はてなキーワード: つがいとは
初めてだからってなるべく良いやつ買おうと思っていろいろ調べた結果、irohaに決めた
なんかシリコンとか良さそうだし最初なら有名なブランドにしようと思って
で、普段外派だから中も使えるやつがいいなと思ってirohaFITのみなもづきに決めた
みかづきっていう波打ってないやつもあるんだけど、レビューとか見てたら外に当ててもいいって書いてあったからみなもづきにした
それで、初めて使ったんだけどもう革命が起きた
今まで外派・頑固一徹指のみのストイックスタイルで開始〜終了までに30分ぐらいかかってたのが5分ぐらいで終了した
手も指もまったく疲れないし、所要時間が1/6になったし、ここ最近片手で外を、もう片手で中を、と両方からやっていて、中の方に注力していた手が角度的にめちゃくちゃきつかったのだがそんなものは不要
irohaFITだけでいい 最高
今までにない感覚がブワッときて、なんだこれ!って思ってたらもう完了していた
で、今までここで完了して疲れて寝ていたのだが、所要時間が激減した結果、外が完了したあと、中の方に着手する余裕ができた
昨日は初回だったのでうわ〜って夢中になってやってたら普段の時間の1.5倍ぐらい経ってたんだけど充足感がすごい
普段前半しか手をつけられていなかったところ、後半まで進められた感じがある
新しい一歩を踏み出せた感じ
まだ一回しか使ってないんだけどQOLめっちゃ上がりそうな予感がしていて、生活における期待感や楽しみが増えた
irohaFIT、1万円ぐらいするけどこれだけ快適になるし外も中も使えてめっちゃコスパいい
今までバイブとか買うのどうなんだろう、とか、恥ずかしいとか思ってたけど本当に買ってよかった
次はウーマナイザー?とかの吸引するやつ買おうかなって調べ始めてる 楽しみ
同和地区に生まれ育ち、多分『それなり以上の同和教育を受けた最後の世代』だと思っている私。
私は昭和の終わりかけに、関西の大都市に生まれた。自営業の父と専業主婦の母のあいだに生まれ、1歳児の頃から公立保育所に通った。
現在は幼児をもつ親でもあり、『保活』『保育園落ちた』などのワードをネットで見るにつけ、自分の育った地域や時代か現代のどちらがおかしいのかわからなくなるのだ。
まず、私の母は専業主婦だ。母方の祖父と同居だったが、その祖父が要介護だったとか、母自身が病気だとか何もなかった。1ミリも『家庭での保育に欠け』てなどいない私が、普通に公立保育所に通った。
母は私を幼稚園に入れたいと思ったそうだ。しかし、親族を含む周りの多くの人たちが、いつ保育所に預けるのか、保育所の申し込みをまだしてないのかとものすごくうるさかったらしい。『保育所が当たり前だった。同じ小学校に行く子は町内のどこかの保育所出身で、幼稚園に行く子なんていない』と言われたらしい。
母は心配しながらも私を保育所に入所させた。まず、町内に公立保育所がいくつもあった。1学年1クラス、私が通った保育所はその中でも人数が少ないところだったので、年長クラスで一緒に卒園したのは12人だった。最近の『保育所が足りない』どころか、どう考ても当時の子供の数を考えれば保育所が多すぎるくらいだった。
運動会や宿泊保育、遠足、卒園式などは合同で行われた。保育士さんはどうだったか忘れたが、市の公務員である給食調理員さんたちは、その町内の保育所のどれかにしか転勤しない。(当時給食調理員だった知人が近所にいたため、知っている)
今、雨の日でもお昼寝布団セットを自転車で運んでいる保育園パパママさんを見かけるが、私が通った保育所ではお昼寝布団の他、給食で使うスプーンや箸など、肌に触れるものや口に入るものも持参する必要はなかった。かばんに入れて持って行ったものは連絡帳以外思い出せない。
私は二人の子供を私立幼稚園に通わせた。ひとりは卒園し、ひとりは在園中。まあ、これでもかというほど指定用品を買わされ、毎日スライド式のカトラリーセットを始めあれこれ通園鞄いっぱいに持って行く。最初は自分の子供時代とのあまりの違いに驚いたが、『あ、こっちのほうが普通なんだ』と最近では思うようになった。
保育所時代はほぼ同和教育はなかったが、小学校に入ると一変した。
まず、入学時に必要なもののほぼ全てが無料支給だった。ランドセルまでタダだった。母と一緒に入学用品を近所の『会館』に取りに行ったことを覚えている。鉛筆や消しゴムまであった。筆箱は自分のものを使えたかな。それが最初の一回だけではなく、『とくしゅうひ』というものがあって、冊子が配られて必要な学用品に丸をつけて提出すると支給された。これはいつの間にかなくなった。高学年になる頃にはもうなかったかと思う。
私の実家は貧乏ではなかった。後に書くが、学用品を無料支給してもらわないと就学できないほど生活に困窮している同級生などいなかった。
ランドセルはデザインも何もかも皆同じ。ほとんどの学用品が全員同じだった。出どころが一緒だからそうなるんだろうけど、他の学校のことを知らないのでそれが普通だと思っていた。給食で使うお箸、食後に使う歯ブラシまで皆同じ。歯ブラシの色選びでじゃんけんをしたことも覚えている。
それから『子供会』というものがあった。放課後に行くところで、別に親が働いているからとか何もなく、ほとんどの同級生が在籍していた。行くか行かないかは自由だったが、小学校の下校時に集団になって歩いて行ったことを覚えている。おやつが出たり、遊んだり、土曜日は昼食も出た。学童保育のような感じだったが、違いは『(ほぼ)全額無料』で『まあまあゴリゴリの同和教育機関でもあった』こと。そこで働く人たちのことは、先生やさん付けではなく、『指導員』と呼んでいた。(例 田中指導員)
主に教えられたのは狭山事件のことで、歌まであった。私はその歌をなぜか今でも覚えている。小学校1年生のときから教えられる。それから、何の日だったかは忘れてしまったが、5月23日と10月31日が近づくと、狭山事件のことをいつもより色々聞かされた。
大人は集会もやっていた。たまに祖父について行ったことがあったが、集会の最後はシュプレヒコールがお決まりだった。後になって祖父はその集会になぜ参加していたのか母に聞くと、『お父ちゃん、その年確か町内会の役しとったからちゃうかな』そんな理由だった。
小学校の名札のところに『差別裁判をゆるさない』とかワッペンをつけて登校する期間があったりもした。『ワッペン登校』と呼ばれていたが、今考えるとすごい。小学生の制服に、別にその子の意思でもなくそういうワッペンをつけさせていたのだ。
学校の道徳の授業は、同和問題を始め、とにかく何かと差別を絡めた内容だった。在日コリアンの問題とか。私の子供が入学して教科書に名前を書いていたとき、道徳の教科書を何気なく見ると、『金の斧 銀の斧』の話が載っていたりして、自分のときとの違いにまた地味に驚いた。
小学校1年生に狭山事件のことを話してこれは差別だ!とか言われても正直よくわからなかったし、狭山がどこかもあまりよく知らなかった。『かなり昔、遠い関東で無実の人が逮捕されて、裁判が何か差別らしくて………』といった感じで記憶している。
他にも後で特殊だと気づいたことがある。天皇制の否定、国歌を教えない、卒業式の定番『仰げば尊し』はなぜそこがダメなのか忘れたが『我が師の恩』のところに文句がついていたっけ。
ある日の子供会の集会のとき、『天皇制はおかしい』という話を聞いたのをおぼろげながら覚えている。『天皇誕生日が祝日なのはおかしい』と力説されたが、子供心に『学校が休みになるんだし祝日にまで差別とか言うのか』と思った。
洗脳レベルの教育だったが、低学年頃にはなくなっていった(後述)こともあり、『差別に負けない大人になってほしい!!』だとか『(何にか忘れたが)誇りをもってほしい!!』と言われても全くピンとこなかった。
ワッペンをつけたり、子供向けの集会があったりというゴリゴリの同和教育は私が高学年になるより前くらいから一気になくなった。そのため、冒頭に『最後の世代』だと書いたのだ。
理由は、狭山事件の容疑者とされた人が仮出獄となったからだと思う。学用品がタダとかそういうのも、その頃からだんだんなくなっていった。
一世代上、私の母世代は、狭山事件が起こった頃に小学生くらいなので、大人になり、子育てをする頃までずっと続いたということになる。
母は私立高校を卒業しているが、『タダだった』らしい。無料だから私立高校を選んだわけではなく、公立高校に行く学力がなかったかららしい。高校の無償化なんてつい最近一部の地域で始まったことだが、これも『同和特権』のひとつだろうか。それよりも驚いたのが、自動車教習所の授業料も『タダだった』と言うのだ。私も運転免許をもっているが、確か教習所に入るときは30万円くらい払ったと思う。それもタダ?
それから、これは自分の家族にはいないが、市の公務員になれるルートみたいなものもあったそうだ。失礼な話だが、『この人、どうやって公務員になったんだろう?』と思うような人が、市の職員だったりした。
母も私と同じで、そういう環境で周りもそれが普通だったし、他のところのことを知らないので、疑問をもったことがなかったらしい。大人になってから、『あれは普通じゃなかったんだ』と思ったという。
江戸時代の身分制度の名残で同和問題や差別があるわけではないと、成長するにつれわかった。私が背負ったランドセルも、入学試験で特待生だったわけでもない母がタダで通った高校も、税金から…と考えたら、嫌われるようなこともしてるよなあ、知らなかったとはいえ…といつからか思うようになっていった。
その後、高校、大学と進むうち、部落差別っぽいものは時々あった。というより、特に悪気のない、同和地区に対するイメージを誰かが話しているのを聞くことがあったというくらい。
まず、『あのへんは治安が悪くて行くもんじゃない。どんなやつがいて何をされるかわからない。最寄駅で降りないほうがいい』と言っていたバイト先のおじさんとか。
確かにイメージとして、ガラ悪いとか治安が悪いとか思われがちだが、これが意外とそうでもない。麻痺してるのか慣れきってるのかとも思ったが、夜になると人通りはほぼなく、ガラの悪い人や治安を乱しそうな人もいない。夜の町は、『ここ?本当に関西の大都市?』と思うほど人通りもほぼなく静か。逆にそれが不思議だとか怖いだとかで動画サイトに載っていたりするが。
確かに治安がよくて人が住みたいイメージではないよなと長年思っていたが、最近では転入者も増えて、昔はボロボロの団地ばかりだったところに一戸建ての家が建ち並ぶようになった。相変わらず市営住宅が多く、整備されているものの見た目がほぼ同じ。スマホのマップが普及するより前は、宅配ピザの配達員さんが迷って電話をかけてくることもあるくらいだった。
そういう街はここだけではない。似たようなところをたまたま電車などから見ると、『あ、ここ…同和地区かも』とわかるようになった。
人生で、『あ、これが部落差別?』と思ったのは一度だけある。結婚のときだった。目の前でやりとりしたわけではなかったが、夫の両親は同和地区の嫁が来るのは嫌だと言っていた。私に直接言ったことはなかったが、義母から夫へのメールを見たら結構すごかった。
結局結婚したのだが、10年経っても『ほら、同和地区の人となんか結婚するから』みたいになったことはない。結婚を反対されたことを知った両親も、『まあ、そりゃ、どうぞどうぞ大歓迎ですってことはないよな』というような反応だった。従姉妹たちも同和地区出身でない人と結婚している。親である伯父と伯母は、娘の結婚相手の両親に出自を話したらしいが、それを理由に反対や差別はされなかったという。
私が昔受けた同和教育の題材にもよく結婚差別が出てきたり、同和の子は貧乏でいじめられて排除されて…みたいな内容が多かったが、思い出してみれば小学校の同級生には食べるのにも困るような生活をしている子は誰一人いなかった。それでも色々支給されたり…あれは何だったんだろう?と思う。
これもまた同和地区特有の話だと知ったのだが、とにかく近所の人達の情報を何でも知っている。私達世代はそうでもないが。今時隣の家の人のこともあまり知らないのが普通みたいな世の中だが、母より上くらいになると、『全くの他人のことを何でそこまで知ってるの?』と驚くほどだ。
私は聞いているだけのことが多いが、たまたま何となく会話にAさんという人が出てきたとする。たとえば私が『Aちゃんのお母さんが入院したんやって、Aちゃん大変そうで心配やなぁ』とか言ったとする。
すると母と伯母が、
『A?ああ、あの子な!うちの一学年下の子で旧姓増田やろ?増田のおっちゃんとこは立ち退きなる前は◯◯に住んでて、今団地入ってるやろ?おばちゃんは滋賀から来た人やったわ。Aは高校出て化粧品屋に勤めとって、学会の男の人連れてきて結婚して西宮のほう行ったけど、結局別れて娘二人連れて帰ってきてたなぁ。増田のおっちゃん怒ってたわ。あの子入院したんや、それは心配やな』
『増田のおっちゃん覚えてるわぁ、Aちゃんて姉ちゃんの一個下やったら、うちの二個先輩やろ?その子の弟がうちと同級生やねんけどな、中学の同級生のCと結婚して、夫婦で市に勤めとったから、お金持ってんで。団地出て関空とかあの辺りに家買うたらしいわ。増田のおばちゃん不倫しとったん覚えてる?近所同士でようやるわぁとかみんな言うとったなぁ』
こんな感じ。一体何の話だったかこちらが忘れそうになるが、私の友人の母親の実家事情を、同学年で仲が良かったわけでもない二人が知り尽くしている。
これは、同和地区出身者同士の結婚が多かったこともあるからかなと個人的に思っている。大人になってからは、では近所に住む誰かの会話に『私』が出てきたとすると、ここまで知られているのかとゾッとして、母に聞いたこともある。
『まあ、このへんやったらそうやろうな。でも、若い子らはそこまででもないと思うけど。うちの娘ていうことはみんな知ってるやろうし、行ってた学校ぐらいは知ってるやろな』
と、当たり前のことのように言われた。
同和地区も、私のように町並みでわかる人でなければあまり他の町と変わらないようになってきた。それに、顔を見たら同和地区出身者とわかるわけでも、戸籍を見たらわかるわけでもない。有名な同和地区が現住所や本籍であった場合はわかるかもしれないが。
解放会館も人権センターとか名前を変えた後、いつの間にかなくなった。『部落差別をなくそう!』『差別落書きを見つけたら云々』という文言が書かれた町内会のポスター掲示板もなくなった。私が少し通ったあの子供会もなくなった。
今でも、『住まないほうがいい町』とかググると私の地元が出てきて、理由に同和地区がどうのこうのと書かれているが、外から人はたくさん来ている。市営団地の入居者は全員知り合いだとか、市会議員や解放同盟のコネで団地に簡単に入れるという話も聞かなくなった。
実際、24年ほど住んだが、事件らしい事件のひとつも見たことがない。通り魔やひったくりに遭った人が近所にいようものなら3分で噂になるはずだが、これも聞いたことすらない。いや、別に『B地区とか犯罪がとかヤクザがどうの、治安悪いとか言われてるけど、全然怖くないですよ、町も綺麗で平和で、他のとことそんな変わりないですよ』とここで主張したいわけはない。
イメージしかない同和地区と、そこに生まれ育った私とでは、全く違うだろうなと思って書いたに過ぎない。
改めて、自分の生まれ育った場所を考えてみたとき、そこがたまたま特殊なところで、確かに差別されたり嫌われたりしても仕方のない面をもっていて、でも何だか『普通の生活の中で出さないほうがいい話題』のひとつであって…
何かそんなことを思って書いてみた駄文だ。
いや、そのりくつはおかしい。
本当の遺伝的弱者はコミュ能力に問題が出たり、容姿に支障が出たり、婚姻市場に参加するだけの学歴や職業を確保出来なかったりと、そもそも「つがい」になるところまで到達できない。
その点子ナシ夫婦も夫婦になれている時点で一定の淘汰をかいくぐった強者ではあるわけで、猫も杓子もくっついて子どもを作った昭和ならともかく、未婚率が上がり婚姻の淘汰圧が高まった今の時代だからこそ、子育て支援の価値が高まっている。
子育て支援は子どもを大切にするリベラルの価値観だけでなく、適者生存を掲げるネオリベラルや富国強兵を目指すコンサバの価値観からも望ましい。
社会福祉として見れば逆進的な手段ではあるが、遺伝的弱者を含む全人口から集めた税金を原資として、遺伝的強者である子ナシ夫婦と、更なる強者である子アリ夫婦に、淘汰圧を潜り抜けた褒賞として子ども手当を給付して欲しい。
せっかく民主党がやろうとした子ども手当は理解のない国民に潰されてしまったが、実はみんなにとって嬉しい性質があることを真摯に伝え直せば分かってもらえると思う。
なぜ期間限定なのか
春夏秋冬いつ食っても美味いだろ
朝食っても昼食っても深夜食っても美味いんだよ
全然会いに来てくれない
もしかして他の男と会ってるのか?
でも器の小さい男だと思われたくなくて何も言わなかった
本当は毎日でも会いたいのに
やっと会えたと思ったのにまた最近見かけなくなった
見捨てないでくれ
そしてこの前
コンビニのあいつがいた場所を覗いたら……チーズ&クッキー……!?
お前は誰だ!!
いるんだろう!?おい!!出せ!!
出してくれ!!!
会わせてくれ!!!
お前がいないと生きていけないんだ……
つぎ会えるのは秋だろうか……?
寂しいよ
最近自己責任という言葉を見ることがすごく増えてるんだけどその使われ方がほぼほぼ違和感しかない。
「勉強して東大入らないと自分が損するよ、自己責任だよ」は百歩譲ってわかるんだけど、東大入れないってわかった結果見知らぬ人を通り魔的に切り付ける人にも自己責任だよって言ってる文脈が本当に意味がわからない。
あのさ、自己責任って言葉使ってマウントとりたいだけだろ。そんな理由で使ってんじゃねえよ。マジで。聞いてるか橋下徹。まだ「悲惨な事件があったね…」で何の教訓もなく風化する方がマシだわ。
マウントが大好きなお前らの自己責任論が世に蔓延るデメリットがどれだけ深刻かわかってない。
あんたたちが言ってるのは『こんな凶悪な事件があったけど社会は何も気にしなくていいんだよ、だって自己責任だからね。斬りつけられた人もそんなとこ歩いてたのが悪いよ、自己責任自己責任』こういうことなんだよ。
人間って誰しも生まれたその時代・その社会の枠組みに最初から否応なく嵌め込まれるわけで、工場で大量生産されるネジみたいに何個かに1個は規格を満たさない”個”、悪く言えば不良品が出てきてしまうのは自然の摂理でしょ?
みんながみんなその枠にカッチリ適応できるわけじゃないし、なんならその”個”ってのは必ずしも目に見えて判別が出来るわけじゃない。一見うまく適応できてるように見えて機械に嵌め込んでたら何かの拍子に爆発してしまうことだってあるんだよ。
俺たちはそういう不確かな世界に生きてるわけ。
そこを見て見ぬふりしといて返す刀で自己責任論はあまりにもコミュニティの一員として冷淡で無責任すぎるでしょうが。
橋下さん、今回の通り魔に刺されたのがあなたの子どもだったとしてももちろん「あんなやつがいる社会に生まれた我が子の自己責任です」って言うんだよね?
俺は自分や仲間、家族の尊厳を傷つけるようなやつがいたら、今まで徹底に暴力に訴えてきた
体も小さく複数相手にすることが多かったから、勝率なんて3割も無かったけど
傷ついて終わるだけだ
実際、暴力行為に関する記憶は今となっては忘れてることのほうがいいけど、暴力に訴える前に経験した傷つけられたのにスルーしたことの後悔は大きくて夢にまで出てくる
旧来のジェンダー観ってなに?そして男性はみんなそれに染まってるの?若年男性は辛うじて「染まりきってない」やつもどこかにはいる、とかなの?なんなのその男性観。人の偏見には意識高いのに自分の偏見感知するアンテナは死んでんな。
その男性観が間違っている理由を一切言ってない。旧来のジェンダー観とは何か、発言者に聞いてないし調べようともしてないよね。偏見を喝破しようとするのに言ってる自身は無根拠に自分の考えを信じ込んでいる。
依存心強いタイプの女が欲しがってるシーンを見たことがあるの? ワンストライク。
そんなんホストか、詐欺師か、媚びまくることでコミュニティに居場所を作ろうというスタンスの精神的に歪んだやつで、どれであっても健全な存在じゃない。
ホストは健全な存在じゃない。それ、実名のアカウントで言ってみろよ。ツーストライク。
だいたい描いてるのが若くも男性でもない人で、
若い男性じゃなかったら、リアルな若い男性を書かないなんてそんな馬鹿げた話はない。作者の性別年齢は創作キャラクターの実在性を論ずる際になんの説得力も持たない。すべての創作は現実世界を観察して、空想の中で作られるもの。スリーストライク、バッターアウト。偏見にまみれながら偏見を指摘する死んだアンテナ持ちはバッターボックスから退場してください。ちょっとは反転して考えるってできないの、とは誰の言葉だったかしら。
読者をどうしたいか、って狙いは作家の多くにあると思うけどさ。それをイチイチ、ずるさだのとあげつらうのも歪んでると思うよ。逆に、ずるくない作家って一体誰だよ。
迎合的なへつらいに満ち溢れたサービス精神で生み出された理想像だとしてさ、発言者はそこに「旧来のジェンダー観に染まりきってなさ」を見出して、そういう男性はいるかもしれないって希望を言ってるんでしょう。整くんそのものな人がいる、とは言ってない。
彼本人の設定上の下心の有無も、作者の意図も関係なく、理想の限定的な一部分をピックアップしている。オタクの熱弁だって同じことだ。主張が乱心なのかは「こういう子」がどこまでを拾っているかによる。
フィクションの感想を全面的に現実と混同していると拡大解釈して、勝手に恐怖する。そういうこと言い出すやつがいるからキショ怖いんだよなあ。
そんな増田には『エロイカより愛をこめて』オススメだよ! イギリスの怪盗とドイツの軍人がソ連の情報部員も交えて冷戦下のヨーロッパでスパイ合戦を繰り広げるお話だよ! めっちゃ頭脳戦要素あるよ! あんまり性描写もないよ! ただ冷戦終わってからあんま面白くなくなったから作中で冷戦終わってからは別に読まなくてもいいと思うな!(個人で判断したい派だったら余計なアドバイスしてごめんね!)
以下で元増田の感想にかこつけての自分語りするね! ちなみにワイはヘテロセクシャルの男な!
これめっちゃわかる。根本的に面白くないのよねヲタ恋。ワイは割と恋愛脳というか恋愛漫画好きだけどヲタ恋はそもそも恋愛漫画として微妙な出来だと思う。pixivで無料連載されてたときに読んで「まあ無料ならそこそこ読めるかな~」って感じだったけど書籍化とか映画化とかされてるの見てびっくりした。ワイはあれをお金払ってまで見ようとは思わなかったので……
これ少女漫画なのか?
良い悪いよりまずそこを論じ直す必要がある気が。
田村由美は少女漫画描いてきた作家なんだし少女漫画雑誌で連載されて少女漫画レーベルから単行本出てるから少女漫画でいいんじゃね。
個人的に昨今の『ミステリと言う勿れ』叩きにはイマイチ乗り切れないというか、ワイも好きじゃないんだけど、田村由美漫画に説教ばかりと文句を言うのは『ToLoveる。』がパンチラ乳揉みお色気ばかりと文句を言うようなもので、これはそういうのをウリにしてる作家さんの漫画だから! って感じになるよなぁ。いや『BASARA』とかはまあ、そこまで説教臭くはないかもしれんが(いや、うーん……)、短編集とか見るとクッソ説教臭いから、『ミステリと言う勿れ』が説教臭いと言われても「それは西尾維新作品のキャラの名前が奇天烈でよく喋るのと一緒やで」って言いたくなる。
ゲームの世界で未来を知っていることを利用して勝利するという話はね、自分がコントローラー握ってれば楽しめるんだが他人がやってると冷めた目で見てしまうんだ。
悪役令嬢ものでもゲームの世界で無双するやつばっかりじゃないよ! 原作は小説だけど、『悪役令嬢後宮物語』は現地主人公ものだから未来知ってて私TUEEEEEではないよ! ただ『悪役令嬢後宮物語』は後宮内でのギスギスがメインコンテンツだから元増田にはまったく合わないと思うのでオススメしないけど……。関係ないけど「現地主人公」って画期的なレトロニムだよな。
あと『ツンデレ悪役令嬢リーゼロッテと実況の遠藤くんと解説の小林さん』は現代の男女がゲーム内の人間関係に無理やり上位存在として介入する作品だからこれも主人公の私TUEEEEとは言えないとは思うけどまあこれも恋愛がメインコンテンツだからあんまり元増田には刺さらなさそう。
ちなみに悪役令嬢ものだと第二部あたりで「主人公が元の世界で死んだ後に発売されたファンディスクの内容を知ってて主人公に向かって知識チートを仕掛けてくる第2の転生者」みたいなのが出てくることも割と多いよ! 『悪役令嬢なのでラスボスを飼ってみました』とかはそんな話だね!(ネタバレ)
ブコメで『図書館戦争』勧めてるやつがいるけどいくつかの理由でオススメしないよ!
第一に、漫画版『図書館戦争』はサブタイがLOVE & WARになってる通りめっちゃ恋愛要素がフィーチャーされてて、原作の時点でも割と恋愛要素強めなのにそれが更に強まってるから恋愛もの苦手だと読むのしんどいと思う。
第二に、『図書館戦争』のコミカライズって実は2種類あって、今の花とゆめ版の他にもう1つ少年漫画寄りの絵柄のやつがあったんだよね。ところが後者は長続きしなかった。問題は後者の絵柄の方が原作のイメージに近かったことなんだよ。花とゆめ版はめっちゃ原作から受けるイメージと違うというか玄田隊長がただの上品なイケオジに見える。ち~~~が~~~う~~~の~~~玄田隊長はもっとゴリラ感あるキャラデザじゃないとい~~~や~~~な~~~の~~~!!!1!(地面に寝転がって手足をバタバタさせながら)
第三に、花とゆめ版は割と原作の描写を改変してて解釈違いというか「はぁ?」ってなることが多々ある。『図書館戦争~革命のつばさ~』とかいう原作レイプクソアニメもあったし、このシリーズのメディアミックスは率直に言って微妙だから素直に原作読んだ方がいい。まあ原作も元増田に向いてるとは思わんが……
男同士だと「貧乳好きが巨乳アピールでおっぱいばかり写すいAV見ても「いいから顔と下半身を写してくれよ」となるあの感覚だわ」で通じるんだが女さんにどう説明すればいいやら……
すまん、よくわからん。三次元のAVは見ないので二次元の話をすると、エロ漫画はおっぱいの大きさじゃなくシチュで選んでるからその喩えはあんまり刺さらんところはある。何だろうな、自分に響くように置き換えると「陵辱ものだと思って読み始めたのになぜか途中で愛が芽生えてて『期待してた陵辱ものと違う』ってなるあの感覚」かな?