両親が結構な年になってきたんだけど5年ほど前からはっきりと老化が始まっている。
毎年少しずつだけど頭の回転が遅くなってきているのが側にいて分かる。
それにともない「私こそが正しい」「私は賢い」「私の知らないことは皆知らないようなこと」という思想が見え隠れする機会が増えた。
最近では「私のために皆ゆずるべき」「私を幸福にさせるのが他の人の役目」とでも言わんばかりのわがままぶりを発揮することも出てきた。
辛い。
自分の親が着々とテンプレレベルで素行の悪い老人になっていくのが辛い。
自分の正しさを疑う判断力を失ってしまった人間の姿は本当に醜い。
頭が鈍りだした老人にはおそらく二つの道しかないのだろう、一つは「自分こそが正しい」と信じる道、もう一つは「自分なんか間違ってる」と信じる道。
私達はその両方の可能性を探りながら日々暮らしているが、それが出来るのはある物事について考えを二度巡らせるだけの頭脳の余力があるからだ。
衰えた老人は一周しか出来ない。
二つの視点を持つのは衰えた老人のクロック数が低い脳みそには荷が重いのだ。
だから自分こそが正しいと信じ切って横柄に生きるか、自分なんか間違っていると卑屈に生きるか、そのどちらかしかないのだろう。
私の父と母は2人とも前者を選んだ。
祖父は最初前者だったがある時から後者の道を進む人になった。片方の祖父の記憶はもう覚えていない。
人間は衰える。
肉体が頭脳よりも先に衰えるのならば醜い姿を晒す前に死ねるが、それが幸福だとは思わない。
だが自分の醜さを晒しながら人生の最後を生きるのもそれはそれは不幸である。
ゾっとした。
その気持を吐き出すために書いた。
もしかしたら数十年もすればアルツハイマー等の治療が進んだ副産物として頭脳の衰えを大きく抑制できるかもしれない。
だけどきっとそれはギリギリで私に間に合わない気がする。
きっと自分でも気づかない間に脳のクロックが落ち、自分でも気づかない間に横柄か卑屈な人間になってそれから私は死ぬのだろう。
かといって肉体が先にボロボロになって朽ちていくのを望む気もない。
生老病死、世の中は辛い。
認知症には至らなくても、加齢で脳の萎縮が少しずつ進行しているのかな。 認知症になると自制が効かなくなって横暴になるそうだ。 卑屈になるのは認知症に伴う抑うつ状態や、老年期...