先でお土産で買ってくれたものだった)と、それに入った手紙が見えた。
手紙といっても置き書きのようなもので、A4サイズの裏紙に青いサインペンで書かれていた。母のそばを離れて手紙を取るわけにもいかず、手提げから半分程度はみ出した部分しか読めなかった。すぐ会えるとは思っておらず、手紙に気づいてもらえるようわざとそうしたのだろう。
手紙には「ママちゃんは悲しんでいます」ときれいな字で、というか思い返せば私の字で書かれてあった。母の字は丸っこく、独特なのだが、私は習字に通わせてもらっていたのである程度綺麗な字をしている。
ママちゃん、というのは彼女が私とふたりきりで楽しく話している時にふざけて使う愛称だった。普段怒った母はもっと威圧的で、口汚い言葉を使った手紙を書いていた。
私はここで
ああ、何ということをしてしまったのだろう、と思った。
気づけば母は成績表の入ったファイルを私に押しつけ、廊下を歩き出していた。階段を降りゆくところで私は慌てて追いつき、どこへ行くのかと訪ねた。彼女は履歴書を書きに行く、と言った。私は冗談じゃないと思い、持っていたファイルを踊り場に叩きつけた。中に入っていたプリントが舞い散った。母はどこかへ行ってしまっていた。
私がプリントを集めていると、どこからともなく8歳ぐらいの男の子と女の子が寄ってきて、プリントを拾うのを手伝ってくれた。男の子が私の成績表を見て、お姉ちゃんなのに成績わるーい、と言うので 私はうーん、お姉ちゃん認知症になってるからかも知らんなあ、若年アルツハイマーやわ、と笑って返した。そうすると女の子は じゃああそこにおらなあかんのちゃうん、と指さした。
その先にはステージがあり、私と変わらない年格好の車椅子に乗った人や移動式のベッドに寝たきりの人と共に講演をする大人がいた。私はなんだかぞっとして、あはは、せやな〜とかなんとか言った。
プリントが集まり終わり、最後に成績表を入れるだけになった。そこで初めて成績表を見た。惨憺此処に極めり、といった内容だったが一番は英語だった。1だった。ここでそういえば私、留学したいんだったと思い出した。こんな成績じゃ無理だとも。担任からの欄には、ずいぶんとかっこいいですね、と書いてあった。彼がよく言う皮肉だった。
私はファイルを持って立ち上がり、母を追いかけるべく走り出した。半分泣いていた。私は就職希望なんだからもう成績で取り返しがつかないとか、留学したかったなとか、母に申し訳ないなとかなんとか思いながら。中学校と高校の廊下を走り抜け、職員室の中を突っ切った時に母の背中が見えた。もう少しで追いつく、という時に目が覚めた。
いつもの布団じゃないので混乱した。が、よく思い出せばここはホームステイ先の自室のベッドの上だった。
現実の私は、このままの成績では留学することは出来ないと言われ、学年順位をどうにかこうにか100番上げてニュージーランドへ来たのだった。
怖い夢だった。もう二度と見たくない。その為にも勉強し始めようかな。
元増田とは趣旨が違うが、ひどい国会答弁の議事録が公開されたので少し触れてみたい。
http://www.asahi.com/articles/ASK2P5TR7K2PULFA023.html
2月に少し話題になったこの記事を覚えている人も多いだろう。その日の議事録が先週ようやく公開された。
http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/009519320170221004.htm
流れがわからないと判断を保留していた人や擁護していた人もいたので簡単に説明すると、アイコスやプルーム・テックなどの加熱式電子タバコの法律上の扱いについての質疑の最後に電子タバコについての意見を求められて出た発言である。以下該当部を引用する。
○麻生国務大臣 私どもが当選したとき、成人男子の七八%がたばこを吸い、三千億本だったんだと思うんですけれども、その後、税収として、今、地方税で一兆七百億ぐらいだったかな、国税を足して二兆一千何百億になっていると思うんですが、これだけ減っても余り税収は減らないんだよね。がんは間違いなく三倍ふえましたからね、肺がんは。たばこってそんな関係あるのといって、証明できる人というのを、俺はぜひ聞いてみたいと思って、いろいろな人に聞くんです。
どうもこの喫煙者が減ったのに肺がんが増えたというのはよほど麻生氏お気に入りのネタらしく国会の議事録を簡単に検索するだけでも今回のを含めて過去5件も出てくる。なお、この後のとっくの昔に否定されたアルツハイマーとの関連ついても問題ではあるが今回は置いておくので各自確認願いたい。
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/186/0018/18602140018008c.html
○麻生国務大臣 それから、三つ目は、これは厚生労働省、あなたも医者をやっている、私も病院をやっていますのでわかりますけれども、どれくらい肺がんの患者が減ったかといえば、この三十年の間、肺がんの患者は実はふえておる。たばこがこれだけ減っているにもかかわらず肺がんの患者がこれだけふえている、なぜですと言って医者に聞くと、大体たばこを吸わない医者は、いやそれは、たばこは何とかといろいろ理屈は言うんですけれども、たばこ以外のものがふえているんですよね、きっと。排ガスとか、多分いろいろなものがそうなんだと思います、私どももいろいろな話を聞くんですが。(中略)
今は吸われない方の方が、昔、私どもが当選したときは七八%が吸っておられたと記憶するんですが、今は三〇%ちょいということでしょう、さっきの数字が正しいとするならば、三四%。そうすると、肺がんの発生率は五割減っていないと計算が合わないんですけれども、五割ふえておるような感じになっておりますからね。
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/186/0014/18603140014013a.html
○国務大臣(麻生太郎君) そして、三千億本が二千億本に減り、喫煙者の、成人男子の約七八%が吸っていたものが今三〇%前後というところまで来たんですが、がんは減りましたかね、肺がんというのは。どれぐらい減ったんです。教えてくださいよ。(発言する者あり)いや、健康に悪いからと言っているから。健康に悪いって、肺がんが悪いからという話だったんでしょう。だから、肺がんってどれぐらい減ったんです。是非僕は教えてもらわないと、これは説得力を持たぬと思いますけれどもね。
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/189/0095/18906100095012a.html
○麻生国務大臣 たばこを吸っておられる方というのは私が当選したころは成人男子の七八%ぐらいだったんですが、今はもう四〇%を切って、三十何%まで減っております。では、肺がんが減ったかといえば、肺がんは約三倍にふえております。たばこを減らしたからといって肺がんが減ったかというのは全然立証できない数字になっております
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/190/0015/19004250015008a.html
○国務大臣(麻生太郎君) 私、当選した昭和五十四、五年、たしか日本のたばこの消費量約三千億本、成人男子の七〇%が喫煙をしておられたんですが、今それが一千八百億本。成人男子の三〇%ぐらいですから約四割減った、だけど肺がんは三倍に増えたというこの事実だけちょっと頭に入れておいていただかないと。みんな、非喫煙者なら最も嫌がる数字ですけれども、私はこれ最も気に入った数字で、アメリカ人来たら必ずこの話を言うんですけれども、みんなうんと言って、反論するやつは医者でも一人もいません
もう20年近く前の話。
ばあさんがアルツハイマーで入院して、家族が当番で身の回りの世話をした。
俺は大学院生で、指導教官には研究室に入るときによく事情を説明して、夕方のゼミとかがない日には3限(2:40終了)のあとすぐに新幹線に乗って、実家近くの病院に向かった。
だいたい、月木、それと土日。
3時過ぎの新幹線に乗ると、夕飯には間に合う。配膳され、上体を起こし、前掛けをつけて、おれはお箸で1品ずつバランスよく順番に、できるだけ品よく食べさせてあげようとした。
「いただきまーす」
「おいしい?」
(にこにこ)(うんうん)
「おいしいね」
(にこにこ)(うんうん)
ふだんはスタッフの人も忙しいから、どうしても食事をスプーンでまぜて、練りこんで一口分ずつ口に運ぶようになる。
おれがお箸で食べさせると横目で見て「(ばあさん)ちゃん、よかったわね」なんていうけど、よそのばあさんにそこまでする人はいない。別に恨んでもいない。よくしてくれた。恨むのは、筋違いというものだろう。
箸を遣う手つきがとてもきれいな人で、元気だったころはお豆さんを上手につまんで、おれたち孫によそってくれた。
きんぴら、陳皮、とうもろこし。なます。ちょっとした和え物。角砂糖だって、ばあさんの手にかかれば、一味もふた味もちがう何か特別な料理に見えた。早産で生まれたおれの命を救ってくれた手に、おれは報いることができない。
代わりに、もう起きられなくなって、お箸で一口ずつ口に運ぶのはだれが見たって不合理だってなってから、おれは少しの間、抵抗した。
両親が結構な年になってきたんだけど5年ほど前からはっきりと老化が始まっている。
毎年少しずつだけど頭の回転が遅くなってきているのが側にいて分かる。
それにともない「私こそが正しい」「私は賢い」「私の知らないことは皆知らないようなこと」という思想が見え隠れする機会が増えた。
最近では「私のために皆ゆずるべき」「私を幸福にさせるのが他の人の役目」とでも言わんばかりのわがままぶりを発揮することも出てきた。
辛い。
自分の親が着々とテンプレレベルで素行の悪い老人になっていくのが辛い。
自分の正しさを疑う判断力を失ってしまった人間の姿は本当に醜い。
頭が鈍りだした老人にはおそらく二つの道しかないのだろう、一つは「自分こそが正しい」と信じる道、もう一つは「自分なんか間違ってる」と信じる道。
私達はその両方の可能性を探りながら日々暮らしているが、それが出来るのはある物事について考えを二度巡らせるだけの頭脳の余力があるからだ。
衰えた老人は一周しか出来ない。
二つの視点を持つのは衰えた老人のクロック数が低い脳みそには荷が重いのだ。
だから自分こそが正しいと信じ切って横柄に生きるか、自分なんか間違っていると卑屈に生きるか、そのどちらかしかないのだろう。
私の父と母は2人とも前者を選んだ。
祖父は最初前者だったがある時から後者の道を進む人になった。片方の祖父の記憶はもう覚えていない。
人間は衰える。
肉体が頭脳よりも先に衰えるのならば醜い姿を晒す前に死ねるが、それが幸福だとは思わない。
だが自分の醜さを晒しながら人生の最後を生きるのもそれはそれは不幸である。
ゾっとした。
その気持を吐き出すために書いた。
もしかしたら数十年もすればアルツハイマー等の治療が進んだ副産物として頭脳の衰えを大きく抑制できるかもしれない。
だけどきっとそれはギリギリで私に間に合わない気がする。
きっと自分でも気づかない間に脳のクロックが落ち、自分でも気づかない間に横柄か卑屈な人間になってそれから私は死ぬのだろう。
かといって肉体が先にボロボロになって朽ちていくのを望む気もない。
生老病死、世の中は辛い。
私の父は数年前、アルツハイマー型認知症を経て肺炎で亡くなった。
父は、昔の人によくありがちな典型的な癇癪持ちのタイプで、気に入らない事があると突然癇癪を起こすのが常だった。
好きなプロ野球チームが、父のお気に召さないプレーなどを示すと「なにやっとんじゃぁっ!!」と晩酌のビール瓶片手にしょっちゅう切れていたし、そのビール瓶を叩き割ってしまって自分で後片付けしていた背中が私の少年時代の記憶に焼きついている。
仕事は、一人親方の看板製作業で、小中学生の頃よく一緒に手伝いに連れて行かれたけど、現場に一緒に入っている他の会社の作業員にブチ切れて怒鳴り散らす事も珍しくない人だった。
私はそんな父が別に嫌いだということはなかった。プラモデル作りや釣り、音楽レコード鑑賞などそこそこ趣味を持っていた人で、私は釣りには興味は示さなかったが、プラモデルは好きでよく一緒に作ったものだ。父は職人肌のところがあり、プラモデルはとても上手だったし、音楽趣味も古い世代に多い演歌だけじゃなくて、ジャズやニューミュージックなどのレコードも豊富にあって、その影響で私の音楽趣味も醸成されたようなところがある。
ただ、夕食時は親父がテレビ見ながらいつ癇癪を起こすかわからないので、私や他の兄弟も大急ぎで食べ終えて子供部屋に逃げる日課。
そんな父に寄り添っていた母も大変だった。そんな風に子供が逃げるように食卓からいなくなってしまう事にまで腹を立てた父は母に怒鳴り散らして、「お願いだからもう少しお父さんと会話して」と母から何度も頼まれたりもした。
だけど、私を含め子供が中高生、大学生と成長するにつれ自分たちのプライベート時間が長くなってくると、自宅が仕事場だったから、家の中には父と母しかいない時間が長くなり、ストレスを溜めた母がアルコール中毒になってしまったこともある。
父は母なしでは生活できない人だった。
夜遅くに帰宅した私に「お母さんの様子がおかしい」と深刻な表情で訴えてきて、すぐに寝室にいた母の様子を見に行くと、泣き腫らして目も顔も真っ赤にした母が布団の上で一升瓶を抱きかかえて横たわり、「もうイヤだ。死にたい!死にたい!」と消え入りそうな声でずーっと呟き、身体を異常なほど震わせていた。
どう考えても、すぐに病院に連れて行かないといけない状態なのに、父にはそれすらも分からなかったのである。
それからしばらくは、私たち兄弟は出来るだけ自宅には早く帰って父母と一緒に過ごすようにしたので、母の状態は回復の方向に向かったけども、当時は精神科を受診する事すらも忌避される時代だったから分からなかったけど、母は多分かなり重度の鬱病のような状態に陥っていたのだと思われる。
その後、子供が社会に出て自立し、一人暮らしを始めたりしてからも親には随分悩まされたけど、父が60を超えるくらいになると糖尿病や高血圧が悪化して廃業する事になった。ちなみに子供は誰も家業を継いでいない。
そして、父は念願だった美術の勉強を始めるなど、廃業して何年かは穏やかな生活が続いた。私も結婚して孫を見せる事も出来た。
だけどそれも長くは続かず、父のアルツハイマーが発覚して、発覚時には医師から「発見が遅れたのであと1~2年でおそらく誰が誰だかも分からなくなる」と告げられ、その日のうちに孫の名前が言えなくなっていたのにみんなが気付いた。
徘徊は酷かった。あれは経験者じゃないと分からないと思うが、ほんとに突然いなくなるのだ。そうとしか言いようがない。例えば五分前に御飯食べてた筈なのに、周りにいた人がほんのちょっとテレビに気取られただけでいなくなっているのだ。そして、辺りを探し回ってすぐに見つかればいいものの、結局一晩見つからないこともしばしばで、しょっちゅう警察のお世話になった。
一度、GPS機器をお試しで身体に装着させようとしたけど、「こんなもんいらん!」と嫌がってしまって無理だった。
ただ、廃業してからずっと癇癪だけはなかった。いつの頃からか、「お母さんには散々迷惑かけたから優しくする事に決めたんだ」としょっちゅう言うようになり、その言葉のとおり癇癪を起こすことは、少なくとも私の知る限りなかったし、一緒にいた母にも聞いた事がない。
そんな父だったのに、亡くなる年に一度だけ癇癪を起こした。
それはお正月二日の日、実家にみんなが集まっていた和室で、おせち料理を囲んで団欒していた時、母が何かを台所まで取りに行こうとして立ち上がったときにふらっとよろけたその時だった。
「こらっ!そこどけ!」
多分、足を悪くしていた母に対する父の気遣いだと思うけど、にしてもしばらく聞いた事のなかった癇癪。
母のちょうど隣にいたのは私の息子だったが、それまで笑っていたその息子の顔が引きつっていた。
それから、二ヵ月半ほどして、肺炎を患った父は病院で亡くなった。
昨年くらいから、母も同様にアルツハイマー型認知症と分かり、今は施設にいるのだが、この前私が訪れた時、母はこう言った。
「お父さんすぐ怒るから一緒にいてあげてね」
プログラマの時はLinuxのカーネル書き換えたり、Windowsのオリジナルのインストーラ作ったり、Pro*Cやったり、まぁとにかく時流に乗って色々やった。
SEになって、いきなり最上流工程やらされた。どんな人間でも1年はマニュアルと睨めっこするような複雑なサーバの運用ルールを決める仕事。会社同士のぶつかり合いを見た。地方に出張する楽しみを知った。某オープンソースのサーバアプリを調べろと言われ、オープンソースな上にプログラマ経験者だからとバグ解消までさせられた。一人で殆どの面倒を見たそのサービスは島耕作が宣伝してくれるまでになった。
去年、パワハラで適応障害になった。「使えねぇヤツと判断したらオレはすぐぶっ潰すんだ」と常日頃から言い切る定年間際の大手IT企業で出世せず現場に居座るオッサン、と言えば大体想像出来るだろうか。そんなのと対面させられ、間違った知識を正したら逆に「使えないヤツ」扱いされ、酷い扱いを受けた。
2ヶ月会社を休んだ。
それから社会復帰して、銀行システムの仕事をした。常に10個ぐらいの仕事が振ってくるような場所で、頑張った。SEじゃない会計の仕事なども回ってきた。今までに無い知識を次から次に求められた。仕事中にインターネットが出来ないので、電車の行き帰りでスマホで勉強しながら仕事した。
どんどん仕事が増えて、朝7:30から夜21:30までが常態化して、身体を壊した。
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クビになったその足で、前のプログラマだった頃にいた会社に行った。社長はアルツハイマーになって3年目、よろよろになりながらも、社長業を続けていた。中小IT企業は地獄だと思った。例え社長になったとしても、そこまで働かないと会社は成り立たないほどになっていた。
「派遣法改正からもう、ITの派遣は美味しくないよ、早くスピンアウトした方がいい」
社長は首を叩きながら言った。アルツハイマーの症状が首に出て、首が辛くて辛くてたまらない、との事だった。
「オレなら農業をオススメするよ。地方の、援助金が出るような所に行ってさ、楽に作れるような野菜だけ作って、それで暮らしていける」
あまり真に受けずにおこう、と思った。自分の将来は自分で決めるしかない。
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今月はもう働かないと心に決めた。
重労働で壊した身体を治さないと。精神の疲労、肉体の疲労、神経の疲労。それぞれ別で、それぞれ抜かないと大変な事になる。それは前回の適応障害の時に学んだ。
プログラマのときにも適応障害になったから、生涯3度目の適応障害。慎重に行動したい。
次は何をするのか、今の時点で全く決めていない。
知り合い連中には「文章を書く仕事をしなよ」と言われた。「自分は文章作法等、文章を書く仕事に求められる基本知識が全くない」と言ったところ「文章に力があるから、そんなの要らないんじゃないか」と言われた。自分の事ではない他人事なのだから、適当で当たり前、仕方ないなと思った。
漫画を描いてコミケでまだ現役サークルで頑張っているが、創作で食っていくのは難しい事を知っている。
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さて、次は何をしようか。
漠然と考える。
こんな文章を書くぐらいの暇はある。色々な事に挑戦してみたい。
サークルをもっと頑張って売上を伸ばしたところで、多分、生活できるほどには成長しないだろうし、同人はジャンルに引っ張られる上に売れ筋ジャンルは読めないし、そもそも好きでもないジャンルで同人をやりたくないしで、同人で生活する、というのは無理だろう。
今時個人で開発したスマホアプリで収入を望むのも難しいだろう。
農業は奥さんに止められた。
今までの自分には無い、新しい事に挑戦した方がいいのかも知れないな、とか色々思っているが、何しろ会社をクビになって二日目。状況がまだ自分の頭の中でまとまりきっていない。既に辞めたのに、職場のアレコレが気になってしまったりする。既に辞めたのだから関係ないはずなのに。
家族の理解さえあれば、少しの間、休みたい。その家族の理解がどこまで期待できるかなんだけど、まぁ3度目なんだから、いい加減、判ってくれているとは思うんだけど、うーん、判っていないかも知れない。
明日には残念なことに私は銀歯になっているだろう。
しかし未だ納得はしていない。
銀歯って染みるしとれるし不格好だしすぐ虫歯になるしでデメリットしかない。
なぜだ。なぜ平成も30年近く経っているのに未だに銀歯なんだ歯科業界は。
なぜ「とりあえず銀歯」から成長してないんだ??
セラミックもなんで未だに高いんだ?2020年も近いんだぞ?オリハルコンとかならわかるよ。5万ぐらいしそうだなって納得できる。オリハルコン。
セラミックもっと安価になれよ!健康保険適用しろよ!おーーーーーーーーーい!!!
はー・・・・・・、大昔から銀歯一辺倒。なぜだ。銀歯以外の治療法確立してくれや。。。平成も30年近いぜ。。。
iPS細胞すごいなぁ・・・アルツハイマーも徐々に原因が解明されてるらしい・・・・人工知能でガンの早期発見も可能だとか・・・・
なーーーーーーーーーんでお前らは未だに銀歯なんだよ!!!クソムカつくんじゃ!!!!!
(お前がそもそも虫歯にならなきゃいいんだろうって?それは置いとこう。揚げ足取りでしかない。医学の発展になんら関係ない話題だ。)
とにかく私は前時代的な銀歯から一切発展のない虫歯治療に憤りを感じている。
それは私がはじめて銀歯になる機会にやっと気づけたことだ。
もっと銀歯の嫌さを知っていれば・・・・ニーメラーのあの詩が脳裏にちらつく。。。。
3.深型フライパンについても全面同意だが、フタはぜひ欲しい。初心者はなんでもフタするほうがいいよ。
炒飯に冷凍の挽き肉入れると生だがしばらくフタすればちゃんと火が通る。
4.アルミ行平よりステンレスかホウロウが変色しなくて楽ちん。
ステン鍋もちゃんと焦げが取れていつまでもぴかぴかのがうちにあるよ。
アルツハイマーはもう信じてないけど音もイヤ(おたまにあたるたびカシュカシュ鳴るので耳がかゆい)。
なのでフタつきステンおすすめ。
5.一人暮らしの友、ゆであげ麺用のトッテつきのザルからそろえた方がよいかも。
http://www.amazon.co.jp/dp/B002MUBN0W/
6 菜箸は自分がつかった外食の竹箸をそのままもらってきちゃって、
しばらく洗い場の水につけて洗ってもソリがでないのを残す。(エコ)
100円ショップの竹の菜箸は逆に反りまくるよね、どうやってつくってんのあれ。絶対反らない焦げないのはシリコン菜箸
http://www.amazon.co.jp/dp/B007IECKUY/
7 500ccのhttp://www.amazon.co.jp/dp/B002YSFKME/ 計量カップだが、
これビアジョッキにも、ドレッシング容器にも、自宅でスタバのグランデ飲んでる気分になりたいときにも使える
ただ、カップスープつくったり熱いめんつゆをつくる(薄める)のには
普通のステンレスのコップ型でトッテ付のがもう一ついる。100円のでいい。
8.9 100円ショップでいいよ…つかってない
10 これバネばかりがおすすめ。
http://www.amazon.co.jp/dp/B0000C98E7/
春です.
一人暮らしを始める人はお母さんが張り切って調理器具をそろえてくれたかもしれません.
お母さんがそういう感じじゃなかった人のためのリストです.
・2口コンロ
・幅60cmくらいの調理スペース
千円から3千円くらいの刃渡り18cm前後三徳包丁1本で十分です.
鋼とかグローバル三徳3点セット1万5千円とか言ってくる人のことは無視します.
ぶっちゃけなんでもいいのですが私のお勧めは http://www.amazon.co.jp/dp/B0000TBAVE これです.
余裕があったらシャープナーを,次点でペティナイフを買えばいいと思います.
http://www.amazon.co.jp/dp/B00EH2IAV8 これです.
使い捨てていきましょう.
正直に言うと,フライパンよりも先に北京鍋ないし炒め鍋を買ったほうが良いと思っているのですが
それは偏った意見だと分かっているので,間を取って深型フライパンです.
なぜかと言うと,あなたが男性の場合,まず間違いなく炒飯を作ります.
男は,カレーと炒飯とパスタを作るのが大好きだからです.間違いありません.
一人ぐらしにはちょっと大きめな28cmの浅型フライパンに米1合入れてガシガシ炒飯を作ると,必ずこぼします.ていうか炒飯以外でもガシガシ炒めるとまずこぼします.
それは嫌なので深型です.
http://www.amazon.co.jp/dp/B005EV786O これです.IHの人は別なのを買ってください.私が北陸アルミのファンなのでこれを薦めます.ホクアのテフロンは持ちます.
炒飯を作らない人は軽いほうがいいので
http://www.amazon.co.jp/dp/B005EV786O これです.私はホクアのファンです.
サイズは22~28cmで,食べる量で調整してください.フライパンは大は小を兼ねないのが定説です.
我々の趣味は料理ではないし,そんな人が鉄鍋買ってもホクアのテフロンが剥がれるより早く錆びつきます.
もしかしたら「煮る」などの高等な調理をすることになるかもしれませんし
インスタントの味噌汁の味に耐えられないかもしれないので片手鍋です.
ステンレスはすぐ焦げるし,お湯が跳ねるので私はアルミが好きです.
ホクアと言いたいところですが,取っ手がぐらついて交換することを迫られたことがあり,それ以降
http://www.amazon.co.jp/dp/B0011EZ75C これを使っています.良いです.
蓋も買ってください.
プロの友人はAKAOのDONアルミを使っているそうです.私は使ったことがありませんが,行平鍋にそう大差ないと思います.
鍋をすぐ壁にぶつけるので丈夫な方が良い人や,アムウェイ会員なのでアルミ鍋を使うとアルツハイマーになると信じている人はステンレスを買ってください.
お金がある人は,多層構造の柳宗理やらジオなどが良いと思います.
ボウルですが,
欲を言えば深い物が使いやすいです.
http://www.amazon.co.jp/dp/B002AQTBJS これです.
ザルは,強くパンチングボウルを薦めます.洗いやすさが違うからです.
http://www.amazon.co.jp/dp/B0027WXEDY こういうのです.
よくサイズが違うボウル・ザル3点セットとか売っていますが,浅型だったり,そもそもそんなに使わなかったりするので,
とりあえず1個ずつ買って,足りないと感じたら買い足せばいいと思います.
ここまでで1万5千円程度で揃えることができます.
菜箸,本当に何でもいいです,が個人的にはヘラより良く使います.洗うの簡単だし.
ヘラは耐熱性の問題もあるので,私は木製のものを使い捨てています.
計量スプーンはリングでまとめられたものは使いづらいので無印良品のものを使っています.
カップは一応耐熱ガラスのものですが,ぶっちゃけなんでもいいです.
お勧めは http://www.amazon.co.jp/dp/B0068C2X5E これです.
電子スケールが便利です.アナログとそれほど大きさ変わりませんし.
ただ,一人暮らしの料理スペースだと邪魔になる可能性すらあるので
料理が趣味になり,レシピ通りしっかり作りたいという人向けです.
そういった人にしか必要のないものの代表がフードプロセッサーです.
食べたくなったら気軽に外食できるのが一人暮らしのいいところです.
使った後洗浄するのも面倒だし,調理ばさみと違って値段もするので,
●麻生:「 ~についてはアルツハイマーの人でも分かることだ。」
田中真紀子:「口の曲がったおっちょこちょいが『 アルツハイマーでも分かる 』と失言してたが、そんな発言する方がアルツハイマーだ!」
小沢:「安倍自民党政権は脳死状態。もうボケェーッとしてウンともスンとも言わなくなった。」
民主党議員が国会で水を飲んだ安倍総理に「下痢するぞ~!」と難病やハンデをあげつらう心ないヤジ
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●柳沢厚労大臣:「子供は女性以外からは生まれようがありません。
ですから生む機械といっては申し訳ないが、子供を生んでくれる出生率をもっと上げていく必要がある」
菅直人:「東京や愛知の経済生産性はとても高いが、実は女性が子を生む生産性は最も低いから問題なんです!」
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●久間防衛大臣:「 原爆投下で戦争が終わったと頭で整理してしょうがないかなと思っている。
原爆で終戦して幸い北海道が占領されずに済んだが、間違うと北海道がソ連に奪われてしまっていた。」
嘉田代表:「日本は2発の原爆投下で戦中の"軍国主義"から抜け出すことができた。
今回の福島原発事故は大きな犠牲を国民に強いてしまったが、社会システムを変える良いチャンスだわ!」
●高市氏の「フェアにやれないなら停波すんぞ」